上ラダックのバイク旅を終え、再びレーの町に舞戻ってきました。
5日間走り詰めだったので、洗濯やら休養やらで数日間レーで過ごします。その間バイク借りてても仕方ないので一旦返却しました。ただし、3日後に再出発するから、またAvenjerよろしくねってことで了解取り付けてます。
次の目的エリアは、下ラダック・ダハヌ・カルギルをぐるっと回ってくる計画。
下の地図の紫のラインが今回の辿ったルートです。
さて、再出発の前夜、バイク屋に行くとAvenjerちゃんとお取り置きしておいてくれました。しかしよく見ると前回借りた機体とは違いますね。まあ同型だから問題ないでしょ。外観をざっと見て、、ナンバー付いてねーけど(笑)
夜のうちにピックアップしホテルに持って帰りました。
翌朝、下ラダックに向けホテルを出発。今日は約140km先のラマユルまで行く予定。
ここはザンスカールに行く途中でゴンパに寄ったけど、なかなか良さそうな所だなぁと思った。 今回一人で再訪し、一泊して村の中をゆっくり探索したいと思ったのです。
幹線路を快調に走る。朝は少し寒いのでアウターの下にダウンを着ると丁度良い感じです。
インダス川とザンスカール川の合流点。左がインダス川、上から来るのがザンスカール川。
快調に走って、ナーラ(Nurla)と言う村で二度目の休憩。バイクを路肩に停めて給水タイム。
ウン?オイル臭い。。
バイクのエンジン回りから僅かに白煙が上り、エンジンの下にはポタポタとオイルが滴っている!
エーーーーッ!!
なに?なに?なに??
よく見ると、シリンダーブロック辺りからオイルがびっしょり。
滲むなんてレベルではなく、かなり盛大にオイルが漏れ出してる。
この時点で出発から約90km 携帯の電波なし。
深刻なトラブルが発生したと理解。サバイバルモードに入ります!
まず村人に修理屋はありませんかと聞くと、無いねぇ…と。 だろうね。
あと50kmも走れば、取り敢えず今日の目的地ラマユルまでは行けるが、ラマユルで修理できる可能性はここよりもっと低いだろう。
ラマユルの手前のカルシェならあるかもしれない… が無いかもしれない…
この状態であと何キロ走れるかは不明。
でも、この状態でこの先何日も走れる訳がない。エンジン焼き付きます。
僕はこの状態のまま来た道を引き返すことにした。途中でオイルが切れたら、廃油でも何でも調達してエンジンに流し込んで自走しようと考えた。
回転をあげないよう気を遣いつつ、朝来た道を戻る。
アルチの近くで携帯が繋がったのでバイク屋に電話して、「オイルがボタボタ漏ってるけど整備不良じゃね !? 戻ろうと思うけど、あんたが大丈夫って言うなら戻らないで旅を続けるけど、どうする?」などチト強めのご相談。
この辺のやり取り如何で立場が逆転する場合が多いから、海外では交渉力は必須です。
バイク屋も「分かった、戻ってきてくれ」と。
ついでに替わりのAvenjerの用意も頼んでおいた。
3時間ぐらい掛けて無事?レーのバイク屋に到着。
バイク屋の兄ちゃんもバイクの状態を見て、こりゃ駄目だと納得。
すでに替わりのAvenjerが用意されてたので、タンクに残った燃料を移し替えてくれて、こっちのAvenjerを使ってくれと言ってきた。
みると、先日まで僕が乗ってた機体が準備されていた。
これなら実績もあり、癖もよく分かってるから異論は無い。慣れ親しんだ愛車に再び会えたようで嬉しかったよ。
こっちはナンバー付いてるし(笑)
なんやかんやでもう夕方、今から再度ラマユル目指しても夜になっちゃうので、この夜は再びレーで一泊追加となった。(ラダックの夜走りは絶対止めた方が良いです。絶対です!)
