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『日本の現代思想 ポストモダンとは何だったのか』 その3

2009-07-01 22:25:22 | Weblog
 日曜日に白い恋人パークで、コンサドーレ札幌のサテライトの試合を観てきました。結果は、ベガルタ仙台サテライトに3対1で勝利しましたが、若い選手の躍動に感動しました。宮の沢は、スタンドとピッチが近いので、選手の声はもちろん、身体同士をぶつける音も響いてきます。選手のバテ具合もわかり、最後の力を振り絞っている様子につい声を掛けたくなります。

 「ナイス・トライ」「ガンバ、ガンバ」と。



 『集中講義! 日本の現代思想 ポストモダンとは何だったのか』(仲正昌樹著 NHKBOOKS 2006年刊)その3

 第3章は、「八〇年代に何が起きたのか」として、第5講『日本版「現代思想」の誕生』で主要な思想家とその理論の特徴、第6講『「ニュー・アカデミズム」の広がり』でニュー・アカとの関連や学際性が述べられる。

 (第5講)1970年代末になると、蓮實重彦によるフーコー・ドゥルーズ・デリダなどフランスの構造主義、ポスト構造主義の輸入が始まった。その背景は、社会構造の変化により「大きな物語」(マルクス主義に代表される)の終焉であり、それがポストモダン的な知の条件だった。

 栗本慎一郎は『パンツをはいたサル』で、ポランニー・バタイユに拠りながら、「生産的に労働する人間」観から「蕩尽する人間」観へパラダイムをシフトした。浅田彰は『構造と力』で、シラケつつノル、真面目なのかふざけているのか判然としないような“知の実践”スタイルを提唱した。

 私は、当時マスコミにも露出していた栗本らを読んだ記憶があるが、あまり強い印象を持っていない。何というか、知的お遊びにしか思えなかった。そこからは、私自身が「大きな物語」を指向しているのだなということが逆にわかる。

 (第6講)文化人類学者の山口昌男は、あらゆる文化が「中心」と「周縁」の対立構造によって成り立っている。中沢新一は、宗教的な信念と、合理的知識との区別を前提に成立しや近代知の限界に挑戦した。

 1990年代に入って、(以下引用)「フランスで生まれた構造主義/ポスト構造主義が、マルクス主義に取って変わるかもしれないものであり、自分たちにとって深刻な脅威であると認識し始めた。」のだろうか。

 1990年頃(ベルリンの壁、ソ連・東欧崩壊!)の私は「株と思想は、安値の時に買うもの」と思っていた記憶がある。従って、いわゆる「現代思想」の流行に全く興味を覚えなかった。さらに、「ソ連型社会主義の崩壊も、資本主義と社会主義の負け比べ」において、社会主義が一歩早く壊れただけで、いずれ資本主義も瓦解すると考えていた。見よ!現今の世界恐慌を!


コメント (2)
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