チムどんどん「明石通信」&「その後」

初孫との明石暮らしを発信してきましたが、孫の海外移住を機に七年で区切りに。現在は逗子に戻って「その後」編のブログです

夏近し。姫路の公園と加古川の古刹を散策

2016-04-29 23:54:07 | お出かけ・散策
4月29日(休)

 前回、姫路と明石の二つのお寺の牡丹を紹介しましたが、初めに向かった姫路の医王寺を後にしたのは、まだ午前中の早い時間だったので、すぐに明石へ戻らずに、植物園も併設されている手柄山公園を散策してみようということになりました。

 手入れの行き届いた、
  しゃれた西洋式庭園です
  

 ちょうど一年前の八重桜が満開の頃、KAZU君と遊びに来た思い出の公園です。KAZU君のお気に入りは水族館と遊園地だったので、この日は、大人向きの「太平洋戦争空爆死没者慰霊塔」や「姫路市平和資料館」を見学してから植物園へ向かいました。

 晩春を彩る
  ハナミズキが眩しい
   

 植物園の温室に入ると、

 「え、もう
  紫陽花なの?」
  

 初夏を先取りして、見事な紫陽花が
  並んでいました
  
  

  純白で清楚な「サギソウ」
  
 白鷺の姫路を象徴するかのようだと見入ってしまいましたが、あとで調べると、やはり姫路市の市花になっていました。


   暮れの春白鷺そっと花となり   弁人


 温室の外の斜面は
  いちめんの芝桜
  

 鮮やかな黄色のミモザも
  晩春を彩っていました
  

 「さて、そろそろ明石に戻ろうか」と時計を見るとお昼を回っていました。道沿いにおいしそうなお店があればと車を走らせているうちに加古川まで来てしまい、
 「もう選んでいられない」と思った時に目に入ったお寿司屋さんでお昼を済ませ、外に出ると、すぐ正面に大きなお寺が見えています。

 「刀田山鶴林寺」。そういえば、黒田官兵衛ゆかりのお寺で、二年前の大河ドラマで紹介されたお寺です。「これはいい機会。お参りして来よう」と山門へ向かうと、

 藤の花の下に、「聖徳皇太子
  御霊蹟」とありました
  

 聖徳太子といえば、先日太子町の斑鳩寺にお参りしたばかりですが、ここ鶴林寺も同様に太子ゆかりのお寺のようなので、由緒書きを読むと、
 「物部氏らの廃仏派の迫害を逃れて、高句麗の僧の恵便法師という方がこの地に身を隠していらっしゃった折、聖徳太子がこの名僧に教えを受けるために来られ、(その時かどうか)587年に精舎を建立したのがはじまり」と書かれていました。
 そういう言い伝えから、長い間「刀田の太子さん」「播磨の法隆寺」と呼ばれ、人々の信仰を集めてきた古刹なのでした。

 それにしても、わずか十日ちょっとの間に、聖徳太子ゆかりのお寺を続けてお参りするとは、ちょっと不思議な感じがしました。

 山門を潜ると、
  ツツジの先が本堂です
  

 新緑の中、
  荘厳な佇まい
  

 御本尊は薬師如来で、日光・月光菩薩が両脇にいらっしゃいます。


   みほとけを優しく包む若葉かな   弁人


 「太子堂」は
  本堂の右側(東)に
  

 寄せ棟の檜皮葺きで四角形のお堂に見えますが、南東と南西の二方向だけ角が切られていて、その佇まいが、いかにも「太子堂」という雰囲気を感じさせます。ただ、この太子堂には聖徳太子像は安置されておらず、よく見えませんでしたが、釈迦如来がいらっしゃるようでした。

 ところで、この鶴林寺、播磨の戦乱の時に秀吉が開いた加古川評定の後、黒田官兵衛の説得などにより毛利側ではなく勝者の織田側についたおかげで、多くの文化財が残されたそうです。
 ここはひとつ官兵衛のおかげとしておきましょうか。太子像の絵や白鳳時代の観音像など、その数々を宝物館で拝観してから明石のぼたん寺へ向かうことができました。


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花の王様「牡丹」の季節に

2016-04-27 16:04:40 | お出かけ・散策
4月27日(水)

