チムどんどん「明石通信」&「その後」

初孫との明石暮らしを発信してきましたが、孫の海外移住を機に七年で区切りに。現在は逗子に戻って「その後」編のブログです

なにわを駆け抜く、女子マラソン観戦

2012-01-30 23:44:35 | スポーツ観戦等
1月31日(月)

 ロードレースの季節たけなわです。駅伝は一通り終わりましたが、五輪出場をかけて男女とも目の離せないマラソンが続きます。

 実は、先日の広島の男子駅伝を実際に見に行こうかなと思いつつ、関西にも面白そうなマラソンがあるからと躊躇してしまいました。
 その一つが昨日の「大阪国際女子マラソン」。あとは3月4日の「びわ湖毎日マラソン」です。

 その大阪女子マラソン、下馬評では、野口みずきと福士加代子の一騎討ちと言われていました。二人とも人気も注目度も抜群の選手なので、二週間ほど前から大阪の地図を眺めて楽しみにしていました。
 ところが、直前に野口選手が故障で欠場ということになって少し迷いましたが、天満屋の二人が強そう、そのうちの一人の坂本直子の芯の強そうな表情に少々好感も持っていたので、予定通り出かけることにしました。

 スタートは長居陸上競技場12時10分。市内へ向けて北上し、玉造筋の天王寺の東を越えたあたりからJR環状線の内側に沿って走ります。
 最初は鶴橋付近でという予定でしたが、10㎞位までは集団で来るだろうと思って、もう二駅先の森ノ宮へ向かいました。。

  森ノ宮駅は大阪城公園南東の端、駅前が15㎞地点です
  
 ちょうど5㎞ごとの給水所があり準備万端。女子マラソンだけあって、テーブルの上はなかなかカラフルで華やかです。

  来た、先頭集団。「おじさん、邪魔!!」
  
 好ペースのせいか、ペースメーカー二人を除くと、先頭集団はもう、重友、坂本の天満屋勢と野尻、福士の4人で、後続はすでに1分近く離されていました。


   寒風を斬るか浪花の女子マラソン  弁人


 このあと間もなくして、期待していた坂本直子が遅れたもよう。数日前に風邪で発熱していたとか。「なーんだ、つまんない」

 それにしても、ロードレースの観戦は交通の便の良いシティレースに限ります。大阪市内は地下鉄がたくさん走っていて、この玉造筋とこれから向かう御堂筋の間も3本の地下鉄が東西を結んでいます。近鉄も並行しているし、大坂城の北には京阪電車も走っています。
 さて、森ノ宮から地下鉄に乗って西に行くと、御堂筋は本町になります。

  17、8分後の御堂筋本町
  
 先頭はペースメーカーと重友と福士の3人。10m後方に3位の野尻が追っていました。

 ここは15分ほど待っていれば、道頓堀で折り返してきた選手がもう一度目の前を通り過ぎます。

  24㎞地点。依然元気な二人。野尻は150m後方に
  

 本町の次は、もう一度森ノ宮か玉造か鶴橋へ戻ることも可能なのですが、長居の競技場へ行くとすると、環状線の天王寺で乗り換えになり、時間的にちょっと微妙な感じなのです。やはりゴールを見るには御堂筋線で直行するのが無難という結論に。
 このあと間もなく福士が失速したということですが、地下鉄車内はラジオが入らず、その様子はわかりませんでした。長居の駅で地上に出ると、重友の独走ということになっていました。

  一番乗りの重友を今や遅きと待つ長居陸上競技場
  

  新星出現。天満屋の重友、好タイムで優勝
  


   この瞬間は冬を忘るるスタジアム  弁人


 福士が9位でゴールした後、
  これも期待外れの坂本が10位に
  

 この日のレースも、マラソンの苛酷さとそれを克服する難しさを象徴するレースになりました。なにしろ、練習で50キロ走を何本かこなした選手が、本番では30キロほどで失速したりするのです。ラジオ解説者によると、福士選手は40キロ走を繰り返してきたということですが、その練習法の是非や如何に。

