晴走雨読

晴耕雨読ではないが、晴れたらランニング、雨が降れば読書、きままな毎日

夕張破綻の真実

2007-08-21 21:29:16 | Weblog
 マラソンで訪れた夕張は、平和運動公園の中に、野球場、ラグビー場、陸上競技場など人口規模からは、不釣合いなくらい立派な施設が整っていた。

 一方、マラソンコースになった清水沢地区は、かつての炭鉱が閉山したため、廃屋が目立ち、集落は散在、声援を贈っていただいたのに大変失礼な言い方であるが、住んでいる方々は高齢者が多く、どうやって暮らしを立てているのだろうかと思った。また、立派なお寺が多いことも印象に残った。(多くの方が炭鉱事故で亡くなったためか。)



 このところ、夕張はマスコミによる全国的な注目と同情を得ているが、昨年の6月10日北海道新聞が財政破綻の記事を掲載した以降は、夕張市ひとりに責任をかぶせる論調で貫かれていた。



 果たして、そうだったのだろうか。ここでは、「夕張破綻 もう一つのストーリー」(金子勝、鈴木徹、高端正幸 SEKAI 2007.7)を参考にする。



 夕張の財政状況を知っていたのに、国は観光施設の建設に補助金を投入し、道庁は、夕張市の借金(市債)に対して許可を与えてきた。国も道庁も夕張の財政状況をかなり以前から(10年より前から)知っていたのはまちがいない。



 道道札夕線のトンネルを抜ける夕張市街地に入るとき、二股の交差点に突き当たる。そこの正面の案内標識には、石炭の歴史村、めろん城、ユーパロの湯、平和運動公園、郷愁の丘ミュージアム、シネマのバラード、マウントレースイスキー場、ホテルシューパロ・・が並んでいる。よくも作ったものだ。

 これらのほとんどの施設が、民間で採算が取れず、市が引き受けた経過を持っている。「官から民へ」の時代に、「民から官へ」を行なったのだ。



 みずほ銀行(旧第一勧業銀行・富士銀行・日本興業銀行)が悪い。

 民間で経営ができなくなったスキー場とホテルを買収する時、道庁は、財政負担が重過ぎるとして市の借金を許可しなかった。市は、いわゆるヤミ起債(借金)をすることになったが、そこに融資したのがみずほ銀行であった。

 なぜ、みずほ銀行が、破綻状態が明らかな夕張市に融資したか。

 その当時、みずほ銀行は、スキー場、ホテルの所有者松下興産に巨額の融資をしており、それは不良債権化していた。それを市が買い取れば、正常債権としてまなされるようになるためである。市の買取資金へ融資を行なったのは、金融庁が「自治体向け融資はリスク・ゼロ」と認めていたからである。

 倒産企業への融資より、破綻自治体への融資の方が銀行にとって都合がいいのである。



 さらに、中田鉄治前々市長、中沢健治衆議院議員(市役所労組出身)なども当時どんな動きをしていたのか、明らかにする必要がある。



 マスコミは、軽薄なイベントで夕張への同情を求めるより、それも時間とともにニュースソースとしての価値も薄れおそらく終ったこととして扱われるであろうが、真実をもう少しきちんと伝えるべきであろう。

 とくに、国や道庁の「知らぬ存ぜぬ」は完全な嘘であることはあきらかなのであるから。

 5kmレースのスターターは、高橋はるみ知事だった。どんな気持ちで夕張にきたのであろうか。





 

 
コメント
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