 明石にも「ぼたん寺」と呼ばれる牡丹の名所がありますが、この七年間、覗きに行く機会がありませんでした。

 今年もこんなポスターを
  目にして
  

 一度は行っておきたいと、平日の天気のいい日を待っていましたが、用事が入っていたりして、なかなか足を運べずにいました。
 「来週かな」と思っていたものの、23日は天気が良さそう。「土曜日だけど、まあいいか」と予定を立てていたところ、

 その前日の金曜日。夕方の地域ニュースで、「姫路のお寺の牡丹が紹介され、特に見応えのある黒牡丹はこの土日が見頃」と伝えました。
 妻君から「明日は両方行こうね」と言われ、少々早起きをして。

 まずは、先に遠い姫路のほうからと車を走らせ、姫路の手前、小寺家の御着城址の先を右折、医王寺というお寺へ向かうと、隣に大歳神社が鎮座していて、

 拝殿には、たくさんの
  奉納絵馬が飾ってありました
  
 干支を描いた絵が多いようですが、神話や歴史上の合戦などの場面の絵も印象的で、上の水色の絵馬は「四十七士の討ち入り」の場面が描かれていました。
 この「大歳神社」。年神様を祀るお社で、関東のほうでは聞き慣れない名前ですが、関西、特に兵庫ではいろいろな所でお目にかかります。近々、妻君を連れて行こうと思っている宍粟市山崎の「千年藤」も大歳神社の境内に咲いています。

 それはさておき、目的の医王寺です。

 所狭しと
  鉢植えの牡丹が並んでいます
      
  

 ダッチアイリス(オランダアヤメ)。
  牡丹以外の花も彩りを沿えて
  

 さて、お目当ての黒の牡丹はどこでしょう。

 本堂に
  案内の貼り紙がありました
  

 もともと牡丹は直射日光に弱いそうですが、とりわけ黒い花びらはその傾向が強いらしく、

 本堂脇の
  会館の中にありました
  
   


   陽をよけてより輝ける黒牡丹   弁人


 医王寺を後にしてから、姫路で花を愛で、加古川の古刹を拝観。そのことは次の記事に回すことにしますが、この日の当初の行き先だった明石の「ぼたん寺」に着いたのは、お昼を済ませた午後になりました。

 明石の西側、魚住にある
  「薬師院」です
  

 ここの牡丹は
  すべて直植えで
  

 日に当たらないように、
  上は葦簾で覆ってあります
  

  お見事
  



   唐土の王の愛でたる牡丹かな   弁人


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兵庫県にある聖徳太子ゆかりの地

2016-04-22 17:21:25 | お出かけ・散策
4月22日(金)

 熊本の地震、余震の回数が少し減ってきたような感じですが、まだまだ大変そうで、被災者のご心痛やご苦労を思うと、なんと言ってよいのか、ことばがなく心が痛みます。
 あらためて、犠牲になられた方々のご冥福と、一日も早い復興をお祈りしたいと思います。・・・・合掌・・・・

 ところで、熊本で頑張っているKAZU君のおばあちゃん、市内中心部のマンションで寝泊まりしているようですが、昼間はご近所の方がいらっしゃる大津のほうの避難所へ出向いて、自分より年上のお年寄りの面倒を看たりして、ボランティア的な働きぶりで気丈に頑張っていらっしゃるようです。
 もしかしたら、明石には心配をかけまいとしているのかもしれませんが、メールや電話でのやりとりの様子では、元気に頑張っている感じが伝わってきています。

 とはいっても、非常時ですから、ことばにならないご苦労があるのは当たり前ですし、復興にはまだ時間がかかりそう。そんな中、昨日21日は強い風と大雨に見舞われた被災地。気分的に折れそうになってしまうのは容易に想像できます。はじめて「明石に行くことも視野に入れて・・・」というメールが入りました。とにかく、一度ゆっくりできる時間があればと、その機会が早くやって来ることを願っているところです。

 もう一つ。避難所だったのかどうか、新聞記者から取材を受けた時のこと。終わった後に住所と名前を聞かれ、その時は深く考えずに答えたそうですが、はたしてその人が本当に新聞記者だったのかどうか不安になったとのこと。どこの世界にも、非常時にかこつけて詐欺やら空き巣やらの悪さをする輩が多いもの。心配になって自宅の様子も目が離せなくなったとのことですが、今の時代、やはり個人情報は簡単に伝えてはいけないのですね。自戒も込めて「気を付けましょう」という伝言がありましたので、ここに記しておきます。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 さて、前々回の記事で播州赤穂への小旅行を載せましたが、赤穂から帰って間もなく熊本の地震があって、続きの記事をブログに載せる気分ではありませんでした。
 でも、来週末からはゴールデンウイーク、近所のハナミズキも咲き始め、もう初夏も目の前でうかうかしていると春が終わってしまいそうです。

