シーブレ日記

愛艇と綴る釣り日記
最近は登山や自転車へと 遊びの範囲が拡大中

ヒマラヤ ラダック バイク旅(4)パンゴンツオ・上ラダック編

2023年09月23日 15時53分42秒 | 海外遠征
第三幕パンゴンツオ・上ラダック編は、下の地図の青いラインです。





ヌブラバレーからレーに戻り、さっそくバイク屋に行ってAvenjerは戻ったのかと確認すると「今夜20時頃にまた来てくれ」と。
これから準備するようですな。ここは日本じゃない。ヤレヤレ、、、

宿に戻り、洗濯や買い出しなど、次のセクションに向けての準備で忙しく過ごす。
今回の僕のラダックの旅は、レーの町をベースにして1シリーズ廻ってはレーに戻り、休息や補給などで数日間過ごし、そしてまた次のシリーズを廻ると言うスタイルです。
レーに戻らず縦走方式で廻った方が無駄はないが、まずなんと言っても酸素の薄い環境でずっと活動し続けると、いくら高度順化してても平地に比べて疲れがたまる感じです。休息は大事と考えました。さらに洗濯や食料などの補給もしたいしね。別に帰りの日程が決ってるわけでは無いので、その辺は余裕ありました。

バザールでバイクに積むバッグやポリタンを購入。



次の目的地は、中国国境のパンゴンツォ、上ラダック方面です。もちろんバイクで行きます。

夜バイク屋に行くと、Avenjerありました!
やっとのご対面だよ!!



しかし古そうやなぁ。。。
キャブ車やん。。。

コテコテのアメリカンっすね。こんなんでダート走れるのかいなと思ったが、ヒマラヤンより遙かに軽いからOK。
さっそく試乗してみると、ステップが思いっきり前寄り。さすがアメリカン。シート低っく!(笑)
クラッチがどこで繋がってんだか分からないぐらいボケてるが、走り出せば低速トルクは十分。
単気筒独特のドドドって感じで、レーの町の裏路地をグイグイと走ってくれる。足付きはべた足だし、車体が軽いから狭い路地でのUターンや穴ぼこ回避なども楽勝。



僕の中での評価は、ヒマラヤンは非力で重い普通のバイク(しかも高い!) Avenjerは何でもありの下駄車(しかも安い!)って感じかな。
他に350ccのクラシカルなのもあったけど、取り柄が何も無く一蹴。

明朝は早く出発したいから、今夜の内にピックアップしたいと言ったら、あっさりOK。もちろん明日からの料金でね。
取り敢えず3日分のレンタル料金をデポジットすれば、後は好きなだけ使えと。帰ってきたときに延長分は精算で良いとのこと。
レンタル料金は1日900Rs(1,700円)。ヘルメット無料。プロテクターは180円
この金額なら好きなだけ使い倒せるってもんです。

タンク容量は13リットル。満タンでどれだけ走れるか分からないので、バザールで5リットルのポリタンを購入。全18リットルあれば、少なくとも400~500kmは無給油で走れるでしょう。
奥地に行ってしまうとガソリンスタンドなんて無いから、航続距離は死活問題だ。
何はともあれ、今回の旅の重要なアイテムである「バイク」が手に入ったことは嬉しい限り!


翌朝バイク旅スタート。
余計な荷物はホテルに預かってもらった。預かり料は無料。



今日はチャンラ峠(5360m)を越えて、180km先のパンゴンツォ(湖)を目指します。


スタート間もなく最初の難関が。いきなり信号の無いロータリー式2連チャンの交差点です。要するに交差点が8の字になってて、そこに四方八方へ道が分岐してて車やバイクが我先に流入、流出するわけです。
朝のラッシュ時ゆえ、クラクションが嵐のように鳴り響き、あらゆる車両がグチャグチャにひしめいてる。牛までいるし。。。
日本じゃあり得ないが、インドではよく見る光景。

ひるんでても始まらないので、僕も微妙な隙間にバイクをねじ込み、そのまま流れに乗って進みつつ、やや強引に目指す分岐路に脱出。
そう、インドの道を走る時のコツは「やや強引に」です。先に突っ込んだ方に優先権があるって理解でよろしいかと。
譲り合ってると全然進めないし、後続車に強引に追い越されるだけです。

