チムどんどん「明石通信」&「その後」

初孫との明石暮らしを発信してきましたが、孫の海外移住を機に七年で区切りに。現在は逗子に戻って「その後」編のブログです

最近のKAZU君の写真ーその2

2015-07-29 06:02:34 | KAZU君
7月29日(水)

 KAZU君のお父さん、アムステルダムの夏は快適ですか。もうすぐお母さんとKAZU君、そちらへ行きますので楽しみにしていてください。

 前回の続き、その2は、7月分の写真を送ります。


 7月4日 ジェノバライン
  「レットスター」で淡路へ
  
  

 同 
  明石海峡公園
  

 7月11日 ジェノバライン
  「マリンフラワー」で淡路へ
  
  

 同
  明石海峡公園
  
  
  


 7月16日 
  思い出の保育園で
  

 7月19日
  三週連続の明石海峡公園
  
  
  


   ふるさとの夏との別れ秒読みに   弁人


 逗子に帰って一週間が過ぎました。母の命日は31日ですが、二日早く今日これから三回忌の墓参りを済ませ、明日明石へ戻ります。
 今回は、KAZU君の家の片づけやら転校手続きなど、KAZU君のお母さんの手伝いが必要なので妻君も連れて行きます。

 KAZU君たちがいつ明石の住まいを引き払うかはっきりしていませんが、おそらく今回がKAZU君との明石での最後の時間になりそうです。
 一昨日の電話では、KAZU君、「おじいちゃんとお風呂に行きたい」と言っていました。垂水の「太平の湯」かな、淡路島の「松帆の湯」かな。両方とも行っちゃいましょうか、楽しみです。


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最近のKAZU君の写真ーその1

2015-07-28 08:35:11 | KAZU君
7月28日(火)

 KAZU君の渡欧の日程が決まりました。あと三週間ちょっと、8月21日に成田空港から旅立つことになりました。
 関西空港発でないので、私もその前後は逗子の家にいることになりますが、その後一人明石に戻って、自分の部屋の片付けに入り、9月の適当な時期に逗子に引き揚げて来ようと思っています。

 ところで、7年間続けて来たこのブログ、明石に別れを告げた後どうしようかと少々考え込んでいますが、いずれにしても表題が「明石通信」となっているわけですから、このまま続けるのは難しそうです。

 考えてみると、もともとこのブログは、孫のKAZU君の様子を東京や熊本の関係の方々にお伝えしたいというのが目的でした。
 しかし、始めてみると、ちょっと気がかりなことが生じました。それは、インターネットという広く一般の目に触れる媒体に、KAZU君の写真を載せ続けることへの疑問と不安でした。
 判断力のない幼い子にも人権があるのはもちろんです。つまり、KAZU君の肖像権なるものを踏まえて、彼との明石暮らしを発信するというのは、そんなに簡単なことではなかったのです。
 両親とも相談の上、結局、KAZU君がその時々に周囲の人間や社会とどのように関わっているかという検証を怠らずに判断をして行くということになっていたですが、二年ほど前からは、後ろ姿や距離をおいた写真が多くなっていたのも事実です。

 ただ、現実には何も問題が起きず、小学生に上がるまではこのままで大丈夫そうだと両親も話してくれたので、三月末にブログ上に事情を記して、以後KAZU君のの写真は載せない方向で考えていました。ところが、今年になってオランダ行きの話が浮上、日本での小学校生活もわずか三カ月ほどということになり、「それじゃあ、日本にいるあいだはこのままでいいか」ということで今日に至ってきたわけです。

 ところで、4月末に先にオランダへ赴任したKAZU君のお父さん。それまでやりとりしていた携帯が使えなくなり、連絡は今のところKAZU君のお母さんを介しての会社のパソコンでのメールのやりとりになっています。
 そんなわけで、お父さんとはうまく連絡が取れないのですが、先日、「KAZU君の写真が載っているこのブログを見るのが楽しみ」という話が届きました。

 KAZU君の明石暮らしももう秒読みの段階です。オランダへ旅立つ前のお盆休みは逗子の家でという話もあり、その前に熊本へお墓参りに行くかもしれないとも言っているので、彼の明石暮らしはあと二週間もないのかもしれません。

 もしそうなら、KAZU君の写真、もう気を遣わなくても大丈夫でしょう。

 ということで、5月以降、ブログには載せなかったKAZU君の写真、KAZU君のお父さんも見られるようブログに貼り付けたいと思います。
「お父さーん、いいですか。気になるようでしたら、記事はいつでも削除しますので連絡ください」

 なお、写真は枚数の都合で二回に分けることにします。

 それでは写真を並べます。

 5月2日 おじいちゃんと逗子へ出かける時、 
  マンションのエレベーター
  

 5月4日 
  二宮吾妻山公園
  

 同   
  従弟のKANA君と
  

 5月5日
  逗子運動公園
  

 5月17日
  神戸垂水健康公園
  

 5月23日
  神戸しあわせの村
  

 6月7日
  自宅にて
  

 6月20日
  神戸港遊覧船
  

 6月27日
  神戸しあわせの村
  
  
  


