チムどんどん「明石通信」&「その後」

初孫との明石暮らしを発信してきましたが、孫の海外移住を機に七年で区切りに。現在は逗子に戻って「その後」編のブログです

本当にそれしかないのか?「辺野古埋立て工事」

2015-10-30 14:53:47 | つぶやき
10月30日(金)

 沖縄の人たちの強い反対を押し切って、何がなんでも辺野古に新基地を作ろうとする政府。いつの間にか引くに引けないメンツができてしまって、突っ走るしかないという状況なのでしょうか。それとも建設に関わるゼネコンと一体となった利権でも絡んでいるのでしょうか。

 とにかく、今の状況では、話し合いで解決というのは望むべくもなく、泥沼の法廷闘争に入って行きそうですが、その一方で、工事のほうは理屈をつけて少しずつ進んで行くという構図が見えてきます。

 ここまで来たらもうどうしようもないのでしょうか。話し合いができる状況には戻れないのでしょうか。
 できれば、「今さら・・・」という頑なな姿勢から力を抜いて、大人らしい冷静な態度で沖縄の基地問題を広い視野で考えてほしいところです。


○ 「国と県の議論がかみ合わない理由」

 この問題がニュースになる時、たとえば、テレビ朝日の報道ステーションでは「辺野古埋立て工事」と言うのに対して、NHKニュースでは「普天間移設問題」と題して流れてきます。

 実は、この表現の違いがまさに今の混乱を物語っています。

 沖縄県知事は辺野古の海を埋め立てて新しい滑走路を作ることに反対しているのであって、もちろん、普天間基地の危険性はどうでもいいということではないのです。その排除は一刻も早くという思いは当然でしょう。
 それに対して国側ですが、宜野湾市民の安全確保ためにまずは普天間の移設が必要で、それを進めるには代替施設の新設しかなく、その場所は辺野古しかないという姿勢なのです。

 つまり、「普天間基地の撤去と宜野湾市民の安全確保」ということについては両者とも対立点はありません。問題はそれをどのように進めるかということなのですが、一方が辺野古しかないという姿勢で、一方が県内は御免こうむるという立場で対立し、話が全くかみ合わないのです。

 ただ、国側がいくら「まずは普天間の移設から」と言っても、コトはそう簡単には進みません。仮に辺野古の工事が順調に進んだとしても、埋立てだけでも5年ほどかかり、終わるのは2020年になるのです。それから滑走路を作るのですから、普天間基地を抱える宜野湾市の人たちの不安解消にはまだまだ長い時間が必要となるのです。

 そういう現実をふまえてなお、辺野古で起きているニュースを「普天間基地移設問題」と題するのは、この二つは切り離せないということを意味しているわけで、報道姿勢がいささか政府寄りではないかと思われても仕方ないでしょう。

 まあ、今の流れを見ていると、最終的には辺野古に新しい滑走路ができてしまうのかもしれません。しかし、それまでにまだ長い時間を要するとすれば、やはり、まずは両者の意見が一致している今の普天間の問題をなんとかすべきで、一方が「辺野古ができるまでは」などと言っている限り話し合いががこじれてしまうのも当然です。

 最近、海兵隊の一部がグアムへとか、佐賀にオスプレイをとかいうニュースも聞こえてきますが、ここはひとつ、国民全体で知恵を絞り、一時的であれ、とりあえず普天間基地にある米軍ヘリをどこかへ移すべきです。
 その一つの方策の中に嘉手納基地という話も出てくるかもしれませんが、全て沖縄県内にということでなければ仕方ないのかもしれません。

 その上で、やはり新しい滑走路が必要なのかどうか、辺野古が本当に最適な場所なのかどうかを議論すればいいのです。もしかすると、辺野古でなければ困るという利権絡みの実態なんかも明るみに出てくるかもしれませんし。

 どうも、今の日本を動かしている人たち、思い立ったらなりふり構わずその方向へ持って行こうとする子どもっぽさが見え隠れしてなりません。

 民主主義国日本、先進国日本というのは、やはり自惚れでしょうか。建築業界のていたらくをはじめ、テレビ画面には、謝罪で頭を下げる人のオンパレードじゃないですか。
 とは言っても、お隣の大国を見てパクリやごまかしが横行と笑ってしまう日本人。衛星と称して弾道ロケットを打ち上げる為政者をガキ大将のようだと思っている日本人。だとしたら、もう少し大人の国の国民らしい議論ができてもよさそうだし、一方的な押しつけでない賢明なる解決策を見出すのも可能なんじゃないでしょうか。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

逗子市民まつりで遊んだKANA君

2015-10-21 10:19:58 | KANA君と妹君
10月21日(水)

 すっかり秋が深まって、夜冷え込んだ影響か、数日前から喉の痛みと咳に悩まされ、土日の話題を載せるのが遅くなってしまいましたが、

 先週の土曜日、KANA君一家が
  お泊まりに来ました
  

 翌日曜日に逗子市の「市民まつり」があって、KANA君のパパのお友だちも関わっているということで、その前日にパパの旧友が集まることになったとのこと、KANA君も笑顔をふりまきながら逗子にやって来ました。

 そして、日曜日。

 バザーと模擬店が中心かなと思っていましたが、子どもが遊べる所もけっこうあって、KANA君、大喜びで楽しい時間を過ごしました。

  野外ステージの近くで
 
  
   

 シャボン玉はワクが大きすぎて、
  ちょっとむずかしい
  

 「あそVIVA!」というエリアには
  迷路が
  
  
 これも大人の指示がないとなかなか出られません
 
 順番待ちで行列の
  エアー滑り台
  
 まだ一人では登れないんじゃないかと心配しましたが、行った、行った

 このスリル、とてもとても
  1、2回ではおさまりません
  


   澄む空にソースの香りと子の喚声   弁人


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「レッツ、ゴー」~KANA君の運動会

2015-10-13 11:43:27 | KANA君と妹君
10月13日(火)

 10日の土曜日はKANA君の運動会でした。

 都会の真ん中の保育園ということで、会場は近くの小学校の体育館ですが、

 その小学校、実は
  私の母校なのでした
  
 周囲の道路は何回も行き来してきましたが、卒業してから校舎の中に入った記憶がないので、もしかしたら53年ぶりなのかもしれません。

 なつかしい校歌。実は、親子三代、祖父も父も姉も兄も
  この小学校で学んだのでした
  

 いよいよ開始。「がんばれー、きばれやー」とカメラを構えたものの、ご機嫌ななめのKANA君、足の骨がなくなって軟体動物になっちゃたのか、

 初めはずっと
  保育士さんに抱かれたままでした
  

 朝は元気に起きたとのことですが、やはりまだ身体と頭が目覚めていないのかもしれないし、会場の空気に緊張感も生まれるのでしょう。

  そういえば、明石のKAZU君も、2才と3才の時の運動会は、
   朝グズり気味でした
    
     

 前日まで「運動会や」とはりきっていても、会場の雰囲気に慣れるまでは身体と心が思うようにならないのでしょう。


 でも、競技が始まって10時を回ればもう大丈夫。

 KANA君、
  自分の席に座れました
  

 そして出番。
  見違えるような動きです
  
   
 最初にお気に入りの色の水筒を探して肩に掛け、棒を持って鬼を退治、最後は太鼓を叩いてゴールを駆け抜けました。

 次は、親子一緒の
  「玉入れ」
  
   

 子どもたちが場の雰囲気に慣れて来たころには、もう終わりが近いということで「親子競技」となりますが、ここでまた甘えん坊に戻ってしまうのか、閉会式でも朝と同じように一人で動けない子が増えてしまい、KANA君もその一人に加わりました。


   喚声に「抱っこ!」も混じる運動会   弁人


 51年前のオリンピックが目に焼きついている世代は、10月10日と言えば「体育の日」と思い、きっと運動会日和の一日になるのだろうと思っていましたが、カレンダー上ではたんなる土曜日でした。
 おかげで三連休ということなのでしょうが、「ハッピーマンデー」なる休日の置き方になかなか馴染めず、ちょっぴり寂しい世代になったと秋空を眺めています。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

このブログの今後について

2015-10-06 11:26:14 | お知らせ
10月6日(火)

 明石を引き揚げ、逗子での暮らしに戻って10日ほど、明石での主人公だった孫がオランダへ旅立ってからはひと月半ほど経ちました。

 その主人公だったKAZU君、現地の小学校で新しい友だちもできて元気に通学しているとのこと。学校は「アムステルダム日本人学校」ですが、ホームページがあって、様子が写真付きで毎日更新されます。小さい写真なので個々の特定はできませんが、時々「あっ、これKAZU君みたいだ」という時があって、楽しみに見ています。
  ( http://www.jsa.nl/index.html ) よろしかったら。

 9月11日はアルティス動物園へ遠足に行ったようです。10月3日は「学習発表会」で、一年生は「『くじらぐも』~アムステルダムの空で~」というのを演じたもようです。
 国によって休日は異なりますが、オランダの学校では秋休みというのがあるそうで、KAZU君、今週一週間お休みなんだそうです。お父さんは仕事なので、KAZU君、「お母さんと一緒に逗子の家に遊びに行きたい」と言い出したとか。もちろん無理で、どうも、お母さんと二人でパリ行きの特急に乗り込んだようです。
 日本も秋たけなわとなりましたが、向こうは北海道と同じくらいの気温とか。すでに錦秋の気配の中なのかもしれません。パリはスリが多いとか聞きますが、果たして楽しい旅行になっているのかどうか、報告が楽しみです。

    ☆・・・・・・・・・・・・・☆

 ところで、今日は、この「明石通信」のブログについてのお知らせです。

 もう明石にいないわけですから、「明石通信」とうたっても、新たな記事を載せる話題もありませんし、その必要性もないような気もしているのですが、私自身にとっても、七年間の貴重な記録になっていて、潔くさっさと閉鎖というわけにもいきません。

 まあ、ネット上に置いておけばいつでも閲覧できるので、それでいいかという気分でいたものの、アクセスいただく方もかなりいらっしゃる中で、最新の記事が同じままで時間が経って行くのは、気分的にはあまりよろしくありません。

 ということで、今回、ブログ名に加筆を入れて「チムどんどん『明石通信』&その後」という題名に変更させていただきました。

 これで、これからも気の向いた時に、孫の近況を載せたりつぶやいたりすることができそうです。
 とはいえ、このブログは基本的には「明石通信」でスタートしたブログで、今後「逗子通信」のようなものに継続して行く気はありません。
 あくまでも「・・・その後」ということですから、今までのようなペースで更新することはないと思いますが、今後とも、何かの折に思い出した時がありましたら覗いてみてください。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする