チムどんどん「明石通信」&「その後」

初孫との明石暮らしを発信してきましたが、孫の海外移住を機に七年で区切りに。現在は逗子に戻って「その後」編のブログです

甥っ子夫婦が秋晴れの明石へ

2014-09-30 15:36:12 | 身辺雑記
9月30日(火)

 三年前に北京で結婚式を挙げた甥っ子夫婦、三河の国は刈谷に住んでいます。これまでも関西方面に来た時に何回か明石に立ち寄って、KAZU君のお家で本場の餃子作りをみんなで楽しんだりしてきました。
 その二人が、今回有馬温泉に一泊した翌日、明石に遊びに来てくれました。

 快晴の土曜日の昼でした。あまりに天気が良いので、景色の良い所で外食をすることになり、駅ひとつ三宮寄りの舞子へ。

 「舞子ビラ」という
  リゾートホテルがあって、
  

 その中にあるテラスレストランの
  バイキングに
  
 「今日は楽しいお食事会やな」とKAZU君も興奮気味。日射しが入るのでカーテンが下がっていますが、

 その向こうは、
  こんなにきれいな景色なのです
  

 「おじいちゃん、こっち向いて」
  「逆光やから無理や」
  

 KAZU君、
  写真撮りまくり
  

 甥っ子の嫁はんが
  私のスマホを手にしています
  

 「ガラ携」からスマホに替えて一年ですが、いまだに扱いに慣れない中、チャチャっと「ライン」の設定をしてくれました。

 きっと便利なのでしょうが、どう操作するのか全く要領を得ません。どうも、僕の電話帳に登録してある中の「ライン」の設定をしている人が「お友だち」になったみたいです。
 ケイタイを持ってからもう15年以上、電話帳は追加登録するだけで抹消したことがないので、かなり以前から音信してない人も登場して戸惑っていたら、夕方から夜にかけてさっそく数人の方からコメントが入りました。
 これは困ったと、翌日刈谷へ電話して返信の方法を聞く始末。なんとその時には、誰からだったか、二~三のコメントが消えてしまっていて、どっかに隠れちゃったのか、誤操作で消してしまったのか、わからないままになりました。
 というわけで、もしブログをご覧の方で、「コメントが返って来ない」と思っている方がいらっしゃったらごめんなさい。そのうちに慣れますから。

 さて、二時間ほど楽しいひとときを過ごして、

 「ボク、もうお腹いっぱい。
  そろそろどっか行かんとな」
  

 ということになって、
  海の前の公園でお散歩を
  


    潮満ちて魚も肥ゆるや天高し   弁人


 ところで、夕方家に帰ってテレビをつけると、なんとこの日の昼に御嶽山が大噴火を起こしていたようで、そんな事件も知らずに、土曜の午後をのんびり過ごしていたことになりました。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

明石海峡船景色(12)-「タンカーが支える?ニッポン」

2014-09-25 08:30:16 | 船景色
9月25日(木)

 ENEOS(日鉱日石)のタンカー
  「かいもん丸」
  

 石油満載なのか、水面に深く沈んでいるのでやけに細長く見えますが、排水量6万6千トンで、タンカーとしてはそんなに大きくはありません。

 こちらのほうが
  はるかに大きい
  
 (16万トンの「ENEOS BREEZE」)

 原発停止以来、わが国のエネルギーは化石燃料に頼りっ切りの感。海峡を望んで暮らしていると、大きな船を眺めるのも醍醐味の一つですが、温室効果ガスによる温暖化を憂うる立場からすると、なんとも複雑な思いです。

 これは外国のタンカーのようです。
  6万トンくらいでしょうか
  

 政府は「CO2 削減のためにも原発の再稼働を」と言っていますが、放射性廃棄物のことを考えると、とても万物の霊長の発想とは思えません。
 福島の事故から三年以上も経つのに、再生可能エネルギーの活用はいったいどのくらい伸びているのでしょうか。国家規模でエネルギー改革に取り組むという姿勢が全く感じられないのが残念です。

 LNG(液化天然ガス)もどんどん買い込まないと、今の日本社会は成り立たないようで、そのタンカーも次々に通ります。

 「NORTHWEST SAND PIPER」
  10万5千トン
  

 「DOHA」
  11万トン
  

 名前から、上の船はイギリス辺りの西欧の船という感じです。いっぽう「ドーハ」は中東のカタールの首都名で、サッカーのいやな思い出もありますから、これも日本の船ではなさそうです。

 モス型LNGタンカーには、丸いタンクが4つのものと5つのものがありますが、径の大きさもあるでしょうから、必ずしもその数が容量の大小を表しているようでもありません。

 タンクは4つですが、
  12万トンのLNGタンカー
    
   関西電力所有の「LNG EBISU」です。

 メンブレン型のLNGタンカーも、私の目にはもうお馴染みになりました。よく見るのは、昨年の12月7日付けの記事に載せた「PUTERI○○SATU」というマレーシア船籍の船ですが、今回はそれ以外のものを、

 11、4万トンの「WOODSIDE
  DONALDSON」
  
 船体のイラストにカンガルーが描かれています。調べると、やはり
  オーストラリアからやって来た船でした
  

 これも初めて。
  全身エメラルドグリーンです
  
 フランスの大手電気ガス事業の会社の船だそうです。10.4万トンで、なかなか見応えがありました。


    海峡の積み荷身に沁む新時代   弁人


 ところで、1980年代に問題が顕在化した「オゾン層破壊」。世界各国のフロンガス対策の効果が少しずつあらわれて、あと2~30年後には1960年当時のレベルに戻るという話を耳にしました。
 放射性廃棄物は、とてもとてもそんなに簡単には解決できませんが、少なくとも、温室効果ガスの問題は、今地球上にいる人間の努力次第で解決できそうな感じがします。
 その元凶となっている二大排出国の中国とアメリカがいよいよその重い腰を上げたと、昨夜のニュースが報じていました。もう二大国を非難している状況ではありません。

 日本がもし最先端の科学技術を誇るなら、原発に頼らない化石燃料からの脱却を、世界に率先して実現してほしいと願わずにはいられません。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

