チムどんどん「明石通信」&「その後」

初孫との明石暮らしを発信してきましたが、孫の海外移住を機に七年で区切りに。現在は逗子に戻って「その後」編のブログです

関西にいるカープファンとしては

2011-03-31 20:13:15 | スポーツ観戦等
3月31日(木)

 弥生も末になって、ちょっぴりですが、春の陽気が漂ってきました。

 なんだかんだ言いながら、やはり野球が見たくって、何日か前に、二度ほど甲子園に足を運びましたが、とにかく寒いのなんのって、防寒着にくるまってブルブル震えながらの観戦でした。

 ところが、週明けから少し寒さが緩んできて、また甲子園に行こうかなと思いながらラジオを聞いていると、ウエスタンリーグで、タイガースの二軍がカープと対戦するという声が流れてきました。球場は甲子園球場の近くの鳴尾浜球場です。そういう球場があることは知っていましたが、行ったことはありません。「よーし、行ってみよう」ということで、三日間通いました。

 アクセスは甲子園球場前からのバスしかありません。午後のゲームということは、帰りが甲子園の観客とかち合うおそれあるので、車で向かいました。

  到着
  

  みんな、ほんとうは野球が見たいのです。超満員の盛況
  
 と言っても、観客席は数百人くらいしか入れないスペースでした。初日はなんとか潜り込みましたが、ずっと立ち見でした。

 二日目からは、試合開始の1時間以上前に到着。
  
  この時間だとネット裏に座れます
  
 練習から見るのもまた楽し。

  試合開始前に、若手選手による震災の義援金カンパ
  
 昨日の30日、募金箱を持って登場したのは、今年東海大相模から入団した一二三投手でした。

 人手が足りないのか、実は、入場料が無料なのです。だから募金箱があれば、大人なら誰だって1000円くらいは入れたくなりますが、タイガースファンの女の子や子どもたちがいっぱい並んで、その上、お金を入れた後に握手をして写真を撮ってと時間がかかります。一二三君と握手をするようなミーハーでもない人のための募金箱があってもいいのにと眺めているうちに、試合の始まる時間が迫ってきてしまいました。

 少し入場料を取って、義援金に回せばとも思いましたが、ふだんは経費をかけるほどたくさんの人がやって来ることがないのかもしれません。

 ところで、甲子園の野球を見ていれば、ファームとはいえ、さすがにプロのレベルだと感じられるのではないかと期待しましたが、現実はそんなに甘くはありませんでした。本当に給料をもらっているのかと思うような凡プレーが随所に現れます。それにしても、ここはまさに「上を見ればキリがなく、下を見れば後がない」という世界なのです。ということで、凡ミスが出ると、見ているほうも思わず溜め息が出てしまいます。

 それに、実はこの期間、一軍は、カープがマツダスタジアムでジャイアンツと練習試合をしているのに対して、タイガースはドラゴンズと一緒に地元にいるということもあって、一軍クラスの選手が調整を兼ねて登場してきます。
 そのタイガース。一昨日は、去年の後半に活躍した秋山投手が先発。昨日は、鶴・上園・江草・若竹の継投。そして今日の先発がスタンリッジという具合。これでは貧打カープの二軍打線は全く打てません。おまけに今日はドラゴンズとの練習試合がないということで、上から来た、俊介・新井良太・浅井・桜井らが打線に入り、年俸の違いを見せつけるかのように、序盤から一方的な展開になってしまいました。

 しかし、こういう試練に打ち克てないといい選手になれないのですから、やはりもう少し頑張ってほしいと痛感しました。

 さてさて、この三日間、現実の厳しさをいやというほど目の当たりにしてしまったので、明日からは少しのんびりとした気分で、高校野球を楽しみたいという気分になりました。


     球春も花のつぼみやそのままに   弁人


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「寒い春」ではありますが

2011-03-26 07:22:40 | 明石風物
3月26日(土)

 KAZU君の保育園の河津桜がやっと満開になりました。

  大地震のあった日の11日は、つぼみが開きかけでしたが
  

   お彼岸を過ぎて
   

 関西地方、今年はとうとう「春一番」が吹かずにお彼岸が過ぎてしまったようです。
 人間は「寒い、寒い」とぼやいていますが、樹木は偉いですね。ちゃんと花を咲かせて、少しづつでも、春がやって来ているのを教えてくれます。

 「カークン、おうちに帰ったら何する?」
 「プラレールする。シゴセンジャ見る」
 「違うよ、最初にお手手洗うんじゃなぁい、お兄ちゃんだから」
 「ウン、・・おじいちゃんのお魚、たべるぅ」

