シーブレ日記

愛艇と綴る釣り日記
最近は登山や自転車へと 遊びの範囲が拡大中

ヒマラヤ ラダック バイク旅(5)下ラダック・ダハヌ・カルギル編

2023年09月25日 22時08分35秒 | 海外遠征
上ラダックのバイク旅を終え、再びレーの町に舞戻ってきました。
5日間走り詰めだったので、洗濯やら休養やらで数日間レーで過ごします。その間バイク借りてても仕方ないので一旦返却しました。ただし、3日後に再出発するから、またAvenjerよろしくねってことで了解取り付けてます。

次の目的エリアは、下ラダック・ダハヌ・カルギルをぐるっと回ってくる計画。
下の地図の紫のラインが今回の辿ったルートです。




さて、再出発の前夜、バイク屋に行くとAvenjerちゃんとお取り置きしておいてくれました。しかしよく見ると前回借りた機体とは違いますね。まあ同型だから問題ないでしょ。外観をざっと見て、、ナンバー付いてねーけど(笑)
夜のうちにピックアップしホテルに持って帰りました。





翌朝、下ラダックに向けホテルを出発。今日は約140km先のラマユルまで行く予定。
ここはザンスカールに行く途中でゴンパに寄ったけど、なかなか良さそうな所だなぁと思った。 今回一人で再訪し、一泊して村の中をゆっくり探索したいと思ったのです。

幹線路を快調に走る。朝は少し寒いのでアウターの下にダウンを着ると丁度良い感じです。



インダス川とザンスカール川の合流点。左がインダス川、上から来るのがザンスカール川。



快調に走って、ナーラ(Nurla)と言う村で二度目の休憩。バイクを路肩に停めて給水タイム。
ウン?オイル臭い。。
バイクのエンジン回りから僅かに白煙が上り、エンジンの下にはポタポタとオイルが滴っている!



エーーーーッ!!
なに?なに?なに??

よく見ると、シリンダーブロック辺りからオイルがびっしょり。
滲むなんてレベルではなく、かなり盛大にオイルが漏れ出してる。



この時点で出発から約90km 携帯の電波なし。
深刻なトラブルが発生したと理解。サバイバルモードに入ります!

まず村人に修理屋はありませんかと聞くと、無いねぇ…と。 だろうね。

あと50kmも走れば、取り敢えず今日の目的地ラマユルまでは行けるが、ラマユルで修理できる可能性はここよりもっと低いだろう。
ラマユルの手前のカルシェならあるかもしれない… が無いかもしれない…
この状態であと何キロ走れるかは不明。
でも、この状態でこの先何日も走れる訳がない。エンジン焼き付きます。

僕はこの状態のまま来た道を引き返すことにした。途中でオイルが切れたら、廃油でも何でも調達してエンジンに流し込んで自走しようと考えた。

回転をあげないよう気を遣いつつ、朝来た道を戻る。
アルチの近くで携帯が繋がったのでバイク屋に電話して、「オイルがボタボタ漏ってるけど整備不良じゃね !? 戻ろうと思うけど、あんたが大丈夫って言うなら戻らないで旅を続けるけど、どうする?」などチト強めのご相談。
この辺のやり取り如何で立場が逆転する場合が多いから、海外では交渉力は必須です。
バイク屋も「分かった、戻ってきてくれ」と。
ついでに替わりのAvenjerの用意も頼んでおいた。

3時間ぐらい掛けて無事?レーのバイク屋に到着。



バイク屋の兄ちゃんもバイクの状態を見て、こりゃ駄目だと納得。
すでに替わりのAvenjerが用意されてたので、タンクに残った燃料を移し替えてくれて、こっちのAvenjerを使ってくれと言ってきた。



みると、先日まで僕が乗ってた機体が準備されていた。
これなら実績もあり、癖もよく分かってるから異論は無い。慣れ親しんだ愛車に再び会えたようで嬉しかったよ。
こっちはナンバー付いてるし(笑)



なんやかんやでもう夕方、今から再度ラマユル目指しても夜になっちゃうので、この夜は再びレーで一泊追加となった。(ラダックの夜走りは絶対止めた方が良いです。絶対です!)

トラブルではあるが、いろんな事を考えて、いろんな人の手を借りながら、何とか切り抜けて、そして明日に繋げることが旅の楽しみでもあると僕は理解してます。
今日のレンタル料はノーチャージとなったが、僕的にはちょっと面白かったし、良い思い出が出来たので半額ぐらい払っても良いかなって思ってた。トラブル時の方が旅の思い出になるから不思議なものだ。

翌朝、実績のバイクで再出発。
バイク屋のオヤジは奮発して、新品オイルに交換してくれた。



ラマユルまでは日本で言えば国道1号線的な平凡な舗装路だけど、それでも大絶景が延々と続き、これだけでもライダーは満足できちゃうでしょう。



ラマユル手前のつづら折りの登りでインド軍のトラック車列が大渋滞。噂には聞いてたが、本当に50台ぐらいの軍用トラックが、カーブでことごとく対向のトラックと行き違えずもううぐちゃぐちゃ状態。発進のたびにこれでもかと黒煙を吐きまくり、こっちは息を止めるしか無い。
僕は軍トラックの隙間を縫いながら一台一台根気よく追い越して行くが、これは本当に途方もない作業でした。軽いバイクで良かったよ。

午後になって、何とかラマユルのゲストハウスに転がり込みました。



部屋に通されてビックリ!
壁二面が総ガラス窓で、ラマユルゴンパ群と、向かいの山々が一望。180°どころか270°の絶景ビュー。



ベッドに寝転んでこの景色をずーと見てました。最高の宿発見です。



もちろんラマユルの村を歩き回ったし、ゴンパも再訪しました。二度目でも一人でゆっくり廻ると新しい感動が沢山ありました。
ラマユルの村人は、本当に気さくで良い感じの人ばかりだったなぁ。




















翌日はダー・ハヌーへ行きます。
ここはパキスタン国境に近く、チベットともイスラムとも違う、ドクパという少数民族が住む山奥の村です。

一旦分岐点のカルシの町まで戻り、最後の給油をしてから、ダーの奥地を目指します。
インダス川右岸沿いに延々とダートが続くが、それは普通のことなので何とも思いません。幹線路から外れてるので通行車両もほぼなし。ガタゴトとのんびり走るにはうってつけのルートですね。



たまに村が現れると、僕はあえてルートを外れて狭い村内の道をトコトコ入って行く。村人達はこんな所に外国人が来るなんて珍しいなぁという感じだが、こちらから「ジュレー!」って挨拶すると、100%「ジュレジュレー」って返してくれる。
これがチベット仏教圏での挨拶です。本当にみんな朗らかに挨拶を交わす文化なんです。
大きなバイクでダーッと走っちゃうと、こういう繋がりは難しいけど、小型のバイクでゆっくり走ってると、自転車感覚で地元の人とふれあえるのがとても楽しい。



村内の道は大抵行き止まりで、来た道をまた戻ってくると村人達がニコニコしながら仕事の手を休めて見送ってくれる。
子供達が手を振って来たり、ハイタッチしてきたりと何とも朗らかな雰囲気。
チベット仏教のエッセンスを感じるなぁ。

そんなこんなで楽しい田舎道ツーリングの果てにダー・ハヌー村に到着。
ここは「花の民」と呼ばれるドクパというもの凄く少数の民族が暮らす山奥の村で、頭に花飾りを付けているという。
人影は殆ど無かったが、民家の庭先には色とりどりの花が植えられており、花の民の生活ぶりが覗えた。





この村で泊まれそうな家を探しながら進んでいると、ダーの村を過ぎてしまったようで、いきなりインド軍の基地に行き当たってしまった。こんな山奥に軍の設備があるとは。。。
確かにパキスタンとの暫定停戦ラインまで15kmぐらいだもんななんて思いながら、基地の前でUターンし、エンジン切って地図を確認。

再スタートしようとセルを回すと、反応なし。
ウン? どした??
いつも普通にセルが廻ってエンジンが掛かるのに、どうした事か無反応です。
エッ? エッ? エッ?
メーターもインジゲーターも無反応。こりゃ電気系統だな。
このバイク、キック付いてない。そもそも電気系統逝ってるので押掛けも無理…

目の前は基地のゲートで、入り口の兵士が怪訝な顔でこっちを見てる。
そりゃそうだ、国境紛争で緊張した地域の山奥深い誰も来ないような場所に、外国人がバイクが走ってきて、基地の前でUターンして、そのまま止まって何かゴチャゴチャやってるのだから怪しいことこの上ない。
このまま時間がたつと絶対に良いこと無いと確信したので、僕は自ら基地のレセプションに行って、「自分は日本人です。バイクが故障してしまってエンジンが掛からなくなってしまった。近くにバイクの修理屋は無いですか?(あるわけ無いが)」と丁寧に聞きました。

その兵士は理知的な感じで、そのままちょっと待てと僕に言い、基地内のどこかへ連絡してた。

暫くすると少し偉そうな軍人が出てきて、今度は僕に向かって、丁寧だが厳しい顔つきで様々な質問をしてきた。
何しに来た?何故こんな所に一人で来たのか?このバイクはどうした?いつからインドにいる?インドは何回目だ?何故故障した?燃料は入っているのか?などなど、、、そりゃそうでしょうね、この状況、相当怪しいですもん。まんまテロリストですもん。。。