半年前ですが、KAZU君のランドセルを

2014-09-17 17:23:44 | KAZU君
9月17日(水)

 来年から小学生のKAZU君。年末になったらランドセルを買ってあげなければと思っていましたが、昨今はランドセル業界の販売合戦が激化し、購入時期も年々早まって、もうクリスマスのプレゼントという時代ではなくなっているようなのです。

 ランドセルといえば、形は皆同じですが、今やカラーバリエーションも多彩で、大型店の売り場には、さまざまなメーカーの魅力的な製品がたくさん並び、いざ購入となると、品選びも一仕事ということになります。

 テレビを見ていると、何年も前から「天使の羽」というコマーシャルが流れて、なんとなく耳に残っていました。その「天使の羽」のランドセルを作っているのは「セイバン」というメーカーなのですが、このメーカー、実は本社と工場が姫路の先のたつの市にあるのです。
 そのことは何年か前から知っていて、もし工場直売とかがあればKAZU君の時は「セイバン」がいいかなと思っていました。

 そこで、8月の下旬に明石に戻ってきた後、問い合わせてみると、9月の第一土曜日から2月までの土日に工場直売があり、市価よりは安く購入できそうということがわかりました。

 噂によると、かなり混雑していて、整理券も出しているということなので、どんな具合か、14日の日曜日に私一人で様子を見に行ってみました。
 聞くほどの混雑ぶりではなかったものの、驚いたのは、セールが始まった翌週なのに、人気商品の中には、もう全部売れたものもあったりするようで、残り少々の表示のあるものもいくつかありました。
 そこで、さっそくKAZU君の両親と相談。とりあえず翌日の休日に行ってみようということになりました。

 兵庫県たつの市御津町。県内最大規模の梅林がある綾部山の麓の、海に近いのんびりとした田園の広がる所です。
 近くの「世界の梅公園」には、海の景色の良い展望台もあって、話は前後しますが、

 ランドセルを購入した後、行ってみました
  

 さて、工場と直売所は
  「梅公園」の手前の国道沿いです
  

 日本有数のランドセルメーカーとはいえ、単品の専門メーカーですから、大企業の大工場というわけではありません。工場の隣の直売所はプレハブを思わせる建物で、

 中のテーブルの上にランドセルが
  無造作に並べてあります
  

 昔は、男の子が黒で、女の子は赤というのが常識でしたが、今はもうそんな時代ではありません。ブルーやブラウンはもちろん、ピンクや水色等、色だけでも目移りします。極端な話、赤が好きな男の子だっているかもしれません。カープファンとしてはそれでもいいかもというのは冗談ですが、正直なところ、大人は「男の子なら男の子らしい無難な色に落ち着いてほしい。変に目立ったら友だちとの関係も心配」と考えてしまいます。
 そんな大人の心配を察知したわけでもないでしょうが、KAZU君、夏前から「ランドセルは黒やで」と言っていました。

 そして、 ボーイズコーナーのテーブルに、

 ブラウンが二つと黒いランドセル。
  三つ並んでいました
  

 大人は「気に入ったものがなければ、今日は見るだけでいい」と思い、その旨KAZU君にも言い聞かせておきましたが、子どもは、目的の品物が目の前に並んでいれば、「見るだけ」という声は、あっという間にどこかへ飛んで行ってしまいます。

 さっそく気に入ったものを背負って
  ご機嫌です
  

 「あれは見本やからな」と、
  カウンターへ行って購入手続き
  

 「やったぁ、
  おじいちゃんありがとう」
  

 卸値直売?ですから、箱に入っているだけで、包装もお祝いの熨斗もありません。でも、身内なら何の問題もありません。鉛筆セットのおまけも付いて、KAZU君大喜びです。


    ウキウキと入学準備の半年前   弁人


 ところで、今どきのランドセル。大型店では2~3万円のものから6万円以上のものまで並んでいて、5万円前後が主流です。セイバンの製品も6万前後で、そのくらいは覚悟していましたが、もしかしたら七掛けくらいだったのかもしれず、こちらも大満足のお買物となりました。


 さて、目的の買物を済ませて、梅公園で海の景色を眺め、そろそろお昼かなと時計を見ると、まだ11時前でした。せっかくここまだ来たんだから、どこかにKAZU君の喜ぶ遊び場がないかなと・・・、

  赤穂の海浜公園に到着
  

  景色の良い滑り台
  

 小豆島が目の前ですが、
  子どもの目には入りません
  

  アスレチックで一汗かいて
  

  「今度はスワンボートやな」
  
   

 そして、翌日の昨日の夕方、保育園に迎えに行くと、さっそくKAZU君から、「おじいちゃん大好き、昨日、ランドセルありがとな」という声がかかりました。
 さてさて、どんな小学生になってくれるのでしょうか。


    鬼笑ふ思ひ巡るや秋の暮れ   弁人


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今年は、秋の訪れが早いようで

2014-09-12 15:14:55 | 身辺雑記
9月12日(金)

 8月末の高校軟式野球の決勝戦。日射しも強く、なかなかの暑さでしたが、空は秋色、スタンドには赤とんぼが舞っていました。

 あれから十日あまり、残暑だと感じる日も何日かあったものの、朝がたの気温も20度前後で落ち着き、今年の9月上旬はすっかり秋の気配となりました。

 とりわけ関西では、つい先日まで「今年は優勝」と期待されていたタイガースが、ここへ来て急降下の六連敗、宿敵ジャイアンツには甲子園で15年ぶりの三連敗と、完膚なきまで打ちのめされ、「こうなったら4位のベイスターズにクライマックスシリーズに行ったもらったら」というやけっぱちの声も出て、一気に秋波押し寄せた感に包まれています。
 ラジオからは「ふりむけばヨコハマ」のメロディー。「夢の続きはおしまいですか/全て白紙にかえるのですか」の歌声がなんとも傷ましい。

