チムどんどん「明石通信」&「その後」

初孫との明石暮らしを発信してきましたが、孫の海外移住を機に七年で区切りに。現在は逗子に戻って「その後」編のブログです

秋になれば、やっぱり、孫の運動会でしょうか

2019-09-29 16:36:47 | KAZU君&KANA君と妹君
9月29日(日)

 大宮の小学校で5年生になっているKAZU君。彼の運動会は一週間前の土曜日の21日でした。
 前日の夜の天気予報では「朝方は持つものの昼前から雨」とのこと。まあ、一時代前の言い方だと「降ったり止んだり」といったところでしょうか。

 そんな、なんとも落ち着かない中、曇り空の下で
  始まりました
  

 開会式の後の「エール交換」。
  ここまではオーソドックスに
  

 という感じで始まりましたが、今回は天気予報をふまえて、前もってプログラムを大幅変更。個人種目は後回しにして、まずは、低学年から順番に全員で行なう「表現」を優先。
 全体演技は息が合わないとさまになりませんから、きっといっぱい練習してきたのでしょう。

 いよいよ、5年生のKAZU君の出番。みんな笑顔も交えて
  真迫の動きを披露
  
  

 次は、これも運動会の花形。全員参加の大イベント
  「大玉送り」
  

 得点も大きい。
  KAZU君の白組が勝利
  

 盛り上がっている運動会を眺めて、お天道様も気を遣ってくれたのか、曇り空とはいえ明るさが増してきて、お弁当も外で食べることができました。

 午後になって、後回しになっていた個人種目の徒競走も順調に進んで、

 KAZU君(中央3コース)も
  力強くスタート
  

 PTA種目とか、いくつか端折ったものもありましたが、結局、最後まで雨は落ちて来ず、無事閉会式となりました。

 KAZU君、5年生の児童会の委員とか聞いていましたが、おじいちゃんもびっくり、朝礼台に上がって、

 元気よく
  「閉会のことば」を
  


   走る舞ふ全て大役運動会   弁人


 ところで、KAZU君の小学校は大宮の郊外にあって、周辺はのどかな風景が広がっています。
 競技の合間に「彼岸花でも咲いていないかな」と歩いてみましたが、やっと見つけてもまだつぼみ加減。今年はちょっと遅いのかもしれないと思っていました。

 そして、一週間後の昨日の土曜日。今度は、東京の下町の小学校に通うKANA君の運動会です。

 朝、家から逗子駅へ向かう途中、田越川の川原の草むらの中に彼岸花が一輪咲いていました。

  やっと、秋本番か
  


   花一輪川原の脇の秋の朝   弁人


 この日は、絶好の
  運動会日和になりました
  

 コンクリートに囲まれた都会の学校の校庭です。トラックを最大に設定しても100mちょっとでしょうか。その周りにテントを張るのはもちろん、児童席も必須。残りのスペースに観客が立ち見するわけで、さすがに狭すぎる感は否めません。(上の写真の椅子に座っている人は、一時的に空いている児童席に座った保護者のようです)

 実は、私もこういう下町の学校で育ったわけですが、当時は戦後復興の時期で、とても家族みんなで応援に来るなんていう時代ではありませんでした。それでも、運動会は校外の公園かどこか、土のグランドを裸足で走った記憶があります。
 今は、そういう場所に設定するのも難しい時代なのかもしれませんが、こうして、おじいちゃんおばあちゃんも駆けつけて来る時代なのも事実。あふれる人で観客席は満員電車の中にいるような雰囲気でした。

 もちろん、運動会の子どもたちはみんな一生懸命です。「赤勝て!白勝て!」と精一杯がんばっています。でも、何かが違う。ビルに囲まれた都会のアスファルトの校庭には、無頓着だったのかもしれませんが、大宮の郊外の小学校の運動会ではあまり感じられなかった「張り詰めた緊迫感」のようなものが漂っているのです。たしかに子どもたちの目は輝いているのですが、そのぶん笑顔が少ないような感じもします。

 狭い空間に響く先生のことば。それにしたがってがんばる子どもたち。KANA君もその中にいて、数日前から「運動会、ぜったいにがんばる」という気合が伝わって来ていたのです。

 そんな中、KANA君が一年生の「演技」に登場してきました。

 溌剌として
  真剣味あふれる動き
  
  
   

 いわゆる「ダンス」なる演目なのでしょうが、種目名を、大宮の小学校では「表現」となっていたのに対して、KANA君の学校は「集団演技」と位置づけていました。
 たかが種目の呼称に過ぎないとはいえ、やっぱり雰囲気は少し異なるように感じます。

