『日本語が亡びるとき 英語の世紀の中で』(水村美苗著 筑摩書房 2008年刊)
一期一会という言葉がある。書物との出会いも偶然がいたずらしながら、忘れられない出会いになることがある。私は、著者を知らない。本書は、興味ある分野の本でもない。ただ、書店の書棚に並んでいた時、装丁の雰囲気に魅かれただけなのである。それも、ご覧のとおり平凡なデザインである。
私は、「日本」という国があまり好きではない。しかし、この国に生まれ、この国で育ち、この国でしか生活したことがない。そして、毎日、この国の言葉を使い、頭の中でもこの国の言葉を使って思考している。否、この国の言葉以外で思考することはできない。
著者は、日本語の危機について警鐘を鳴らす。明治以降、漢字の廃止やローマ字表記、英語の使用など何回かの危機を乗り越えて来たのだが、インターネットが普及した現在、世界的に英語使用が主流を占め、日本語を含む各国の言語が危機に直面しているという。
では、言語が滅ぶとはどういうことであろうか。また、言語が衰弱するとはどういうことになるのだろうか。私は、漢字の使用を廃止するなど言語を衰弱させれば、概念の定義が薄っぺらになり、思考が浅く狭くなり思想も痩せてしまうのではないかと考える。現在、漢字の使用をほとんど止め、ハングルのみを使っている南北朝鮮などの情況が知りたい。
それとともに、著者は言語が亡ぶ側からの論理を展開するが、実際、この国は、過去において、旧植民地の人々の言葉を奪い、日本語の使用を強制した歴史を持っていることにはあまり触れていない。
一期一会という言葉がある。書物との出会いも偶然がいたずらしながら、忘れられない出会いになることがある。私は、著者を知らない。本書は、興味ある分野の本でもない。ただ、書店の書棚に並んでいた時、装丁の雰囲気に魅かれただけなのである。それも、ご覧のとおり平凡なデザインである。
私は、「日本」という国があまり好きではない。しかし、この国に生まれ、この国で育ち、この国でしか生活したことがない。そして、毎日、この国の言葉を使い、頭の中でもこの国の言葉を使って思考している。否、この国の言葉以外で思考することはできない。
著者は、日本語の危機について警鐘を鳴らす。明治以降、漢字の廃止やローマ字表記、英語の使用など何回かの危機を乗り越えて来たのだが、インターネットが普及した現在、世界的に英語使用が主流を占め、日本語を含む各国の言語が危機に直面しているという。
では、言語が滅ぶとはどういうことであろうか。また、言語が衰弱するとはどういうことになるのだろうか。私は、漢字の使用を廃止するなど言語を衰弱させれば、概念の定義が薄っぺらになり、思考が浅く狭くなり思想も痩せてしまうのではないかと考える。現在、漢字の使用をほとんど止め、ハングルのみを使っている南北朝鮮などの情況が知りたい。
それとともに、著者は言語が亡ぶ側からの論理を展開するが、実際、この国は、過去において、旧植民地の人々の言葉を奪い、日本語の使用を強制した歴史を持っていることにはあまり触れていない。
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