2月26日(土)
「オミクロン株」による「第6波」、収束の気配が見えませんね。仕方なく「しばらくは冬眠」と決め込んでいたのですが、実は、もう目を覚ましてしまっているんですがね。
二週間前でしょうか、コロナワクチン三回目の接種券なるものが届きまして、さっそく予約をしたのですが、「接種前倒し協力者」というのに登録したところ、一週間前の19日の土曜日の午後に「今日、これから来れますか」という電話が入りまして、三回目の接種を済ませました。
前二回は「ファイザー」でしたが、今回は「モデルナ」。個人差はあるのでしょうが、今回はちょっときつかった。発熱は37度程度で、それほどではなかったのですが、とにかくだるくて二日間じっとしていました。
まあ、この悪寒とだるさに耐えれば、今回の「冬眠」から脱出できるはずと、二日間じっとしていましたが、目を覚ましたところで、今年はちょっと春が遅いようで、外に出ても冷たい風、ご近所の臘梅もまだ黄色の輝きを見せています。
情報によると、三浦海岸の「河津桜」は少し咲き始めたようですが、もう二月の下旬、今年はちょっと遅い感じです。
そんな中、一昨日、大船のモールへ買い物に出ましたが、駐車場近辺に何本もある、これも早咲きの「玉縄桜」。例年なら咲き始めてもいい時期なのに、いまだに冬の気配でした。
帰途、「それじゃあ、梅はどうかな」と、
片瀬は「龍口寺」近くの
梅のお寺「常立寺」へ
山門をくぐると、
「六地蔵」がお出迎え
境内の向こうに
モノレールの駅
樹木にも個体差があるのでしょう、この梅は
まだつぼみばかり
本堂前の紅梅は
五分咲き
この「常立寺」、実は、枝垂れの梅が有名でして、この時期は多くの人が訪れます。
先ほどの紅梅の向かいに、なんとも趣のある
薄い色合いの花
鐘楼の前の、
これも枝垂れの紅梅
境内の真ん中に、いちばんきれいに咲きほこっているのは、
なかなか見事な紅白二本
七分咲きくらいでしょうか、
コロナ禍に春や控え目古寺の庭 弁人
ところで、この日蓮宗の「常立寺」。この時期は「枝垂れ梅の寺」として訪れる人が多いのですが、それだけで知られているわけではないのです。
墓地の中央に、青い布が巻かれた「五輪塔」
その名を「元使塚」と
元寇(蒙古襲来)の一回目(文永の役)の翌年、元への服従を求める国書を携えた国使(杜世忠ら5名)が来日したのですが、北条時宗の命により龍口の刑場で処刑されたのです。その後、処刑された元使たちを弔うための供養塔ができ、その五輪塔がこの寺に残されたとのことです。
現在も、元朝青龍や白鵬(現間垣親方?)をはじめとするモンゴル出身の力士が参拝に来ているようです。
往にし世の興亡も香に枝垂れ梅 弁人
「オミクロン株」による「第6波」、収束の気配が見えませんね。仕方なく「しばらくは冬眠」と決め込んでいたのですが、実は、もう目を覚ましてしまっているんですがね。
二週間前でしょうか、コロナワクチン三回目の接種券なるものが届きまして、さっそく予約をしたのですが、「接種前倒し協力者」というのに登録したところ、一週間前の19日の土曜日の午後に「今日、これから来れますか」という電話が入りまして、三回目の接種を済ませました。
前二回は「ファイザー」でしたが、今回は「モデルナ」。個人差はあるのでしょうが、今回はちょっときつかった。発熱は37度程度で、それほどではなかったのですが、とにかくだるくて二日間じっとしていました。
まあ、この悪寒とだるさに耐えれば、今回の「冬眠」から脱出できるはずと、二日間じっとしていましたが、目を覚ましたところで、今年はちょっと春が遅いようで、外に出ても冷たい風、ご近所の臘梅もまだ黄色の輝きを見せています。
情報によると、三浦海岸の「河津桜」は少し咲き始めたようですが、もう二月の下旬、今年はちょっと遅い感じです。
そんな中、一昨日、大船のモールへ買い物に出ましたが、駐車場近辺に何本もある、これも早咲きの「玉縄桜」。例年なら咲き始めてもいい時期なのに、いまだに冬の気配でした。
帰途、「それじゃあ、梅はどうかな」と、
片瀬は「龍口寺」近くの
梅のお寺「常立寺」へ
山門をくぐると、
「六地蔵」がお出迎え
境内の向こうに
モノレールの駅
樹木にも個体差があるのでしょう、この梅は
まだつぼみばかり
本堂前の紅梅は
五分咲き
この「常立寺」、実は、枝垂れの梅が有名でして、この時期は多くの人が訪れます。
先ほどの紅梅の向かいに、なんとも趣のある
薄い色合いの花
鐘楼の前の、
これも枝垂れの紅梅
境内の真ん中に、いちばんきれいに咲きほこっているのは、
なかなか見事な紅白二本
七分咲きくらいでしょうか、
コロナ禍に春や控え目古寺の庭 弁人
ところで、この日蓮宗の「常立寺」。この時期は「枝垂れ梅の寺」として訪れる人が多いのですが、それだけで知られているわけではないのです。
墓地の中央に、青い布が巻かれた「五輪塔」
その名を「元使塚」と
元寇(蒙古襲来)の一回目(文永の役)の翌年、元への服従を求める国書を携えた国使(杜世忠ら5名)が来日したのですが、北条時宗の命により龍口の刑場で処刑されたのです。その後、処刑された元使たちを弔うための供養塔ができ、その五輪塔がこの寺に残されたとのことです。
現在も、元朝青龍や白鵬(現間垣親方?)をはじめとするモンゴル出身の力士が参拝に来ているようです。
往にし世の興亡も香に枝垂れ梅 弁人