 「おじいちゃんのお魚」というのは「イカナゴのくぎ煮」のことなのです。実は、11日に炊いた分はもう全部食べきっちゃっているのでした。

 KAZU君が食べたいのなら、また炊くしかありません。翌日さっそく魚の棚で仕入れてきました。

  まずは水で洗って
  
 だいぶ大きくなりました。今年は豊漁なんですね、この日はなんとキロ400円の安さでした。これが今年最後かな。この春はこれで4キロ目です。

  炊き方のコツも、もう心得たもんです
  
 とは言っても、一年経つと忘れちゃうんですけどね。

  KAZU君、おいしそうにつまんでくれました
  


   寒春をひととき忘るる児の笑顔   弁人

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思い複雑-センバツ高校野球開幕

2011-03-23 10:18:23 | つぶやき
3月23日(水)

 「プロと高校野球は事情が違う」「若者の真摯な姿が勇気を与える」「被災地へ向けて元気を発信したい」ということで、予定どおり、今日、春の甲子園が始まりました。

 野球好きには待ちに待った日なのですが、心のどこかに「本当にいいのか」という思いが引っかかってしまいます。

 16年前の阪神大震災。あの時は、会場の甲子園球場自体が損傷を被り、近くの阪神高速道路も倒壊しました。地震が起きたのは1月17日。二ヶ月後に甲子園で大会ができるとは、とても考えられる状況ではなかったのです。
 ところが、会場の球場が被災地であったのにもかかわらず、その被災地の中から人々が立ち上がり、復興の足がかりを見出し、自らの力で高校野球の開催にこぎつけたということで、今回の状況とはちょっと違った意味合いがあったのです。

 今回は阪神地域から遠く離れたところの地震でしたから、会場の準備や大会の運営には全く支障がありません。選手が集まればいつでも開催が可能なのです。そして、もし高校野球が被災者の方々へ元気と希望を与え、励ましにもなるのなら、開催はたしかにいいことなのでしょう。おそらく、関係者も高校野球ファンもそういう思いで今日を迎えたのだと思います。

 でも、まだ地震から二週間も経っていません。行方不明者は依然として1万人を超え、原発の事故も未だ予断を許さない状況が続いたままなのです。

 東北高校の球児が元気に大阪入りをしたと聞きますが、彼らの家族、親類、知人は皆無事で元気にしているのでしょうか。人間のつながりは無限です。一人ひとりの状況も違うでしょう。したがって、どこまでの範囲でと決めつけることはできませんが、今の状況で、後ろ髪を引かれる思いで大阪入りした球児は本当に一人もいないのでしょうか。

 甲子園は、野球をする若者にとってはまさに夢の舞台です。誰もが「そこで野球がしたい」と思うでしょう。そんな彼らの純粋な心に、大人たちが「こんな時こそ、沈み込んでいる人たちのために、君たちの元気を見せて生きる勇気を伝えてほしい」と声をかけることが果たして正しいのかというと、どうしても確信が持てません。

 例えばの話ですが。家族を失って沈み込んでいる被災地の子どもたちに思いっきり遊んでもらおうと、どこか、安全で楽しい場所に招待する。久しぶりの屈託のない子どもたちの笑顔を見て、大人たちはホッとして胸を熱くする。
 高校生はまだ大人でないと言えばそうかもしれませんが、無邪気に遊ぶ子どもでもありません。ボランティアもできるし、大人の世界もかなり知っています。大人と違う最大のものは、打算に走らずに物事を真っ直ぐに捉える純粋さを持っているところで、その分大人より感受性が強く傷つきやすいのです。

 未曽有の大地震からまだ300時間も経っていません。200時間以上経ってから助け出されたお年寄りとお孫さんもいました。まだ壮絶な戦いの最中なのです。東北の球児たちはそういう被災地の現状を目のあたりにして、右往左往しながらそれぞれいろいろな思いを巡らしていたのです。大人からの「君たちの力で元気を、勇気を、希望を」ということばが、この若者たちに手を差し伸べたことになるのかどうか、今そういう段階なのかどうか、やはり簡単には判断できません。


     待ちわびた春に憂ふる球児をり  弁人



 ところで、阪神大震災のあった16年前のセンバツ大会。地元兵庫からは神港学園、育英高校、報徳学園の3校が出場しました。被災地からの出場ということで、地元の後押しだけではなく全国の野球ファンからの声援を受け、3校とも初戦を見事に突破。たしか神港学園はベスト8に入ったと思います。とにかく兵庫県勢は頑張ったという記憶が残っています。