かなりの質問(事情聴取)のあげく、どうやらテロリストの嫌疑は晴れたようで、
「OKちょっと待ってなさい」
といって、基地内に連絡してエンジニアを呼んでくれた。

ほどなく工具類を携えた修理担当らしいのが2名来て、状況説明したら、カバー類を手際よく外しバッテリー周辺をチェック。電源部のコネクターがゆるゆる(確かに)。そしてヒューズが切れてることを特定。これだよって上官にや僕に見せて、スペアのヒューズに交換。
一発でエンジンは掛かりました。

上官もヨシヨシといった感じでご満悦。もちろん僕も大安堵。
インド軍のバイク修理能力は相当なモノです(笑)

多分ですが、誰も居ない荒野のど真ん中だったら、この作業自力でやったでしょう。てか、それしか無い。
でも軍のゲートの真ん前で作業始めたら、拘束されたんじゃ無いかと思う。軍事的に緊張したエリアゆえ、ややこしくならないよう自ら申し出て助けを求めたのは正解だったかなと思ってます。
この間の写真撮影は一切出来ません。そんな雰囲気じゃ無かったし、そもそもインドでは空港や橋や軍事施設などの写真撮影は一切禁止です。
この辺の認識はしっかり持ってないと、洒落では済まなくなるから注意してください。平和ボケは海外じゃ通用しない。

エンジンが無事掛かって良かったものの、このバイクの信頼感はかなり落ちました。
何より2日続けて辺境の地でのバイクトラブルはさすがに凹みます。

この日はダーの村に泊ろうと思ってたが、バイクの調子を鑑みて、このまま山奥に留まることは避け町へ下ろうと判断。
予定変更で一気に峠を越えて、約100km先のカルギルの町まで走ることにした。

何とか明るいうちにカルギルに到着。
ここは古くから西のスリナガルと東のレーを結ぶ幹線路の中間にある要衝の町です。



カルギルはツアー時にも泊りました。完全にイスラムの町です。今までのチベット圏とは全く違う異文化で頭の切り替えに戸惑う。
まさに僕は、東と西の文化圏を行ったり来たりしているんだなぁと実感。

カルギルの安宿を取り敢えず取って、身軽になってメインマーケットをブラつく。
チベット圏とも、Theインドであるヒンズーとも全く違う、顔つき、物腰、服装、喧噪。
まさにイスラムそのものの町だ。ホメイニ氏の看板があちこちに掲げられ、イスラム語で書かれた激しい感じの標語が多く見受けられる。





マーケットを歩いていても外国人は全く見掛けない。異国情緒満載。アウェー感はマックス。
そんな所を一人で歩いてても、僕は基本平気です。
マーケットの屋台で、名前の分からない焼きそばと、極旨のシシカバブを食らう。文化の違いは味の違いにもはっきり出てます。旨い!



イスラムの人々は社会性が高く、戒律を厳しく守った生活を送っている。
チベットの穏やかで朗らかな雰囲気とはずいぶん違います。
どちらも魅了されます。(ヒンズー文化はかなりうざい!)

バイクのトラブルが連発したり、かと思うとフラッと寄った町や村が極上だったりと、相変わらず浮き沈みの激しい日々が続く。
そういうのに一人で立ち向かって居る旅の日々は、面白いなぁ。

バイクの予備ヒューズを探して町中を歩き回った。
カルギルの町がとても面白くて、宿を変えて連泊しました。







翌日は日曜日。
少しザンスカール側に進み、やはり街道筋から外れた村に入り込んでみた。ドンズマリのお店で飲み物買おうとしたら村の男性陣が出てきて、話しかけてくる。ここも外人は来ないもんなぁ。
すぐに5、6人に取り囲まれた形になったが、その話の内容が、パキスタンとの国境問題やその経緯、自分たちの考え、インドに対する思いなど、かなり突っ込んだ話を熱っぽく語りかけてくる。家へ来てお茶を飲んで行けと言う。

この会話には女性は一切参加しないし、近寄っても来ない。写真も撮らせて貰えない。イスラムの風習だ。
僕が飲み物を買おうとしてたのを知って、男達が女性に命じて飲み物を持ってこさせ、客人として飲み物をご馳走してくれた。
イスラムの男達はそういう矜持を持って生きているんです。

礼を言ってその村を後にし、街道に出た所でバイクを止めて地図を見てたら、街角に座ってた12、3歳のの少女達が僕の所に近づいてきた。
今日は日曜で学校が休みなので、友達でおしゃべりしてたみたい。そんなところに僕が現れたので興味を持ったようだ。
キャッキャとしながらたわいの無い質問をしてくる。
どこから来たの?何してるの?このバイク速いの?チョコ持ってない?名前なんて言うの?なんて会話とともに、笑ったり、つつき合ったり、とにかくキャッキャッキャッキャと楽しげだ。
田舎に暮らす彼女たちにとって、あらゆる物に興味津々なのでしょう。若者の好奇心は万国共通です。





一般的にイスラムの女性は、男性に対して顔を隠したり写真を撮らせなかったりと、女性蔑視とは言わないが女性に対する規律は厳しい。

そんな状況を見てか、通りすがりのオジさんが彼女たちに諫めるようなことを言ったみたいだが、意外なことに彼女たちはそのオジさんに向かって、「何言ってんのよ、良いじゃないの、この人と話して何が悪いの。。。」的な感じでそのオジさんに食って掛かるように反撃。(↓反撃中の写真)



結果、そのオジさんは退散していったが、この展開は面白かったなぁ。
彼女たちももう少し歳を重ねると、見知らぬ男性には顔を隠し話などしなくなるのだろうが、少女達にとってはそんな古めかしい事なんて!ってな感じだったのでしょう。
そこは洋の東西を問わず、若さって良いなって思った。
タンビスという村での日曜日の一コマでした。

カルギルの日曜のバザール。誰一人知り合いの居ないイスラムの町を、一人で歩いている自分が不思議でならなかった。
こんな場所までよくぞ来たものだなぁと、改めて思いました。

日本を出てもうすぐ一ヶ月。
ヒマラヤの壮大で荒削りな自然の中で、チベットとイスラムの文化がモザイク模様のように入り組み、そこを行ったり来たりしてるうち、僕の中で「異文化」感が無くなって来たのを感じました。
自然の中では同じ人間なんだなぁって感じです。
カルギルの雑踏の中で、母親が子供の服を買ったり、若者がスナック菓子を食べてたり、老人達が道ばたに座って話してたり。
こんな光景を見てたら、なんだかジワッときちゃいました。



そろそろ今回の旅も終わりにしようって思った瞬間です。


入域許可書の期限も今日で切れました。
帰りはまたラマユルの絶景宿で1泊し、のんびり癒やされてました。
宿を切り盛りする母と娘。
彼女たちは今もこの景色の中で、暮らしているんだなぁ。








9月5日、僕はレーの町に無事帰着し、バイクも返して、ホテルの部屋にドサッと荷物を降ろし落ち着いた。やり切ったよ。

僕は6日後に帰国することにした。
それまでの間、もう1シリーズどこか回れそうだったが、それは止めた。もう満足しちゃったみたい。

帰国までの数日、午前中はレーの町をぶらぶら歩き、午後はホテルの部屋でこの旅の記録を書いて過ごし、夕方また町をそぞろ歩く。
好きなものを食べ、ほんとにのんびり穏やかに過ごしました。

いったいラダックを何千キロ移動したのかも定かで無いが、信じがたい絶景、人々の暮らし、多くのふれ合い、日々起こる何やかんや、、、
そういった”驚くようなこと”に一ヶ月以上浸ってたら、どうやら僕の体の隅々に”ラダック”が染み渡ったようだ。
あらゆる事が、ラダックの澄み渡った空と乾いた風のように感じます。



良い旅でした。



ラダック、また来たいですね。


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ヒマラヤ ラダック バイク旅(4)パンゴンツオ・上ラダック編

2023年09月23日 15時53分42秒 | 海外遠征
第三幕パンゴンツオ・上ラダック編は、下の地図の青いラインです。





ヌブラバレーからレーに戻り、さっそくバイク屋に行ってAvenjerは戻ったのかと確認すると「今夜20時頃にまた来てくれ」と。
これから準備するようですな。ここは日本じゃない。ヤレヤレ、、、

宿に戻り、洗濯や買い出しなど、次のセクションに向けての準備で忙しく過ごす。
今回の僕のラダックの旅は、レーの町をベースにして1シリーズ廻ってはレーに戻り、休息や補給などで数日間過ごし、そしてまた次のシリーズを廻ると言うスタイルです。
レーに戻らず縦走方式で廻った方が無駄はないが、まずなんと言っても酸素の薄い環境でずっと活動し続けると、いくら高度順化してても平地に比べて疲れがたまる感じです。休息は大事と考えました。さらに洗濯や食料などの補給もしたいしね。別に帰りの日程が決ってるわけでは無いので、その辺は余裕ありました。

バザールでバイクに積むバッグやポリタンを購入。



次の目的地は、中国国境のパンゴンツォ、上ラダック方面です。もちろんバイクで行きます。

夜バイク屋に行くと、Avenjerありました!
やっとのご対面だよ!!