 さて次は、男子の東京マラソンです。きっと日本人は、アマチュア市民ランナーで公務員の川内君の頑張りに期待をするのでしょうが、個人的には、彼がゴールした後のあの苦しみようをあんまり見たいとは思わないのです。ゴール直後に何ごともなかったかのように屈伸や前屈運動をしろとは言いませんが、それにしてもかつてのアベベ・ビキラ、たしかに時代は違いますが、やっぱりすごい選手だったんですね。
 レースが高速化した現在でも、ケニアの選手なんかは平然とゴールしたりするので、ちょっと日本人には太刀打ちできない種目になっているような感じがしないでもありません。

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ぶらり初天神

2012-01-28 19:18:47 | お出かけ・散策
1月28日(土)

 1月25日。三日前のお出かけ記事です。

 大阪から京都方面へ向かうと、山崎の先に長岡京という駅があります。その昔、奈良の平城京から京の平安京へと時代が変わる時に、わずか10年ほど都が置かれた所です。梅田からJRと平行する阪急電車に乗ると、長岡天神駅があって特急が止まります。
 この辺りを通過する時に、いつも一度散策してみたいと思ったりするのですが、なかなか叶いません。阪急の駅から歩いて数分の所に長岡天満宮があって、梅の季節にでも一度お参りしようかと思っていました。

 とにかく、この時期は寒いので外出がおっくうなのですが、平日の大阪へ行く用事があって、部屋を出ることに。

 ところが、地下鉄に乗り換える予定の大阪駅で、最近ご無沙汰している、乗り心地の良い阪急電車の特急がちょっと懐かしくなりました。
 この日は1月の25日で初天神の日です。一昨年、京都の北野天満宮へ出向いたことを思い出し、それじゃあ長岡天神に行ってみようかと、四条河原町行きの特急電車に乗りました。

 交差点を渡ると八条ヶ池という大きな池があり、
  その向こうが天満宮です
  

 参道はひっそりとしていて出店も全くありません。ところどころに節分祭の案内の赤い旗が立っているだけです。お天気が良いのに境内も人影まばらで、どうも初天神の催しはないようでした。

  道真公ゆかりの牛さんものんびりと日なたぼこ
  


   梅の香を待ちて陽を浴ぶ眼かな   弁人


 ということで、少しばかり肩すかしに会った気分で大阪に戻りました。

  向かったのは、本町にある御堂筋三井ビル
  

 私の取り引きする銀行の一つに横浜銀行があります。神奈川ではどこにでもある便利な銀行で、逗子の我が家の光熱水費や固定資産税、いくつかのクレジットカードの引き落とし口座にもなっています。そんなわけで時々通帳記入をして支出を確認するのですが、さすがに関西ではここにしか支店がないのです。平日の大阪へというのは、実はこんな野暮用でした。

 ところで、大阪で天神様といえば大阪天満宮です。本町からなら歩いても行けそうです。電車の中で読んだスポーツ新聞に、タイガースの選手が福玉を投げるという記事もありました。

 結局地下鉄に乗って南森町から歩いて行くと、
  その名も「天神橋」
  

 路地一本先の天満宮の北側に、
  上方落語の定席の「繁昌亭」
  

  正面の随神門は南側にありました
  

 受験生のお母さんでしょうか、
  神楽を奉納していました
  

  いよいよご登場、タイガースの若手選手
  
 サウスポーの榎田投手からボールが飛んできましたが、カメラを向けていたので捕れませんでした。というより、カープファンとしては今一つ気合いが入りませんでした。


   若虎の意気眺めつつ初天神   弁人


 この後、天神橋商店街から扇町公園の脇を歩いて、日の暮れかかった頃、お初天神通りの居酒屋で冷えた身体を温めて帰って来ました。

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風情ある明石大蔵町界隈

2012-01-23 12:38:16 | 明石風物
1月23日(月)

 KAZU君のお家も私の部屋も所在地は明石市の大蔵谷です。最寄り駅はJR朝霧駅ですが、私の所から反対方向に歩くと、山陽電車の大蔵谷駅があります。

 そして、大蔵谷駅の南側の国道2号線の海側に、明石駅方面に向かって、大蔵八幡町、大蔵町、大蔵中町、大蔵本町、大蔵天神町と、なかなか由緒ありげな地名の町並みが続きます。海抜のほとんどない海岸線に位置しますが、今はさらに南側が埋め立てられ、2号線と平行する海岸道路、そしてきれいに整備された大蔵海岸の公園が広がっています。