   思い出を冷凍庫の奥しまいたし   弁人


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播磨にいた記念に「播州そろばん」を

2015-07-25 09:03:48 | 明石風物
7月25日(土)

 電卓なるものを初めて見たのは大学生の頃でした。子どもの頃に珠算二級の検定をパスしていた私は、こんなものに負けてなるものかと、就職してからもしばらく、数字の計算は全てそろばんで済ませていました。
 しかし、時代の流れには逆らえません。40代半ばになると、電卓どころかコンピュータなるものが目の前に現れ、「123」や「エクセル」の表計算ソフトを使うようになってからはとんと御無沙汰。
 7年前、明石へ行く時に書斎を整理していると、使い古したそろばんが二つ出てきました。しかし、二丁とも珠の動きもままならない状態だったこともあって、潔く処分してしまいました。

 そんな昔話はさておき、明石から車で北へ30分ほど、三木市の先にある小野市。その市役所前の駐車場に、

 こんな看板があります。そろばん珠の表示は、どうやら
  西暦の「2015」のよう
  

 そろばんといえば、私なんぞは「ともゑ」「天下一」という商標が浮かんでくるのですが、処分したそろばんがはたしてそんなブランド品だったかどうかは記憶にありません。

 実はそろばん、伝統的には「播州算盤」の兵庫と「雲州算盤」の島根が二大生産地なのです。どちらも生産量日本一をうたっていますが、歴史的にはどうも「播州算盤」のほうが古いようです。

 それはともかく、「播州算盤」の生産地として有名なのがこの小野市で、算盤や金物の伝統工芸都市として知られています。

 さて、播州は明石での暮らしもわずかになりました。この際、記念にひとつ算盤でも買っておこうかと、春以来三回ほど小野市に足を向けました。

 市役所の前にある市民会館の隣に「伝統産業会館」があって、中に入るとすぐ一階に、

 「そろばん博物館」なる
  スペースがあります
  
   

 珠の材質になる木はいろいろありますが、伝統工芸品として作られるものの代表的なのが「樺(かば)」と「柘(つげ)」です。茶色の「樺」のほうが一般的で安価。珠の色もそろばんらしい感じがします。「柘」は黄色に近い明るい色合いで高級感があり値も張ります。それよりも高級なのは真っ黒の「黒檀(こくたん)」ですが、黒い木枠の中に納まっている珠が少し見えづらい感じがします。
 今はプラスチックや新素材を使った安価なものもあるのでしょうが、ここの販売コーナーに置いてあるものは、さすがに手作りのものだけですから、「これは」と思うものは万札一枚でも買えません。

 6月の紫陽花のきれいな頃でした。せっかく播州算盤を手に入れるなら、どこかの工房を訪ねてみようかと小野の算盤職人を調べ向かいました。

 市街地の少し南に天神町という所がありまます。国道175号から100メートルほど西に入った所です。

  公民館があって、
  

 広めの道路の反対側の路地に
  看板を見つけました
  

 ここに、伝統工芸士に認定されている宮本一廣さんという、そろばん作りの職人としては小野で最も有名な方がいるはずです。看板の家のすぐ東に小さな水田がありますが、

 その脇の洗濯物が下がっている所が
  宮本氏の工房でした
  

 気難しい方だったらどうしようかと思っていましたが、とても気さくで話好きのおじいちゃんで、小一時間ほど算盤製作の過程や苦労話などを聞くことができました。テレビでも何回か紹介されたようで、その写真も飾ってあり、何年か前には叙勲を受けたという話もお聞きしました。

 そして、明石にいた記念にほんまもんの播州算盤を手にするのなら、やっぱり「柘」か「黒檀」だろうと、自作の品を数丁並べてくれました。たしかに「黒檀」のほうが重厚な感じがしますが、珠が見づらいのも事実。ということで、

 色鮮やかな柘珠の算盤を購入。
  これぞ「珠玉」の一品?
  