 そして、ハラハラドキドキの1年生の徒競走。4人ずつ校庭の対角線上を50m走りますが、KANA君の組は一人お休みなのか3人に。

 いちばん向こうのKANA君、
  好スタート
  

 ラスト15m、
  依然トップか
  

 ゴールテープ前。赤帽子君もがんばって
  横一線
  

 競馬だったら写真判定? それにしても、3人とも気合が入っていました。最後まで諦めず走りきりましたから。で、審判の判定はKANA君が見事「1着」で、上級生に手を引かれて「1」の旗の下へ。


   秋空へ必死の形相届けたり   弁人


 先ほど、KANA君から連絡が入りました。
「昨日は一生懸命走ったけれど、もっと早く走りたいから、今日から”もも上げ”30回始めたんだ」と。


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強烈な台風、関東を直撃の「9月9日」

2019-09-10 16:12:27 | つぶやき
9月10日(火)

 昨日の台風、なかなかの強者でした。三浦半島でも風速40mを超えましたし。

 8日の深夜、寝床に就く時は、9日の未明に小田原から平塚あたりに上陸しそうな予報でした。逗子は台風の右側になりますから、これは大変そうと覚悟はしていたのですが、実際は、予想より東へ向きを変え、葉山の南の佐島あたりに上陸した後、横須賀を縦断、東京湾を渡って千葉のほうへ行ったようです。
 ということで、台風の右側になった三浦や房総半島の南東部の被害は甚大で、いまだに停電が続いているという報道もあります。逗子は、かろうじて台風の左側になったとも言えますが、中心が目と鼻の先を通過したわけですから、日付が変わってからの何時間かの暴風雨は、さすが台風と思わせる相当なものでした。

 ところで、台風が来やすいと言われる「二百十日」と「二百二十日」。今年は「二百十日」が9月1日ということなので、台風襲来の9日は「二百十八日」に当たります。まあ、台風が年に10個くらい上陸する日本列島ですから、この時期、暴風雨に見舞われても文句は言えませんが、9月9日という日、カレンダーには「重陽・菊の節句」とあります。

 「一」から「九」の数の中でいちばん大きいのが「九」。数字の陰陽を見る時、占いの世界で「九」は陰という見方もあるようですが、「奇数が陽で偶数が陰」という考え方もあって、そうすると陽の中でいちばん大きな数ということになります。その縁起の良い数字が二つ並ぶので「重陽」と言うそうです。
 伝統的な行事は、本来旧暦で行うものですから、本当の「重陽の節句」はまだ先なのかもしれません。博多や長崎の「おくんち(お9日)」も旧暦の9月9日(10月上旬)と聞いていますし。
 でも、3月3日の「桃の節句」も5月5日の「端午の節句」も7月7日の「七夕」も、今は新暦で祝ってますから、それに続く「重陽の節句」も、今の暦の9月9日ということでいいのかもしれません。
 その9月9日の「重陽」。「菊の節句」とも言って、長寿を願ったり祝ったりする日なのです。「敬老の日」ができたのは、たしか私の学生時代でした。その日を9月15日にしたのには諸説あるようですが、「重陽の節句」に近いということもあったと思います。
 それはともかく、そんな良い日でも、さすがに「二百十日」と「二百二十日」に挟まれた台風の時期、やはり自然の猛威は容赦してくれないんですね。

 実は、妻君のお母様、もうすぐ100才になりなんとしてまさに矍鑠(かくしゃく)。大正9年9月9日生まれということで、昨日は99才のお誕生日。なんと「9」が5つも並ぶおめでたい日だったのです。
 「9」は「陽」の中のいちばん大きい数字で・・・・・と言いましたが、人によって捉えかたも様々。
 お母様自身、
「私の誕生日は9ばっかりで、若い頃はなんて不吉なのと思ったりしてたのよ。言ってみれば三重苦じゃあないの」
と、仰ったりしていましたが、台風襲来の昨日は、

 「白寿」の
  お祝いの日だったのです
   


   菊酒を含むかにして白寿の宴   弁人


 私は事情があってご遠慮したのですが、妻君はお昼までに中野の実家へ出向くことになっていました。
 台風は未明に通過するし、鉄道も前もって計画運休に入っているので「まあ、大丈夫だろう」と思っていたのですが、出かける段になってみると、とんでもない状況になっていました。横須賀線も東海道線も京浜急行も運休が続き、言ってみれば、逗子はまさに「陸の孤島」になっていたのです。

 駅から戻って来た妻君。京急本線が動き出したという情報を聞き、「なんとか行きたい」と言うので車に乗せてみましたが、六浦へ抜けるトンネルは通行止め。田浦へ抜ける県道も大渋滞で最後尾は逗子駅付近まで続いています。横横道路や首都高湾岸線の通行止めも一般道の渋滞に拍車をかけ、その余波が身近にまで及んでいるのでした。
 「電車が動き出すまで待つしかない」と言う妻君を駅前で降ろしたのですが、その後「京急逗子線がもうすぐ動くかもしれない」という情報を得たようで、京急新逗子駅にできた長蛇の列に紛れて品川へ向かったとの連絡。結果、大混雑の品川から山手線で新宿へ行き、動き始めた中央線でなんとか中野駅に着いたとのことでした。