しかし古そうやなぁ。。。
キャブ車やん。。。

コテコテのアメリカンっすね。こんなんでダート走れるのかいなと思ったが、ヒマラヤンより遙かに軽いからOK。
さっそく試乗してみると、ステップが思いっきり前寄り。さすがアメリカン。シート低っく!(笑)
クラッチがどこで繋がってんだか分からないぐらいボケてるが、走り出せば低速トルクは十分。
単気筒独特のドドドって感じで、レーの町の裏路地をグイグイと走ってくれる。足付きはべた足だし、車体が軽いから狭い路地でのUターンや穴ぼこ回避なども楽勝。



僕の中での評価は、ヒマラヤンは非力で重い普通のバイク(しかも高い!) Avenjerは何でもありの下駄車(しかも安い!)って感じかな。
他に350ccのクラシカルなのもあったけど、取り柄が何も無く一蹴。

明朝は早く出発したいから、今夜の内にピックアップしたいと言ったら、あっさりOK。もちろん明日からの料金でね。
取り敢えず3日分のレンタル料金をデポジットすれば、後は好きなだけ使えと。帰ってきたときに延長分は精算で良いとのこと。
レンタル料金は1日900Rs(1,700円)。ヘルメット無料。プロテクターは180円
この金額なら好きなだけ使い倒せるってもんです。

タンク容量は13リットル。満タンでどれだけ走れるか分からないので、バザールで5リットルのポリタンを購入。全18リットルあれば、少なくとも400~500kmは無給油で走れるでしょう。
奥地に行ってしまうとガソリンスタンドなんて無いから、航続距離は死活問題だ。
何はともあれ、今回の旅の重要なアイテムである「バイク」が手に入ったことは嬉しい限り!


翌朝バイク旅スタート。
余計な荷物はホテルに預かってもらった。預かり料は無料。



今日はチャンラ峠(5360m)を越えて、180km先のパンゴンツォ(湖)を目指します。


スタート間もなく最初の難関が。いきなり信号の無いロータリー式2連チャンの交差点です。要するに交差点が8の字になってて、そこに四方八方へ道が分岐してて車やバイクが我先に流入、流出するわけです。
朝のラッシュ時ゆえ、クラクションが嵐のように鳴り響き、あらゆる車両がグチャグチャにひしめいてる。牛までいるし。。。
日本じゃあり得ないが、インドではよく見る光景。

ひるんでても始まらないので、僕も微妙な隙間にバイクをねじ込み、そのまま流れに乗って進みつつ、やや強引に目指す分岐路に脱出。
そう、インドの道を走る時のコツは「やや強引に」です。先に突っ込んだ方に優先権があるって理解でよろしいかと。
譲り合ってると全然進めないし、後続車に強引に追い越されるだけです。

次はガソリンの給油。
レンタルバイクは燃料空っぽ貸しで、返すときも満タンの必要なしという仕組み。
さっそくガソリンスタンドに入る。日本と同じで店員がドボドボ入れてくれて、その場で現金で払うだけ。インドではガソリンのことをペトロールといいます。ペトロールフルタンクといえばガソリン満タンにしてくれる。リッター170円ぐらいで日本と変わらない。高価です。

市内を抜けると舗装された一本道。快適に走れるけど、いきなり不自然な急カーブがあったり、減速用の凹凸が設置されてたり、舗装にドデカい穴があったりと中々気が抜けない。日本の感覚で走ってるとトラップに捕まります。日本の常識は捨ててインド基準に早くアジャストすべしです。

インド軍の基地も頻繁に出てきます。道路に鉄柵が置かれてシケインになっててちょっと緊張するけど、基本減速してそのまま通過でOK。

カルーで軽く昼食を取る。マギー(汁少なめのインスタントラーメン)だったかな。旅の途中での昼食はマギーがちょうど良いですね。

峠道をぐんぐん登る。舗装とダートが半々ぐらい。



特段バイクの力不足は感じない。低速トルクでぐいぐい登るのがラダックの道路事情にはあってます。何故かというと、まずもって道が悪くてスピード出せないし、しばしば工事渋滞(交通誘導員なんて居ないし、渋滞無視して工事は勝手にやってる)でも、隙あらば前に出でて、作業員や重機や土砂の間をすり抜けて突破する粘り強さが必要だから。
SS系バイクの出る幕は一切無いです(笑)



出発時の僕の服装(レーの朝の気温15℃ぐらい)
上:登山用の中厚手シャツ+Tシャツ+ワークマンのレインジャケット
下:登山用の冬用パンツ+ワークマンのレインパンツ
グローブは羊皮のが丁度良かった。メッシュでは寒いと思う。

峠を登って高度を増すと寒くなってきたので、レインジャケットの下に薄手のダウンを着たら完璧!
以降、バイクで走ってるときは、ダウンの脱着のみで全て対応できました。
一応ヒートテックのアンダーウエアも持ってきたけど、出番なし。

ライディングジャケット着てる人も居るけど、そこまでスピード出せないから要らないかも。
僕はワークマンのレインジャケット(イナレム)上下をずっと着てました。常に砂埃や、川渡りで水飛沫浴びるから、薄手のレインジャケットが一番応用範囲が広い気がします。
バイク降りて村内を歩くときなんかも、レインジャケットなら軽くてコンパクトになるからGood。
逆に中綿脱着式は長期ツーリングには向かないね。薄手ダウンならそれ単体でも使えるけど、中綿単体では使いようが無いからね。

靴は現地で買ったミドルカットのトレッキングシューズ。三千円ぐらい。
川渡りで濡れるけど、どうせまた直ぐに川あるし、特に冷えるわけでもないからあんまり気にならない。
乾燥してるから一晩置いとけば乾いてたし。


チャンラ峠(5360m)では、相変わらずインド人観光客がはしゃいでた。ここで引き返すインド人も結構いますね。





朝から曇りがちだったが、なんとなんと峠を越えたら雪がちらついてきた。気温は5℃ぐらい。
8月だってのに。。。

峠を下ってTangtseにある最後のGSで、タンクとポリタンに満タン給油。この先3日間はGS無いはず。

パンゴン湖に近づくと氷雨が降ってきた。レインジャケットだから問題は無いが。。。
道も不明瞭なところがチョイチョイあって、ダートが何本にも分かれてる。観光ツアーの車両や、インド人マスツーのヒマラヤン集団がのたりくたりと進んでる。水溜まりだったり、バンピーだったり、急坂だったりと変化に富んでました。ここで2台ほどヒマラヤンがすっ転けてるの見たよ。



程なくパンゴンツォに到着。“ツォ”とはチベット語で“湖”のことです。因みに峠は“ラ”と言います。



パンゴンツオは大ヒットインド映画「きっとうまくいく」のロケ地として、最近インド人に人気の観光スポット。ただし夏場しか来れません。
湖の入り口付近に観光用の駐車場や、映画なりきり撮影道具や、宿泊客用の簡易テント小屋が沢山並んでる。
そこでインド人観光客はやはり大はしゃぎしてた。
僕はもう遠巻きに見るだけ。。。




パンゴンツオは南北50kmぐらい長さのある細長い湖です。湖の南半分は中国領。
天気が良いと湖面は深い青色に輝き、周囲の山と相まって、南米のユウニ塩湖にも匹敵するような素晴らしい景観となります。

殆どの観光客はこの北の端の観光スポットだけで帰っちゃうけど、僕は湖岸沿いにどんどん南下し、一番端のメラクという村に泊ることにした。
この道は気持ちよかったなぁ。



メラクに着いて今日の宿を探すと、一件目の家で直ぐにホームステイOK。
ラダックの旅は毎日こんな感じで、行ったその場で宿を調達してました。このスタイルで困ったことは一度も無かったです。
日本国内でも同じですけどね(笑)

村内を歩き回りました。
もうこの辺は携帯も繋がらない。
小高い丘の上のゴンパから湖を眺めてました。すぐ背後は6000m級の山。格好いいなぁ。







そして湖の向こうは中国の山々。。。



夜半からもの凄い暴風雨。
宿オヤジさんがとても親切で、明日僕がさらに南下して上ラダックへ抜けたいと言うと、ルートや道の状況を詳しく教えてくれ、ガソリンは足りるのかと心配してくれた。



朝目覚めると、背後の山が雪化粧してました。
3℃ 寒い!



ナマの村で峠ルートと平原ルートに分かれます。僕は宿のオヤジさんの助言通り平原ルートを進みました。

程なく舗装は途切れダートが延々と続く。
風がもの凄く強くて、砂埃が凄い。




この対策用に購入したスカーフで鼻と口を覆い、さらに首元からの砂の侵入も防御する。
するとこんな風体になるのだが、こういう気候風土ではこれが理にかなってるんだなぁと実感した次第。



荒野を挟んで右の山がインド、左の山の稜線が中国国境。
2020年に印中軍が衝突して小競合いを起こしたのはこの辺りらしいです。



このエリアには村は無く人影や通行車両が全くありません。
文字通り砂嵐の荒野を一人進む状況になってしまった。なんかあっても連絡手段が無いのでより一層慎重になる。
最初は締まったダートだったが、徐々に細かい砂が堆積し、轍があちこちにあって、どれが本当の道なのかよく分からない場面にもチョイチョイ出くわす。
川渡りも頻繁に出てきて、浅い箇所を探すように轍が何本もあって、もう自力で最良と思われるコースを進むしかない。
少なからずルートファインディングの技量が要求されます。



砂というよりパウダー状で、深いところでは30cmぐらいフカフカに積もってて、タイヤが取られて常に転倒リスクが伴います。僕は両足を出して都度修正しながら進む。

川渡りは概ね水深30cm程度で済む箇所を選んで渡ってた。もちろん靴はびしょ濡れだがそんなことはどうでも良い。
川の中で立ち往生したり転倒してエンジンに水を吸い込んだら、、、考えただけでもぞっとしますね。
なんせ一人なもんで、助けを呼ぶにもどうにもならない。
正直、ここでなんかあったら死がすぐ近くにあるなと、直感的に悟りました。

川渡りのコツは、ローギアに入れて、とにかく川に入ったら何があってもアクセルを緩めずバシャバシャ前へ進むこと。水中の岩に当たってハンドルが暴れても、ハンドルをグイと押さえつけ、とにかく前へ前へと進み続けること。これに限るかな。
川幅は10mあるかないかぐらいなので、突っ切る覚悟で進みましょう。
一度、膝下ぐらいまで浸かってビビったけど、根性で突っ切りました。あそこで怯んでアクセル緩めてたら、排気管から水吸ってたかも。。。

川で濡れたり砂埃にまみれたりで、もう全身灰色になりました。
一人パリダカやってるようなもんです。



一度、遙か彼方に車と人影が見えたのでホッとして近づいたら、その車は砂に埋もれてスタックしてた。
車にはインド人男性が二人乗ってて、手で砂を掘ったりしてた。僕も脱出を少し手伝ったが四輪とも完全に砂に埋まっててどうにもならない。
他に車を見かけたら伝えてくれと頼まれたので引き受け、僕は彼らを残して先に進みました。

一時間後ぐらいに後ろから一台の車が追いついてきたのでその事を告げると、見掛けなかったなと言ってた。彼らは何らかの方法で脱出できたのだろうか?