  銘もちゃんと入っています
    

 はたして、この算盤を手にして珠をはじくことがあるのでしょうか。でも、道具ですから箱にしまっておいても意味はありません。明石から引き揚げたら、パソコンデスクを整頓してキーボードの脇に置いておこうと思っています。


   パソコンの脇で算術夏の夜   弁人


 話は変わります。算数も頑張っているKAZU君、ランドセルの中に、単語カードのような「たし算カード」と「ひき算カード」が入っていて、数字の式を見て即座に答えを言う宿題がよく出されます。
 何回も繰り返しているうちに、二つの数字を見ると、まるで暗記したかのように答えを言うようになります。ところが、テストを見ると、時々間違えたりしていて、いったい彼の頭の中で、どういうふうに数の概念ができて行くのか少々不安になって、この前、おはじきを並べてみたりしました。

 「そうか、そろばんがいいかもしれない」と思って、先日、もう一度小野へ出向いて小型のそろばんを一つ買いました。

 そのそろばん、ごく一般的な樺珠のもので、そんなに高くはありませんでしたが、
「子どもが使うそろばんとしては、見劣りすることはないですよね」と念を押したところ、
「そりゃあ、もう、なにしろ手作りの伝統工芸品ですから、この辺りの子ならともかく、こういうのを持ってる子は、ふつうなかなかいないんじゃないですか」というお言葉をいただき大満足。


   餞別の工芸品抱へ夏木立   弁人


 さっそくKAZU君の前で開けてみましたが、やはりまだ早かったようです。おはじきより玉が小さいので興味を示しませんでした。
 とはいえ、そろばんは日本が生んだ文化の一つです。たしかに時代は変わりましたが、今でも三年生くらいになると、算数の授業でそろばんを使ったりするとも聞いています。はたしてオランダの日本人学校で算盤が登場するかどうか、その辺はわかりませんが、どこかで役立つことを祈りつつ、KAZU君への餞別として持たせることにしました。


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思い出作りも追い込みで、KAZU君と淡路島通い

2015-07-20 15:22:08 | KAZU君
7月20日(休)

 初めてKAZU君と淡路島へ行ったのは、1才になってまだそんなに経っていない頃でした。あれ以来、何回海峡を渡ったことか、KAZU君にとって、明石海峡公園と県立淡路島公園は勝手知ったる遊び場になっています。
 ところが、今年は寒い冬が終わる頃からオランダ行きの話が具体化する中で、保育園を終えて小学校に入学するという慌ただしさもあって、しばらくご無沙汰をしていました。
 6月に従弟のKANA君が明石にやって来る前、天気が良ければ淡路島へ行こうかなと考えている時に、そういえば去年の秋以来淡路の公園で遊んでないということに気がつきました。

 ちょうどその頃、KAZU君は私と神戸のしあわせの村へ行くのが気に入って、数回足を運んでいたのですが、KANA君と神戸港で遊覧船に乗ったのがきっかけになったのか、そのあと「また船に乗りたい」と言うようになりました。

 「それじゃあ、いつも車で行くけど、淡路島へ今度は船に乗って行ってみようか」と誘って、今月初旬の記事のとおり、4日の誕生日に遊びに行ってきたわけです。

 誰だって、楽しいことは何回繰り返しても楽しいのです。次の週も「また船で淡路島へ行きたい」ということで、二週連続で明石港から船に乗りました。

 そして、次の週末。
 あいにくの台風で、学校も休校になった金曜日は家に閉じ込もるしかありませんでした。その翌日の土曜日、さぞかし台風一過と思っていたところ、台風の通過から丸一日ほど雨が残って、なんと、JR神戸線は終日運休というありさま。その上通行止めの道路も多く、二日連続で身動きがとれない結果になりました。
 KAZU君、「また船に乗りたいのに」とじりじりしていたのでしょう、昨日の日曜日の朝さっそく連絡があって、なんと明石海峡公園へ三週連続で向かうことになりました。

 明石港出航。
  「いいお天気にならないかなぁ」
  

 先週も先々週も土曜日でしたが、雨がちらついたり厚い雲が覆ったりする空模様だったせいか、とても空いていて遊び放題の感、きっと、梅雨時の暑くなりかけの頃は来る人も少ないのだろうと思っていました。
 ところが、この日は一変。すごい混雑ぶりです。ようやく外出可能となった三連休の中日ともなればさすがにと思ったのですが、そんな理由ではありませんでした。
 実は、この日は淡路市の市制10周年を記念した「淡路市夏まつり」の日だったのです。公園の入園料も無料、夜には公園前の海岸で花火大会もあるということで、まだ午前中なのに、観覧場所を確保している人もいて、浴衣の女性もちらほら目に入ってきます。

 遊び場の芝生広場には
  テントのお店が並び
  


   潮の香も肴に淡路の夏祭り   弁人


 遊具の前は
  臨時動物園に
  
   

 でも、やっぱり
  ここで遊ばなくちゃ
  

 お昼を食べるレストランは公園のいちばん反対側にあるので、ここはそろそろ引き揚げることにして広場の入り口に戻ると、そこにはビジター棟という建物があって、この時期、世界のカブト虫とクワガタの展覧会が開かれています。

