7月25日(土)
電卓なるものを初めて見たのは大学生の頃でした。子どもの頃に珠算二級の検定をパスしていた私は、こんなものに負けてなるものかと、就職してからもしばらく、数字の計算は全てそろばんで済ませていました。
しかし、時代の流れには逆らえません。40代半ばになると、電卓どころかコンピュータなるものが目の前に現れ、「123」や「エクセル」の表計算ソフトを使うようになってからはとんと御無沙汰。
7年前、明石へ行く時に書斎を整理していると、使い古したそろばんが二つ出てきました。しかし、二丁とも珠の動きもままならない状態だったこともあって、潔く処分してしまいました。
そんな昔話はさておき、明石から車で北へ30分ほど、三木市の先にある小野市。その市役所前の駐車場に、
こんな看板があります。そろばん珠の表示は、どうやら
西暦の「2015」のよう

そろばんといえば、私なんぞは「ともゑ」「天下一」という商標が浮かんでくるのですが、処分したそろばんがはたしてそんなブランド品だったかどうかは記憶にありません。
実はそろばん、伝統的には「播州算盤」の兵庫と「雲州算盤」の島根が二大生産地なのです。どちらも生産量日本一をうたっていますが、歴史的にはどうも「播州算盤」のほうが古いようです。
それはともかく、「播州算盤」の生産地として有名なのがこの小野市で、算盤や金物の伝統工芸都市として知られています。
さて、播州は明石での暮らしもわずかになりました。この際、記念にひとつ算盤でも買っておこうかと、春以来三回ほど小野市に足を向けました。
市役所の前にある市民会館の隣に「伝統産業会館」があって、中に入るとすぐ一階に、
「そろばん博物館」なる
スペースがあります


珠の材質になる木はいろいろありますが、伝統工芸品として作られるものの代表的なのが「樺(かば)」と「柘(つげ)」です。茶色の「樺」のほうが一般的で安価。珠の色もそろばんらしい感じがします。「柘」は黄色に近い明るい色合いで高級感があり値も張ります。それよりも高級なのは真っ黒の「黒檀(こくたん)」ですが、黒い木枠の中に納まっている珠が少し見えづらい感じがします。
今はプラスチックや新素材を使った安価なものもあるのでしょうが、ここの販売コーナーに置いてあるものは、さすがに手作りのものだけですから、「これは」と思うものは万札一枚でも買えません。
6月の紫陽花のきれいな頃でした。せっかく播州算盤を手に入れるなら、どこかの工房を訪ねてみようかと小野の算盤職人を調べ向かいました。
市街地の少し南に天神町という所がありまます。国道175号から100メートルほど西に入った所です。
公民館があって、

広めの道路の反対側の路地に
看板を見つけました

ここに、伝統工芸士に認定されている宮本一廣さんという、そろばん作りの職人としては小野で最も有名な方がいるはずです。看板の家のすぐ東に小さな水田がありますが、
その脇の洗濯物が下がっている所が
宮本氏の工房でした

気難しい方だったらどうしようかと思っていましたが、とても気さくで話好きのおじいちゃんで、小一時間ほど算盤製作の過程や苦労話などを聞くことができました。テレビでも何回か紹介されたようで、その写真も飾ってあり、何年か前には叙勲を受けたという話もお聞きしました。
そして、明石にいた記念にほんまもんの播州算盤を手にするのなら、やっぱり「柘」か「黒檀」だろうと、自作の品を数丁並べてくれました。たしかに「黒檀」のほうが重厚な感じがしますが、珠が見づらいのも事実。ということで、
色鮮やかな柘珠の算盤を購入。
これぞ「珠玉」の一品?

