チムどんどん「明石通信」&「その後」

初孫との明石暮らしを発信してきましたが、孫の海外移住を機に七年で区切りに。現在は逗子に戻って「その後」編のブログです

明石の散歩道「子午線の道沿いにある平忠度の史跡」

2014-05-30 14:56:14 | 明石風物
5月30日(金)

 「薩摩守忠度(ただのり)は、いづくよりや帰られたりけん、・・・」

 高校一年生の時の「平家物語」の授業を思い出します。
 「キセル(ただ乗り)」をする人のことを「サツマノカミ」と言うのだと、友だちが小声で得意気につぶやいていましたが、今や、「キセル」を使う人も少ないし、自動改札をICカードで通る時代、もうそんなことばは死語になったのでしょうね。

 私は
「西海の波の底に沈まば沈め、山野にかばねをさらさばさらせ。憂き世に思ひ置くこと候はず」
という一節が妙に頭に残っています。
 「沈め・さらせ」は命令形だが、命令の意味ではなく、「どうでもいい」という意味で、こういうのを「放任法」と言うんだという説明がとても印象的で、大人が、よく「うそつきなさい!」と叱るけれど、あれは、命令ではなく「勝手にしろ」という意味なんだとわかって、なるほどと納得したのを覚えています。

 その「忠度の都落ち」。有名な話ですから今さらですが、
---死を覚悟して都落ちする忠度が藤原俊成のもとにとって返し、自分の和歌を託します。結果、俊成は千載和歌集に
 「さざ波や志賀の都は荒れにしを昔ながらの山桜かな」
という歌を入れたのです。しかし、平家が朝敵となった時代の勅撰和歌集であるがゆえ、「よみ人しらず」という扱いにせざるを得なかった---
という話です。

 平忠盛の六男にして清盛の異母末弟の忠度。貴族の文化を色濃く引き継いでいた平氏の武将たちの中でも、ひときわ歌才に秀でた文武両道の風流人として、周囲から一目置かれる存在だったのです。

 「平家物語」といえば、教科書には、必ず冒頭の「祇園精舎」があって、その後は「・・・の最期」がほとんどです。「木曽の・・・」「敦盛の・・・」「能登殿の・・・」とか。
 どの段も、最期を迎える武将は、みな豪華絢爛。きらびやかな出で立ちと武具をまとい、勇猛果敢に見事に散っていきます。そして、最後はほとんど定番、涙々・・の物語となるのです。

 若いころは、勇壮かつ絢爛なところに惹かれたのでしょうか、あるいは歴史ロマンに浸っていたのでしょうか、源平の物語には関心が強く、あの悲惨な俊寛と有王の話なども興味深く読んだものです。でも、大人になるとともに、悲しみにあふれた場面の多さに少々いたたまれなくなって、涙々の集大成のような「平家物語」の世界からは遠ざかっていました。

 逗子で世帯を持って40年以上になりますが、田越川の脇にある「六代御前」の墓も、悲しい歴史の場所という思いが強く、いつも通り過ぎてきた感じがします。

 それはさておき、源氏に追われる平氏は都を神戸の福原に遷し、清盛の死後、さらに西へ西へと落ちて行きましたので、当然、神戸から須磨や明石にかけては平家の史跡が多くあります。
 そんなわけで、「平清盛」が大河ドラマだった一昨年は、明石でも何かにつけて平家の話題で盛り上がりましたが、個人的にはどうもブームに乗れず、ブログの話題にもせずにいたのです。

 でも、明石で何気なく歩いている道の脇に「平忠度」の史跡がある。KAZU君がもう少し大きくなったら、「忠度って、どんな人やねん?」と聞いてくるかもしれません。そんな時、「キセルの人や」と冗談を言うだけにもいきませんし、写真のストックもありますので、今回は「忠度」の史跡を取り上げます。

 KAZU君の保育園の最寄り駅は
  山陽電車の「人丸前」です
  
 大蔵谷駅と明石駅の間にある駅で、ホームの上に標準時子午線が引かれています。前後の駅間の距離がとても短くて、歩いてもたいしたことはありません。

 写真左のガードをくぐって北に向かうと、すぐ先に天文科学館がありますが、平行して走っているJRのガード下に、

 「両馬川旧跡」という石碑があります。
    

 ここが平忠度の最期の地とされています。

 「平家物語-忠度の最期」の段によると、一ノ谷から落ちのびて行く時、ここで、武蔵の住人岡部六弥太忠純に呼び止められ、「御方(味方)だ」と返答したものの、お歯黒をしていたために平家の公達と見破られ、最期の戦いとなります。

 今は暗渠になっていますが、ここには、その昔、川が流れていたようで、その川を挟んでの戦いになったので「両馬川」と言うようになったとか。

 戦いのもようを本文では
「薩摩の守は聞ゆる熊野育ちの大力、究竟の早業にておはしければ、六弥太を掴うで、・・・・捕つて引寄せ、馬の上にて二刀、落付く所で一刀、三刀までこそ突かれけれ。二刀は鎧の上なれば通らず、一刀は内甲へ突入れられたりけれども、薄手なれば死なざりけるを、取つて押へてくび掻かんとし給ふ処に、六弥太が童、おくればせに馳せ來て、急ぎ馬より飛んで下り、打刀を拔いて、薩摩の守の右のかひなを、ひぢのもとよりふつと打落す」
 とあり、岡部六弥太忠純の首を取らんとしたところで、あえなく家人の若者に右腕を切り落とされてしまうのでした。

 もはやこれまでと観念した忠度は、六弥太を投げ飛ばしてから静かに念仏を唱えますが、その最中に首を落とされます。
 この時、えびら(矢筒)に
 「行き暮れて木の下かげを宿とせば花や今宵の主ならまし」
という和歌が結び付けられていたことから首の主が忠度と判明、六弥太は大音声を上げます。それを聞いて、
「あないとほし、武芸にも歌道にも勝れて、よき大將軍にておはしつる人をとて、皆鎧の袖をぞ濡しける」
と、敵も味方も分け隔てなく彼の死を悼むという、ここでも結末は涙々なのであります。


   姿なき不如帰の声両馬川   弁人


 さて、切り落とされた忠度の右腕ですが、両馬川の旧跡から50メートルほど離れたところの神社にありました。

 ちょっとグロテスク?
  でも大丈夫
  
 身体の痛いところをさすると、たちどころに痛みが消えるという魔法の腕になっているのです。

 その名も腕塚神社。
  右手塚神社とも
  

 魔法の右腕は、
  誰でも手に取ることができます
  


   雷雲の下に祀らる飛びし腕   弁人


 実は、神戸の長田にも、忠度の「腕塚」と「胴塚」と称しているものがあって、「どっちや?」ということになりかねませんが、ここは明石の話題ということで、お社に祀られている忠度のほうにお賽銭を入れておきましょう。

 余談ですが、長田のほうは地蔵盆の時にお参りをするということで、地蔵信仰と結びついているようです。「身代わり地蔵」とか「縛られ地蔵」とか「斬られ地蔵」とか言われるお地蔵様は多いので、腕を斬り落とされた忠度が地蔵信仰と結びついたのかもしれません。これも余談ですが、お地蔵様の首がよく落とされたりして、「心ない人の仕業」と非難されたりしますが、あれは、身代わりになってくれるという信仰によるもので、その辺りのことは、首をセメントで付け直している人も心得ているのだと思います。

 本題に戻ります。

 腕塚神社から、南へ50メートルほどで国道2号線に出ます。そこに子午線郵便局があって、ここでも駐車スペースに東経135度の子午線が引かれています。

 うしろは、
  人丸山と天文科学館です
  

 郵便局脇の「人丸前」の交差点から、子午線の道を両馬川旧跡とは反対側の南へ向かうと、

  こういう案内があります
    
 写真は南側から撮ったものですが、「左ただのり塚」とあります。西に折れてすぐの所に、

  忠度のお墓があります
  
   