 KAZU君の保育園がある稲爪神社も大蔵本町にあって、この地域の氏神様として町民からの厚い信仰を集めています。町の中央を東西に昔の旧西国街道が走っていて、鎌倉時代から宿場町として栄えてきたようです。

 そんなわけで、保育園の送り迎えの前後には歴史を感じさせる町並みを通ることになります。私も明石の駅に出る時に、電車を使わずにカメラ片手にぶらぶら歩いて行くことがよくあります。

  昔の家屋を彷彿とさせる格子。とても端正な趣です
  
     


   宿場町格子の中に火鉢かな   弁人


 17年前の大地震でずいぶんと家並みも変わったようですが。

 二階の軒下にうさぎの絵。
  「兎屋」という屋号だったのでしょうか
  
    写真拡大
    
        
 地名のとおり、
  立派な蔵のある家もたくさん残っています
  

  この家は玄関の脇にお地蔵様が祀ってあります
  

  路地に入ると、お店一軒だけのアーケード
  

  「大蔵天神町」という地名の由来?
  
 保育園のある稲爪神社から国道2号線側の鳥居を出てすぐ西側、ちょうど大蔵天神町のあたりの国道の真向かいに「休天神社(やすみてんじんしゃ)」という由緒あるお社があります。太宰府に下向する菅原道真がここでお休みしたという言い伝えが名前になっているようです。

 休天神の隣に、
  明石の銘酒「神鷹」の看板の小さな酒屋さん。
  

 シャッターは閉まっていますが、
  それにしても懐かしい文字
  

 「ガリ版」。正式には「謄写版印刷」です。若いころの思い出が蘇ってきます。でも、懐かしいと思うのは、きっとわれわれの年代までなんでしょうね。

 思わず筆が進んでしまいます。

 学生のころ、文集や資料やパンフレットなんかはみんなガリ版刷りで作りました。就職してから10年弱、1970年代までは教材もテストも全部ガリ版刷りでした。

 就職が決まった時に、まず用意したのはヤスリ(鉄板)と鉄筆。たぶん横浜だったと思います。印刷用品の専門店でちょっと値の張るものを買って気合いを入れたのを覚えています。
 使うヤスリは、文字は「方C」(破けにくく初心者に最適)で、線画は「斜B」で・・・と言っても、今の人は知らないでしょうね。

 「できたぁ」とご満悦になって一服。煙草に火をつけたマッチの先が原稿の上に落ちてあわてたことがある、とにかく燃えやすい蝋(ろう)原紙。
 「3ミリ方眼にきちんと読める字が書けなければ一人前じゃない」という先輩もいましたが、手先の不器用な私はもっぱら4ミリ原稿罫を使っていました。

 小学校6年の時に早逝した父の遺品の中に、「四国原紙」という蝋原紙があるのを見つけて使ってみたところ、職場に用意されているものとは格段の品質の良さ。これもすぐ専門店へ行って調達しました。
 1978年の春に高知を旅行した時、高知城や桂浜は駆け足で回って、仁淀川のほとり、和紙で有名な伊野町にある「四国謄写堂」という「四国原紙」の会社を訪れた思い出も懐かしい。きらきら輝いていた仁淀川の流れと製紙工場の屋根。もしかしたら、逗子の我が家に写真は残っていないかと、ふと探しに帰りたくなります。

 とにもかくにも、当時は国語教師という仕事柄、印刷には少々こだわりとプライドがあって、プリントがきれいに印刷できると、「どう、グーテンベルクもびっくりじゃん」などと冗談を言ったりしていました。

 70年代半ばに「ボールペン原紙」なるものも出てきましたが、満足感全くなく、ずっとガリ版に頼っていました。やがて、黒いインクのロットリングペンで書いた原稿を「トーシャファックス」という機会で印刷する時期を経て、ワープロが登場。そして「リソグラフ」というすばらしい性能の印刷機が現れて、ヤスリも鉄筆もお蔵入りとなったのです。


   大寒の夜に蘇る往にし日々   弁人


 「団塊の世代って、暮らしの上でも仕事の場でも、ほんとうに日々激しく変化する中で生きてきたんだな」とつくづく思います。
 まだ「スマホ」は使えませんが、60を優に越えた私がですよ、パソコンに向かってローマ字変換で文章を綴っているんですから。