 この大会、本当に被災地から登場した学校は頑張りました。報徳学園野球部はこの時の頑張りを新しいスローガンにしているのです。そこで思い出されるのが1回戦の報徳学園対北海高校の試合です。私はテレビで見ていたのですが、その模様は今でも脳裏に焼き付いています。

 北海高校のエース岡崎君は,前年の末にオーストラリアで行われ、日本が優勝した第一回アジア3A大会の日本チームのエースでした。日本チームを率いた横浜高校の渡辺監督も彼の力量を高く評価していました。その前、秋の北海道大会でも優勝投手になっています。私はちょうど用事があって、10月の連休に札幌にいたのですが、時間もあったので、準決勝、決勝の試合を丸山球場で見ていました。伸びのあるストレートと見事にコントロールされたキレのある変化球。センバツでの彼の活躍は間違いないと大きな期待感を抱きました。

 そして甲子園。北海高校の相手は復興のシンボルとして登場した報徳学園でした。

 その試合がどんな状況で行われたのか、もうおわかりでしょうか。なにしろ球場全体が報徳学園への大声援だったのですから。

 岡崎君は異様な雰囲気の中で多少制球に乱れがあったものの、6回まで無失点。その間に味方から3点の援護をもらいました。しかし、なにしろ相手は「逆転の報徳」という異名を持つ学校です。その上、大観衆からの重圧を受ける中で、終盤じわじわ追い詰められ、最後は3-4の逆転負け。
 なにしろ、彼がストライクを投げると球場が静まり、外れれば何万人もの喜びのどよめきが響くのです。もちろん、報徳の投手の時はその反対という具合なのですから、どんな強心臓の若者であっても、とても冷静な試合運びはできない雰囲気になっていたのです。

 情に厚い日本人、判官びいきの日本人。それ故に愛されるのが高校野球なのでしょうか。この春もまた16年前と同じ光景を目にするのではないかと想像すると心が傷みます。

 とにもかくにも、始まってしまったセンバツ高校野球。6日目の第一試合に、被災地から困難を乗り越えてやって来た、けなげなナインが登場します。正々堂々と戦うのが真剣勝負ですから、相手がどうのこうのという感傷に浸っていては試合になりません。両チームとも全力を尽くしてほしいと願うばかり・・・。
 そんなことは当たり前のことなのです。でも・・・、昨日のラジオでは、「仕事を休んでも東北高校の応援に行く」という関西の人のメッセージが紹介され、アナンンサーが「素晴らしい、だから高校野球は人気があるのだ」というご満悦のことばが流れていました。
 こんな雰囲気の中では、今回もまた、どう考えても普通のゲームになってくれるとは思えないのです。今はただただ、対戦する大垣日大の選手たちの闘争心の萎えることがないことを願うばかりです。


     球春やウキウキできぬ甲子園   弁人

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元気を出すしか、日本列島

2011-03-21 18:32:34 | 身辺雑記
3月21日(月)

 被災地の人々へいったい何ができるのか。現実はことばに詰まって何も言えせん。

 みんな必死に頑張っているのに、「頑張って」という励ましのことばも追い打ちのようで発せられないという声もあります。

 そんな状況で何かことばをといえば、「何があっても、元気を出しましょう」くらいしか浮かんでこないのです。

 しかし、そう思っている人間も元気を失っている感じがします。正直のところ、逗子に帰っていた時の、時々やって来る3時間の計画停電、結局じっとしているしかなくて、やっぱり元気の出しようもない感じでした。


 そんな中で、被災地の現状はもちろん、原発や停電に対する当局の対応への疑問など、いろいろなことを頭の中に駆け巡らせながら、週末に、ほぼ平穏な明石に戻ってきました。


 今の関西。普通に暮らせる人間が元気にいられる状況にあるかというと、たしかに、だいたいはそんな感じなのです。
 まず、車でガソリンスタンドへ行ってみました。リビア情勢から高騰気味だった値段はそのままでしたが、何事もなく満タンにすることができました。パンもペーパー類も店頭に十分並んでいます。

