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『未完のレーニン』 その5 外部注入論

2010-09-13 20:25:15 | Weblog
 名前に魅かれて入店しました。炭焼炉ばた『くし路』のランチです。(札幌市北区北7条西4丁目新北海道ビルB1)



 『未完のレーニン』 その5 階級意識の外部注入論

 歴史の客観的法則(資本主義→社会主義)=必然性を現実化するためには。

 以下、著者から引用する。「プロレタリア階級が科学的に立証された自らの歴史的運命を正しく把握することである。」「しかし、資本主義的生産様式の内部における日々の労働に追いやられ、革命の大義より目先の生活改善に直結する事象に注目せざるをえないプロレタリアートは、自らの歴史的運命を自然に学び取ることができない。ゆえに、プロレタリア階級の真正な階級意識は、プロレタリア階級それ自身から自然に生まれるのではなく、この階級の客観的状況と歴運を彼ら自身よりよく理解したブルジョア・インテリゲンツィアによってプロレタリアートに注入されなければならない。」


 私は、この飛躍した論理に、様々な病理を見出す。

 ひとつは、歴史の客観的法則、いわゆる唯物史観である。検証されるべき論理である。この前提が崩れると以下全ての論理が崩壊する。

 次に、実際に労働し資本に搾取されているプロレタリアート自身は、目先の事ばかりにとらわれ正しい認識(階級意識)を持つことができない。ブルジョア・インテリゲンツィアの認識が正しい。これらの論拠がどこにもない。

 外部注入論こそ前衛党が存在する根拠である。正しい認識を持った前衛党が、無知な労働者階級を革命に導いてあげるから、黙って付いて来いといいような論理である。

 これらから、自称前衛党(日共)の振る舞いがなるほどと理解できることがある。宮本顕治、不破哲三、志位和夫をはじめとした歴代の委員長は、労働者として働いた経験の無い者が続いている。近年の選挙における候補者を見ても、労働者経験者は党内であまり重要視されず、従って社会を実感として理解していない者が社会変革を主張している。そんな声に頷くほど国民がバカではない。

 情報が溢れるほど流通し、国民の知識レベルもあがり、判断能力も備わっている今日において、外部注入論ほど思い上がりの論理はないのではないか。
 
 レーニンによる階級意識の外部注入論、前衛党論を現代社会に適応するのは、革命論として破綻している。
コメント
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