チムどんどん「明石通信」&「その後」

初孫との明石暮らしを発信してきましたが、孫の海外移住を機に七年で区切りに。現在は逗子に戻って「その後」編のブログです

「外郎売口上大会」、今年は観客で

2009-09-09 11:04:40 | 小田原ういろう
9月9日(水)

 母親の病院通いもありましたが、年に一度の「外郎売口上大会」、今年は9月5日の土曜日。せっかく逗子に戻っているのだからと、時間を確保して出かけました。

 今年の演目
    

 昨年はたしか14時開演だったとの記憶があり、よく案内を見ず、昼過ぎに小田原に到着したところ、今年は16時開演でした。

 時間があるので、いつものように「ういろう」を購入したあと、城下を散策。

 小田原城の南側、外郎本舗の裏にある「三の丸小学校」
  
   

 この校舎ができて20年くらいになるのでしょうか、最初はびっくりしました。武家屋敷か何かをでっかくしたような、いかにもお城の脇といった雰囲気で、とても学校とは思えませんでした。「都市景観賞」とか「学校建築賞」とかを受賞していると聞いたことがあります。

 数年前から復元整備されていた二の丸もきれいになりました。
  
   

 口上大会の会場の市民会館はかなり老朽化しています。ここはすぐ南の「城下町ホール」の建設予定地。いろいろな意見があり、今は広場になっています。
  

 「学橋(まなびばし)」。この橋が見えてくると、小田原に来たなという気分に。
  


    秋の空佳き日思ほゆ城下町    弁人


 そして、日頃の活動の成果満載の「外郎売口上大会」。

 できれば、今年も9月の初旬は時間をあけて参加したいという気持ちもありました。でも観客席でよかった。群読も今年は一人で発声する部分が多くなり、昨年一緒に参加した方は、皆さん、群読だけでなく他の演目でも活躍されていました。
 やはり、日頃の活動と練習の積み重ねが大切で、にわか仕込みで舞台の上に立つのは失礼でした。
 それでも、皆さんから「来れるのだったら、一緒にできたのに」と温かいことばをいただき、とてもうれしくなりました。

 実行委員会の桜井会長扮する「外郎売」
   

 会長から「打ち上げにぜひ」と誘っていただきましたが、ほんとうに楽しく参加できる日を期して会場をあとにしました。


    パンパスを片手に粋な団十郎   弁人


 ところで、4月にこんな絵本が発刊されました。
  
   

 NHKの「にほんごであそぼ」でも取り上げられた「口上」を、長野ヒデ子さんのなんともユーモラスな絵で着飾った絵本です。こういう形で「外郎売」が世に出て行くのはとてもうれしい。ぜひ本屋さんで手にとってみて下さい。

 さて、「口上」の中にはたくさんの早口ことばが並んでいますが、私はこんなことばの言い回しも好きなのです。

「此のういらうの御評判、御存知ないとは申されまいまいつぶり、角出せ棒出せぼうぼう眉に・・・」

 こういうことば遊びについては、「ことばあれこれ」と題して、後日記事にしたいと思います。

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小田原ういろう物語 その4(最終回)

2009-03-08 01:54:41 | 小田原ういろう
3月8日(日)

 このシリーズはずいぶん間があいて、前回の「その3」から3カ月ほど経ってしまいました。

 10月に、明石銀座の和菓子屋さんで「ういろ」を発見したのがきっかけで、「ういろう」の思い出を綴ってみたのですが、話が長くなってしまい、分割して載せてきたわけです。
 今回は最終のつもりで、昨年夏の「外郎売の口上大会」に参加した話で締めくくりたいと思います。

 昨年の夏、KAZUが生まれたあと、秋から明石へという話になりました。はじめは「まあ、いいか。けっこうおもしろいかも」という気楽な思いでしたが、よーく考えるとそんなに簡単なことでもないのでした。

 気分的なことで言うと、何事も先が見えないのはちょっとつらいもの。ところが、いつまでという話にはならず、とりあえずという状況。
 「須磨・明石を流離った光源氏のように、いずれ戻ってくるんだ」という思いの中で、ふと、道真のように西国に留まったままの人のためしも頭をよぎって、ちょっと複雑な思いに駆られていました。

 そんな時に、八月の末に行われる「外郎売の口上大会」の参加者募集を知り、神奈川での思い出のひとつになるかもしれない、それに「群読」ならステージの隅で大声を出していればいいという気楽な気分もあり、参加の申し込みをしたのでした。