 どちらかというと、KAZU君は虫好き少年ではないと思っていましたが、先週公園を出る時に「昆虫、見たかったのに」と言っていたこともあって中に入りました。

 いきなり、
  この大型の模型
  

 カブト、クワガタの
  オンパレード
  


   少年の視線を知るや甲虫   弁人


 「すごーい!」と気持ちが高ぶってきたところで待っているのは、ペーパークラフトの製作場所という具合。

 「色はな、全部黒やで」
  「ほら、出来てきた」
  

  みごと完成
  

 ちょっと遅くなったお昼の後、おじいちゃんは少々ウトウト気分なのですが、元気なKAZU君。

 小一時間
  水浴びに興じていました
    

 公園をあとにすれば、あとは港に戻るだけなのですが、先週の船の中で交わした「おじいちゃん、あの建物はなんやろ」「あれは温泉やな。松帆の湯っていうて、景色がいいんやで」という会話を覚えていたKAZU君、タクシーの中で「温泉に入って気持ちよくなりたい」と言うので、運転手さん、「おじいちゃんみたいなことを言うお孫さんやね」と大笑い。

 ということで、
  景色の良い温泉に浸かりました
  

 帰りは船上で夕涼み。
  南風が気持ちいい明石海峡
  

 「おじいちゃん、いい景色やね。お風呂にも入ったし、今日は楽しかった」と屈託なく言うKAZU君ですが、そんなことばを聞く私は秋でもないのに少々感傷的に。
 日本を離れてもこういう光景と思い出を忘れないで、なにかの折に思い出してほしいと思いつつ、オランダという遠い所で、こういう映像が蘇ってきてホームシックになったりしないだろうかど心配になったりしているのです。

 さて、明石から一駅電車に乗って、KAZU君と別れて線路伝いの道を歩いていると、

 今にも沈まんとする大きな三日月と
  天文科学館が対峙
 

 これもまた、明石を象徴するかのような光景です。次の三日月の頃も、まだ私は明石に留まっているはずですが、お天気まではわからないからとしばらく見入っていました。


   子午線に向き合う明かり夏の宵   弁人


 とか思ってカメラを向けている自分。どうもいけませんね。
 口では「人間はな、少しぐらい寂しいことがあってもがまんできないとあかんで。オランダでも嬉しいことや楽しいことはあるけど、悲しいことや寂しいこともいっぱいあるかもしれんよ。そういう時にな、我慢して頑張れるのが男の子や」と偉そうに言っているのに、どうも、しっかりしなければいけないのは、KAZU君よりも私のほうなのかもしれません。

 さあ、これからひと眠りして夜半過ぎに車で出立、あす午前中に逗子に帰ります。今回も通院のためですが、母の三回忌にもあたっているので月末まで明石に戻れません。
 KAZU君にとっては、初めての夏休みなので少々心配ですが、「カーくん、ちゃんと学童行くし、心配せんでも大丈夫や」ということばを胸にしまって明石をあとにします。


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台風襲来の前に、渡欧後の無事を祈願

2015-07-17 15:58:53 | KAZU君
7月17日(金)

 西日本を直撃した台風11号。四国を縦断して今朝がた岡山に再上陸したものの、日本海へ抜けるまで8時間もかかるという低速ぶり。今のところ、「台風一過」という雰囲気は全くなく、明石では午後になっても暴風雨に見舞われています。
 7月とはいえ、まだ梅雨も明けていない夏休み前だというのに、そんな時期に今までこれだけの台風がやって来たことがあったのかどうか、ほとんど記憶にありません。

 今日は一学期の終業式の日でした。KAZU君にとっては、日本での小学校の最終日だったのですが、この迷惑な台風のおかげで休校となりました。
 学校では、台風接近の予報を受けて終業式を一日早めたので、KAZU君、昨日クラスメートとのお別れの挨拶を済ませ、初めての、もしかすると日本では最後になるかもしれない「あゆみ」を手に帰って来ました。

 実は、今日17日はもう一つ予定を組んでいたのです。それは、オランダでの生活の無事平穏の祈願に、KAZU君が通っていた保育園の神社にお参りすることでした。
 振り返ってみると、KAZU君、4月8日の入学式の後以来一度も保育園に出向いていないので、せっかくならその機会に保育園の先生方に元気な顔を出したいとKAZU君自身も楽しみにしていましたし、渡欧の挨拶もできれば好都合です。
 それには土日でないほうがということになりますが、おじいちゃんは通院の関係で連休明けに逗子に帰ることになっていて、KAZU君のお母さんは、8月に入ると渡欧の準備で慌ただしいという事情があって、園長先生と相談して、一学期の終業式の日の午後にと決めていたのでした。

 でも、これも台風接近のおかげでピンチに。終業式同様、急遽一日早めて、昨日三人でお参りに行ってきました。

 拝殿に上がって
  神妙にお参り
  

 祝詞の奏上の宮司さんは
  園長先生
  

 さすが、6年間神社併設の保育園に通っていたKAZU君、「節分」「夏越の祓」「七五三」と、季節ごとに園長先生が行なってくれる祭式の場に何回か参列したことがあるので、「二拝二拍手一拝」の作法も心得ているのです。

