チムどんどん「明石通信」&「その後」

初孫との明石暮らしを発信してきましたが、孫の海外移住を機に七年で区切りに。現在は逗子に戻って「その後」編のブログです

緊急事態宣言下にない甲府で、史跡をぶらり

2021-09-30 18:24:03 | 旅行
9月30日(木)

 まったく皮肉なことに、政治家が「総裁選だ」「総選挙だ」とうわの空になっているのが功を奏しているかのように、コロナの新規感染者数が激減して、首都圏の「緊急事態宣言」も今日までで解除とか。
 おそらく、宣言が解除されれば、「人流」とかが再び盛んになるでしょうし、旅行に出る人も増えるはず。それに伴ってまた感染拡大して「第6派」とかがやって来るのかもしれません。

 とか考えると、不謹慎かもしれませんが、宣言が解除される前の閑散としている今が「チャンスかもしれない、ちょっと一回出かけてみようか」ということで一泊の小旅行へ。目的は、「乗ってみたい電車」と「行ってみたい温泉」ということにして。

 最初の「乗ってみたい電車」は中央本線特急の
  「E353系」
  

 新宿から松本行きの「あずさ」、甲府行きの「かいじ」の車両ですが、今は富士急行直通の特急や「はちおうじ」「おうめ」とかいう比較的近場の特急にも使われているようです。
 3年前の夏、逗子駅に総合車両製作所からの甲種輸送の新車が停まっていて、「今度乗ろう」と思い、その秋、信濃大町から入る黒部アルペンルートの旅を計画したところ、新幹線の長野からのバスのほうが便利だということで乗れませんでした。
 今回は甲府までなので「かいじ」でいいのですが、八王子からノンストップで、より人の出入りが少ないだろう「あずさ」にしました。

 「よかった」空いてます
  

 10時35分に甲府着。温泉へ向かうバスの時間は15時で散策の時間はたっぷり。

 最初に訪れたのは、駅から2キロほど東にある甲斐善光寺。
  山門です
  

 「長野の善光寺はなぜか行ったことがない」と言う妻君。私も長野は何回か行きましたが、スキーか温泉旅行で、長野電鉄や飯山線にすぐに乗り換えたりしちゃって、町を歩いたことがありません。「コロナが収束したら、湯田中か渋温泉に泊まって、善光寺参りかな」と話していた折だったので、今回、「それならば甲斐の善光寺とかも観ておこうか」とお参りに来ました。

  参道から金堂(本堂)へ
  

 金堂の天上に竜が描かれ、手を叩くと共鳴します。案内には「日本一の鳴き竜」とありました。もう一つ金堂の地下の真っ暗闇の中を歩く「お戒壇廻り」も心が改まります。

 境内を散歩。
  伽藍に似合うフヨウ
  


   芙蓉花も阿弥陀如来に頭垂れ  弁人


 善光寺から東へ歩いて、右の坂を少し上って下り坂になった所。行く手に山梨学院高校が見えて来ますが、向かいの山の上にうっすらと
  富士山が
  
 この写真では見えませんか。

 高校の脇を歩いて行くと、鳥居がありまして、
  「酒折の宮」
  

  そして、歌碑
  
 この碑に刻まれた歌、どこかで聞いたことはありませんか。文学史のテキストなんかに載っています。

 日本武尊命が東征を終えた帰路、この地の行宮で御火焼之老人(みひたきのおきな)と歌で問答したというお話。
「新治の筑波山を通ってから、もう何日経っているのだろう」
「指折り数えると、九泊十日でございます」
という問答ですが、それぞれの韻数が「(4)5・7・7」で、これを片歌形式と言います。

 片歌は問答が基本ですが、二人の気持ちがより通じ合うということで、次第に三句目の言葉を同じにして、下の句を響き合わせるかのような形になって行きます。

 やがて、片歌二首を「5・7・7/5・7・7」と一人で詠んでしまう人が出てきて、これを「旋頭歌」と言いますが、三句目と六句目が繰り返しになるので、だんだんと三句目を省略して詠むようになり、「5・7/5・7・7」という三十一音の短歌の形式が生まれたということです。

 ということは、言い伝えの中とはいえ、和歌の最も古い形式の片歌のいちばん初めの問答がこの酒折の地で詠まれたこの歌だとすると、この歌のやりとりは、和歌文学、ひいては、現代の短歌や俳句に至るまで、我が国の短詩型文学の、まさに「起源・発祥」ということになります。

 ちなみに、案内には「連歌発祥の地」とありまして・・、そこで「連歌」についてもちょこっと。

 和歌の短歌形式が片歌の問答を元にした旋頭歌から生まれたということは「5・7・(7)/5・7・7」ということになりますから、万葉集の頃は二句切れの歌が基本でした。ところが、時の流れの中で次第に三句切れの歌が詠まれるようになって行きます。

 「連歌」というのは、主流になった三句切れの和歌の、はじめの「5・7・5」を一人が詠んで、それに見合う下の句の「7・7」を別の人が詠む、いわば二人合作の歌遊びのことを言います。
 やがて二人よりは三人、いや四人・五人と人数が増えて、二人目の「7・7」に相応しい上の句「5・7・5」を三人目の人が詠み、それではと、次の人がその上の句に下の句を、さらに上の句をと、交互に繋いで詠んで行く遊びが生まれます。これを「鎖連歌」とも言いますが、いわば中世に娯楽として流行した「連歌会」なる歌遊び、そこから生まれた連歌を二条良基らが編んだ連歌集を「莬玖波(ツクバ)集」と言います。その後の宗祇らによる連歌集を「新撰莬玖波集」、さらに機知やおかしみを含んだ俳諧連歌集、山崎宗鑑の「犬筑波集」という名前も見ても、当時の人が「連歌の起源」が、ここ酒折の宮に伝わる「片歌の問答」と考えていたことが伺われるのです。

 そんな思いを駆け巡らせながら、日本武尊命を祀った1900年前に御鎮座したという
  お社に参拝
  

 実は、ずっと以前、高校野球の引率で山梨学院高校に来たことがありました。その時に、酒折宮へ行きたいなと思ったのですが、グランドはちょっと違う所にあったような気がします。もっとも、引率ですから行き帰りに寄るなんてできませんけど。

 そんな思い出も振り返りながら、酒折駅へ歩いて、中央線で
  甲府駅に戻りました
  

 お昼。甲府に来れば「ほうとう」でしょう
  駅前の「小作」です
  
 「ほうとう」のお店ですが、海老や穴子の天ぷらもおいしそうでした。でもトシを取るとそんなにお腹に入りません。「鴨のほうとう」だけで満腹です。

 さて、宿へ向かうバスまでまだ時間がありましたので、県庁の脇を歩いて、そのままお城の公園に入りました。

  鍛冶曲輪門
  

 甲府といえば武田信玄と思いますが、この甲府(舞鶴)城、武田家滅亡の後、家康の命によってできたお城とか。

 でも、そんなことはいいでしょう。天気はいいし、
  景色も良好
  


   甲斐の国 山にちょこんと秋の富士  弁人


 甲府からの富士は逆光になるので、うっすらと目に入ってきてもカメラに収めるのが難しく残念でした。
 逆光といえば、明石海峡も眺めは淡路側からのほうが抜群。六甲山からの展望も昼間は逆光で海が眩しく光っています。ということで、夜景のほうが人気があるのです。
 南向きが何でもいいとは限りませんね。

 ~次回「芦安温泉と帰途身延線」編へつづく~


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復旧ほど遠き?-「グリーンヒル住宅の散歩道」

2021-09-26 17:44:49 | 逗子風物
9月26日(日)

 熱海伊豆山の土石流。あのおぞましい映像を目にしたのは7月の3日でした。
 実はその日、逗子でもかなり大がかりな土砂崩れがありまして、場所は横横道路逗子インターの本線への取付け道路で、逗葉新道の入り口から料金所へ向かう所でした。

 あれから3ヶ月近く、今でも逗子インターは全面閉鎖が続いていて、

 インター入り口(逗葉新道)へ入る手前の県道(バス道)には
  その案内が
  

 このことは重々承知していたのに、7月の半ばに一度、車で買物に出た帰りに、ついうっかり佐原インターから横横道路に入ってしまい、横須賀インターで下りるのが悔しくて朝比奈経由の遠回りで帰宅したことがありました。

 それはさておき、上の写真は「グリーンヒル住宅地入り口」のある沼間坂上から西へ下った所ですが、もう少し先に、左上の岡へ上る階段がありまして、

  ここも「通行止め」
  

 階段を上って行くと、インター取付け道路をまたぐ歩道橋があって、その先のジグザグの坂道の上がグリーンヒル住宅地という具合で、私にとってはお馴染みの散歩道です。
 とはいっても、上るのは気合いの入っている時で、だいたいはバスで上がって下りて来るパターンなのですが。

 さて、復旧工事はどうなっているんだろうと思っても、ここは通行止め。バス道を上って岡の上の住宅地から覗くしかありません。

 住宅地のほぼ北西の角。下の県道へ下りる道の入り口ですが、
  もちろん封鎖
  

 説明板にいろいろ書いてありましたが、復旧予定については
  まだ記載がありません
  

 左上に、被害の大きさをもの語る発生後の
  上空からの写真
  

 左下が県道(一般道)で、その上の歩道橋がくっきり。斜面左の縦に走っている道らしき線は覚えがないので、復旧用の通路なのかもしれません。ということは、歩道橋から住宅地へ上る坂道はかなりの部分、全く原型を残していないひどいありさま。

 それでは今はどんな感じかと、金網の上から様子を伺うと、

 下り坂に入ったすぐ左上に公園がありますが、その先の住宅の北斜面が
  大きく崩れています
  

 歩道橋まで道を通すには、まだまだ
  時間がかかりそう
  

 「国破れて山河有り」と杜甫は詠みましたが、

   山崩れ跡形もなし秋の風  弁人


 「また見に行こうかな」と気になっていたところ、フェイスブック上に、県会議員の近藤大輔さんの現状視察の報告がありました。
 それによると、インターは近々開通するそうで、それはひと安心ですが、歩道のほうの復旧にはまだまだ時間がかかるとか、この斜面をまたぶらぶらするのは来年の夏以降になってしまうようです。
 もっとも、おそらく復旧工事では斜面をコンクリートで頑丈にするのでしょうから、横須賀線の走る姿を眺めるくらいで、道端の草花を愛でるという具合にはならないかもしれませんね。


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一気に秋めく中、散歩中に出会った「花」と、そして・・

2021-09-06 16:20:45 | 逗子風物
9月6日(月)

 8月末の残暑がうそのような涼しい秋。ここは、巣籠もりでなまった身体を少しでも取り戻そうとお散歩に。

 そこで、気になっていた所へ。我が家から駅裏の山の根方面へ行く時に渡る歩行者専用の横須賀線の踏切。
 実は、8月20日に廃止され、通行止めになってしまったのです。

  無情なフェンス
  

 逗子から横須賀方面、本線の電車はそんなに
  多くないのですが、
  

 引き込み線が何本もあって、たしかに、渡り切るまで
  けっこうな距離でした
  

 トシを取ると視野が狭くなるのでしょうか、一昨年お年寄りが電車にはねられお亡くなりになったのを機に、廃止の是非が取り沙汰されてきたのですが、なにしろ全国でも指折りの危険な踏切と認定され、地元の利用者の存続の要望も「安全優先」論にはかなわず廃止と相成りました。
 まあ、今の世の中、健常な若者でも、ながらスマホやイヤホンで周囲に無頓着なまま歩いたりする時代ですからね、仕方ないのかもしれませんが。


  秋風に流れ去りしや「通りゃんせ」 弁人


 ということで、山の根方面へ行く時は2~300m先の駅脇の踏切を渡ることになりますが、その踏切を渡ったところに小さな公園がありまして、

 こんなきれいな
  赤い花が
  

 ハイビスカスでもなさそうだし、立葵でも紅葉葵でもなさそう。やはり花図鑑を検索するしかありません。その結果「アメリカフヨウ」かなと見当を付けたのですが、いかに。

 この日は、池子自然公園へ行こうとトンネルを抜けて久木の道を歩いて行くと、造園屋さんの入り口に、これもなかなか。

  純白の「フヨウ」
  

 ところで、白い花といえば、この時期、これはもう雑草の域かもしれませんが、線路っ端や緑地の脇のフェンスとか、至るところに繁殖している花があります。池子の森にも、右に左に。

  「センニンソウ」です
  

 あまり見向きもされない雑草の花とはいえ、近くで見ると
  なかなか凛々しいんです
  

 ここで、もう一つ白い花を。
 数日前、葉桜住宅地から葉山の長柄に下りて行く階段の脇に、アヤメやアガパンサスの葉のような剣状の葉の間から、一見サルビアのような白い花がたくさん咲いていました。

  「ノシラン」とか
  

 カタカナで「ノシラン」とあると、ふと「野の紫蘭」かなと思ったりしますが、葉の形状からでしょうか「熨斗の蘭」だそうです。

 さて、昨日の散歩に戻って、池子自然公園を歩いていると、黄色の花が目に入ってきました。

  「キクイモモドキ」でしょうか
  

 その後、運動施設を眺めながら神武寺駅方面へ下りて行くと、京急の線路脇にも黄色の花が。

  「そう、これこれ」
  

 前回の記事の三ツ池公園に咲いていた花で、記事中テキトーに「オオハンゴンソウ」らしいと推測しましたが、ご指摘もいただき再検討の結果、やはり「サンビタリア」かなという判断に落ち着きました。

 とにかく花は多種多彩ですから、「これは何だろう」と思っても、即答できないところがいいんでしょうね。

 上の黄色い花にしても、「キク科」と聞けば、菊の仲間でしょうから、つい秋らしさを感じますが、キク科の花は、向日葵やダリアはもちろん、タンポポ、ヨモギ、アザミまで季節も種類も色合いも広範囲、なかなか一筋縄には行かないところがまたおもしろい。

 さて、次はどんな花に出くわしますやら。


  撮り鉄の気付かぬ花も秋の色  弁人


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