晴走雨読

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『一週間』 井上ひさし

2010-09-05 16:31:01 | Weblog
 『一週間』(井上ひさし著 新潮社 2010年刊)

 本年4月10日に亡くなった井上ひさし最後の長編小説。もちろん著者自身はこれが最後とは思っていないだろうから最晩年の作品ということになる。

 舞台は、敗戦後のソ連内捕虜収容所、一人の兵士が一週間にわたりソ連と旧日本軍の体制と真っ向から戦う手に汗握るドラマである。ちなみに、私は「一週間」を4日で読んだ。

 私は、この作品を「反戦・反スタ」小説と名付ける。では、井上氏が、この小説で何と闘ったのだろうか。(何を描きたかったのだろうかと同義。)

 ひとつは、軍国主義だ。旧日本軍内の不条理。上官による下級兵士の徹底的な支配。シベリアの捕虜収容所にあっても、旧日本軍の階級制度がそっくり温存された。配給物資の上官によるピンはねにより飢えと寒さで何人もの兵士が死んだ。

 もうひとつは、レーニンが理想を掲げて作り上げた体制の変質に対する告発である。捕虜収容所における旧日本軍の階級制度の温存も、労働力を効率よく使うというソ連の意図と合致していたため積極的に黙認されていた。従って、兵士たちはソ連の捕虜であるとともに、依然として上官の下にもあるという2重の支配下に置かれた。

 レーニン若き日の手紙の存在がこの小説のポイントになる。そこには、レーニン自身が少数民族出身であることがカミングアウトされ、その解放のために闘うという意志が表明されている。しかし、その後のソ連の政策は、「社会主義の利益は、諸民族の利益にまさる」という見解に変質してしまった。

 井上氏は、暗に日本軍国主義の体制とソ連社会主義体制を同質のものと批判する。実際、日本人のシベリア抑留は、第二次世界大戦で多くの死者を出し、労働力が不足したソ連が、日本人捕虜にそれを求めたこと。逆に、日本政府は、国体の護持を最優先とし、それと引き換えに、多くの兵士たちをソ連に簡単に引き渡した。そこには、ひとり一人の命を尊重される考え方はなく、人間をマスでしか扱かわないという両者の国家的な利益の一致がみられる。

 また、レーニンによる、公平、平等の実現を目標とした革命は、権力を奪取した瞬間から変質が始まった。現在はこれを全てスターリン主義によるものとする傾向が強いが、私は、レーニン思想そのものの中にも大きな欠陥があるのではないかと考える。

 そういう意味から、この小文は、「未完のレーニン その3」とする。

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