チムどんどん「明石通信」&「その後」

初孫との明石暮らしを発信してきましたが、孫の海外移住を機に七年で区切りに。現在は逗子に戻って「その後」編のブログです

連日の雨で、逗子の家に籠もったままに

2013-10-26 14:55:09 | 身辺雑記
10月26日(土)

 こんなに台風の多い年も珍しいですね。

 先週の土曜日、KAZU君の運動会が雨で流れて、後ろ髪を引かれながら逗子に帰って来てから、とうとう一回も青空に出会わないまま一週間が経ち、先ほどようやく雨が上がりました。今夜は日本シリーズの第一戦、仙台の空はどうなのでしょうか。

 KAZU君の運動会は、火曜日に無事行われたとのことで、
「カーくん、リレーで走った時、130キロだったで」
という元気な声が聞こえて来ました。

 妻君が撮って来た写真には、
  リレーのがありませんでしたが、
   
     
 実はKAZU君、最近、一緒に歩いていると、突然走り出して、「新快速より速かったやろ」などと言うのです。
 新快速は120キロくらいで、普通電車は80キロくらい、電車は人よりずっと速いから、カーくんがどんなに早く走っても10キロくらいだと説明しても、「今のは100キロくらいやったろ」と譲りません。
 仕方なく、金曜日に、「リレーで走る時はな、普通電車くらい、80キロくらいくらいでいいんやで」と言い含めておいたのですが、「130キロ!」と元気よく言うところをみると、たぶん満足の行く走りができたのでしょう。


 さて、明石から帰った土曜日は、30才代の頃出会った野球部の連中が母校のグランドに四半世紀ぶりに集まって、野球を楽しんだのです。

 もう、みんな40代で、
  当時の私より年上になっています
  

 私は運動会の予定だったので、グランドには行けませんでしたが、懐かしい顔にどうしても会いたくて、横須賀へ直行し、

 夜は、
  楽しいひとときを過ごしました
  


 そして、KAZU君の運動会の行われた火曜日は、退院後初の通院日だったのですが、新しい薬に身体が馴染めなくて、ずっと鬱陶しい体調。それに輪をかけるかのように、すっきりしない空模様も重なって、外に出るのはゴミを出す時くらい、ずっと部屋に閉じ籠もったままでした。きっと、こんな毎日を送っていると、あっという間に冬になってしまうのでしょう。

 そんな状態で、窓の外の雨音を聴きながら、

 こんな、抜けるような秋空を
  思い出しています
    
 鬼瓦もなかなか立派でした。

 先週の半ばに行ってみた、明石のちょっと北、神戸市西区にある宇留春日神社です。

 町外れの森の中にある
  拝殿と本殿
  
     

 額には、たぶん
  「春日社」と書いてあるのでしょう
    

 言い伝えでは、神武東征の折、一行が明石川を船で上り、この地に一人の皇子を残し稲作を始めさせ、天皇は大和へ向かった。以来ここを「宇留の宮」と称し、その後神様を祀っていたが、祭神が春日大社と同じであったので、「春日神社」となったということです。
 そんな謂われがあって、この地の人は、奈良の春日大社の本宮であると言い伝えているとか。


   雨音を耳にし恋ふる秋の空   弁人


 さてさて、少しずつ新しい薬に身体が順応してきたのか、毎日お昼過ぎまで続くムカムカした嘔吐感も、今日はそんなでもなく、楽になってきた感じです。

 明日あたりからは青空も戻って来そうな気配です。早く体調を戻して、明石へ戻る仕度をしなくては・・・


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秋の好日、加西市北条町を歩く

2013-10-21 18:09:54 | お出かけ・散策
10月21日(月)

 19日土曜日は、楽しみにしていたKAZU君の運動会でしたが、残念ながら、朝方、肌寒い小雨に見舞われて、翌日曜日に順延となりました。
 でも、日曜日の天気予報はもっと悪くて、どうも、平日の22日にずれ込みそうな気配なのです。

 実際そうなってしまったのですが、22日の火曜日は、退院後初めての通院日になっていて、私は明石にはいられません。
 もう一つ、ちょうど土曜日の晩は、かつての野球部の懐かしい面々の集まりがあり、もともと、KAZU君のあっぱれな姿を見た後すぐに横須賀へ直行することにしていたので、仕方なく、孫の雄姿は明石に来ていた妻君に託して、予定通り新幹線に乗り込みました。

 そんなわけで、なんとも残念な週末の空模様だったのですが、今日は、週末に天気が崩れる前、秋空に誘われて、明石に来ていた妻君と、明石の北の加西市北条町へ出かけた話題です。

「明日は、秋の花でも観にフラワーセンターにでも行ってみようか」
「それはいいね、どこにあるの?」

 兵庫の県立フラワーセンターは、明石から北へ車で1時間程、小野市の北西の加西市にあります。

 前日に、兵庫県の地図を眺めていた妻君と
「近くに、五百羅漢って書いてあるけど、行ったことある?」
「その辺は、フラワーセンターしか行ったことがないけど、加西市の中心の北条町って、けっこう歴史のある町みたいで、古墳の公園とかもあるらしいんだ。時間があったら寄ってみようか、交通の便が悪いんだけど、車なのだから、少し早く出れば全部行けるかもしれない」
というやりとりをしました。

 実は、神戸電鉄の鈴蘭台から支線に乗り換えるか、JR加古川線で北上すると、粟生(あお)という駅があります。そこから北条鉄道という路線に乗ると、その終点が北条なのですが、どういうルートを辿っても、本数の少ない列車を乗り換えて行くわけで、どうしても車でということになります。

 まずは「五百羅漢」へ。
  天台宗の羅漢寺です
  

 境内の奥に、大きいので1メートルほど、
  たくさんの石仏が並んでいます
  
   

 「像の作り方は稚拙」と案内にもありましたが、その素朴さが長閑な町の空気と一体となって、なかなかの雰囲気です。一つひとつの顔に微妙な違いがあって、「この顔は誰それに似ている」などと、いろいろな人の顔を思い出しながら歩くのも一興というところでしょうか。


   秋澄みて哀しき笑顔と睨めっこ  弁人


 車に戻る時に、お寺の前の案内図を見ると、次の目的地の玉丘古墳公園は、駅をはさんだ南東の反対側にあるのですが、その途中に、丸山総合公園という丘陵の緑地があって、その丘の頂上に巨大な地球儀があるということでした。

 ちょっと寄ってみました。
  あった、あった
  

 土台のところにギネスの認定証が飾ってあって、世界一大きな「地球儀時計」ということでした。どこが時計なの?と思い、案内を読んでみると、見ているだけではわからないのですが、この地球儀、24時間で一回転していて、たぶん子午線の位置で時間がわかるようになっているのだと思います。
 加西市は東経135度より少し西に位置していますが、兵庫のこの地域にこんな大きな地球儀があるのは、やはり標準時子午線の近くということなのかもしれません。

 地球儀も立派ですが、
  加西市内360度の展望もすばらしい
  

 さて、次は、大きな前方後円墳のある玉丘史跡公園です。

 正面の右側に
  大きな古墳があって、
  

 入口の近くには、
  円墳がきれいに整備されています
  

 上の写真右側の大きなほうは前方後円墳なのですが、公園内の遊歩道からはこんもりとした緑の丘に見えるだけで、形は上空から見ないとよくわかりません。
 この古墳、播磨風土記に出てくる「根日女」という女性のお墓と言い伝えられているので、そのお話を簡単に。

--- 政権争いで雄略天皇に殺された市辺王の息子二人。後にこの兄弟は、顕宗天皇と仁賢天皇になるのですが、この二人がこの地に隠れ住んでいた時に、国造の娘の根日女と出会います。二人とも根日女に恋心を芽生えさせますが、仲の良かった兄弟は互いに譲り合い、どちらとも結婚しないまま都に帰ることとなります。やがて、根日女がここ播磨の地で息を引き取ったことを知った二人は嘆き悲しみ、彼女のために墓を築き手厚く葬った---
 というお話。

   いにしへを思ひて鳴くや百舌の声  弁人


 気がつけば、もうお昼。レストランのあるフラワーセンターへ急ぎました。

 6月末の記事でも載せましたが、
  西洋式庭園です
  

  この時期のメインは「ダリア」でした
 
   
  
  

 あと、バラ園の花も
  とても鮮やかでした
  
   


   濃く深く鮮やかに咲けこの秋は  弁人


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カープ、虎を撃破し、そのまま東征す

2013-10-14 21:11:55 | スポーツ観戦等
10月14日(月)

 セリーグ、クライマックスシリーズのファーストステージ。やりました、カープ。甲子園で二連勝です。

 タイガースの打線がちょっと元気なくて助かった感じもしますが、カープは、マエケン、バリントンの先発が好投、中継ぎと抑えも無難に投げ、さらに、打線もここぞという時に見事につないで文句なしの二試合でした。