 「忠度塚」もお参りの人が絶えないようで、いつ来ても、きれいに掃き清められて、献花が絶えることがありません。


   行き暮れて昔ながらの墓所の花  弁人


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江戸っ子のKANA君と夏祭りを楽しむ

2014-05-27 01:36:23 | KANA君と妹君
5月27日(火)

 通院の関係で、一週間ほど逗子の我が家におりました。でも、前後の移動の日を除くとわずか数日、いくつか予定も入っていたので、今回はそれが済んだらそのまま明石に戻るつもりでした。
 ところが、一昨日、ちょっとした用事ができて東京へ行くことになりました。

 天気の良い日曜日。せっかく東京へ出るんなら、KANA君はどうしているかなと様子をうかがうと、「お祭りだよ」というこということでした。

 そう、一週間前は浅草の三社祭でした。ということで、この時期、東京の下町は夏祭りで盛り上がっているのです。

 「みっけた!KANA君」
  
 相変わらず、引っ込み思案で、お出迎えはやはり怪訝な表情

 「おじいちゃんと遊ぼうよ」と声をかけ
  

 お菓子を食べていると
  
   

  お神輿がやって来ました



  

 神輿を迎える木遣の歌声と威勢のいい掛け声。江戸っ子の血の騒ぐひとときです。下町生まれ、下町育ちのKANA君も江戸っ子の魂が芽生えたかな、すっかりお祭りの雰囲気に溶け込んだみたいで、

 おじいちゃんとも仲良しになりました
  


   江戸の町子ども太鼓も威勢良く   弁人


 その後、お神楽も楽しんで
  

 満面の笑顔です
  

 せっかく仲良しになったのに、私は、翌日に明石に戻る予定を立てていたので、まだ日のあるうちに「さよなら」をして、後ろ髪を引かれる思いで帰りの電車に乗りました。


   孫の里祭り囃子がよく似合ひ   弁人


 実は、大学を出るまでですが、私もこの世界で生まれ育ってきたのでした。


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「朝霧」にすっぽりと包まれる明石海峡

2014-05-19 08:48:07 | 明石風物
5月19日(月)

 明石の私の部屋、JRの最寄り駅は明石駅の一つ手前の朝霧駅です。年明けまで「明石市大蔵谷清水」という町名だったのですが、今年になって住居表示が変わり、「明石市朝霧南町」になりました。

 私の部屋から朝霧駅と反対方向へ歩くと、山陽電鉄の大蔵谷駅があって、そのちょっと先にKAZU君の保育園があります。
 何回か紹介しましたが、保育園の辺りは、かつての西国街道の兵庫と加古川の宿の中間にある大蔵谷の宿場町で、今でも風情のある町並みが色濃く残って、その名残を留めています。

 毎年秋に行われる大蔵谷稲爪神社大祭での
  「牛乗りの神事」
  

 何回かブログに載せた神事ですが、牛に乗った子どもが大声で口上を述べます。

「千年も万年も、大蔵谷の浦において、千と万と、大祝い小祝いつづき候」

 この地域一帯の繁栄と泰平を言祝ぐものですが、この神事は、推古天皇の御世に創建されたというお社の縁起を伝える儀式で、大蔵谷の古い歴史を物語っています。

 そんなこともあって、個人的には「大蔵谷」という地名が気に入っていたので、少々複雑な気分です。

 実は、KAZU君の住まいも私の所と同じ「朝霧南町」に変わったのですが、今までの「大蔵谷狩口」という町名の「狩口」という字名、これにもなかなかの由緒が言い伝えられているのです。