  

 小田原市民会館での「口上大会」は第一回の時に見に行きましたし、それ以外の催しにも出向いたことがありましたので、どんな人たちがどんな活動をしているかということもだいたいは知っていました。

 キッズの演技(小田原ちょうちん祭り)
  
 
   夕立が来ても動ぜぬ気合ひかな   弁人


 若かりし時から声の大きさには自信があったのですが、いざ練習会で発声すると素人丸出しで、さすがにふだんから活動されている方にはかないませんでした。それに「群読」の途中で、一人がワンフレーズずつ「早口言葉」をリレーするところがあって不安が襲ってきました。全部暗記しているんだという自負がいくらあっても、いざ大声で口を動かすと舌が回らないのです。そんなわけで、車の中、海岸の港の突端で、布団の中でとずいぶん練習をしました。

「おちや立ちよ茶立ちよ、ちやつと立ちよ茶立ちよ」
「菊栗きくくり三きくくり、合わせて菊栗六きくくり」
「麦ごみむぎごみ三むぎごみ、合わせて麦ごみ六むぎごみ」
というところなんかに当たったらどうしようという気分でしたが、幸い、私の担当は
「摘み蓼摘み豆摘み山椒、書写山の社僧正」
というところになり、少し胸をなで下ろしました。

 ところが、担当が決まったあと、もう一つ役割がまわってきたのです。
 後半に「おっと合点だ」というところがあり、この部分だけは誰かが一人で発声することになったのです。そして声も背も大きい私が指名されました。ことば自体は簡単なのですが、「群読」の最中なので、発声のタイミングに戸惑いました。さらにイントネーションやテンポなんかを考え出すと、どんどん難しくなってくるのです。でも、子どもたちからお年寄りまで全員が一生懸命な中で、その雰囲気に引っぱられてなんとかなりました。

 キッズの子どもたちはとても気さくで、楽屋の前や舞台のそでで会うと「おっと合点の先生だね」と呼びかけられ、「よろしく」とか「がんばって」とか声をかけてくれました。ちょっとしたことなのですが、こんなやりとりがとてもうれしくて、ほんとうに参加してよかったと思いました。

  群読
 

  参加者みんなで
 


    口上の声和してくる走馬灯   弁人


 大会のあとの反省会では、異口同音に「来年もがんばりましょう。明日からまた練習ですね、よろしく」ということばが出てくるので、私も笑顔で受け答えをしていました。
 秋になってから、「どうしたのですか、定例の練習会にいらっしゃって下さい」という声もかけていただきました。そんなことがあって、明石に来る時もちょっと後ろ髪を引かれる思いがあったのです。それからもう半年になりましたが、今はこちらに来る前の大切な思い出になっているのです。
 
 ということで、私のような者を優しく受けいれていただき、期待までしてくれた方々への感謝と罪滅ぼしの意も込めて、このブログで「外郎売の口上」とその活動の一端を紹介した次第です。おもしろそうだと思われる方はいらっしゃりませぬか。1月にはディズニーランドで口上披露をしたそうです。また今月の21日(土)には、日本橋のプラザ展示ホールで披露があるそうです。よろしかったらぜひお出かけ下さい。

 (外郎売の口上大会のHPを左のブックマークに入れました)


 ところで下は、今年の1月2日、箱根駅伝観戦時の写真です。
   
 2006年から山上りの区間が長くなり、小田原中継所が「風祭」から「外郎本舗」前に移りました。

 「川崎、かな川、程がや、とつかは走って行けば、やいとを摺りむく、三里ばかりか、藤さは、ひらつか、大いそがしや、小磯の宿を七つ起きして、早天さうさう相州小田原透頂香・・・」
            (外郎売の口上より)

    正月の古道を学徒走り抜く   弁人


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小田原ういろう物語 その3

2008-12-05 14:04:35 | 小田原ういろう
12月5日(金)

 小田原のういろう本舗の薬売り場に、歌舞伎の「外郎売」の口上の科白のパンフレットが置いてあります。持参して目を通したことはありましたが、長いこと本文を読解することはありませんでした。亨保年間に二代目の団十郎が創作したという由来を読んでわかったような気になっていました。