大分進んだ辺りで予備燃料を入れたポリタンが脱落し、ガソリンをぶちまけました。すぐに気がついたので燃料を1リッターほど失っただけで済んだけど、こんな所で引火したり全量失ってたらと思うとゾッとします。





宿を出て6時間、リアル荒野を単独で突っ切り、ようやく最初の村タングラが砂の彼方に見えてきたときは心底嬉しかったなぁ。
生還した安堵感が半端なかったよ。



この区間は、一つ判断を間違えたり運転操作を失敗したら洒落では済まないのは直ぐに理解できたし、死を身近に感じながらの進行で、写真を撮る余裕はありませんでした。唯一Goproを回してたときがあり、緊迫のシーンは動画で残ってました。(このブログには動画がアップできないんですよね…)

このコースはさほど酷くなかったよ、ってな話も後で聞きました。
僕の想像だけど、昨夜から暴風続きだったこともあり、砂の移動が容易に起こって、グッと難易度が増すような気がします。
このエリアは単独で入るには要注意かもしれません。手前のナマの村辺りで何台かでバイク集団を形成してから進むのも手かもしれませんね。2台以上なら1台がトラブっても、もう一台のバイクで脱出するなり助けを呼ぶなり出来ますからね。

最初の内はイージライダーの気分だったけど、途中からリアルマッドマックスの世界になってました。(笑)







この日はインダス川沿いのニョマの村に泊りました。
村内に入るとオジサンが手招きしてくれて、泊るんだったら家においでよって言ってくれた。普通の民家で部屋に鍵も何にも無くて、二間続きの奥の部屋を使いなさいと。



ここの小学生の娘とその友達が、初めて見る日本人が同じ顔してるのを珍しがって、ずっと近くで遊んでた。



オジさんはいつも鼻歌歌いながら、ずかずか部屋に入ってきていろいろ話し込む。
お湯をもらって全身の砂埃を洗い流してる間に、僕の泥だらけの靴を洗ってくれた。



夜になると年上の姉たちも帰ってきた、三姉妹がずっと僕の部屋に居座り、日本のこととか外国の話を聞きたがり、夜の更けるまで心温まる時を過ごすことが出来ました。



たった一人で死と隣り合わせの荒野を駆け抜けたり、小さな村で子供達とおしゃべりしたりと、何とも落差の大きな1日だったなぁ。
やはりラダックは、旅の深さが他とは明らかに違います。


翌日以降、インダス川上流域の上ラダック周辺を走り回って、インダス川沿いに徐々にレーの町に近づいて行きました。








道すがらのゴンパ巡りもラダックの旅ならでは。それぞれの僧院に特徴があって、チベット仏教の今に出会うことが出来ます。(ゴンパ内は撮影できない所が多いです)

へミスゴンパ





チェムリーゴンパ



スタクナゴンパ





ティクセゴンパ







シェイゴンパ



これらは比較的大きなゴンパで、修行僧が沢山暮らし日々の勤行に励んでいます。拝観料を払って見学もできます。
また小さな村にも必ずゴンパがあり、普段は無人だったり、何かの祭りの時に開いたりといった感じみたいです。

レーの町の手前で、ちょっとストク村による。僕が以前挑戦しようと考えた6000m峰ストクカンリの登山基地となる村だ。
結局忙しくて登らぬままだったが、今は登山禁止となってしまった山だ。何でもやれるときにやるべしだな。
ストク村からストクカンリ峰を間近に見てきました。ちょっと感慨深かったよ。






夕方、レーの町に戻り前に泊ったホテルに帰着。だいぶ疲れたのでバイクを一旦返し、2、3日休養や洗濯に費やすことにした。これがあとあと裏目に出るとは。。。


(最終話に続く)
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ヒマラヤ ラダック バイク旅(3)ヌブラバレー・トゥルトゥク編

2023年09月21日 19時54分30秒 | 海外遠征
一週間のツアーが終わり、明日からはサポートなしの自力旅が始まります。
初っ端はヌブラ渓谷を通って、レーの北西パキスタン国境のトゥルトゥク村(約200km)まで行ってみたいと思ってる。
ここは外務省の海外渡航情報では最上級のレベル4「避難勧告エリア」だが、現状国境付近は比較的安定しているらしい。

下の地図では緑のルートが、このシリーズの移動線です。





まずはレーの町で一泊し、旅の基本ツールである入域許可書とバイクの入手をします。
メインバール徒歩1分のドミトリーに入る。一泊800円なり。安いねぇ!



ラダックでは、国境付近に入るには入域許可書(ILP:Inner Line Permit)が必要。これは現地の旅行会社を通さなくては申請できず、さらにいうと一人旅は許可されないという基本ルールがあります。テロ対策らしいです。

ツアー解散後もラダック旅を続けるMカメラマン氏や同行したNさんらと、形式的に同グループという形で現地旅行会社にILP取得を依頼しました。
午前中に申請したら、当日夕方には全ての地域に対しての入域許可書が発出された。
許可期間は、翌日の8/21から9/4までの15日間が付与された。この許可期間も申請してみないと何日貰えるか分からないらしいけど、今回はかなりの長期間許可が出たようです。これで明日から動けるぞ!





次にバイクです。
現地で中古バイクを購入するのは実質困難であること。逆レーにはレンタルバイク屋が沢山あるので、レンタルを利用するのが現実的。
早速バイク屋に行くと、大型のインド製ロイヤルエンフィールドヒマラヤンばかりが並んでる。てか、それしかない!
見た目ごつめの大型アドベンチャー。フロント21インチでオフロード感はある。。



早速試乗
またがった印象は、日本で乗ってるセローより足付き良いけど、なんか鈍重な感じ。。。
走ってみた。
低速トルクは十分だけど、上の方のパワーが無いかな~。モッサリした走りです。
低回転で、ドドドって走る感じです。爽快感はないかなぁ。
舗装路やフラットダートを長距離走るには良さそうだが、本気のラフロードやオフロード、泥濘や細い裏道などは重くて使い勝手が悪そう。しかもレンタル料が高い!(インド人やヨーロピアンにはヒマラヤンでラダックを走るのが流行ってるから観光値段)



僕的にはもっと軽くて小回りの効くバイクが欲しい。しかも安めで。
220ccのAvenjerが候補に上がりました。Mカメラマン氏もいつもこれを借りてるとのこと。
片っ端からバイク屋に行ってAvenjerあるかと聞き回るも答えはNo…

何件も廻ってバイク屋の人脈が出来てくると、Avenjerは明日か明後日の夜帰ってくるよとの話が出てきた。インドでは人脈に頼る情報収集が鍵なのです。



最短で3日後スタートか。
ただし本当に3日後にスタートできるか確証は無い。なにせ“モノ”が無いので試乗もできないから使い物になるかは未知数だ。
インドではこの手の話は“話半分”と思っておいた方が良い。

このままレーで3日待っても、ILPの許可日数が無駄に減るだけ。これは勿体ない。
そこで僕は、バイク屋には3日後に来るからバイク押さえてくれるよう約束し、ヌブラ渓谷、トゥルトゥク村はバイクでは無く現地の人と同じバスかシェアジープで行くことにした。

この辺の交通手段がまた分かりにくくて、いろんな人に聞き回ったらバスは無い。シェタジープは殆どディスキット(約100km)までしか行かない。
ツアーで一緒だったNさんもトゥルトゥク村希望なので協力して車を探し、200km先のトゥルトゥクまで行くシェアジープを手配した。チト高めだけど割り勘なら許容範囲かな。この際時間をお金で買うことにした。
現地に沢山ある旅行会社に車の手配を頼めば簡単なんだけど、値段は倍はします。この辺の苦労も個人旅行の面白さですかね。

シェアジープの若き運ちゃん。気合い入ってます。



翌朝、レーを出て道はぐんぐん山を登ります。



2時間ぐらい走ってカルデュンラ峠に到着。この峠は、車で来れる世界最高所とのこと。
カルデュンラ峠 標高5400mとか5600mとか諸説あり(笑)





我が人生において最高所ですわな。
確かに空気が薄い。



6000m峰が目線の高さに見えてる。



峠ではインド人観光客が大はしゃぎ。インド人のテンションには付居て行けん。。。





峠を下る途中で昼食のオムレツ。
隣の席にインド軍兵士の集団。膝の上に置いた銃口が完全にこっち向いてるって!(インドでは軍人や施設は撮影禁止。オムレツを撮った体)
やはり海外渡航情報レベル4は伊達じゃ無いかも。。。



峠を下りきるとヌブラバレーの壮大な景色が広がってた。
素晴らしい景色!







ただ、ヌブラは交通のアクセスが比較的良いので、インド人観光客が結構来てて、ラクダに乗って写真撮ったり、サンドバギーで遊べたりと、ミーハー大好きインド人の観光地化が進んでるようです。

ディスキットゴンパ



こんな道を約6時間走って、



終点行き止まりのトゥルトゥク村に到着。



パキスタンとの暫定停戦ラインまでは5kmぐらいみたい。勿論ギリギリまでは行きません。この手の場所は洒落にならんもんね。



この村はイスラムの村です。
山間の平地には農地が広がり、様々な作物を作ってる。今は麦とアンズの収穫期のようでした。









辺境の地ではあるが、国境ギリの村というのもあって、インド人や外国人観光客も結構来てました。村自体は辺境の地故裕福な感じはしないが、そこにのんきな観光客がキャッキャしてるので、なんとなく村人も辟易としてる感じを受けました。
農作業をしてる地元の方達は僕と殆ど目を合わさない、そんな感じです。





みんな目を合わせること無く、黙々と自分の仕事を続けます。
ザンスカールとは違う。。。





村の外れにゴンパがあるので、頑張って行ってみたらほぼ廃墟のうようで誰も居らず。



でもね、パキスタン側の山間を見ると、遠くの方にひときわ高い雪山がチラッと見えました。
ここに来なきゃ、この角度からじゃ無いと見えなかった山です。



実は今回の旅の隠れた目的の一つに、“世界第二位の高峰K2をこの目で見たい!”というのがあります。
世界一の高峰はエベレストだけど、僕が一番好きな山は昔からK2でした。
25歳で初めて持った船の名前も“K2”と付けたぐらいです。

K2はパキスタン領のカラコルム山脈にあり、インドとの国境から約100kmの位置にある。
登頂の難易度で言ったらエベレストを遙かに超える厳しい山であり、僕なんかが到底挑戦出来る山ではありません。
登れないのなら、せめてこの目で見てみたい。そう思ったのだ。

事前にインド側からK2の見える場所は無いかと調べたが一切引っかからなかった。
パキスタン側にはK2ビューポイントなど何カ所かあって、そこに行けば見えるのだろうが、なんとかインド側から自力で見える場所を見つけたい、少しでも迫ってみたいというのが、いまの僕の中のK2愛というかK2への挑戦というか、まあそんな意味合いがありました。
このトゥルトゥク村がインドではK2に一番近い場所というのもあって、ここに来たのです。

で、その僧院の僅かな角度から、その山は見えたのです。
正直言ってそれがK2であるかどうかは現時点では分かりません。ただ方向はぴったりなんです。明らかに周辺の山々とは格の違う高さを持ってる格好いい山が、白く輝く山が、チラッと見えたのです。



僕は誰も居ないゴンパの傍らで、一人、静かな感動を味わった。
今回の旅のハイライトの一つでした。

トゥルトゥク村に2泊し、村内全てを歩き回りました。
国境紛争の持つ何とも言えない重圧、目を合わせようとしない村人、国境の村を見に来る国内外の観光客、僕の中で何かを考えさせるものがあった。

K2に迫れた静かな満足感を携え、翌朝僕はトゥルトゥク村を後にし、再びカルデュンラ峠を越えてレーの町に戻りました。
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ヒマラヤ ラダック バイク旅(2)ザンスカール編

2023年09月19日 11時10分01秒 | 海外遠征
この旅の第一幕は、プロの辺境カメラマンM氏に帯同する、ザンスカール撮影ツアーからスタートです。

内容が分かりやすいように、下の地図に僕の辿ったルートを色分けしてみました。真ん中の赤丸が中心都市レーです。
第一幕のザンスカール編は赤色のルートです。





成田から、エアインディア直行便でニューデリーへ飛ぶ。
ニューデリーで一泊した後、翌朝ラダックの中心都市レーへ飛びました。
飛行機はヒマラヤの山々を越えて、どんどん奥地へ入って行く…



レー到着の第一印象、、、空気が薄~い
カラッとしてて凄い爽やか。
高地ゆえ太陽の光が強烈です。半袖など肌が露出する服では紫外線で肌が一発でやられます。とにかく肌をかくし、顔や首などは日焼け止めが必須です。

早速市内のメインマーケットへ。
オー、全然インドっぽく無い! あの彫りの深いウザいインド人は殆ど居らず、日本人と同じ顔のチベット人ばかり。
ラダック来たーって感じです。



先ずは通信手段の確保。ここラダックはちょっと特殊で、ラダック専用のsimカードしか使えない。テロ対策らしいです。当然海外ローミングも無理。
現地のAirtelの一ヶ月用プリペイドsimを購入。お店でアクティベートまでやってくれました。

町の高台にある定番スポットレーパレスへ。レーの町一望!
意外と町は小さいです。直径5kmぐらいかな。標高3200~3400m程あるので、すでに森林限界を超えてます。
市内にはポプラの木が生えてるけど、一歩町を外れると全て茶色の砂と岩しか無い荒野が広がってる。想像してたより荒涼感が凄いかも。



正面には6,153m級のストクカンリ峰が見えてる。以前登りに来ようと考えたことのある山です。

レー到着初日は、何はさておき高所順応に全力を投じます。これが上手くいかないとずっと高山病で苦しむことになる。

具体的な高地順応の方法は以下の通り
・到着1、2日はとにかくゆっくり動き、激しい行動は避ける。軽装で散歩程度。
・水分を多量に取る。(目安は一日1~2リットル以上)
・呼吸が浅くならないように意識する。たまに深呼吸を交えるぐらいな感じ。
・昼寝は避ける。(呼吸が浅くなるから)
・酒、たばこはNG
こんな感じでしょうか。到着初日からガンガン動く予定は入れないことです。もし頭痛が伴うようなら早めに鎮痛飲んで楽になった方が良いかも。


この撮影ツアーのメンバーがレーで集合。カメラマンM氏と僕以外に日本人2名の方が参加です。
現地ガイド、ドライバー含め総勢6名で、一週間掛けてラダック最奥地のザンスカールを目指します。
以降、日付は特に意識せず、思い付くままに記して行きます。



レーの町から車で10分も走れば、もう何も無い荒野。その先はむき出しの岩山だらけ。
ヒマラヤに来たことを実感。(この先ずっとこんな光景の中にばかり居ることになる)



何も無い荒野を数十キロ走ると20、30軒程の小さな村が現れ、それを過ぎるとまた荒野。これの繰り返し。
レーから約100km走って、最初の目的地ラマユルゴンパに到着。
ゴンパとは、チベット仏教の僧院のこと。





空の蒼さが半端ないです。
太陽の光がとにかく強い。



次はV字渓谷。
とんでもなく褶曲した地層。数百億年を掛けて一体どんな力が掛かったのやら。地質マニアには垂涎の光景。
ヒマラヤは只者では無いとヒシと感じます。



だんだん目の前に現れる光景に、理解が追いつかなくなってくる。
雄大な自然とか、素晴らしい風景なんて次元じゃ無い。地球のナマの姿が圧倒的な迫力で次々と現れるのです。





夕方頃に目がチカチカして来て、まともに目を開けられなくなってきた。
今日一日、サングラスをせずに行動した結果、強烈な紫外線で目がやられたようです。いわゆる雪目ですね。雪山では散々気を付けてるのに、この荒涼とした風景に油断しました。
とにかく目薬を大量に差し、なるべく目を休めるようにするしか無い。
翌日から当然サングラス着用したけど、回復には2,3日掛かりました。出来ればサングラスも、脇から光が入り込まないサイドカバー付きや8カーブのようなモノが良いと思います。

レーから約240km走り、夕方ザンスカールへの中間点にあるカルギルの町に到着。この日の宿泊地です。
ここはパキスタン国境から10km程しか離れておらず、完全にイスラムの町です。
さっきまで日本人と同じ顔したチベット仏教圏に居たのに、いきなりイスラム圏に入ると異国感が一気に上がります。
本場のシシカバブは極旨!



翌日、脇道にそれスル谷沿いの小さな村へ入ると、小学校に通う子供達に出会った。
通常イスラム圏の女性達はカメラを向けると顔を隠すけど、この村はとても開放的でした。
この眼差し。。。











カルギルから秘境ザンスカールへ向かうに従い、景色も俄然に凄みが増してきます。





7000m級の山も登場。ヌン・クン峰です。やはり格の違いを感じますね。



それらの山から流れ出る氷河。
本物の氷河を初めて見ました。凄いわ。。。





峠を越えるとチョルテン(仏塔)があった。
これより先はチベット仏教圏であることを示すそうだ。つまりここから先が ”ザンスカール” であるということ。





ラダックに旅行に来る人は多いけど、殆どの旅行者はレーから100km、1泊圏内が多い感じです。
ザンスカールはレーから500km程奥地であり、道も悪く、行くだけで3日はかかります。
旅行者が行くには中々困難な、リアル秘境。
ついに来たなぁ、ザンスカール!





しかし驚くことに、カルギルからこの秘境に続く道も、この2、3年で急速に整備されており、舗装工事も急ピッチで進んでいる。
現時点ではカルギルからザンスカールの中心パデュムまで250kmあまりのうち、半分ぐらいは舗装工事が進み、残り半分がダートといった感じかと。



秘境が秘境でいられるのも、後数年かもしれません。
パデュムで3泊しザンスカール各地を撮影。





カルシャゴンパ(尼僧院)





ストンデゴンパ





バルダンゴンパ



村人の農作業風景なども











次に秘境中の秘境、リンシェ村を訪問。
ここは2020年に道路が開通したばかりで、外国人はまだ殆ど入っていません。ついこの数年前まで徒歩とランプの生活をしていた村です。





その道中も凄い景色のオンパレード。道はお約束の断崖道路。もう怖さ感覚は麻痺してますが。
よくぞこんな所に道をつけたものだと感心。(現在進行形で造ってます)





リンシェ村の全景。雄大な景色の中に小さな家が在るのが分かりますか?
風の谷という言葉がもの凄くしっくりくる所です。



リンシェ村には宿はありません。村人の家にホームステイさせていただきました。
伝統的な衣装のこの家のアマ(お母さんという意味)がカワイイ。
夕食も一緒に食べて、リアルなチベット民族の生活に直に接することが出来ました。







しかしというか何というか、、、
道が繋がったことにより物資が来ました。電柱も建って電気が来ました。これでランプの生活からLEDの生活に変わった。
そしてなんと村にモバイルタワー(携帯電話基地局)も建ったのです。
チベット古来の民族衣装を着て、数百年来変わらぬ生活様式を繋いできたアマが、なんとなんとスマホで誰かと話してる!



衝撃の光景でした。

生活が便利で快適になることは誰もが望むことであり、それを止める権利は誰にもありません。
もちろん僕らがそれに口を挟むものでもありません。
ただただ、この光景を見つめるだけでした。
秘境が秘境であるのも、本当に本当に、あと僅かなんだろうなぁ。。。

















8/19 我々は一週間の撮影ツアーを終え、無事レーの町に戻ってきました。
同行した皆さん、ありがとうございました。
特にMカメラマン氏が何年も掛けて開拓し蓄積したスポットを訪問できた事は本当に凄いことで、このツアーに参加して良かったと思います。一見では絶対に入り込めない真のザンスカールを見ることが出来ました。
「ツアー」というものに殆ど参加しない僕だけど、今回のツアーは参加して良かったと思いました。

さて、第一幕「ザンスカール撮影ツアー」は感動のウチに無事終わり、レーでツアーは解散しました。
明日からは、第二幕「ラダック一人旅」が始まります。

先ずはバイク調達からだな。


(続く)




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ヒマラヤ ラダック バイク旅(1)プロローグ

2023年09月16日 14時26分44秒 | 海外遠征
8月初旬から9月中旬まで、インドの北端、ヒマラヤ辺境の地ラダックをバイクで旅をしてきました。
今まで経験してきた幾多の旅の中でも、辺境度最強クラスの旅となりました。
いま、ラダックの旅を無事終えて、正直ホッとしてるところです。


この旅を思い付いたのは昨年の秋頃。
インドラダック地方をバイクで走破したいと思ったのだ。
ラダックはヒマラヤ山脈の西部に位置し、一部カラコルム山脈にも及ぶ広大な地域です。人が暮らす村々の平均標高は3000~5000mで、7000m級の高峰も含むヒマラヤ山脈の辺境の地です。

かつてアジア大陸の中央部にチベット国という国が存在したが、様々な経緯を経てその領土の殆どが中国に組み込まれてしまった。その後中国共産党の文化大革命でチベットの遺跡や生活文化はことごとく破壊されてしまい、事実上中国内のチベットという国は消滅してしまったのだ。

一方チベット国の西側の一部はインド領に組み込まれ、ラダック地方として今も存在している。
チベット国の盟主ダライラマはインド内に亡命政府を作り、今もおなおラダック地方にはチベットの文化や生活が残されているのだ。(↓赤線のエリアがラダック)




急速に発展する中国とインド。この二大国の狭間ラダックの地に、風前の灯火のように残さたれチベット人の暮らし、そしてチベット仏教の今を、僕はこの目で見ておきたいと思ったのだ。

ほんの20~30年前まで、ラダックの交通手段は徒歩やロバだった。(僕が初めてインドを旅した1980年当時、ラダックは車では行けなかった)
しかしインド、中国、パキスタンとの国境問題も深刻で、インドはこの地域に軍事施設を多数配置するようになった。当然補給路としての道路造りも進み、結果として徒歩でしか行けなかった村々にも、徐々に車道が付くようになったのだ。
こうして数百年来自給自足の暮らしを続けてきたラダックの人々の暮らしも、道路の開通ととも急速に変わっている状況にある。

ラダックの中心都市はレー。旅の起点となる町です。
今はレーにも飛行場が作られ、デリーから1.5時間のフライトでひょいとレーに入れるようになり、我々外国人もたやすくレーに来ることが出来るようになった。


今回のラダック旅の具体的な発動は、今年5月頃に偶然見つけた一つのツアー情報でした。
ラダックをバイクで回りながら写真を撮ってるプロカメラマンの方がいて、その方に同行する公募企画があったのです。
現地集合現地解散で、一週間の日程でラダックの最奥地ザンスカールを目指す内容。ツアー自体はバイクでは無く車両を1台チャーターして進むというもの。
正直ザンスカールは奥地過ぎて、一人でバイクで行くのは無理かなと考えていた場所なので、
ザンスカールに行けるというのと、プロのカメラマンの撮影自体にも興味があったし、バイク旅についてもいろいろアドバイスが頂けると思い、先ずはこのツアーに参加することにした。

そして1週間のツアー終了後、僕はそのまま現地に残り、一人でバイクでラダックのあちこちを回ろうという、ざっくり二段構成でこの旅を考えました。

旅行期間は未定。。。 最長180日のオープンチケットを購入。
ラダック終了後はインドの西部ラジャスタンあたりを廻っても良いかなという、かなりアバウトな計画(無計画)での出発でした。

久々の海外バックパック旅&バイク一人旅、しかもヒマラヤという、なかなか難易度の高い内容です。
基本的に人が生きて行くにはかなり厳しい辺境ゆえ、一つ間違えば命の危険すらあるのは承知のうえ。
でも、やりたいこと、興味のあることには突き進む性格。勇気を持って行っちゃえです。
死にたくはないが、場合によっては仕方ないかなと…

それなりの覚悟を持って、出発の日を迎えました。

(続く)
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ニューデリーまで戻りました!

2023年09月11日 22時20分51秒 | 海外遠征
ネット環境が悪くて長らくブログ更新出来なかったけど、
今日ニューデリーまで来たらやっと正常に繋がりました。

はい、生きて戻って来ました!

ラダック、ザンスカールバイク旅、いろいろあったけど、とにかく最高でした!!

詳しくは帰国したらということで。

取り急ぎ、生存報告でした!
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レーの町に着きました

2023年08月12日 14時51分46秒 | 海外遠征
家を出てから3日目、やっとインドの北部、レーの町に到着しました。
ここがラダックの入口です。

随分遠くまで来たなぁ…

既に標高3200m
酸素の薄さを感じます。

今日一日はユックリ過ごし、しっかり高度順化します。
明日からの旅に備えて!
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ヒマラヤ辺りに行ってきます

2023年08月04日 11時17分10秒 | 海外遠征
一週間後に日本を出て、この辺りを旅してきます!

海外といえば、ほぼ遠征釣行ばかりだったけど、今回は違う。
上の地図の赤丸の辺りを、一人でバイクで行けるところまで行ってみようかと。
場所的には、インド最北部のヒマラヤ山中。パキスタンと中国の国境(暫定停戦ライン)に隣接するラダック、ザンスカールエリアです。

赤丸の東半分がチベット仏教が色濃く残るラダック。
赤丸の西半分がイスラム教徒が暮らすザンスカール。

まさに東西文化の境界エリアというか、東の最果てと西の最果て。。。
リアル辺境の地です。


一帯は峠をいくつも超えた先にある標高4000mから6000mのヒマラヤ高地で、高峰や氷河や深い谷しかない荒涼とした地です。
その中にポツンポツンと集落があり、チベット民族が下界とは隔絶された環境で伝統的な暮らしをひっそりと続けている。

集落を繋ぐ道は、古来から峠をロバとか歩きで超えて行かねばならない地域です。
そんな場所も、最近では四駆ならなんとか進めるかも、、、でも一歩間違えれば谷底へ、、、的な道が徐々に延びているようです。(軍用みたいです)
奥地へは一般の観光客が入り込む術はないが、バイクなら単独でも入り込めるんじゃないかなと。。。
冬は雪と氷で道は閉ざされ、陸路での移動は不可能。夏場しかこの地には立ち入れないのです。

奥地の情報は殆どありません。食料や泊まる所も民家だより? 行ってみないと分かりません。
間違いなくいえる事は、コミュニケーション力が相当必要であろうこと。

当然旅程なんて立てられないから、帰国の時期も白紙。また片道切符だ...(笑)

6ヶ月オープンの航空券を購入しました。インドのビザも最長6ヶ月だから、それまでには帰らないとね。
自分的には、なんとなーく1、2ヶ月ぐらいで一段落させたいとは思ってます。疲れちゃうもんね。

奥地の通信環境は望むべくもない。たまに補給で町に降りて来ると思うので、そのときにネットに繋がるかな。
そんなタイミングでこのブログも更新できるかもです。

準備としては、先ずは装備を思いつくまま山積みにしてみた。
そこから、かなりの集中力で日々荷物の絞り込み作業を行ってます。ここでの判断ミスが、現地で何倍にもなって難渋することになる。
無駄なもの、余計なものは一切排除します。