 ところで、CSファーストステージの会場、カープが2位になるのは至難でしたが、いちおう甲子園に決まるのが遅かったので、チケットの発売は三日前の9日の水曜日になりました。
 10時発売開始ということで、10分前にはパソコンの前に陣取り、万全の態勢で時報とともにクリックを開始。しかし予想通りの大苦戦。
 本当は二日目日曜日の、それも虎キチの中に埋もれないレフト外野席のチケットをゲットしたかったのですが、またたく間に10分15分と時間が経って、「チケット有」の席がどんどん少なくなって行くのです。溜め息をつきながら半ばあきらめかけた時に、第一戦のネット裏の席にアクセスできました。一枚取れてホッとしてさらにクリックを続けていると、第三戦の三塁側のけっこういい席も手に入りました。

 ということで、前日の金曜日に明石に戻ったのですが、

 明石に戻ってみると、関西のメディアから流れてくる声のほとんだが「第一戦のマエケンは打てないだろう」とか、「はたして追い詰められてから二連勝できるだろうか」とか、「ジャイアンツにはカープのほうが太刀打ちできるのではないか」とか、始まる前から少々情けない発言ばかりなのです。
 ここへ来て、虎キチもずいぶん弱気になっていて、「関西って、熱狂的な反面、なかなか臨機応変、冷ややかになってしまう面もあるんだな」と思いました。

 そうはいっても、やはり甲子園。外野の一角以外は黄色に染まっているだろうと甲子園へ向かってみると、あにはからんや。

 たしかに、チケットは発売と同時に
  完売したようでしたが、
  

 テレビで見ましたか、
  左半分ほとんどがカープファン
  

 私の席はネット裏といっても、一塁寄りのいちばん端でしたから、3塁側からレフトのスタンドが正面で、真っ赤に染まったその光景に、思わず目を丸くしてしまいました。

 翌日の新聞、
 「聖地が赤く染められた!!」の記事
  

 私の右側はタイガースファンで
  埋め尽くされていましたが、
  

 はたして、甲子園のタイガース戦で、観衆がほぼ半々に近い色分けになることなんて今までにあったのでしょうか。

 翌日の新聞で、かつてのタイガースの名選手がこんなコメントを載せていました。
「昔の巨人戦もこんな雰囲気で、異様な緊張感に包まれたが、今の選手は、こういう雰囲気の甲子園を知らないので、まるでビジターのような感じじゃなかったのかな」

 相手がもし本当にそう思ったとしたら、カープの選手にとって、この大声援がどれだけの励みと勇気を与えたかは想像に難くないところです。

 高卒ルーキーの藤浪クン、ストレートの伸びもあって、よく投げていたんですが、やはり荷が重すぎたのか、勝負どころで3ラン本塁打を浴びてしまい、あとはカープの押せ押せの展開。

 終わってみれば、
  カープの一方勝ち
  

 やはり、今年の虎キチの方々は少々冷めていたようで、一つ負けた段階でしたが、
「巨人に勝てるのはカープだけや。明日もがんばって、ぜったい巨人やっつけってくれや。たのんまっせ」
というようなことを、笑顔でカープファンに声をかける人が何人もおりました。

 その声に応えるべく、第2戦も快勝し、三戦目のチケットは払い戻しとなってしまいましたが、タイガース、初戦で意表をついた投手起用をした結果、エースの能見投手をマウンドに送ることなく敗退してしまいました。聞かずとも、ファンの嘆き節が耳に入ってくるような気がします。

 今日の虎キチのラジオ、早くも来年のことを心配し、「生き返るドラゴンズ、故障者復帰のヤクルト、盛り上がってきたDeNA・・・、来年は苦しいかも・・・」と、心配性というより、自虐的な雰囲気が漂うコメントまで出て来る始末です。


   思秋期の虎を尾びれではね返し  弁人


 それはさておき、勢いに乗るカープ軍団、次のG倒に向けて東京ドームに向けて東上して行きました。
 三つ負ける前に四つ勝たなければ、日本シリーズで広島には戻れませんが、ジャイアンツは横綱で、白鵬くらい強いのですから、なかなか難しいかもしれません。
 まあ、カープの今の勢いには敬意を表するものの、振り返れば、シーズン成績5割に満たなかったどころか、せめて届いてもらいたかった70勝にも一つ足りませんでしたので、あとはあまり欲張らず、気楽に応援させてもらうことにします。

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実は、一週間ほど入院していました

2013-10-09 16:55:04 | 身辺雑記
10月9日(水)

