チムどんどん「明石通信」&「その後」

初孫との明石暮らしを発信してきましたが、孫の海外移住を機に七年で区切りに。現在は逗子に戻って「その後」編のブログです

秋晴れの好日、ぷらっと宇都宮へ

2023-10-24 17:03:34 | 鉄道
10月24日(火)

 この夏に開業した宇都宮の路面電車。新しいうちに一度乗ってみたいと思っていたところ、秋の高校野球関東大会の会場が宇都宮だとわかって、ちょっとワクワクしていました。

 もう16年も前になりますが、2007年のこの時期、慶応高校の試合を清原球場で観戦した思い出がありまして、なにしろ、その当時は交通が不便。行きはバスでなんとかたどり着いたものの、帰りは知らない人とタクシーに相乗りして戻ったのを覚えていますが、今は、開通したライトレールとかに乗れば球場のそばまで行けるので、ちょっとばかり楽しみにしていたのです。
 ところが、試合日程を見ると、清原球場での試合は土日の一回戦の三試合のみで、甲子園出場がかかる準々決勝以降は駅から反対方向の県営球場とのこと、宇都宮へ行く気分もすっかり萎えてしまっていたのですが・・・。

 このところ秋晴れの日が続いていて、週明けも天気がよさそう。「どこかお出かけしたいな。やっぱり、宇都宮へ行ってみようかな」と、急に思い立って、昨日、月曜日の朝、宇都宮へ。

 いたいた。今日のお目当て、
  宇都宮ライトレール
  

 雷の多い北関東。宇都宮は「雷都」とも言うそうで、「稲妻」をイメージしたデザインとか。

 一部専用軌道もありますが、大半は路面電車。最初の市街地は駅が交差点の先にあることが多く、信号待ちが長く感じていましたが、

 やがて郊外に。
  鬼怒川を渡ります
  

 通勤時間を少し避けて9時少し前の電車に乗りましたが、まだ混んでいて、行きの車窓からはこの写真を撮るのが精一杯でした。
 電車は清原球場の近くを過ぎて、新興住宅地の「ゆいの杜」 ~今回は急なので連絡しませんでしたが、実はここに、兄の末娘の姪一家が住んでいるのです~ に入っても満席は変わらず、そのまま終点の「芳賀・高根沢工業団地」駅に到着しました。所要時間ほぼ50分。

  その、終点の駅舎
  

 この辺りはホンダの工場が集中しているようで、目の前の建物もホンダです。

 その工場と駐車場を結ぶ歩道橋に上がると、
  日光連山が眩しい
  


   街を往く電車眺むる澄みし山  弁人


  ホームに次の電車到着
  

  今度は空いています
  

 時々アップダウンもありますが、
  まったくもってスムーズ
  

 さて、第一の目的の「ライトレールの旅」を満喫して、次は、県総合運動公園の球場へ急ぐことに。
 最寄り駅は東武宇都宮駅から三駅目の西川田駅なのですが、JRの駅から直接公園へ行くバスがあったので乗ってみました。

 10時開始の第一試合は、地元の強豪作新学院と山梨の帝京第三ですが、球場に着いたのは11時半。すでに終盤に入っていましたが、

 驚いたのは観衆の多さ。平日の月曜日ですよ。
  やや強引に座りました
  

 まあ、この月・火の準々決勝の四試合、関東枠は4~5校ですから勝てばセンバツ当確。ということで、通は来ますよね。

 ところで試合は、ほぼ予想通りに、
  作新学院快勝
  


   天高く白球高く意気高く  弁人


 第二試合は、一回戦で横浜高校を下した埼玉の花咲徳栄と、専修大松戸に勝った茨城の常総学院の対戦。

  好ゲームを期待して
  

 始まりましたが、序盤から四球も絡んで大乱戦。
  結果、常総の勝ちも、
  

 こういう乱戦気味の野球、私の好みではなく、少々がっかりして宇都宮の街へ。

 さてとここは、かの宇都宮。締めはやっぱり餃子でしょう。
 有名なお店はいくつもありますが、ざわざわしている所が多そうで、ゆっくり一杯やりながらという店を物色し、JRの駅前のお店にしました。

  まずは「お肉餃子」
  

  そして、「蒸しエビ餃子」
  


   名物の餃子一口秋寂ぶし  弁人



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デビューから一ヶ月余り~「横須賀線の新車輛」

2021-02-01 10:15:38 | 鉄道
2月1日(月)

 鉄道好きのKAZU君から「今度、横須賀線が山手線と同じ〔e235系〕の車輛になるよ」と聞いていましたが、その後、運行開始は12月21日というニュースを目にしました。
 情報によると、山手線の車輛にトイレを設け、今まであった後方3両のボックスシートが全てロングシートになって、そこにグリーン車を加えた編成ということで、正直なところ、「車窓に目を遣るにはグリーン車に乗るしかなくなるんだな」というくらいの感想しかありませんでした。

 とはいっても、そりゃあ「新型車輛」と聞けば、やっぱり気になります。

 まあ、そのうち乗る機会もあるだろうと思っていても、現状では、不要不急で電車に乗る機会なんぞあるはずもなく、散歩の途中で横須賀線の線路の近くを通る時は、なるべく電車が来るのを待ってカメラの準備をしていたのですが、

 何回待っていても、やって来るのは、
  お馴染みの〔e217系〕ばかり
  

 散歩といえば、最近は東逗子方面を歩くことが多いのですが、もともと逗子から横須賀方面への電車は本数が少なく、昼間になると、11両編成は一時間に1本くらいで、あとは4両編成の短い電車ですから当然といえば当然。「そうか、新型車輛は逗子止まりが多くて、こっちには来ないんだな」と勝手に思い込んでいたのです。

