チムどんどん「明石通信」&「その後」

初孫との明石暮らしを発信してきましたが、孫の海外移住を機に七年で区切りに。現在は逗子に戻って「その後」編のブログです

「山陽大動脈列車風景」その4 電気機関車

2010-05-28 11:57:15 | 鉄道
5月28日(金)

  
 上の動画の電気機関車は1970年代に製造された「EF65形」の「1000番台」のモデルです。前面中央に扉があって、その窓枠のところまで白い塗装になっているのでわかりました。

 長年逗子に住んできたので、私にとってはJR横須賀線がいちばん身近な鉄道なのかもしれません。
 でも、考えてみると、国鉄の横須賀駅に20年位前まであった引込み線がなくなったからなのか、どうしても横須賀線に貨物列車が走っている光景が浮かんでこないのです。
 大船に出て東海道線の沿線に行くと時々貨物列車が走っていますが、東京に向かって東戸塚付近から貨物専用線が別ルートになっているためなのか、はたまた夜間の通行が多いからなのか、逗子から東京方面に出かけても、あまり見かけることがありません。ただ、横須賀線の新川崎駅が貨物の新鶴見操車場と隣接しているので、そこに止まっている機関車はよく車窓から目にしてきました。

 新鶴見操車場に並んでいる機関車の多くは、側面に「桃太郎」のロゴマークが入っています。JRの直流式電気機関車として現在も製造されている「EF210形」の機関車です。

 ところで、線路のそばの明石の住まい。その線路を次々と貨物列車が通り過ぎて行きます。さすがに朝夕のラッシュ時は少ないものの、昼間は1時間に数本、時には5、6分後に次の列車が走り去って行ったこともあります。それも、新川崎駅ではあまり見かけない「EF65形」や「EF66形」の旧型モデルの機関車が多いのです。

 そんな山陽本線の線路にも最近は新型の「210形」が多くなりました。

  愛称「桃太郎」のロゴマークの入った「EF210-138」
  

 私が明石に来たのは1年半少し前のことですが、その頃は登場する機関車のほとんどが旧型モデルだったので、ここにいればこれらの機関車の写真はいつでも撮れるものと思っていました。ところが、最近は車両の更新が進んでいるのか、これらの車種、特に「EF65形」が少なくなってきました。もしかしたら、冒頭の動画を撮影できたのは幸運だったのかもしれません。なにしろ、「EF65形-1000番台」の機関車は、特にお目にかかる機会が少ないような気がしますので。

 ということで、今回は旧国鉄時代に製造された「EF65形」「EF66形」の電気機関車の写真です。

  「EF65-114」
  
 1965年から1970年まで貨物牽引専用車として製造された「EF65形」の「0番台(1~135)」の車両で、番号のとおり全部で135台作られました。古い車種とは言っても、初めはもちろん最新鋭だったわけで、1960年代の前半に山陽本線がすべて電化されたのを受け、高度成長期の安定した貨物輸送に応えるために作られた機関車です。写真はありませんが、後に特急列車なども牽引した「500番台」や冒頭の動画の「1000番台」の車両も作られました。

  明石駅を通過する、これも同じく「114」号
  

 車体の形やカラーで見分けることもありますが、「EF65形」はヘッドライトがおでこのところにあるのが特徴というか、私はそこで次の「EF66形」と区別しています。
 因みに、「EF」の「E」は電気機関車、「F」は車軸の本数を示した記号です。「F」は6本。蒸気機関車では「C-何型」とか「D-何型」とか言いますが、このアルファベットも車軸の数を表していて、「C」は3本、「D」は4本です。


 次は「EF66形」。

  「EF66-25」
  

 「EF66形」は、東名・名神高速道路の完成によるトラック輸送の拡大に対抗するために1966年から55輌(1~55)製造され、国鉄が民営化された後にも、JR貨物が1989年から33輌(101~133)製造した車両です。この車両は「25号機」なので旧式の国鉄時代に作られたものです。
 前面がほぼ平坦だった「EF65形」に比べて運転席のガラスが斜めになっていてヘッドライトの上の鼻の部分が前方へ出ているのが特徴でしょうか。