 御札とお守りを頂いて、
  これも思い出の写真に
  


   朧朧たる先行きに向け夏祓ひ   弁人


 私は、オランダへにいる
  お父さんの代わりです
    

 そして、懐かしい思い出の詰まった
  保育園へ
  

 「僕、カーくんやで、覚えていてくれたん」
 「当たり前やんか。また、背大きくなっとるね」


   異文化も愛する心を学ぶ夏   弁人


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せっかく慣れた小学校、まもなく一学期終了

2015-07-15 17:46:18 | KAZU君
7月15日(水)

 台風の影響で梅雨前線がどこかへ行ってしまったらしく、まるで梅雨明けのようなお天気です。

 今朝の明石海峡。
  すっかり夏空です
  

 今年は20日の海の日が月曜日になったので、一学期も今週いっぱいで終わりです。17日の金曜日が終業式ですから、夏休み中にオランダへ旅立つKAZU君、新しくできたお友だちと教室で過ごすのも、あと三日となりました。

 ところが、ここに来て、よりによって大型の台風が西日本を直撃しそうな気配。

 もし終業式の日が休校になったりしたら、明日が教室に行く最後になってしまいます。楽しみにしている「あゆみ」とかはどうなっちゃうのでしょうか。そんなことより、担任の先生が設けてくれるというお別れの時間もすっ飛んでしまいそうで、台風情報を前に気が気ではありません。

 そのKAZU君、今日も元気に
  登校して行きました
  


   通学の子の背を押したる野分風   弁人


 マンション裏の信号を渡って、通学路は
  バス通りなのですが、
  

 写真のバス停の後ろの木の脇に白い棒が立っているのがわかりますか。実はこれ、明石の歴史の会などでよく話題になる史跡なのです。

 「遺跡 畑山」
  とあります
  

 いわゆる「旗振り通信」の中継基地があったということでしょう。江戸時代から明治にかけて、大坂堂島の米相場をいち早く他の地域に伝達するために編み出された通信方法で、表示によると、この辺りの中継点は、須磨鷹取山・須磨鉄拐山・そしてここ大蔵谷旗山・魚住金ヶ崎となっています。大阪から岡山まで2時間ほどで伝わったということですが、雲の多い日もあったろうに、狼煙ならともかく、本当に旗を振るだけで通信ができたのでしょうか、興味津々です。なお、詳しくはウィキペディアなどで検索してみると解説が載っています。

 という話は、先月の「明石かいきょう塾」でも話題になり、耳をそばだてて聞いていました。ただ、この遺跡表示のあるバス停、たしかに海から1キロほど坂道を上って来た所にありますが、そんなに標高は高くなく、とても見通しが良い場所とは思えません。

 一昨年だったか、街道筋にある歴史的な「道標」の話を聞いている時に、講師の先生が「位置や方向は信用できませんよ。なぜなら、土地改良や宅地造成などで後世の人が適当に動かしてしまうことがよくあるから」とおっしゃっていたので、これもその類かなと思って調べてみると、どうも、本来の場所は、KAZU君のマンションと私の部屋の間にあった山道の途中だったようなのです。
 今は、5年ほど前から続いている宅地造成ですっかり変貌してしまいましたが、明石に来てから2年ほどは緑の中に小道が通じていて、「なんだ、あの頃しょっちゅう通っていた所にあったんだ」と複雑な心境に陥ります。

 すいません、話がそれました。

 さて、残りわずかなKAZU君の登校姿を見送ったあと、彼のマンションに戻ると、これも日本での短い小学校生活の名残の一品。

 5月から学校で育てていた
  朝顔がベランダに
  

 三日前の日曜日に学校から運んで来ました。きっと、毎日水遣りをした観察記録が夏休みの宿題になるのでしょう、二学期になったら、また学校に戻すことになっているので、たぶん種を取ったりして、休み明けも教材として活用されそうです。
 でも、さすがにオランダへは持って行けません。これも8月になったら私が車で逗子の家へ運び、KAZU君を懐かしむ花となりそうです。


   朝顔を残し旅立つ朝顔っ子   弁人


 日が少し高くなってKAZU君の家を出ましたが、帰途は、鬱蒼とした緑が消えてショベルカーやダンプが動き回るかつての「峠道」(私の勝手な命名)を通りました。「旗振り山、たぶん、この辺りだったのだろうなぁ」と思いながら歩いて行くと、まもなく私の部屋のベランダが見える最後の下り坂へ。

 この風景、あと何回
  目にするのでしょうか
  


   海南風刻々近づく帰東の日   弁人


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梅雨明け前に、明石で見かけた「夏の花」

2015-07-09 13:07:52 | 身辺雑記
7月9日(木)