銘もちゃんと入っています

はたして、この算盤を手にして珠をはじくことがあるのでしょうか。でも、道具ですから箱にしまっておいても意味はありません。明石から引き揚げたら、パソコンデスクを整頓してキーボードの脇に置いておこうと思っています。
パソコンの脇で算術夏の夜 弁人
話は変わります。算数も頑張っているKAZU君、ランドセルの中に、単語カードのような「たし算カード」と「ひき算カード」が入っていて、数字の式を見て即座に答えを言う宿題がよく出されます。
何回も繰り返しているうちに、二つの数字を見ると、まるで暗記したかのように答えを言うようになります。ところが、テストを見ると、時々間違えたりしていて、いったい彼の頭の中で、どういうふうに数の概念ができて行くのか少々不安になって、この前、おはじきを並べてみたりしました。
「そうか、そろばんがいいかもしれない」と思って、先日、もう一度小野へ出向いて小型のそろばんを一つ買いました。
そのそろばん、ごく一般的な樺珠のもので、そんなに高くはありませんでしたが、
「子どもが使うそろばんとしては、見劣りすることはないですよね」と念を押したところ、
「そりゃあ、もう、なにしろ手作りの伝統工芸品ですから、この辺りの子ならともかく、こういうのを持ってる子は、ふつうなかなかいないんじゃないですか」というお言葉をいただき大満足。
餞別の工芸品抱へ夏木立 弁人
さっそくKAZU君の前で開けてみましたが、やはりまだ早かったようです。おはじきより玉が小さいので興味を示しませんでした。
とはいえ、そろばんは日本が生んだ文化の一つです。たしかに時代は変わりましたが、今でも三年生くらいになると、算数の授業でそろばんを使ったりするとも聞いています。はたしてオランダの日本人学校で算盤が登場するかどうか、その辺はわかりませんが、どこかで役立つことを祈りつつ、KAZU君への餞別として持たせることにしました。
電卓なるものを初めて見たのは大学生の頃でした。子どもの頃に珠算二級の検定をパスしていた私は、こんなものに負けてなるものかと、就職してからもしばらく、数字の計算は全てそろばんで済ませていました。
しかし、時代の流れには逆らえません。40代半ばになると、電卓どころかコンピュータなるものが目の前に現れ、「123」や「エクセル」の表計算ソフトを使うようになってからはとんと御無沙汰。
7年前、明石へ行く時に書斎を整理していると、使い古したそろばんが二つ出てきました。しかし、二丁とも珠の動きもままならない状態だったこともあって、潔く処分してしまいました。
そんな昔話はさておき、明石から車で北へ30分ほど、三木市の先にある小野市。その市役所前の駐車場に、
こんな看板があります。そろばん珠の表示は、どうやら
西暦の「2015」のよう

そろばんといえば、私なんぞは「ともゑ」「天下一」という商標が浮かんでくるのですが、処分したそろばんがはたしてそんなブランド品だったかどうかは記憶にありません。
実はそろばん、伝統的には「播州算盤」の兵庫と「雲州算盤」の島根が二大生産地なのです。どちらも生産量日本一をうたっていますが、歴史的にはどうも「播州算盤」のほうが古いようです。
それはともかく、「播州算盤」の生産地として有名なのがこの小野市で、算盤や金物の伝統工芸都市として知られています。
さて、播州は明石での暮らしもわずかになりました。この際、記念にひとつ算盤でも買っておこうかと、春以来三回ほど小野市に足を向けました。
市役所の前にある市民会館の隣に「伝統産業会館」があって、中に入るとすぐ一階に、
「そろばん博物館」なる
スペースがあります


珠の材質になる木はいろいろありますが、伝統工芸品として作られるものの代表的なのが「樺(かば)」と「柘(つげ)」です。茶色の「樺」のほうが一般的で安価。珠の色もそろばんらしい感じがします。「柘」は黄色に近い明るい色合いで高級感があり値も張ります。それよりも高級なのは真っ黒の「黒檀(こくたん)」ですが、黒い木枠の中に納まっている珠が少し見えづらい感じがします。
今はプラスチックや新素材を使った安価なものもあるのでしょうが、ここの販売コーナーに置いてあるものは、さすがに手作りのものだけですから、「これは」と思うものは万札一枚でも買えません。
6月の紫陽花のきれいな頃でした。せっかく播州算盤を手に入れるなら、どこかの工房を訪ねてみようかと小野の算盤職人を調べ向かいました。
市街地の少し南に天神町という所がありまます。国道175号から100メートルほど西に入った所です。
公民館があって、

広めの道路の反対側の路地に
看板を見つけました

ここに、伝統工芸士に認定されている宮本一廣さんという、そろばん作りの職人としては小野で最も有名な方がいるはずです。看板の家のすぐ東に小さな水田がありますが、
その脇の洗濯物が下がっている所が
宮本氏の工房でした

気難しい方だったらどうしようかと思っていましたが、とても気さくで話好きのおじいちゃんで、小一時間ほど算盤製作の過程や苦労話などを聞くことができました。テレビでも何回か紹介されたようで、その写真も飾ってあり、何年か前には叙勲を受けたという話もお聞きしました。
そして、明石にいた記念にほんまもんの播州算盤を手にするのなら、やっぱり「柘」か「黒檀」だろうと、自作の品を数丁並べてくれました。たしかに「黒檀」のほうが重厚な感じがしますが、珠が見づらいのも事実。ということで、
色鮮やかな柘珠の算盤を購入。
これぞ「珠玉」の一品?

