5月28日(金)
上の動画の電気機関車は1970年代に製造された「EF65形」の「1000番台」のモデルです。前面中央に扉があって、その窓枠のところまで白い塗装になっているのでわかりました。
長年逗子に住んできたので、私にとってはJR横須賀線がいちばん身近な鉄道なのかもしれません。
でも、考えてみると、国鉄の横須賀駅に20年位前まであった引込み線がなくなったからなのか、どうしても横須賀線に貨物列車が走っている光景が浮かんでこないのです。
大船に出て東海道線の沿線に行くと時々貨物列車が走っていますが、東京に向かって東戸塚付近から貨物専用線が別ルートになっているためなのか、はたまた夜間の通行が多いからなのか、逗子から東京方面に出かけても、あまり見かけることがありません。ただ、横須賀線の新川崎駅が貨物の新鶴見操車場と隣接しているので、そこに止まっている機関車はよく車窓から目にしてきました。
新鶴見操車場に並んでいる機関車の多くは、側面に「桃太郎」のロゴマークが入っています。JRの直流式電気機関車として現在も製造されている「EF210形」の機関車です。
ところで、線路のそばの明石の住まい。その線路を次々と貨物列車が通り過ぎて行きます。さすがに朝夕のラッシュ時は少ないものの、昼間は1時間に数本、時には5、6分後に次の列車が走り去って行ったこともあります。それも、新川崎駅ではあまり見かけない「EF65形」や「EF66形」の旧型モデルの機関車が多いのです。
そんな山陽本線の線路にも最近は新型の「210形」が多くなりました。
愛称「桃太郎」のロゴマークの入った「EF210-138」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/13/17/582f3a20041c989fbe074f92543942d5.jpg)
私が明石に来たのは1年半少し前のことですが、その頃は登場する機関車のほとんどが旧型モデルだったので、ここにいればこれらの機関車の写真はいつでも撮れるものと思っていました。ところが、最近は車両の更新が進んでいるのか、これらの車種、特に「EF65形」が少なくなってきました。もしかしたら、冒頭の動画を撮影できたのは幸運だったのかもしれません。なにしろ、「EF65形-1000番台」の機関車は、特にお目にかかる機会が少ないような気がしますので。
ということで、今回は旧国鉄時代に製造された「EF65形」「EF66形」の電気機関車の写真です。
「EF65-114」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/a5/157670231e8c17a370ddbb964cf21638.jpg)
1965年から1970年まで貨物牽引専用車として製造された「EF65形」の「0番台(1~135)」の車両で、番号のとおり全部で135台作られました。古い車種とは言っても、初めはもちろん最新鋭だったわけで、1960年代の前半に山陽本線がすべて電化されたのを受け、高度成長期の安定した貨物輸送に応えるために作られた機関車です。写真はありませんが、後に特急列車なども牽引した「500番台」や冒頭の動画の「1000番台」の車両も作られました。
明石駅を通過する、これも同じく「114」号
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6d/99/af8d17066ef9aa164e2c95b03a9869b2.jpg)
車体の形やカラーで見分けることもありますが、「EF65形」はヘッドライトがおでこのところにあるのが特徴というか、私はそこで次の「EF66形」と区別しています。
因みに、「EF」の「E」は電気機関車、「F」は車軸の本数を示した記号です。「F」は6本。蒸気機関車では「C-何型」とか「D-何型」とか言いますが、このアルファベットも車軸の数を表していて、「C」は3本、「D」は4本です。
次は「EF66形」。
「EF66-25」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5a/8a/0d48f8e5a38c81bb8c4b56604b6cd677.jpg)
「EF66形」は、東名・名神高速道路の完成によるトラック輸送の拡大に対抗するために1966年から55輌(1~55)製造され、国鉄が民営化された後にも、JR貨物が1989年から33輌(101~133)製造した車両です。この車両は「25号機」なので旧式の国鉄時代に作られたものです。
前面がほぼ平坦だった「EF65形」に比べて運転席のガラスが斜めになっていてヘッドライトの上の鼻の部分が前方へ出ているのが特徴でしょうか。
「EF66-112」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2a/dc/916ba6086ff9adf1a37f2b635565ccc7.jpg)
100番台ということは民営化された後に作られた車両ということになります。あごのところにあるヘッドライトが横型に変わって、鼻の部分の出っ張りがよりはっきりとしました。
これもおなじく後継車種の「EF66-133」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/a3/ec69ea85acc3845451ac421ca5314ca6.jpg)
薫る風年輪刻みし電車行き 弁人