 いっぽう、妻君を降ろした私は、葉山へ向かう道に渋滞マークがなかったので、買物ついでにとトンネルをくぐって行くと、なんと信号が消えているのです。コンビニも真っ暗で、入口のドアが開けっ放し。そうなんです、停電なのでした。
 コンビニを覗いてみると、「冷蔵庫も切れているんで、お菓子とか煙草とかなら。レシートは出ませんが」と入れてくれました。
 幸い、我が家はテレビもエアコンも大丈夫だったので、びっくりしてしまったのですが、逗子でも葉山に隣接するあたりは停電しちゃったようで、鎌倉や横須賀を含めて、一日経った今日の午後になってもまだ復旧してないようです。
 千葉では送電線の鉄塔が倒れて大規模な停電が続いているようですが、三浦半島でも同様なことが起きて送電網が切れちゃったのでしょうか。そういえば、横須賀線もいまだに逗子から先は不通になったままなのですが、送電が関係しているのかもしれません。
 昨日、首都圏の鉄道が次々と動き出した中で、安全点検中とかで、東海道線がお昼過ぎまで、横須賀線が15時近くまで動かなかったのも送電の不具合だったのでしょうか。


   暴風雨いにしへ人は野分とや   弁人


 それにしても、たしかに勢いのある台風とはいえ、あっという間に社会機能が麻痺してしまう現実。そんな中に原発がいくつも存在しているのです。いつ大地震が襲って来るかもしれないというのにですよ。ほんとうに背筋が寒くなります。

 千葉県君津市の送電線の鉄塔が倒れた件についての東京電力の見解をニュースで聞きました。
 「風速40mの強風に10分間耐えられる設計でできている。経年劣化は考えられないので、設計時に考えていた以上の風だったとしか言いようがない」
 原発事故の時と同じではないですか。まさに「想定外」。それも東電の人の口からですよ。二度と聞きたくないと思ってきた忌まわしいことばなのに、「たかが」と言っちゃ失礼かもしれませんが、一回の台風でニュースに流れて来るとは、いったい、日本の社会はどうなっているのでしょうかね。


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成田空港へ出向いた帰りに、成田の鰻に舌鼓み

2019-09-07 11:13:30 | お出かけ・散策
9月7日(土)

 夏休みに一時帰国していたKAZU君のお父さん。今回は、アムステルダムへ熊本のお母様(KAZU君のおばあちゃん)をお連れすることになっていました。
 ところが、お母様、出発直前になって、パスポートの残り期限が足りなくて渡航できず、更新手続きのため熊本に戻り、一昨日の5日、お一人で成田から飛び立つことになってしまいました。
 「それじゃあ、お見送りに」と、早起きをして成田空港へ。

 3年ぶりでしょうか、久しぶりに成田エクスプレスに乗りましたが、
 6:22の大船始発の電車、横浜までは
  ガラガラでした
  

 搭乗するのは10:25発の「KLM」で、出国手続きや手荷物検査など、予想以上に時間を要することもあり、見送りの時間があるかどうか心配していましたが、
  小一時間ほど「出発遅延」という表示で、お話もゆっくりできました
  

 無事にお見送りができて、展望デッキへ。羽田と違って、さすがに
  機体がカラフルです
  

 さて、せっかく成田まで来たんですから真っ直ぐ帰ることはありません。成田山新勝寺には二回お参りしていますが、二回とも参道のお店で鰻を食していませんでした。そこで、今回は「帰りに鰻重だ」と決めて成田にやって来ていたのです。

 参道の途中にある、初代団十郎ゆかりの
  「薬師堂」
  

 鰻はやっぱり有名な「川豊」かなと、
  店の前に行くと、
  
 お昼時まで、まだ小一時間ほどあるのに、もうテーブル席は埋まっていいました。それに、見事な手さばきを見せている職人さんのすぐ向こうが客席になっていて、エアコンが効いてなさそうな気配でちょっと尻込み。


   捌かれて成田の鰻香ばしく   弁人


 結局、参道のお店はあきらめて、新勝寺の門もくぐらずに脇の道に入って歩くこと15分ほど。

 「川豊」の別館に
  たどり着きました
  

 お庭もあって、なかなか
  落ち着いた店内
  
 
 「わおーッ、たまらん」。でも、
  年寄りには多すぎかな
  


   鰻屋の窓に機影と秋の雲   弁人


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