晴走雨読

晴耕雨読ではないが、晴れたらランニング、雨が降れば読書、きままな毎日

巡礼

2009-10-04 17:00:58 | Weblog
 『巡礼』(橋本治著 新潮社 2009年刊)

 近くの図書館で見つけた新刊です。著者の橋本治氏は、その昔東大全共闘のポスター「止めてくれるなおっかさん」を描いた人で、その後エッセイのようなものを書いているのだな位しか知りませんでした。氏は小説も書いているのですね。

 平凡な物語です。近所迷惑なゴミ屋敷があって、町内会から避けられ、マスコミで告発されます。そこに老人が住んでいるらしいことがわかります。次の章では、その老人の戦後史が語られます。

 普通の家に生まれ、皆が貧しいながらも普通に働き、結婚し子どもが生まれ・・
そして、家族が死んだり、離婚したりで一人になってしまうという良くある人生が描かれます。

 事件もトリックもない日常的なストーリーですが、誰しもゴミ屋敷の主のようにいつしか孤独になり、社会から孤立してしまう可能性を持っていることが示唆されて終ります。



 人は、自分の身体について自己診断をすることがあると思います。今日のランニングの後、左足のくるぶしの内側に今まで体験したことの無い強い痛みを感じました。それは、直後に一旦は直ったのですが、その後長く座った後に歩こうとしても、足が床に着けないほどの痛みに襲われました。階段はもちろん降りられません。

 しかし、患部に腫れはありません。我慢して少しづつ歩いている内に何とか歩けるようになり、痛みは徐々に無くなります。

 そこで、自己診断が始まります。腫れていないので、骨とか、靭帯ではなさそうだ。患部を押すと痛い。しかし、しばらく歩くなど我慢して動かすと痛みが薄らぐ。だから大したことは無い。関節系なのか、筋肉系なのかわからない。原因は、今日のランニングだが、挫いたり捻ったりはしていないので、加齢によるものだろう。でも、明朝、歩くことができるか心配。

 人は、常に己の肉体との自己対話を続けているのだ。自分を慈しむのも、厳しく鍛えるのも、意識でコントロールできるところが面白いところだ。動物は、自己にあえて負荷をかけるようなことはしないと思う。



 中川昭一氏の死については、ちょっと考えてからにしたい。中川一郎が自殺したとされたショックを受けた日を昨日のことのように思い出します。
コメント
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