 神代の時代に、仲哀天皇という方がいらっしゃったことになっています。奥様が神功皇后で、応神天皇の父ということになります。その仲哀天皇の二人の皇子がこの付近の山で鹿狩りをした、その山の入り口ということで「狩口」と言うそうなのです。
 歴史の本をひもとくと、応神天皇には二人の異母兄がいて、幼い異母弟の即位を阻もうと、神功皇后の三韓征伐の帰途を狙って反乱をおこしたことになっています。史実かどうかは疑わしいところですが、これを世に「忍熊皇子の乱」と言って、最初に陣を構えたのが播磨の赤石(明石)と言われています。この時に、神戸は灘の都賀川の辺りで占いの狩りをしたことにもなっているので、その辺の言い伝えが「狩口」の由来になっているのかもしれません。

 なにはともあれ、そんな歴史とロマンを感じていた地名が、いつの間にかJRの駅名と同じ名前に変わってしまったのです。


   いにしへも朝霧の中に隠れけり   弁人


 ところで、新しい地名の「朝霧南町」、大蔵谷宿場の北東に位置するこの辺りは、昭和40年ごろから住宅地が整備されたようで、JRの朝霧駅は昭和43年の開業となっています。なにしろ、山陽本線は明治生まれの歴史の古い幹線ですから、駅の中では歴史が浅いということになります。
 聞くところによると、今回の町名変更に当たっては、住民のアンケートの結果が重視されたということです。たしかに、「朝霧」という名前には、いかにも今ふうな、新鮮かつしっとりとしたイメージがありますよね。


 さて、やっと今日の本題に近づいてきました。ここまでは、「大蔵谷」とか「狩口」とかの地名が消えて寂しいという話題で、それは正直な思いなのですが、だからといって、朝霧駅の「朝霧」という名前が、「歴史が浅く重々しくない」ということではないのです。
 たしかに、駅の歴史は浅い、でも「朝霧」という地名も、実はどっこい、ちゃんとした歴史を背負っていて、「朝霧駅」という駅名には、親しみと愛着を持って明石暮らしを続けているのです。

 KAZU君の家から北へ歩くと、丘の上に朝霧公園があります。今は公園の前に団地が並んでいますが、もともとは明石海峡を目の前にした景勝の地であったと容易に想像できます。

 公園の一角に、地名の由来を紹介する
  石碑があります
   

 「ほのぼのと明石の浦の朝霧に島隠れゆく舟をしぞ思ふ」

 古今和歌集巻九のよみ人しらずの歌ですが、左注には「このうたは、あるひとのいはく、柿本人麿がうたなり」とあって、明石にゆかりのある人麻呂の作として親しんでいる人も多い歌です。

 昔の、またその昔から、明石海峡は朝霧に包まれることが多かったのでしょう。おそらく、地形的な特質、かつ湿度や気温などの気候的な特質によるものだと思います。「霧」と言うと、季節的には秋から初冬をを思い浮かべますが、私の印象では、3月から4月ごろに多いような気がします。

 実は、三日前の先週の金曜日の朝も淡路島が全く見えませんでした。その日もカメラを構えたのですが、朝霧がもっと深く立ち込めた日が3月末にありましたので、今回はその時の写真を。

 ベランダの前。すぐ下に
  電車が走っています
  

 表に出て、
  坂道を上がると
  
 すぐ眼下に朝霧駅があり、その向こうは海岸の公園です。それが全く隠れているのですから、海峡や淡路島などは論外です。

 この新しい公園も、
  ふだんは景色抜群なのですが
  

 さすがに、明石市朝霧。まさに地名どおりの光景です。年に何回くらいあるでしょうか、おそらく、雨上がりなどで湿度が高く、風が無く、明け方に気温が下がったからだと思います。


   なにもかも霧に隠るる春の朝   弁人


 考えてみると、今まで何回か、2から3月頃のブログの話題に、「明石は気温が低めで、春が待ち遠しい」などとぼやいたことがあります。
 狭い日本、それも同じ関西地方で、同じ海に面しているのに、大阪や神戸に比べると、明石は年間を通じて2~3度ほど気温が低いようなのです。
 これは霧の朝とは関係ありませんが、「明日は暑くなりますよ」というコメント付きの、

 先週の月曜日(5月12日)の
  夕方の天気予報です
  
   