 そういえば、アメリカの「コダック」社が倒産したようで。かつてフィルムもずっとコダックにこだわっていたのですが、今は使いませんものね。


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今年は特別な思いの、神戸の「震災忌」

2012-01-18 14:35:08 | 身辺雑記
1月18日(水)

 東日本を襲った忌まわしい大震災から十ヶ月あまり、こちらでは昨日の17日に17年目の「震災忌」を迎えました。

 「二度とこんな悲劇を味わってはならない」と祈り続けてきたのに、昨年その傷も癒えないままの中で、日本の社会はさらに大きな悲しみを背負ってしまってのです。東日本の被災地の人たちはもちろん、17年前の出来事からようやく立ち直ろうとしていた人々にとっても、2011年という年は、なんとも言いようのないやりきれない年になってしまいました。

 まもなくやって来る3月11日を、日本の社会は新たな祈りの日として迎えなければなりませんが、その前に、阪神淡路の人々は17年前を思い起こし深く頭を垂れるのです。

  

  今年も、東遊園地へ献灯と献花に行きました
  

  東日本大震災犠牲者の慰霊をと、雪だるまと行灯も
  


 大災害の中で直接の犠牲者にはならなくても、社会や家族から取り残されて孤独死をする人や自ら命を絶つ人もたくさんいます。
 そんな中で、苦難から立ち上がり懸命に生きている人たち。助け合い、励まし支え合って、かろうじて生きている人たち。実にけなげです。

 そういう人間の姿を「絆」「支え」という美しいことばで象徴して日本人の精神のすばらしさを褒め称えるのは、それはそれでいいとしても、私たちは決して美化された曖昧な幻想に酔いしれたりしてはいけないのです。
 目の前には、復興の遅れや原発の後処理等々、いっこうに解決しない難題が立ちふさがったままなのですから。


   かうべ垂る思ひ重きや遠き春   弁人


  次は、三宮駅近くの神戸市の勤労会館へ
  

 「東日本大震災被災地と結ぶ阪神・淡路大震災17年メモリアル」という集会です
  
 共産党系の団体が主催する集会ですが、神戸大名誉教授で地震学者の石橋克彦氏の「原発震災をくり返さないために」という講演を聞きたいと思って出向きました。

 17年前の地震を気象庁は「兵庫県南部地震」と名付けましたが、一般には「阪神淡路大震災」と言います。同じように、昨年の地震の名称も「東北地方太平洋沖地震」ですが、私たちは「東日本大震災」と言っています。
 これは「地震」や「津波」というのはあくまでも自然の現象であって、それに伴う被害が「震災」であるということを意味していて、言ってみれば当たり前のことですが、いろいろなことを考える上で、実は大切な認識だったのです。

 講演はこういう内容から始まり、今後発生するであろう東海地震や南海地震などの話へと進んで行きました。

 簡単に言うと、地球の構造上、日本列島では今後も確実に大きな地震がやって来るのですが、これは自然現象ですからどうにもなりません。問題は、その被害、つまり「震災」をいかに最小限に食い止めるかということなのです。そしてこの部分は、人間の営みにかかっているのですから、なんとしても、あらゆる手だてを講じる必要があるのです。
 と考えれば、「原発」というものがとてつもなく危険な存在であるということがわかります。

 ところで、この集会は政党色のある会なので当然ですが、はじめに国会議員の挨拶などが続き、さらに今回の主眼である阪神大震災からの復興の諸問題と東北3県の被災地からの現状報告があったので、講演は夕方になってしまいました。私は次に別の予定を組んでいたので、残念ながら「原発震災」の話が本題に入る前段のところで中座することになってしまいました。


  日がとっぷりと暮れたころ、神戸市灘区の区民ホールへ
  

 竹下景子さんが震災の中から生まれた詩を朗読する「詩の朗読と音楽の夕べ」です。震災の翌年から続いてきた音楽会で、14年前から竹下景子さんの詩の朗読が加わって有名になった催しですが、東日本大震災を受けて、この3月から新たに舞台を仙台に移して行われることになりました。
 明石に来てから、毎年行きたいと思いつつ果たせずにいましたが、神戸では今年が最後ということでチケットを取ったわけです。

