チムどんどん「明石通信」&「その後」

初孫との明石暮らしを発信してきましたが、孫の海外移住を機に七年で区切りに。現在は逗子に戻って「その後」編のブログです

せっかく慣れた小学校、まもなく一学期終了

2015-07-15 17:46:18 | KAZU君
7月15日(水)

 台風の影響で梅雨前線がどこかへ行ってしまったらしく、まるで梅雨明けのようなお天気です。

 今朝の明石海峡。
  すっかり夏空です
  

 今年は20日の海の日が月曜日になったので、一学期も今週いっぱいで終わりです。17日の金曜日が終業式ですから、夏休み中にオランダへ旅立つKAZU君、新しくできたお友だちと教室で過ごすのも、あと三日となりました。

 ところが、ここに来て、よりによって大型の台風が西日本を直撃しそうな気配。

 もし終業式の日が休校になったりしたら、明日が教室に行く最後になってしまいます。楽しみにしている「あゆみ」とかはどうなっちゃうのでしょうか。そんなことより、担任の先生が設けてくれるというお別れの時間もすっ飛んでしまいそうで、台風情報を前に気が気ではありません。

 そのKAZU君、今日も元気に
  登校して行きました
  


   通学の子の背を押したる野分風   弁人


 マンション裏の信号を渡って、通学路は
  バス通りなのですが、
  

 写真のバス停の後ろの木の脇に白い棒が立っているのがわかりますか。実はこれ、明石の歴史の会などでよく話題になる史跡なのです。

 「遺跡 畑山」
  とあります
  

 いわゆる「旗振り通信」の中継基地があったということでしょう。江戸時代から明治にかけて、大坂堂島の米相場をいち早く他の地域に伝達するために編み出された通信方法で、表示によると、この辺りの中継点は、須磨鷹取山・須磨鉄拐山・そしてここ大蔵谷旗山・魚住金ヶ崎となっています。大阪から岡山まで2時間ほどで伝わったということですが、雲の多い日もあったろうに、狼煙ならともかく、本当に旗を振るだけで通信ができたのでしょうか、興味津々です。なお、詳しくはウィキペディアなどで検索してみると解説が載っています。

 という話は、先月の「明石かいきょう塾」でも話題になり、耳をそばだてて聞いていました。ただ、この遺跡表示のあるバス停、たしかに海から1キロほど坂道を上って来た所にありますが、そんなに標高は高くなく、とても見通しが良い場所とは思えません。

 一昨年だったか、街道筋にある歴史的な「道標」の話を聞いている時に、講師の先生が「位置や方向は信用できませんよ。なぜなら、土地改良や宅地造成などで後世の人が適当に動かしてしまうことがよくあるから」とおっしゃっていたので、これもその類かなと思って調べてみると、どうも、本来の場所は、KAZU君のマンションと私の部屋の間にあった山道の途中だったようなのです。
 今は、5年ほど前から続いている宅地造成ですっかり変貌してしまいましたが、明石に来てから2年ほどは緑の中に小道が通じていて、「なんだ、あの頃しょっちゅう通っていた所にあったんだ」と複雑な心境に陥ります。

 すいません、話がそれました。

 さて、残りわずかなKAZU君の登校姿を見送ったあと、彼のマンションに戻ると、これも日本での短い小学校生活の名残の一品。

 5月から学校で育てていた
  朝顔がベランダに
  

 三日前の日曜日に学校から運んで来ました。きっと、毎日水遣りをした観察記録が夏休みの宿題になるのでしょう、二学期になったら、また学校に戻すことになっているので、たぶん種を取ったりして、休み明けも教材として活用されそうです。
 でも、さすがにオランダへは持って行けません。これも8月になったら私が車で逗子の家へ運び、KAZU君を懐かしむ花となりそうです。


   朝顔を残し旅立つ朝顔っ子   弁人


 日が少し高くなってKAZU君の家を出ましたが、帰途は、鬱蒼とした緑が消えてショベルカーやダンプが動き回るかつての「峠道」(私の勝手な命名)を通りました。「旗振り山、たぶん、この辺りだったのだろうなぁ」と思いながら歩いて行くと、まもなく私の部屋のベランダが見える最後の下り坂へ。

 この風景、あと何回
  目にするのでしょうか
  


   海南風刻々近づく帰東の日   弁人



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