  「EF66-112」
  

 100番台ということは民営化された後に作られた車両ということになります。あごのところにあるヘッドライトが横型に変わって、鼻の部分の出っ張りがよりはっきりとしました。

  これもおなじく後継車種の「EF66-133」
  



    薫る風年輪刻みし電車行き  弁人


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雨の日曜日に

2010-05-25 06:48:15 | KAZU君
5月25日(火)

 まほろばの大和から戻って来た土曜日の夜から天気が崩れ、翌日の23日の日曜日はあいにくの天候になりました。

 せっかくの休日なのに、子どもは外で遊べず可哀そう。

 数日「じいじー」に会っていなかったKAZU君が、小さなリュックを背負って私の部屋にやって来ました。

  遊びたくて元気一杯
  

  ベランダに出たいのに
  

  クルマのおもちゃ発見
  

  野球ボールを「ポイッ!」
  
 利き足でステップしてしまうので、なかなかうまく投げられません。でも、もう少しこのまま様子を見ることにします。なんせ、去年の今頃はハイハイでしか動き回れなかったのですから。まあ、ちょっと滑稽に見えても今はこれで十分です。

 そう、あの頃はインフルエンザ騒ぎで保育園が休園になって、家の中でずいぶん遊んだのを思い出しました。あれからもう一年です。


    五月雨に閉じ込められて球を投ぐ   孫弁人


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まほろばの大和-三輪山-

2010-05-23 19:23:27 | お出かけ・散策
5月23日(日)

 「平城遷都1300年」ということで盛り上がっている奈良。人混みを避けて、今回は「山辺の道」の南のほうにある三輪山です。

 JR桜井線は、最近「万葉まほろば線」という愛称で三種類のラッピング電車が走っています。でも、とにかくローカル線ということで運行本数が少なく、今回は写真が撮れませんでした。

 桜井からレンタサイクルで10分弱、JRの三輪駅から路地のような小さく細い商店街を抜けると、大神(おおみわ)神社の参道に出ます。

  新緑の中の参道
  

  彼方に光っている社殿はなかなか神秘的
  



    あをによしまほろばの道風涼し  弁人


  最後の石段を上がって拝殿へ
 
    

 「三輪山伝説」で有名な神社です。この伝説は民間に流布している「蛇婿入り」という昔話と重なっています。
 話は端午の節句の菖蒲の由来を説くものが多く、娘のところに夜な夜な通ってくる男が、母親の機転で実は蛇であったことがわかり、娘を菖蒲湯に入れて身を清めたという筋立てで、大神神社の祭神の大物主神は、龍神・蛇神として三輪山を住み処としているいうことになっています。

 ということて、ここは三輪山そのものが御神体なのです。それを建物ですっぽりと覆うことができないので、大神神社には本殿がありません。拝殿から後方の山を拝めばよいのです。
 つまり、山全体がお社(やしろ)というわけです。一説によると、「やしろ」の語源は「屋の代わり」からきているという話もあります。山を本殿に見立てるということで、この形が日本の神社の原型ではないかという考えです。

  御神体の三輪山
  

 「山を社殿に見立てる」と言いましたが、もともと日本人は、「見えなくても在るものとしたり、見えていても無いものととらえる」という感覚に長けていると言われています。
 例えば、ことば数の少ない短詩型の表現でさまざまな感情や情景を描く和歌。能や浄瑠璃の世界で、無表情の面や人形からあらゆる感情を読みとる感性。生きている花を切り取って永遠の美を追求する「生け花」など枚挙にいとまがありません。歌舞伎を観ていて「黒い衣の人は誰なのか、キャストに入っていない」と不思議に思う外国人が多いという話を聞いたことがあります。リアリティを重視する人から見ると、なかなか理解の難しい世界なのかもしれません。