 ということで、今日の記事は、赤穂からの帰り道に立ち寄った播州の古刹の話題です。

 まずは、思い出話から。
 姫路の西に網干(あぼし)という町があって、そこにあるJRの大きな車輛基地で毎年11月3日の文化の日に開かれる見学会。明石にいた頃のKAZU君が楽しみにしていたイベントで、4才の時から三年連続で出かけました。
 会場のJR車輛所へは網干駅から送迎バスに乗るのですが、帰りのバスは道路の都合なのか少しばかり迂回して、途中で太子町という所を通ります。

 「太子町」といえば、大阪の富田林の東、奈良県との県境の近くにもあって、たしか聖徳太子のお墓のあるお寺があるということを聞いたことがありました。近鉄南大阪線に「上ノ太子」という駅がありますが、以前、その駅で降りて太子温泉という日帰りの湯に浸かったことがあって、覚えていたのでしょう。

 そんなことを、JRの車輛基地から網干駅に戻るバスの中で、まだ保育園児だったKAZU君に話しかけても始まらないので、心の中で「ここも聖徳太子と関係がある土地なのかなぁ」と思ったりしましたが、帰りの電車の中で他愛ない会話をしているうちに忘れてしまうのか、兵庫の太子町の歴史や由来を調べることもなくそのままでいました。

 そして、先日のことです。赤穂へ出かけた際、往路の山陽自動車道で「太子町」という看板を目にした妻君も同じ疑問を抱いたようなので、休憩の時カーナビの地図を見ると、「太子町鵤(いかるが)」という地名があって、近くに「斑鳩寺」というお寺や町立の歴史資料館があるのを知りました。

 「斑鳩」といえば、ふつうは奈良の法隆寺界隈を連想し、聖徳太子と関わりが深い地であることも容易に想像できますが、そこから200キロ近く離れた西播磨の地に太子ゆかりの地名やお寺があるというのも興味深く、帰りにぜひ行ってみようということになりました。

 「聖徳太子御旧跡
   斑鳩寺」とありました
  

 仁王門を潜ると、正面に
  講堂があり本堂となっています
  

 中央に釈迦如来、左右に薬師如来と如意輪観世音菩薩の、いずれも木造の座像が安置されているようですが、この日は開扉されてはいませんでした。

 さっそく案内板を見ると、この辺りは、聖徳太子が推古天皇から広大な水田を賜った地域で、この斑鳩寺は、太子がその水田を「斑鳩荘」と名付けて伽藍を建てたのが始まりとありました。
 そして、この「播州斑鳩寺」、聖徳太子が生まれたとされる飛鳥の橘寺と、お墓がある大阪太子町の叡福寺を結ぶ直線の延長線上に位置しているという意味ありげな場所なのだそうです。
 それはともかく、太子の没後も千年近くの間、法隆寺の荘園として栄えてきたのですが、戦国時代に消失、現在の伽藍はその後まもなく再建されたものだそうです。

 ということで、ここは聖徳太子の旧跡ですから、太子像を安置する聖徳殿も参拝しておかなければなりません。
 拝観を申し出ると、ご住職らしき方がお出ましになって、まず「聖宝堂」という宝物館で、推古天皇から荘園を賜るきっかけとなった「勝鬘経講讃図」、日光菩薩や月光菩薩などの仏像と十二神将などを紹介していただき、その後、いよいよ聖徳殿へ。

 太子像を安置する奥殿は法隆寺夢殿を想起させる
  八角殿です
  

 太子堂も戦国時代に消失したものを再建したものですが、夢殿ふうの八角堂は明治末から大正にかけて作られたものだそうです。
 聖徳太子像は衣をまとった十六歳孝養像です。衣は皇室から寄進される慣習になっているようで、現在のものは、50年ほど前に高松宮殿下がご寄進されたものだそうです。暗がりの中、微かに揺らめくろうそくの光に照らされる太子像はなかなか幻想的なお姿でした。