 今年は太平洋高気圧に少し元気がなく、梅雨明けがだいぶ遅くなりそうという話もあります。
 そのせいでしょうか、梅雨入りが発表された後も、6月中は北の高気圧が優勢で、爽やかな風が流れてくる過ごしやすい日が多いような感じがしました。

 6月21日の夜。月齢4.5の上弦の月に
  木星と金星
  

 東京からKANA君がやって来て、KAZU君も一緒に神戸で遊んだ翌日でした。夏のお日様に照らされていたものの、湿った南風という感じではなく、KAZU君と夕飯を共にして家に帰る時の空はこの時期としては珍しく澄んでいました。

 たしかに、どんよりとした雲の多い日は多いものの、風は北寄りで梅雨らしくないなと思っていましたが、6月の下旬に二日ほど雨の日があり、それからは風も湿った南からのものになって、ようやく梅雨らしい空模様になりました。

 さて、今回は花の話題です。

 風薫る初夏が過ぎ6月になって紫陽花が彩り始めると、時を争うかのように、時の町明石にふさわしい「トケイソウ」の花を目にするようになります。
 やがて梅雨に入る頃になると、前回の記事で触れましたが、明石の町中のあちらこちらで、私の好きな花「アガパンサス」が目に入ってきます。いかにも、KAZU君の誕生日の近いことを知らせるかのように。

 駅へ向かうと、
  赤い「ゼラニューム」の脇に
  

 そういえば、私のマンションの裏の住宅にも咲いているはず、今年はどんな具合かなと外に出て坂を下って行くと、

 すぐ裏のお宅の庭には、
  青い花の「サルビア」がきれいに
  

 もちろん、
  赤い「サルビア」も咲いています
  


   夏空を待つサルビアに雲重く   弁人


 斜め向かいのブロック塀の上には、
  薄いオレンジ色の花が
  

 「グラジオラス」でした。
  淡い色が控えめでなんとも言えません
  

 この黄色の花は?
 「金糸梅(キンシバイ)」とのことでした
  

 路地を折れて「アガパンサス」の咲いているお家へ向かうと、

 その家には、なんともかわいい
  紅白の花も
  

 咲く時期が長いのか、5月の半ばくらいから咲いています。去年もなんという花だろうと思ってそのままになっていたところ、6月に入って須磨寺の奥の散歩道を歩いている時にも目に入ったので調べました。
 サルビアの仲間で「チェリーセージ」というそうで、「ホットリップス」とも。「セージ」ならハーブですから、新神戸駅の上の「布引ハーブ園」に行けば咲いていそうです。
 そういえば「布引ハーブ園」、KAZU君のお母さんが結婚する前に二回ほど行ったことがありますが、そんなこともあってか、明石に来てからは一回も足を運んでいません。

 そして、今回の散歩の目的の
  「アガパンサス」
  


   梅雨湿り薄紫の花凛として   弁人


 さて、来た道を戻ることもないかと、そのまま路地を抜けて行くと、

 夏の花の代表格
  「ノウゼンカヅラ」
  

 ラッパ型で、朝顔のようなユリのような形ですが、西洋朝顔のようにびっしりと群がる感じでないところが救われます。

 ところで、昔から「雷鳴がとどろくと梅雨明け」と言われてきましたが、今年は九州や関東地方では梅雨の前半から雷や豪雨にに見舞われているとのこと。幸い、関西は今のところいつもの梅雨のような空模様で助かっています。
 来週は台風の影響で荒れ模様という予報もあって心配ですが、そろそろ関西でも雷鳴がとどろくのでしょうか。
 はたして、梅雨前線は台風と一緒に北へ行ってしまうのか、まだまだしぶとく居残るのかわかりませんが、いずれにしても、たまには涼しめの夏があってもいいのかなと思ったりします。サルスベリの花やフヨウやムクゲの花が真夏の日射しに照らされる暑そうな光景、あまり想像したくありません。



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KAZU君「旅立つ前の最後の誕生日」

2015-07-06 17:08:05 | KAZU君
7月6日(月)

 一昨日、7月4日の土曜日はアメリカの独立記念日だったそうですが、KAZU君にとっても記念すべき日、7才の誕生日でした。

 そのKAZU君、8月にオランダへ旅立つことが決まったので、おじいちゃんと一緒の明石では最後のバースデーとなりました。

 今年のカレンダーはKAZU君が1才になった2009年と同じで、6年ぶりの土曜日の誕生日となり、「楽しみな一日やなぁ」と、この日の来るのを指折り数えて待っていたのです。

 一週間ほど前から「誕生日はな、車じゃなくてお船に乗ってな、淡路島へ遊びに行きたいんや」と言っていたので、お天気が気になっていましたが、曇ってはいるもののなんとかなりそうな気配。
 そこで、予定どおりに電車で明石駅へ出て、高速船の乗り場へ行くと、港に入ってきたのは小型船の「レットスター」号でした。