   口上に「八方が八つ棟、表が三つ棟」とあるういろう本舗
   

 前回の記事で「ういらう」は整腸剤だと記しましたが、この薬の由来をひもとくと、実は喉の薬として広まったということになります。
 
 簡単に言うと、団十郎が風邪をこじらせ声がつぶれ、舞台に立てるかどうかの時に、この薬で全快することができ、滑らかな発声を舞台上で披露することで、薬の効用とお礼の気持ちを表そうと、新しい脚本を創作したということです。
 話の舞台を「曽我兄弟の仇討ち」の物語の一エピソードにして、弟の五郎が小田原の外郎売に扮して仇の工藤祐経に近づくという設定。その時の口上に、早口言葉や地口、駄洒落などのことば遊びを駆使して、普通の速度でも10分近くもかかるような長い科白ができあがったということです。
 やがてこの演目は「勧進帳」「暫」「助六」などとともに成田屋の歌舞伎十八番として位置付けられました。

     

 口上の科白は今でも舞台俳優やアナウンサーの発声練習の教材として役立っているのです。

 かつて私は高校の教師をしていました。
 1994年の秋、3年生の女生徒が音楽系の短大の推薦入試を受験しました。
 翌日私に「先生、『ういろうの口上』って知っていますか。昨日の面接の時にプリントを渡されて朗読しろと言われたのです。初めて見た古文なんて読めるはずがないですよ」という報告でした。
 いきなりではさすがに可哀そうだなと思いながら、ゆっくり読んであげたのですが、予想通り「チンプンカンプン」との感想でした。このことがきっかけで、私も初めて本文の内容を把握しました。

    二学期や三年生の顔のもどかしさ  弁人

 読んでいくと、なんだかよくわからない部分もありました。
 「あはやのんど、さたらな舌にかげさしおん、はまのふたつはくちびるの軽重開合爽やかに、アカサタナ、ハマヤラワ、オコソトノ、ホモヨロヲ」というくだりです。
 意味は「五十音図のア、ハ、ヤ行は喉音。サ、タ、ラ、ナ行は舌音で、カ行は牙音、サ行は舌を上の歯に接する歯音である。ハとマの行はくちびるを閉じて発音する唇音である」ということで、日本語の音韻の基本が述べられています。
 その後、授業で時々聞いてみましたが、50音を横に言えない若者が何人もいるということもわかりました。「ABCの歌」や「ドレミの歌」があるのだから、「いろは歌」にもメロディを作って、「あかさたなの歌」なんかもあればいいと思っています。

 それから数年後、これも女生徒でしたが、卒業してバスガイドになった子がいました。寮生活をはじめた彼女からの手紙にこんなことが書いてありました。
 「まだバスには乗れません。毎日研修です。先生は『ういろうの口上』を知っていますか。毎日大声で読み上げるのです。早く暗記しろと言われますが、すごく長くて無理っぽい。でも覚えないとバスに乗せないって、エンエン(涙)」
 彼女は優秀なバスガイドになり、独立してフリーになっていろいろなバス会社からひっぱりだこになったとか聞きました。今は結婚して子育てに専念だそうです。
 
 ある日、テレビの「徹子の部屋」に出演した「えなりかずき君」が「本番前は必ず一回外郎売の口上を唱える」と言い、黒柳徹子が「偉いわねぇ、こんど私にも教えて」というやりとりがあり、たまたま見ていました。

 私もそらで言えるようにするしかないと思いました。

 さて、いざ覚えようとすると、いくつかの問題点が。まず漢字の読み。アクセントとイントネーション。それに早口言葉はどれぐらいの速度で許されるのかということです。実際に耳で聞くしかないのですが、CDがない。歌舞伎の上演の予定もありませんでした。

  覚えるも声にならない舌足らず団十郎の気分なれども  弁人

 それからまたまた数年後。ある日「ういらう」を買いに行きました。店内に「第一回『外郎売の口上大会』のご案内」の掲示がありました。
 小田原市民会館へ行ったのは、4年前の10月の半ばのことです。元アナウンサーや劇団のかたが上手いのは当たり前ですが、まだ小学生になったかどうかの子どもがすらすらと言ってのけるのにはびっくりしました。その何週間かあと、小田原の商店街での口上披露にも出向きました。実行委員会の方と話を交わしたのはこの時でした。

   

 準備万端、勉強嫌いの若者の鼻を明かしてやろうという意気込みもあり、数日で覚え、「暗記なんて簡単だ。よく聞け」と言ってホームルームで聞かせました。もっとも聴き手は何も知りませんので、プリントを配ったとはいえ、多少たどたどしく間違いがあってもノープロブレムの状態でしたが。

 長くなりました。今回はここまでにします。さて次回は、今年の8月に「第5回、外郎売の口上大会」に参加した話です。
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小田原ういろう物語 その2