 ところが、先日インターネットで調べてみると、横須賀・久里浜方面にも何本か走っていることがわかりました。
 早朝と暗くなった後を除くと、昼間、平日は3往復で土日は4往復。特に土日は朝方に2本続けて久里浜行きが走っているということで、

 昨日の朝、逗子駅の下り線ホームへ行ってみると、いました、いました、新型〔e235系〕。
  7:27発「久里浜」行き
  

 土日の2本連続というのはこの時間帯で、この次の7:40発の「久里浜」行きも新型〔e235系〕なのです。

 そこで、まず27分発の電車に乗って東逗子駅で下車。次の電車を跨線橋の上から撮ろうと階段を上ると、

 まあ、いい天気。
  「富士」に「有明けの月」
  

 そして数分、やって来ました。2本目の〔e235系〕。
  東逗子7:43発「久里浜」行き
  

 上りの改札ホームに下りると、その電車がちょうど発車したところでした。見ると、後方上部の行き先表示窓が赤色灯を兼ねているようですが、ちょっと気取って、
  紅白の花を配したデザインに
  

 こうして、東逗子駅で「久里浜」行きを2本見送りましたが、久里浜駅は4つ先の終着駅ですから、30分ほど待てば戻って来るはずで、時刻表を見ると、8:19発、続く8:32発が先ほどの電車のようです。

 「それじゃ、今度は見通しの良い所から」と田浦方面へいつもの散歩道を歩いて、初めに乗った電車が東逗子駅到着する数分前に、最初の写真の〔e217系〕を撮った場所にスタンバイ。

 100メートルほど先にある踏切の警報音が鳴り始めてまもなく、
  上り「津田沼」行きが
  

  もちろん、後ろ姿も一枚
  

 二~三年後には全部この電車になるのでしょうから、今のうちに、懐かしくなるにきまっているボックスシートに座っておかなければと思ってみても、このコロナ禍、見ず知らずの人との対面はご遠慮ですから、その機会は来ないままになっちゃうのかもしれません。


   いつの世も諸行無常と梅一輪   弁人


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逗子の線路に待機する「JRの特急車輛」

2019-12-13 16:04:43 | 鉄道
12月13日(金)

 12月に入って最初の日曜日。逗子駅近くの踏み切りを渡っていると、引き込み線に前面が黄色の車輛が停車していました。

 側面、黄色のドアーに太いブルーのラインは「E257系」の「しおさい」とか「わかしお」とか、
  房総方面を走る車輛です
  

 「そうか、今日は休日。きっと、朝方鎌倉へやって来た『ホリデー快速鎌倉』の車輛が夕方まで止まっているんだな」と思いましたが、たしか、「ホリデー快速鎌倉」は行楽シーズン限定で、秋の運行は11月いっぱいで終わっているはずなのですが。

 その「ホリデー快速鎌倉」なる電車ですが、武蔵野線の南越谷駅を始発駅として、西に府中へ向かい、ふだんは旅客列車が走らない貨物線の長いトンネルを抜けて武蔵小杉を通過し、横浜駅手前から横須賀線に入って鎌倉に来る土日限定の行楽列車です。
 大宮にいるKAZU君や、地下鉄日比谷線一本で南越谷へ行けるKANA君が逗子に来る時にも使えるし、なにしろ珍しいルートを通るので、私も一度乗ってみたいと思っているのですが、朝早く迎えに行くか夜遅く戻って来ることになるので、なかなかその機会が作れないのです。

 そんな車輛が師走に入ったのに止まっている。まあ、鎌倉の紅葉は、だいたい12月に入ってから見頃を迎えるわけですから、期間を延長して運行することになったのかなと思って近づいてみると、

 ドアーに読売新聞のシールがあって、どうも、読売旅行がチャーターした
  団体列車のようでした
  


   誘ひしや師走の鎌倉歩く人   弁人


 何日か経って、今度は京急逗子線に乗っていると、神武寺駅の米軍住宅地側にあるJRの引き込み線に、これまた顔見知りの特急車輛が待機していました。

 常磐線特急「ひたち」や
  「ときわ」の車両かな
  
  

 先頭車輛に「E657」とありましたから、やはり常磐線の特急です。

 ここは、金沢八景にある「総合車輛製作所」とJR逗子駅を結ぶ線路ですから、車輛更新かなにかで新車を作ったのだろうと思いながら、後で調べてみると、

 東北大震災で寸断された常磐線、いまだに福島第一原発に近い富岡-浪江間が不通になっています。しかし、忌まわしい震災から9年、ようやく全線が繋がって試運転に入ったとか。どうも、来年3月中には運行するようですが、それに合わせて、現在、東京から最長いわきまで運行している常磐線特急に、仙台直通の特急が復活するようです。
 それにともない、今17編成ある車輛に2編成追加することになり、すでに、18編成目の車輛は、先月半ばに逗子から勝田の車輛所まで走って行ったそうです。ということは、私が見たのは19編成目の車輛ということになります。

 「そうだったのか、仙台まで行っちゃう特急車輛だったんだ」と思いつつ、「ひたち」といえば茨城県、今終点のいわき駅は福島県、やっと開通するのも福島県、そして、今度最長となる特急の終点が宮城県となります。だとすると、特急「ひたち」という名前でいいのかなと思ったりもします。まあ、今の時代、仙台まで行く人の多くは新幹線でしょうから、特急「いわき」くらいがいいんじゃないでしょうかね。


   復興の春へ待機の新車輛   弁人


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逗子駅に「特急あずさ」の新車輛

2018-06-15 17:21:43 | 鉄道
6月15日(金)