 「ひっくり返ったらややな」
  「心配せんでも大丈夫や」
  

 重たい雲が立ち込める中、
  明石港を出発
  
   


   半夏越え海峡の雲まだ重く   弁人


 岩屋港についたものの、たこフェリーが消えた今は、島内の路線バスがめっきりと少なくなりました。やはりバスとは時間が合わず、タクシーで明石海峡公園へ向かうと、心配していた雨がポツポツと落ちてきました。

 まずは、
  屋根の下の遊具で遊ぶことに
  
   

 しばらくすると、雨も小止みに。「それじゃぁ、お花の観察に行こうか」ということになりました。

 アガパンサス。「きれいやな、
  おじいちゃんの好きな花やで」
  

 もともと薄紫の花は上品に見えて好みなのですが、アガパンサスはKAZU君の誕生日が近づいて来ると咲く花ということもあって、この花を見ると思わずKAZU君の顔が浮かんできてしまうのです。
 もちろん、関東のほうでも見かけますが、こちらの人の好みなのか、明石では、花壇はもちろん、家の庭など、町なかで見かけることも多く、国道の街路樹の下にも咲いていたりします。今年もけっこうカメラを向けたので、ブログの記事にしようかと思っているうちに時間が経っていますが、機会があれば後日の記事にします。

 「けむりの木(スモークツリー)」に似た
  「シマトネリコ?」の木
  

 雨に濡れてしっとりとした風情です。「カーくん、あの木、もしゃもしゃとしとるやろ、あれもお花なんやで」

 さて、園内遊覧バスに乗ると、

  紫陽花がまだ咲いていました
  


   行く末に光添へるや夏の花   弁人


 そして、いつもの
  スワンボートに
  

 この日のKAZU君、とても気前が良くて、鯉と鴨にやるエサをあっという間にあげてしまいました。

 「追っかけて来てもな、
  もうないんや。ごめんね」
  

 帰りは、公園の南西側にあるウエスティンホテルの前から高速バスで橋を渡って舞子に戻り、電車でもう一度明石駅へ。

 一番のお楽しみはこのお店。
  プレゼントのお買い物です
  
    

 もう、「プレゼントは何かな」とドキドキする年齢ではなくなりました。何日も前から自分で「プレゼントは何がいいかな」と悩んでいて、実は、前日の夕方にも、品定めのためにと、学童からの帰りに私を連れ出してこの店に来ていたのです。

 品揃えが多いと子どもの気持ちも混乱するのでしょう、前日にはミニブロックの「ラQ」にすると言っていましたが、結局ゲットしたのはラジコンカーということになりました。
 さっそく、家に帰ってラジコンの操作に夢中に。その後、三人でバースデーケーキを囲んで、7才の最初の一日を過ごしました。


    七夕の短冊もあり孫七歳   弁人


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思わず溜め息、情けない大人たち

2015-07-01 10:22:31 | つぶやき
7月1日(水)

 大人がみんな「情けない」というわけではありません。一定の見識を持ってしっかりと生きている人もたくさんいるのですから。
 とはいえ、世の上に立つ人、特に、国・地方に関係なく選挙で選ばれた人の中に、首を傾げたくなる人間のなんと多いことか。

 来年から選挙権の年齢が二才引き下げられ、政治家の言動に関心を持つ若者が増える状況です。有権者の投票で選ばれる人間は、若者にもっとしっかりとした生き方を示さなければならないと痛感します。

 こちら兵庫県。県会議員の「政務活動費」の話が浮上し、泣いたりわめいたり逃げ回ったりの醜態をさらしたのは一年前のことでした。いったいあの問題は、今どうなっているのでしょうか。おそらく根本的な解決はしていないように思います。

 先日の、安倍首相の取り巻きの議員たちによる勉強会での言論封殺の発言。名称は「文化芸術懇話会」とか。全く論評にも値しない子どもっぽさです。
 首相は若手議員の至らなさということで、距離を置こうとしているようですが、会に招かれ、「沖縄の新聞を潰せ」と息巻き拍手喝采を受けた講師の作家先生とやら、総理と仲の良い、現政権の応援団長的存在とか。

 その応援団長と仲が良いとかいう安倍首相も、一度注意を受けて陳謝していたにも関わらず、再度質問者に野次を飛ばすというお粗末ぶり。

 まあ、いい大人なのに、状況や場をわきまえず、子どもっぽくホンネを広言してくれるので、政権与党の政治家が何を考えているのかがわかりやすくて、もしかすると、若者の政治参加には好都合なのかもしれませんが、こんなんでいいのかと心配になります。

 どうも、日本人は全体的におとなしくて、その意識の中に、選挙に立候補する人はそれなりの見識を持っているという性善説が潜んでいるのかもしれません。でも、もしそうなら、そんな意識はそろそろ拭い去らないと大変なことになるかもしれません。

