晴走雨読

晴耕雨読ではないが、晴れたらランニング、雨が降れば読書、きままな毎日

『朝日平吾の鬱屈』

2009-10-29 20:39:06 | Weblog
 『朝日平吾の鬱屈』(中島岳志著 筑摩書房双書Zero 2009年刊)

 著者中島氏は、34歳の新進気鋭の研究者である。本書で氏は、1922年9月28日に安田財閥の創始者安田善次郎を刺殺したテロリスト朝日平吾の心の軌跡を残された論考から追う。

 氏は、約90年前の朝日の心情がこの国の現在に通底するという。2007年1月号「論座」に掲載され話題を呼んだ赤木智弘の論文『「丸山真男」をひっぱたきたいー31歳、フリーター。希望は、戦争。』、2008年6月8日秋葉原連続殺傷事件の加藤智弘に繋がると。

 まず、坦々とした文章で読みやすい。氏は、朝日の人生を辿る。それは、失敗と挫折、周囲への不和と孤立、絶望・・そして、自ら招いた全てに閉塞的な情況。しかし、その死は、昭和の初めテロの時代に繋がる。

 朝日と加藤、朝日の行動は、私憤から来るものなのか、義憤から来るものなのか、中島氏の論考からは、はっきりと判断できない。ただし、朝日は大義を残している。一方、加藤には、全く語るべきものがない。

 また、氏は、テロリストの心情にどこまで迫ることができているのであろうか。例えば、「自らの死を覚悟した人間は、他人の命を軽んじる」といわれる。朝日は自死しているが、加藤には死の覚悟すらも無い。

 しかるに朝日と現在が通底しているという仮説は成立していないのではないか。

 中島氏は、テロに与する気持ちも無いのに、朝日の行動を紹介することで、現代社会に警鐘を鳴らしているつもりなのであろう。

 氏は、もっと自分のテロリズムに対するスタンスをはっきりさせるべきであり、氏自身の思想を表明しない限り、単なる知識のひけらかしに終ってしまっている。

 私なら、最終手段としての暴力を肯定することを宣言し、竹中平蔵などをターゲットにアジってしまうのだが。
コメント
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