 ピアニストの林晶彦さんの演奏をバックに詩を朗読します。音楽もさることながら、ことばの力というものを存分に引き出すところ、さすがにプロの女優という感じです。
 昼間の会とは対照的に抒情的な世界。その雰囲気にひたりつつ、心の中に堆積して行くのは、「故郷を愛する日本人」「忍耐強い日本人」と思わせつつ、実は、日々迫り来る苦難とやるせなさの中でかろうじて生を維持している人たちの現実の重みでした。


   詩に託す声ずっしりと冬の暮   弁人


 閉会の前に、NHKの大河ドラマにいちゃもんをつけたとかいう兵庫県知事が登壇し、竹下恵子さんへの感謝状贈呈というセレモニーがあったところで、少しばかり日常の世界に戻されてしまいましたが、人の叫びを謳い上げる朗読と音楽にすっかり引き込まれた夜になりました。


 21時に会場を後にして三宮行きのバスに乗りました。夜の神戸の静かな町並みを眺めながら思いました。

 何事にも主権者たる国民がしっかりすることが基本ですが、現実に国家・社会を動かしている官僚や政治家に実行力が乏しく、庶民の心をかろうじて支えている「絆」とか「思いやり」とか「希望」とかいう美化された概念に甘えて、本当に大切なこと-日本社会のあるべき未来の姿-というものを見失っているのではないかと。
 その結果、現実には、復興の多くの部分が苦境の中で生きている被災者の辛抱強さに頼ることになってしまっているのではないかと。

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今年の十日戎は、神戸の「柳原蛭子神社」へ

2012-01-12 09:46:38 | お出かけ・散策
1月12日(木)

 関西での四度目の冬。昨年は1月の中旬まで逗子に留まっていたので、新春の風物「十日戎」は三回目になります。

 その10日の火曜日。

 前日にKAZU君と地元の稲爪濱恵比須神社にお参りしたし、夕方には保育園の迎えでまた行けるので、それまで部屋で過ごしているつもりでした。でも、窓の外に広がる青空に誘われて、神戸でいちばん賑わうという兵庫の柳原蛭子神社へちょっと行ってみようかと思い立ちました。

  電車で20分ほど。兵庫駅前にも出店が並んでいました
  

  駅前から賑やかな出店の道が続きます
  

 関西では、ちょっと人出が期待される所には必ずと言っていいほど露店の「お休み処」?が並びます。帰りにはちょっと立ち寄って温まりたいところですが、この日は平日で夕方にはKAZU君のお迎えもあるので、残念ながら素通りになりそうです。

 考えてみると、1月10日という日は2009年から三年続けて三連休の中に入っていました。今年は平日なので、最初の年の「今宮戎」、一昨年の「西宮神社」の混雑とは比べものにはなりませんが、それでもけっこうな人出です。

 出店の道を200mほど歩くと広い道に出ます。

  道の向かいに鳥居が見えました
  

  境内の半分くらいは幌におおわれていました
  

  本殿前の神楽殿では「福神楽」が舞われます
  


   笹持ってこい、唄の勢ひそのままに  弁人


  大きなマグロと鯛などが並ぶ本殿
  
 魚の並んでいる所が、そのまま賽銭の落ちる場所になっていて、いかにも十日戎らしい光景でした。

  すぐ隣にある臨済宗の「福海寺」も大賑わい
  

 このお寺の本尊は釈迦如来ですが、大黒天も安置されているので、人々から「柳原大黒天」と言われて信仰を集めています。

 よく、大黒様が大国主命、恵比須様がその子どもの事代主神とも言われているように、この二神は深い関係にあって、恵比須様のお祭りの日に、このお寺が賑わうのもわかります。
 もっとも、この二神は豊漁・豊作の神ですから、同じ神様であったとも言われていて、そんなことを思い巡らせていると、隣り合わせになっている「蛭子神社」と「福海寺」、それぞれに由緒はあるのでしょうが、もともとは一緒だったのではないかと思ったりもしました。


 そして、昨日11日の夕方。

  保育園の迎えの時の恵比須神社「残り福」の様子
  
 右側に、装束を着たお髭顔のおじさんがお二人立っています。

 KAZU君に、
 「お祭り今日で終わりやで。えびすさま、見に行かへんか」
と誘うと、
 「うん。だいこくさまおるで。かークンの頭なでてくれたんや」
という答えが。

 そうなんです。ここでも、恵比須様と大黒様がそろってお出ましになっているのでした。


   えべっさん大黒様も笑顔かな   弁人

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KAZU君と、明石の新春の空気を

2012-01-10 22:54:35 | KAZU君
1月10日(月)

 明石に戻って二日目。KAZU君が「海岸で遊びたい」と言って、家を出たという連絡が来ました。

 海岸へ行くと、
  いました、いました
  

 砂浜では、地元の空手道場でしょうか、
  新春の寒稽古です
  

 「お水、あったたかい?」と呟きながら、
  KAZU君、遊びに夢中
  


   海澄むも寒を忘るる気合かな   弁人


 今日は正月の9日。明日が「十日戎」ということは、この日は「宵戎」の日で、関西の恵比須神社はどこも大賑わいになる日です。
 KAZU君の保育園のある稲爪神社にも濱恵比須神社があります。「それじゃ、行ってみようか」と海岸を歩いて行きました。

 「保育園、お祭りやで」
  

 福娘がお年寄りから「唄」と
  「鈴の鳴らし方」の指導を仰いでいます
  

  みんなで、今年の家内安全をお願いして
  

 恒例の福引です。
  KAZU君、おせんべいを三枚いただきました
  

 「今は、一枚だけね」
  


   初ゑびす児のご褒美の海老せんべい  弁人

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とっても楽しかった「お年玉」の旅

2012-01-05 20:21:34 | KAZU君
1月5日(木)

 ほんとうに、あっという間の正月休み。昨日、KAZU君は明石へ帰って行きました。

  「おじいちゃんも一緒に行こうよぉ」
  

  ちょっと寂しそうでしたが、駅でお別れができました
  


 ところで、このお正月。おじいちゃんとおばあちゃんからのお年玉の袋の中には、「京成スカイライナー」と「成田エクスプレス」の切符が入っていました。
 まだ3才なので、大人の膝の上に座れば切符は要らないのですが、今回は特別に子供用の切符を用意して座席を一人分確保しました。
 なにしろ、電車好きのKAZU君の、今最もお気に入りなのが「京成スカイライナー」なのですから。

 関西にも、同じように関空へ向けて、JRには「特急はるか」が、私鉄の南海電車に「ラピート」というカッコいい特急が走っているのですが、電車の本を眺めながら、KAZU君はなぜか京成の特急電車が大好きになってしまったのです。
 保育園でも先生によく話をするそうで、特急電車とはいえ、関西の人が関東の私鉄の名前なんぞを知っているなんてことはあまりなく、先生方も目をパチクリすることになるのです。

 KAZU君のお年玉袋に入っていたのは1月3日の切符でした。朝みんなで逗子のお家を出て、大船で駅伝の応援がお仕事とかいうおじいちゃんとお別れした後、両親とおばあちゃんと4人で上野駅へ向かいました。

  上野駅に着きました。「これ、乗るねん」
     

  「ほら電車来たで。お写真、撮ってな」
     

  「ドア、開くまで、ちょっと待ってな」
    

  憧れの電車にとうとう乗りました
    

 上野駅は地下駅なので、次の日暮里駅の近くにならないと外が見えません。日暮里駅を出ると、成田空港までノンストップ、わずか30分ちょっとで行ってしまいます。
 聞くところによると、窓からできたてのスカイツリーもよく見えたということで、夜たくさんお話ししてくれました。


  空港のレストランでお昼です
    


 せっかくだから、帰りは「成田エクスプレス」に乗せてあげたいと大人は思いますが、とにかくKAZU君は「京成スカイライナー」が大好きなので、もしかしたら大人の勝手な好意になってしまうかもしれません。
 でも大丈夫。成田へ電車に乗りに行くと聞いた叔父さんが、お年玉に「成田エクスプレス」のプラレールを用意してくれて、逗子のお家でたくさん遊んだのですから。

  JRの成田空港駅も地下駅でしたが
   
      

  KAZU君、すっかり興奮状態に
     

 「成田エクスプレス」はスピード感はありませんが、乗り心地サイコーの上、大船まで来てくれるので、帰りの電車としては絶好です。


   初夢の叶ひし孫の笑顔かな   弁人


 さてさて、正月休みが終わって今日から保育園に行っているKAZU君、ケイタイで撮った写真を残して明石へ帰ってしまい、逗子の家もすっかり寂しくなりました。

 私もいつ明石に戻ろうか思案中ですが、ちょっと気が急いてきてしまいました。

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「KAZU君ごめんね、おじいちゃんは駅伝なの」

2012-01-04 23:24:13 | スポーツ観戦等
1月4日(水)

 元旦の夕方、KAZU君が熊本から飛んで来ました。

 「おじいちゃんと寝るぅ」というご要望があったので、持病の薬を飲むのも忘れて一緒に寝てしまいました。

 でも、翌日2日の朝はKAZU君が目を覚ます前にふとんから抜け出して、恒例の駅伝の応援に。

 昨年よりちょっと力が劣るかもしれない国学院大学、果たして2年連続シード権獲得成るか!!
 今年は、蒲田から観戦のスタートです。

  昨年に続きトップ快走の、早稲田大迫選手
  

  やっと見えた。12位集団に国学院のユニフォーム
  
 第1区の桑原君、この順位でも、10キロ地点では個人記録より1分近く早いペースで走っているのです。

 この後、2区保土ヶ谷でエース荻野君の頼もしい姿に応援の声を掛けてから、一目散で小田原へ向かいました。
 小田原には11時ちょっと前に着きましたが、

  箱根に向かう小田急のホームの混雑ぶり
  

 かつては湯本行きの急行があったのに、今は東京方面から来る電車はみんな小田原止まりで乗り換えになるのです。直通電車があれば、小田原駅が混んでいても新松田から乗り込むという手もありますが、それも無理な話。どうもこの時間に湯本へ行くには、町田からロマンスカーに乗るしかないようです。
 せめて箱根湯本までは行きたいなと思い、小田急はあきらめて駅前のバス乗り場に行ってみましたが、「12時半まで箱根方面のバスはありません」という声を耳にし、仕方なくお掘り端を歩いて中継所に向かいました。
 せっかく来たので外郎を買ってから、人混みを避けるように箱根方面へ歩いて行きましたが、歩道の人垣は絶えることなく、とうとう箱根板橋の駅を越えて,5区1、5K地点くらいの登山鉄道のガード下まで来てしまいました。

  注目の東洋大柏原選手、今年はここで早くもぶっち切り
  

  国学院だって、この選手がいるのです
  
 昨年は、アンカーでコースを間違え、肝を冷やした寺田君。2年生になって、今年はエース格の選手に成長しました。
 13番目で来ましたが、「てらだァ、頼むぞォォ!!!」の声に見事応えて、区間5位の好走。順位を9位まで上げてくれました。


   襷重し外郎売りの箱よりも   弁人


  復路の3日は、8区藤沢からでした
  

  実は、この日は家族でお出かけのKAZU君に
  
 「今日はおじいちゃんお仕事だから」と大船駅で別れましたが、仕事にしては楽しそうに見えたのか、「かークンもおじいちゃんとお仕事行くぅ」と、大船で降りる時に追っかけて来られそうになりました。

  さて、藤沢の次は9区の神奈川新町
  
 13位集団を走る中山君。とにかく今年は東洋大が速すぎて、復路スタートの時点で8位以下の13校が繰り上げスタートだったので、シード権争いの状況把握が難しく参りました。どうも、総合で9位らしいのですが、10位11位のチームがどの大学で、どのくらいのタイム差なのかがつかめないままで声を掛けるしかありませんでした。

 最後は、東京駅から歩いて日本銀行の脇の常磐橋へ行きました。ゴールまで1Kを切っています。

  早稲田を抜いて明治が3位に。学生NO.1、明治鎧坂選手
  

  国学院のアンカーは青木君。「行けー!ラスト!!」
  

 走行順では13番目のゴールでしたが、往路の貯金があって、今年もなんとかシード権を獲得できました。

 「よかった、よかった。今年も秋に出雲へ行けるぞ」


   初春の夢に駆けるや若き人   弁人

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2012年を迎えて

2012-01-01 09:07:41 | 身辺雑記
  
   
   


