4月3日(木)
先週末、春風の中をひとっ走り、車で逗子に帰って来ました。といっても、高速道路は夜間に走ると料金が半額になるので、明石を夜中に出ました。
途中、未明の浜松で小一時間ほど仮眠して、
朝6時半、富士の見える
新東名の清水パーキング
新東名は蛇行が少なくて走りやすいのですが、東名高速よりも山あいを通っているので、トンネルも多く、富士山が見えそうなのに、この辺りまで来ないと、なかなか視界に入ってきてくれません。
鮎沢パーキングで、墨絵のような富士を見ながら
最後の休憩
まったくもって、御殿場・大井松田・厚木くらいまではスイスイと走って来られるのですが、ここから逗子までがちょいと時間がかかります。
横浜インターまで行って、保土ヶ谷バイパスから横横道路を南下するのがいちばんスムーズなのですが、この日もまた、「横浜出口5キロ渋滞」「保土ヶ谷バイパス事故渋滞」ということで、あとわずかなのにと、かなり気が滅入ってしまいました。
まず浮かぶのは、厚木から一般道で藤沢市内を抜ける案。でも藤沢市内を通るなら、さっさと海に出ちゃったほうが簡単と、毎度毎度同じ選択肢なのに、同じように迷ってしまうのです。
東名高速を大井松田までにして国府津へ下りる気にはならなかったのに、結局、秦野中井で出て、二宮へ下りて行くという、大して変わらない選択をしたあげく、恐れていたとおり大磯・平塚で手間どって、今回も最後の数十キロで時間を費やすということになりました。
海老名からの圏央道が、戸塚を抜けて横横道路につながれば、もう小一時間ほど短縮できるのですが、開通にはまだ10年以上かかるらしく、それまで生きていても、もう免許証を返上した後になりそうです。
さて、今回、逗子に帰って来た目的は二つ。
もちろん一つはお花見です。二人目の孫のKANA君とのお約束もしてあります。ただそのプランが5日まで組めなくて、当日の陽気も心配ですが、その日を待っているうちに、桜満開の報は入って来るし、その上雨は降るは風も吹くはで、気が気ではありません。
まったく、春の時間というのは気が急いて、慌ただしい限りです。
春雨や天気図にらむ花見前 弁人
そして、もう一つの片づけごと。それは新しいパソコンの設定で、今日で4日目の悪戦苦闘となっています。まあ、どうやらこの記事も入力できる状態になったので、一応のメドはついたのですが。
というわけで、今日は「パソコンについてのぼやき」というか、機械オンチの嘆き節をつぶやかせていただこうかと・・・。
就職して国語の教師になったのは1972年でした。印刷物はガリ版の時代。やがて印刷機も進歩して、80年代に入ると「リソグラフ」なるものが登場、手書きの原稿がそのまま印刷できるようになりました。
そして、ワープロの登場です。英語の先生はもともとタイプライターに慣れていたし、社会科も教材は横書きでしたから、比較的スムーズに移行できたのかもしれません。
しかし、毛筆の書道は別として、すべての教科の中で、国語だけが縦書きの世界でしたから、なかなかワープロで教材を作成するという気にはなれなかったのです。
でも、時代は容赦なく変化していきます。ふだん作成するほとんどの文書は横書きになっていましたからワープロが大活躍、手も指もだんだんキーボードに慣れてきた上に、横長だったワープロ機の編集画面も大きくなってきて、縦書きの教材やテストなどのレイアウトも見られるようになりました。こうなると、時代の波に逆らえない人間は、よりきれいで読みやすいものにしたいと思うようになります。
そんな時、パソコンやワープロに詳しい友人が勧めてくれたのが、富士通のオアシスという機械でした。当時、ワープロ検定や早打ち競技会などで圧倒的な成績を収めていたのがオアシスの「親指シフト」という機械だったのです。そこで、私もオアシスに飛びつき愛用者となり、文書保存のフロッピィディスクが何枚もたまっていきました。
やがて、時代はワープロからパソコンへと変貌していきます。パソコンになると、ワープロソフトは「Word」が主流となりますが、なにせ「Word」はアメリカ製、日本語の縦書き文書ということになると使い勝手が悪く、ほとんどの国語の先生方は、日本製のソフト「一太郎」を使うことになりました。