 翌日の最高気温の予想画面ですが、関西地方の画面では、大阪も神戸も姫路もそんなに変わらないのに、兵庫県各地域の予報では、明石は2~3度ほど低くなっています。

 実際、翌13日の最高気温はどうだったかというと、予報どおりに暑くはなりませんでしたが、やはり明石は2~3度低いのです。

  大阪24.9度  神戸24.9度
  明石22.3度  姫路25.2度

 最低気温でも同じような傾向があるので、どうも明石海峡近辺だけ周囲に比べて気温が低くなり、それで朝霧が発生しやすくなるのかもしれません。そのうち神戸の気象台にでも出向いて、そのへんのことを勉強してみたいと思っています。

 それに、朝霧名物?の朝の霧、雨の日は上空がどんよりとした雲に覆われますが、雨粒とともに霧の水分も落ちてしまうのでしょう、まず霧は発生しません。
 カメラに納めた霧の朝は3月末のことでしたが、

 海はほとんど見えないものの、
  明るさは感じます
  

 振り返ると、
  ちゃんとお日さまは出ているのです
  

 でも、いくら霧が深くても、春たけなわのころですから、部屋に戻るころには晴れ渡って、いい天気になりそうかなと思いきや、この日はなかなかしぶとくて、

 用があって
  KAZU君のおうちに行きました
  
 9時近くになっているのに、ベランダから全く海が見えません。

 ちなみに、この日は3月下旬でしたが、当日の明石の気象状況は、
  天候 晴一時曇    降水量 0ミリ
  朝の最低気温 12.0度 (神戸13.8度)
ということでした。


   海峡に冷気漂ふつぼありや   弁人


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丹波市のお寺にある「壮観な藤棚」

2014-05-16 13:16:34 | お出かけ・散策
5月16日(金)

 この二年ほど、明石では、藤の花の時期にあまりゆっくりしていなかったのかもしれません。
 昨年は4月の末に亀戸天神へ行きましたが、兵庫の藤の花と言えは、四年前の2010年に宍粟市の「千年藤」(2010年5月18日付の記事)を見に行っただけのような気がします。

 たしか「千年藤」を見に行った翌年だったでしょうか、こちらの新聞に、丹波市の白毫寺というお寺の、実に見事な藤の花が写真とともに紹介されていました。
 その時は、ぜひ一度行ってみなければと思っていたのに、トシのせいか忘れかけていたようです。先週末こちらに戻って来た日のテレビを見て、「そうだった」と思い出し、急に出かけたくなりました。

 兵庫県は、北と南とそれぞれ海と面していて、けっこう広いのです。明石や神戸から東へ向かえば、大阪の向こうが京都ですが、北へ向かうと、宝塚から2~30キロほどで、東側は京都府との県境となります。

 京都から山陰本線に乗ると、亀山・園部の先に京丹波町があって、その東は兵庫県の丹波篠山と呼ばれる地域です。その篠山市とさらに北の京都府福知山市の間にあるのが丹波市です。

 今回の藤の名所の白毫寺は、丹波市の中心部から数キロ北東の山あいにあります。最寄り駅は福知山線の市島駅ですが、駅から約4キロ、バスの便がないのでタクシーに乗るしかありません。
 なおかつ、福知山線は篠山の先、山陰本線に合流する福知山までは本数も少ない上、土日は、お寺に向かう県道が大渋滞でなかなかたどり着けないという話なのです。

 ということで、天気のよさそうな平日を待って車で出かけました。

 705年開山。
  天台宗の五大山白毫寺
  
   

 本堂の西の、石楠花の咲く山の麓に
  立派な藤棚があります
  
 なんと120メートルもの長さの藤棚です。

 この藤、
  「九尺ふじ」と呼ばれています
  

 房が長くて立派だということなのでしょうか、まあ、九尺というと3メートル近くの長さで、さすがにそんなには長くありませんが、1メートル以上垂れ下がっていた宍粟市の「千年藤」に見劣りしない見事な咲きっぷりです。

