チムどんどん「明石通信」&「その後」

初孫との明石暮らしを発信してきましたが、孫の海外移住を機に七年で区切りに。現在は逗子に戻って「その後」編のブログです

さようなら明石、7年間お世話になりました

2015-09-27 10:18:47 | 身辺雑記
9月27日(日)

 思えば、2008年の9月20日に逗子を出立。大津は瀬田の唐橋で一泊して翌21日から明石暮らしが始まりました。
 最初は2年くらいの腹積もりだったのに、明石海峡を前にした快適な毎日にどっぷりと浸かって7年と3日。KAZU君一家のオランダ転居という、逗子に帰る格好のきっかけができて、とうとう明石を去る日がやってきました。

 キリがいいので、来た時と同じように9月20日に明石を発とうかと思いましたが、ちょうどシルバーウイークとかの連休中で身動きが取れませんでした。

 6年前の5連休を思い出します。KAZU君はまだ1才ちょっとでした。あの年も天気が良く、みんなで淡路島と京都の嵯峨野にそれぞれ一泊ずつ、二泊三日の旅行をしたのが昨日のことのようです。

 そんな思い出を甦えらせながら、部屋の片付けと掃除に追われていましたが、今年の連休も毎日秋晴れの好天続きで、見納めの風景を眺めながらの作業となりました。

 毎日ベランダ越しに眺めてきた
  明石海峡
  

 私の部屋は、
  茶色のタイルのマンションの3階でした
  

 そして、いよいよ明石に別れを告げる24日の朝がやってきました。木曜日はゴミの収集日。さっそく最後のゴミを出そうと表に出ると、前日までの秋空がうそのように雨が落ちていました。

 明石海峡大橋にも
  お別れして
  

 荷物の積み込みも完了。それでは
  逗子に帰るとしましょうか
  


   秋雨の町にお暇いざ帰りなん   弁人


 天文科学館の姿も目に焼き付けて
  部屋を後に
  

 山陽電車。いつの日か
  また乗ることがあるかどうか
  

 マンション前の坂道を下ると線路脇に出るのですが、写真の右側の坂道を「グーグル」の「ストリートビュー」で見ると、まるで追いかけるように私の愛車が写っています。5月頃だったか、買物に出る時にカメラを積んだ車に出くわしたので、その時の写真が載っているものと思われます。更新されるまでしばらくはいい思い出になりそうです。

 さて、こうして明石の地を後にしたわけですが、実は、朝から車に入らなかった段箱を郵便局へ持ち込んだり、退去時の必要書類や鍵を不動産屋に届けたりしていたので、出発の時間がかなり遅れてしまい、かなり慌てふためいて、なんとかお昼前に雨の中の高速道路に入りました。

 そういえば、7年前、琵琶湖から明石に来る時も、名神高速は土砂降りだったのを思い出します。今回はそれほどでもありませんが、やはり、雨の中で明石から去って行くことになりました。

 15時過ぎ、
  雨雲に煙る浜名湖に
  

 三ケ日で新東名に入らなかったのは、暗くなってから逗子に着くのがいやで、焼津に宿をとっていたからです。

 今回は、特別に
  露天風呂付きのいい部屋です
  

 焼津の町が
  眼下に
  

 マグロ料理を堪能して部屋に戻ると、夕方の景色が
  夜景に変わっていました
  

 一夜明けても雨は上がらず、港も魚市場も
  雨に煙っていました
  

 宿を出ると、もう
  すっかり彼岸花の季節なのでした
  


   雨に濡れ思ひや同じ曼珠沙華   弁人


 逗子には昼過ぎ、明石を出てから26時間後に到着。さっそく車に積んだ荷物を家の中に運び入れましたが、さてさて、これを片付けて落ち着いた時間がやって来るまでいったい何日くらいかかるのか、思わず溜め息。
 そして、久しぶりの我が家で新聞に目を遣ると、つい先日、勝率を5割にして、まだ優勝の可能性も残っていたカープが知らぬ間に連敗していたらしく、なんと借金が5つに増えていて、またまた溜め息。久しぶりにテレビを見ていると、この日も完封負けで27インニング無得点とか。