 JR逗子駅には1~3番線のホームがありますが、山側にもう一本回送用の線路があって、時々見慣れない車輛が止まっていることがあります。

 実は、京急の金沢八景駅と文庫駅との間に、「総合車輛製作所」(かつての「東急車輛」)という車輛製造工場があって、そこで製造された車輛を全国の路線へ運ぶ時に、八景から京急逗子線を使って神武寺駅へ、さらにJRの線路への引き込み線を通って逗子駅へ輸送するのですが、こういう電車の輸送を「甲種輸送」と言います。
 ただ、京急とJRでは線路の幅が違うので、八景駅から神武寺駅まではJRの狭軌用のレールが敷設してあって、3本レールになっていますが、これも、この「甲種輸送」のためなのです。

 ちなみに、直接線路に乗せずに大型の貨車に載せて運ぶのを「乙種輸送」と言うようですが、そういうのに出会ったことはなく、逗子駅に新車輛が回送されているのを見ると、「あっ、甲種輸送だ」ということになります。

 とまあ、鉄道に関心のある向きにはごく当たり前のことなのですが、いざ「甲種輸送」の車輛に出くわすとなれば、これはまた興味津々なのであります。

 そして先日、逗子駅で横須賀線を降りると、これはこれはなんともピッカピカの真新しい車輛が鎮座しておりました。

 写真の車体の記号は
 「モハE353」
  

 どうも、特急「スーパーあずさ」の
 「E353系」のもよう
  

 「どうも、・・・・のもよう」と言ったのは、最近、中央本線の特急に乗ったり見たりする機会がほとんどなくて、「スーパーあずさ」は灰色に薄紫、「あずさ」は白い車体にカラフルな縦ラインというイメージしかなかったからでした。

 まったくもって便利な時代になりました。ホームのベンチに座って、スマホで「E353」と打ち込むと即座にわかってしまうですから。

 この電車、昨年末に「スーパーあずさ」の新型車輛として登場。3月からは全てこの「E353系」になり、この7月からは「あずさ」や「かいじ」に順次投入されて行くとのこと。
 ということは、「なーんだ、『スーパーあずさ』じゃないんだ。『あずさ』や『かいじ』用の新車輛なのか」ということになりました。

 最後尾からも一枚。
  赤いランプが点いています
  

 ということは、電気が通じています。「甲種輸送」は途中の引き込み線に架線がないので、電車といえども、ディーゼル機関車が牽引して来るのですが、車輛の小窓に「試運転」という表示があり、もうJRの線路に乗っかっているので、もしかしたら、ここからは自走して行くのかもしれません。

 ところで、中央本線の特急「あずさ」といえば、かつては、登山・スキー・避暑・温泉と、諏訪や松本方面はもちろん、その先の大糸線方面にも欠かせない列車だったし、「あずさ2号」という名曲まで生まれています。
 実は、この夏か秋に「黒部アルペンルート」へ行ってみようかと、ひそかに考えているのですが、入り口は信濃大町ですから、当然、まずは特急「あずさ」に乗ってと思っていたところ、調べてみると、今は北陸新幹線に乗って長野駅からバスで入るのがふつうになっているようなのです。
 なるほど、信濃大町まで行く特急が一日1本しかないのも、次第に、甲府止まりの「かいじ」が主流になって行って、そこに新型の車輛を導入するのも肯けるような気がします。

 さて、計画中のひそかなプラン。今回のように、新型車輛を目の前にしてしまうと、もし、7月から「E353系」になるなら、時間がかかっても、一日1本の「あずさ3号」にしようかなと思ってしまいますが、どうなることやら。まだ出かけるかどうかも決めていないのに。


   逗子駅に避暑地いざなふ列車居り   弁人


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通勤ライナーで「スーパービュー踊り子」の車両に

2015-12-12 08:14:20 | 鉄道
12月12日(土)

 平日の朝8時過ぎ、
  茅ヶ崎駅3番線ホーム
  

 「おはようライナー新宿26号」、お馴染み251系「スーパービュー踊り子」の車両です。
(7:41小田原始発、茅ヶ崎8:05、藤沢に停まった後は渋谷までノンストップ、新宿9:02着)

 つい最近まで、平日の朝の8時頃に逗子駅に行くと、房総半島を走る黄色の車体の「おはようライナー」が停まっていて、一度乗ってみたいと思っていました。ところが、秋に逗子に帰って調べてみると、今年3月のダイヤ改正で廃止されたとのこと。ということは、朝の通勤ライナー、今は東海道線しか走っていないのです。

 それでも一度「湘南ライナー」か「おはようライナー」に乗ってみたいと思うのには理由がありました。

 それは、これらの通勤ライナーが通常の電車が走らない貨物線の線路を通るからです。
 貨物線の線路なら東海道線の脇を通っていると思いがちですが、実はそうではないのです。東戸塚から鶴見の手前の生麦辺りまでは、1980年にできた「横浜新貨物線」という、ほとんどトンネルのルートになっているのです。

 この新貨物線、私にとっては少々複雑な心境で眺めてきた線路なのです。

 かつて、東京・大船間は東海道線と横須賀線が同じ線路を走っていましたが、輸送力増強のために複々線化(品川・横浜間は京浜東北線も平行しているので事実上は複線三路線化)されることになったのです。その計画、横須賀線を従前の貨物線に移し、新たに貨物線のレールを設けるというものでした。

 今から40年以上も前、私は神奈川に職を得て、最初の夏に横浜市神奈川区の奥に新しくできた職員住宅に入りましたが、この「新貨物線」、ほとんどが神奈川区と保土ヶ谷区の住宅街の地中を通るということで、両区の住民の反発を招き、反対運動が巻き起こっていました。いわゆる「横浜新貨物線反対運動」です。
 15年続いた反対運動でしたが、結局実を結ばず、東京駅に地下ホームもでき、横須賀線が総武線とつながって今の路線になっているわけで、今でも、横須賀線が鶴見川を越えて新川崎方面へ向かう時に、「昔の貨物線を走っているんだなあ」と、そんな歴史を思い出したりするのです。

 というわけで、東戸塚のトンネルに入ると姿をくらまし鶴見の手前で地上に戻ってくるいわくつきの貨物専用の線路。ここを通るには、機関車の運転手になるか貨物列車に忍び込まない限り無理だと思っていましたが、実は、通勤ライナーがその貨物線を経由していると知り、昨年頃から逗子に帰った時に、一度「おはようライナー」に乗ってみたいと思っていたのです。

 「おはようライナー逗子」がなくなったとならば、東海道線の通勤ライナーに乗るしかありません。
 車両は時々乗る特急「踊り子」の185系だとしたら、藤沢駅でライナー券を買えばいかと思っていましたが、新宿行きの「おはようライナー」の一本に「スーパービュー踊り子」の車両が走っているとのこと、ふだん「スーパービュー踊り子」は大船は通過で、小田原も一日三往復のうちの一本しか停まらず、逗子にいると、なかなか乗る機会がありません。それではと、その「おはようライナー新宿26号」とかに乗ることにしました。

 でも、スーパービューですから、できれば先頭の展望車に乗ってみたいと思い、前日に藤沢駅と茅ヶ崎駅に行ってみましたが、510円のライナー券は駅によって乗車車両が決まっている上、東京寄りの先頭車は、定期券と組み合わせの「ライナーセット券」の乗客用となっていました。

 ともあれ、まずは一回乗ってみようかと
  茅ヶ崎駅へ
  

 茅ヶ崎駅乗車は6~8号車となっていました。1・2号車がグリーン車で9・10号車が「セット券」用なので、残る3~5号車が小田原駅と藤沢駅の乗車分になっているもようです。

 「スーパービュー」らしく
  視界の広い窓でしたが、
  

 私は野次馬のようなもので、ほとんどが通勤客ですから、景色なんぞに見とれている人なんかいるはずもありません。それに朝日の差し込む時間帯、ほとんどカーテンを下ろしてしまいます。新聞を広げるかウトウトしている人が大半なのでしょう。
 天井の荷物入れを使用する人は誰もいませんが、「すごい、航空機みたいだ。きっと窓を広くしようとしたんだな」と上を見上げたりしているのも私一人くらいのもの。

 たしかに、東戸塚の先でトンネルに入りました。このまま鶴見の手前まで何分くらい新貨物線のトンネルを走るのだろうと時計をにらんでいると、数分後に一回地上に出て再びトンネルに入りました。
 「どうせ定員制だから」とホームに並ぶのが遅かったのが間違い、座席が通路側になったこともあって、そのままなんとなく新川崎辺りを通って渋谷駅に着いてしまいました。

 最後尾の展望車はグリーン車ですが、後ろ向きでも、やっぱり展望車に乗らないと初めての線路を走っている実感が湧いてこないということで、後日再挑戦ということになりました。

 通勤ライナーのグリーン車はライナー券は不要で、通常の普通電車用のグリーン券を用意すればいいのですが、定員制ではないので混むと座れない場合もあるとか。
 でも、7時半までに小田原へ行くのは少々きつい。そもそも、小田原から新宿へ行く通勤客は運賃の安い小田急に乗るはずと予想して、二回目も茅ヶ崎から乗ることにしました。
 今回は早めにホームへ。1・2号車の位置にけっこうな人が並んでいて、「これじゃ、展望車なんか無理だ」と思いきや、その前に来る「湘南ライナー」の茅ヶ崎駅乗車の割り当てが1~3号車だったようで、その電車に全員乗り込んでしまいました。
 残ったのは私一人。少し後に母親と男の子の二人連れが来ましたが、8時04分にやって来た「おはようライナー新宿」、グリーン車に乗ったのはその3人のみ、なんと予想どおりというより、意外にも小田原から乗った人も一人二人くらいでガラガラの状態。すんなりと最後尾最前列に座れました。
 通勤は毎日ということで、グリーン車に乗る人はそんなに多くはないのでしょうか、でも、向こう側ホームの普通電車のグリーン席はほぼ満席に見えたのに不思議です。おそらく、停車駅の関係でライナーを利用しにくい人がかなりいるのだと思います。

 まず藤沢駅特設ホーム停車。
  左に東海道線
  

 運転席上部のフレームと、運転台を見えにくくするためか、ガラス下半分に白い横線が入っているので視界はあまりよくありません。
 最前列でこの状態ですから、階段状の後席は線路と空くらいしか見えないかもしれません。

 それはともかく、
  最初のトンネルを出ました
  

 第三京浜羽沢インター近く。JR貨物横浜羽沢駅があるのでここで一回地上に出ます。今は貨物専用ですが、将来、相鉄線がJRに乗り入れると、旅客用の駅にもなるとか。

  再びトンネルに
  

 三ツ沢の北、片倉、岸根方面から、妙蓮寺、大口辺りを抜けて

 生麦で再び地上へ。
  左に京浜急行
  

 まもなく、右に並走していた
  東海道線と京浜東北線を跨ぎ、
  

 その後すぐに、上の写真右の横須賀線の高架の下を潜って、新川崎駅隣接の新鶴見操車場へ向かいます。

 何本もある貨物用線路の
  いちばん西側を通ります
  

 左側(東方向)いちばん向こうに、
  ふだん乗っている横須賀線
  

 武蔵小杉駅直前で
  横須賀線のレールに合流しました
  

 これで、なんとか第一目的の「横浜貨物線踏破」を達成した満足感に浸ることができ、

 この日も渋谷で降りて、二回の
  電車ミニ旅を終えました
  

 まあ、展望車にも乗れて満足というところですが、展望車ということなら、伊豆急のリゾート号のほうが解放感があって断然まさっています。そのリゾート号、平日は熱海から気軽に乗れる普通電車で走っているので、KAZU君やKANA君と一緒に伊豆方面へ行く機会があればいいなと楽しみにしています。
 まだまだ元気でいないと。


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「山陽大動脈列車風景」⑧-貨物列車「機関車重連」編

2015-09-23 06:15:21 | 鉄道
9月23日(休)

 明石を通過する貨物列車の電気機関車については、2010年5月28日と2013年の11月15日の記事で二回紹介しました。よって今回が三回目です。

 山陽本線や山陽電鉄の線路を走る列車も今日が見納め。インターネットの回線もまもなく切れることになっています。したがって、この「山陽大動脈列車風景」の記事をもって、明石からは最後のブログのアップとなります。

 なお、明日、明石に別れを告げて逗子へ向かいますが、もし、そんな様子をブログの記事に載せるとすると、逗子の家に落ち着いてからになりますので、少しばかり時間があくことになります。

 それでは今日の話題に。

 前二回の記事で触れたかもしれませんが、さすが大動脈の山陽本線だけあって、貨物列車が本当によく通ります。もともとその貨物列車用だったレールに、新快速と特急を走らせて複々線にしたからでしょうが、明石駅や神戸駅、三宮駅の新快速のホームに立っていると、よく目の前を貨物列車が疾走して行くことがあって、少々怖い感じもします。

 私の住まいの最寄り駅の朝霧駅に停車するのは普通電車だけで、ホームから見上げた所に複々線の、もう一対の二本のレールが走っています。明石に来てまもなくの頃、そのレールに、

 重連(二連)の
  電気機関車が通り過ぎました
  

 先頭は、今ではおなじみの「EF210型桃太郎」で、後ろの機関車は、少しあごが出ている感じなので、「EF66型」機関車だと思います。

 ふつう、機関車を重連にするのは、急勾配などの一輌では力不足の時で、山陽本線でいうと、広島県の「瀬野八」と呼ばれる区間(八本松駅-瀬野駅間)が有名ですが、ここいら阪神・播磨の区間はほとんど平坦ですから、その必要は全くありません。
 なるほど、後ろの機関車を見ると、パンタグラフが下がっていて駆動していないことがわかります。したがって、「二連結の重連」といっても、後ろの機関車は何らかの事情で回送されているにすぎないのでしょう。

 とは言っても、二連結の機関車はめったには通りませんから、初めはたまたまカメラに収まるとうれしくてたまりませんでした。

 上の写真を撮った後だったと思います。KAZU君がまだ一才になるちょっと前、インフルエンザ騒ぎで保育園が休園になった時、三日間くらい続けてベビーカーを押して線路っ端へ行って電車を眺めていました。
 カメラを持った人や散歩中の人もよく現れますが、たまたま会釈を交わしたおじいさん、電気機関車の型式とかなかなか詳しくて、思わず質問してしまいました。
「このあいだ、二連結の機関車を見たんですけど、よく通るんですか」
「あぁ、見ましたか。よくは通りませんよ、夜中は知りませんが、昼間はお昼前に一回かな」
 あとは簡単。暇を見つけて写真の撮影時刻の辺りに線路脇へ行って観察した結果、「11時10分から20分頃の下り線」ということがわかりました。

 おじいさんと会話をした場所で。
  先頭が「桃太郎」、後ろが「EF200」
  

 同じく、
 「桃太郎」と「EF200」のコンビ
  

  これは「桃太郎の二連結」
  

 ところが、三年くらい前でしょうか、たまには重連の機関車でも見に行こうかと、いつもの時間に線路脇に行ったのですが現れませんでした。もっとも、貨物列車にも時刻表はあるとはいえ、ダイヤが乱れたり運休したり一輌だけで運行したりと、事情はあるでしょうから出合えなくても仕方がありません。
 とはいうものの、そんなことが度重なると、もしかしたらダイヤの改正があったのかもと考えます。もしそうなら、なにかの折に目に入った時にその時間を覚えておけばいいと、カメラを持って線路脇に行くことがなくなりました。

 再び出合ったのは、それからずいぶん時間が経ってからでした。12時05分前後、やはり下り線で、その後、ふとお昼ご飯の前に思い出した時に、何回かカメラを構えに行きました。

 二輌目が赤い。近づくと、
  な、なんと「レッドサンダー」
  

 「な、なんと」と思ったのは、この機関車、主にJR東日本で走っていて、貨物でも日本海側中心、来ても大阪までと思っていたからです。いったいどこへ何の用があって回送されて行くのかわかりませんでしたが、どうも今年の春のダイヤ改正で、大阪から岡山まで運用が拡大されたといういうことです。
 でも、レッドサンダーが牽引する貨物列車、春以来、明石近辺ではまだ出合ったことがありません。もっとも、この何ヶ月はKAZU君のオランダ行きのことなどで、貨物列車にあまり目を向けなかったのでしょう、先日、吹田・茨木の辺りで見ることができましたので、やはり大阪の東のほうでは走っているようです。

 そういえば、この前、KAZU君と大宮の鉄道博物館へ行った時、ガラス越しに「レッドサンダー」ならぬ「EH200型のブルーサンダー」が通り過ぎ、それを目の当たりにした坊やが興奮気味に何かお父さんに叫んでいました。KAZU君は「なんや、あれ」という感じでしたが、関東と関西では走る車両もかなり趣が変わります。なお、「ブルーサンダー」は新川崎の操車場にいっぱい停車しています。それはともかく、

 次の二枚は、いずれも
  ディーゼル機関車を運ぶ「桃太郎」です
  
  

 ディーゼル機関車といえば、「DE10」とか「DD51」とかが思い浮かんで来るのですが、ファインダー越しでは数字や記号はわかりません。どっちにしても、どうもそれらしい車両が「桃太郎」の後ろに走っている写真が二枚も撮れて、まずはともあれ「チョー満足」といったところでした。
 海沿いの山陽本線は電化されているので、山陰か岡山広島の山間いを走るためでしょうか、もしかしたら、兵庫の工場あたりで修理・点検でもしていたのかもしれません。


   秋風や友と連れ立ち何処へ往く   弁人


 
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「山陽大動脈列車風景」⑦-貨物列車編その2

2013-11-15 17:46:09 | 鉄道
11月15日(金)

 「山陽大動脈列車風景」というタイトルの4つ目の記事で、明石でよく目にするJRの貨物列車(正確には、貨物を牽引する電気機関車)の写真を載せました。それが2010年の5月末のことでしたから、もう、なつかしいと思うくらい時が経っています。

 その3年半前の記事では、JRといっても、民営化以前の国鉄時代に作られた「EF65形」と「EF66形」の電気機関車を載せたので、今回は、分割民営化された後、JR貨物会社によって製造された、「EF200形」と現役バリバリの「EF210形」です。

 国鉄が民営化されたのは、たしか私が40才頃のことでしたから、もう25年くらい経っているのでしょうか。前回記事の、それ以前に作られた電気機関車もまだ走ってはいるのですが、線路脇を歩いていて見る機関車、今は半分以上が「EF210形」のような気がします。その「EF210形」電気機関車、

 「桃太郎」のロゴマークが入っているので
  すぐわかります
  
   
 上が114番機で、下は136番機。

 「桃太郎」の名の由来は、もちろん、力強い性能ということもあるのでしょうが、東海道、山陽本線の貨物輸送用として、当初から配属先を桃太郎の地元の岡山機関区に置いたからのようです。
 今は、吹田や新鶴見にも何台かあるようですが、ほとんどが岡山機関区に配置されているのです。明石でしょっちゅうお目にかかるのも当たり前ですね。

 実は、この桃太郎の電気機関車、二桁の車両番号機の初期車が18台、100番台の三桁の改良車が73台の計91台あるのですが、ということは、台数の少ない番号二桁の車両には、当然出会うことがなかなかありません。

  その、貴重?な写真です。
  
   
 上が「EF210-10」で、下が「EF210-15」です。

 この機関車には、胴体の「桃太郎」とういうロゴマークがなくて、運転席の窓の下(進行方向右側)にちょこんと入っています(〇印)。なにしろロゴが小さいので、「桃太郎」という文字がわかるように車両全体を撮るのは、いつ出会えるかもわからない中ではけっこう難しいのです。

 実は、貨物列車にもきちんとしたダイヤがあって、私も4年前に本屋で注文して「貨物時刻表」なるものを買ってみたのですが、読み方が悪いのか、記載されていないのか、車両の種類はわかりませんでした。やはり、目の前を通過した時に、時間と機関車の種類などをメモしておいて、時刻表とつき合わせるのが良いのかもしれもせんが、なかなかできません。

 ところで、「桃太郎」という呼び名の電気機関車あるということは、「金太郎」という機関車もあるのではと思いますが、期待どおり、ちゃんと走っています。
 ただ、こちらは首都圏以北で活躍しているので、関西では見ませんが、横須賀線新川崎駅前の新鶴見信号所や南千住の隅田川貨物駅で見かけたことがあります。

 2010年の春、東北旅行の時に
  郡山駅で撮りました
  
   

 下の写真のとおり、100番台の桃太郎と同じように、胴体に「金太郎」の金文字が、さらに、こちらはイラストの絵までが大きく入っています。
 「金太郎」は「EH500形」です。「H」は車軸の数を表し、アルファベットの8番目、つまり8本ということで、「EF」より2本多いのです。したがって、とても長く、見た目は二両が合体しているように見えます。

 KAZU君が持っている「プラレールかるた」に、「EF210-桃太郎」「EH500-金太郎」の絵札も入っていて、
  左が「桃太郎」、右が「金太郎」

  
 右側の「金太郎」、やはり、おもちゃのレールには長すぎるのか、二両でできています。

 さて、話を山陽本線の電気機関車に戻します。

 ここまでは、通称桃太郎「EF210形」の機関車の話でしたが、実は、この機関車と国鉄時代の機関車「EF65形・EF66形」の間に、もう一つ「EF200形」の電気機関車が存在します。

  「EF200-19」
  

  「EF200-15」
  

  「EF200-11」
    

 前面の窓とライトの間がグッと盛り上がっていて、こちらを走る電気機関車の中では、いちばんロボットのような顔立ちに見えるので、めったにしか来ませんが、遠くからでもわかります。
 「めったにしか来ない」というのは、この機関車も台数が少なく、20台しか作られなかったからです。高出力高性能を謳って登場したものの、必要電力量が高く、平成に入ってからの景気後退期にそぐわず、早々に、後継の「EF210形」が製造されたようです。

 特徴があって、たまにしか走って来ないぶん、「EF210形」の初期車と同様、目にするとうれしくなります。


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「近鉄特急アーバンライナー」に乗って名古屋に

2013-04-28 19:21:32 | 鉄道
4月28日(日)

 いよいよゴールデンウイークです。まあ、年金暮らしの者には関係ないのですが、孫たちの親はそれぞれ仕事を持っていて平日は保育園で生活しているので、やっぱり休日が続く時は楽しみです。

 明石で暮らしているKAZU君が、連休半ばから家族旅行で箱根にやって来ることになりました。

 なんと、うれしいことにKAZU君、
「おじいちゃん、カーくんがな、温泉連れてってあげるからな、おばあちゃんも一緒に行こうって言うとってな」
と言ってくれました。そこで、
「東京になるか小田原になるか知れんけど、カーくんがな、新幹線降りる駅でおばあちゃんと待っとるからな」
と約束をして、一足先に逗子の我が家に戻って来た次第です。

 たかが関西から関東に帰ってくるだけなのですが、さすがに行楽シーズン、ちょっと新幹線が混んでいるのです。
 それじゃあ、新幹線は名古屋から一駅だけウトウトしていればいいかと、今回は、大阪難波から近鉄特急でゆっくりと車窓を眺めながら名古屋までというプランになりました。