 もっとも、カープファンとて、事態はあまり変わらないのかもしれません。「Aクラス確保では昨年と同じで、今年は優勝しないと意味がない」と思っていたのに、2日からのジャイアンツ戦での三連敗が痛かった。残り、ジャイアンツが10勝10敗でも、カープは19試合のうち14勝しなければならないという、数字的にはかなり絶望的な状況なのですから。

 だいたいにおいて、今年は中秋の名月が8日なんて、ちょっと早すぎました。ススキに目をとめもしないうちに、野菜売り場の里芋だってまだ目立たないうちに、「えっ、今日なの・・・」という慌ただしさ。

 とにもかくにも、せっかく過ごしやすい季節になったのですから、あとは、せめて11月まで「秋」に頑張ってもらって、早めに木枯らしが吹かないことを願うばかりです。


    目に耳に愁ひ漂ふ九月かな   弁人



 さて、今朝は5時半に目覚めました。「夕焼け」も「朝焼け」も夏の季語ですが、上空の澄んでいる秋の朝もなかなかの風情です。

 淡路島の上の雲が
  朝焼けに輝いていました
  

 「朝焼け」は天候下り坂の前兆と言われますが、爽やかな空気の中では、そんな感じが全くありません。

 ウオーキングに出ようと外へ出ると、南西の小豆島方向の空に、

 満月三日後の
  有明の月がくっきりと
    


   ぽっかりと朝焼け見下ろす居待月  弁人


 あっという間に、
  海峡が明るくなりました
  


    船影や二百二十日の海のどか   弁人


 朝日を浴びて
  大きなタンカーがやってきました
  

 続いて、
  いかにも貨物船といった形の船も海峡に
  


 ところで、最近のKAZU君。
 保育園から帰ってくると、外はすぐに暗くなってきます。時々、字の練習をしたりしますが、あまり長続きはせず、部屋の中で遊んでいます。
 この時期は運動会の練習をがんばっているのかもしれません。きっと、家に帰るとほっとするのでしょう。「天文科学館でな、お月見のお話を聞いたんやで」と言うので、「お月さま、出たかどうか、お外行って見てみようか」と言っても反応がありませんでした。

 電車、もう興味がなくなったと
  言っていましたが、
  

 日が早く暮れると、こども心にも、感傷的な気分のようなものがわき起こってくるのでしょうか、なつかしいおもちゃを取り出して、何か思い出しているのかもしれません。

 先日、秋の夜長にみんなで会食をしました。KAZU君のお父さん、実家が熊本なものですから、

 この日は、KAZU君も好きな
  「馬刺し」が食卓に
  


    舌鼓み夜長彩るさくら肉   弁人

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

伝説の試合?も生まれた高校軟式野球(3)

2014-09-05 13:37:43 | スポーツ観戦等
9月5日(金)

 今回は、私の地元から明石にやって来て、惜しくも準優勝に終わった三浦学苑高校の戦いぶりを紹介します。題して、「すっかりかすんでしまった三浦学苑の大健闘」です。

 明石にいる時間を除けば、世帯を持ってから40年余り逗子で暮らしていて、勤め先も横須賀での16年を含めて26年間三浦半島の学校でした。

 さて、三浦学苑高校。私が横須賀に勤めていた頃は「三浦高校」と言っていましたが、最寄り駅が同じで、仕事を通じてお世話になった先生方も何人かおられる親しみのある学校です。
 特に、硬式の野球部は近くのライバル校で、勝ったり負けたり、いろいろな思い出があります。

 その学校の軟式野球部が全国大会初出場を果たし、明石にやって来ると聞いて、どんなチームなのかとても楽しみにしていました。

 ところで、私が横須賀の高校にいた頃、「全国の人口30万以上の都市で、甲子園出場校を輩出していないのは横須賀市だけ」ということをよく耳にしました。都市の近郊が開発されたり、昨今の市町村合併などで、人口動態も変化しているのかもしれませんが、たしかに、人口40万を超えている横須賀市からは、まだ甲子園出場校が一校もありません。隣接する逗子市や三浦市や葉山町からもありませんので、話を三浦半島全体に拡大しても同じことです。
 そして、今回で59回目の「全国軟式野球」、過去の神奈川代表を調べても、三浦半島からは一校もありません。

 二日目の26日。
  球場に貼られた横断幕
  

 とうとうやって来ました。高校野球で初めて三浦半島から全国大会へ出場する三浦学苑です。

 初戦の相手は、愛媛から来た四国代表の新田高校。16回目の出場で、最近では2010年と昨年の2013年に準優勝をしている強豪です。
 初出場校としては、相手が少々手ごわそうですが、三浦学苑だって、昨年の優勝校の横浜修悠館を神奈川県大会の決勝で破り、その後の南関東大会も勝ち抜いて来たわけですから、名前負けせずに自分たちの野球をしてほしいと願っていました。

 序盤、リードを許すも・・・
  延長戦に
 

 やはり、初戦の緊張感からか、エース櫨(はし)君、制球定まらず、無駄なランナーを出して2点先制されました。
 「これはあかん」と思っていたら、先制されて選手の力が抜けたのか、ランナーが足でかき回して中盤に追いつきました。
 延長戦に入って、どういう展開で全国大会での記念すべき一勝をもぎ取ったのか、スコアボードの写真はありませんが、その劇的な逆転勝ちを以下に記します。

 終盤から延長戦にかけて、しばらく膠着状態の投手戦になりましたが、12回表に内野手のエラーで1点献上。さらに1アウト満塁のピンチになり、これで万事休すか、さっきのプレーが痛恨のエラーになってしまうのかと、保育園に行く心の準備をしていると、櫨君がスリーバントスクイズを外してダブルプレー。
 実は、これが大きかった。延長戦になると、ある意味精神戦です。そこで、先制したほうの新田ナインが「しまった」と思い、最少失点とはいえ、本当は崖っぷちの三浦の選手がハイタッチでベンチに戻って来るのですから。
 そして12回裏の逆転劇です。先頭が四球。バントで二塁へ送った後、盗塁で三塁へ進み、プレッシャーをかけて内野エラーを誘い同点。四球で一・二塁になったところでキャプテン山浦君がレフト前に運び逆転サヨナラとなりました。