  拝殿から横に10分ほど歩いた所にある「狭井(さい)神社」
  

 太い注連縄が鳥居になっていました。ここは薬・健康の神様なのですが、御神体のお山への登り口にもなっています。
 三輪山へ入山するには、ここで入山料を払って、白い襷をいただいて肩に掛け、御幣で身を清めなければなりません。山道を往復するのに2時間ほどかかるそうで、その間は飲食禁止、もちろんトイレも行けません。入り口にロッカーがあって、弁当も水筒もカメラも置いて行くことになります。16時が最終下山時刻なので、14時頃には受け付けが終わってしまうようです。行ってみたい気もしましたが、今回はやめておきました。

 山に入らなくても、山辺の道沿いに見晴台があります。

  大和三山の眺め
  

 右の一の鳥居の左の向こうに「耳成山」、真ん中にうっすらと見えるのが「畝傍山」、左の丘陵のように見える山が「天の香久山」です。


   夏草の香に包まれり三つの山   弁人



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播州路-紫の花紀行-

2010-05-18 07:35:27 | お出かけ・散策
5月18日(火)

  造花ではありません、本物です
  

 播州山崎に、樹齢千年以上の巨大な藤の木があるとラジオで耳にしました。紫の花と言えば、なんと言っても「藤」が代表格でしょう。

 兵庫県西部の山間部に「宍粟(しそう)」という市があります。昨年の夏に大雨の被害を受けた地域です。
 姫路から播但自動車道を北上、中国自動車道に入り、西に20分ほど向かって山崎インターを降りると、そこが宍粟市の中心地。明石から80キロほど走りました。中心と行っても、宍粟市は市域が北の山間部に広がっているので、市役所のあるこの地は市の南端です。

 町の東側に、そうめんの「揖保の糸」で有名な揖保川が流れていて、
  のどかそのもの
  

 川沿いの国道から西へ歩いて数分の所に「大歳(ださい)神社」という小さなお社がありました。巨大な藤の木はこの神社の境内にあり、その花は冒頭の写真のとおり実に壮観でした。

  わずか150坪ほどの境内が藤の花で埋めつくされて
  

  植えられたのは西暦960年とのこと
  


    地に着くを躊躇ひたるにや藤の房   弁人


 「千年藤」という呼称で、近隣の人に親しまれてきたそうですが、最近では、土日などは境内になかなか入れないほどの人が見物にやって来るようです。
 全国「かおり風景100選」に選ばれているそうですが、それにしても見事な藤でした。花房は1メートル以上垂れ下がっています。

 ところで、枕草子の「あてなるもの」の段に「藤の花」が出てきます。短い段なので全文を掲げます。

 -薄色(うすいろ)に白襲(しらがさね)の汗衫(かざみ) かりのこ 削り氷(けづりひ)に甘葛(あまづら)入れて新しき鋺(かなまり)に入れたる 水晶の数珠 藤の花 梅の花に雪の降りかかりたる いみじううつくしき稚児の苺などくいたる- 

 「あて」は漢字では「貴」。「気品にあふれ、この上なく美しい」という意味です。昔の「うつくし」は「美しい」ではなく「かわいらしい・いとおしい」の意味で、今の「美しい」に当たることばとなると、「うるはし」・「清らなり」・「艶(えん)なり」くらいでしょうか。それらの語感を超えた崇高な美を指しているのが「あてなり」ということばなのです。
 冒頭の「薄色」とは薄紫色のこと。この部分の意味は「女の子が薄紫色の衣の上に白い表着を重ねている姿」。「水晶の数珠」も薄紫色の気配。そして花は、桜でも菊でも百合でもなく「藤の花」なのです。「梅の花」だって、雪がほんのりと降りかかっていないと「あて」にはならないのです。