 でも、関西でも消えてしまったものもありました。単一の乾電池。私は最近、乾電池の中でいちばん大きいあの単一の電池を使用することがほとんどありませんでした。懐中電灯やラジカセで必要なのでしょうか、どの店にも、入荷の予定も立たないという表示が出ています。
 もう一つ、お米です。あるスーパーで棚から姿を消しているのを目にしたあと、私のところも三日分くらいしか残っていないのに気づき、早速いつものお店に出向いたところ、とても銘柄にこだわってはいられる状況ではありませんでした。
 なにしろ、いつも口にしている「ササニシキ」の本場は宮城県ですから、当分は無理なのかもしれません。「ササニシキ」は山形でも産出されていますが、関西のお店は普段からほとんど全部と言っていいくらい「コシヒカリ」系のお米しか置いていないので仕方ありません。

 関西では、一昨年のインフルエンザ騒動の時にマスクがあっという間に消えてしまいました。そんなこともあって、今回も買いだめの気分が高まった結果なのかもしれないと思ったりしましたが、もしかしたら、被災地や関東の親類知人に送ろうとした結果なのかもしれません。

 もう一つ、明石海峡のライトアップが消えています。夕飯の時に、橋の灯りを眺めながら一杯というのが常でしたので寂しいのですが、これも仕方ないのかもしれません。
 電力について言えば、関西と関東では周波数が異なるので、節電分を関東に送ることはできないということですが、やはり日本人全体が「節電を」という同じ気分になっているのでしょう。
 どうも、神戸港から出ているディナークルーズ船は運行しているような感じなのですが、お客さんはさぞかし少なくなっているだろうと気になります。

 そんなことを考えていると、元気でいられるところは元気を出さないと、日本全体で経済活動が停滞して、より困難な状況に追い詰められたりしないかと心配になります。


   来るはずの春待ちわぶる彼岸かな  弁人


 今日、テレビに「本当は遊びたいけど、今は無理。みんな大変だから」という被災地の子どもの声がありました。
 遊びたいというのが当たり前の気持ちなのに、耐えているいる健気な子どもたち。ほんとうにやりきれません。

 ところで、KAZU君は幸い「元気な明石っ子」でいられます。やっと春らしくなった連休にじっとしていることはありません。

  「今できること」は元気に遊ぶこと
  

  ぱかぽか陽気の中の明石海峡公園です
  

  お弁当の前に「もう少し遊びたかったなぁ」
  


 昨日の日曜日は

  天文科学館へ。星座のお勉強?
  

  いよいよ、ワクワクのプラネタリュウム
  
 真っ暗になってからしばらく上手に見ていたのですが、本当は怖かったのです。とうとう堪忍袋の緒が切れて、キッズ用の上映だったのに、ブラック星博士とシゴセンジャーの登場前に退席してしまいました。

  でも、記念撮影はバッチリ
  


   花香りすくすく育つ正義心  弁人

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けなげな人々・哀しき人間

2011-03-16 14:06:23 | 身辺雑記
3月16日(水)

 14日の月曜日、明石を発って逗子の我が家へ向かいました。

 実は、首都圏の電車の多くが運休していることと、平穏な地域にいられるならその地に留まっているべきということで、逗子にいる妻君と息子から、再三にわたって明石に留まるよう説得されたのですが。

 たしかにその通りかもしれません。しかし、来るなと言われれば言われるほど、なんとか我が家にたどり着きたいという気持ちが大きくなって、その思いをメールで送り返して電車に乗りました。

「誰も好き好んで大変な思いをしようとは思わない。でも、逗子に本当の住まいを持っている人間が、平穏無事の地で、ただテレビを見ているだけというのは気が滅入る。長年神奈川で暮らしてきた経験と知恵をもって、帰宅難民にならずに必ず帰ってみせる」

 まずは、とりあえず名古屋へ出て、首都圏の電車の運行状況を確認。JRは東海道線も横須賀線も全面運休。京浜急行は動いているものの、ターミナル駅は大混乱の模様とのこと。
 秘策と言ったら大げさですが、京急の各停しか止まらない駅にたどりつければ、なんとかなるのではないかと思っていたのです。品川なら、北品川とか新馬場。新横浜あたりから横浜の地下鉄に乗れれば、戸部とか弘明寺とかで京急に乗れるのではないかと。

 さて上りの新幹線、名古屋では15時過ぎに小田原に停まる「ひかり」があります。いちおうJRの運行再開にも一縷の望みを持って、その「ひかり号」に乗り込みました。検札の車掌さんに「どこで下りるかわからない」と告げて、京急の運行を確認してもらいました。もう一つ、できれば横浜市営地下鉄の状況が知りたいとお願いしました。
 16時を過ぎて三島駅を通過したあと、車掌さんから「横浜の地下鉄は20時ごろから運転するそうです。それから、先ほど京浜急行が運行を取りやめたそうです。」と知らされました。
 「京急に裏切られたか!」とがっかりして、新横浜、品川はあきらめて、とっさの判断で小田原で下車しました。