 ということで、
  御堂筋を下って大阪難波へ
  

 特急アーバンライナー、
  難波駅に入線
  

 妻君が奈良に隠棲していた時に、大和八木や桜井などでよく通過するのを見て、一度乗りたいと思っていた特急です。上本町と鶴橋に止まった後は名古屋までノンストップだと思ったのですが、昨年の春からノンストップ特急がなくなったらしく、津駅に止まるようです。

 近鉄特急と言えば、
  本当はこのカラーが好きなんですけど
  

 1964年10月、新幹線開通一番列車に乗った時に、帰途、上本町から名古屋まで乗った特急もこのカラーで、中間車両が二階建てになっているのをいわゆる「ビスタカー」と呼ぶ特急です。
 今でも難波や京都から奈良へ行く時に乗ったり、伊勢に向う大阪線でもよく走っていて、なんとなくこの色の車両じゃないと近鉄特急という気分になれないのですが、本当は、この春に登場した大阪と名古屋から伊勢志摩に向かう「しまかぜ」と、黄色と白の車体の「伊勢志摩ライナー」、それに今回の「アーバンライナー」のほうが新しくて快適なのかもしれません。

  1号車のデラックス車。3列シートです
  

  先頭から二列目の座席に着きました
  
 ドアの向こうは運転席のすぐ後ろで、前方の景色がよく見られそうですが、その光景はすぐ上のテレビで見られます。

  奈良県に入って、三山が鎮座する大和盆地へ
  

  鯉のぼりと八重桜、室生口付近を通過
  


   大和路は桜の春に初夏の風   弁人


 そして、
  県境の長いトンネルを抜ければ三重県です
  

  四日市から桑名へ。揖斐、長良川を渡って
  

  木曽川の川幅もこの辺りになるとかなり広い
  


   駆け抜ける大河三川のどかなり  弁人


 もう間もなく名古屋駅。
  初めて運転席の後ろに行きました
  


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兵庫にあるJRの盲腸線「和田岬線」

2013-03-16 10:32:15 | 鉄道
3月16日(土)

 「終着駅」・・・なんとも言いようのない哀愁が漂っています。

 私なんぞは、ふと、奥村チヨの
「落ち葉の舞い散る停車場は ・・・・・・・・ 」
という歌を思い出してしまいますが、
 
 浮かび上がってくる駅舎のイメージとは。

 雪のちらつく田舎の停車場。でも、終着駅ですからその駅で線路が終わってなくてはなりません。はたして、鉄道の終着の駅がそんな田舎にあるでしょうか。
 田舎でないとすれば、上野駅や青森駅か。たしかに、始発・終着の列車が多く、駅のコンコースに向かって行き止まりになっている線路もあります。でも、実は東北本線の名目上の起点は東京駅で、上野駅は山手線や京浜東北線の途中駅です。青森駅も昔から行き止まりの駅ではありません。線路はさらに、奥羽本線や津軽線へ続いています。

 一方、私鉄では、それぞれ単独で繁華街から郊外へ放射状に伸びる路線が多く、環状することが少ないので、始発の駅に行けば、いくらでも行き止まりのレールを見ることができます。
 もちろん、JRにも環状しない路線はあるので、行き止まりの終着駅がありそうですが、そんなに多くはありません。北海道を除けば、房総半島も紀伊半島も周回しているし、南九州の日豊本線と鹿児島本線も繋がっています。
 最近は、新幹線の開通やローカル線の廃止にともなって、行き止まりになってしまった路線もありますが、私の若い頃には、全国ネットの国鉄には終着駅はあまり存在しないと思っていて、初めて長崎駅に降り立った時は少なからず興奮したものです。

 もう40年も前のことになります。所帯を持って湘南に住むようになった時、横須賀線には終着駅があると、さっそく久里浜駅へ行ったのですが、貨物線のためか、軍用のためか、駅の端からさらに線路が伸びていて、少しがっかりしたのを覚えています。

 その横須賀線、大船駅で東海道本線から分かれ、途中7つの駅を経て久里浜で行き止まりになります。このように、本線から垂れ下がるように分かれて終着駅に行き着く路線を、俗に「盲腸線」とも言います。
 もっとも、「盲腸線」の定義には「駅数の少ないもの」という概念を加えることもあり、そういう意味で、8駅目の終着というのが当てはまるかどうか微妙なところもありますが。

 昔、伯父と叔母の家が鶴見と浜川崎にあって、遊びに行く時に、鶴見駅から出る鶴見線によく乗りました。工場と煙突が並ぶ京浜工業地帯を走る鶴見線、この路線には3本の盲腸線があって、その頃から興味はあったのですが、みな大工場の従業員を乗せるためにある路線で、従兄弟と一緒に子どもどうしでワイワイと乗る電車ではありませんでした。

 実は、鶴見線の「盲腸線」と同じように、工場地帯の従業員を乗せる路線が神戸にもあるのです。

 4年半前、明石に来た時は、まだこちらの鉄道網に疎く、「盲腸線」のことは意識の外でしたが、家の近くの山陽本線上に、かつての京浜東北線と同じ青い車体の回送電車が走っているのを何回か目にし、気になって調べると、兵庫駅から分岐して1駅だけ延びている「盲腸線」の「和田岬線」の車両だとわかりました。

 兵庫駅には、
  昼間は閉ざされている改札があります
  

 この改札が、朝夕しか走らない「和田岬線」のホームへの入り口だということは知っていたのですが、その車両が、朝夕以外は西明石の車両基地で待機していて、その行き帰りの電車を明石の線路沿いから眺めていると、そのうちに一度乗らなくてはという気分になってきます。
 でも、実際に乗るとなると、これがなかなか難しい。朝は下りが満杯で上りはガラガラのはず。夕方はその反対に決まっています。片道だけ乗るのは不本意だし、カメラを持って満員電車に乗るのも気が引けて、その機会がなかなかありませんでした。

 勇気を出して、
  平日の朝8時に兵庫駅に行ってみると
  
 思ったとおりのラッシュアワーです。1駅先の終着駅、和田岬駅には三菱重工の造船所があって、おそらくほとんどの人がその従業員だと思われます。

 満員電車に乗るのは遠慮して、
  8時21分発の電車を見送りました
  
 さすがに時間に追われる朝の出勤時、私以外は、一人もホームに残りませんでした。

 ホームは山陽本線神戸線より
  一段低い所にあります
  

 とりあえず、次の電車に乗って和田岬駅へ向かいました。

 途中、ヴィッセル神戸とINAC神戸の
  ホームズスタジアムが見えました
  

  これが和田岬線の時刻表です
  

 兵庫駅行きの朝の最終電車。
  乗客は2、3人しかいません
  


 さて、この日は車窓からの写真がうまく撮れなかったので、もう一度すいていそうな土曜日に出かけました。

 本数は少ないものの、さすがに土曜日はゆっくり座って行ける乗客の数です。兵庫駅を出て山陽本線から離れて行くと、

  まもなく、右に分岐する線路が見えます
  

 川崎重工の車両工場で、
  特急電車らしき車体が見えました
  

  兵庫駅から数分で和田岬駅です
  
 駅の先に三菱重工の建物が見えています。

 たしかに終着駅。
  線路はここまでです
  


   春一番終着駅に立ってみる  弁人


 写真でおわかりのとおり、この日はいつもの青い103系の電車ではなく、ふだんよく乗る普通電車と同じの207系の車両が運行していました。
 車掌さんに聞くと、103系の青い電車は一編成しかなく、点検整備等があるとこの車両になるということでした。かつての国電の懐かしい車体もだんだん消えて行く運命にあるようです。

 ところで、一駅だけの「盲腸線」の終着駅は
  改札がなく無人駅です
  

 ホームの途中から、そのまま町中へ出ることができるようになっています。一駅だけなので、起点の駅に改札を設ければ済んでしまうのです。
 ということは、私のような暇人だと何往復もできてしまうことになりますが、もともと何往復もできる本数が運行されていないので、これでいいのでしょう。

 そういえば、昨年の9月に乗った西新井の東武大師線も一駅の「盲腸線」だったので、大師前駅の改札は無人で自由通行になっていたのを思い出しました。
 大師線は一日中運転しているので、その気になれば何往復でもできますね。

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JR「○○市駅」追加編-西脇市「旧鍛冶屋線跡」

2012-11-16 21:02:43 | 鉄道
11月16日(金)

 前回の記事で、JRの「○○市駅」という駅を3つ挙げて話題にしましたが、実はもう一つ、兵庫県にもあるのです。

 10月初めに、東経135度北緯35度にある西脇市の「日本へそ公園」に行き、10月5日の記事に載せました。その時に、今は廃線となった、西脇市駅から彼岸花のきれいな多可町を結んでいた「鍛冶屋線」の跡も車で回ってみたのです。そのスタートがこの駅です。

  JR加古川線の「西脇市駅」
  

 加古川線は、山陽本線の加古川駅と福知山線の谷川駅を結んでいるローカル線ですが、直通の電車はほとんどなく、この西脇市駅が中継の駅となっています。

  ホームには二つの電車が並んでいました
  
 左の電車が加古川行き、右の電車が谷川行きです。西脇市から加古川方面は、それでも1時間に1本ほど走っていますが、谷川方面は運行本数が少なくて一日9本。写真の10時12分発の電車の次は、13時41分発まで約3時間半も間隔が空いてしまいます。

 その谷川方面の次の駅は「新西脇」という駅名になっているのに、なぜこの駅の名称が「西脇駅」でないのかを、駅前で煙草をふかしていたタクシーの運転手さんに聞いてみたところ、かつてこの駅は「野村駅」という名称で、今は廃線となった旧鍛冶屋線に「西脇駅」という駅があったからではないかということでした。

 その旧鍛冶屋線、廃線となったのが1992年ということですが、かつてはこの駅(当時の野村駅)から加古川の支流の杉原川に沿って北上し、さらに、その支流の思い出川沿いを上って、多可町の鍛冶屋駅までを結んでいたということです。

 その旧鍛冶屋線。始発の「野村駅」の次の駅に「西脇駅」という駅があったとかで、地図を見ると、その場所は、たしかに今の市街地に近い所なのですが、廃線にともなって、市の中心部にあった「西脇駅」が消える運命になり、今度は、加古川線の「野村駅」という名称を、一見して西脇とわかる駅名に変えることになったようです。どうもその時に、廃止される駅との混乱のないように「市」を入れて「西脇市駅」としたようでした。

 ということで、この日は、この町の駅名に「市」が付いているわけに納得ができた気分。少しすっきりした中、せっかくなので、杉原川沿いに車を走らせ、終点の鍛冶屋駅跡に向かってみました。

 途中の道路沿いに、
  ラッピングされた青い電車がありました
  
 旧西脇駅の一つ先の「市原駅」跡です。彼岸花の咲く土手とのあいだに道路を挟んで、昔のホームが残っていて、そこに浦島太郎の絵が描かれている電車が残っていました。

  すぐ脇に駅舎も残って、記念館になっています
  

  思い出の品が展示されていました
  

  さらに10キロほど北上すると
  
 終点の旧鍛冶屋駅の駅舎です。田園地帯の中とはいえ、駅の周辺は、昔ながらの古めかしい家も並び、往時はそれなりに人の往来の多い土地だったような風情も残っていました。

  駅舎を抜けると、プラットホームに出ます
  

  「キハ」のブルーの車体が秋空に輝いていました
  


   往にし日の面影追ひて秋澄みぬ   弁人


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