 1994年以来、人生二回目の病院食の日々を送りました。途中一日外泊日がありまして、家でビールを少々飲みましたが、おかげさまで、一週間余りアルコールを断って、健康的な日々と言えるのでしょうか、味気ないカロリー制限食のおかげもあって、1.5キロの減量となりました。

 入院したのは、
  すばらしく立派できれいな病院
  

 大船のフラワセンターのそばにある
  湘南鎌倉病院です
  

 だいぶ前、50才を越えたくらいからでしょうか、血圧が高めで気になり、毎朝血圧を計るのが習慣となっていました。

 それが、お医者さんにかかることになったきっかけは、三年前の初冬、背中が痛痒くて、明石の、とある皮膚科に受診したことでした。

 診察の結果、皮膚には異常がなく、「血圧が高かったりはしませんか、そんなことも原因になるんですよ」という指摘を受けて、住まいの近くの循環器科を紹介されたのです。

 そのクリニックの先生曰く、
「血圧は薬で下げられますが、血液検査の結果、やはり糖尿のほうが心配です」
ということになったのです。

 そこでですが、「ヘモグロビンA1c」という値をご存知でしょうか。これがなかなかの曲者なんです。

 簡単に言うと、血液中のブドウ糖とヘモグロビンが結合したものの量の割合ということで、食事等によって随時変動する血糖値に対して、「H.A1c」は過去二ヶ月程の平均の値が出て来るのです。これが6%くらいなら問題ないのですが、私の場合、7%後半から9%近くを行き来していて、これをもって「糖尿病」と判定されてしまうのです。

 そんなわけで、二年程前から、月一回の血液検査、さらに毎朝の空腹時血糖値の測定と就寝前のインシュリン投与が課せられてきました。

 ところが、昨年、母の看病でしばらく明石に帰れず、逗子のかかりつけの先生に当座の薬を出してもらうことがあったのです。その時から、やっぱり私の身体のことをよく知っているお医者さんのほうが良いのではないかと思うようになって、この夏から逗子のクリニックに変えたのでした。

 もちろん、明石のお医者さんもとても親身に診てくださっていたのですが、逗子のお医者さんは、特に慎重かつ丁寧な先生で、「一度ちゃんとした大きな病院で詳細に検査をして、その結果を見て投薬等の方針を決めましょう」と、入院を勧められたのです。

 誰だって入院なんかしたくないし、この病いは血糖値が高いということだけで、特に自覚症状はなく、ごく普通に生活しているわけですから、初めは少々ためらったのですが、自分の意思で病院を変えた以上は仕方ありません。

 まあ、放っておくと、血管の老化から来る、さまざまな合併症の引き金になるというわけで、妻君と離れて明石にいる時に、何かあったら大変という気持ちもありました。

 1994年に初めて入院を経験した時は、「まだ死にたくない。あと15年、60才くらいまでは生きていたい」と思ったのですが、あれからもう20年近くになりました。

 振り返ってみれば、ずいぶん気ままに生きて来たんだし、それに、お墓も作ってあるんだからと、心の中に「どこかで、ポックリ行くんならそれでもいい」という気持ちがないわけではないのですが。

 この夏に、KAZU君とこんな会話がありまして、

「カーくんなぁ、早くおじいちゃんみたいに大きくなりたいねん」
「そうか、その時までおじいちゃんおるかなぁ」
「おじいちゃん、おらんようになったらイヤや。どこに行っちゃんや」
「あのな、カーくんは今5歳やろ。カーくんが20歳くらいになるとな、お父さんやおじいちゃんくらいの背になるんやけどな、そのあとカーくんがお父さんになるとな、お父さんとお母さんはおじいちゃんとおばあちゃんになってな、その頃にはおじいちゃんはもうおらんでな、天国へ行っちゃうんや」
「大丈夫や。おじいちゃんが天国へ行く時はな、カーくんが助けてあげるからな、おじいちゃんがこうして寝とるやろ、そしたらな、カーくんがこうして起こしてあげるんやで」

 「人が死ぬ」ということについて、どこまでの認識があるのか、どうもまだ十分には理解していないように見えるのですが、こんなやりとりがあると、やっぱり、もう少しこの子が大きくなるまで生きていたいという気分になってきます。


 そんなわけで入院した湘南鎌倉病院。かつてはモノレールの脇にあったのを、今の所に新しく建て替えた病院で、まあきれいなこと。私の病棟は15階建ての13階だったので眺望も抜群なのです。