次はガソリンの給油。
レンタルバイクは燃料空っぽ貸しで、返すときも満タンの必要なしという仕組み。
さっそくガソリンスタンドに入る。日本と同じで店員がドボドボ入れてくれて、その場で現金で払うだけ。インドではガソリンのことをペトロールといいます。ペトロールフルタンクといえばガソリン満タンにしてくれる。リッター170円ぐらいで日本と変わらない。高価です。

市内を抜けると舗装された一本道。快適に走れるけど、いきなり不自然な急カーブがあったり、減速用の凹凸が設置されてたり、舗装にドデカい穴があったりと中々気が抜けない。日本の感覚で走ってるとトラップに捕まります。日本の常識は捨ててインド基準に早くアジャストすべしです。

インド軍の基地も頻繁に出てきます。道路に鉄柵が置かれてシケインになっててちょっと緊張するけど、基本減速してそのまま通過でOK。

カルーで軽く昼食を取る。マギー(汁少なめのインスタントラーメン)だったかな。旅の途中での昼食はマギーがちょうど良いですね。

峠道をぐんぐん登る。舗装とダートが半々ぐらい。



特段バイクの力不足は感じない。低速トルクでぐいぐい登るのがラダックの道路事情にはあってます。何故かというと、まずもって道が悪くてスピード出せないし、しばしば工事渋滞(交通誘導員なんて居ないし、渋滞無視して工事は勝手にやってる)でも、隙あらば前に出でて、作業員や重機や土砂の間をすり抜けて突破する粘り強さが必要だから。
SS系バイクの出る幕は一切無いです(笑)



出発時の僕の服装(レーの朝の気温15℃ぐらい)
上:登山用の中厚手シャツ+Tシャツ+ワークマンのレインジャケット
下:登山用の冬用パンツ+ワークマンのレインパンツ
グローブは羊皮のが丁度良かった。メッシュでは寒いと思う。

峠を登って高度を増すと寒くなってきたので、レインジャケットの下に薄手のダウンを着たら完璧!
以降、バイクで走ってるときは、ダウンの脱着のみで全て対応できました。
一応ヒートテックのアンダーウエアも持ってきたけど、出番なし。

ライディングジャケット着てる人も居るけど、そこまでスピード出せないから要らないかも。
僕はワークマンのレインジャケット(イナレム)上下をずっと着てました。常に砂埃や、川渡りで水飛沫浴びるから、薄手のレインジャケットが一番応用範囲が広い気がします。
バイク降りて村内を歩くときなんかも、レインジャケットなら軽くてコンパクトになるからGood。
逆に中綿脱着式は長期ツーリングには向かないね。薄手ダウンならそれ単体でも使えるけど、中綿単体では使いようが無いからね。

靴は現地で買ったミドルカットのトレッキングシューズ。三千円ぐらい。
川渡りで濡れるけど、どうせまた直ぐに川あるし、特に冷えるわけでもないからあんまり気にならない。
乾燥してるから一晩置いとけば乾いてたし。


チャンラ峠(5360m)では、相変わらずインド人観光客がはしゃいでた。ここで引き返すインド人も結構いますね。





朝から曇りがちだったが、なんとなんと峠を越えたら雪がちらついてきた。気温は5℃ぐらい。
8月だってのに。。。

峠を下ってTangtseにある最後のGSで、タンクとポリタンに満タン給油。この先3日間はGS無いはず。

パンゴン湖に近づくと氷雨が降ってきた。レインジャケットだから問題は無いが。。。
道も不明瞭なところがチョイチョイあって、ダートが何本にも分かれてる。観光ツアーの車両や、インド人マスツーのヒマラヤン集団がのたりくたりと進んでる。水溜まりだったり、バンピーだったり、急坂だったりと変化に富んでました。ここで2台ほどヒマラヤンがすっ転けてるの見たよ。