   清明の播州の地に太子さま   弁人


 さて、堂内に安置された二歳太子像なども拝観して表に出ると、聖徳殿の正面にそびえるのが、

 これも一度消失後に再建されたという
  三重塔
  

 法隆寺は五重塔ですが、「斑鳩」という響きを耳にすると、法輪寺や法起寺の三重塔が目に浮かんできます。あの二つの塔の姿も印象的でしたが、ここ播州斑鳩寺の塔も、なかなか均整のとれた三重塔で風格がありました。

 ところで、聖徳太子についてはまだまだわからないことが多いようで、その実在についても諸説飛び交っているようですが、仮に伝説だとしても、この地が飛鳥や奈良の斑鳩の地と深い関わりがあるということはわかりました。
 それでは、推古天皇から土地を賜って伽藍を建てたというこの地に、聖徳太子自ら訪れてどうのこうのであったとかいう言い伝えなどはあるのかどうか、そんなことも知りたくなって、お寺をあとに歴史資料館へ行ってみたところ、あいにくの休館日で無駄足に。
 とまあ、この日の歴史散歩は中途半端で終わってしまいましたが、火曜日休館という施設も時々はあるんですね。


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気が気でない熊本の大地震

2016-04-18 14:31:30 | 身辺雑記
4月18日(月)

 東北の大震災からまだ5年だというのに、またまた起こった大地震。

 熊本にはKAZU君の大好きなもう一人のおばあちゃんがいるのでとても心配です。

 一回目の大地震は14日の夜でした。アムステルダムはお昼過ぎだったのですが、テレビニュースで知った後、すぐにメールで知らせました。
 今はインターネットで世界中瞬時にニュースが流れる時代。すぐに実母の安否確認ができたKAZU君のお父さんから「大丈夫そう」とのメールが返ってきました。

 とはいえ、おばあちゃんのお家は熊本の中心部から北東へ10キロほど、熊本空港へは数キロ、車で10分ほどの所です。すぐ南には白川の清流がとうとうと流れています。
 幸い、今回は津波は起こらず川の逆流もなさそうですが、本当に大丈夫なのか、暗い中でどうしているのか、心配は尽きませんでした。

 可能なら、余震の心配もなく安穏と暮らせる明石に避難してほしいところですが、はたして、新幹線が動いている博多までたどり着く方法があるのか、あるいは迎えに行く方法はないものかと、ずっと考え込んでいました。

 思えば5年前、逗子の家に一人でいた妻君が、電気の停まった中、ただ毛布にくるまって、たび重なる余震の恐怖に耐えていると聞いて、すぐに明石に来るように言ったのですが、人間の心理というものは複雑なもので、なかなか自分のいる場所から離れる気にはなれないらしく、全く動き出そうという気配がありませんでした。
 とはいっても、外にいる者としてはやはり心配。じっとはしていられず、私のほうが妻君の反対を顧みず、小田原から路線バスを乗り継いで、真っ暗な我が家へたどり着いたのを思い出します。その翌日でした。福島の原発が爆発したのです。

 そんなことを思い出すと、熊本のおばあちゃんにしても、ご兄弟や親戚の方が近隣にいるわけで、自分一人だけ他所へ移ることなんか考えられないでしょう。家はなんとか大丈夫とはいっても、家財は散乱しているはずで、余震が収まれば片付けもしたいでしょうし、一時的とはいえ、その家をそのままに離れるというのには、かなりの決断が必要なのでしょう。

 熊本とメールが通じました。「無事に生きているので大丈夫」とのことなので、ひとまずは静観することにしてテレビで現地の様子を見ていました。

 そして土曜日の朝。テレビを点けると、熊本では一回目より大きな地震が起きて大変な状況になっていました。なんとこの地震が本震で、一回目の地震が聞いたことのない「前震」とかに訂正される始末。さらに、2~3分にごとに余震が起き、そのほとんどが震度3以上、震度4や5の揺れもたび重なり、これはいよいよ本腰を入れておばあちゃんを救出しないとと思い連絡を取りました。
 熊本からは、夜はご近所の方と車の中で過ごしたことや、その日(土曜)の夜は新築のしっかりとしたマンションにいる姪の所に身を寄せるということが伝えられました。

 一方、アムステルダムのお父さんからは、家もだいぶ傷んでしまい、また戻れるかどうか、落ち着くにしてもかなりの時間がかかりそうという情報も入りました。

 考えてみると、当面は危険のない所にいられるとはいっても、ライフラインは止まったまま、しばらくは、食料や物資の調達もままならないでしょう。今日、明石からもと取り敢えずの物資を用意したのですが、運送会社も郵便局も受け付けてくれません。いろいろな苦労を思いやると、やはり、被災地から抜け出せれば、それがいちばんいいのかもしれません。