 ということで、前回、紫式部と「源氏物語」を話題にしましたが、清少納言も紫の色には格別な扱いをしていることがわかります。

 さて、国道に戻り、揖保川を東へ渡って坂道を上った所に「播州山崎花菖蒲園」があります。先日の「カキツバタ」と「ハナショウブ」「アヤメ」の見分けも楽しみと思って立ち寄りました。
  

 「花菖蒲園」と銘打つのは5月末からで、この日は「しゃくなげ園」として入園料も安くなっていました。
 「アヤメが少し咲いていますよ」という声を後にして園内へ。

  ところどころに、色とりどりの「アヤメ」
  

  「黄菖蒲」ですが、これも「アヤメ」の仲間だそうで
  

  さて、今日の観察対象
  
 「アヤメ」は花弁の根元に網目模様があるのがポイント。前回の「カキツバタ」は網目ではなく、縦に白い目形模様が特徴でした。

 次はそのうちにということになりますが、「ハナショウブ」の写真を撮りに行きたいと思います。

 ところで、この時期、園内は案内のとおり、赤・白・ピンクの「シャクナゲ」でいっぱいでした。今回は「紫の花紀行」なので取り上げませんでしたが、帰りしなに花の即売所を覗いたところ、「貴婦人」と言うしゃれた名前を持つ紫色のシャクナゲがあったので買ってみました。
 咲き始めの、つぼみの多いものを手にしたのですが、翌々日には花が開いて(1)、今はご覧のとおりほとんど開いて咲きほこっています(2)。
 (1)
  
  (2)
   


    むらさきの花とみどりの風絡み   弁人

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初夏の香りは紫の花から

2010-05-14 10:12:24 | 身辺雑記
5月14日(金)

 明石駅そばの交差点で信号待ちをしていた時のこと。ふと目を横にやると、明石公園東入口の石垣の上に薄紫の花が。

  桐の木でした
  

  石垣の下から
  

 桐と言えば、花札の中では唯一「カス札」が三枚ある花です。そのうちの一枚は買ったばかりのケースのいちばん上にあって「登録商標」などと書かれています。でも20点札の「桐に鳳凰」の絵は花と鳳凰の羽が鮮やかな紫色で、なかなか重厚で品があります。
    

 桐から浮かんでくるものと言えば、やはり「源氏物語」冒頭の「桐壺の巻」。「桐壺」は光源氏の母親の宮中でのお部屋の名前で、薄紫色のイメージを哀しげに醸し出しています。
 光源氏と不倫の恋に落ち、物語り中で最も美しい女性と言われるのが、藤の花の、これも薄紫色の世界から登場してくる「藤壺女御」。そして、光源氏に最も愛され正妻として生涯を終えた「紫上」。この女性が幼い時に光源氏に見出された様子を描いたのが「若紫の巻」。さらに、この大作を書き上げた作家のペンネームが「紫式部」。まさに「源氏物語」は紫色の世界と言ってもいいのでしょう。
  
         (石山寺・紫式部源氏物語執筆の間)


 ところで、KAZU君が住んでいるのは明石市ですが、マンションは前の道をはさんで神戸市の垂水区と接しています。
 時々買い物に行く垂水区のスーパーマーケットのそばに多聞寺というお寺があります。以前、スーパーの前で道を訪ねられたことがありますが、このお寺が花の名所であることを知ったのは最近のことでした。

  スーパーから2、3分歩くと山門が
  

  門をくぐると「カキツバタ」の花がご覧のとおり
  



    燕飛ぶ路地を曲がりて花の寺   弁人



 「カキツバタ」の漢字がなぜ「杜若」なのか、歳時記には「燕子花」の文字で出ています。両方とも表記の由来はよくわかりませんが、いずれにしても「伊勢物語」にも出てくる花ですから、花にしても名前にしても興味がそそられます。