 これだけたくさん咲いていると、香りも一面に漂って、藤のお花見を満喫と行きたいところなのですが、その香りを求めて大きなミツバチがたくさん集まって来て、ブンブンと羽音を立てて花の間を飛び交っているので落ち着きません。


   藤棚は蜂忙しげに人静か   弁人


 実は、この藤、日が暮れるとライトアップされるということなのです。今回はそれを楽しみにしていたので、この日は午後ゆっくり出て、到着したのは午後3時半でした。
 そこで、いったん数キロ離れた所にある道の駅で夕暮れを待ち、6時半に再度向かいました。

 明かりが点灯されてから
  30分ほど待ちましたが
  
 関西は日が遅く、午後7時になってもまだ空が明るいのです

 東の空に、
  満月少し前の月が昇って来ました
  

 7時20分。
  幻想的な光景です
  

 昼間賑やかだった
  蜂の羽音も聞こえません
  

 7時半を過ぎて、
  とっぷりと日も暮れました
  


   丹波路の遅き日暮れて花微か   弁人


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明石に戻って、KAZU君と遊ぶ

2014-05-13 06:58:23 | KAZU君
5月13日(火)

 連休の最終日にKAZU君を東京駅で見送った日、ちょっと気温が低かったようで、KAZU君と別れたあと熱が出て、不覚にも一日寝込んでしまいました。

 でも、新幹線の中で、KAZU君が「おじいちゃんと一緒に帰りたかった」とめそめそしていたと聞いて、急いで週末に明石へ戻りました。

 そして日曜日。私の体調がまだ万全でないので、遠出はやめて、新長田の鉄人28号広場の公園で遊ぶことになりました。

 ところが、KAZU君、遊具からすぐ戻って来て、「ビリッときたから、もうここでは遊ばん」と言うのです。
 どうも、静電気が走ってしまったようです。
 「天気がいいのにもったいない」とも思いましたが、初夏の日射しも結構きつくて日陰もないので、とりあえずお昼ごはんをということになりました。

 お腹を満たしたあとに、KAZU君のご要望で、元町のビルの中にある施設で遊ぶことに。

 「BAL」というビルの中に
  遊び場があります
  

 「ボーネルンドあそびのせかい」
  という施設です
  

 ボールプール。今の子どもは
  いろいろ遊べてうらやましいかぎり
  
   

 メインは「エアトラック」という
  大きな風船
  

 ジャンプしたり、走ったり、
  でんぐり返しをしたり
  
 自由自在です。


   紫外線避けても元気に現代っ子   弁人


 2時間近く思いっきり遊んで、ヘトヘトになって、帰りの電車に乗りました。


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二人の孫と、初夏の香りの中で

2014-05-06 14:42:25 | KAZU君&KANA君と妹君
5月6日(休)

 連休後半の3日の夕方、二人の孫とその家族が相次いで逗子の家にやってきました。私は前日の夜に明石から戻って来て、妻君と二人でみんなの到着を待っていました。
 一挙に8人家族になって、たいそう賑やか。はたして、狭い我が家に全員泊まれるのかな?
 大丈夫、少々、家がまぁるく膨らんだ感じになりましたが。

 そして翌日の4日。前日より少し涼しめでしたが、朝から初夏の香りの風の吹く、とても良い天気に恵まれました。

 KAZU君、楽しみにしていた
  KANA君とのお出かけです
  

 金沢文庫駅からバスに乗って、向かったのは金沢自然公園。

  楽しい一日の「はじまりぃ」
  

  まずは、動物園へ
 
  
   

 この動物園、坂道を登ったり下りたりしないと、いろいろな動物に会えません。いっぱい歩いた後、エネルギーを補給して、午後は公園で遊ぶことになりました。

 鯉のぼりの下の
  大型のスライダー
  

 ゴールデンウイークで人もいっぱい。一回乗るのに30分以上も並びました。自然豊かといえども、さすがにここは首都圏です。明石や淡路島ののんびりとした公園とは勝手が違います。