上の動画の電気機関車は1970年代に製造された「EF65形」の「1000番台」のモデルです。前面中央に扉があって、その窓枠のところまで白い塗装になっているのでわかりました。
長年逗子に住んできたので、私にとってはJR横須賀線がいちばん身近な鉄道なのかもしれません。
でも、考えてみると、国鉄の横須賀駅に20年位前まであった引込み線がなくなったからなのか、どうしても横須賀線に貨物列車が走っている光景が浮かんでこないのです。
大船に出て東海道線の沿線に行くと時々貨物列車が走っていますが、東京に向かって東戸塚付近から貨物専用線が別ルートになっているためなのか、はたまた夜間の通行が多いからなのか、逗子から東京方面に出かけても、あまり見かけることがありません。ただ、横須賀線の新川崎駅が貨物の新鶴見操車場と隣接しているので、そこに止まっている機関車はよく車窓から目にしてきました。
新鶴見操車場に並んでいる機関車の多くは、側面に「桃太郎」のロゴマークが入っています。JRの直流式電気機関車として現在も製造されている「EF210形」の機関車です。
ところで、線路のそばの明石の住まい。その線路を次々と貨物列車が通り過ぎて行きます。さすがに朝夕のラッシュ時は少ないものの、昼間は1時間に数本、時には5、6分後に次の列車が走り去って行ったこともあります。それも、新川崎駅ではあまり見かけない「EF65形」や「EF66形」の旧型モデルの機関車が多いのです。
そんな山陽本線の線路にも最近は新型の「210形」が多くなりました。
愛称「桃太郎」のロゴマークの入った「EF210-138」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/13/17/582f3a20041c989fbe074f92543942d5.jpg)
私が明石に来たのは1年半少し前のことですが、その頃は登場する機関車のほとんどが旧型モデルだったので、ここにいればこれらの機関車の写真はいつでも撮れるものと思っていました。ところが、最近は車両の更新が進んでいるのか、これらの車種、特に「EF65形」が少なくなってきました。もしかしたら、冒頭の動画を撮影できたのは幸運だったのかもしれません。なにしろ、「EF65形-1000番台」の機関車は、特にお目にかかる機会が少ないような気がしますので。
ということで、今回は旧国鉄時代に製造された「EF65形」「EF66形」の電気機関車の写真です。
「EF65-114」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/a5/157670231e8c17a370ddbb964cf21638.jpg)
1965年から1970年まで貨物牽引専用車として製造された「EF65形」の「0番台(1~135)」の車両で、番号のとおり全部で135台作られました。古い車種とは言っても、初めはもちろん最新鋭だったわけで、1960年代の前半に山陽本線がすべて電化されたのを受け、高度成長期の安定した貨物輸送に応えるために作られた機関車です。写真はありませんが、後に特急列車なども牽引した「500番台」や冒頭の動画の「1000番台」の車両も作られました。
明石駅を通過する、これも同じく「114」号
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6d/99/af8d17066ef9aa164e2c95b03a9869b2.jpg)
車体の形やカラーで見分けることもありますが、「EF65形」はヘッドライトがおでこのところにあるのが特徴というか、私はそこで次の「EF66形」と区別しています。
因みに、「EF」の「E」は電気機関車、「F」は車軸の本数を示した記号です。「F」は6本。蒸気機関車では「C-何型」とか「D-何型」とか言いますが、このアルファベットも車軸の数を表していて、「C」は3本、「D」は4本です。
次は「EF66形」。
「EF66-25」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5a/8a/0d48f8e5a38c81bb8c4b56604b6cd677.jpg)
「EF66形」は、東名・名神高速道路の完成によるトラック輸送の拡大に対抗するために1966年から55輌(1~55)製造され、国鉄が民営化された後にも、JR貨物が1989年から33輌(101~133)製造した車両です。この車両は「25号機」なので旧式の国鉄時代に作られたものです。
前面がほぼ平坦だった「EF65形」に比べて運転席のガラスが斜めになっていてヘッドライトの上の鼻の部分が前方へ出ているのが特徴でしょうか。
「EF66-112」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2a/dc/916ba6086ff9adf1a37f2b635565ccc7.jpg)
100番台ということは民営化された後に作られた車両ということになります。あごのところにあるヘッドライトが横型に変わって、鼻の部分の出っ張りがよりはっきりとしました。
これもおなじく後継車種の「EF66-133」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/a3/ec69ea85acc3845451ac421ca5314ca6.jpg)
薫る風年輪刻みし電車行き 弁人