銘もちゃんと入っています

はたして、この算盤を手にして珠をはじくことがあるのでしょうか。でも、道具ですから箱にしまっておいても意味はありません。明石から引き揚げたら、パソコンデスクを整頓してキーボードの脇に置いておこうと思っています。
パソコンの脇で算術夏の夜 弁人
話は変わります。算数も頑張っているKAZU君、ランドセルの中に、単語カードのような「たし算カード」と「ひき算カード」が入っていて、数字の式を見て即座に答えを言う宿題がよく出されます。
何回も繰り返しているうちに、二つの数字を見ると、まるで暗記したかのように答えを言うようになります。ところが、テストを見ると、時々間違えたりしていて、いったい彼の頭の中で、どういうふうに数の概念ができて行くのか少々不安になって、この前、おはじきを並べてみたりしました。
「そうか、そろばんがいいかもしれない」と思って、先日、もう一度小野へ出向いて小型のそろばんを一つ買いました。
そのそろばん、ごく一般的な樺珠のもので、そんなに高くはありませんでしたが、
「子どもが使うそろばんとしては、見劣りすることはないですよね」と念を押したところ、
「そりゃあ、もう、なにしろ手作りの伝統工芸品ですから、この辺りの子ならともかく、こういうのを持ってる子は、ふつうなかなかいないんじゃないですか」というお言葉をいただき大満足。
餞別の工芸品抱へ夏木立 弁人
さっそくKAZU君の前で開けてみましたが、やはりまだ早かったようです。おはじきより玉が小さいので興味を示しませんでした。
とはいえ、そろばんは日本が生んだ文化の一つです。たしかに時代は変わりましたが、今でも三年生くらいになると、算数の授業でそろばんを使ったりするとも聞いています。はたしてオランダの日本人学校で算盤が登場するかどうか、その辺はわかりませんが、どこかで役立つことを祈りつつ、KAZU君への餞別として持たせることにしました。
横高は、7/19に3回戦で日大藤沢と当たり、5-10で敗れてしまいました。初回に3点を先制して幸先の良いスタートを切り、5回まで5-5の好ゲームでしたが、いかんせんリリーフがおらず、35度を超える横浜スタジアムのマウンドで、エース君は孤軍奮闘したものの力及ばずでした。
小倉の息子は5番を付けていましたが、1年生にレギュラーを譲り、8回から守備についたものの、9回表次のバッターというところで、試合終了となってしまいました。強烈なサードゴロを胸で止め、けがしたとの情報もありますが詳細は分からず。
横高野球部の夏は、澄み切った青空の下、シード校に敗れて終わったのでした。
最近の横須賀高校、よく頑張っていますね。今年もテレビ中継の試合で勝って、第一シード校に食らいついたということで「あっぱれ!」です。
僕が横須賀へ赴任したころは、夏の大会9連敗という暗黒時代で、夏に一つ勝つのってなかなか大変だったんですがね。
ところで、昨日の決勝戦。渡辺監督の最後の試合ということで複雑な心境で見ていましたが、東海の左腕小笠原君すごいですね。準決勝で投げた吉田君もプロ注目の右腕で、守備も打撃もいい。こんなすごいチームが甲子園で勝ち抜けなかったらおかしいと思います。
そして、今日は兵庫県の決勝戦ですが、見ることができず残念でなりません。というのも、昨日の準決勝で、春の近畿大会で優勝した神戸国際大附相手に、公立校の明石商業が延長サヨナラで勝っちゃったんです。
夏の甲子園、明石勢は県立明石高校が6回、同じく県立の明石南高校が1回出ていますが、最後が87年ですから、もし今日勝ったら地元の明石は大騒ぎになりそうです。これから母の墓参りに行きますが、少々胸がときめいています。
判官びいきというか、勝って当たり前の私立高校より、公立高校を応援したくなっちゃいますよね。
やっぱり、参加校が多い所で公立校が勝ち上がるのは難しい。私が気にかけていた明石商業も決勝は勝てず、少々がっかりしましたが、準優勝は立派ということでしょう。