 小田原駅前は信じられないほどひっそりとしていました。計画停電が報じられて、町じゅうで節電に努め、外出を控えている雰囲気でした。
 それにしても、関東の人々は政府からのお願いを実に素直に受け容れているものだと感心せざるを得ませんでした。被災地にはならなかったものの、今回の地震から受けた衝撃の大きさがうかがわれます。


     春浅しけなげさ漂ふ町静か  弁人



 いったいいつ我が家に着けることやら、まずは小田原から箱根登山の路線バスで国府津へ出て、次は神奈中バスで平塚に。さらにバスで相模川を渡って茅ヶ崎に着きました。

 18時半。茅ヶ崎から藤沢行きのバス乗り場へ向かおうとしましたが、藤沢駅付近の渋滞を想像すると気が重くなりました。と同時に、ここまでよく乗り継いできたものだという気分になって、ここはご褒美とばかりタクシーで藤沢に。
 藤沢では、ちょっとだけ期待していた江ノ電にもフラれて、まあ仕方がないと歩いていると、「20時頃JRが動きそうだって」という声が耳に入ってきました。でも、これから小一時間待って裏切られる恐れもあって、予定通り、鎌倉行きの江ノ電バスに乗りました。

 19時50分、鎌倉駅前で。最後の締めは逗子行きの京急バスと決めていましたが、なんと横須賀線が動き出したようで、「まもなく逗子行きの電車がまいります」というアナウンスが聞こえました。ほっとしたのはもちろんですが、うれしさ半分、なんか気が抜けてしまった感じでホームに駆け上がりました。

 ということで、20時半前には我が家でテレビニュースを見ながらノドを潤すことができた次第です。


     花冷えや余震の中の路線バス   弁人


 一夜明けて15日。

 時々グラグラ揺れるものの、余震で戸惑うことはありません。逗子に帰って少し後悔したのは、花粉症がひどくなったことくらいです。スギ花粉について言えば、明石より神奈川のほうが格段に飛散量が多くなっています。

 14日の夜逗子に着いた時、息子が「ガソリンスタンドが長蛇の列で近づけない」と嘆いていました。妻君は「スーパーの棚から、お米もパンもティッシュペーパーも消えてしまった」と言うので、私も翌朝行きつけのスーパーに行ってみましたが、長い行列ができていて、簡単には店内に入れそうもありませんでした。

 聞くところによると、計画停電や工場の被災によって、パンは多少出荷が鈍っているものの、米もペーパーもちゃんと流通しているとのことです。でも店頭からは消えてしまったのです。

 被災地ではないのに、消費者の中に異様な不安感が生まれてしまい、みんなが買いだめをしているのです。自転車のかごにキャベツを4つも5つも乗せているおばさん。とんかつ屋さんでも営んでいるのでしょうか、普通の家庭だったらこんなたくさんのキャベツはとても食べきれないでしょうに。


     長閑さの消えて哀しき人の列   弁人



 ところで、この日、初めての計画停電がありました。朝7時前にふとんから出てパソコンの前に陣取りましたが、その数分前から停電に入っていました。もちろん明るくなっていましたが、外は異様な静けさが漂っていました。停電を知らせる市役所の広報の声が拡声器から響いてきます。
 実は、運転免許の更新で警察に行く予定だったのですが、停電解除までは手続きができないということで、ラジオのイヤホンを耳に、ふとんの中に潜ってじっとしていました。

 我が家の地域の停電グループ、今日16日は18時過ぎから22時ごろまでとなっています。昼間なら窓辺で本を読むこともできますが、今日の時間帯は無理です。それまでに夕飯を済まして、真っ暗の中ふとんの中でラジオを聞いているくらいしか過ごしようがありません。
 たしかに、いちばん電力が消費される時間帯ということで節電効果は満点でしょうが、停電は昼間の明るい時間帯だけにできないのかと愚痴の一つも言いたくなります。
 「被災地のことを考えたら」文句は言えませんが、しばらくは、このことばが金科玉条のごとく日本の社会を覆いそうな感じがします。

 私が帰って来た一昨日の混乱は、計画停電の知らせに、企業も商店も鉄道事業者も、そして一般の人たちも右往左往した結果だったようです。
 原発の対応を見れば一目瞭然。電力会社のお偉いさん方に、きちんとした計画と現実的な対応を求めるのは、所詮無理な相談ということなのでしょう。

 ところで、電車で一駅の鎌倉は停電グループが別です。そう、鎌倉の居酒屋か焼鳥屋さんで時間を潰すというのが最高なのですが、電車に乗れたとしても、お店が開いていないかもしれないし、開いていてもいっぱいかもしれません。「被災地のことを考え」たら、やはり不謹慎な発想なのかもしれませんね。


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東日本が壊滅しそうになった日、明石にて

2011-03-14 05:45:31 | 身辺雑記
3月14日(火)


  
 動画は、東北で大震災の起きた11日(金)の夕方。普段どおりに保育園から帰る時のKAZU君です。春三月とはとても思えない冷え込んだ夕方でした。

 この日は明け方に小雪がちらつき、いったい、いつになったら春らしい日が来るのだろうと首をすぼめていたのですが、「三月中旬に入ってのこの寒さ。ほんま、堪忍しておくれやす」という声がラジオから流れて来て思わず苦笑。

 ちょうど「そろそろブログを更新しないと」と思っていたところだったので、そうか、今日の記事は「寒い春、堪忍しておくれやす」という題にしようと決め、明石の町へ買物に出ました。

 なんか、駅付近の雰囲気が少し賑やかに見えました。「そうだ、野球だ」とふと気がつきました。実は、明石球場で楽天-ロッテのオープン戦があったのです。一週間ほど前までは、天気がよかったら行ってみようかと思っていたのに、寒い日が続いている間にすっかり忘れてしまっていました。

  
 試合開始は13時。あんまり寒いけど、投げるのが岩隈かマー君だったら途中まで見てみようかと球場に行ってみましたが、二人とも今日の登板はないようなので帰りました。
 (なお、この試合は地震の報が入った後、打ち切りになったということです。楽天は仙台ですから当然ですね)

 ところで、野球を観ないのなら、今日もう一回チャレンジしてみようかと急に思い立って、月曜日に予定していたはずなのに、魚の棚でイカナゴを手に入れて、午後はラジオを聞きながら「くぎ煮」を炊いていました。

 2時半過ぎ、ラジオで「スタジオが揺れています。地震のようです。リスナーの皆さん、慌てずに今後の情報を待ってください」というアナウンスがありました。
 私は全く感じませんでした。吊り下げてある明珍火箸も動いていません。

 それから間もなく、仕事で北九州にいるという長男から電話があって、「お母さん、今日は逗子に帰っているんだよね。東日本の方でかなり大きな地震があったらしいから、連絡しているんだけど、全く通じないんだ」とのこと。
 こちらはいい気なもんです。「わかった。いまイカナゴを火にかけていて手が離せないので、あとで連絡してみる」と返答しておいて、しばらくしてからテレビをつけてびっくり。

 さっそく携帯を手にしましたが、長男の言ったとおり電話はまったく通じません。メールにしてみようかと思っていると、妻君から先にメールが来てしまいました。
「まだ揺れている。電気、ガス、電話ダメ。津波警報発令中。とりあえずの食料は確保。テレビが映らないのでニュースを見ていてほしい」とのこと。

 現場にいる人間の逼迫した感じは伝わってくるものの、遠く離れた平穏なところにいると「そんなんなってんのか」と改めて気を引き締めた次第。


    東国の寒さ背筋に貫けり   弁人


 テレビに「瀬戸内海に津波注意報。神戸、姫路、第一波の到達は17時10分頃。高さ50cm」のテロップ。
 津波は第二波第三波と次第に大きくなります。50cmというのは大したことがないようですが、たしか数年前の宮城の地震でも、50cmの予報で、女川の魚市場に水が流れ込んで来るのを映像で見たことがあります。保育園は海のそばで海抜が低そう。
 そう、KAZU君のお迎えには、毎日17時15分に出て、保育園に17時25分着というのが日課なのです。

 テレビを見ているうちに、どんどん不安になってきたので、少し早めに迎えに行ってみたのですが、保育園の雰囲気は全く無事平穏の空気。KAZU君も冒頭の動画のとおり、「えびすさま、おさかな、持っとるで」と話しかけてきて、なかなか車に乗ってくれませんでした。


    瀬戸内は寒い寒いの愚痴ばかり   弁人


 こちらでは、16年前の震災の話題も飛び交っておりますが、その時も部外者であった私は、またまた少しうしろめたい気分になってしまうのでした。

 一晩中、情報もなく暖もとれずに布団にくるまっていたという妻君。昨夜は、余震でまるで乗り物酔い状態だと言っておりまして、さすがに申し訳ない気分に。
 ということで、これから逗子へ向かうことにしました。