 こういう勝ち方をする三浦の選手たちは頼もしい限りですが、見ていると、私には「負けてもともと」という雰囲気が見えて仕方がありませんでした。ランナーのリードが大きく、牽制でアウトになっても怯む様子が全くない。アウトになったらそれまでとばかり思いっきり良く走る。この積極的な野球、他のチームには見られません。なかなか点が入らない軟式野球を足で攪乱して点をもぎ取るという、見ているとヒヤヒヤしますが、決まると実に爽快な野球です。もしかすると、結果を恐れず自分たちの野球を貫いている三浦の選手たち、櫨君もなかなかの好投手なので、旋風を巻き起こしそうな気配を感じました。

 翌日の二戦目は、高砂球場で地元の神港学園と対戦しましたが、この試合でも信じられないことが起こりました。1-1で延長戦へ突入。10回表に前日と同様1点先制された後の裏、連続死球などで2アウト満塁のチャンスをもらい、またもや主将の山浦君が今度はレフトの頭上を越える逆転サヨナラ打を放ったのです。

 いや、「・・・とのことです」といったほうが正解。実は、この日も明石球場で中京と福岡大大濠が勝った二試合を見ていて、高砂には行きませんでした。
 この日も勝てば、翌日明石に戻って来るし、対する神港学園も強そうで、負けるとしたら、「足を封じられて・・・」ということになるのだと思っていました。

 きっと、負けを恐れず伸び伸びとしたプレーができているのでしょう。二試合連続、延長で先制された後の逆転サヨナラですから、さすがに、こちらの新聞でもそれなりの記事になっていました。それに、相手が神戸の学校だったので、地方版を開くと、最後のところの経過もだいたいわかりました。
 二試合連続サヨナラ打の山浦君。前日の逆転打がレフト前でしたから、おそらく神港学園のレフトが浅めに守っていたのだと思います。それにしても、勝負どころでその頭を越える一打を放つとは、恐れ入ります。

 さて、次は準決勝。第一試合で、中京と崇徳が延長15回まで0行進に終わった後でした。相手は、作新学院と南部高校を連破した福岡大大濠です。
 しかし、三浦学苑強し。延長継続になった二チームの投手もなかなかですが、櫨君も負けてはいません。時々四死球を与えますが、球の伸び、スライダーの切れ、ともに素晴らしい。最終回に連打を浴びてヒヤッとしましたが、あとはほぼ完璧でした。攻撃は、今日も足でかき回し、三盗したランナーをエンドランの内野ゴロで先制、次の回も三塁に走者を置いて、相手内野手がもたつく間に1点取りました。

 ここへ来て、
  2-1で勝つのもなかなかのもの
 
  

 ただ、今日の福岡大濠のキャッチャー、三浦の選手の走るタイミングをよく研究していたようで、何回かウエストして盗塁を刺しました。二塁ランナーの牽制死もあり、もったいない感じもしましたが、これが三浦学苑の持ち味なので仕方ありません。

 いずれにしても、あとは決勝戦のみ。この勢いで一気に頂点を・・・というところで、ご承知のように、とんでもないことになりました。

 決勝が行われるはずだった翌金曜日も、そして土曜日も、スタンドから決勝の相手を決める長い長い0行進の試合を眺めているだけだったのです。じれったいけれど仕方ありません。
 すっかり秋らしくなった青空のもと、レフトスタンドの向こうに映える明石城の二つの櫓。そんな光景が三浦半島からやって来た若者たちの青春時代の、ある夏の思い出に残っていくのでしょうか。決勝戦への集中力を保ち続けるのは大変だったに違いありません。

 そして、日曜日の10時過ぎ。ようやく相手が決まり、その二時間後に決勝戦が行われることになりました。

 誰が考えたってかわいそうです。誰が?、もちろん木曜から日曜の午前中まで四日間で700球近く投げてきた中京の松井投手です。決勝戦にも登板するのでしょうか。彼がもう投げられないとすれば・・・。
 すぐそばにいたおっちゃんが「こんな不公平な決勝戦はないやろう、どう考えたって、三浦学苑のほうが有利やないか」と言いました。そして、「こうなったら、中京を応援するしかあらへん」と。これ、延長50回の死闘を見てきた人なら、誰でもがそう思う自然な気持ちなのです。

 やはり、決勝戦は日を改めてやるべきだと思いました。これでは、かわいそうなのは中京高校だけではありません。勝って当たり前という状況の中で、多くの観客が相手校を応援する異様な雰囲気の中で戦う三浦学苑の選手もかなりかわいそうです。

 「世の中、温室だけじゃないで、苦しい状況でさらに投げ抜き、こういう雰囲気の中で自分たちの野球をすることで、よりたくましい人間に育つんやないか。まさに人間教育」
 そんなことを思って悦に入っている大人もいるのかもしれませんが、はたしてそれでいいのでしょうか。
 きっとメディアも騒ぎ立てるだろうし、高野連も見解を問われるだろうし、波紋を呼ぶことになるのは目に見えています。投手の肩のことを無視しているのは事実なのですから。もし日を改めるという決断ができていたら、あとが楽というか、結局は評価されるのではないかと思いました。

 この日は8月31日の日曜日でした。8月中に大会を終えるという規定があるそうで、新学期に入ってまで日程を繰り下げるという発想が出てくる状況では全くありません。
 それなら、なぜ延長50回までやらせてしまったのか、もし大会中に雨天順延があったらどこかで打ち切っていたのか、やはり、決断力というか、柔軟な対応力がないとしか言いようがありません。
 「新学期に入った平日なんかに移せるはずがない」、そうでしょう。でも、それがそんなに非常識なら、いったん学校へ帰して、次の土日に行えばいいのです。
 球場確保は? 明石でなくても、観客席があって交通の便の良い球場は姫路にもあるし、近くにはオリックスのほっともっとだってあるのです。硬式の県大会で埋まっているなら、それを動かせばいいし、一般の大会の使用が入っていたって、雨天順延の予備日もあるはずで、これだけ世間から注目されたのですから、試合ができないということはないでしょう。
 費用は? 例年、朝日新聞に甲子園大会の決算報告が出ますが、毎年多額の剰余金が計上されます。二校分の旅費や滞在費ぐらいは十分に支出できるはずです。