1月1日(日)

 おかげさまで今年も静かな正月を迎えましたが、最近では珍しく、少し雲の多い元旦となりました。

 年末からお父さんの実家で遊んでいるKAZU君も、逗子の我が家に向かって、そろそろ熊本の空港に向かっている頃かもしれません。


    初陽浴ぶ雲上の窓に孫の顔   弁人


 とにもかくにも、行く先に光明のさす社会の実現に向かって、一歩でもいいから前進する年になるよう祈るばかりです。

  ・・・・・    ・・・・・    ・・・・・

 ところで、あの忌まわしい原発の事故の後、いたたまれない気分の中で明石海峡を眺めながら、ふと、この潮流を発電のエネルギーに変えられないのだろうかと思ったことがありました。

 そこで、自然エネルギーによる発電の技術開発について調べたところ、「潮流発電」は、神戸にある「ノヴァエネルギー」というベンチャー企業が数年前からCO2排出削減に向けて、公的な補助もない中で頑張っているということがわかりました。
 私には何も援助ができませんので、心の中で応援するしかないのですが、せめて、この企業の取り組みと実用化へ向けての問題点くらいは、いずれこのブログの中で紹介したいと思っていました。

 そんな折しも、数日前の12月27日、インターネットの「日経ビジネスオンライン」というサイトに思わず目を丸くしてしまった記事が載りました。
 なんと、KAZU君の両親の勤める会社が、二年前からその開発に乗り出していて、2015年には沖縄の離島での実用化を目指しているというのです。
 現在は「潮流発電」で実験中ですが、将来的には黒潮の流れを利用した「海流発電」に発展させるようです。

  一応、URLを入れておきます
「http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20111220/225486/?P=1」
 (「日経ビジネスオンライン」で検索して、「潮流発電」をサイト内検索すれば出てきます。全3ページですが、もしかすると会員登録(無料)しないと次頁へ進めないかもしれません)

 この発電のメリットを簡単に挙げると
○ 地球の自転が続く限り、天候等の影響を全く受けず供給が安定している
○ 風速と流速が同じと仮定すると、発電効率が風力の約800倍ある
 ということです。

 なお、「潮流」は一日に四回流れが変わり、その前後は流速が0に近くなりますが、「海流」は方向が一定していて流速の変化も少ないのです。

 太平洋沿岸を北上する黒潮は、紀伊半島沖から伊豆半島沖まで冷水塊の影響で時々大きく迂回しますが、九州から四国沖まで、そして、房総半島から東北にかけては規則的に流れています。
 明石海峡の潮流が最大6~7ノット(時速10~12K)くらいですから、黒潮の流れがその半分くらいだとしても、やはりかなりの速さだと思われます。
 
 KAZU君の両親が勤めている川崎重工業という会社、発電機のタービンの製造はお手のもので、その上造船部門でも歴史と実績があり、スクリューや潜水艇の技術が生きて来るのはもちろん、明石海峡大橋の建設など、他にも海洋関係には様々なノウハウを持っており、こういう開発にはうってつけの企業なのかもしれません。

 仮に、九十九里沖にタービンを沈めるとすると、首都圏までの送電線の長さは福島からの距離よりはるかに短くロスも少ないのです。海底ケーブルの技術も、日本は世界的にもすぐれているので、これもクリアできそうです。

 問題は開発と設置にかかる費用なのですが、過去50年余りの間、原発に費やしてきた金額の膨大さを考えれば、なんということはないでしょう。とにかく、丸紅が推進している「小型水力発電」や、ソフトバンクの孫氏の提唱している「太陽光発電」など、今や自然再生エネルギーの早期実用化に向けて、国家的規模で取り組まなければならない時なのですから。 ただ、そのことで、ほくそ笑む人たちが入れ代わることはあるかもしれませんが。


    夢抱き雑煮の餅もふくらみて   弁人


 どうでしょうか、せっかく年も改まったことなので、少しは希望の持てる話題をと、「脱原発」へ向けた話を持ち出しましたが、人間、考えることも見ることも、やっぱりきれいなものに惹かれますね。

 いつもきれいな富士の雄姿を見ながら、2012年の元旦の記事をおひらきにします。
  

コメント
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