今回はザックのほかに撮影機材やPCも持ち込むので、移動手段としてのバイクは理にかなってるかなと。
バイクは現地調達の予定。



今の僕の全力を掛けて、この旅に臨もうと思ってます。
いろいろと危ないのは百も承知のこと。
死にたくはまったく無いけど、場合によっては死んでも仕方ないかなと。(笑)
余力は残したくなかったので、船も処分した次第です。

久々にヒリヒリするような旅になりそうです。

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インド アンダマン諸島GT遠征(アジアの純真編)

2016年04月01日 00時56分00秒 | 海外遠征
3月24日

さて、来たからには帰らなければなりません。
来る時と同じルートで、カルカッタ、バンコクでそれぞれ乗り継ぎ日本へ戻ります。
今回の計画段階で、ポートブレアまでの乗り継ぎを色々と検討したが(ニューデリー経由とか)、結果バンコク、カルカッタ経由が一番ロスタイムが少ないとの結論。

朝6時にロッジを出発し、ポートブレアの空港へ。(例によって空港関係の写真はナシ)
空港では特にトラブルも無く、定刻の8時過ぎに飛行機は飛んでくれました。

10時過ぎにカルカッタに到着。
で、、、カルカッタ発は翌日の午前2時、、、14時間もあります。
なので一日カルカッタ観光の予定です。移動には現地手配の中型バスを利用しました。

さーて、ここは僕の第二の祖国みたいなところ。(笑)
35年ぶりのカルカッタはどの様に変ったか、興味はマックスだ。

車窓から眺めていると、年中大渋滞していた街中の道路は結構すいてますな。
ン!? ウシが歩いてない・・・
通りには路上生活者や乞食の群れが、ごく僅かしか居なくなってる・・・
ずいぶん変ってますね。まあ35年経ってんだもんな。


バスはニューマーケット近くに止まった。
ここは、僕がカルカッタで沈殿生活してた安宿街の近くです。毎日来てた場所だ。。。


いいねぇ。




この皮サンダル、ズタボロになるまで履いてたな。


皆さん、軽いカルチャーショックで、微妙に顔がこわばってます。しかし、旅なれた連中ゆえすぐに慣れ、絞りたてジュースなどを飲み、その後はシルク屋などがひしめいている魔窟、ニューマーケットに突入してゆきました。


速攻で日本語しゃべる客引きの嵐。このシステムも全然変わってないわ。
ここは基本的に危険は無いです。スリぐらいでしょう。物の値段は全て交渉。言い値の10分の1ぐらいが適正価格かと。


観光手配してくれたラムさんからは、最後にショッピングセンター行くので、インド土産はそこで買えると聞いていたので、皆さんニューマッケットではインドの雰囲気を味わう程度でした。





次はすぐ近くのインド博物館で自由行動。


インダス文明の石像など圧巻だが、昔勉強した事をほとんど忘れててよく分からんかった・・・
たぶんいい物がいっぱいあるんだろう。




集合時間までまだ間があったので、昔し僕が滞在してた安宿を探しに行ってみた。
サダルストリートを入っていきます。


石造りの建物ばかりなので(みな築300年ぐらい)、数十年程度ではボロさも含め街並みは殆ど変ってない。


路上生活者はずいぶん減った。
昔は歩いてると足首掴んできて、バクシーシの嵐だったよな。


消防署の手前のチョーリンギストリートを右へ曲がる。
見覚えあるわー。ここは両手足の無い乞食が器用に台車に乗ってよく追いかけてきた。


えーと、この辺だったよなぁ・・・

あった!
モダンロッジ




35年の時空を越えて、舞い戻ってまいりましたわ!

ちょと部屋の中も覗かせてもらった。






しらみだらけのベッド。
毎朝屋上で食べる粗末な朝食。
沈殿した日々。

つい昨日の出来事のような不思議な感覚。

斜向かいのパラゴンホテルも以前のまま。なーんも変ってない。
露店のチャイ屋でチャイを飲む。使い捨ての素焼きのカップ。


犬の目つきも昔のままだな。
君は何回目の生れ変りかい?


ここは、もう一度ゆっくり来てみたいと思う。

バスに戻って、マザーテレサハウスへ。
僕が来た頃は、彼女はまだここで活動してたはず。当時ぜんぜん知らなかったよ。


最後にここでお土産買ってくださいと連れて来られたのは、なんとまあ近代的で巨大なショッピングモール。
ビックリだよ!カジュアルショップ、化粧品、携帯ショップ、フードコート・・・
日本のショッピングモールとなんら変わりません。
ここで何を買えとな? 

ショッピングモールの隣にはこんなマンションも出来てる。
たぶん100年ももたないだろうが・・・


インドの経済発展は凄いんですね。
ここが僕にとって一番のカルチャーショックでした。



空港ではひと悶着、ふた悶着あったが、インドでは良くあること。
後で知ったが、ベルギーの爆破テロの翌日と言うことも影響してたように思う。
深夜2時にインド・カルカッタを飛び立ち、我々は次の乗り継ぎ地バンコクへ向った。

ナマステー また来るね~


機中で眠りに着いたと思う間もなく、朝食サービスで起こされ、早朝6時にバンコクに到着。
羽田行きの乗り継ぎに16時間ぐらいあるので、一旦入国し、バンコク市内観光という流れへ。

僕にとってのバンコクって、インドと日本の行き帰りの際、数日間立ち寄って両国のカルチャーギャップを薄める緩衝地帯の役目を担ってきた。
そういう意味でも、帰りにちょっとバンコクで息抜きするのはアリですね。
殆どのメンバーはバンコクマスターなので、案内はお任せです。

先ずはメコン大ナマズ釣りで有名な、ブンサンランへ行った。




巨大な釣堀で、岸にはオープンデッキのロッジがあり、そのデッキからノンビリ釣るのです。
こんな感じね↓


しかしナマズと言っても、20~30kgと超巨大で、その引きは半端無い。
釣堀なので気分的には緩いんですが、ファイト自体はカジキやGT、マグロと遜色ないっす。
さらに、足元に寄せてからはデッキの下に潜り込もうとするので、えらい手こずります。
コンニャロ、そっち行くな! ギンバル欲しいっす!


これは小さいほうかな。
4、5匹も釣ればもう満腹。


寝不足状態での、昼寝とファイトの波状攻撃。 体と心が遊離してました。
僕は突然、怒涛の鼻水垂れ流し状態に。いったい何が起こったのだ!?
風邪? それとも何か妙な病気? まさかこの後、とてつもない高熱とか出ないよな・・・(恐)

鼻栓をしたまま、次はダイレクトリーというショッピングセンターへ。
ここは巨大ドンキホーテみたいな物で、世界のバッタモンが所狭しと売ってます。
Tシャツとか買うなら良いかもね。

電車でスクンビットに移動。


ワットポーでタイマッサージを受けに行きました。僕はタイ式は苦手(思わず腹筋で耐えてしまう)なので、フットマッサージを頼む。
これがなかなか気持ちよくて、途中で寝ちゃいました。

次は屋台で軽い食事。
カルカッタに較べると、遥かに清潔感を感じます。


電車でナナへ移動。
鼻水垂れ流しのまま、夕マヅメのバンコクの街をそぞろ歩く。


開店前のナナプラザでビール飲みながら、出勤してくるオカマちゃん達を眺めてた。
夕暮れから徐々に盛り上がってくるバンコクの街。アジアだなぁ。


カルカッタ、バンコク。
これらの場所は僕自身始めてではないのでリラックスしてましたが、それでも場面展開やギャップが激しくて、どこで一日が終わってるのか、遠い昔のことなのか、ついさっきの事なのか、、、あらゆる事の理解が追いつかなくなって来ました。
アンダマンでGTフィッシングしてたのは、前回の遠征のような気分。(笑)


19時過ぎには空港に向わなければならないので、我々はトゥクトゥクに乗って宵の口のバンコク市街を後にする。



23:15バンコク発 羽田行きTG0682便は、ほぼ定刻に飛び立ったようだ。
乗機前に手当たり次第に薬飲んだら、鼻水垂れ流しは収まったが、微熱があるようだ。
あとは野となれ山となれ、日本に着いたら荏原病院でもどこでも連れてゆけー!


ロッジでみんなで聞いたパフィーのアジアの純真と、QueenのWe will rock youが頭の中を巡り続ける。
僕は離陸までの間に眠りに落ちていた。


朝7時、羽田に到着。
アンダマン諸島を出てから3日たってるはず。
高速バスの窓から見える東京は、どんよりと曇って寒い。サクラはまだ咲いてないようだ。


時空を越えたアジアントリップ。
なかなか濃厚な、海外遠征釣行でした。

こんなフィッシングトリップにご興味のある方は、毎度おなじみのフィールドゲートさんへどうぞ。

(完)








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インド アンダマン諸島GT遠征(GT編)

2016年03月29日 23時40分19秒 | 海外遠征
3月21日

GT初日です。
ベッドでぐっすり眠ったので、長旅のダメージも消えたかな?
ロッジで朝食を済ませ、徒歩5分の桟橋へ。



上の写真が今回の使用艇。
28fと33fの2艇です。いずれもセンターコンソール型で、28fの方はカタマラン(双胴)です。

33f艇はフォアデッキで3人、アフトデッキで1人、同時に4人が余裕で投げられます。
28f艇は前2人、後ろ1人の、計3人までOK。
いずれの艇も、島周りで釣るなら充分なボートです。



初日、33f艇は、伊東・佐伯コンビ、金田、山本の4人。
28f艇は石井・浅野コンビ、市ノ川、僕の4人。
翌日以降、メンバーと艇を適宜入れ替えてGTフィッシング三昧となった。

僕が初日に乗った28f艇のキャプテンのMr.カンタ(右)と助手君(左)。


インド人って、カメラを向けると必ずポーズを決めてくるから面白いんだよね。
この写真も、彼らなりの決め顔なんでしょう。

ちなみに今回の現地フィッシングサービスは、GameFishing Asiaというガイドサービスで、オーナーはヨーロピアンぽいが、その他のスタッフは全てインド人。
アンダマンのインド人は、本土から遠く離れているせいか、やはりのんびりしてて良い奴ばかり。
最後まで、快適なサービスを提供してくれた。
ホームページアドレスは↓



港を出て1時間ほど走ってポイント海域に到着。
周辺に見える島は岩盤とジャングルに覆われており、山の標高もそこそこあります。
サンゴの発達は少なく、モルディブ系というより、コモド系の感じですね。


水色はやや濁り気味のモルディブって感じ。
潮流に激しさは無く、風が無い限りペタペタの海面です。
見える限りの島には人工物は無く、海上には漁船も海鳥も何~にも無し。ほんと我々のボートしか居ません。
なんとのどかで、手つかずな海なんでしょう。

さて、この未知なるポイントにGTは居るのか!?
トリャー!