 その「伊勢物語」、ご存知「かきつはた」の五文字を句の上に据えた有名な「折句」の歌ですが、思わず口ずさんでしまいました。

 -唐衣着つつなれにしつましあればはるばる来ぬる旅をしぞ思ふ-


  それにしても、こんな近くに花の名所があったとは
  

 いつだったか、図書館で「アヤメ」と「ハナショウブ」との三つの花の違いを勉強したことがあったのですが、やはり、まずは実物をひとつずつじっくりと観察することでしょう。

  そこで、今日の観察対象の「カキツバタ」
  

  花冷えの日でしたが、それだけにいっそう趣の増した境内
  



    おのおのがすっくと咲ける杜若   弁人

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KAZU君のお庭

2010-05-09 17:06:09 | KAZU君
5月9日(日)

 なんか、平泳ぎがうまくなりそうな気配。

  
 昨日8日の土曜日は、KAZU君の両親が連休中の30日(金)の振り替え勤務日だったので、珍しく土曜日の保育園に行きました。
 土曜日なので、いつもより早くお迎えに行きましたが、やはり家の中で遊ぶのは面白くなく、KAZU君の定番の遊び場の海岸の公園にお出ましです。

  お気に入りは、今のところすべり台
  
    

  台の上は海も見えるけれど、いちばん気になるのが電車の音
  

 「そろそろ帰ろうか」という声を聞くと、突然海の方へ向かって行きました。

  段差の高い石段もなんのその
  

  ちょっと目を離していると、水際の方まで行ってしまいます
  

 人工の砂浜ですが、水はとてもきれいです。ついこのあいだまでは打ち寄せる波をこわがっていたKAZU君でしたが、最近は海が大好きになりました。
 船も見えるし、連休中に熊本へ往復して興味を持ち始めた飛行機も、神戸空港に着陸する機体が明石海峡大橋の上をかすめるように飛んでいたりします。

 青々とした大海原。緑の淡路島。その海峡を跨いでいる大きな橋。潮の流れの中を行き交う船。見上げると青空の中をジェット機が。そして、次々と現れて去って行く電車。・・・。
 KAZU君の心の中に残って行く「ふるさとの心象風景」がどんな形で作られているのかと想像すると、とても興味深くなります。その風景の中に夕陽の美しさが加わるのもそう遠くない日だと思うと余計に。

 

 

    眼差しは遥か彼方か五月来ぬ   弁人


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KAZU君のゴールデンウイーク

2010-05-05 23:07:39 | KAZU君
 新緑と「芝桜」の中ではもちろん、何日間か甘えていた「ばあばぁ」がいなくなって、寂しくなっちゃった日の午後、今度は熊本の「ばあばぁ」に会いに行くことになりました。

  伊丹空港ご出立(30日)
  

  KAZU君熊本へ。(あーあ、行っちゃった)
  


 熊本の「ばあばぁ」のところには3泊して帰って来ました。

  伊丹空港ご帰還(3日)
  
 あんなに優しかった二人目の「ばあばぁ」とも別れてやるせないところに、「じいじぃ」が出迎えに現れてもぜーんぜんおもしろくないのでしょうか、ご機嫌ななめ?
 実は、飛行機の中でずっと夢見心地だったので、まだきちんと目が覚めていなかったようです。


 一日休養を取って、5日の日は連休最後のお出かけとなりました。

  お出かけ前から興奮気味
  


    夏立ちて楽しき予感満ち満ちつ   弁人


 車で1時間半、今日は三田市の山の中の永澤寺のお庭です。曹洞宗の禅寺ですが、四季折々の花で飾ったお庭を開放しています。

  連休初日と同様、芝桜のじゅうたん
  
   

 昨日から気温が上がって、立夏の今日は同じ芝桜の中とはいえ、先日のお出かけとはまったく違った季節のような陽気でした。

  山ツツジも鮮やかに
  


    幼子も花に埋もれし山の里   弁人


  今日もおいしいお弁当
  

  座ったベンチの後ろには、ここにもきれいな山ツツジが
  


 そうです、今日は端午のお節句の日でした。

  おうちに帰って、さっそく正装に
  


    一歩づつ男の子となるや武具飾り  弁人

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「明石海峡船景色」第8回 貨物船(3)

2010-05-03 10:12:15 | 船景色
5月3日(月)

 今回は、何気なくカメラに納めた中型の貨物船です。
「何気なく」と言ったのは、この種の船は運航の予定がわからないので、たまたま視界に入ってきた時にカメラを向けたということです。
 したがって、どこの国の会社の船だとか、どんな種類の船だとかという分別が難しい場合が多く、いろいろ調べてなんとか推測がついたという船もあります。
 とにかく、こういう方面には全く心得がありませんので、もし間違っていてもあしからず。


  「Imoto Lines」
  
 井本商運の船で、2~3000トンぐらいなのでしょうか、「Imoto」の船はみんなこのくらいの大きさの船で、よく行き来しています。

  「JNL」の文字
  
 「JNL」は,ジャパンナホトカラインの頭文字で、ロシアの「Trans Siberia」の船だということです。瀬戸内海にも貨物の積み下ろしに来るようです。

  「FESCO」、これもロシアの船
  
 写真の船は、丸みがあって操舵室が前にあり、とても面白い形をしていたので印象的でした。後ろにトレーラーなどが直接出入りできる車両用の甲板が見えるので「RoRo船」という種類の船だということです。
 ちなみに「RoRo」とは「ロールオン、ロールオフ」の略で、荷物の積み下ろしをクレーンに頼らず、トレーラーの出入りなどで直接行うことができるという意味です。

  「WESTWIND LINE」
  
 名前の感じでは、北欧かイギリスの船かなと思ってカメラに納めましたが、どうも、東南アジアの会社の船のようです。
 この船のように、クレーンを装備している船が貨物船のオーソドックスな形のように感じます。小さい写真なのでよく見えませんが、クレーンの間のワイヤーが高い位置にあることから、木材を運搬する船ということです。

  「TORM」
  
 「TORM」はデンマークの船会社です。何を積む船なのか、タンカーのような感じもします。それにしても、北欧と日本を行き来するのって、北極海が通れないとしたら、いったいどういうルートでどのくらいの時間がかかるのでしょうか。思わず「お疲れさま」と声をかけたくなります。

  「日本通運」
  
 煙突のファンネルマークに、おなじみの「日通」のマークが見えました。

  「住友大阪セメント」
  
 日本の船はわかりやすくて助かります。

  「KOBELCO]
  
 神戸製鋼の貨物船。時々見かけます。地元なので当たり前ですね。

  「JFE」の資材運搬船
  
   
 何年か前に、日本鋼管と川崎製鉄が合併してできた製鉄会社が「JFE」。いかにも重いものを運んでいるという感じの船で、この船もよく目にします。
 上の二隻は文字のデザインが違いますが、両方とも「N船」と言うそうです。「N」は「ニューウエーブ」の頭文字で、全部で5隻。「1号船」「2号船」が上の平行四辺形のような文字のデザインで、「3号船」「5号船」「6号船」が「N」のマークなのだそうです。「1、2号船」は、やや小型で瀬戸内海を行き来し、「N」マークの3隻は京浜・千葉と瀬戸内海の倉敷・福山などを結んでいるそうです。

  なかなか見ないおもしろい形の船ですが、これも「JFE」
  
 いろいろ調べたのですが、なんの船なのかさっぱりわかりませんでした。ところが、上の「JFE」の貨物船の写真を持って、西宮にある「JFE」(旧川崎製鉄)の工場に行って話を聞いていたところ、これも「JFE」の船で、「パレット貨物船」と呼ぶ船だということがわかりました。パレットというのは区分けした貨物のことで、コンテナのようなものなのかもしれませんが、そういうものを運んでいる船にはどうしても見えません。


    生き様も船もさまざま春の風   弁人


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