チムどんどん「明石通信」&「その後」

初孫との明石暮らしを発信してきましたが、孫の海外移住を機に七年で区切りに。現在は逗子に戻って「その後」編のブログです

北播磨の三色の「彼岸花」

2012-09-27 22:25:34 | お出かけ・散策
9月27日(木)

 お彼岸も過ぎて、さすがに朝晩はめっきり涼しくなり、ちょっと油断があったのか、数日間、喉の痛みと微熱に悩まされていました。

 気がつくと、9月ももう僅かになっています。たしか昨年、彼岸花のきれいな飛鳥を歩いたのは秋分の日の連休だったと思い出して、どこかに車を走らせてみたくなりました。

 明石近辺では、少し郊外の田園や溜め池に行っても、あまり彼岸花を見ることはありません。花の性質や言われもあって、兵庫の辺りではあまり好まれないのでしょうか。

 明石から40キロほど北に西脇市があって、その奥に多可町という長閑な山里があります。加古川の支流の杉原川が流れる静かな所ですが、その杉原川のさらに支流の思出川というロマンチックな名前の流れに沿って、彼岸花がきれいに咲いているという情報を耳にしました。

 姫路からの播但線と加古川から西脇市へ向かう加古川線の間に挟まれた交通の不便な所です。たぶん、西脇からバスがあるのでしょうが、加古川線自体、西脇へは1時間に一本ほどしか走っていません。
 西脇市の、東経135度北緯35度の地点の「日本のへそ」と言われている所には、「日本へそ公園」があって、同名の駅もあるのですが、西脇の先の加古川線は2時間に一本ぐらいしかないのです。ローカル線に乗ってみたい気もあるのですが、この地域へはどうしても車でということになってしまいます。

 ということで、昨日の26日、車で多可町へ向かいました。距離は50キロほどなのですが、高速の山陽道や中国道は東西に走っているので、それを横切って北上する一般国道のルートしかありません。途中、三木市や小野市、社(やしろ)町のある加東市、そして西脇市と、いくつもの町を通過するので、なかなか着かず、2時間近くかかってしまいました。

 西脇市街から杉原川の川沿いを北上すると、所々で、彼岸花の赤い色が目に入ってきました。田んぼの脇に車を止めてみましたが、

  まだつぼみが多いようで、満開ではありません
  

 この辺りは、明石に比べると朝夕はかなり冷え込んでいるはずなのですが、今年はまだ例年より暑さが残っているのかもしれません。秋らしい爽やかな風が吹いているとはいえ、昼間の日射しは尋常ではなく、この日も最高気温は30度を越すほど、大阪の豊中の小学校では、「熱中症で児童38人搬送」といニュースも流れました。

  杉原川沿いに木造の古い学び舎がありました
  
 中町中学という学校が隣接しているので、その学校の昔の校舎でしょうか。今は「生きがいセンター」という看板が玄関に付けられていました。

 目の前は水田になっていて、
  彼岸花が秋の陽を浴びていました
  

 杉原川を渡って、思出川の近くの農道に車を止めて、歩いて行くと、
 
  道の辻のお地蔵さんが迎えてくれました
  

  この辺りの水田の脇も彼岸花がきれいです
  

  思出川に着きました
  

 川の土手の脇に小川が流れていて、
  珍しい黄色の彼岸花も
  
   

 点々と咲きほこる彼岸花と水車の音。まさに日本の原風景、思わず「ふるさと」の歌を口ずさみたくなります。


   秋の日にふるさとの唄光りたり  弁人


 白い彼岸花は飛鳥でも見ましたが、
  黄色の花は珍しい
  
  秋の空に映えて、なんとも凛とした美しさ。実はこの花、聞くところによると「ショウキズイセン」という花で、彼岸花とは別種のものということです。

  もちろん、白い彼岸花も凛々しく咲いていて
  

  こちらではコスモスの花に囲まれています
  


   秋空を見上ぐる花の四重奏   弁人

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淡路島にもある「生しらす丼」

2012-09-23 19:44:27 | 明石風物
9月23日(日)

 「生しらす」と言えば、間違いなく「湘南の名物」だと思ってきました。逗子や葉山には「生しらす」が手に入るお店が何件もあって、以前、娘夫婦が逗子の家にやって来た時に、これぞ湘南の味覚と自慢げに振舞ったこともありましたし、江ノ島で「生しらす丼」を頰張ったこともあります。

  2008年の初夏に食べた時の写真がありました
  

 江ノ島の灯台の先の稚児が淵へ下りる階段の脇にある食堂で、たしか「魚見亭」「富士見亭」「見晴亭」という眺望の良い三軒の食堂があって、食堂のテラスから下を見下ろした写真がかなり高い位置からなので、いちばん上にある「魚見亭」だったと思います。

  その、下を見下ろした写真
  


 ところで、こちら明石では、春の風物詩として3月の「イカナゴ」が有名で、三年前、初めて「クギ煮」に挑戦した時に、湘南の「釜揚げしらす」が懐かしくなって、イカナゴの釜揚げも作ってみたりしました。ただ、湯に通す加減が難しくて、4回目になった今年も満足した出来にはなりませんでしたが。

 関西のお店でも「釜揚げしらす」は売ってはいますが、どちらかというと、やや硬めに乾かしてある「ちりめん」が多く並んでいて、どうも、こちらでは私のイメージする「しらす」は、あまり好まれないのではと思っていました。まして「しらす」を生で食するということは、まずありえないのだろうと思っていたのです。

 ところが、昨年あたりから、「淡路島の生しらす丼」という宣伝文句をよく耳にするようになりました。
「関西に、生しらす? 本当なの? 今度行ってみようかな」と気になっていたのです。

 思えば、一昨年の11月に「たこフェリー」がなくなってから、二回ほど車で橋を渡りましたが、淡路島へ行く機会が少なくなっていたのは事実です。「たこフェリー」があった頃は、島に渡って食堂やレストランで食事をしたことも何回かありました。でも、「生しらす丼」というメニューを目にした記憶がありません。あの頃は、関東からやって来たばかりで、「鯛」とか「たこ」とか「あなご」とかに気を取られて目に入らなかったのでしょうか。そんなはずはありません。もし気がつけば、「関西にもあるんだ」と思わないはずがないのですから。


 さて、今年も厳しい残暑が続いていましたが、さすがにお彼岸を前にして湿った南風が影を潜める日もやってくるようになりました。
 先日、台風が去って少し爽やかな空が広がったのを見上げて、それではとばかり、淡路島へ向かいました。

  明石の港からジェノバラインの高速船に乗って
  
   

 車が便利なのは承知の上ですが、天気の良い日はやっぱり海からの景色は捨てがたいし、所要時間はわずか20分ほど。それに、もし「生しらす」があれば、ただ食べるだけでは面白くありません。

 久しぶりに岩屋港に着きましたが、バスターミナルは実に閑散としていました。大阪、神戸、舞子と結ぶ高速バスは、もうここには寄らなくなって、島内バスも1、2時間に一本という少なさ。港の脇にある料理屋も閉まっていて、かつての面影はすっかり消えてしまっていました。

 橋の下の「道の駅」に「生しらす丼」があると調べておいたのですが、そこへ行くにもタクシーで向かうしかないようです。
 それならば急ぐこともないと、小一時間ほど港から神戸方面の海を眺めてから、この人の少なさではお店はみんな閉まっているのだろうと思いながら、ふと船着き場のビルの2階へ上がってみると、一軒だけレストランが営業していて、入口のメニューの「生しらす丼」という文字が目に入りました。それではとりあえず、今日はここにしてみようということで店内に入ると。

  いかにも港の食堂という感じで、景色も申し分なし
  

  いよいよご登場、これが「淡路の生しらす丼」
  


   秋来たり海の珍味も澄みにけり  弁人


 「淡路の」と言いましたが、どうもお店によって盛り付け方は様々のようで、この「浜ちどり」という食堂では、「生しらす」の上に、大葉と大根おろし、その上にわさびが乗って、真ん中に玉子の黄身、脇にきざみネギと海苔という具合でした。
 最初に紹介した「江の島のしらす丼」は、わさびではなく生姜醤油でしたが、淡路でも、生姜醤油やポン酢などのところもあるようで、高級なメニューではイクラや刺身などの海鮮を添えるものもあるはずです。
 ちなみに、私が逗子の家で作る時は、イクラときざんだ海苔を乗せ、生姜醤油をかけて食べます。

 ところで、江ノ島など湘南の食堂では、新鮮さを重視して、朝獲れたものを昼までにということで、夕方に出すことはありません。また不漁の日なども「釜揚げしらす丼」しかなくて、「生しらす」にありつけないことがよくあるのです。でも、そんな日でも、お寿司屋さんに「生しらす軍艦巻」があったりします。そういう所は、もしかしたら、一度冷凍にしているのかもしれませんが、そんなことはさておき、この日は、とりあえず淡路島で「生しらす」に出会えたことを喜んでおいしくいただきました。

 腹ごしらえが終了して、階段を下りると、やっぱりバスの姿はありません。再び船で戻るのが安直なのですが、それではちょっと能がないと、橋を渡って舞子へ行くバスに乗る方法を案内所で尋ねたところ、やはりバス停までタクシーで行くしかないということで、案内にしたがって、近くて便利な「淡路インター停留所」へ向かいました。

  高速道路を挟んで、サービスエリアの観覧車がよく見える所でした
  


   天高く空に吸わるる観覧車   弁人

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残暑の中の「九月の連休」

2012-09-17 16:28:22 | KAZU君
9月17日(月)

 秋分まであと数日だというのに、まだまだ暑い日が続く関西。

 仕事の忙しい大人は、やっと来た三連休を休養に当てたいと思ったりしますが、もちろん、子どもはじっとなんかしてられません。

 昨日の連休の中日。KAZU君に「今日は船にでも乗ってみようか」と、垂水にあるマリンピア神戸のアウトレットへ行ってみました。

  

 実は、アウトレットのそばの桟橋から、明石海峡を遊覧する「イルカ号」というかわいい船が出ているのです。

 でも、せっかく楽しみにしてやって来たのに、あいにく沖縄付近を北上している台風の余波を受けて欠航とのこと、船の姿すら見ることができませんでした。


   野分風じっとり暑き九月かな   弁人


 車で来ていたので、どこかへドライブでもと大人が思案していても、子どもはめざとく楽しいものを見つけます。

  遊園地ではなくても、こういうものはちゃんとあって、
  
   

  汽車ポッポも運行を始めました
  

  さっそく乗り込んで、ワクワクの小旅行
  
     

 KAZU君、次に走って行ったのは広場に鎮座する海賊船。ここにも子どもたちがたくさん集まっていて、ずっとここで遊んでいれば、今日は十分に満ち足りそうという感じになりました。

  
   
    

 階段を上ったり下りたり、大砲に触ったりするだけなのですが、子どもはいつまでも飽きません。お昼をレストランで済ませた後も小一時間ほど遊んで、なかなか帰ろうとしませんでした。


   子が占領残暑の中の海賊船   弁人

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KAZU君との日々を大切にしたい思い

2012-09-11 10:49:55 | KAZU君
9月11日(火)

 天寿を全うした母の件も、おおかたは一段落した感もあって、先週、明石に戻ってきました。

 3月から約半年の間、通院の関係もあって、ひと月に一度くらいの感じで明石に戻って、部屋の空気を入れ換えたりしながら何回かKAZU君の保育園にも行きましたが、大半の日々は明石を留守にしてきたわけですから、それはつまり、手のかからないお兄ちゃんになったKAZU君は、もう私がそばにいなくても大丈夫だということにもなります。

 二人目の孫のKANA君は東京にいて、二年間奈良で隠棲していた妻君も逗子に戻っています。そんなことを考えると、ちょうど丸四年になる明石暮らしについても、正直のところ、その区切りを含めていろいろ考え込んでしまった逗子での日々でした。

 でも、やっぱり明石海峡の空と風、それに関西の香りがなつかしい。いや、もう、そういうものがすっかり自分の身にしみ込んで捨てがたくなっているということにも気付かされました。

 「明石に戻りたい」、「いつでもKAZU君に会える所にいたい」、とりあえずはそれだけでいいじゃないかと、自分が明石にいる必要性なんぞは放り捨てて新幹線に乗りました。「今度はゆっくりするぞ」という気分で。


  部屋に戻って窓を開けると、さっそく「明石の景色やぁ」
  

 翌日、新聞を買いに駅に出る時、山を削ってできた新しい住宅地を通るルートを歩いて行くと、

  眺めの良い公園ができ上がっていました  
  
 でも、まだ暑い。下の大蔵海岸のベンチと同様、日陰のないのが難点で、海を見下ろして新聞を広げる気にはなりませんでした。


 さて、久しぶりの保育園のお迎え。でも、その前に夕飯の買物をと、明石駅の西に車を走らせ、スーパーの近くの海岸に出てみました。あまりすっきりとした天気ではありませんでしたが、少し秋めいて来ているのか、この日は見通しが良かったからです。

  明石の海も、少し西へ行くと、小豆島が見えます
  

 ということで、買物を済ませてから保育園に行くと、さっそくKAZU君のご登場。

 「おじいちゃん、これがこうで、これはこうなんやで」
  
 久しぶりなので、しゃべりたいことがたくさんあるのか、説明が大変です。

 「おじいちゃん、なんで逗子のおうち、行っとったん?」
  

 6月頃の会話を思い出します。

「おじいちゃん、なんで保育園にこんかったんや。カーくん待っとったんに、お父ちゃんばっかりやったで」
「ごめんな、カーくん。あのな、カーくんにお父ちゃんとお母さんがおるやろ。お父ちゃんとお母さんにもお父さんとお母さんがおってな、カーくんのお母さんのお父さんがおじいちゃんなんやで。熊本のおばあちゃんはお父さんのお母さんなんや」
「?、?、?・・・」
「そいでな、おじいちゃんにもお母さんがおってな、今病気なんや」
「お母さん、帰って来る? 寝とる? お薬飲んどる?」
「カーくんのお母さんやないで、おじいちゃんのお母さんや」
「?、?、?・・・」

 わからないことでも、子どもは何回か話しているうちにわかって行くはず。今回は、「おじいちゃんのお母さんが死んじゃったんや」と言ったら、首をかしげていたので、「いなくなっちゃったんや」と言い直したところ、「さがしに行かなあ、いけんな」ということばが返ってきました。


   夜の秋わからぬことがまたひとつ  孫弁人


  そして、家に帰ると、積み木で駅を作って電車遊びに夢中
  
 「大阪駅5番乗り場に特急スーパーはくとがまいります。ご注意ください。危ないですから黄色い線の内側に下がってお待ちください。まもなく、特急北近畿と連結いたします」
などと、駅の構内放送をどこでどう覚えたのか、もう一人大人がいれば、思わず吹き出してしまうに違いない可愛さで、いっぱしに口ずさんでいます。

  次は、「都電荒川線」名物「都電もなか」の箱を並べて
  
 実は、荒川区に住んでいる私の姉が、KAZU君にと「都電もなか」を持たせてくれたのですが、「おじいちゃんのお姉さんがな、・・・」と言っても、やっぱり理解できません。「お母さんの伯母さん・・・」などと言ったらよけいにわからなくなることは請け合いです。
 結局、「おじいちゃん、ありがとうな、もなか、おいしかったで」と言われて、私のお土産ということになってしまいました。
 そのもなかの箱をテーブルの上に並べて、「ここが荒川車庫やで」と説明したあと、「パソコンで都電見ような」と言い出して、YouTubeで運転席からの映像の画面を開いているのです。
 やおら包装紙の地図を広げて、三ノ輪橋から早稲田までの全部の駅を一つずつ指さして、その駅名を何べんも私に言わせます。そのうちに全部言えるようになっちゃうのかもと思うとおそろしい限りです。

 こんな具合で、多少両親の帰りが遅くても、時間はあっという間に経って行きます。
「おじいちゃんは、本当はカープの野球をテレビで見たいのに」と思いつつ、カーくんと別れて自分の部屋に帰ってくると、もう試合は終盤にさしかかっていたりします。


 そして、土曜日。前日には「曇のち雨」の予報でしたが、朝から雲間に青空ものぞいていました。
 「おじいちゃん、明日は電車乗りに行こうな」と言っていたKAZU君ですが、あいにく耳掃除がうまく行かなくて、昼前に耳鼻科に行くことになり、お昼を一緒に食べた後、海岸の公園で遊びました。

  ツルツルの急勾配で、5月頃は登れなかったのですが
  
   

  すっかり、自分の遊び道具になりました
  


   知らぬ間に壁乗り越えて秋の海   弁人

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「母の見舞いの東京通い」を懐かしんで

2012-09-04 14:15:46 | お出かけ・散策
9月4日(火)

 母が体調を崩してから旅立つまでの4カ月間、逗子から、いったい何回横須賀線に乗ったことでしょう。
 妻君は、私が明石に戻ったりするので、一時定期券を購入して東京との往復をしていましたが、私は、一~三日おきくらいだったので、回数券を利用したりしていました。
 家を出ると一日がかりになりますが、小康状態の時は15時からの面会時間を守っていたので、だいたいは、昼前に出て、13時過ぎに上野駅の老舗のお蕎麦屋さんか、14時頃に病院の近くのお寿司屋さんでお昼を食べてから母に会うというパターンでした。

 ただ、せっかく時間をかけて東京まで出るのだからと、このブログにも載せてきたとおり、浅草や向島、堀切の菖蒲園に足を運んでみたり、秋葉原から「つくばエキスプレス」にとか、日暮里から「舎人ライナー」に乗ってみたりと、寄り道や回り道を楽しんだこともしばしばで、子どもの頃行ったのかどうか記憶も曖昧な入谷の朝顔市も楽しむことができました。

 そんな中、梅雨が明けて暑くなってきた頃、妻君に「今度二人で行く時に、西新井大師に連れて行ってあげよう」と言ったことがあったのですが、母が亡くなってそのままになっていました。
 もう一つ、病院のそばのお寿司屋さん。入った時がいつもランチタイムということもあってか、リーズナブルな値段で、その上ネタも新鮮でおいしいのです。一度、刺し身でも頼んでゆっくり飲みたいと思いながら、とうとう喉を潤すという機会がありませんでした。

 先日、残暑の厳しい中で納骨を終えましたが、9月に入って雨も降るようになって、さすがに、ほんのちょっぴりですが、涼しくなったような気分の中で、ふと、北千住から先の東武電車が懐かしくなって、妻君を誘って西新井へ向かいました。お寿司屋さんでは荒川にいる姉も合流することになって、母の思い出話もできそうです。


 西新井大師へは北千住辺りからバスがありそうですが、やはり東武電車の西新井駅から一駅、いわゆる「盲腸線」の大師線に乗って行くのが明解でしょう。

  西新井駅。伊勢崎線の向こうに大師線のホームが
  
 最近、東武伊勢崎線は「スカイツリーライン」と案内されるようになっています。

  大師前駅構内から、いくつもの甍が目に入ってきます
  

  参道はそんなに長くありませんが、門前らしくお店が並んでいます
  
 例えば、柴又の帝釈天は草団子屋と川魚料理店、川崎大師は飴屋とくず餅屋が有名ですが、西新井大師はお煎餅屋と柴又同様に草団子屋が並んでいます。さっそく、醤油味の濃い手焼き煎餅を賞味して、山門をくぐると、

  立派な本堂が広い境内の真ん前にそびえています
  

  家族と二人の孫の健康を祈願して
  

 地図を広げたり、舎人ライナーから眺めたりするとそんなに広い所とは思えないのですが、けっこう緑豊かなお庭があったりして、都会の真っ只中にあることを、ふと忘れてしまいます。

  本堂の左奥に、見事な滝がありました
  

  弘法大師の像とひまわりの花
  
   


   向日葵の弘法大師と対峙せり   弁人


  戻って、山門の脇の鐘楼の前も庭になっています
  


   梵鐘を撞く人もなく百日紅   弁人


 西新井大師をあとにして、次は、再び「盲腸線」に乗って、西新井から病院のあった竹の塚へ向かいました。

  わずか一駅、もちろん単線の東武大師線
  
 「盲腸線」と言えば、山陽線の神戸兵庫駅と和田岬駅間がJRの路線として有名で、一度乗りたいと思いつつ、まだ果たしていないので、いずれ機会があったら話題にしたいと思います。

 さて、竹の塚の駅前から、暑くなければ歩いちゃうのですが、バス停で三つ目、国道4号線との交差点の角に、目的のお寿司屋さんがあります。国道を渡った所には「銚子丸」という、なかなか威勢のよい回転寿司屋もありますが、

  この日、ゆっくり味わいたかったのは「赤兵衛」というお店
  

 病院へ行く用もなくなったのに、その近くで食事会というのは、なんとも張り合いがなく、少しばかり複雑な気分になりました。


   行く夏や母も喜びし握り寿司   弁人

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