みな、思い思いのルアーを付けて戦闘開始。


結果は早かった。


こんな感じです!


結構釣れますわ。
概ね、15kgから20kg前後で、釣って楽しいサイズのGTが多いです。
同サイズなら、パラオ辺りよりも引きはやや強い感じかな。全体に太ってました。

初日は様々なルアーを投入し、バイトの出方を観察したが、僕的にはポッパー有利と見た。
ここのGTはとにかくスレてなくて、ポッパーに何の躊躇も無くドッカンドッカンとバイトしてくる。



勿論ガンマにも飛びついて来るが、ポッパーでこれだけ釣れるポイントって、今時そうそう無いだろう。
ポッパーで釣らなきゃ損ってもんです。こりゃあ楽しいぞ!

本日の最大サイズは、浅野さんの釣った35kgぐらいでした。


初日、僕は3キャッチ。その倍ぐらいバイトやバラシもありました。
いずれもシーフロッグでのキャッチです。
他のメンバーもポッパー、ガンマと投入し、どのルアーでもヒットしてました。我々のボート全体でも10本ぐらいキャッチしたかな。

ポイントは、超岸際の岩礁(まるでボートヒラのよう)、沖の広大なツブ根、スリットの入った珊瑚エリア、ベイトボール打ちなどなど、何でもあり。
狙う水深は概ね10~20m位が多かったです。
全体がフラットボトムで、モルディブのような明確なドロップは確認できませんでした。
潮の流れは全体に緩く、海流の直接的な影響下には無い様で、潮汐流がメインですね。オーナーに聞いたら、上げ潮は東向きに、下げ潮は西向きに流れるそうです。

まあ、初日からこれだけ釣れれば、十分でしょう。
まるで20年前のGTフィッシングのような感じです。


3月22日

GT二日目。
日の出とともに起床。
インドの空って、もやなのか土埃なのか、常に霞んでます。
その霞をもろともしない、力強いインドの太陽。 今日も暑そうだ。


桟橋まで歩く間にも、インドならではの情景が満載です。
早朝から、訳の分からない人だかり。


その人たちの覗き込む先には、漁から戻った漁師達。


その魚を、道端で売るオバサンたち。


とまあ、どこへ行っても飽きない光景ばかりです。

さて二日目も僕は28f艇に乗船。
石井・浅野コンビ、市ノ川、僕の4人です。
ポイントは昨日の隣のエリアだが、地形や狙い方は概ね同じような感じ。

釣れっぷりはというと、昨日よりも良いんじゃない?
今日の僕は、根やスリット狙いはシーフロッグとムラムラ、ベイトボールは尺ペン2/3という使い分けが嵌りコンスタントにヒットした。

皆さんもそれぞれ好きなルアーを投げてヒットを稼ぐ。




33f艇の方は数が伸びず、やや苦戦している模様。何かが違うのだろう。


フラットな水面を突然割ってルアーに飛び掛ってくるGTって、本当にカッコ良いし、超興奮します。
スピード感や、ガンガン来る力強いファイトは、ゲームフィッシュとして最高だ。

この日、僕は5本キャッチ。バイトやバラシは数知れず。
ダブルヒットも何回か。


ルアーローテの中で、もしかしたらと思ったのは、緑や黄色系に反応が乏しく、ブルーなど濃い目のカラーが有利かも?
ルアーを引くスピードも、ちょっと速めで力強くアピールする方が反応いいかも?
この辺を明日も引き続き確かめてみよう。

ロッジに帰ると、バンコクで足止め食らってたラムさんが到着してた。インドのビザを甘く見た結果ですな。
インドにはアライバルビザもある筈だが、現実にラムさんは取れなかった。インドへ行く際は事前にビザを取得しておくのが吉でしょう。

今宵は満月




3月23日

GT最終日。
本日も6時起床、ササッと朝食を済ませ、7時出船です。

今日の僕は33f艇に乗船。
同船メンバーは、伊東・佐伯コンビ、浅野、ラム、僕の5人。
今釣行では、船割りの関係で金田さん、山本さんとは一回も一緒にならなかったなぁ。

ラムさんも最終日だけボートに乗れました。


GTを狙えるポイントはかなり遠くまであるらしい(片道3時間とか)が、今日の潮回りだと午前と午後の潮の動いている地合を移動時間に使ってしまうのは勿体無いので、片道1時間で着く昨日と同じ海域を狙うことになった。

この辺はビーチもありますね。人っ気は皆無です。


33f艇のキャプテン(右)と助手君(左)。
比較的静かな連中で、最後まで名前聞かないで終わっちゃった。


でも、手先は超起用で、ノット頼むと丁寧に仕上げてくれます。


今日もいっぱい釣れました。
半分の飛距離で倍釣っちゃう佐伯さんの省エネ釣法は、誰も真似できません。


僕は5キャッチ。バイトやバラシも多数。
(釣りの写真は無し。ラムさんがずっとGOPRO回してたから、僕はいいかな~と)

両キャプテンともボートのフォローは全く行いません。
船底に潜られそうになっても、自分でバウなりスタンなり走り回って交わすシステム。
センターコンソール艇なればこそだし、ボートのフォローが無い方が、遥かにGTの引きは強いし、何よりオカッパリ感覚に近くなって、僕的にはこの方が好ましかったです。
僕の今日一のGTも、上げるまでに船中一周して仕留めました。オモシロイよ~


僕は今日もポッパー一択。この日はシーフロッグとムラムラしか投げなかった。
逆に、昨日までに得たヒントでカラーの傾向に注意してみたよ。

その結果、同じシーフロッグでも、イエローとブルーではブルーの圧勝。
ムラムラでは、ブラック、グリーン、イエローでは、ブラックの圧勝。
濃い色というか、カチッッとしたカラーにアタックが多い感じがしました。


釣りをしながら徐々にパターンを絞り込んでゆくのが、まさにゲームフィッシィングたる所以。
試行錯誤しながら釣りをしてると、不思議と疲を感じないし、ましてや飽きるなんて事は先ずありません。
ムラムラの黒ラメが怒涛の連続ヒットしたときは、もう決まったーって感じでした。
ちなみに、キャプテン&クルーは、「ムラムーラ!」って響きがいたくお気に入りのようで、やたらと叫んでました。
なんか別の意味でもあるんかね?(ジキジーキとか)

この日、28f艇では40kgのキハダと激闘を演じたそうな。


15時ストップフィッシング。
最終ポイントでは、浅野さんがビシッと決めてくれました。

ポートブレアの港に帰ります。ポートブレアは結構大きな港町で、大小さまざまな船が出入りしてます。
我々のボートも入港の際は停船し、国際VHF16チャンネルで交信し入港許可取ってました。






三日間、お疲れ様でしたー!


最後の晩は街へ出て夕食をとることに。
これは1986年製のタクシー。インドの国産車「アンバサダー」です。
SUZUKIの車にぶつかっても、こいつは絶対に凹まないと運ちゃんは言ってました。


田舎街なので怖いことは無いが、人が多いので迷子にならないようにしましょうね。


以上でGTフィッシングトリップは終了。
GTの総キャッチ数は全員で63匹! 凄い数ですね。
今回は腹一杯GT釣った感がありますなぁ!

人によって釣果にばらつきが目だちました。
飛距離もあまり関係なく目の前でも食うし、何のルアーでも釣れるには釣れるが、やはり何かのツボを外すとどんな釣りでも同じで苦戦します。
あと、全体にバラシが結構多かったですね。僕はアカマスに根に入られちゃってリーダーブレイク一発やっちゃった以外は、全てフックオフのバラシでした。
多分GTのバイトが激しすぎて、口の外に掛かっちゃってるんじゃないかと思う。

アンダマンのGTフィッシングはまだまだ未知の部分が多いです。
フィッシングサービスのオーナー氏も、日本人グループは我々が2組目とのこと。
ここまで来るのが大変と言うこともあるが、それでもまだまだこんな場所が隠れていたんですね。

GTが滅茶苦茶いっぱい居ると言う感じではないが、まったく擦れてないGT達が、ポッパーに何の躊躇も無く飛び掛ってくるなんて、他ではなかなか味わえないと思いますよ。

僕の大好物のインドとGTが見事に交わり、実に良いフィッシングトリップとなりました。

さて、一晩寝て、明朝にはポートブレアを発ち、カルカッタ→バンコクへとカオスな旅は続きます。


(最終章に続く)




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