トラブルではあるが、いろんな事を考えて、いろんな人の手を借りながら、何とか切り抜けて、そして明日に繋げることが旅の楽しみでもあると僕は理解してます。
今日のレンタル料はノーチャージとなったが、僕的にはちょっと面白かったし、良い思い出が出来たので半額ぐらい払っても良いかなって思ってた。トラブル時の方が旅の思い出になるから不思議なものだ。
翌朝、実績のバイクで再出発。
バイク屋のオヤジは奮発して、新品オイルに交換してくれた。
ラマユルまでは日本で言えば国道1号線的な平凡な舗装路だけど、それでも大絶景が延々と続き、これだけでもライダーは満足できちゃうでしょう。
ラマユル手前のつづら折りの登りでインド軍のトラック車列が大渋滞。噂には聞いてたが、本当に50台ぐらいの軍用トラックが、カーブでことごとく対向のトラックと行き違えずもううぐちゃぐちゃ状態。発進のたびにこれでもかと黒煙を吐きまくり、こっちは息を止めるしか無い。
僕は軍トラックの隙間を縫いながら一台一台根気よく追い越して行くが、これは本当に途方もない作業でした。軽いバイクで良かったよ。
午後になって、何とかラマユルのゲストハウスに転がり込みました。
部屋に通されてビックリ!
壁二面が総ガラス窓で、ラマユルゴンパ群と、向かいの山々が一望。180°どころか270°の絶景ビュー。
ベッドに寝転んでこの景色をずーと見てました。最高の宿発見です。
もちろんラマユルの村を歩き回ったし、ゴンパも再訪しました。二度目でも一人でゆっくり廻ると新しい感動が沢山ありました。
ラマユルの村人は、本当に気さくで良い感じの人ばかりだったなぁ。
翌日はダー・ハヌーへ行きます。
ここはパキスタン国境に近く、チベットともイスラムとも違う、ドクパという少数民族が住む山奥の村です。
一旦分岐点のカルシの町まで戻り、最後の給油をしてから、ダーの奥地を目指します。
インダス川右岸沿いに延々とダートが続くが、それは普通のことなので何とも思いません。幹線路から外れてるので通行車両もほぼなし。ガタゴトとのんびり走るにはうってつけのルートですね。
たまに村が現れると、僕はあえてルートを外れて狭い村内の道をトコトコ入って行く。村人達はこんな所に外国人が来るなんて珍しいなぁという感じだが、こちらから「ジュレー!」って挨拶すると、100%「ジュレジュレー」って返してくれる。
これがチベット仏教圏での挨拶です。本当にみんな朗らかに挨拶を交わす文化なんです。
大きなバイクでダーッと走っちゃうと、こういう繋がりは難しいけど、小型のバイクでゆっくり走ってると、自転車感覚で地元の人とふれあえるのがとても楽しい。
村内の道は大抵行き止まりで、来た道をまた戻ってくると村人達がニコニコしながら仕事の手を休めて見送ってくれる。
子供達が手を振って来たり、ハイタッチしてきたりと何とも朗らかな雰囲気。
チベット仏教のエッセンスを感じるなぁ。
そんなこんなで楽しい田舎道ツーリングの果てにダー・ハヌー村に到着。
ここは「花の民」と呼ばれるドクパというもの凄く少数の民族が暮らす山奥の村で、頭に花飾りを付けているという。
人影は殆ど無かったが、民家の庭先には色とりどりの花が植えられており、花の民の生活ぶりが覗えた。
この村で泊まれそうな家を探しながら進んでいると、ダーの村を過ぎてしまったようで、いきなりインド軍の基地に行き当たってしまった。こんな山奥に軍の設備があるとは。。。
確かにパキスタンとの暫定停戦ラインまで15kmぐらいだもんななんて思いながら、基地の前でUターンし、エンジン切って地図を確認。
再スタートしようとセルを回すと、反応なし。
ウン? どした??
いつも普通にセルが廻ってエンジンが掛かるのに、どうした事か無反応です。
エッ? エッ? エッ?