 「遅いか、やっぱり」

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11.3.11「天からの最悪の試練」

2011-03-13 15:21:18 | 身辺雑記
3月13日(日)

 歴史の中に、新たな「震災忌」が刻まれてしまいました。

 つらいですね。ことばがありません。


 何事もなかったかのような平穏な地にいて、ただただ唖然としてニュースを見入っているのみです。
 そんな自分に少し後ろめたさを感じつつ、明日とりあえず逗子に帰ることにしました。


   戦慄が寒気の中に居座りて   弁人


 気になること

 先日のニュージーランドの地震の時も言われましたが、「発生後72時間」が救出の目安とか。
 ここまでずっと天気に恵まれているのに、まだ孤立している人がたくさんとの報。
 残された時間に、せめてこのまま雨が降らずに今の天気が続いてほしいと願うばかり。

 最近「クリーンエネルギー」という好感の持てる響きによって、何の疑問を持たなくなりつつある「原発」の恐ろしさ。
 新たなる被曝者が生まれる不安がぬぐいきれません。いまさら「原発」を否定できるという状況ではないとしても、我が国には、どんな事態になっても安全を保つという使命があるはずなのですから。

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待ちわびた春-「イカナゴのくぎ煮」

2011-03-08 11:35:56 | 明石風物
3月8日(火)

 「イカナゴのくぎ煮」、今年も作ってみました。

  ちょっとゴマをかけ過ぎたかな
  


 例年より海水温が低く生育も遅いということで解禁が遅れた「イカナゴ漁」。春の風物詩ですから、魚屋に「イカナゴの新子」が並び出すと、さすがに、おちおちとしてはいられません。

 春の風物詩と言いましたが、ある時期が来ると、その土地の人が一斉に買い求めて競うように作るという慣習。昔は、お彼岸のおはぎやぼた餅を家で作ったり、ひと冬分の白菜を家族総出で漬けたりしましたが、それを近所の人と交換し合ったり離れている家族や親類に送ったりする「イカナゴのくぎ煮」。兵庫県の南部に残るこういう風習は全国的にも珍しいのではないでしょうか。
 そういう雰囲気を味わえる明石の暮らし。なんとも心温まる気分になります。


 解禁から三日目の土曜日。「今日作ってみようかな」という気分で、漁の具合を見に、6時前に海岸に出てみました。

  やってる、やってる
  

  6時25分。朝日が上ってきました
  

  11時、魚の棚。キロ900円
    
 毎日、値が動きます。水揚げと入荷のタイミングがあるのでしょうか、同じ商店街なのに店によっても値が違います。
 解禁日はキロ1100円から1300円でしたが、二日目は700円から900円。私が本番の日にした三日目は800円から1000円という具合です。
 店を決めて購入する人もいるのでしょう、安い店が人気かというと、そうでもないのです。私は900円という真ん中の値段で並べていた昨年と同じ店にして、今回は釜揚げに500gとKAZU君用の分500gを足して2キロ買いました。

 キロ1000円を切っているということは、今年はきっと豊漁なのでしょう。ちなみに去年はキロ1000円で買いました。不漁だった一昨年はどこの店も行列ができていましたが、キロ2000~2800円もしていました。あの時「今年はやめようかな」とつぶやいていたおばさんの気持ち、今さらながらよくわかるような気もします。

  まずは、冷水で洗って
  

 これはイワシの稚魚じゃないかと思うような6~7㎝のが少し交じっていますが、全体的に3㎝くらいで、まだ小粒の新子です。
 小さい新子はくっつきやすく、きれいに炊き上げるのは難しいのです。でも、もしうまく行けば、見た目も上品な高級感のある「くぎ煮」になります。

  ということで、気合十分で臨んだのですが
  
 一度に炊く量と鍋の大きさが合わなかったのか、少し吹きこぼれてしまいました。


   イカナゴを炊きて気合いは寒払ひ  弁人


  生姜を少なめにしたKAZU君用
  


   潮風に負けじとくぎ煮の香り立ち  弁人


 やはり難しかった。釜揚げもくぎ煮も柔らかすぎて、少し団子状になっているところもありました。
 ちょっと悔しくて、夜中に目が覚めてしまって寝つかれず、再挑戦に向けてレシピを確認しているうちに、油断大敵、風邪を引き込んでしまい、日曜日から寝込んでしまいました。「失敗!」などと呟いていたのが、キッチンに置いてある「くぎ煮」に聞こえてしまった祟りかもしれませんね。

 それにしても、なかなか暖かくなってくれません。暖かくなれば、イカナゴの新子は日ごとに大きくなります。やっぱり、無難な大きさになった新子でもう一度炊いてみようかなという気分です。

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雪の降る桃の節句になりました

2011-03-04 09:02:46 | 身辺雑記
3月4日(金)

 保育園の河津桜のつぼみはなかなか開いてくれませんが、桃の花は先月末からきれいに咲いています。

  「今日は花の写真を」と言うと、KAZU君もカメラの前に
  

 昨日は3月3日の雛祭り。KAZU君は男の子ですが、桃の節句はいかにも春らしい華やかな感じで、気分も明るくなってきます。それに、今年はイカナゴ漁の解禁日ということで、朝起きると海峡に小さな漁船がいっぱい。
 
   

 ところが、昨日は冬型の気圧配置に戻り真冬のような冷え込み、朝方は日差しが窓から差し込んでいたのですが、次第に薄暗い雲にどんどん覆われて、魚の棚の魚屋に、今年のイカナゴはどんな具合だろうかと様子を見に向かう時は冷たい雪に見舞われてしまいました。
  
    

 雪は午後には止んでくれましたが、明石の最高気温は4度。スーパーにはちらしの祭り寿司がたくさん並んでいましたが、お雛さま、桃の花を前にしてお寿司をいただくにはちょっと寒すぎる日となりました。


     マフラーにくるまる桃の節句かな   弁人


 それでも保育園からの帰り道。日が暮れかかった頃のケーキ屋さんは大賑わい。KAZU君も「お母さん、お姉ちゃん、いっぱいおるね」と言って、気になったもようですが、「今日は女の子のお祭りの日だよ」と言うと、「カークン、ラーメンたべたい。おいしかった」ということばが返って来て、思わず笑ってしまいました。


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少しウキウキの「弥生三月」

2011-03-02 16:33:47 | 身辺雑記
3月2日(水)

 初代ローマ皇帝アウグストゥスが8月を大の月(31日の月)にしてしまったために、28ヶ日になってしまったという2月。やはりあっという間に過ぎて行きました。3月は曜日が同じこともあって、カレンダーを変えるのも忘れそうになっていましたが、気がつけば、もう「弥生三月」です。

 昨日一昨日と、二日間雨模様でしたが、今日は冬型の気圧配置となって気温こそ低いものの、窓から陽光が差し込んでくれました。

  多少雲があるものの、今日は視界良好
  

 3月になったのに、イカナゴ漁の船が全く見えません。今年は梅の花の咲き具合も一週間以上遅いそうで、やはりこの冬は例年よりかなり寒かったということでしょうか。

 明石で三回目の春を迎えました。今年もいよいよイカナゴのくぎ煮の季節です。数日前から、KAZU君がどんな顔をして口にしてくれるかと想像して、ワクワクした気分になっているのですが。

 そのイカナゴ漁、情報では今年の解禁日が明日の3日になったということです。

 10日ほど前の試験操業を受けて開かれる予定だった「解禁日決定会議」が、例年より海水温が低く、生育が遅れているということで流会になったというニュースを先日耳にしました。去年の播磨灘側の解禁日が月曜日(平日)だったので、おそらく今年は、ほぼ一週間遅れの来週の月曜日くらいかと思っていたのですが、7日の月曜日は仏滅、漁業関係ですから縁起も担ぐのでしょう、大安の日が選ばれました。

 縁起を担ぐと言いましたが、実は2008年の解禁日が仏滅の日だったようです。ところが、3月5日に明石海峡でタンカーの衝突事故が発生し、原油流出の影響でイカナゴ漁が大打撃を受けてしまったのです。二、三年前にそんなことがあれば、日を選ぶのも当たり前かもしれません。
 今年は8日も大安なのですが、漁師もくぎ煮を作るのを楽しみにしている人も、さすがに8日までは待てないという気持ちだったのに違いありません。
 生育は遅いといっても、産卵状況はとても良好で豊漁が期待できるということです。なんとしても、3~4センチ位の小さめの時に炊きあげたいので、今週末にでもチャレンジすることになるかもしれません。


   雛の日に漕ぎ出づるとや白子船   弁人


 ところで、

  保育園の庭の、やっとつぼみが開きかけた「河津桜」
  
 やっぱり遅いですよね。去年は3月の初めには満開に近かったのですから。

  2月25日(金)の段階。「いつ咲くのかなぁ」
  


   かたくなに弥生のけはひを花も待ち   弁人

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