晴走雨読

晴耕雨読ではないが、晴れたらランニング、雨が降れば読書、きままな毎日

『釧路から』

2007-08-13 20:14:00 | Weblog
 さいはての駅に下り立ち
 雪あかり
 さびしき町にあゆみ入りにき  石川啄木



 ここで言う「さいはての駅」とは、釧路駅である。私はいつも、この「くしろ」という読みに対して、他の町には無い独特の響きを感じる。それは、「釧」という文字を、釧路という地名以外で、何らかの文章中で使っている例を知らないからである。他の町の地名の文字は、大抵、日常的に使っているのではないだろうか。



 『釧路から~国語教師からのメッセージ』(小田島本有著 釧路新書28 2007年刊)

 著者は、釧路工業高等専門学校の国語の教師であるとともに、啄木を中心に釧路に関わる文学を研究し、また市民が郷土の文学に興味を抱くようにと活発な活動をされている方である。

 啄木が釧路に滞在したのは、わずか76日間のことだが、著者は、その間の啄木の女性をめぐる話題や借金のことなどのエピソードを興味深く紹介している。

 特に、小奴という芸者との関係は、

 小奴といひし女の
 やわらかき
 耳朶(みみたぼ)なども忘れがたかり

 や

 よりそひて
 深夜の雪の中に立つ
 女の右手(めて)のあたたかさかな

 の表現から、私たちが想像するしかないという、著者の啄木への導きは巧い。

 また、啄木が、各地を転転とする間に、今の1.000万円以上の借金を重ねたという事実、また、そんな啄木を支援した同じ岩手出身の国語学者の金田一春彦なども登場する。



 啄木の他にも、釧路からは、「挽歌」の原田康子、詩人の更科源蔵、「北海文学」を発行し続けた鳥居省三などが輩出しており、著者によって紹介されている。



 私は帰郷すると、必ず寄るところがいくつかあるが、北大通の「山下書店」もその一つである。釧路関連の新しい出版物を探すためである。

 釧路新書は、釧路市地域史料室が、2年毎位に出版を続けているのであるが、近年は、「街角の百年~北大通・幣舞橋~」(2001年)、「戦後史ノート(上)」(2002年)、「同(下)」(2004年)などを出版している。

 このような地道な仕事が地域の文化的な力を付けていくのに役立つと共に、新たな文人などを生む出す土壌をつくるのだろう。

 

 
コメント
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