程なくパンゴンツォに到着。“ツォ”とはチベット語で“湖”のことです。因みに峠は“ラ”と言います。



パンゴンツオは大ヒットインド映画「きっとうまくいく」のロケ地として、最近インド人に人気の観光スポット。ただし夏場しか来れません。
湖の入り口付近に観光用の駐車場や、映画なりきり撮影道具や、宿泊客用の簡易テント小屋が沢山並んでる。
そこでインド人観光客はやはり大はしゃぎしてた。
僕はもう遠巻きに見るだけ。。。




パンゴンツオは南北50kmぐらい長さのある細長い湖です。湖の南半分は中国領。
天気が良いと湖面は深い青色に輝き、周囲の山と相まって、南米のユウニ塩湖にも匹敵するような素晴らしい景観となります。

殆どの観光客はこの北の端の観光スポットだけで帰っちゃうけど、僕は湖岸沿いにどんどん南下し、一番端のメラクという村に泊ることにした。
この道は気持ちよかったなぁ。



メラクに着いて今日の宿を探すと、一件目の家で直ぐにホームステイOK。
ラダックの旅は毎日こんな感じで、行ったその場で宿を調達してました。このスタイルで困ったことは一度も無かったです。
日本国内でも同じですけどね(笑)

村内を歩き回りました。
もうこの辺は携帯も繋がらない。
小高い丘の上のゴンパから湖を眺めてました。すぐ背後は6000m級の山。格好いいなぁ。







そして湖の向こうは中国の山々。。。



夜半からもの凄い暴風雨。
宿オヤジさんがとても親切で、明日僕がさらに南下して上ラダックへ抜けたいと言うと、ルートや道の状況を詳しく教えてくれ、ガソリンは足りるのかと心配してくれた。



朝目覚めると、背後の山が雪化粧してました。
3℃ 寒い!



ナマの村で峠ルートと平原ルートに分かれます。僕は宿のオヤジさんの助言通り平原ルートを進みました。

程なく舗装は途切れダートが延々と続く。
風がもの凄く強くて、砂埃が凄い。




この対策用に購入したスカーフで鼻と口を覆い、さらに首元からの砂の侵入も防御する。
するとこんな風体になるのだが、こういう気候風土ではこれが理にかなってるんだなぁと実感した次第。



荒野を挟んで右の山がインド、左の山の稜線が中国国境。
2020年に印中軍が衝突して小競合いを起こしたのはこの辺りらしいです。



このエリアには村は無く人影や通行車両が全くありません。
文字通り砂嵐の荒野を一人進む状況になってしまった。なんかあっても連絡手段が無いのでより一層慎重になる。
最初は締まったダートだったが、徐々に細かい砂が堆積し、轍があちこちにあって、どれが本当の道なのかよく分からない場面にもチョイチョイ出くわす。
川渡りも頻繁に出てきて、浅い箇所を探すように轍が何本もあって、もう自力で最良と思われるコースを進むしかない。
少なからずルートファインディングの技量が要求されます。



砂というよりパウダー状で、深いところでは30cmぐらいフカフカに積もってて、タイヤが取られて常に転倒リスクが伴います。僕は両足を出して都度修正しながら進む。

川渡りは概ね水深30cm程度で済む箇所を選んで渡ってた。もちろん靴はびしょ濡れだがそんなことはどうでも良い。
川の中で立ち往生したり転倒してエンジンに水を吸い込んだら、、、考えただけでもぞっとしますね。
なんせ一人なもんで、助けを呼ぶにもどうにもならない。
正直、ここでなんかあったら死がすぐ近くにあるなと、直感的に悟りました。

川渡りのコツは、ローギアに入れて、とにかく川に入ったら何があってもアクセルを緩めずバシャバシャ前へ進むこと。水中の岩に当たってハンドルが暴れても、ハンドルをグイと押さえつけ、とにかく前へ前へと進み続けること。これに限るかな。
川幅は10mあるかないかぐらいなので、突っ切る覚悟で進みましょう。
一度、膝下ぐらいまで浸かってビビったけど、根性で突っ切りました。あそこで怯んでアクセル緩めてたら、排気管から水吸ってたかも。。。

川で濡れたり砂埃にまみれたりで、もう全身灰色になりました。
一人パリダカやってるようなもんです。



一度、遙か彼方に車と人影が見えたのでホッとして近づいたら、その車は砂に埋もれてスタックしてた。
車にはインド人男性が二人乗ってて、手で砂を掘ったりしてた。僕も脱出を少し手伝ったが四輪とも完全に砂に埋まっててどうにもならない。
他に車を見かけたら伝えてくれと頼まれたので引き受け、僕は彼らを残して先に進みました。

一時間後ぐらいに後ろから一台の車が追いついてきたのでその事を告げると、見掛けなかったなと言ってた。彼らは何らかの方法で脱出できたのだろうか?

大分進んだ辺りで予備燃料を入れたポリタンが脱落し、ガソリンをぶちまけました。すぐに気がついたので燃料を1リッターほど失っただけで済んだけど、こんな所で引火したり全量失ってたらと思うとゾッとします。





宿を出て6時間、リアル荒野を単独で突っ切り、ようやく最初の村タングラが砂の彼方に見えてきたときは心底嬉しかったなぁ。
生還した安堵感が半端なかったよ。



この区間は、一つ判断を間違えたり運転操作を失敗したら洒落では済まないのは直ぐに理解できたし、死を身近に感じながらの進行で、写真を撮る余裕はありませんでした。唯一Goproを回してたときがあり、緊迫のシーンは動画で残ってました。(このブログには動画がアップできないんですよね…)

このコースはさほど酷くなかったよ、ってな話も後で聞きました。
僕の想像だけど、昨夜から暴風続きだったこともあり、砂の移動が容易に起こって、グッと難易度が増すような気がします。
このエリアは単独で入るには要注意かもしれません。手前のナマの村辺りで何台かでバイク集団を形成してから進むのも手かもしれませんね。2台以上なら1台がトラブっても、もう一台のバイクで脱出するなり助けを呼ぶなり出来ますからね。

最初の内はイージライダーの気分だったけど、途中からリアルマッドマックスの世界になってました。(笑)







この日はインダス川沿いのニョマの村に泊りました。
村内に入るとオジサンが手招きしてくれて、泊るんだったら家においでよって言ってくれた。普通の民家で部屋に鍵も何にも無くて、二間続きの奥の部屋を使いなさいと。



ここの小学生の娘とその友達が、初めて見る日本人が同じ顔してるのを珍しがって、ずっと近くで遊んでた。



オジさんはいつも鼻歌歌いながら、ずかずか部屋に入ってきていろいろ話し込む。
お湯をもらって全身の砂埃を洗い流してる間に、僕の泥だらけの靴を洗ってくれた。



夜になると年上の姉たちも帰ってきた、三姉妹がずっと僕の部屋に居座り、日本のこととか外国の話を聞きたがり、夜の更けるまで心温まる時を過ごすことが出来ました。



たった一人で死と隣り合わせの荒野を駆け抜けたり、小さな村で子供達とおしゃべりしたりと、何とも落差の大きな1日だったなぁ。
やはりラダックは、旅の深さが他とは明らかに違います。


翌日以降、インダス川上流域の上ラダック周辺を走り回って、インダス川沿いに徐々にレーの町に近づいて行きました。








道すがらのゴンパ巡りもラダックの旅ならでは。それぞれの僧院に特徴があって、チベット仏教の今に出会うことが出来ます。(ゴンパ内は撮影できない所が多いです)

へミスゴンパ





チェムリーゴンパ



スタクナゴンパ





ティクセゴンパ







シェイゴンパ



これらは比較的大きなゴンパで、修行僧が沢山暮らし日々の勤行に励んでいます。拝観料を払って見学もできます。
また小さな村にも必ずゴンパがあり、普段は無人だったり、何かの祭りの時に開いたりといった感じみたいです。

レーの町の手前で、ちょっとストク村による。僕が以前挑戦しようと考えた6000m峰ストクカンリの登山基地となる村だ。
結局忙しくて登らぬままだったが、今は登山禁止となってしまった山だ。何でもやれるときにやるべしだな。
ストク村からストクカンリ峰を間近に見てきました。ちょっと感慨深かったよ。






夕方、レーの町に戻り前に泊ったホテルに帰着。だいぶ疲れたのでバイクを一旦返し、2、3日休養や洗濯に費やすことにした。これがあとあと裏目に出るとは。。。


(最終話に続く)
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