チムどんどん「明石通信」&「その後」

初孫との明石暮らしを発信してきましたが、孫の海外移住を機に七年で区切りに。現在は逗子に戻って「その後」編のブログです

やっとのことで、我が家にも「アガパンサス」

2020-06-24 12:07:53 | 身辺雑記
6月24日(水)

 この夏、我が家に初めて咲いてくれた
  「アガパンサス」
   


    八方を見遣り紫君子蘭   弁人


 すくっと伸びた茎の先にいくつもの花を付ける端正な佇まい。薄紫の上品な色あい。
 そう、往にし世から、人々がいかにこの花の色あいに高貴な美意識を抱いていたかは、枕草子42段「あてなるもの」を読めばわかります。
 そんなこんな、アガパンサスは私の最も好きな花なのかもしれません。

 明石暮らしを始めた2008年の秋、兵庫には「秋を彩る彼岸花が少ないなと」となんとなく感じていましたが、ひと冬越えて、やがて春が過ぎ、梅雨の季節を迎えた頃、住まいの近くの道端やご近所の庭先、国道2号線の植え込みに、そして、溜め池の畔にもと、彼岸花のように伸びた茎の先に薄紫の花という、まことに凛として清楚な花がいろいろな所に現れました。

 妻君に「明石はね、この時期アガパンサスがとてもきれいだよ」と伝えると、「逗子のほうだって、時々目にするよ」とのこと。「なんだ、仕事に追われていた時は、目が向かず気に留めなかっただけか」ということに。

 思い出のアルバムを繙くと、2013年の6月、KAZU君が5才になるちょっと前の頃の写真がありました。

 「おじいちゃんの好きな花、おったで」
  

 「カーくんはな、赤い花がいいんや」
  

 明石から逗子に戻った後、我が家にもアガパンサスが咲いていたら楽しいだろうと思って、球根を土の中に入れておいたのですが、全く芽を出してくれませんでした。一昨年の秋には、ネット通販で買い求めた苗を植えてみたのですが、これも育ってくれませんでした。

 ところで、植木や花の手入れの上手なお向かいのお宅のご主人、この時期、お庭にはアガパンサスもきれいに咲かせていて、
  ブロック塀の間からも、かわいいのが一本
  

 ということで、昨年、何回かブロック塀越しにカメラを構えたりしていたところ、花が終わったお盆の頃、「よかったらひとつ植えてみたら」と、ご主人、一株分けて下さったのです。

 とりあえず植えてはみたものの、もし我が家の土で咲かなかったら面目無しと、ずっと気がかりだったのですが。

 5月の下旬、四方に広がる葉の中から茎が三本伸びてきて、なんと先端につぼみらしき膨らみも見えてきました。「これは咲きそうだ」と、6月の初め、お向かいのご主人に「おかげさまで、うちのも咲くかもしれません」と笑顔でお話していたところ、

  梅雨に入ると、つぼみも弾けそうに
    

  6月13日。準備万端
  

  16日。開いていました
  

  20日。やっと我が家に「アガパンサス」が
  

 そして、昨日24日のものですが、今は冒頭の写真のように。


   梅雨晴間アガパンサスの凛として  弁人


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今日の散歩、日蓮宗の古刹「猿畠山法性寺」

2020-06-18 23:21:46 | 逗子風物
6月18日(木)

 梅雨の合間の曇り空。それにしても今日は涼しい。日々どんどん暑くなって行くこの時期、こんな日にウオーキングに出なかったら罰が当たりそうです。

 逗子から鎌倉へ抜けるトンネルの手前。右に「逗子鎌倉ハイランド」へ上る桜並木の道があって、そのちょっと先。横須賀線の車窓からも見えるのが、

 右から読むのですが、
 「山畠猿」と山号が掲げられた山門
 

 昨年の11月11日付けの「名越切り通し」の記事で触れた日蓮宗の古刹です。

 700年以上も前のことなので、今は昔。
 日蓮上人が「立正安国論」を鎌倉幕府の執権北条時頼へ献じたことで、浄土教信者らから草庵を襲撃・焼き討ちされた、いわゆる「松葉ヶ谷法難」、その時、難に先立って白猿が現れ、その導きにより山中の岩窟に隠れて難を逃れたというお話。その白猿が額の両脇に。そんな言い伝えがあって建立されているので、山号は「猿畠山」と。
 私なんぞは、この三文字を「おさるばたけ」と読んでいるのですが、山号ですから正式には音読みで「えんばくさん」。寺の名も音読みで「ほっしょうじ」です。

 さて、この法性寺、お参りするには、ここからちょっときつい坂道を上っていくことになりますが、奥の院のさらに奥のほうに「名越の切り通し」が通っていて、そこからだと下りて来ればいい。それではと、今回も楽ちんをさせてもらって、横須賀線の線路の南側の丘陵の上にある亀が岡団地行きのバスに乗りました。
 ということで、上の山門の写真は、実は帰路に就く時のものでした。

 さて、バスを降りて数分、いつものように、ほの暗い岩肌の間を歩き、まんだら堂やぐら群の下を通って、まっすぐ大町方面には抜けず「大切岸」方面へ向かうと、まもなく右下に法性寺の墓地が見えてきます。

 かなり細くて急な下りの道を慎重に下り、墓地から少し下った所にある奥の院へ向かうと、

 道の脇は紫陽花の花盛り
 
   

 奥の院、「祖師堂」
 

 左の岩肌に見える大きな石窟が、法難の際に日蓮上人が避難した所とか。

 石窟の岩肌の左に鳥居がありまして、
  石の額に「山王大権現」と
  

 上りはじめると、石段延々と。途中で人とすれ違っちゃったので、わからなくなってしまいましたが、70段くらいあったような感じ。

 その代わり、この展望とプラス涼風
 

 山王権現の祠と比較的新しい法塔が
 

 法難の際、日蓮上人を助けたとかいう白い猿、実は山王神の使いだったようで、山王信仰の代表の日吉大社や、同じく全国の日枝神社、山王神社も猿が神のお使いになっているようです。
 そういえば、日本では古来、猿は田畑や山を守る守護神またはその使者であるという民間信仰があって、そんなことは、神話の「猿田彦」、昔話の「猿婿入り」、貴族から庶民まで広がった「庚申信仰」などからも推測されます。そう、東照宮の「三猿」も関係していそうですし。


   言い伝え耳に響けり梅雨の風   弁人


 ということで、うっとうしいマスクをはずし、ひと時気持ち良い涼風を浴びていると、あれこれ思いが巡ります。

 日蓮上人も山王神を崇めてお参りしていたのです。昔は、誰だって、神も仏も同じように大切にしていたのです。現実にお寺に鳥居があるのに、その場に行ってみると、それは「権現」という神だか仏だか、よくわからない祠になっている。
 私は仏教徒でも神道家でもありませんが、一般庶民の信仰心というのは、お上の政策によってこうあるべきとされるものではないとつくづく思います。
 因みに、法塔の下の文字に「山王権現(神)」についてこんな記述がありました。
「山の字の縦三本横一本、王の字の横三本縦一本の構成は、一心三観、三観即一心の妙法の心を示している」と。

 仏教伝来以降の日本人にとっては、やはり、神と仏は一体だったのに。「フムフム」、妙に納得。


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2020年、コロナ禍の中での「梅雨入り」

2020-06-12 13:51:35 | つぶやき
6月12日(金)

 今年の梅雨入りは、関西が一昨日、関東が昨日でしたが、首都圏は、まあなんとも不気味な南風の吹き荒れる梅雨入りとなりました。

 振り返ると、屋形船とかダイアモンドプリンセス号とかの話題がニュースに流れて、新型コロナウイルスの脅威になんとなく気づかされたのが2月初めごろだったでしょうか。
 あれからかれこれ4ヶ月、日本の社会は、新型ウイルスに感染しないよう心がけて怯えてきたことになりますが、ここ二週間前くらい前からか、新規感染者数(正確には感染確認者数)がかなり落ち着いてきているのも事実です。
 それも、新たに感染する人のほとんどが東京で、場所も医療機関での院内感染と夜の歓楽街でのいわゆる「三密」の状況に集中していて、千葉も埼玉もしばらく新規感染者数「0」が続きましたし、神奈川も「0」の日があったりします。
 緊急事態が解除され、通勤電車が混みはじめたという話があっても、そこからの感染が確認されていないということは、もしかすると、新型ウイルス、そんなに怖がらなくても大丈夫なのかなと、ふと思ったりもします。
 でも、「それじゃあ」と、ちょっと気を緩めると、どうなってしまうのかわからないといういう惧れはそのままなのも事実です。

 人は年齢とか基礎疾患の有無とかによって様々でしょうが、社会が少しずつ動き出しても、いまだにステイホームに徹している自分を「臆病なのかなあ」と嘆息しつつ、たぶん、世の中のほとんどの人は同じような気分でいるんだろうと自分を納得させています。
 考えてみれば、大阪にだってキタとかミナミとか賑やかな歓楽街があるのに、今はほとんど感染者が出ていない。串カツのソースの付け方を変えたのはほんの一例でしょうが、みんな慎重になっているのは事実でしょう。とにかく、今までの日常を変える工夫の中で、我慢をして頑張っている結果なのですから。

 やはり、ワクチンと治療薬が整備されるまでは、不自由でもじっと我慢するしかないのでしょうね。

 でも、その不自由な中で、外食をして楽しいだろうか、温泉に浸かって楽しいだろうかと考えると、なんかつまらなそうで、まだまだ電車に乗って出かけようかという気分にはなれません。
 ということで、今日も雨止みにご近所のお散歩で気を紛らわしました。

 紫陽花も咲き始めていましたが、最盛期までまだ10日くらいありそうなので、今日のフォトは、ほぼ雑草といっていい花。

  空き地を彩る「ヒルザキツキミソウ」
  


   薄日射す空き地狭しと月見草  弁人


 ところで、今日は、元気旺盛な妻君が僅か3駅ですが、電車に乗って出かけて行きました。
 実は、何年か前から大船のカルチャーセンターの「ズンバ教室」とかに通っていて、いつも「いい汗を掻いてきた」と言って楽しみにしていたのですが、当然ながら、その教室も3月からずっと閉鎖に。
 私よりもいくぶん肝の据わりの良い妻君、「もう大丈夫なのに、まだなのかな」と呟いたりしていたところ、ようやく先日、再開の連絡が入り、先ほど、待ってましたとばかり意気揚々と出かけて行ったわけです。

 「世の中、動き出したか」と思ってはみても、やはり心配です。

 もちろん、それなりの施設でしょうから、再開に当たっては十分な対策を講じてのことだとは思いますが、リズムに合わせて身体を動かすとなれば、リズム音や掛け声は不可欠で、「三密」になりやすいでしょうから。
 それに、昨日までの神奈川県内の感染者数、人口に比例するのは当たり前とはいえ、逗子市3人に対して、大船のある鎌倉市は41人、隣の藤沢市は63人と桁が違います。カルチャーセンターのすぐ先は横浜市栄区で、感染者数570人の横浜市の区ごとの数字がないので何とも言えませんが、いずれにしても、ちょっと勇気がないと、なかなか逗子からノコノコ行く場所ではないような気もします。

 とはいえ、人間として社会生活を営む以上、いつまでも自分の居住地から出ないというわけにはいきませんから仕方ありません。
 その代わり、新たな心配事が次々と生まれてくるわけで、そんな不安の中での状況は、やはり、ワクチンと治療薬が整備されるまでは続きそうですが、それがいったいいつになるのか。なんか、このまま夏も過ぎて、秋の風が吹いてきて、気がつけば年の瀬にということになりそうな気がしないでもありません。


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