   薫風に喚声乗せて鯉のぼり   弁人


 ここでKANA君はお昼寝タイムとなり、KAZU君一人、他の遊具で遊ぶことに。

  アスレチックふうの遊具を行ったり来たり
 
  
   

 子どもは夢中になると本当に元気です。ヘトヘトになるまで遊んで、夜はバタンキューでお布団に。

 さて、翌5日の朝、KANA君一家は東京へ帰って行きました。

 KANA君とお別れしたKAZU君、もう一晩お泊まりして、連休最後の6日に明石へ帰ります。それで、この日もそれなりのプランを立ててあったのですが、前日遊びすぎたのか、朝から体調がちょっと思わしくなく、様子を見ていました。

 元気が出てきたようで、
  「どっか行こうよぅ」
  

 「それじゃぁ、お散歩に行こうか」と、

  近くの運動公園で遊びました
  
   

 箱根への家族旅行、逗子でのお泊まりとKANA君とのお出かけ。楽しかった思い出をポケットにいっぱい詰めて、KAZU君も先ほど明石へ帰って行きました。

 東京駅で。
  「カーくん、バイバイ!」
  
   


   こどもの日過ぎて寂しき我が家かな   弁人


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明石の街角で見かけた花

2014-05-03 13:05:48 | 明石風物
5月3日(休)

 前回の記事で、春は黄色の花によく目を奪われるというようなことを記し、明石公園の「オウバイモドキ」の写真を載せましたが、数日前に街を歩いていると、ある家のフェンスにも同じ花が咲いていました。

 「ウンナンオウバイ」とも
  言うそうです
  

 最近、走るのがかったるくて、ジョキングシューズを履いても、ついウオーキングになってしまいます。でも、そのぶん、「こんな所にこんな花が」と気づくことがあって、デジカメをポケットに入れておくことが多くなりました。

 他に、黄色の花というと、

 明石高校の西の
  ため池の脇の道に
  
 調べたところ、「セイヨウアブラナ」という花のようです。

  少し歩いて路地に入ると、住宅フェンスからあふれるように

 「モッコウバラ」が
  咲いていました
  

 次は白い花。

 この時期よく咲いているのは、
  「コデマリ」
  
 「モッコウバラ」のお宅の少し先の公園にたくさんありました。


   行く春を知りてか花の震えけり   弁人


 ところで、KAZU君は来年小学生になります。そこで、時々ウオーキングがてら通学路を歩いてみたりします。
 KAZU君の通う小学校へは、家を出て信号を渡り、坂を上って下りる起伏のあるバス通りを歩いて行くのですが、その道、この時期はなかなか風情があります。

 街路樹の根元に
  「アヤメ」が植えてあるのです
  

 近隣の方が植えたのでしょうか、10メートルおきぐらいに紫の花がまとまって咲いていて、心がなごみます。

 なんとなく、「アヤメ」というと、湿地に咲く花という印象でしたが、それは「ハナショウブ」や「カキツバタ」のことで、「アヤメ」は乾いた所に咲く花なのでした。
 そういえば、明石公園の「アヤメ」も、池の脇から階段を上った普通の場所に咲いていたのに、そんなことは考えもしませんでした。


   むらさきの文目すくっと春尽きぬ   弁人


 街路樹と「アヤメ」は、歩道の車道寄りに植わっているのですが、反対の住宅の基礎のコンクリートのほうに、わずかな割れ目の土の中から、

 オレンジの花が
  顔を出しています。
  
 最近は、逗子の路地でも見かけるので、全国的に分布しているのかもしれません。

 ポピィかと思う花が「こんな所に」と思う場所に咲いていて、最初はなかなか可憐な花だと思いました。でもこの花、どうも大変な存在らしいのです。

 先日、ある住宅のブロック塀の下に5、6本咲いていて、ちょうど、その家のおばあちゃまが脇のプランターに水を遣っていた時に、
「最近、この花よく見ますね。ポピィの仲間ですかね」
と話しかけたところ、
「ポピィなんだろうけど、これは雑草でね、放っておくと、どんどん増えちゃうんですよ」
との返事。

