晴走雨読

晴耕雨読ではないが、晴れたらランニング、雨が降れば読書、きままな毎日

2016年 幻の東京オリンピック

2009-10-02 21:39:26 | Weblog
 昔から私は、石原慎太郎が嫌いだ。なぜなら、彼からはファシストの臭いが漂うからである。今夜、2016年オリンピック開催地が決まる。競合する4市の中で、東京が最初に落選が決まれば面白いと思う。

 その時の石原の顔を見たい。プチ整形かヒアルロン酸注射かわからないが、あの無理に皺を伸ばした顔ではあるが、どのようになるのだろうか。

 鳩山の応援演説も打算に満ちたものであった。下馬評で不利と伝えられていることから、「政府が全力で支援する。」と言ったまでなのだろう。

 スポーツ選手の翼賛ぶりにもあきれる。昔から、絵描や音楽家は支援者に寄生する傾向がある。逆から言えば、生産的な仕事に携わっているのでないからパトロンを見つけざるを得ないのであろう。



 「資本論ノオト第7回」

*マルクスは、ここから左辺と右辺をエイッとひっくり返すのである。そうするとそこに「共通」の何かが浮かぶのである。貨幣としての金の出現である。

C 一般的な価値形態
 消しゴム4個  =
 画用紙8枚   =   ボールペン1本
 ガスライター3個=
・・・
1 価値形態の性格上の変化
 諸商品の価値形態(ボールペン)は、共同的であり一般的である。この場合のボールペンを一般的価値形態と呼ぶ。

2 一般的価値形態から貨幣形態への移行
 商品生産の一般的な相対的価値形態から排除された商品(ボールペン)が、貨幣商品になる。

 そして、人類の長い歴史を通して、実際に貨幣商品の地位についたものは、「金」だった。

D 貨幣形態

 なぜ、「金」が貨幣になったのかは、社会的習慣からである。金が貨幣商品になった瞬間から、一般的価値形態は、貨幣形態に変容した。

 次回は、いよいよ「商品の物神性」に入る。













コメント (1)
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