そんな中、長年のオアシス文書を持っている者としては、同僚と互換性がなくとも、ひたすら「オアシス」のソフトにこだわって、今日に至っているわけです。
かつて、ビデオの世界でVHSとベータの争いがあって、ベーターは消えて行きましたが、同じように、周りの国語の先生方が皆「一太郎」を使っていた中で、われ一人孤軍奮闘の感、いまだに「一太郎」の日本語変換システムの「ATOK」やらの使い方もわからずに至っている始末なのです。
でも、かつての勝者だったVHSのビデオテープも、今や書斎の片隅でほこりにまみれている時代になりました。パソコンのワープロソフトだって、マイクロソフトの「IME」を変換システムにした「Word」一辺倒になった現在、「一太郎」で文書を作っている人も少なくなっているのかもしれません。
なにはともあれ、今でもパソコンの文書は全部「オアシス」で作っていて、あと何年パソコンに向かっていられるのかわかりませんが、どうも最後まで「オアシス」と心中しそうな気配です。
ところが、この「オアシス」、製造元の富士通があまり熱心でなく、バージョンアップもあまりせず、先行きが少々不安なのです。
そんなこともあるのかもしれません。このソフト、富士通のものということなのか、明石の部屋の富士通のパソコンとは相性がいいのですが、逗子の家の日立のパソコンだと、「オアシス」付属の日本語変換シフトに、時々「IME」が入り込んできて、煩わしいことが多々あり戸惑っていたのです。
その日立のパソコン、OSがこの春サポート終了の「ウインドウズXP」だったということもあって、前回逗子に帰った3月初めに、思い切って富士通の新型パソコンに買い換えたのでした。
ところがどっこい、「さあ、設定だぁ」と意気込んで作業を始めたところ、まもなくディスプレイが暗転。メーカーに問い合わせた結果、不良品で一週間ほど後に交換するということになったのです。明石に戻る数日前のこと、ひどい話です。仕方なく交換を4週間後の3月末に延ばし、その日に合わせて逗子に帰って来たというわけです。
天下の一流メーカー相手ですから、一庶民の相手ではないでしょう。確かに運が悪かっただけなのかもしれません。
ただ、この時代、いろいろな機種がある中で、あえて富士通の機器にこだわるのは、ワープロソフト「オアシス」をスムーズに使いたいだけなのです。だから、4年前に明石のパソコンを新調した時も富士通のものにしたのですが、実は、そのパソコン、決して乱暴に扱った覚えもないのに、2年で壊れたのです。有料の長期保証を付けていたので無料で済みましたが、ハードディスクを交換し、バックアップに至らなかったデーター、今でも悔しい気分でいるのです。
本当はですよ、正直のところメーカにこだわらなければ、もっと手頃な値段のものもあったのに、仕方なく選んだ機種なんですけどね。またしても、運が悪かったということなのでしょうか、やりきれません。
そんなわけで、心の落ち着かない春。たしかに、一昨日の4月1日は月一回の通院日でした。昨日は、昔の職場でお世話になった先輩の御不幸もあって、お通夜の後に懐かしい人との交流になり、帰りが遅くなりました。
とはいえども、それ以外の時間は、お花見の散歩にも行かずに、毎日パソコン初期設定に専念の日々ということで、気持ちばかりが慌てふためいています。
そして、なんとかメドがたった今日は、朝から降り続ける雨が止む気配もなく、為すすべもありません。
そう、明日は65歳の誕生日の前日です。実は、65歳からの年金の手続きは誕生日にするのが良いと聞いたのですが、今年の4月5日は土曜日なのです。年金事務所に問い合わせたところ、「誕生日の前日をもって65歳とするので、その日に交付された住民票を持って手続きをするのがいいでしょう」とのこと。
ということで、 明日は朝から市役所へ。そして年金事務所へと、なんとも気の急く、慌ただしい4月のはじめとなってしまいました。
舞ふ花と時を競ひし弥生かな 弁人