 とにかく、延長50回の試合で高校軟式野球が注目を浴びたということを喜んでいる場合ではないのです。高校野球が教育の一環であるならば、現場を預かっている大人がもっと柔軟に選手本位の立場から対処できるようになっていないとおかしい。

 まあ、個人的な意見はここまでにして、決勝戦の話題に戻します。大人の心配とは裏腹に、なかなか見応えのある試合になりました。

 結論から言うと、どんな状況であっても、おそらく中京高校のほうが勝っていたのではないかと思うような試合でした。

 まず、キャッチャー西山君の判断力とスローイングの正確さ。脱帽です。三浦学苑の足攻を見事に封じ、相手の野球をさせませんでした。4回の1アウト二・三塁のピンチでも二塁走者を刺し完璧でした。
 その4回に、先発しなかった松井君がマウンドに上がりましたが、「あとは任せろ」「あとは任せた」という中京ナインの結束が伝わって来るようでした。思えば、1998年の夏の甲子園の準決勝の横浜-明徳義塾。前日のPL学園戦で250球以上投げた松坂投手がマウンドに戻った時の、あの雰囲気でした。
 三浦の櫨君も悪くなかったのですが、三塁走者がいた6回に痛恨のワイルドピッチ。中京は、次の回も三塁に走者を置いて内野ゴロのエンドラン。なんとも軟式野球らしい形でそつなく2点を取りました。
 そして中京の松井君、優勝が見えてきた終盤のピッチングも圧巻。気合みなぎり、もし「神がかり」というなら、こういう時のことを言うのではないかと思わせるほどで、最後は6連続三振で締めました。
 三浦の選手も、この時ばかりは「50回の死闘を経た投手がこれでは仕方ない」と脱帽の気分だったのでしょう、悔しさがあまり見られませんでした。

 ということで、決勝戦は2-0。
  中京高校が7度目の優勝です
 

 「あっぱれ、中京」
  神奈川県勢二連覇を阻止す
  

 ところで、試合開始直前、50回を戦い合って来た崇徳のナインが中京の応援席に陣取りました。崇徳の父母たちも駆けつけています。そこへ報道陣が群がり大変な騒ぎに。
 思ったとおり、翌日のテレビで、「両校ナインの間に結ばれた新たな絆」と、美談として紹介されていました。それはそれで素晴らしい。実に美しい話です。でも、球場全体に一方に同情する空気が満ちている中で、それをさらに助長する光景であったのは否めません。興奮気味の当事者は気が付かないでしょうから、こういう時こそ、大会本部からひと言あっていいのではないかと思いました。

 しかし、救いは三浦学苑の選手たちが伸び伸びと動き回っていたことです。アウトにはなりましたが、臆することなく走り、大きなリードで次の塁を狙う野球を貫きました。
 最後は、相手投手の気魄に押された感がありましたが、スタンドの空気を受け流しているかのように、よく頑張りました。

 さわやかに、準優勝の楯と
  メダルをいただきました
  

 閉会式には奥島会長の姿はありませんでした。連盟トップのコメントが聞けるかもと思っていたのですが、おそらく、翌日からバンコクで始まる「アジアU18大会」に同行したのでしょう。国際大会なら新学期の平日でもかまわないのです。各校から選抜された選手だからということもあるでしょうが、文科省の見解も聞きたくなってしまいます。
 ということで、副会長が挨拶に立ちました。型どおり、優勝準優勝の両校へ賛辞を述べたあと、延長50回の話にも及びましたが、運営面での話は出ませんでした。

 ところで、閉会式で印象的だったのは、挨拶の中で、惜しくも決勝へ駒を進められなかった崇徳高校の健闘を讃えた時に、三浦学苑の選手たちの手が自然に動いて拍手を送ったことです。
 自分たちも頑張ったけれど、中京も崇徳もすごかったという思いが正直なところだったのでしょう。
 そうなんです。美技もあればミスもある。快打もあれば凡打もある。それで勝敗は決しますが、勝ったほうも負けたほうもみんな頑張ったのです。
 三浦学苑の選手たち、整列して、秋の空を見上げている時に、長かった一週間がふと蘇って来たのではないでしょうか。私には、最後に負けて準優勝ではあったものの、彼らの心の中に生まれた、何とも言えない達成感が拍手に表れているように見えました。
 目に焼きついているのは限界を超えて頑張る仲間たち。そして、そこを経たチームと対戦してみて、人間の底力みたいなものも目のあたりにしたはずです。

 この大会での三浦学苑の健闘は、延長50回を戦った二校の話題の陰にかすんでしまった感がありますが、そんなことには関係なく、彼らがかけがえのない大切なものを心の中にしまい込んだのを確信して、今回の観戦記を閉じることにします。


    秋空や兵どもが夢のあと   弁人


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

伝説の試合?も生まれた高校軟式野球(2)

2014-09-03 23:53:35 | スポーツ観戦等
9月3日(水)

 今回は、いよいよ「歴史に残る延長50回の死闘と顛末」と題して、甲子園の熱戦の陰の存在のようであった「全国高等学校軟式野球選手権」が、一躍、日本中の注目を浴びることとなった、中京高校と崇徳高校の歴史的な一戦の観戦記です。

 球場正面の試合経過を伝えるボード
 

 さて、その一戦。大会四日目の8月28日の準決勝第一試合でした。

 まず、先攻の中京高校のそこまでの戦いぶりから。
 一回戦は大阪代表の河南高校相手に1-1で延長戦入り、11回表に1点を取って2-1で勝ちました。この試合は会場が高砂球場だったので見ていないのですが、優勝するまでのほぼ全インニングを投げ抜いた松井投手が唯一の失点をしています。
 大阪の富田林といえば、PL学園をはじめとして軟式野球の強豪校が多く、その富田林から34年ぶりに登場してきた河南高校、このチームも強そうだと注目はしていたのですが、いったいどういう形で1点取ったのか、新聞にはインニングスコアしか載らないのでわかりません。
 明石球場で大会役員に「スコアを見るにはどうしたらよいか」と尋ねても、「スコアは全部連盟本部へ送ってしまうので、新聞記者にでも聞いて下さい」と、そっけない返事しか返って来ず、無駄に終わりました。したがって、この試合のヒット数や失策数がわからないのでなんとも言えませんが、延長で2-1ですから好ゲームだったのは間違いありません。
 次の一日置いた能代高校との準々決勝は、前回の記事に載せたとおり、相手5安打に対してわずか2安打で1-0で勝ちました。好投手と堅い守備力はなかなかのものと感心しましたが、打つほうは非力という印象でした。

 いっぽう、後攻の崇徳高校。
 残念ながら、一回戦は甲子園の決勝戦と重なり、準々決勝が高砂球場だったので、試合は一回も見ていませんでした。ただ、二試合目、一回戦で7点取った文徳高校に4-1で勝っています。投手力もさることながら、打力では中京高校より上なのかもしれないと思っていました。

 28日9時30分、歴史に残る試合が始まりました。

 やはり、崇徳のチャンスのほうが多い。初回二回とも1アウトからヒットが出て、2アウト二塁と2アウト一・二塁にしましたが得点ならず。七回には二塁打が出たものの、ここも1アウトからで無得点。これが4本目のヒットだったのに対して、ここまで中京のヒットはわずかに1本でした。
 野球は、同点で八回が終わると、あとは延長戦と同じで、後攻チームがランナーを出せば常にサヨナラのチャンスになります。したがって、精神的には後攻チームのほうが断然有利です。ということで、私は、どこかで崇徳がサヨナラ勝ちをするのではないかと思っていました。
 と思いきや、9回表に中京の先頭バッターが二塁打を放ち、予想どおりには行かないのが野球のドラマだと、この辺までは、いつものようにのどかに野球観戦を楽しんでいました。ところが、中京も後続が続かず延長戦へ。その後も同じような展開が続いて、とうとう

 こういう結果に。
 (延長15回のスコアボードです)
 

 軟式野球の規定が硬式と違うということは知りませんでしたので、このまま18回まで行って、勝敗が決しない場合は翌日再試合だと思っていました。実は、この日は準決勝二試合目の三浦学苑の試合を楽しみにしていたので、急遽KAZU君の親へメールを入れて、保育園の迎えを頼みました。
 ところが、試合は15回で打ち切り、翌日サスペンデッドでということになり、やや予想外の事態に。
 それはともかく、15回まで両軍とも0を並べた時点で、ヒット数は、崇徳が10本、中京が5本、だいたい予想どおり、崇徳が攻めて中京が守るという展開の初日でした。
 ただサスペンデッドであれば、後攻の崇徳が有利なことに変わりありません。それを中京がどこまで持ちこたえるか興味を抱きつつも、延長戦の継続であれば、そんなに長引かずに決着が着くはずと思っていました。おそらく大会関係者も同じだったと思います。

 でも、冷静に分析すれば、中京の守備の堅さは目を見張るものがありましたし、松井投手の球威と制球力も抜群でした。もしこの緊張感が保たれ、崇徳がなかなか得点できないとしたら、中京の攻撃力が今一つということまでを考えると、延長戦がどこまでも続くかもしれないということは、決して想定外ではなかったのかもしれません。

 翌29日。
 サスペンデッド(延長戦の延長)ですから、すぐ終わってしまうかもしれません。どちらかというと、私は、地元の三浦学苑が準決勝の第二試合で勝っていたので、その決勝戦を楽しみにしていたこともあり、この日は家でゆっくりしていようかとも思いました。でも、サスペンデッドの試合は今まで見たことがありませんから、試合前のシートノックなどを含めて、どんな具合で始めるのか興味があって、スーパーへの買物がてら、試合開始前に球場に車を止めてみました。

 駐車料金1時間200円。200円で済んだらラッキーという気分で観客席に座りましたが、延長16回からの試合は期待に反して、前日と同じ展開となりました。そして、延長18回からはしばらく両軍ともノーヒットが続き、

 スコアボード二度目の暗転。
 (延長21回終了時)
 

 とうとう延長30回まで点が入りません。ヒット数もほぼ前日と同じで、中京6本で崇徳は9本。お互いに2~3回ずつチャンスがありましたが、ことごとく後続が断たれてしまいました。お昼の用意もなくフラッと立ち寄っただけなのに、気が付くと時計は14時を回っていて、少々イライラしていたせいかもしれませんが、正直のところ、この試合はいつまでやっても永遠に終わらないのではないかという不安さえこみ上げてきました。

 ネット裏には決勝を待つ三浦学苑の選手が陣取っていましたが、両軍とも決め手の欠く攻撃を、いったいどんな思いで眺めていたのでしょうか。明日も決勝戦ができないなんて、さぞかしじれったく思っていたことでしょう。つい、「こうなったら、新学期のことなんか忘れて、しばらく明石に滞在するのもいいかもしれないよ」と声をかけてあげたくなりました。

 結局、翌30日に再度延長31回から再開ということになりましたが、この時点で、私は溜め息をつくばかり。
 やはり一度仕切り直しをしないと、明日もだらだらと0行進が続いてしまうのではないかという感じが拭えませんでした。
 だいたいにおいて、投手にこれ以上投げさせるのは、軟式とはいえ無謀です。しかも、この状況で投手交代を告げる勇気のある監督なんているはずがありません。このまま続けるにしても、日を置いてあげないと無理だと思いました。たしかに、サスペンデッドはすぐに終わるかもしれない。でも、一度交代した選手はそのままですから、ベンチ入りの16人が尽きたらその時点で終わりです。それを考えたら代打も出せず、少々バテ気味の選手がいてもメンバーは固定状態でいるしかありません。やはり、日を置いて再試合しかないのです。再試合で仕切り直しならば、違う投手を投げさせることも十分に可能ですし。

