晴走雨読

晴耕雨読ではないが、晴れたらランニング、雨が降れば読書、きままな毎日

政治主導と脱官僚

2010-09-26 14:45:53 | Weblog
 6月に痛めた左足のアキレス腱の付け根部分が、3ヶ月半かかってようやく治ってきました。練習不足で夏場に絞れなかった体重をこれから少しずつ落とそうと思っています。



 『誰が日本を支配するのか!? 政治とメディア』(佐藤優+魚住昭責任編集 マガジンハウス 2010年刊)その3

 民主党の掲げるテーマに「政治主導・脱官僚」があります。

 上記の佐藤氏、魚住氏の対談で、官僚経験者の佐藤氏が、「マルクスは、地主、労働者、資本家を三大階級とした。マルクスは、官僚機構の存在を見落としたと柄谷行人は考えている。」(P35)

 「マルクス主義者は官僚を階級としてみなしておらず、キャリア官僚は資本家階級へ分類し、一般の公務員や地方公務員は労働者階級に入れていた。・・しかし、キャリアであろうが、ノンキャリアであろうが、官僚としてひとつの階級を形成し、国家を体現している。」(P37)と、発言しています。

 ここでの「階級」という概念の使い方は明らかではありませんが、佐藤氏は、官僚が国家の中で相対的に自立した意識を持ち、法律や規則などに拠ることによって国家の活動や秩序を規定しているという考えにたっています。

 果たしてそうなのでしょうか。私は、官僚は政治に従属すべきであると考えます。国民の意思が反映された政権の手足となり、その政策実現のために働くべきであると考えます。言い換えれば、官僚は、政治の「道具」であり「手段」であるべきです。

 既存の法律や制度と矛盾を来す場合に、官僚は意見すべきでしょうが、国民の意思として何かを実行しなければならない場合は、法律や制度を変更すれば済むことです。

 政権と折り合いのつかない官僚は自ら職を辞するか、政権の方で罷免すべきでしょう。
 
 どうも最近は、(青年将校化した:佐藤氏の言)地検の行動をはじめとして官僚の独走が目立っています。危険な兆候です。

 民主党は、官僚を使いこなせないので、「脱官僚」=官僚抜きで、政治家だけで、と言っているようです。そんなことは出来るはずがないし、コストのムダです。自信を持って言うことをきかせるべきです。



 
コメント
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