シーブレ日記

愛艇と綴る釣り日記
最近は登山や自転車へと 遊びの範囲が拡大中

雪山開始

2014年12月31日 20時56分19秒 | 山遊び
12月30日

今年も終わりですね。とにかく一年が早い!

30日はフリーなので、今シーズン初の雪山へ行くことにした。
雪山道具の様子見も兼ねているので、八ヶ岳の日帰り山行とした。とりあえず赤岳を目指すが、阿弥陀岳北稜のバリエーションルートをじっくり見て来るのが主目的。冬季の岩登りルートです。

深夜に中央高速を飛ばしてると、なにやら八ヶ岳あたりで雷が光ってる。30日はまだ天候がもつ筈なんだけどなぁ。
早朝5時半、美濃戸口の駐車場着。
6時、真っ暗な中をヘッドランプの明りを頼りに林道歩きから始める。さほど冷え込んではないですね。

明るくなってきた頃に、毎度おなじみの南・北沢の分岐点へ到着。今回は南沢を経て行者小屋へ向かいます。


今年は早い時期から雪が多い。
てか、予想に反して天気悪いです。標高を上げるに従いどんどん厳しくなってきます。


行者小屋に到着。
赤岳も横岳もまったく見えません。天候の状態はさらに悪くなってる感じです。


僕はここで完全装備に身を固め、文三郎ルートを上ってみる。
途中、早朝に赤岳アタックして下山してきたパーティーに先の状況を聞くと、上はかなり酷いとのこと。

阿弥陀の分岐まで行って、これ以上進むの止めました。
だって、赤岳主稜や阿弥陀北稜などのバリルートはまったく見えないし、登頂も厳しそうだし。

予定変更して、今日は他のバリエーションルートの各取り付き点などを見て回ることにした。
バリエーションルートとは、一般登山道から外れた登攀ルートのことで、クライマーと呼ばれる頭のネジが何本も外れている人達だけが踏み込んでよい領域のことです。(笑)

赤岳鉱泉に向けて進み、途中の沢沿いから小同心への取り付き点を発見。この時期はアイスクライマーが多いので、バリルートへのトレースもしっかり残ってます。

積雪は1mを超えてますね。ラッセルは結構たいへんそう。


硫黄岳方面に進む途中にあった、大同心への踏み跡です。
一般登山者が間違って入り込まないように、入り口にロープが張ってありました。


僕が一般登山者かどうかは後でよーく考えるとして、僕はロープをひらりと越えて向うの世界に入ります。
トレースを辿ると、さらにリッジ(稜線)とルンゼ(沢)に分かれていた。僕はリッジルートを進む。
結構な勾配で登ってゆきます。
上からクライミングを終えたパーティーが下ってきた。聞くともうこの上には誰もいないとの事。

ソロゆえ無茶はしないが、行ける所までは行ってみようとさらに進む。
一応、ロープと下降器は持ってるので、森林限界を超えない限りは大丈夫でしょう。


かなり上がったが、雪もっさり、倒木も多く、さすがに心細くなってきたので戻ります。
だって、こけて骨折ったりしても、ここは誰も通り掛からないからねぇ・・・

11:50、赤岳鉱泉小屋に到着。小屋でラーメン食べて暖を取る。


アイスキャンディーはまだ巨大化してなかったが、アイスクライミングを楽しんでいる人がいっぱい居た。
知り合いは居ないかと探したが、冬の装備してるとイマイチ分からないんですよね。
僕もアイスキャンディーバックに、記念に一枚撮ってもらう。(これにヘルメットとゴーグルしたら誰かわからんでしょ)


北沢ルートでちゃちゃっと下山。14時半に車に戻りました。
あとは、いつもの「もみの木温泉」で冷え切った体を温め、眠くなる前に一気に中央道で帰ります。
この日の高速上り線はガラガラで、あっという間に、、、

の筈が、事故で大月-上野原間が17:30から通行止めに。
で僕は、、、17時半頃に上野原のチョイ手前。その後9時間、午前2:30に通行止めが解除されるまで、大月-上野原間に居た僕のような車は、高速道路に閉じ込められる事になったのです。

家に着いたのは午前5時。
なんとまぁ、一日の行動時間24時間。なかなかハードな山行で今年を締めくくりました。

今年は海外釣行を封印し、山ばかり行った一年だったなぁ。
来年はどんなことをやりましょうかね。

来年もよろしくお願いいたします。

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ダメダメっす・・・

2014年12月28日 01時18分40秒 | ボート
12月27日(土)

今年最後のFishingかな?って感じで、シーブレイン出撃を計画。
同行はH/HさんとTeiさん。
狙いは、現在絶好調のブリ!

今年は、夏の天候不順も相まって、シーブレインの出番は極めて少なかった。
最後ぐらいはバッチリ決めたいものです。

僕は深夜に走り、いつもの通り船中泊。デッキは夜露が凍っていたけど、キャビン内は暖房入れてヌクヌク。快適な一夜を過ごす。

マリーナで迎える日の出です。今日は弱い北風の予報。

外気温は2.5℃。温暖な伊豆にしては結構冷え込んでますね。



下架前に軽くエンジンを温めておこうと考え、水を通してエンジンを掛ける。
右舷エンジン暖機運転 完了。

左舷エンジン、、、アレッ!? シュルルンとセルが空転。
何これ、セルモーターの遊動歯車が内部で固着し、エンジン側が回らない状況だ。

何度も何度もやったが、エンジンが始動できない。
これは始めてのトラブルです。


そうこうしている内に、Teiさん、H/Hさん到着。


これ、Teiさんの車のエンブレムというか、ロゴというのかな。
とにかく、ご機嫌な車で登場。

いや、車を語ってる場合じゃなくて、、、ゴメン!船が動きません・・・

そうこうしている内、どんどん北風が強まってきて、あれよあれよと言ううちに時化状態になっちゃいました。
大島の風速14m/s。こんな強風の予報なかったよな。



マリーナから出た観光船が、目の前でもみくちゃになってます。
水平線もボッコボコ。
エンジンもダメだけど、海上も釣りの出来る状態じゃありません。

もうダメダメの日になっちゃいました。
H/Hさん、Teiさん、わざわざ来てもらったのに本当に申し訳ないっす。


これで釣り収めになっちゃうのかな。
なんかシマラナイなぁ。


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30年前の山道具

2014年12月21日 23時51分17秒 | 山遊び
年末の大掃除がてら、物入れの奥に仕舞い込まれていた、古い山道具を引っ張り出した。
僕が20代の頃に使い倒した道具達、つまり30年以上前の代物ということ。
どれもこれも思い入れが深い道具ばかりなので、写真とともに、ここに記録しておくことにします。



左がICIオリジナルのザック。たしか18Lだったと思う。
大型のポケットや長めのストラップなど、かなり実戦的な仕様のザックです。僕は日帰りから一泊程度の野営ならこれでこなしてました。
いまだにこれ以上のユーティリティのザックにめぐり合えてないかも。

右がカリマーの60L。当時はアタックザックと呼ばれてた。
雪山とか長期の山行に使用してました。青のツートンがかなりお気に入りでした。

もう一つ、40Lぐらいのオレンジと紺色のミレーのザックがあったけど、いつの間にか行方不明です。
他には、10代の頃はキスリングを背負ってたし、海外放浪シリーズではフレームザックを使ってた。いずれもだいぶ前に処分したと思います。



ICIのツエルト。(2~3人用)
最初は9800円のドームテントでしたが、僕の山行形態がライト&ファースト指向になり、一年中何所でもこのツエルトでテント泊を行ってた。1月の八ヶ岳とかもヘッチャラでした。強かったなぁ。。。
収納サイズは、現代のテント(エアライズ2)とほぼ同じです。



コールマンのピークワン。当時最新のホワイトガソリンコンロです。
これさえあれば零下20℃の世界でも心強かった。
右がオプションのアルミケースで、手前の取っ手を使って鍋にも食器にもなる。たしか飯が4合炊けました。
左がガソリンを入れる漏斗兼こし器。
そして、手前にあるのがMETA。タブレット式の固形燃料です。こんな物が残っていたとは実に驚き、涙モノです。まだ火がつくのだろうか? あの燃え残りのフワフワした綿みたいなのは何だったんでしょうね?



炊飯道具一式。
左のコッヘルは好日オリジナル。
この他に1.5Lのポリタンとホーローのカップと重ね合わせ式のナイフ・フォーク・スプーンセットが何所でも一緒でした。



ニッピンのシュラフカバー。
雪山用でエントラント素材です。ゴアテックスが出始めてたけど、若い僕にはまだまだ高嶺の花。同じ防水透湿性素材のエントラントでも画期的でした。
これと合わせて買ったニッピンの冬用シュラフ(シルバーカラー)はだいぶ前に処分してしまった。羽毛は高くて買えず、たしかフォロフィルⅡというダクロン中綿素材だったと記憶してます。



右がサレワの12本爪アイゼン。
前歯の先端が台形ですね。当時のはみんなこうだったのかな?
これは今年の始めに北横岳で使ってみたけど、全然問題ありませんでした!

左がサレワの軽アイゼン。4本爪ならぬ5本爪。
奥多摩あたりはこれをザックに放り込んで登ってました。沢沿いのグズグズの急斜面なんかを登る時にも、手軽に活用したっけかな。



鉈とナイフです。錆び錆びですね。
当時の僕は、登山道以外を歩き回る事も多かったので、そんな時は腰に鉈を下げてました。藪山必携アイテムです。
この鉈さえ手にしてたら、どんな深い山でも入って行ける気がしたっけ。ある時、勢い余って自分の右ひざを叩き切った事があって、その傷跡を今確認したら、まだちゃんと残ってました。(笑)

左のナイフは僕が小学校6年の時に親に買ってもらったもの。山ではあまり使うことは無かったけど、僕のアウトドア人生の原点的な道具です。これを手にしたときは、スッゲー大人になった気がしたなぁ。



マップケースも出てきて、その中に入っていた地形図と天気図帳。
地形図は奥只見とか千葉とか北海道とか、、、なんか微妙な所しか入ってなかった。大半の地形図は何処か別のところに仕舞ったままみたい。



天気図帳の中を見ると、色々なところで書いた天気図が出てきた。
テントの中でヘッドランプを灯しながら、22時のNHKラジオの気象通報を聞いて天気図を書いたっけ。まだミリバールの時代だよな。
ちなみに、この写真のページの日付は昭和59年2月26日。何所の山中で書いたのかは分からないが、南岸低気圧が接近中で、関東に大雪が降る直前といった感じですね。


この他にも細々としたものも結構出てきたが、それ以上に何回かの引越しの際に処分してしまった物もいっぱいあるみたいです。

例えば山靴。
学生の間はキャラバンシューズ。社会人になってからニッピンの皮製登山靴を買ったっけ。赤い靴紐に変えて履いてたな。今はもうありません。

処分した記憶が無い物ではピッケル。シモンのコブラっていうモデルでした。
シャフト全体が黒いゴム張りだったな。捨てちゃったのかなぁ。。。

とまあ、こんな感じで30年以上前の山道具が沢山出てきました。一つ一つ思い出を語ればきりが無いです。
見た感じまだ現役で行けそうな物の結構ありますね。
今回は一つも捨てずに、再びプラケースに収めて仕舞いました。一度、これらを山で使ってみるのも面白いかも知れません。


古い写真もいっぱい出てきたので、何枚かスキャニングしてみた。
若かりし頃の僕の写真を、最後にパラパラッと載せておきます。


1979年3月の大井川源流域。
悪友と二人で一週間ぐらい掛けて寸又川を釣りしながら遡行し、リンチョウ沢を源頭部まで詰めて尾根伝いに降りてきたっけ。
今で言うアルパインクライミングしてますな。それもフリーソロで。(笑)
Gパンにキスリングにキャラバンシューズでよくやってものです。(若いって素晴らしい!)
ちなみに、ヘルメットは工事現場で拾った物に、自分でシルバーにペイントしたものでーす。



1986年1月の奥多摩御前山の何処か。
こちらは山歩きの途中で、フリークライミングして遊んでるの図。(笑)
そもそも、フリークライミングという概念が日本に浸透してなかった時代です。
クライミングシューズなんてものは当然無いので、ニッカーボッカーに登山靴という正統派山屋スタイルで頑張ってますね。
この頃の僕は、奥多摩の登山道以外のところを、かなり自由に歩き回ってました。



1986年2月の瑞がき山。
金峰山頂でテント泊した翌日だったと思います。シモンのピッケルが写ってますね。
小川山や瑞がき山が、今のようなフリークライミングのメッカになる遥か前です。
それにしても楽しそうだなぁ。


こうして見ると、僕は30年経った今でも、あんまりやること変ってない気がします。
山岳部や山岳会に属する事も無く、ぜーんぶ自己流。分からないなりに手探りで遊ぶのが面白かった。

たぶんこの先も、たいして変らないんだろうなぁ。。。(笑)



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慌しさの狭間で

2014年12月17日 12時48分27秒 | 釣り以外のエトセトラ
12月16日(火)

何かと慌しくなる12月。
その狭間の僅かな時間に、オペラ「椿姫」を見てきました。

僕は特段オペラ好きという訳でもないが、年に1回ぐらいのペースで観てます。
ヨーロッパの文化を色濃く感じられ、アジア人の僕には良い刺激になります。

ブログを振り返ってみると、僕は「椿姫」を2010年にベルガモ・ドニゼッティー劇場の来日公演で観てますね。
今回はパリ・オペラ座のライブビューイングです。



ビオレッタ役は、ドイツの歌姫ディアナ・ダムラウ。
至高のソプラノでした。
上の写真よりかはだいぶん貫禄ありましたが・・・(笑)

同じ演目でも、出演者によって違う個性がでるのは当然だけど、演出家の考え方でまったく違う作品になってしまうのがオペラの大きな特徴かもしれません。
アンニーナ役などは、今回は純朴な召使以上でも以下でもないが、前作ではビオレッタの中にある少女性を表現する重要な役所でした。

実に面白いですね。
オペラの楽しみ方の一片を垣間見た気がしました。


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湯田中温泉

2014年12月07日 23時02分59秒 | 釣り以外のエトセトラ
12月6日(土)

週末は、信州湯田中温泉でのんびりしてきました。

直前の地震と雪がチョット心配だったけど、特段の問題なし。


東京駅のホームから見えた空。



3時間後にはすっかり雪景色。



泊まった宿は、有形文化財登録の「よろず屋さん」
部屋ははなれの松頼荘。



湯田中は、ラリーやスキーで何度も通ってるが、泊まるのは初めて。
宿のお風呂も食事も、なかなかでした。



朝、部屋の外の欄干にサルが現れた。
寒そうだね・・・
 


翌日は、雪の善光寺参り&兄部坊(このこんぼう)という宿坊で精進料理を食す。
究極の出汁を味わってきました。



山登り後の温泉も良いが、温泉宿でゆっくりするのもなかなか捨てがたいですな。




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