 もちろん、日程についての規定や球場確保の問題等があるので、簡単にこうすればと言えないのは重々承知の上ですが、この時点で明石に残っているのは三チームだけなのです。「夏休み中に」といっても、昨今は8月下旬ともなれば、すでに新学期が始まっている学校だってたくさんあるのですから、もう少し柔軟に考えられないものかと思いました。

 ということで、延長31回から再開という、やや気の重い土曜日がやって来ました。「見るに見かねる」という表現が妥当かどうか、ともかくも球場へ向かいました。

 報道陣も多くなり、
  観客席も混雑してきました
  

 前日夕方から、試合のもようが全国のニュースで流れましたから、駐車場も一杯で、駅から歩く人も列をなしていました。球場へ来た人の思いはみな同じです。「どっちが勝ってもいい、とにかくすぐにでも終わってほしい」と。
 しかし、そんな願いもむなしく・・・


   本塁が見えて横切るとんぼかな   弁人


 延長34回の裏、崇徳先頭の6番打者がスリーベースヒット、やっと終わるかと思いましたが、悲しいかな打順は下位へ向かい、やはりだめでした。この後は、なんか永久に点が入らないような気分になって滅入りました。

 目を遣ると、右中間の外野席で三浦学苑の選手が芝生に横たわったりして試合を眺めています。そのうちの三人連れが飲み物を買いに行ったのでしょう、戻る途中、私のそばにしゃがんでいたので、「大変だね、でも焦ってもしょうがないよ、腹くくったほうがいいよ。今日も点が入りそうもないから」と、思わず声をかけてしまいました。

 その後、決勝戦がまた延びるのか、大会役員の人に聞いたところ、「明日で全て終わります」という、これまた意外な答えが返ってきました。
 どうも、この日も15回(延長45回)で打ち切り、明日は連盟の「一日18回以内」という規定にしたがって決勝戦まで終えるということのようでした。「あれ、なんで15回で打ち切って来たの?18回って硬式の規定じゃないの?」と思いましたが、そんなことは今さらのことで、つまるところ、明日も延長が続けば、決勝戦の9インニングを確保して、この試合は最大9インニング(54回)まで続けるのだと理解しました。

 まあ、それは翌日のこと。何とか今日中に決めてくれなければとスタンドへ戻りましたが、延長40回を越えてさらに膠着状態、たまにランナーが出るもチャンスらしい状況は生まれず、

 とうとう、この日の最終回も
  終わってしまいました
 


   秋空へ向かひ果てなしゼロ行進  弁人


 とにかく、驚嘆すべきは二人のピッチャーです。二人とも日に日に内容がよくなっている印象があります。もしかしたら、打者のほうが疲れてきていて攻撃に精彩を欠いているのかもしれませんが、ぜったいに先に点を許さないという気合が見て取れました。特に中京の松井君、もう40インニング近くランナーが出ればサヨナラという不利な状況なのに、全く動じずに自分の投球に徹していて、その精神力は尋常ではありません。

 それにしても、野球の神様はいったい何を考えておられるのか。残念ながらご不在なのかもしれません。甲子園が終わった後、明石の大会のことなど忘れ、休暇を取ってどこかでゆっくりしているのでしょう。でも、報道陣だってこれだけ押しかけているのですから、うわさくらい耳に入ってもいいのに・・・

 そして、いよいよ決着のついた日曜日。この観戦記を記しているだけで疲れてきましたので、詳しいことは省略します。

  押しかけた報道陣
  
 スポーツに関係のない報道各社からもたくさん来ているとか

  スタンドも超満員
  

 崇徳の4番打者の時の
  中京のレフト
  
 軟式でこんな深い守備位置がありますか、びっくりです。

 きっと、投手が連打を浴びないという自信があるのでしょう、仮に前に落ちても短打で済ます。とにかく得点だけは絶対に阻止するという気概です。崇徳の野手も同じような気概で守っていたのですから、やっぱり点はなかなか入らない。

 試合を再開しておよそ1時間後の中京50回表。先頭打者四球、送りバントを崇徳の石岡投手が二塁へ悪送球、ノーアウト一・三塁。そのあと満塁からライト戦へ渋いヒットが転がり、とうとう点が入りました。

  二度と見られないスコアボード
 
 普通の試合と同じように見えますが、得点とヒット数を見れば納得できます。

 ことばでは「お疲れさまでした」
  としか言えませんが、
  

 結局、この日の5インニングス目で決着をみたのですから、いちおう決勝戦は延長に入った場合13回まで可能ということになりました。

 でも、二時間後とはいえ、同日の決勝戦はやっぱりかわいそうで、その辺のことは、決勝戦のことを取りあげる次回の記事に回すことにします。

 ただ、結果的に延長50回を4日間に渡って連日継続したことは異常事態だったということ、それゆえに、多くのマスコミが取りあげ、多くの人が興味を持ち、社会からの注目を浴びたのだということを忘れてはいけません。

 私は、異常事態を生んだのがサスペンデッド方式だったとは思っていませんし、むしろ、早く決着を着けるにはいい方法だと思っています。したがって、それを規定の中に盛り込むのも問題はないと思っています。
 しかし、野球のようなスポーツは、原発事故とは正反対に、想定外のことが起こるのが魅力なのですから、規定では想定していない状況も起こり得るということです。そういう事態が生じた時に如何に柔軟に対応できるか、そういう機能を運営組織が持っていることが重要なのだと思います。
 大会を運営するのは球児ではなく大人です。その大人の組織が、現実に対応しきれない規定に振り回されたり、本部からの指示がなければ対応できないのであれば、それはすでに運営能力の欠如と言っても過言ではありません。

 仮にどういう措置をとっても、必ず批判はあるでしょう。でも、それが、マスコミへの媚びへつらいではなく、金儲けのためでもなく、自己満足のものでもなく、真剣に勝負に立ち向かっている球児のためにとった対応であるという信念と自信があれば、きっと、多くの人の支持を得るに違いありません。大人の仕事というのはそういうものだと思うのですが。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