 どうも、ちょっとばかり慌ただしくしているうちに、世の中すっかり秋の寂寥感に覆われているのでした。


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「山陽大動脈列車風景」⑧-貨物列車「機関車重連」編

2015-09-23 06:15:21 | 鉄道
9月23日(休)

 明石を通過する貨物列車の電気機関車については、2010年5月28日と2013年の11月15日の記事で二回紹介しました。よって今回が三回目です。

 山陽本線や山陽電鉄の線路を走る列車も今日が見納め。インターネットの回線もまもなく切れることになっています。したがって、この「山陽大動脈列車風景」の記事をもって、明石からは最後のブログのアップとなります。

 なお、明日、明石に別れを告げて逗子へ向かいますが、もし、そんな様子をブログの記事に載せるとすると、逗子の家に落ち着いてからになりますので、少しばかり時間があくことになります。

 それでは今日の話題に。

 前二回の記事で触れたかもしれませんが、さすが大動脈の山陽本線だけあって、貨物列車が本当によく通ります。もともとその貨物列車用だったレールに、新快速と特急を走らせて複々線にしたからでしょうが、明石駅や神戸駅、三宮駅の新快速のホームに立っていると、よく目の前を貨物列車が疾走して行くことがあって、少々怖い感じもします。

 私の住まいの最寄り駅の朝霧駅に停車するのは普通電車だけで、ホームから見上げた所に複々線の、もう一対の二本のレールが走っています。明石に来てまもなくの頃、そのレールに、

 重連(二連)の
  電気機関車が通り過ぎました
  

 先頭は、今ではおなじみの「EF210型桃太郎」で、後ろの機関車は、少しあごが出ている感じなので、「EF66型」機関車だと思います。

 ふつう、機関車を重連にするのは、急勾配などの一輌では力不足の時で、山陽本線でいうと、広島県の「瀬野八」と呼ばれる区間(八本松駅-瀬野駅間)が有名ですが、ここいら阪神・播磨の区間はほとんど平坦ですから、その必要は全くありません。
 なるほど、後ろの機関車を見ると、パンタグラフが下がっていて駆動していないことがわかります。したがって、「二連結の重連」といっても、後ろの機関車は何らかの事情で回送されているにすぎないのでしょう。

 とは言っても、二連結の機関車はめったには通りませんから、初めはたまたまカメラに収まるとうれしくてたまりませんでした。

 上の写真を撮った後だったと思います。KAZU君がまだ一才になるちょっと前、インフルエンザ騒ぎで保育園が休園になった時、三日間くらい続けてベビーカーを押して線路っ端へ行って電車を眺めていました。
 カメラを持った人や散歩中の人もよく現れますが、たまたま会釈を交わしたおじいさん、電気機関車の型式とかなかなか詳しくて、思わず質問してしまいました。
「このあいだ、二連結の機関車を見たんですけど、よく通るんですか」
「あぁ、見ましたか。よくは通りませんよ、夜中は知りませんが、昼間はお昼前に一回かな」
 あとは簡単。暇を見つけて写真の撮影時刻の辺りに線路脇へ行って観察した結果、「11時10分から20分頃の下り線」ということがわかりました。

 おじいさんと会話をした場所で。
  先頭が「桃太郎」、後ろが「EF200」
  

 同じく、
 「桃太郎」と「EF200」のコンビ
  

  これは「桃太郎の二連結」
  

 ところが、三年くらい前でしょうか、たまには重連の機関車でも見に行こうかと、いつもの時間に線路脇に行ったのですが現れませんでした。もっとも、貨物列車にも時刻表はあるとはいえ、ダイヤが乱れたり運休したり一輌だけで運行したりと、事情はあるでしょうから出合えなくても仕方がありません。
 とはいうものの、そんなことが度重なると、もしかしたらダイヤの改正があったのかもと考えます。もしそうなら、なにかの折に目に入った時にその時間を覚えておけばいいと、カメラを持って線路脇に行くことがなくなりました。

 再び出合ったのは、それからずいぶん時間が経ってからでした。12時05分前後、やはり下り線で、その後、ふとお昼ご飯の前に思い出した時に、何回かカメラを構えに行きました。

 二輌目が赤い。近づくと、
  な、なんと「レッドサンダー」
  

 「な、なんと」と思ったのは、この機関車、主にJR東日本で走っていて、貨物でも日本海側中心、来ても大阪までと思っていたからです。いったいどこへ何の用があって回送されて行くのかわかりませんでしたが、どうも今年の春のダイヤ改正で、大阪から岡山まで運用が拡大されたといういうことです。
 でも、レッドサンダーが牽引する貨物列車、春以来、明石近辺ではまだ出合ったことがありません。もっとも、この何ヶ月はKAZU君のオランダ行きのことなどで、貨物列車にあまり目を向けなかったのでしょう、先日、吹田・茨木の辺りで見ることができましたので、やはり大阪の東のほうでは走っているようです。

 そういえば、この前、KAZU君と大宮の鉄道博物館へ行った時、ガラス越しに「レッドサンダー」ならぬ「EH200型のブルーサンダー」が通り過ぎ、それを目の当たりにした坊やが興奮気味に何かお父さんに叫んでいました。KAZU君は「なんや、あれ」という感じでしたが、関東と関西では走る車両もかなり趣が変わります。なお、「ブルーサンダー」は新川崎の操車場にいっぱい停車しています。それはともかく、

 次の二枚は、いずれも
  ディーゼル機関車を運ぶ「桃太郎」です
  
  

 ディーゼル機関車といえば、「DE10」とか「DD51」とかが思い浮かんで来るのですが、ファインダー越しでは数字や記号はわかりません。どっちにしても、どうもそれらしい車両が「桃太郎」の後ろに走っている写真が二枚も撮れて、まずはともあれ「チョー満足」といったところでした。
 海沿いの山陽本線は電化されているので、山陰か岡山広島の山間いを走るためでしょうか、もしかしたら、兵庫の工場あたりで修理・点検でもしていたのかもしれません。


   秋風や友と連れ立ち何処へ往く   弁人


 
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ジェノバラインの新型船に乗ってみました

2015-09-21 16:41:24 | 明石風物
9月21日(休)

 「KAZU君、これがジェノバの新型船だよ」
 

 オランダへ行く前のKAZU君、7月は毎週のようにジェノバラインの船に乗って淡路島へ出かけました。

 7月の半ばの頃だったか、淡路の岩屋港から乗ったタクシーの運転手さんから、ジェノバラインにもうすぐ新しい船が来るという話を聞きました。

 港の窓口で確かめると、8月初めに就航するとのことで、どんな船かなと楽しみにしていました。
 KAZU君が最後にジェノバラインに乗ったのは8月1日だったので、「もしかしたら今日は新しい船かもしれないね」と、わくわくしながら明石の港へ行ったのですが、「明日(8月2日)就航式をして、それからです」という話で乗れませんでした。
 KAZU君は、その数日後に逗子の家に移って、そのまま成田からオランダへ飛び立ったので、結局、新型船を見ることも乗ることもできませんでした

 さて、5連休に入って部屋の片付けも追い込みに入りましたが、まあ、ここに来て毎日天気のいいこと。行楽地はさぞかし混雑していることでしょう。
 と、他人事のように思っていながら、明石に手伝いに来ている妻君にも息抜きの時間があってもと、連休三日目の今日、KAZU君がお目にかかれなかった船に乗りに行ってみようかと誘ってみました。

 明石の船着場へ行くと、
  お馴染みのアオサギ
  

 いよいよ乗船。大きな鯛を釣り上げている
  恵比寿様がお出迎え
  

 船体は、明石海峡にふさわしい
  イラストで埋めつくされています
  

 後ろの甲板には
  明石海峡大橋のイラストが
  

 海峡の連絡船からのこの風景。
  また見ることがあるでしょうか
  

  淡路の岩屋港です
  

 すぐにUターンしてもよかったのですが、せっかく島へ渡ってきたのだからと、港の食堂で淡路名物の「生しらす丼」に舌鼓みをうってお昼過ぎに帰って来ました。


   思ひ出は新しき船にも秋の海   弁人


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関西の締めくくりは、やはり石山寺かなと

2015-09-19 23:30:52 | お出かけ・散策
9月19日(土)

 7年前、明石暮らしを始めるべく関西にやってきた時、まず石山寺に参拝して、そのスタートを切りました。

 逗子に帰る日も、できれば挨拶して帰りたいと思っていましたが、せっかくなら天気のいい日に、それに明石を出立する時間もどうなるかわからないので、時間があったら前もって出かけようかと思っていました。

 15日の火曜日でした。前日からの天気予報予報どおり、朝から秋らしい青空が広がっていて、こんな日を逃すのはもったいないと、明石から満員の新快速に乗り込みました。

 明石に来た翌年の紅葉の時期に一度お参りに来たので、
  それ以来、6年ぶりです
  

 7年間の報告と
  お礼を済ませました
  


   石の寺別れてもなほ赤蜻蛉   弁人


 この日の目的は石山寺へのご挨拶でしたが、いくら部屋の片付けに追われているとはいえ、ここまで来てすぐに帰ることはありませんし、実は、もう一つ行っておきたい所があったのです。

 それは、天智天皇を祭神とする
  近江神宮です
  

 昭和15年、皇紀2600年の記念に創建されたということですから、特に古い歴史を背負ったお社ではありません。そういう意味では坂本にある日吉大社のほうが古来の雰囲気を残しているのかもしれません。

 それでも近江神宮にこだわったのは理由があるのです。

 近江神宮と聞くと、百人一首の大会が開かれることで有名で、年に一度はテレビニュースに必ず登場してきます。おそらく、百人一首の一番目の歌が天智天皇の作だからということなのでしょうが、もう一つ天智天皇というと、日本で初めて「漏刻(水時計)」を作った方として有名なのです。

 その遺跡(水落遺跡)が飛鳥にあって、数年前に見学しました。その時に、明石の天文科学館にも復元された漏刻があることを知り、さっそく天文科学館へ行ってみると、たしかに建物の出口の脇にありました。ただ、出口から正門(駐車場方向)へ戻る反対側にあるので、それまで気がつかなかったのです。

 それはともかく、天智天皇が初めて漏刻を作ったのが飛鳥で、その後大津に都を構えた後、「漏刻」を用いて実際に時刻を知らせたという記述が日本書紀に残っているのです。そんな由来から、近江神宮は今でも時と時計に深く関わっているお社で、時計の専門学校も併設されているほどなのです。

 今年の6月10日の時の記念日、実はその日はKAZU君の看病で行けなかったのですが、毎年この日に近江神宮で行われる「漏刻祭」が天文科学館のプレネタリウムドームで再現されたのです。
 聞くところによると、びわ湖観光大使の方々が采女役を、漏刻博士は明石の時計商組合長が務めたということでした。

 「時の町明石」とそんな関わりのあるお社に一度も行ったことがないまま明石を去るのが前から気にかかっていて、この機会に足を伸ばしたのでした。

 お参りした後、振り向くと、
  時計博物館が見えました
  

 その建物の前にあるのが「漏刻」。
  もちろん復元ですが
  

 日時計の上に「明石天文台」まで
  「89㎞」の表示も
  



   この地また小さき秋に時を告ぐ   弁人


 この後、近江神宮前駅から京阪電車でさらに北上して坂本の町へ。腕時計を睨みながら、日吉大社に行くか、比叡山へ上ってしまうか迷ったのですが、いつも、京都へ行くとバスに乗ることが多く、まだ叡山ケーブルはもちろん、叡山電鉄にも乗ったことがなかったので、比叡山を越えて、西側のロープウエイとケーブルで京都へ下りることにしました。