 でもやっぱり、静観するしかありません。
 被災地では被災地での人間関係があるからです。この数日間の間にも、助けたり助けられたり、苦難の中で「絆」というか新しい心のつながりができているはずで、集団移住ならともかく、個別に自分の居場所から離れるのは簡単ではないのですから。

 外にいる者が、いくら冷静に考えたとしても、事態が切迫すればするほど、当事者でないとわからないことがあるのです。

 振り返ると、阪神淡路大震災の時は逗子でまだ寝ていました。5年前の3・11の時は明石でのんびりイカナゴを炊いていました。そして今回も明石でと、幸いなのかどうか、私は三回ともよそ者としての場所にいて当事者にならず、外の世界から「なんとかならないかなぁ」とやきもきしているだけですが、こればかりは仕方ありません。
 今は、ただただ早く余震が収まって、いち早く復興に向かって立ち上がれる時が来るのを願うばかりです。

 さてさて、もしかすると、次に大きな地震が襲う時は私も当事者になるかもしれません。その地震は東南海でのプレートが動く時なのか、南関東の活断層がずれる時なのか、とにかく、今新築している家、耐震基準は万全とはいっても、しっかりと地震保険に入らねばと気を引き締めています。


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移ろう花の中で、正月からの疲れを癒す

2016-04-14 11:12:37 | 旅行
4月14日(木)

 明石に移ったのが3月17日。海峡の空気を十分に味わう間もなく地鎮祭のため一度逗子への往復を済ませ、先週末からようやく地に足が着いた明石暮らしが始まった感じです。

 昨年の9月、七年ぶりに逗子での暮らしに戻って、落ち着いた日々に身を置くようになり、年末にはオランダから帰国したKAZU君と楽しく過ごし、正月にかけて二人の孫と遊んでいた頃は、2016年がこういうふうになろうとは思いもしませんでした。

 それから三ヶ月あまり、ほんとうにいろいろなことがあって、精神的にも身体的にも何年分も歳を取ってしまった感じです。

 逗子の新居に落ち着いてゆっくりできるのは、まだ何ヶ月か先になりますが、とりあえず一回気分をリセットしようかと、11日の月曜日、妻君を誘い慰労会と称して一泊旅行に出ました。

 行き先は播州赤穂。
 桜の満開。例年、明石は神戸・姫路より二、三日遅れるのですが、情報では、今年の赤穂はさらに一日二日遅かったので、淡い期待を抱いて出かけました。

 まずは、赤穂城址へ。

 やはり、もう
  かなり散っていますが、
  

  八重桜が満開です
  

  お掘りは花筏のはしり
  

  枝垂れ桜がとても爽やかでした
  

 艶やかで桜より花期が長い
  「ハナズオウ」
  

 初夏も目の前。咲き始めの
  「ハナミズキ」
  


   何期する四十七士や花の園   弁人


 続いて、赤穂の桜の名所の御崎(みさき)公園です。ここに宿を取りました。

 緑の芝生に映える桜。青い空。
  そして瀬戸内海
  

  家島諸島をバックに
  

 ピンクに染まった
  坂道を下りて
  


   潮騒へ下りる小径の花莚   弁人


  花びら漂う海岸へ
  

  静かな海に横たわる小豆島
  

 海岸線を歩いて行くと、桜のきれいな
  伊和都比売神社へ出ます
  


   潮の香の漂うお社桜色   弁人

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明石公園でお花見ができました

2016-04-10 15:02:37 | 明石風物
4月10日(日)

 逗子から明石に戻った後、全国的に荒れ模様の天気が一日ありましたが、その日以外は春らしい陽気に恵まれています。
 とはいっても、やはり明石は大阪や神戸に比べると気温が低めで、近くの公園の桜もまだまだ健在。
 逗子に留まっていた妻君も金曜の夜に戻って来たので、土曜日のお昼前にぶらっと明石公園へ行ってみました。

 公園入り口近くの広場。
  枝垂れ桜が鮮やか
  

 隣接する「宮本武蔵庭園」脇の八重桜も
  なかなか清楚な感じ
  

 城郭を彩る
  ソメイヨシノ
  
   