 さて、現状。

 本当は、昨年の総選挙の争点はいろいろとあったのです。
「憲法改正(とりあえず集団的自衛権の正当化)」や「原発問題」等々。しかし、政府自民党はそういう反対の多そうな問題は争点の脇に目立たぬように置いて、有権者の最大の関心事である「景気回復」を前面に打ち出して圧勝しました。

 たしかに株価も上昇し景気は回復傾向のように見えますが、それが今後、庶民の暮らしにまで及ぶのかどうかは、いまだにはっきりとはしていません。
 その一方で、やっぱりという感じで、選挙戦ではあまり表面には出なかったいわゆる「安保法制」の改定に向けて、圧倒的な議席数を後ろ楯に一直線の感。どう見ても暴走の感が否めません。

 スローガンは「日本国民の安全と平和を守るため」と、なかなかもっともなのですが。

 数年前から話題になっている「尖閣・竹島問題」や、最近さかんに報じられる「中国の南沙諸島進出」。そんなニュースを前にして、今や、多くの国民が何とかしないとと不安になっているのも事実です。さらに、「対イスラムテロ対策」「化石エネルギーの安定確保」のためにと言われると、ふつうの人は「今の自衛隊のままでは・・・」と思うのも仕方ないのかもしれません。

 もちろん、野党は政府自民党に抵抗していまが、その姿勢、ちょっと納得できないのです。きちんと反対するなら、上のような、今直面している問題に対して、軍事的な力によらない具体的な解決策を示さなくてはならないのにと。

 いったい野党はどういうふうに反対しているのか。国会中継を見ていると、
「いきなり閣議決定するのは国会軽視」
「先にアメリカへ行って約束して来るとはなにごと」
「学者も言っているように憲法解釈上無理がある」
「自衛隊員の安全の確保が難しい」

 これ、真正面から反対する姿勢だと思いますか。相手のやり方・進め方をいくら責めても、これでは、与党側の主張によって生まれている国民の不安の解消にはなりません。
 相手の言い分を真っ向から否定しきれないのか、議席数から最終的に押し切られることを覚悟しているのか、本当にわが国と国民の将来を心配しているのか疑わしくなってしまいます。

 大事なのは、
「無理やりに憲法をねじ曲げて解釈しなくても、自衛権などと声高に叫ばなくても、憲法九条の理念のままに、『こうして日本の平和と安全は確立できる』ということ(対中、対韓関係の改善策・化石燃料に偏らないエネルギー政策の具体的方向性等)」をきちんと国民の前に提示し、与党と論戦することなのです。
 そして、もしその主張に対する支持が広がって、国民の信を問うという状況に持っていけば、それが野党本来の姿だと思うのですが。

 しかし、野党といっても、自衛隊自体を違憲とする政党から集団的自衛権を確立するには改憲した上でという政党まで幅が広く、上のような前提についても、まず改憲という勢力は、今の憲法ではちょっとということなのでしょうが、それがどの部分なのかはっきりとさせず、もう一方は、憲法を守るなんて当たり前でそんな議論はいまさらということなのでしょうか、その辺の主張や姿勢が庶民に伝わってこないのです。

 そんな中で、開かれた例の「文化芸術懇話会」なる勉強会。現政権を強く支持する保守派?の作家が、日本の国を愛するあまり何を主張しようと、それも言論の自由なのかもしれませんが、どうも、その方々には「米軍基地があるから中国が攻めて来ないという現実を沖縄の人はわかっていない」という考えがあるようで、報道によると、「沖縄のどこかの島が中国に取られてしまえば、目を覚ますんじゃないか」との発言も出たとか。

 仲間内での単なるジョークということにしましょうか。実はこの前、春先の公園で日向ぼっこをしている時に、隣のベンチで談笑していた爺さまたちも同じ内容の話をして肯き合っていました。これも仲間うちの談笑ということで済ませましょう、言論は自由ですから。

 でも、少々気が滅入ります。このような発言に対して、話にならない、取るに足らないと無視するのは簡単ですが、このおじいちゃんたちも立派な有権者なのです。そして、昨今のニュースを目に耳にしながら、対中や対韓関係について疑念や不安を抱いているのは、このおじいちゃんたちだけではなさそうなのです。

 真剣に憲法九条を守るなら、護憲を掲げる政党を中心に、まずそういう不安を払拭する努力が必要で、その辺からしっかり説明しないと、「集団的自衛権に頼らなくても日本の平和と安全は守ることができると」いう主張に説得力が生まれません。

 でも、今の野党にそんな期待が持てるでしょうか。やっぱり気が滅入ります。国会の会期が9月まで延長されたものの、結果、どうも期待外れの表面的な議論に終始し、国民の多くが抱く疑念と不安はそのままに、最後は政府与党が押し切って行くとしか思えないからです。


       梅雨寒や文化芸術見くびらる   弁人


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