 比叡山は二回目ですが、
  坂本ケーブルからは初めて
  

 琵琶湖が見えました。
  絶景です
  

 ケーブルを降りると、
  大津の市街が眼下に
  

 そのまま山上を横断して京都側へ下りればいいかと思っていましたが、やはり仏様にご挨拶しないとと、

 まずは、
  根本中堂で頭を垂れ
  

 西塔のほうまで足を延ばす時間はなく帰途につきましたが、ちょうど折よくやって来た京都駅行きのバスは見送って、八瀬に下りるロープウエイの駅へ向かいました。

 左京区辺りかな?
  ここも絶景です
  

 ケーブルカーに
  乗り換えて
  

 八瀬に下りると、
  高野川の清流が迎えてくれました
  

 八瀬からは、初めて乗る叡山電鉄で出町柳へ向かいましたが、もう17時過ぎ。京都駅からの新快速が混みそうなので、京阪三条から東の山科へ出て明石に帰って来ました。


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カウントダウンの中、ビーチサッカー観戦

2015-09-17 12:50:28 | スポーツ観戦等
9月17日(木)

 明石暮らしもあと一週間。さすがに重い腰を上げて片付けに取りかかっています。でも、そうなるとやはりそれなりに慌ただしく、ブログの更新もままなりません。

 時間は刻々と経っていき、気が急くこと甚だしいのですが、最後の時間だからこそ、明石らしい空気の中に身を置いていたいというのも正直なところです。

 もう何日か経ってしまったのですが、先週の金曜日、海岸からホイッスルの音や喚声が風に流れて耳に入ってきました。スピーカーからアナウンスの男性の声も流れてきます。海岸にはビーチバレーのコートが整備されているので、その大会だろうとあまり気には留めなかったのですが、翌土曜日の昼前、ちょっと時間があったので海岸へ出てみると、

 バレーボールではなくて
  サッカーでした
  


   裸足跡秋の陽浴ぶる白き砂   弁人


 そういえば、朝ウオーキングに出た時、中学生らしきスポーツ少年がたくさん歩いていたので、子どもの大会かなと思ったのですが、横断幕には「全国ビーチサッカー大会」とあって、ちゃんとした大人の大会でした。中学生たちは大会補助員として召集されたようで、コートの周りでボール拾いなどで動き回っていました。

 「日の丸」の隣りに
  「八咫烏」の旗が
  

 ビーチサッカーという競技についてあまり知らなかったのですが、この大会、日本サッカー協会(JFA)主催のれっきとした全国大会だったのです。

 「へぇー」っと思って、本部席前の大会要項と組み合わせ表を見に行くと、近くから「今日はラモス瑠偉がおらんな、どこにおるんやろ」という声が聞こえてきます。

 どうも、ラモス瑠偉氏は何年か前にビーチサッカー日本代表の監督を務めていたようで、今回明石に顔を出しているのかもしれません。それにしても、私の部屋から見える海岸で、こんな大きな大会が開かれていたなんて、全く知りませんでした。
 でも、それもそのはず、今回が10回目だそうですが、和歌山の白良浜と熊本の御立岬公園で一回ずつの他はずっと沖縄で開かれていたそうで、明石は今回が初めてだったのです。

 全国から集まった16チームが4グループに分かれ、二日間のリーグ戦で勝ち抜いた4チームが日曜日に準決勝と決勝を戦います。兵庫県からは「ドーサルM.FC/アシヤ」、神奈川から「湘南スプレッド1545」というチームが出ていますが、はたして決勝ランドへ進めるや否や。少し見ていようかな思ったのですが、

 この日は大阪にいる姪夫婦と会う約束があって、全国大会の雰囲気だけを感じて電車に乗りました。

 姪夫婦とは姫路で会いました。私の関西暮らしもわずかということで、最後に食事会でもと誘っていただきました。

 姫路の銘酒「灘菊」の
  酒蔵のレストラン
  
  

 すき焼き鍋は砂糖の代わりに
  綿菓子を乗せて温めます
  


 話を戻します。翌朝ゆっくり起きて昼前に海岸へ行ってみると、準決勝は9時半からだったらしくもう終わっていました。決勝は13時キックオフということで出直すことにしました。

 準決勝で沖縄と山口のチームが敗退し、決勝は、
  東京のチームと北九州のチームの対戦
  

 芦屋のチームは予選2位、
  湘南は3位だったようです
  

 さて、決勝戦です。

  白熱した試合
  

 観衆もなかなかの数。これだけの人がここに陣取るのを見るのも初めて。いつもはガラガラの公園駐車場に、赤の「満」の表示を見たのも初めてです。
 CSかなんかのテレビに流れるのか、アナウンサーと解説者の声が会場に流れます。その声によると、東京レキオスは過去6回優勝していてこれに勝てば3連覇とか。日本代表チームの18人に6人も出しているダントツの優勝候補なのでした。対するドルソーレ北九州も2人の日本代表がいますが、どこまで踏ん張れるかというところなのです。

 風は西風、写真の右から左へ流れています。初めは、どう見ても風上のほうが有利だと思わせる展開で、北九州が第1ピリオドで2点先制。第2ピリオドで東京が追い上げるも依然4-3。第3ピリオドに入って風上の北九州が逃げきるかと思いきや、東京が虎の子の1点をもぎ取って、なんと延長戦に入りました。
 風の影響をもろに受けるビーチサッカー、どうも風上が有利とは限らないみたいです。強いシュートは影響が少ないようですが、ロングパスなど少し高くなるとゴールを越えてしまうこともあったりします。

 延長戦もあとわずか。これはPK戦かなというところでしたが、北九州の日本代表選手の大場が決勝ゴール。

 ドルソーレ北九州、優勝候補を相手に
  念願の初優勝
  


   海峡にドラマ生まるる秋の昼   弁人


 ブラジルで生まれ、長年レクレーションとして親しまれてきたビーチサッカー、近年は有名なサッカー選手が転向して来たりして盛り上がっているとか。ワールドカップもあり、日本チーム、今年の7月のポルトガル大会では決勝ラウンド初戦でイタリアに敗れたものの、ベスト8だったそうです。知りませんでした。


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衝撃的な映像の連続で心配な「北関東の水害」

2015-09-11 23:55:48 | つぶやき
9月11日(金)

 私が逗子から明石に向かったのは一昨日の8日でしたが、前日に突然発生して近づいてきた台風18号の影響がすでに出ていて、浜松付近は大雨、新幹線が途中10分近く遅れました。

 その迷惑な台風、翌日の水曜日の朝にあっという間に日本海へ抜けてくれたものの、その後、たしかに明石でも雨は上がらず、やんだのはお昼過ぎだったと思います。

 そして昨日。朝方空を覆っていた雲が消えて、昼前にはいったん日射しが戻って来ました。テレビでは気象庁の方が、栃木県と茨城県に「特別警報」を発令したと緊迫した表情で伝えていましたが、その後にあのような惨状がテレビ画面に流れるとは予想だにしませんでした。

 実は、鬼怒川の堤防が決壊したというニュースを知る少し前、明石では窓の外が急に暗くなってきて、ふと海峡へ目を向けると、さっきまで広がっていた青空が消えて、頭上に現われた不気味な雲のかたまりが、北東から西南へ広がっていました。

 淡路島の上空も、みるみるうちに
  こんな感じになりました
  

 これは西側、
  小豆島方面です
  

 先日、逗子にいる時に、淡路島で竜巻が発生したというニュースを見たばかりなので、もしかしたら、こんな感じの雲から竜巻の雲が垂れ下がってくるかもしれないとしばらく眺めていました。でも、不気味な雲の黒さとはうらはらに、雨も落ちて来ず風も吹かないまま何事もなく時間が経ちました。