 晴れていれば、丹沢、富士山、
  箱根連山が目の前なのですが
  
 あいにく、入院中はずっと天気が悪く、期待した眺望は現れず、

 仕方なく、眼下を走る
  東海道線を眺めたりしていました
  


   病棟の窓に描きたし秋の富士   弁人


 ところで、病室は差額ベット代のいちばん安い個室に入ることにしていたのですが、最初は予定されていた部屋がふさがっていて、なんと特別室に三泊もしてしまいました。

 一流ホテル並みの
  広さと豪華さ
  

 「こりゃぁ、リゾート気分やな」と思いましたが、病院なので当たり前、入れ代わり立ち代わり、回診やら検査やらで先生や看護士がやって来ます。夜中も懐中電灯の明かりが部屋の中に射して来たり、やがて目覚めた後には、一日1800キロカロリーに抑えられた超薄味の病院食が運ばれてきて、思わず溜息をついてしまう日々。

 そして、六日目にしてやっと訪れた外泊日。前日から逗子の家にお泊まりしていたKANA君がパパとママと一緒にお迎えに来てくれました。

 「まだ人見知りするかなぁ」
  

 屈託のない笑顔。
  あと二日間を乗り切る気力をもらった気分です
  

 そんなこともあって、やっと退院日になりました。台風の余波でしょうか、湿った南風で夏のような蒸し暑さの中、我が家に帰って来た次第です。

 退院後の次の通院日は二週間後です。その前の来週土曜日の19日にはKAZU君の運動会があります。もう一つ、今週末からの三連休にあるクライマックスシリーズ、甲子園のチケットもなんとか手に入りました。ゆっくりなんぞはしていられないのです。早く明石に戻る仕度をしなければ。


   我が背中押すがごとくに野分風   弁人

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「子午線のまち」ならではのセミナーに

2013-10-02 20:02:26 | 明石風物
10月2日(水)

 ちょいと説明し難い野暮用がありまして、先週末、逗子に帰りました。今日は帰る直前にあった明石での話題です。

 保育園のある稲爪神社の入口に
  こんな掲示がありました
   

 8月の半ばには貼り出されていて、9月27日は、なんとしても明石にいなければと楽しみにしていたのです。

 もっとも、天文科学館の井上先生には、明石に来て以来、何回か質問に応じていただいたり、去年一昨年と、シルバー天文大学でいろいろなお話を聞かせていただいているので、「子午線の話」なら、既にお聞きしていることも多いかもしれないという気持ちもありました。
 でも、この夏に通院先を逗子の病院に変えて以来、逗子に帰っている時間が多く、今年はシルバー天文大学の受講も諦めていたので、このセミナーにはどうしても参加しておきたいと思っていました。

 場所は保育園の玄関のすぐ横にある稲爪神社の社務所です。実は、保育園に通い出してから、もう5年にもなるのに、一度も社務所に上がる機会がなかったので、それも楽しみでした。

 始まりました。平日の昼間、
  参加者はもちろん高齢者ばかりです
  

 初めて参加した「明石かいきょう塾」。参加者は50人弱でしょうか。和室ということもあって、お年寄りの寄り合いという雰囲気で和気あいあい。次回からも明石にいれば参加してみたくなりました。


   子午線のまちの歴史や秋の昼   弁人


 配布された資料は小学生用に作られたもので、初めに「十二支の図」、続いて「子午線の意味」、「子午線が通るまちの一覧」と、一見して、今日の話は知っていることがほとんどではと思いましたが、始まって見ると予想に反して、

 「世界標準時子午線の決定をめぐる、グリニッジ天文台とパリ天文台の確執」
 「それにまつわるイギリスとフランスとの間にあるエピソード」
 「たまたま日本標準時子午線の通る市となった明石市民への啓蒙活動の歴史」
 「測量技術の進歩の中で、子午線の位置の訂正の紆余曲折」
など、明石の近代史を知る上で欠かせない、それも興味ある楽しい話ばかりでした。

 そして、途中しばし休憩の後、もう一つ興味深い話が聞けました。

 それは、日本で初めて日本列島の正確な地図を作った伊能忠敬の話です。

 彼の生い立ちから人となり、そして、明石を通る子午線が日本標準時の基準となるということは知る由もない、その100年前の文化年間に行われた測量の旅で明石に滞在した時のエピソードでした。
 彼が歩いた跡の記録と地図から窺える当時の旧街道の状況、彼が測量と天文観察をした場所など、今何気なく歩いている道端に残る彼の足跡。

 またカメラを持って散策する楽しみができました。

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