2008-11-06 23:53:29 | 小田原ういろう
11月6日(木)

 小田原でしか手に入らない「透頂香(トウチンコー)ういらう」という薬の由来を、ここでは、市川家歌舞伎十八番「外郎(ウイロー)売」の見せ場、曽我兄弟の弟の五郎時致が扮する外郎売の口上の中から紹介します。

 ・・・昔、陳の國の唐人、外郎といふ人、我が朝に来たり、帝へ参内の折から、この薬を深く籠め置き、用ゆる時は一粒づつ、冠の透間より取り出だす。因つてその名を帝より透頂香と給はる。即ち文字は、透き頂く香ひと書きてとうちんかうと申す。
 ・・・先ず此の薬を、斯様に一粒舌の上に載せまして、腹内へ納めますると、イヤどうも言へぬは、胃・心・肺・肝が健やかに成りて、薫風咽喉より来たり、口中微涼を生ずるが如し。魚・鳥・茸・麺類の喰ひ合はせ、其の外萬病即効有ること神の如し。

 いわゆる「仁丹」のような銀色の小粒の丸薬なのですが、今回は、私とこの薬との出会い、そして、その後のかかわりについて述べます。

 1972年、大学を出て教職に就いた年の夏のことです。職場の人に誘われ、十数人で岩手県の早池峰山に登りました。山は素人で、山頂の小屋についた時は疲労困憊、横になったまま夕飯も口にできそうもない気分でした。その時、大磯在住の先輩が「これを飲んでみて」と言って出してくれたのが「ういらう」でした。短時間で気分が良くなり、夕食後にプラネタリュウムよりもきれいな満天の星空を、一行の人たちと一緒に眺めることができました。

 その数年後、東京の母がこんな内容の話をしました。
  「ういろう」という薬を知っているか
  小田原で売っていて、新幹線で買いに行く知人がいる
  箱根の帰りに友人と行ったが、行楽客には売れないと言われた
  神奈川に住んでいるのだから、なんとかして手に入れられないか

 ということで、小田原在住の知人に問い合わせたところ、購入時の心得として、次のことを伝授されました。
  「ふだん、お飲みですか」と聞かれるので、「胃腸薬として重宝している」と答えること。
  「今日は一箱いくらのが買えますか」と聞いて、その日に手に入るいちばん量の多いのを買う。

   これがパッケージ
          
 
 初めて訪れた時は、一箱1000円と2000円のものを売っていました。その後3000円の箱も見るようになりました。1000円の箱しかない時もあり、一人一箱までなので、半日かけて小田原まで出向き、1~2週間分しか買えずに帰ってくることもありました。ある時、店のそばの路地で上着を着替えているご婦人を見かけましたが、きっと変装して再度購入するのだと感心したことがあります。

 初めは、どうしてそんなに売り惜しみをするのかと思いましたが、薬と一緒に渡されるパンフレットに、「原材料が少なく、少量しか作れず、温泉帰りの観光客が土産として興味本位で購入されると、以前から愛用している人の分が不足してしまう」という事情が書かれてありました。
 最近は生産量が多くなったのか、一度に購入できる量も最大3000円二箱までとなりましたし、一箱なら5000円のも買えるようになりました。それでも、いかにも初めてという客には、ご主人とか薬剤師が登場し、来店の目的や現在の体調などを面談した上でないと購入できないようです。

  小田原ういらう本舗(二年前の写真で失礼)
      

 私がこの薬を愛用するようになって30年余りになります。万病に効くという効能書きですが、基本的には整腸剤だと思っています。

 今から十数年前、アメリカ一人旅に出た時、ピッツバーグのホテルで下痢になりました。目的はUSオープンゴルフの観戦でしたが、なんと決勝ラウンド最終日の前日だったのです。フロントに相談しようかと思いましたが、もし病院へでも入れられたら大変と思案している時に、「ういらう」を持参していることに気がつきました。この薬にかけようと服用して横になりました。夜中まで何回かトイレに起きましたが、数回繰り返して飲んでいるうちに腹痛は治まり、翌朝には普段どおりの体調に戻っていました。
  
 それから数ヶ月後に思わぬことがきっかけで、歌舞伎の「外郎売の口上」とかかわることになるのですが、そのお話は、次回「その3」の記事にします。ということで、今回はここまでです。


   小田原の妙薬携へきのこ狩り  弁人

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小田原ういろう物語 その1

2008-10-19 23:58:34 | 小田原ういろう
10月19日(日)

 「ういろう」と言えば名古屋でしょうか、羊羹のようなお菓子を思い出しませんか。山口県の「ういろう」も有名で、かつて湯田温泉に行ったときに口にした思い出があります。

 先日、明石銀座の商店街を歩いていると、和菓子屋に写真のような品名を書いた札が目にとまりました。右のほうに「名代ういろ」がありました。

    
 「明石にもあるんだ」と近づいて行くと、店のおばさんが「手作りでおいしいですよ」と声をかけてくれました。少し平べったく、浅草の「芋ようかん」のような感じで、色は白と抹茶の緑色の二種類、今日は娘のマンションへ行く予定もないし、一人でほお張る気にもならず、そのまま帰りました。せめて写真ぐらいはと思いましたが、買わないで撮るのは失礼ですよね。

 ところで、写真を見ると「ういろ」と3文字になっています。「ういろう」も「ういろ」も同じものなのですが、以前、聞いたところによると、名古屋には二つの代表的な製造元があって、一つは「青柳ういろう」、もう一つは「大須ういろ」と言うそうです。たぶん商標の紛らわしさがこういう名称を生んだのではと思います。五年前に大学駅伝を見に伊勢に行きましたが、伊勢では「虎屋のういろ」というのがありました。明石も「ういろ」で、私の記憶の中に三つ目の3文字の「ういろ」が刻まれました。

  秋うらら「ういろ」の三文字明石に見ゆ  弁人


 実は、小田原にも「ういろう」があるのです。私は小田原の「ういろう」とはちょっとした縁があって、それで今回、なんとも言えない感慨を抱いて店先に立ったのでした。

 小田原の「ういろう」も、各地にあるものと同じ蒸し菓子ですが、包装に高級感があり、値段も高いような気がします。本当のことを言うと、口にしたことがないのです。
 なぜかというと、私が小田原で買い求めるのは、お菓子ではなく薬だからです。

 6、7年前の年末に「ういろう」の調達に小田原へ出向いたときに、店の入り口にきれいな女性とカメラマンがいて、私にマイクを向けてきました。
  
 「中京テレビのものですが、『ういろう』を買いにいらっしゃったのですか」
 「ええ」
 「『ういろう』って、名古屋では有名なんですけど、こちらの『ういろう』もおいしいですか」
 「えーと、ごめんなさい、僕はお菓子の『ういろう』じゃなくて、薬を買いに来たものですから」
 「ええっ、『ういろう』っていう薬があるのですか、お菓子じゃなくて」
 
 というような、わざとらしい会話をしてしまったことがあります。「いい旅、夢図鑑」とかいう番組らしいのですが、関東地方では放映されなかったので、私とのやりとりが採用されたのかどうかは知る由もありません。

 真偽のほどはわかりませんが、昔、中国から薬の製法を持ち込んだ外郎家(外郎というのは官職名でガイロウ、これと区別するため個人名はウイロウと読ませたとか)が菓子の製法にも通じていて、本来の薬は小田原に、お菓子のほうは各地に広まったということです。

 さて、今日はこのへんにします。次回は「薬の『ういろう』について」という内容です。


※ 個人的な好みですが、お菓子の場合、私は「ういろう」よりも羊羹のほうが好きです。やはり、虎屋の羊羹でしょう。
   
  ごめんなさい、「ういろう」も羊羹でした。羊羹には、練り羊羹と蒸し羊羹があるのです。「ういろう」とか「芋羊羹」とかは蒸し羊羹で、我々が普通に羊羹と呼んでいるのは練り羊羹なのです。そのほかに「水ようかん」というのもありますね。
 
  比べてみれば一目瞭然。練り羊羹が持っている落ち着いた光沢と、その形状の中に沈み込んで行くような澄んだ色合い、そこから生まれる上品さは、残念ながら蒸し羊羹や水ようかんにはありません。
 
  一説では、寒天と飴を使う「羊羹」より、小麦粉や米粉を使う「ういろう」のほうが質量が大きくなり、値段のわりに豪華さが伝わるというので広まったとのことですが、それではまるで「ういろう」を好んで買う人は中身より体裁を大事にするということになってしまいますので、これ以上の言及は控えます。
 
  ちなみに、羊羹の美しさについては、夏目漱石が「草枕」の中で、谷崎潤一郎が「陰影礼賛」の中で述べています。
   
   月明かり羊羹一切れ置いてみる  弁人

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