 その後でした。部屋に戻って、鬼怒川が決壊したというニュースを見たのは。どのチャンネルも、濁流に飲み込まれ流されたりしている住宅の映像を流しています。
 それにしても、「鬼が怒る川」とはいったい誰が名付けたのでしょうか。

 テレビ画面には、屋根の上で・ベランダの窓から・電柱によじ登って、救助を求める人たちの姿をズームアップ。そして、その人たちを次々とヘリコプターにつり上げて救助する緊迫した映像となりました。

 堤防が決壊した所の濁流はまさに激流。すさまじい状況ですから、報道のヘリも当然集まって来ます。その前で繰り広げられる救出劇。現場中継のニュース映像としては、たしかに臨場感があってはずせない場面かもしれません。しかし、そんな光景を前に、なんとも背筋の寒くなるような不安が襲って来ました。
 水に沈んでいく家の中や濁流と化した泥水の中に、手を振ることもできず、カメラや救助の人の目に触れない人がたくさんいるのではないかと想像してしまったからです。

 「また一人、もう一人、ヘリに収容されました」と、「よかった、よかった」と言わんばかりに報じるアナウンサーの興奮した声を聞く一方で、一晩明けたらいったい何人の行方不明者が出ていることかと思うと、どうにもやるせない重い気分に陥りました。

 そんな思いに駆られてテレビを見ているうちに、いつのまにか外が明るくなっていました。気がつくと、もう夕方。さっきは、明石の上空から淡路島まですっぽりと不気味な雲に包まれていましたが、

 すっかり、
  いつもの空に戻っていました
  

 西の空。日没の中に立つ
  天文科学館
  

 そして、一夜明けると、水害現場の雨は止んで水も引き始めたとか。でも、その水は排水されたのではなく常総市の中心部に流れ込んでいるとの話。いっぽう、心配していた行方不明者の数は思ったより少なくて少しホッとはしたものの、考えてみると、まだ確認や捜索が進んでいないだけなのかもしれません。

 それにもう一つの心配が。

 雨は東北地方へ北上し、新たに宮城県で堤防が決壊したというニュースが流れました。おそらく宮城の人だって前日の映像を見ているだろうから、茨城ほどの緊迫した状況にはならないのではないかと思いつつ、いったい、茨城と宮城の間にある福島県はどうなっているのかと思わないではいられませんでした。
 川の堤防が決壊するというのは大変なことですから、ニュースの眼がそちらに向くのは仕方がないのかもしれません。でも、この二つの水害場所の中間にあって、ふだんから汚染水漏れが心配されている福島の原発、そこにどのくらい雨が降って、どういう状況になっているのかを心配していても、そんなニュースはほとんど流れて来ないのです。

 縦長の「線上降雨帯」とかの下には入らず、雨量がそれほどでもなかったのでしょうか。あるいは、雨は降ったけれど、汚染水は関係者が気にするほど多く流れ出なかったということでしょうか。

 「そういう心配を杞憂というんだ」と一蹴されてしまうのかもしれませんが、そんなことも気になって水害のニュースを見ている人もいるということ、誰かに知ってもらいたいなと思って、ついつぶやいてしまいました。


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最後は、自分の部屋の片付けと引き渡しなのですが

2015-09-09 19:07:19 | 身辺雑記
9月9日(水)

 KAZU君がオランダへ飛び立ってから数日後の8月下旬、関東地方はすっかり秋の気配が漂って涼しくなったようですが、ちょうどそのころの一週間、まだまだ暑い明石で所在ない時間を過ごしていました。

 少しずつ荷物の整理と処分をと思っても、所詮、狭い空間での一人住まい。ほとんどが生活必需品なので、なかなか片付ける気にはなれません。

 最後は車での移動になることを考えると、明石から引き揚げるのは9月後半の5連休の期間は難しそうで、たぶんその直後になりそうなのです。もしそうなら、8月下旬の段階ではまだ三週間以上あったわけで、レンジも冷蔵庫も食器も、それにパソコンも直前まで必要だし、テレビにしたって、ペナントレースの終盤の時期を考えると、ぎりぎりまで繋げておきたくなります。


   秋の声戻るもおっくう都落ち   弁人


 というわけで、はやる気持ちとまだまだという思いが交錯して、妙なジレンマに陥ってしまい、明石に戻って一週間でしたが、暑い中、一人イライラしているのがいやになって、8月の最後の日に逗子に帰ってしまったのです。

 逗子に帰ると、妻君、「ここのところ、ずっと冷え込んでいたのに、まあ、今日は暑いこと」と、さっそくエアコンのスイッチを入れてくれました。
 思えば、8月半ば暑さに辟易しながら逗子に帰って来た時も、その後の一時期、関西は涼しかったそうで、どうも、今夏は東へ西へと涼しい所を避けるように往復しているみたいです。

 それはともかく、時間は刻々と経って行くので、昨日、気を入れ直して、今度こそ最後になるだろう明石暮らしへ戻るべく新幹線に乗り込みました。新横浜11時22分発ひかり469号岡山行きです。

 「エキスプレス予約」ポイント使い切りの
  グリーン車
  

 これでちょうどポイントが「0」になる計算でしたが、考えてみれば、今回の乗車でまた新たにポイントが付いちゃうわけでした。でももう使いません。今年に入って、よりお得な「大人の休日倶楽部」に入ったので、これからの長距離はそちらのほうへくら替えです。
 さて、昨日は台風接近の影響を受けた浜松付近の大雨で、途中10分ほど遅れました。この7年間、新幹線にはずいぶんたくさん乗りましたが、運が良かったのでしょう、遅れた記憶が全くありません。一度、小田原から乗ろうとした時に、東海道線が止まって間に合わなかったことはありましたが。
 電車は名古屋を出た後少し遅れを回復し、西明石まで3時間10分。普通電車で二駅戻って、部屋には15時ちょっと前に着きました。

 一夜明けて、まずは電話攻勢からスタート。関西電力、水道局、ガス屋さんへ連絡。全部連休明けの24日の昼でストップという話にしました。これで明石を去る時間がほぼ決まりました。23日の夜遅くか24日の早朝のどちらかです。
 次はケーブルテレビ。ケーブルの撤去と、テレビのチューナーやネットのモデムを回収してもらわないといけないのですが、これは23日の昼前ということになりました。
 「よしこれで22日の夜もナイターが見られるぞ」と思いきや、22、23日のカープは神宮のヤクルト戦で、もともと明石ケーブルテレビでは見られないのでした。残念。

 ところで、私のほうの片付けは何も進んでいませんが、予定が決まるというのは目標が見えてまことにけっこう。台風の影響で薄暗い雲が重く覆っている海峡へ目を向けても、気分は軽々としてきて、午後、ちょっと部屋を出てKAZU君のマンションへ行ってみました。
 実は、金曜日に業者が入って、大掃除と不用な物を廃棄してもらうことになっているのですが、その仕分けの確認と少しでも換気をしておこうかということで。

 たとえば、たしか要らないと言っていたような
  テーブルと椅子
  

 だいぶ傷んではいるものの、なにかの事情で人が来た時にはあったほうがとか思ってしまいます。さてとどっちだったか、オランダに問い合わせせねば。

 基本的に中はからっぽ。
  掃除も早く済むかもしれません
  

 窓に目を遣ると、海峡に
  貨物船が見えました
  

 これがKAZU君のマンションの
  ベランダからの眺めです
  

 「ほらね」と振り返ってもがらんどうの部屋。やはり所在無く、早々に自分の部屋に引き揚げました。


    見納めの海峡覆ふ野分雲   弁人


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