メーターもインジゲーターも無反応。こりゃ電気系統だな。
このバイク、キック付いてない。そもそも電気系統逝ってるので押掛けも無理…
目の前は基地のゲートで、入り口の兵士が怪訝な顔でこっちを見てる。
そりゃそうだ、国境紛争で緊張した地域の山奥深い誰も来ないような場所に、外国人がバイクが走ってきて、基地の前でUターンして、そのまま止まって何かゴチャゴチャやってるのだから怪しいことこの上ない。
このまま時間がたつと絶対に良いこと無いと確信したので、僕は自ら基地のレセプションに行って、「自分は日本人です。バイクが故障してしまってエンジンが掛からなくなってしまった。近くにバイクの修理屋は無いですか?(あるわけ無いが)」と丁寧に聞きました。
その兵士は理知的な感じで、そのままちょっと待てと僕に言い、基地内のどこかへ連絡してた。
暫くすると少し偉そうな軍人が出てきて、今度は僕に向かって、丁寧だが厳しい顔つきで様々な質問をしてきた。
何しに来た?何故こんな所に一人で来たのか?このバイクはどうした?いつからインドにいる?インドは何回目だ?何故故障した?燃料は入っているのか?などなど、、、そりゃそうでしょうね、この状況、相当怪しいですもん。まんまテロリストですもん。。。
かなりの質問(事情聴取)のあげく、どうやらテロリストの嫌疑は晴れたようで、
「OKちょっと待ってなさい」
といって、基地内に連絡してエンジニアを呼んでくれた。
ほどなく工具類を携えた修理担当らしいのが2名来て、状況説明したら、カバー類を手際よく外しバッテリー周辺をチェック。電源部のコネクターがゆるゆる(確かに)。そしてヒューズが切れてることを特定。これだよって上官にや僕に見せて、スペアのヒューズに交換。
一発でエンジンは掛かりました。
上官もヨシヨシといった感じでご満悦。もちろん僕も大安堵。
インド軍のバイク修理能力は相当なモノです(笑)
多分ですが、誰も居ない荒野のど真ん中だったら、この作業自力でやったでしょう。てか、それしか無い。
でも軍のゲートの真ん前で作業始めたら、拘束されたんじゃ無いかと思う。軍事的に緊張したエリアゆえ、ややこしくならないよう自ら申し出て助けを求めたのは正解だったかなと思ってます。
この間の写真撮影は一切出来ません。そんな雰囲気じゃ無かったし、そもそもインドでは空港や橋や軍事施設などの写真撮影は一切禁止です。
この辺の認識はしっかり持ってないと、洒落では済まなくなるから注意してください。平和ボケは海外じゃ通用しない。
エンジンが無事掛かって良かったものの、このバイクの信頼感はかなり落ちました。
何より2日続けて辺境の地でのバイクトラブルはさすがに凹みます。
この日はダーの村に泊ろうと思ってたが、バイクの調子を鑑みて、このまま山奥に留まることは避け町へ下ろうと判断。
予定変更で一気に峠を越えて、約100km先のカルギルの町まで走ることにした。
何とか明るいうちにカルギルに到着。
ここは古くから西のスリナガルと東のレーを結ぶ幹線路の中間にある要衝の町です。
カルギルはツアー時にも泊りました。完全にイスラムの町です。今までのチベット圏とは全く違う異文化で頭の切り替えに戸惑う。
まさに僕は、東と西の文化圏を行ったり来たりしているんだなぁと実感。
カルギルの安宿を取り敢えず取って、身軽になってメインマーケットをブラつく。
チベット圏とも、Theインドであるヒンズーとも全く違う、顔つき、物腰、服装、喧噪。
まさにイスラムそのものの町だ。ホメイニ氏の看板があちこちに掲げられ、イスラム語で書かれた激しい感じの標語が多く見受けられる。
マーケットを歩いていても外国人は全く見掛けない。異国情緒満載。アウェー感はマックス。
そんな所を一人で歩いてても、僕は基本平気です。
マーケットの屋台で、名前の分からない焼きそばと、極旨のシシカバブを食らう。文化の違いは味の違いにもはっきり出てます。旨い!
イスラムの人々は社会性が高く、戒律を厳しく守った生活を送っている。
チベットの穏やかで朗らかな雰囲気とはずいぶん違います。
どちらも魅了されます。(ヒンズー文化はかなりうざい!)
バイクのトラブルが連発したり、かと思うとフラッと寄った町や村が極上だったりと、相変わらず浮き沈みの激しい日々が続く。
そういうのに一人で立ち向かって居る旅の日々は、面白いなぁ。
バイクの予備ヒューズを探して町中を歩き回った。
カルギルの町がとても面白くて、宿を変えて連泊しました。
翌日は日曜日。
少しザンスカール側に進み、やはり街道筋から外れた村に入り込んでみた。ドンズマリのお店で飲み物買おうとしたら村の男性陣が出てきて、話しかけてくる。ここも外人は来ないもんなぁ。
すぐに5、6人に取り囲まれた形になったが、その話の内容が、パキスタンとの国境問題やその経緯、自分たちの考え、インドに対する思いなど、かなり突っ込んだ話を熱っぽく語りかけてくる。家へ来てお茶を飲んで行けと言う。
この会話には女性は一切参加しないし、近寄っても来ない。写真も撮らせて貰えない。イスラムの風習だ。
僕が飲み物を買おうとしてたのを知って、男達が女性に命じて飲み物を持ってこさせ、客人として飲み物をご馳走してくれた。
イスラムの男達はそういう矜持を持って生きているんです。
礼を言ってその村を後にし、街道に出た所でバイクを止めて地図を見てたら、街角に座ってた12、3歳のの少女達が僕の所に近づいてきた。
今日は日曜で学校が休みなので、友達でおしゃべりしてたみたい。そんなところに僕が現れたので興味を持ったようだ。
キャッキャとしながらたわいの無い質問をしてくる。
どこから来たの?何してるの?このバイク速いの?チョコ持ってない?名前なんて言うの?なんて会話とともに、笑ったり、つつき合ったり、とにかくキャッキャッキャッキャと楽しげだ。
田舎に暮らす彼女たちにとって、あらゆる物に興味津々なのでしょう。若者の好奇心は万国共通です。
一般的にイスラムの女性は、男性に対して顔を隠したり写真を撮らせなかったりと、女性蔑視とは言わないが女性に対する規律は厳しい。
そんな状況を見てか、通りすがりのオジさんが彼女たちに諫めるようなことを言ったみたいだが、意外なことに彼女たちはそのオジさんに向かって、「何言ってんのよ、良いじゃないの、この人と話して何が悪いの。。。」的な感じでそのオジさんに食って掛かるように反撃。(↓反撃中の写真)
結果、そのオジさんは退散していったが、この展開は面白かったなぁ。
彼女たちももう少し歳を重ねると、見知らぬ男性には顔を隠し話などしなくなるのだろうが、少女達にとってはそんな古めかしい事なんて!ってな感じだったのでしょう。
そこは洋の東西を問わず、若さって良いなって思った。
タンビスという村での日曜日の一コマでした。
カルギルの日曜のバザール。誰一人知り合いの居ないイスラムの町を、一人で歩いている自分が不思議でならなかった。
こんな場所までよくぞ来たものだなぁと、改めて思いました。
日本を出てもうすぐ一ヶ月。
ヒマラヤの壮大で荒削りな自然の中で、チベットとイスラムの文化がモザイク模様のように入り組み、そこを行ったり来たりしてるうち、僕の中で「異文化」感が無くなって来たのを感じました。
自然の中では同じ人間なんだなぁって感じです。
カルギルの雑踏の中で、母親が子供の服を買ったり、若者がスナック菓子を食べてたり、老人達が道ばたに座って話してたり。
こんな光景を見てたら、なんだかジワッときちゃいました。
そろそろ今回の旅も終わりにしようって思った瞬間です。
入域許可書の期限も今日で切れました。
帰りはまたラマユルの絶景宿で1泊し、のんびり癒やされてました。
宿を切り盛りする母と娘。
彼女たちは今もこの景色の中で、暮らしているんだなぁ。
9月5日、僕はレーの町に無事帰着し、バイクも返して、ホテルの部屋にドサッと荷物を降ろし落ち着いた。やり切ったよ。
僕は6日後に帰国することにした。
それまでの間、もう1シリーズどこか回れそうだったが、それは止めた。もう満足しちゃったみたい。
帰国までの数日、午前中はレーの町をぶらぶら歩き、午後はホテルの部屋でこの旅の記録を書いて過ごし、夕方また町をそぞろ歩く。
好きなものを食べ、ほんとにのんびり穏やかに過ごしました。
いったいラダックを何千キロ移動したのかも定かで無いが、信じがたい絶景、人々の暮らし、多くのふれ合い、日々起こる何やかんや、、、
そういった”驚くようなこと”に一ヶ月以上浸ってたら、どうやら僕の体の隅々に”ラダック”が染み渡ったようだ。
あらゆる事が、ラダックの澄み渡った空と乾いた風のように感じます。
良い旅でした。
ラダック、また来たいですね。
5日間走り詰めだったので、洗濯やら休養やらで数日間レーで過ごします。その間バイク借りてても仕方ないので一旦返却しました。ただし、3日後に再出発するから、またAvenjerよろしくねってことで了解取り付けてます。
次の目的エリアは、下ラダック・ダハヌ・カルギルをぐるっと回ってくる計画。
下の地図の紫のラインが今回の辿ったルートです。
さて、再出発の前夜、バイク屋に行くとAvenjerちゃんとお取り置きしておいてくれました。しかしよく見ると前回借りた機体とは違いますね。まあ同型だから問題ないでしょ。外観をざっと見て、、ナンバー付いてねーけど(笑)
夜のうちにピックアップしホテルに持って帰りました。
翌朝、下ラダックに向けホテルを出発。今日は約140km先のラマユルまで行く予定。
ここはザンスカールに行く途中でゴンパに寄ったけど、なかなか良さそうな所だなぁと思った。 今回一人で再訪し、一泊して村の中をゆっくり探索したいと思ったのです。
幹線路を快調に走る。朝は少し寒いのでアウターの下にダウンを着ると丁度良い感じです。
インダス川とザンスカール川の合流点。左がインダス川、上から来るのがザンスカール川。
快調に走って、ナーラ(Nurla)と言う村で二度目の休憩。バイクを路肩に停めて給水タイム。
ウン?オイル臭い。。
バイクのエンジン回りから僅かに白煙が上り、エンジンの下にはポタポタとオイルが滴っている!
エーーーーッ!!
なに?なに?なに??
よく見ると、シリンダーブロック辺りからオイルがびっしょり。
滲むなんてレベルではなく、かなり盛大にオイルが漏れ出してる。
この時点で出発から約90km 携帯の電波なし。
深刻なトラブルが発生したと理解。サバイバルモードに入ります!
まず村人に修理屋はありませんかと聞くと、無いねぇ…と。 だろうね。
あと50kmも走れば、取り敢えず今日の目的地ラマユルまでは行けるが、ラマユルで修理できる可能性はここよりもっと低いだろう。
ラマユルの手前のカルシェならあるかもしれない… が無いかもしれない…
この状態であと何キロ走れるかは不明。
でも、この状態でこの先何日も走れる訳がない。エンジン焼き付きます。
僕はこの状態のまま来た道を引き返すことにした。途中でオイルが切れたら、廃油でも何でも調達してエンジンに流し込んで自走しようと考えた。
回転をあげないよう気を遣いつつ、朝来た道を戻る。
アルチの近くで携帯が繋がったのでバイク屋に電話して、「オイルがボタボタ漏ってるけど整備不良じゃね !? 戻ろうと思うけど、あんたが大丈夫って言うなら戻らないで旅を続けるけど、どうする?」などチト強めのご相談。
この辺のやり取り如何で立場が逆転する場合が多いから、海外では交渉力は必須です。
バイク屋も「分かった、戻ってきてくれ」と。
ついでに替わりのAvenjerの用意も頼んでおいた。
3時間ぐらい掛けて無事?レーのバイク屋に到着。
バイク屋の兄ちゃんもバイクの状態を見て、こりゃ駄目だと納得。
すでに替わりのAvenjerが用意されてたので、タンクに残った燃料を移し替えてくれて、こっちのAvenjerを使ってくれと言ってきた。
みると、先日まで僕が乗ってた機体が準備されていた。
これなら実績もあり、癖もよく分かってるから異論は無い。慣れ親しんだ愛車に再び会えたようで嬉しかったよ。
こっちはナンバー付いてるし(笑)
なんやかんやでもう夕方、今から再度ラマユル目指しても夜になっちゃうので、この夜は再びレーで一泊追加となった。(ラダックの夜走りは絶対止めた方が良いです。絶対です!)
トラブルではあるが、いろんな事を考えて、いろんな人の手を借りながら、何とか切り抜けて、そして明日に繋げることが旅の楽しみでもあると僕は理解してます。
今日のレンタル料はノーチャージとなったが、僕的にはちょっと面白かったし、良い思い出が出来たので半額ぐらい払っても良いかなって思ってた。トラブル時の方が旅の思い出になるから不思議なものだ。
翌朝、実績のバイクで再出発。
バイク屋のオヤジは奮発して、新品オイルに交換してくれた。
ラマユルまでは日本で言えば国道1号線的な平凡な舗装路だけど、それでも大絶景が延々と続き、これだけでもライダーは満足できちゃうでしょう。
ラマユル手前のつづら折りの登りでインド軍のトラック車列が大渋滞。噂には聞いてたが、本当に50台ぐらいの軍用トラックが、カーブでことごとく対向のトラックと行き違えずもううぐちゃぐちゃ状態。発進のたびにこれでもかと黒煙を吐きまくり、こっちは息を止めるしか無い。
僕は軍トラックの隙間を縫いながら一台一台根気よく追い越して行くが、これは本当に途方もない作業でした。軽いバイクで良かったよ。
午後になって、何とかラマユルのゲストハウスに転がり込みました。
部屋に通されてビックリ!
壁二面が総ガラス窓で、ラマユルゴンパ群と、向かいの山々が一望。180°どころか270°の絶景ビュー。
ベッドに寝転んでこの景色をずーと見てました。最高の宿発見です。
もちろんラマユルの村を歩き回ったし、ゴンパも再訪しました。二度目でも一人でゆっくり廻ると新しい感動が沢山ありました。
ラマユルの村人は、本当に気さくで良い感じの人ばかりだったなぁ。
翌日はダー・ハヌーへ行きます。
ここはパキスタン国境に近く、チベットともイスラムとも違う、ドクパという少数民族が住む山奥の村です。
一旦分岐点のカルシの町まで戻り、最後の給油をしてから、ダーの奥地を目指します。
インダス川右岸沿いに延々とダートが続くが、それは普通のことなので何とも思いません。幹線路から外れてるので通行車両もほぼなし。ガタゴトとのんびり走るにはうってつけのルートですね。
たまに村が現れると、僕はあえてルートを外れて狭い村内の道をトコトコ入って行く。村人達はこんな所に外国人が来るなんて珍しいなぁという感じだが、こちらから「ジュレー!」って挨拶すると、100%「ジュレジュレー」って返してくれる。
これがチベット仏教圏での挨拶です。本当にみんな朗らかに挨拶を交わす文化なんです。
大きなバイクでダーッと走っちゃうと、こういう繋がりは難しいけど、小型のバイクでゆっくり走ってると、自転車感覚で地元の人とふれあえるのがとても楽しい。
村内の道は大抵行き止まりで、来た道をまた戻ってくると村人達がニコニコしながら仕事の手を休めて見送ってくれる。
子供達が手を振って来たり、ハイタッチしてきたりと何とも朗らかな雰囲気。
チベット仏教のエッセンスを感じるなぁ。
そんなこんなで楽しい田舎道ツーリングの果てにダー・ハヌー村に到着。
ここは「花の民」と呼ばれるドクパというもの凄く少数の民族が暮らす山奥の村で、頭に花飾りを付けているという。
人影は殆ど無かったが、民家の庭先には色とりどりの花が植えられており、花の民の生活ぶりが覗えた。
この村で泊まれそうな家を探しながら進んでいると、ダーの村を過ぎてしまったようで、いきなりインド軍の基地に行き当たってしまった。こんな山奥に軍の設備があるとは。。。
確かにパキスタンとの暫定停戦ラインまで15kmぐらいだもんななんて思いながら、基地の前でUターンし、エンジン切って地図を確認。
再スタートしようとセルを回すと、反応なし。
ウン? どした??
いつも普通にセルが廻ってエンジンが掛かるのに、どうした事か無反応です。
エッ? エッ? エッ?
メーターもインジゲーターも無反応。こりゃ電気系統だな。
このバイク、キック付いてない。そもそも電気系統逝ってるので押掛けも無理…
目の前は基地のゲートで、入り口の兵士が怪訝な顔でこっちを見てる。
そりゃそうだ、国境紛争で緊張した地域の山奥深い誰も来ないような場所に、外国人がバイクが走ってきて、基地の前でUターンして、そのまま止まって何かゴチャゴチャやってるのだから怪しいことこの上ない。
このまま時間がたつと絶対に良いこと無いと確信したので、僕は自ら基地のレセプションに行って、「自分は日本人です。バイクが故障してしまってエンジンが掛からなくなってしまった。近くにバイクの修理屋は無いですか?(あるわけ無いが)」と丁寧に聞きました。
その兵士は理知的な感じで、そのままちょっと待てと僕に言い、基地内のどこかへ連絡してた。
暫くすると少し偉そうな軍人が出てきて、今度は僕に向かって、丁寧だが厳しい顔つきで様々な質問をしてきた。
何しに来た?何故こんな所に一人で来たのか?このバイクはどうした?いつからインドにいる?インドは何回目だ?何故故障した?燃料は入っているのか?などなど、、、そりゃそうでしょうね、この状況、相当怪しいですもん。まんまテロリストですもん。。。
かなりの質問(事情聴取)のあげく、どうやらテロリストの嫌疑は晴れたようで、
「OKちょっと待ってなさい」
といって、基地内に連絡してエンジニアを呼んでくれた。
ほどなく工具類を携えた修理担当らしいのが2名来て、状況説明したら、カバー類を手際よく外しバッテリー周辺をチェック。電源部のコネクターがゆるゆる(確かに)。そしてヒューズが切れてることを特定。これだよって上官にや僕に見せて、スペアのヒューズに交換。
一発でエンジンは掛かりました。
上官もヨシヨシといった感じでご満悦。もちろん僕も大安堵。
インド軍のバイク修理能力は相当なモノです(笑)
多分ですが、誰も居ない荒野のど真ん中だったら、この作業自力でやったでしょう。てか、それしか無い。
でも軍のゲートの真ん前で作業始めたら、拘束されたんじゃ無いかと思う。軍事的に緊張したエリアゆえ、ややこしくならないよう自ら申し出て助けを求めたのは正解だったかなと思ってます。
この間の写真撮影は一切出来ません。そんな雰囲気じゃ無かったし、そもそもインドでは空港や橋や軍事施設などの写真撮影は一切禁止です。
この辺の認識はしっかり持ってないと、洒落では済まなくなるから注意してください。平和ボケは海外じゃ通用しない。
エンジンが無事掛かって良かったものの、このバイクの信頼感はかなり落ちました。
何より2日続けて辺境の地でのバイクトラブルはさすがに凹みます。
この日はダーの村に泊ろうと思ってたが、バイクの調子を鑑みて、このまま山奥に留まることは避け町へ下ろうと判断。
予定変更で一気に峠を越えて、約100km先のカルギルの町まで走ることにした。
何とか明るいうちにカルギルに到着。
ここは古くから西のスリナガルと東のレーを結ぶ幹線路の中間にある要衝の町です。
カルギルはツアー時にも泊りました。完全にイスラムの町です。今までのチベット圏とは全く違う異文化で頭の切り替えに戸惑う。
まさに僕は、東と西の文化圏を行ったり来たりしているんだなぁと実感。
カルギルの安宿を取り敢えず取って、身軽になってメインマーケットをブラつく。
チベット圏とも、Theインドであるヒンズーとも全く違う、顔つき、物腰、服装、喧噪。
まさにイスラムそのものの町だ。ホメイニ氏の看板があちこちに掲げられ、イスラム語で書かれた激しい感じの標語が多く見受けられる。
マーケットを歩いていても外国人は全く見掛けない。異国情緒満載。アウェー感はマックス。
そんな所を一人で歩いてても、僕は基本平気です。
マーケットの屋台で、名前の分からない焼きそばと、極旨のシシカバブを食らう。文化の違いは味の違いにもはっきり出てます。旨い!
イスラムの人々は社会性が高く、戒律を厳しく守った生活を送っている。
チベットの穏やかで朗らかな雰囲気とはずいぶん違います。
どちらも魅了されます。(ヒンズー文化はかなりうざい!)
バイクのトラブルが連発したり、かと思うとフラッと寄った町や村が極上だったりと、相変わらず浮き沈みの激しい日々が続く。
そういうのに一人で立ち向かって居る旅の日々は、面白いなぁ。
バイクの予備ヒューズを探して町中を歩き回った。
カルギルの町がとても面白くて、宿を変えて連泊しました。
翌日は日曜日。
少しザンスカール側に進み、やはり街道筋から外れた村に入り込んでみた。ドンズマリのお店で飲み物買おうとしたら村の男性陣が出てきて、話しかけてくる。ここも外人は来ないもんなぁ。
すぐに5、6人に取り囲まれた形になったが、その話の内容が、パキスタンとの国境問題やその経緯、自分たちの考え、インドに対する思いなど、かなり突っ込んだ話を熱っぽく語りかけてくる。家へ来てお茶を飲んで行けと言う。
この会話には女性は一切参加しないし、近寄っても来ない。写真も撮らせて貰えない。イスラムの風習だ。
僕が飲み物を買おうとしてたのを知って、男達が女性に命じて飲み物を持ってこさせ、客人として飲み物をご馳走してくれた。
イスラムの男達はそういう矜持を持って生きているんです。
礼を言ってその村を後にし、街道に出た所でバイクを止めて地図を見てたら、街角に座ってた12、3歳のの少女達が僕の所に近づいてきた。
今日は日曜で学校が休みなので、友達でおしゃべりしてたみたい。そんなところに僕が現れたので興味を持ったようだ。
キャッキャとしながらたわいの無い質問をしてくる。
どこから来たの?何してるの?このバイク速いの?チョコ持ってない?名前なんて言うの?なんて会話とともに、笑ったり、つつき合ったり、とにかくキャッキャッキャッキャと楽しげだ。
田舎に暮らす彼女たちにとって、あらゆる物に興味津々なのでしょう。若者の好奇心は万国共通です。
一般的にイスラムの女性は、男性に対して顔を隠したり写真を撮らせなかったりと、女性蔑視とは言わないが女性に対する規律は厳しい。
そんな状況を見てか、通りすがりのオジさんが彼女たちに諫めるようなことを言ったみたいだが、意外なことに彼女たちはそのオジさんに向かって、「何言ってんのよ、良いじゃないの、この人と話して何が悪いの。。。」的な感じでそのオジさんに食って掛かるように反撃。(↓反撃中の写真)
結果、そのオジさんは退散していったが、この展開は面白かったなぁ。
彼女たちももう少し歳を重ねると、見知らぬ男性には顔を隠し話などしなくなるのだろうが、少女達にとってはそんな古めかしい事なんて!ってな感じだったのでしょう。
そこは洋の東西を問わず、若さって良いなって思った。
タンビスという村での日曜日の一コマでした。
カルギルの日曜のバザール。誰一人知り合いの居ないイスラムの町を、一人で歩いている自分が不思議でならなかった。
こんな場所までよくぞ来たものだなぁと、改めて思いました。
日本を出てもうすぐ一ヶ月。
ヒマラヤの壮大で荒削りな自然の中で、チベットとイスラムの文化がモザイク模様のように入り組み、そこを行ったり来たりしてるうち、僕の中で「異文化」感が無くなって来たのを感じました。
自然の中では同じ人間なんだなぁって感じです。
カルギルの雑踏の中で、母親が子供の服を買ったり、若者がスナック菓子を食べてたり、老人達が道ばたに座って話してたり。
こんな光景を見てたら、なんだかジワッときちゃいました。
そろそろ今回の旅も終わりにしようって思った瞬間です。
入域許可書の期限も今日で切れました。
帰りはまたラマユルの絶景宿で1泊し、のんびり癒やされてました。
宿を切り盛りする母と娘。
彼女たちは今もこの景色の中で、暮らしているんだなぁ。
9月5日、僕はレーの町に無事帰着し、バイクも返して、ホテルの部屋にドサッと荷物を降ろし落ち着いた。やり切ったよ。
僕は6日後に帰国することにした。
それまでの間、もう1シリーズどこか回れそうだったが、それは止めた。もう満足しちゃったみたい。
帰国までの数日、午前中はレーの町をぶらぶら歩き、午後はホテルの部屋でこの旅の記録を書いて過ごし、夕方また町をそぞろ歩く。
好きなものを食べ、ほんとにのんびり穏やかに過ごしました。
いったいラダックを何千キロ移動したのかも定かで無いが、信じがたい絶景、人々の暮らし、多くのふれ合い、日々起こる何やかんや、、、
そういった”驚くようなこと”に一ヶ月以上浸ってたら、どうやら僕の体の隅々に”ラダック”が染み渡ったようだ。
あらゆる事が、ラダックの澄み渡った空と乾いた風のように感じます。
良い旅でした。
ラダック、また来たいですね。