 さっそく調べたところ、名前は「ナガミヒナゲシ」で、ヨーロッパから入ってきた帰化植物とか。異常な繁殖力を持ち、ここ数十年で日本中に広まったらしいのです。
 どうも、コンクリートによってアルカリ化した土壌を好むので、市街地、特に道路脇に繁殖し、行く行くは、在来の植物を駆逐してしまう勢いなのだそうです。
 そんな花だとは、まったく知らなくてびっくりしてしまいました。

 近所の公園の道路脇にも
  咲いています
  

 問題のある外来種といえば、「西洋タンポポ」とか「セイタカアワダチソウ」なんかが浮かびますが、まだまだいっぱいありそうです。

 そんなことを考えていると、最近よく見る、このきれいな紫の花も、つい気になって、不気味な花に見えたりしてしまいます。

 「ツルニチニチソウ(蔓日々草」です
  
   

 この花も外来種で、かなりの繁殖力を持っているようですが、この植物は単なる雑草ではなく、地面を隠して土壌の流失を防ぐグラウンドカバーとしての役割があるそうで、少し安心しました。
 そういえば、上の写真、空き地を覆うように咲いていましたし、丘の上にある私の住まいの前の斜面にもたくさん咲いていました。

 いずれにせよ、雑草というか、道端に何気なく咲いている花は、きれいに整備された花壇の花や、プランターで手をかけて咲いている花よりも野性的な感じで、そのぶん、逆に可憐に見えて惹かれるのですが、中には、そのたくましさゆえ、単純に愛でているだけでは済まされない花もあるということですね。


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春を惜しんで-明石公園の花を愛でる

2014-05-01 23:54:52 | 明石風物
5月1日(木)

 いよいよ5月、ゴールデンウイークも後半に入り、立夏も目の前です。

 KAZU君は、明日の新幹線に乗って、箱根で家族旅行を楽しみます。その後、逗子の家にお泊まりして、従兄弟のKANA君と遊ぶんだと意気込んでいます。
 私は、次の通院日が20日過ぎなので、今年の連休は明石でゆっくりしようかと思っていましたが、「おじいちゃん、逗子のおうちで待っててな」と言われると、やはり落ち着きません。ということで、帰り支度を始めました。

 ところで、4月の12日に明石に戻ってきた時には桜吹雪の中でしたが、あっという間に春も終わりに近づいてきています。
 外に出ると、近所のハナミズキがとてもきれいで、

  少し葉が多くなりましたが
  
       

 最近、KAZU君とお出かけする時以外は、あまり外出することがないのですが、ハナミズキといえば、明石公園にきれいなところがあったと思い出して、天気の良い日にお散歩に出ました。

  管理棟の屋上からです。白い花が眩しい
  


      夏近し明石の池に映ゆる花   弁人


  数歩さがると、ハナミズキの手前に源平桃・菊桃・大手毬の花
  
 実は、上の写真、ちょうど一週間前の、先週の木曜日の24日に撮ったものです。今日同じ場所に行ったところ、桃の花はほぼ散っていました。
 たった一週間なのに、花の移ろいは実にはやいものです。

 その日の明石公園、まだ八重桜が咲いていたのです。

  名札はありませんでしたが、関山でしょうか
  

  この桜も造幣局で観た気がします
  
 アルバムをひもとくと、「九重」という花に似ています。

  花びらの白い八重桜も。さて名前は?
  

  そして、いつも花見をする時の指定席にアヤメが咲いていました
  
    

 そろそろ帰ろうかと、池を眺めながら歩いて行くと黄色い花が咲いています。

  ウンナンオウバイ(オウバイモドキ)
  

  これは山吹でしょう
  

 タンポポはもちろんですが、レンギョウ、サンシュユ、トサミズキ、桜の咲く前から、春は黄色の花に惹かれます。


      雲行きて百花繚乱の春の暮   弁人



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