 同じソメイヨシノでも、陽の当たり具合で
  こんなに鮮やかに
  

 お掘りの前の桜も
  風情があります
  

 そして、メインの
  剛ノ池へ
  

 土曜日ということで花見客はたくさん来ていますが、都心のような混雑ではなく、どことなくのんびりとした雰囲気が漂っているのは、やはり地方の一都市ということなのでしょうか。

  いつものベンチに座って
  

 缶ビール片手に、
  明石の桜を堪能しました
  


   花満ちて微かな囀り何処より   弁人


 そろそろ引き上げようかと、席を立って池の畔を歩いて行くと、公園事務所の屋上庭園に鮮やかな花が陽を浴びていました。

  「源平桃」と「菊桃」
  

 あと一、二週間すると、菊桃の脇に「ハナミズキ」の白い花が咲いてより華やかになるのですが、その頃はもう初夏の香りの漂う時期になっているはずです。


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春の陽射しの中で「地鎮祭」済ませました

2016-04-08 17:18:34 | 身辺雑記
4月8日(金)

 地鎮祭の日取りを決めたのは、逗子の家を引き渡す数日前の3月10日ころでしたから、とても当日の天候のことまで考えられる時期ではありませんでした。

 「やっぱり仏滅の日はまずいんじゃないか」とか、「それじゃ、大安の日?」とか、そんな会話もありましたが、そんなことより、神主さんの予定も含めていちばん都合のよい日にということで4月6日ということにしていました。

 予報では6日だけに「晴マーク」が見えていたものの、4月に入って天候不順の日が続き、少々気を揉みながら前日の新幹線で逗子に帰りました。

 その日は曇り空で富士山も見えませんでしたが、明石から新横浜まで、車窓からは至る所で満開の桜が目に入ってきました。

 横須賀線から眺める桜は、もう散り始めという感じでしたが、駅から逗子の家へ向かって歩いていると、

 「紫木蓮」がまだ咲いていて
  ホッとしました
  

 新築現場は
  オレンジの囲いの中に
  

 早めに逗子に帰っていた妻君の話によると、4月に入って雨の落ちてこない日はなかったし、お日様もほとんど出ていないとのこと。
 でも、いったい誰の行いがよかったのでしょうか、地鎮祭当日の6日は朝から好天気に。

  祭壇の準備も整い
  

 気持ち良く
  祭礼を行うことができました
  


   ひとひらの桜舞ひけり地鎮祭   弁人


 お昼前には片付けも終えたので、明石へ戻る前に、散り始めの桜を見ておこうかと近くの桜山公園へ。

 まだ十分に
  咲きほこっていました
  
   

 残念、お弁当と
  飲み物を用意する時間がなかった
  

 山から下りる途中、十文字の「ショカッサイ」の
  花がいちめんに
  

 「ピースフラワー(平和の花)」とも。これから初夏へ向かって紫の花の季節で楽しみです。


   道端に絨毯敷くや諸葛菜   弁人


 ところで、仮住まいは一人しか寝泊まりできないので、妻君を残して慌ただしくも夕方の新幹線で明石に戻りましたが、翌7日は全国的に春の嵐となり大荒れの天候に。振り返ると、6日だけ奇跡的にお天気に恵まれた感じがして、やっぱり神様に感謝なのでしょうか。よかった、よかった。


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逗子へ帰ろうとしているのに、明石の桜咲いちゃいました

2016-04-03 17:48:07 | 明石風物
4月3日(日)

 わずか二日前(31日)は咲き始めだったのに、昨日の土曜日の朝、玄関を出て見下ろすと、

  もうけっこうな色づき加減。
  

 前日の夜のテレビでは、明石公園一分咲き、赤穂の御崎はまだつぼみということだったので、逗子から明石に戻った後にお花見ができると思っていたのに、まあこの陽気ですから一晩越えれば様変わりするのも仕方ないのかもしれません。
 まぶしい日差しと花に誘われて、とりあえずカメラを持って近くを歩いてみました。

 去年KAZU君が入学した
  朝霧小学校
  

 そういえば、学童クラブの教室の裏手の桜は満開が早かったと思い出しました。

 もう、
  ほぼ満開ですな
  


   思ひ出の詰まる明石や花の中   弁人


 ちょうど明石駅行きのバスが来たので乗り込んで、いつも買い物の行き来に車で通る所で降りました。

 私が勝手に明石の桜の標本木にしている
  素盞鳴(スサノオ)神社の桜
  

 近くの住宅街の黄色の花は
  「サンシュユ」です
  

 いつも三月になると花を開き始め、桜の季節の近いことを教えてくれる花です。桜が咲き始めるころには花も終わりになるのに、今年は三月下旬に気温の低い日が多かったのでしょう、

 まだまだ頑張って、
  春を彩っています
  


   青空を背に山茱萸の花負けじ   弁人


 この後、のんびりと歩きながら明石駅に下りてみましたが、食品売り場のお弁当コーナーは大混雑。やはり土日の明石公園には近づけないようです。

 それじゃあ懐かしい所を歩きながら帰ろうかと、大蔵町界隈へ。

 KAZU君の保育園の前にある
  休(やすみ)天神社に寄って
  

 もちろん、保育園のある稲爪神社にも
  お参りしました
  

 桜が咲いたとはいっても、天気の良いのはこの日の土曜日だけで、今日も明日もお日様は出ないそうです。そんな中で一度逗子に帰りますが、戻って来た頃にはたぶんもう花筏なのでしょう。
 楽しみにしていましたが、明石公園の桜の下での一杯ははかなき夢となりそうです。


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見応え十分。熱戦続きの「センバツ甲子園」

2016-04-02 11:43:21 | スポーツ観戦等
4月2日(土)

 開会式直後にマウンドに立った智弁学園の村上君。その村上君のサヨナラ打で幕を閉じた今年の「センバツ甲子園」。

 敦賀気比、大阪桐蔭、東邦といった優勝候補が次々と消えて行く中で、秋の近畿大会ベスト8の智弁学園が紫紺の優勝旗を手にするとは、正直のところ予想できませんでした。

 球場には二回しか足を運べませんでしたが、地元の明石商業が初戦を突破した試合を目のあたりにできて拍手喝采。明石商業は続く東邦戦でもエース藤嶋君を打ち崩しベスト8に入り大いに盛り上がり、

 準々決勝、明石商業対平安高校戦は
  外野席から観戦
  
      

 試合前で空席も見えますが、なにしろ、今回は近畿勢6校のうち5校が初戦を突破、ベスト8の初めの4校がなんと、智弁学園、滋賀学園、平安高校、明石商業と、全て近畿勢だったこともあって、月曜日にもかかわらずスタンドは大賑わいなのです。この日は第一試合の終わる頃甲子園に着きましたが、チケットは完売で外野席に陣取るしかありませんでした。

 さて、お目当ての明石商業。一回戦はバントを決めてスクイズでサヨナラという、チームカラーを生かした勝ちっぷりでしたが、二回戦の東邦戦はタイムリーツーベースが3本も出るという長打攻勢で得点、言ってみれば「らしくない」野球で勝ちました。
 でも、そんな試合を平安戦でもというのは虫が良すぎます。平安の市岡投手は好投手とはいえ制球に難があるので、四死球をうまく生かして1点ずつという姿勢が大事だと思っていました。
 ところが、この試合では持ち前の送りバントが決まらずに苦戦、先制点は取ったものの、追加点機にスクイズも外され、こんなことではと思っていると、

 案の定、
  同点にされ
  

 吉高投手が踏ん張って好投しているのに、細かい攻めが不発、延長戦での先攻の不利もあって延長12回で力尽き、サヨナラ負けを喫してしまいました。
 残念無念。でも仕方ありません、自分たちの野球ができなかったのですから。もう一度手堅い攻撃力を磨き上げての捲土重来を期待することにします。

 この延長サヨナラ劇が次の試合の選手たちに精神的に影響したのかどうか、続く木更津総合対熊本秀岳館戦も劇的な結末となりました。木更津の早川君いいピッチングをしていたのですが、

 秀岳館9回裏のワンチャンスを生かし、2アウトから
  逆転サヨナラ勝ち
  

 そして、準々決勝の第4試合。今回、私が個人的に注目していたのが秋の明治神宮大会の覇者高松商業です。その古豪が長崎の海星高校と対戦します。

 その高松商業、甲子園でも期待どおり魅せる野球で楽しませてくれました。

 決勝戦の智弁学園戦は息詰まる投手戦となりましたが、一回戦の三重いなべ総合戦のシーソーゲームも見応え十分。7回を終わって3-4から8回表に2点献上、3-6になった時点で万事休すかと思いきや、その裏2点を返し、9回裏に同点、10回裏にサヨナラ勝ちという、まさに土俵際に追い詰められてからの勝負強さには目を見張りました。
 エースの浦君、この試合もそうでしたが、決して超高校級の投手ではなく、後半のスタミナに難があるというか、相手打者が慣れてくる中盤以降に打たれ出し、美濃君の継投を仰ぐという印象でした。しかし、準決勝と決勝は気力も充実、そんな心配を吹き飛ばすような投球を見せてくれました。

 もしかすると、今大会が盛り上がったのは、プロが注目するような投手が意外にも期待どおりの結果を出せずにマウンドから去って行った中で、智弁の村上君や平安の市岡君、明石商業の吉高君や秀岳館の有村・堀江両君、そして高松商の浦君らがここ一番で気合のこもった投球を見せ、緊迫感のあるゲームを作ってくれたからなのかもしれません。

 さて、第4試合に戻ります。序盤からそつなく得点を重ねる高松商業。最後まで見なくても大丈夫かなと思っていましたが、一回戦同様、中盤に浦君がつかまり、6回7-2からツーランホームランを浴びたところで、必勝パターンとばかりセカンドから美濃君がマウンドへ。ところがこの日の美濃君、球が低めに集まらずなかなかアウトが取れません。

 7回裏に3点を献上して
  10-7となり
  

 とても途中で席を立つ展開ではなく腰を落ち着けると、このあと高松商業がなんと7点、海星も1点取って、

 最後は17-8という乱戦で
  高松商業が勝ちました
  

 秋に神宮球場で見た時には、大阪桐蔭や敦賀気比などに比べると強豪チームには見えなかったのですが、やはり神宮での優勝はダテではなかったのです。思いっきりの良い鋭いスイングで海星の投手陣を圧倒。そして、この試合を経て一皮むけたのか、浦君、準決勝、決勝では粘り強い投球を見せ、結果は準優勝でしたが、まさに古豪復活を印象づけた甲子園となりました。


   眼差しのキラリと春の甲子園   弁人


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大阪の「鶴見緑地」をぶらっと散歩

2016-04-01 16:06:35 | お出かけ・散策
4月1日(金)

 昨日、数輪開き始めた近所の桜も今日は8割がた一斉に開いて、そんなことを気にし始めるとまったく目が離せない感じです。

 さて、今週の火曜日のことですから、まだ三日しか経っていないことになるのですが、その時は、ここもまだソメイヨシノが開き始めたばかりだった、大阪は鶴見区にある「鶴見緑地」を歩く機会がありました。

 この日は、家の新築費の支払いのため大阪の本町にある銀行へ出かけました。振込みを終えた後、御堂筋の本願寺北御堂にお参りをしましたが、その時の境内は長閑な春の陽光に包まれていて、「桜、咲きそうだな」という気分でした。でも、心斎橋から地下鉄に乗って鶴見緑地の駅を下りてみると、上空には雲が広がって陽も陰り、吹いてくる風も「まだまだ」と言っているかのようでした。

 それでも、少しずつ
  咲き始めているのです
  
   

 実は、この公園から歩いて数分の所に姪夫婦が暮らしていて、その姪が5月の連休明けに双子の赤ちゃんを生むことになっているのです。

 私が明石にいる時には、何回か遊びに来てくれて、KAZU君と遊んだり一緒に食事をしたりしてきました。昨年9月に明石を引き揚げる時も荷物の整理のお手伝いをしてもらってとても助かりました。
 そんなこともあって、明石に戻って以来、姪っ子がお産を前に元気で過ごしているかどうか気がかりでしたし、心配事があれば明石に助っ人が待機していることも伝えるべく、一度励ましに行こうと思っていたのです。

 それならば、今回の支払いは大阪の銀行からということにして、ついでに、桜もきれいとか聞く「鶴見緑地」も覗いてみようということで出かけたわけです。

 池の北西に、ピンクの花が見えたので
  近づくと満開です
  

 「ソメイヨシノ」よりも早いと言っても、「河津桜」の満開はもう過ぎていて葉が出ているだろうしとか、やっぱり「モモ」なのかもしれないとか、「アーモンド」の花も満開が早いけれど、もう少し淡い色合いではなかったかとか、興味津々でしたが、幸いにも「ヨウコウザクラ」という木札があって、もやもやした気分を残さずに済みました。
 漢字で「陽光桜」、なかなか鮮やかな色合いで、

 お花見の季節
  到来の感
  


   風温し水面顔色桃色に   弁人


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