伝説の試合?も生まれた高校軟式野球(1)

2014-09-02 14:06:16 | スポーツ観戦等
9月2日(火)

 毎年、8月末に明石球場で行われる「全国高等学校軟式野球選手権」。今年は中京高校(岐阜)と崇徳高校(広島)の延長50回というとんでもない試合で一躍注目を浴びる大会となりました。

 実は、この時期に明石にいるのは三年ぶりのことだったのですが、今年は甲子園の観戦ができなかったこともあって、球場通いを楽しみにしていました。

 今回は、その「全国高等学校軟式野球選手権」の観戦記ですが、話題が多く、とても一つの記事には納まらず、歴史に残るであろう延長50回の試合については次回に回しますのであしからず。

 ということで、第一回は「軟式野球の特質」という題にしたいと思います。

  8月25日「開会式」
  

 この日は甲子園の決勝の日でした。大阪桐蔭高校が4-3の好ゲームで三重高校を下し優勝旗を手にした日です。
 開会式は午前9時からでした。甲子園の決勝戦と閉会式を控えてお忙しいだろうに、高野連の奥島会長が挨拶に立ちました。まあ、大会会長なので当然といえば当然ですが、過去に軟式の開会式と硬式の閉会式が重なるということがあったのでしょうか。
 開幕が台風で二日延びたとはいえ、やはり甲子園が9日からという今年の設定はちょっと遅かったような気がします。お盆休み前の土曜からという日程でしたが、観客動員数を確保したいという大人社会の事情でもあるのかと勘ぐりたくなります。

 とはいえ、甲子園の決勝戦の行方も気になります。25日の第一試合は熊本の文徳高校と東京代表の早大学院の対戦でしたが、試合が早く進むことを期待して見ていました。ところが、点の入りづらい軟式野球にしては珍しく、5回を終えて文徳が6-2で4点をリードする展開になり勝敗決したかの感、初日は早々に引き上げました。
 この後、早大学院が食い下がって、結果的には1点差の7-6だったようですが、軟式野球でこれだけ得点が入るのは珍しいのです。

 軟式と言うのですから当たり前ですが、ボールが柔らかく、バットに当たった瞬間かなりへこむので、ふだんテレビで見ている野球のような打球音にはなかなかなりません。ボコッという感じの音がほとんどです。
 したがって、飛距離もそれほどではなく、両翼100m、センター122mの明石トーカロ球場がいかにも広すぎる感じがします。もちろん、フェンス越しのホームランは望むべくもありませんが、外野の守備位置が浅いぶん、野手の間を抜けたり頭を超えたりするとランニングホームランになったりします。今大会唯一のホームランもランニングで、兵庫の神港学園の湯口君が打ちました。

 そのホームランが出た
  神港学園-北海道尚志戦のスコア
  

 尚志学園は札幌の学校のようです。はるばるとやって来たのに惜しくも初戦で敗退でした。

 さすがに、応援席は
  数人の部員と家族だけですが、
  
 全国大会の雰囲気が漂ってきます。

 ところで、外野の守備位置が浅いということは、いろいろな状況が生まれます。ランナーのリードとスタートがよほどよくないと、2アウト二塁からワンヒットで生還というセオリーが通用しないのです。そこで、バッテリーがしっかりとしていると牽制やピッチドアウトで二塁走者を殺すことができます。優勝した中京は牽制もうまくキャッチャーのスローイングも正確だったので、逆に二塁走者がなかなか動けませんでした。
 そこで、攻撃側としては、アウトカウントに関わらず走者を三塁に進めておくことが重要になります。今回の大会でも、ワイルドピッチや押し出しによる失点が目立ったのですが、それは投手のレベル云々ではなく、タイムリーヒットによる失点がそれだけ少ないことを物語っています。三塁に走者がいてヒットが出ても点が入らないこともあるのですから。それがライトゴロ。ライトが浅いので一二塁間を抜けてもアウトになってしまうことがあって、2アウトならチェンジになってしまいます。
 さらに、ボールが柔らかいとミートが難しく、バントがなかなかうまく転がってくれません。もちろんスクイズはありますが、ボールが弾むので、同じ状況で三塁走者をスタートさせて叩きつけるようなゴロを打たせるエンドランがよく見られます。硬式野球では考えられませんが、昨年のWBC大会の時、ノムさんこと野村克也氏がテレビ番組で「秘策としてどうか」と提言していた戦法です。

 要するに、軟式野球でこのレベル(力量のある投手がいて鍛えられた守備力がなければ全国大会に駒を進めることは難しい)になるとなかなか点が入らないということです。したがって、僅少差の緊迫したゲームが多くなります。

  27日の第一試合
  

 能代高校の後藤投手も好投手で、中京を2安打に抑えましたが、その一本が痛恨のタイムリー打となりました。

  続く第二試合も一点差でした
  

 南部は「なんぶ」ではありません。梅で有名な和歌山の南部(みなべ)から来たチームで、19年ぶり二回目出場です。その南部高校が、3年連続出場で前日に最多優勝を誇る作新学院を破った福岡大大濠に勝つかと思われましたが惜敗でした。大濠5回表の2点、最初はタイムリー打でしたが、決勝点は一・三塁からのダブルスチールによるものでした。

 今大会、2点差以上になったのは、あの延長49回まで全く点の入らなかった3-0の試合と決勝戦の2-0、あとは二回戦(準々決勝)の崇徳(広島)対文徳(熊本)の4-1だけで、残りの12試合は全て1点差でした。特に、二日目の四試合は全て延長戦になるという、軟式ではありそうな事態ではあるものの、珍しい結果になりました。

  その結果を報じた新聞記事
 



    均衡を破るか蝉のじりじりと   弁人


 このように見てくると、実は、中京と崇徳の延長戦、たしかに誰も予測のできない長い試合になりましたが、いくつかの条件が重なると起こり得るのかもしれないという気がしてくるのです。
 その辺りのことは、次の記事に、「歴史に残る延長50回の死闘とその顛末」と題して載せたいと思います。


コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする