チムどんどん「明石通信」&「その後」

初孫との明石暮らしを発信してきましたが、孫の海外移住を機に七年で区切りに。現在は逗子に戻って「その後」編のブログです

蒲田の西の「本門寺」と東の「穴守稲荷」を参詣

2021-11-29 17:43:21 | お出かけ・散策
11月29日(月)

 コロナウイルス、またまた新たな変異株が生まれたそうで、そのうち「第6波」とかが襲ってくるのかもしれませんが、今のところ日本は小康状態。

 という中での昨日28日の日曜散歩。
「今なら東京方面に行ってもいいか。電車は日曜のほうがすいているかも」と思い立って、多摩川を越えてみました。

 私、東京生まれですが、台東区の下町育ち。それも大学を出てすぐに横浜へ移ったので、実は、東京の南のほう、大田区や世田谷区はあまり歩いたことがないのです。JRの蒲田駅で下車したのも、東急池上線に乗るのも初めてのような気がします。

 その東急電車で蒲田から二駅の池上駅で下車。交差点を渡り本門寺通りを歩いて7~8分でしょうか、池上本門寺は日蓮宗の大本山ですから、

 「南無妙法蓮華経」の文字
  
 橋の向こうに、歴史のありそうな「総門」と石段が見えています。

 総門をくぐると、
  いよいよ石段
  

 ちょっときつそうですが、七五三参りの子どもも上っているんですから大丈夫でしょう。
 数えながら上って行くと、16段が6回の96段くらい、まあ、だいたい100段。
 後で知りましたが、この石段、その昔、加藤清正が寄進した石段とか。「此経難持坂」と言って、妙法蓮華経(法華経)の偈文(げもん=韻文の仏の教え)の96文字にちなんで96段になっているとのことでした。

 石段を上って一息つくと、目の前に「仁王門」。
  迫力ある「阿形像」
  

 そして、日蓮聖(上)人を祀る
  「大堂(祖師堂)」
  

 「大堂」の上から
  「仁王門」を振り返る
  


   日蓮の古刹眺めて日向ぼこ  弁人


 実は、ここ「大堂」が本堂かと思って、参拝の後、五重塔のある墓地へ向かったのですが、本尊の「釈迦如来像」はさらに北、道路を隔てた先にあったようで行きそびれました。

 ということで、力道山など有名人のお墓のある墓地に入ると、

 慶長年間に建てられ、震災や空襲による消失を免れたという
  貴重な「五重塔」
  

 墓地の先にあるのが「本門寺公園」で
  ひと回り散策
  

      ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
 さて、蒲田に戻って、午後は京急蒲田駅から「穴守稲荷神社」へ。

 こちら京急沿線のほうは箱根駅伝の応援で何回も来ているし、羽田線も空港へ行く時によく乗る電車ですが、穴守稲荷の駅はいつも通り過ぎていました。
 途中に「大鳥居」という駅もあるし、昔、川崎からバスで羽田へ行った時、「空港の手前に鮮やかな朱色の鳥居があったな」という記憶があって、機会があったら、その辺を少し歩いてみたいと思っていたのです。

 京急蒲田から三駅、
  穴守稲荷駅下車
  

  穴守稲荷神社参拝
  

 本殿の右に朱の鳥居が並んでいて、その奥に、いかにも人工物といった岩山がありまして、頂上に
  お社が見えています
  

 これは行くしかありません。そこで朱の鳥居をくぐって行くと、岩山の裾に霊験あらたかな砂の置いてある「奥之宮」が鎮座し、その左のほうに、ほら穴のような暗い所がありまして、
  「狐塚」と
  

 由緒書きによれば、「『穴守』とは、堤防に生じた穴から海水が流れ込むのを、神霊の加護によって防ぐことができたことから」とありますが、やはり「穴」ですからね、こういう「ほら穴」のような所にお狐さんを祀って五穀豊穣を願ったのではないですかね。
 あれ、そうすると、いったいさっきの岩山は何なのでしょうか。摂社の類いなのでしょうか。

 上っていくと、
 「穴守稲荷上社」とあり
  
 右脇奥に、これも摂社でしょう「御獄神社」と。

 そして、振り向くと、景色は上々で、
  なかなか爽快
  

 富士山は見えませんが、午後の日射しの中、大師橋でしょうか、橋塔が白く光っていました。


   町なかも冬めく空に深呼吸  弁人


 京都の伏見稲荷を意識してなのか、「稲荷山」と称している小さな岩山を下りて、お札所で先ほどの「ほら穴」のことを聞いたりしていると、ここは「お穴さま」ということで、大穴を狙ったギャンブラーや花街の関係者のお参りも多いとのお話。前者は語呂合わせ的な気もしますが、後者はさもありなん、お稲荷さんといえば豊作祈願、性愛に関する信仰と結びつきやすいのは当然です。
 お稲荷さんでなくても、日本各地には、今でも多産や豊穣の祈願に生殖器を崇拝する風習が残っていますし、道祖神にも男性のシンボルを象ったものや、双体(男女が親愛している)の石像を目にします。
 そういえば、早稲田に「穴八幡宮」というお社がありますので、今度行ってみたくなりました。

 ということで、穴守稲荷で「穴」の話に耳を傾けた後、空港の手前までてくてくと歩くことに。

 大森の海と多摩川を結ぶ海老取川。それを渡れば羽田空港ですが、その川に架かる弁天橋のたもとに来ると、

 向こう側に
  鳥居が見えました
  

 昔の穴守稲荷の
  一の鳥居です
  

 羽田空港の辺り、遠い昔に干拓された土地で、米作りだけでなく豊かな海産物に恵まれた所だったのです。その中心にあった穴守稲荷が信仰を集めるいわば門前町。鉄道の穴守線も通じて、夏は海水浴に潮干狩り、鉱泉も湧き出て、旅館や芸者置き屋が軒を連ねる歓楽街に発展。たいそう賑やかな所だったようです。
 北側には飛行場もあって民間機が発着していたようですが、終戦後、周辺一帯全て米軍に接収され、住民も神社も移転を余儀なくされたという歴史があるのです。
 穴守稲荷、社殿は移ったものの、この大鳥居だけはかつての駐車場に残され、撤去しようとすると死者が出たりしてそのままだったのですが、空港拡張の波の中で、ようやく1999年、この場所に移設されたのです。
 今は、空港へ行く時、京急もモノレールも地下を通っているし、車もふつうは湾岸線を使うので、蒲田と空港間の路線バスに乗った時くらいしか、この赤い鳥居を目にすることがなくなってしまったのです。

 柔らかい日射しの中、着陸してくる
  飛行機をしばし眺めて、
  

 天空橋駅から京急で帰って来ました。


   小春日の多摩川に浮く機影かな  弁人


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晩秋の旅~その2~「温泉、そして善光寺」

2021-11-12 10:31:04 | 旅行
11月12日(金)

 今回の旅は「長野の善光寺」と「飯田の元善光寺」へ行くのが目的で、その間、ローカル線の飯田線の旅もできると楽しみにプランを立て始めたところ、8月の大雨で、飯田線のわずかの区間なのですが、辰野-伊那新町間が不通になっていました。そこであれこれ考えた結果、元善光寺へ行く飯田線の旅を先にして、中央本線で長野へ向かう案に落ち着いたのです。
 となると、飯田から高速バスに乗って恵那山トンネルの先のパーキングで降り、馬籠宿からのバスで中津川に出るしかないのですが、せっかく馬籠のバス停まで行くのならと、宿場で半日の時間を確保した次第。

 そんなこんな、二日目は、街道歩きも楽しんで、中津川から「特急しなの」で長野に着いたわけでした。

 ~それでは、前回の続きを~

 二日目の宿は、長野電鉄の特急で50分ほどの湯田中温泉。
 その特急、行きは純白の車体に赤い縁取りの
  「スノーモンキー号」
  

 それも、ちょっと贅沢に陣取ったのは
  4人掛け個室
  

 もう少し長く乗っていたかったけれど、仕方ありません。

 ところで、湯田中は、若い頃、志賀高原へ行くのに、電車とバスの乗り換えで何回か下りましたが、ここで温泉に入ったことがありませんでした。もう少し若い頃の一人旅ならば、猿のいる地獄谷の後楽館へ行くところなのでしょうが、いつまで出かけられるかわからない七十過ぎの夫婦旅、やっぱり無難にということで、渋温泉の金具屋さんか湯田中のよろづやさんかで迷った末、楕円形の広いお風呂がいいかなと、よろづやさんと相成りました。

 古くからある旅館で、ロビーも
  風格があります
  


   もみじ葉の浮かぶ湯船に吾一人  弁人 


 ゆっくり温泉に浸かって翌朝に。旅の三日目は最終日です。

 長野への復路は、ちょっとばかり小田急のロマンスカーに似ている特急「ゆけむり号」ですが、昨日の「しなの」と同様に、
  最前列の展望席
  

 せっかく良い席が取れたのに、この日は朝から雨。「なんでワイパーがないの?」と愚痴をこぼしても仕方ありませんね。

 ぜーんぜん見えない。目がおかしくなりそう。
  千曲川の橋梁通過
  

 まあ、天気だけはどうにもなりません。雨が降ろうが槍が降ろうが、いざ善光寺へ。

  大門から仁王門へ向かう参道
  

 阿吽の像が睨みをきかす
  「仁王門」
  

 仲見世を通って、
  立派な「山門」
  

 上の回廊に昇り、雨中360度の景色を堪能。
  これからお参りする「本堂」
  

 参拝とお戒壇めぐりを済ませて脇の出口から外へ出ると、

 三重塔(実は、日本忠霊殿という善光寺資料館ですが)へ向かう途中の紅葉が雨に煙って、
  なかなかの風情
  

  近くに行くと
  


   ファインダーに水彩のごと煙る秋  弁人


 善光寺参り、ここに無事終了。雨も小止みになって来ました。参道に戻って仁王門を出た所に宿坊が並んでいますが、

  ここの紅葉もなかなか見事
  

 信州の旅、締めはやっぱりお蕎麦とまいりましょうか。

 大門のバス停そばの、いかにも老舗らしき店構えの
  大丸さんで更級そば
  


   門前に新蕎麦の文字雨に濡れ  弁人


 さあ、帰りましょうか。長野からの新幹線「あさま」、空いていて自由席で十分でした。

 さて、最後にひと言。
 日本人は従順で実にすばらしい。アルコール液はどこにでも置いてあるし、検温も欠かせなくなっていて、それを誰もが素直に励行している中で、なお、「手の消毒を」「マスクの着用を」「会話を控えて」というアナウンスが。まあ繰り返し繰り返し、耳にタコができるくらい聞きましたから。
 これが普通になりつつあるような状態ですから、コロナが落ち着いても、まだまだしばらくの間、日本の社会は元には戻りませんね。マスクなしの旅行や宴会なんぞ、無理かもしれませんね。


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晩秋の旅~その1~「南信州」

2021-11-11 18:20:43 | 旅行
11月11日(木)

 「錦秋の候」ですからね、旅行に行って来ちゃいました。

 「秋」といっても、出かけたのは7日の日曜日で、ちょうど「立冬」の日でしたから、まあ、暦の上では「初冬」なんですけどね。
 プランは数週間前に立てたのですが、駅伝通の私がとんだ勘違い、7日が第二日曜だと思っちゃったんですね、なんと、伊勢の大学駅伝の日と重なっちゃいまして、旅のスタートからラジコのイヤホンが耳から外せなくなりました。

 ところで今回の旅。9月末に身延線に乗りましたので、今度も同じく、まだ乗ったことのなかったローカル線の飯田線に乗ろうかということに。

 まずは新幹線で豊橋へ向かい、
  ワイドビュー伊那路に乗車
  

 豊橋駅を発車すると、電車は愛知県の東端を北東に進みながら静岡県に入り、しばらく県境沿いを走り、天竜川に沿いながら三県境の辺りで長野県に入りまして、最初の下車駅は「天竜峡駅」。
 次の予定もあり、船下りのプランは入れてありませんでしたし、ちょうど、駅伝が7区から最終8区へ入って佳境に。ということで、イヤホンを耳に川沿いの遊歩道をてくてく。

  秋空の下の天竜峡
  


   高き空を岩も目指すや天竜峡  弁人


 さて、駅に戻って電車を待っていると、イヤホン越しの駅伝がゴールに。駒沢と青山学院の競り合いは駒沢が制したもよう。一方、我が国学院、5区の一年生が10位まで順位を落としたとかでしたが、6、7区で徐々に盛り返し、アンカーの伊地知君が区間賞を取って、順位を4位まで上げてゴールとか。まあ、「よしよし」というところ。

 これで旅に集中できます。天竜峡で乗った電車は飯田駅で15分近く停車した後、伊那谷をもう3駅ほど北上して、
  「元善光寺駅」に到着
  

 歩いて数分、本日の目的地の元善光寺(座光寺)にやってまいりました。
 実は以前、どこかで、信濃の善光寺だけをお参りするのは「片参り」と言って、飯田の元善光寺と両方お参りするのを本当の「善光寺参り」というのだと聞いたことがありまして、今回、まずこちらに参上したわけですが、

 石段を上って行くと、あいにく、本堂の屋根の葺き替え中で、
  建物の姿は見られませんでした
  


   み仏の座(いま)す伊那谷 暮早し  弁人


 夕方、電車で飯田駅に戻り、この日はシティホテルで一泊。

 そして翌日。
 二日目は、まず木曽山脈を潜って「馬籠宿」へ。あとは三日目の信濃の善光寺参りのため、中央本線で木曽谷を北上して行きます。

 伊那谷をすっぽり隠すほどの霧の中、
  飯田駅前のバス停に
  

 名古屋行き高速バスに乗って、長い恵那山トンネルに入ります。

  霧が晴れて秋晴れに
  

 トンネルを抜けてまもなくの「神坂パーキング」で下車。ここは岐阜県中津川市。歩いて20分ほどで馬籠宿らしいのですが、このパーキング、只今インター設置の工事中で、下りエリアからだとかなり遠回りになるとか。そこでタクシーを呼びまして、

  馬籠の宿に
  

 街道はここから妻籠方面へ向かって江戸まで延びているのですが、途中に馬籠峠があるので、ずっと上り坂で、馬籠宿の上にある見晴台の下から下りて来るのが楽ちんのようです。
 ということで、そのまま、街道の上の「陣馬」という所までタクシーで行ってもらい、

 見晴台に上がると、
  恵那山が目の前に
  


   行く秋や広重も見し恵那の山  弁人


 それでは、街道を歩きます。

 上の入り口。まず左に、美味しい地酒置いてそうな
  酒屋さん
  

  藤村記念館
  

  ずっと下り坂
  


   坂下る一歩ごとの秋 木曽街道  弁人


 しばし江戸情緒に浸り、昔の旅人の苦難を思いながら街道下のお休み処へ。
 そして、バスで中津川駅に出て、

 次は中央本線特急
  「ワイドビューしなの」
  

 せっかくの鉄道旅。先頭の展望席を取りました。

  正面に中央アルプス
  

 塩尻からは篠ノ井線で、運転手もJR東日本の女性の方に交代しました。電車は松本を通って長野へ向かいます。
 ところで、考えてみると、今まで松本へ来る時は中央本線、長野へ行く時は信越線でしたから、篠ノ井線の松本・長野間は初めて乗るような気がします。これから通る「姨捨駅」もまだ行ったことがありませんし。

 来ました。左上斜面にスイッチバックで上る「姨捨駅」。
  特急は下の線路を通過
  

 すかさず視線を右に向けると、そう、眼下に広がるは日本三大車窓の一つとされる
  長野盆地の絶景?
  

 「田毎の月」で有名な更級の棚田と千曲川を挟んだ善光寺平。その景色を眺めながら、貧しく暮らした人々の中から生まれた悲しい伝説の山・・・・。
 そんな感傷に浸る間もなく、特急電車はあっと言う間に千曲川の近くに滑り込んで行きます。
 やっぱり、各駅停車の電車で下車して、次の電車が来るまで眺めているしかないのでしょうかね。


   往にし世の哀しき伝へ月憶ふ  弁人


 ということで、特急「しなの」は長野駅に到着。この日の宿泊は湯田中温泉でしたが、その往復と善光寺参りは次回にして、この記事はここまでとします。


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