チムどんどん「明石通信」&「その後」

初孫との明石暮らしを発信してきましたが、孫の海外移住を機に七年で区切りに。現在は逗子に戻って「その後」編のブログです

KAZU君、6年半の保育園生活を終える

2015-03-30 12:20:34 | KAZU君
3月30日(月)

 先週の金曜日、新幹線の車窓から富士山を眺めながら明石に戻りました。

  三島駅からの富士
  

 通院を終えて急いで戻ったのは、翌日の土曜日に大切なイベントがあったからです。

  それは、KAZU君の卒園式
   

 保育園のある稲爪神社。朝方少しひんやりとしましたが、いいお天気になりました。

  鮮やかな色あいの
   河津桜がまだ咲いています
  

 思いおこせば、初めて当園したのは2008年の10月1日でした。

 その10日前に明石にやって来て、どんな所に保育園があるのかとお参りに来たり、お母さんと三人で打ち合わせに来たり、二度ほど下見をして当日を迎えました。

 その日のことが蘇ってきます。なにしろ、KAZU君、まだ生後三ヶ月に満たない時でしたから、いつ連絡が入るかもしれないと、ドキドキしながら夕方を待っていました。
 16時頃だったでしょうか、保育園に行ったら、にこにこっと笑顔で迎えてくれたKAZU君。うれしかった。忘れられません。

 送別の季節。明石はちょうど
  桃の花がきれいな時です
  


   紅白の花温かに巣立ちの日   弁人


 さあ、いよいよ卒園式です。中へ入ると、

 今年巣立つ19人の似顔絵。
  4歳児が描いてくれたそうです、
  

 KAZU君、
  先頭でご入場です
  

 身長もいちばん高いのですが、背の順ではありません。6年と6ヶ月という保育期間が19人の中でいちばん長かったのです。

 園長先生から
  卒園証書をいただき、
  

 ひと言、「大きくなったらアイスクリーム屋さんになりたいです」と宣言をして、

  席に戻りました
  

 河津桜の下で
  記念撮影の準備
  

 角帽にマント姿が
  凛々しく愛くるしい
  

 「ピースはなしよ。
  ハーイ、チーズ」
  


   六年の歳月まぶし弥生尽   弁人


 教室に戻って、最後に
  お母さんとお手紙の交換です
  

 ひらがなが読めるようになった卒園児たちははきはきと、でも、お返しの手紙を読むお母さんたちのほうは、声が詰まってなかなか読み通すことができません。

 この日の出来事、はたしてKAZU君の記憶の中にどんな色のどんな光景として残っていくのでしょうか。いつの日か、KAZU君が語ってくれる思い出話を聞きたいと、またひとつ生きる糧が増えた気分になりました。


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もうすぐ3才のKANA君がお泊まりに

2015-03-24 15:10:14 | KANA君と妹君
3月24日(火)

 昨日、東京と横浜の桜が開花したそうで、楽しみにしていたお花見の季節が目前です。
 逗子にいて、湘南や東京でお花見をするのも楽しみなのですが、この週末には、明石で待っているKAZU君の卒園式があって、その前に予定している通院を済ませたらすぐ逗子を立たなくてはなりません。
 明石のほうの桜の満開は、たぶん10日ごろだろうと勝手に予想しているので、ランドセルを背負ったKAZU君の後ろ姿を観察しながら、時間を見つけて、最後になるかもしれない明石の桜を満喫したいと思っています。

 昨年の四月の初めは、ちょうど逗子にいたので、東京にいる孫のKANA君と王子の飛鳥山公園でお花見ができましたが、KANA君とのお花見は今年は無理なようです。
 そんな気持ちを察してくれたわけではないでしょうが、このあいだの週末に、KANA君一家が逗子にお泊まりに来てくれました。

 ちょうどお昼前に到着したので、どこかで楽しくお昼をということで、

 鎌倉の西口の路地にある
  お好み焼き屋さんへ行きました
  


   へら持ちて弥生の古都の粉もん屋   弁人


 KANA君が珍しがって喜んでくれるかと思いましたが、いきなり「鉄板、熱いから触っちゃだめ」と言われ、その鉄板の上にジュウジュウと湯気が上ったりするので、子どもにはちょっと腰が引けてしまうセッティングでした。


 ともあれ、元気なKANA君。
  日々成長
  

 もの怖じしていた頃が
  うそのよう
  
  
  

 足どりも、
  すっかりお兄ちゃん
  


   あどけなき笑顔もきりりと春の風   弁人


 おばあちゃんとおじいちゃんのお家で楽しい時間を過ごしましたが、一晩のお泊まりなので、あっという間に時間が経ってしまい、

 今度は連休の時。
  「それまでバイバイ」
  

 ゴールデンウイークには3才になっていますが、その時に、明石のKAZU君が今年も逗子に来られるかどうか、一緒に遊べるといいのですが。


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お江戸東京の花暦-「都心のオアシス浜離宮」

2015-03-20 11:56:41 | お出かけ・散策
3月20日(金)

 逗子に帰って、つくづく南関東の暖かさを実感しています。

 17日からの三日間の横浜の最高気温。( )内は一日の平均。
  20.7(14.1)・20.9(15.0)・20.4(13.7)
 明石はどうなっているのかネットで調べると、
  12.9( 9.0)・16.4(12.8)・15.8(14.1)

 昨日19日の平均気温は明石のほうが高くなりましたが、やはり、こちらのほうが全体的に4~5度位暖かい感じで、この差によって、桜の季節も一週間から十日くらいずれることになるみたいです。

 その桜(ソメイヨシノ)は、もちろんまだ先になりますが、横須賀線の車窓から見る北鎌倉辺りのモクレンもすっかり開いて、春の到来を実感させてくれます。
 それじゃあと、横浜で下りるのをやめて東京へ向かってみました。新橋から10分ほど歩いて、都心のオアシス「浜離宮」へ。

 浜離宮の菜の花は、
  2010年以来5年ぶりです
  

 梅は終わりに近いものの、
  まだ咲いていました
  
  
 ここの梅の木は、年季が入っているというか、枝ぶりなどもなかなか風格があって、見応え十分です。

   ベテランの意気存分に花の宴   弁人


 早咲きのヒカンザクラ。
  カンヒザクラとも
  
 鮮やかな色合い。沖縄の桜はこのヒカンザクラで、2010年の2月、カープのキャンプに行った時、たくさん咲いていました。

 ソメイヨシノは
  まだつぼみですが、
  
 だいぶ膨らんでいるので、この陽気が続けば、あと数日で開きそうな気配もします。

 小さな花がまとまって咲くのが美しい
  サンシュユ
  
 明石で、買物へ行く時によく通る道沿いにサンシュユの大きな木が一本あります。「いつ咲くかな、・・・少し咲いて来たかな」と眺めた翌日に逗子に帰って来たので、「今頃はもう満開だろうか」と気になります。

 淡い黄色の可憐な花。
  ヒュウガミズキだと思います
  
 トサミズキも同じような花を咲かせるので、区別がつかなかったのですが、いつだったか淡路島の植物園に両方が咲いていて、比較して見ることができました。花の集まり具合と大きさに違いがあって、花がたくさん集まって大きいのがトサミズキ、小さな花が三輪ほどかたまって咲くのがヒュウガミズキだと理解できました。

 桜並木の下を真っ白に彩る
  咲き始めのユキヤナギ
  

 これも春の花。
  アセビ
  

 どうも、小さな花が集まって咲くものに惹かれがちになりますが、ほんとうは、この日のお目当てはモクレンでした。
 「たしか、浜離宮にモクレンの大きな木があったな」という記憶があって、「きっと咲いているだろう」と期待して、つい電車に乗って来たのです。

 その大きな
  モクレンの木
  
  

 湘南のほうが少し気温が高いのかもしれません。上の方はきれいに開いていましたが、日の当たりの少ない下のほうには、まだつぼみが残っていて、数日後くらいに見事な姿になりそうな感じでした。


   春の陽を求めて空へ背伸びかな   弁人


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明石からも弥生三月の花暦-「石ヶ谷公園の梅園」

2015-03-17 22:43:37 | 明石風物
3月17日(火)

 今日は暖かかったですね。三日前の土曜日に逗子に帰って来たのですが、横須賀線の車窓から見た木蓮のつぼみがが一気に開きました。

 今回は、逗子へ帰る前日の13日の金曜日に、ちょっと行って見たいと思って出かけた明石の梅園の紹介です。

 西明石駅の一つ先が大久保駅。その2キロほど北にあるのが石ヶ谷公園。なかなか広大な公園で、来月になれば、桜の咲きほこる憩いの場となります。KAZU君も好きな大型遊具のある子ども広場もありますが、その東に大きな梅園があります。

 子供広場の北に明石市の中央体育館があって、駐車場は、体育館の向こうにある乗馬施設のそばにあるので、梅園までは少し歩くのですが、どうも、梅園に隣接している高速道路のパーキングエリアからも出られるらしいのです。

 そこで、今回は神明道路の
  明石パーキングエリアへ
  

 公園の歴史が浅いので、
  近年に植えた木が多そう
  

 寒波が収まった前日の12日は、シルバー天文大学に出向いた後、午後からイカナゴのくぎ煮炊き、翌14日は逗子に帰るということで、気温が低めでなかなか満開にならないとはいえ、明石の梅を見ておくのはこの日しかありませんでした。

 この日は、
  やはり五分咲きほどでしたが、
  
  
 今日の陽気の中で、今ごろは満開に近くなっているかもしれません。

 可愛い声が背後から。
  遠足の園児たちです
  

 そう、この日はKAZU君も保育園最後の遠足で、お弁当を持って明石公園で楽しんでいる時間でした。


   梅の香に包まれ春知る園児かな   弁人


 二日前までの寒波も影響してか、
  なかなか開かないつぼみも
  

 でも、風がおさまっていれば、
  春爛漫です
  

 頑張って咲きました。
  いかにも春を待っていたかのよう
    

 見晴らしの良い所へ
  上って行って、
  

 振り返ると、サンシュユの咲く
  中国風の東屋が見えます
  

 逆光の中、パーキングの向こうに
  淡路島が浮かんでいました
  


    海峡の南の島も春誘ひ   弁人


  気温差2~3度とはいえ、これがかなりの差なのでしょう。翌日逗子に帰って来ると、残っている梅の花びらはもうわずか。とっくに見頃も過ぎて、花暦も次の段階へ移りつつありました。


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シルバー天文大学-三回目の卒業式

2015-03-15 18:19:41 | 明石風物
3月15日(日)

 明石市のシンボルの天文科学館。ご存知、東経135度の標準時子午線上に建っています。

 最後の「イカナゴのくぎ煮」を炊いた
  12日の木曜日の朝
  

 シルバー天文大学の今期の最終日で卒業式がありました。そのことは数日前までしっかりと頭に入っていたのですが、火・水曜日に襲来した寒波でイカナゴ漁が休漁となり、「くぎ煮炊き」の予定がずれてうっかり忘れるところでした。皆勤賞目前のところで危ない危ない、イカナゴの新子を購入しようと家を出た時に気がつき、慌てて戻って出直しました。

 明石に来てから6年半、何回この坂をのぼったことか、機会を見つけては出向いていたので、館長さんや学芸員の方とのやりとりも重なって、声をかける時もつい名前が出てしまうようになりました。

 ここ何年か、秋から半年間開かれるシルバー天文大学を受講していたこともあり、年間パスポートを持っていますが、あと何回来るのかなと思うと感慨深くなります。
 今のパスポートの有効期限は9月までで、ちょうど明石を去る頃になりそうですが、それまで出入り自由とはいえ、6月11日の「時の記念日」は無料開放なので、パスポートを使うのは、あと一・二回でしょうか、そう4月4日は皆既月食とかで、次回はその前後になるのかもしれません。

 ということで、
  最終回の講義です
  

 この日の内容は、稼働期間日本一を更新中の投影機の維持管理の苦労話で、その後、半年間の内容のおさらいをして、卒業証書の授与となりました。

 話題の中心は、今年の8月で
  55歳となる投影機
  

 ドイツのカールツァイス社製の機械で、詳しくは2012年12月16日付けの記事で紹介しました。

 ところで、投影期間の長寿記録。世界では錦織圭選手と同じくランキング5位なのですが、実はその上位の5台、この機械を含めて全てカールツァイス社製なのだそうです。
 今は、国産でもかなり優秀な機械が存在しているのですが、部品等のアフターケアーはせいぜい30年くらい、50年を超えてもなんとか維持できるのは、この機械よりも古い機種がまだ動いていて、そのメンテナンスを参考にできるということも要因なのかもしれません。
 そうはいっても、いつまでも部品があるわけではありませんから、メンテナンスに関わる職員が、いかにこの機械の構造と仕組みに精通し、自力でオーバーホールや修理ができるレベルを保っていられるかというところが大切なのでしょう。

 世の中の存在物に永遠なるものがあり得ないとすれば、さてさて、この古風?な機械、いったい、いつまで動き続けるのでしょうか。見届けたいような気もしますが、その前に私の寿命が尽きてしまう可能性のほうが高いのかもしれません。


   梅一輪果てなき夢の香りけり   弁人


 はて、この数字は?
   「1999年9月」ではありません
   

 実は、この長寿のプラネタリウム。3月12日のこの日、稼働日数が1万と9999日目だったのです。
 ということは、翌日の13日の金曜日に20000日目という記念すべき日を迎えるわけで、残念ながら予定が合わず行けなかったのですが、夕方から講演会などの記念イベントが組まれていました。

 「本当のことを言いますと、明日、2万日目の日に出勤したら、どこか故障しているかもしれないという不安があって、今晩は眠れないかもしれません」
と館長さんがおっしゃっていましたが、冗談として一笑に付せない、ある種、胸に迫る重みを含んだことばのように感じました。


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心を込めたつもりですが-「イカナゴのくぎ煮」

2015-03-13 09:55:32 | 明石風物
3月13日(金)

  今朝の海峡風景
 

 小さい写真でわかりにくいでしょうか、この時期特有の光景です。春告魚「イカナゴ」漁の小型の漁船がいっぱいで、貨物船やフェリーの船長も大変そうです。

 東北を襲った忌まわしい大震災から4年、あの日は寒い一日で、ニュースに耳を傾けながらイカナゴのくぎ煮を炊いていたのを思い出します。

 あれ以来、3月11日は毎年寒い日が続いているような気がします。それはともかく、その日のことを忘れないようにと、3月11日はくぎ煮を炊く日と決めたのですが、翌年は休漁の日曜日で一日遅れ。昨年もカープのオープン戦を見に出かけたりして、なかなかうまくいきません。

 今年も10日11日と甲子園でオープン戦があり、10日は野球、11日はくぎ煮という予定を立てていたところ、今年最後とかいう大寒波が襲来、10日の甲子園での野球観戦はさっさとあきらめて、11日の準備に取りかかりました。

 そして11日。くぎ煮炊きに寒さは関係ありません。まずはイカナゴの新子の調達に魚の棚へ出向きましたが、海は大荒れ、魚屋には「本日、時化のため休漁」の掲示がぶら下がっていました。

 翌12日はシルバー天文大学の最終日で躊躇したのですが、逗子に帰る日も迫っているので、アイスボックスを用意、天文科学館へ行く前に新子を購入しておいて、お昼過ぎから、たぶんこれが最後になるだろう「イカナゴのくぎ煮」を炊きました。

 普通は1キロで炊くのですが、鍋が小さいので
  いつも500グラムずつ
  


   海峡へ届ける気合くぎ煮の香   弁人


 実は、今年二回目なのです。例年解禁日は3月初めだったのですが、今年は2月26日と早く、様子を見に魚の棚へ行って見ると、もうけっこうな大きさになっていたのです。
 ちょうど、KAZU君の生活発表会を見に来ていた熊本のおばあちゃんが28日に帰るというので、それじゃあと、その前日の27日に炊いてみたのですが、もう何回も作っているのに、やはり一年ぶりとなると満足した出来にはなりませんでした。

 来年の春は明石にいないとしたら、なんとしてももう一回、有終の美をと思って、寒波がやって来る前の先週末の朝、まずは漁の状況を観察に行きました。

 明石の港です。
  江戸時代の灯台が残っています
  

 独特の漁法の
  二艘引き
  

 カモメが群がっています。
  きっと網を引き始めたのでしょう
  


   朝日中カモメも小躍り春の魚   弁人


 漁船が一艘
  港に帰って来ました
  

 漁港には
  猫が似合います
  

 8時半、魚の棚近くの
  水揚げ場でのセリです
  

 魚の棚へ行くと、その前の便でしょうか、キロ1300円です
  
  

 とにかく、その年その日の水揚げの状態で値が上下しますが、まあ、これほど値が大きく変動するものがあるとは。首都圏の街中で一消費者として育ってきた私には目を見張るものがあります。

 例年、解禁日がいちばん高くて、イカナゴが大きくなるとともに日ごとに下がって行くので、3月10日ごろの値段が目安になりそうですが、私が明石に来て初めての春は大不漁、なんとキロ2500円くらいでした。うって変わって、その翌年は1000円ほどで、その後3年間は600円から800円くらい、昨年も初めはそのくらいでしたが、3月半ばには500円を割っていました。
 今年は、解禁前に水産技術センターから「かなりの不漁」という発表があったので、2月中に解禁したのは意外でしたが、不漁なのは確かなようで、だいたい1500円くらいで推移しています。
 ともかく、2000円以上の時もあれば500円以下の時もあるという、産直というか港町ならではの生活体験かもしれません。

 いっぽう、こちらの値段は世間一般、どこの店も低価格ショップに負けじと踏ん張っているようで、魚の棚商店街の魚屋の近くの店にも、

  100円タッパが並び
  

 スーパー同様、くぎ煮炊きの
  必需品が並んでいます
  

 明石に来て七回目の「イカナゴ」の季節。メモを見ると昨日が12回目の「くぎ煮」作りでしたが、とうとう、「これだぁ」というオリジナルには至らずに終わりました。


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淡路の花暦~「春三月の梅の里」

2015-03-10 13:35:45 | お出かけ・散策
3月10日(火)

 週明け昨日の月曜日は終日雨に見舞われましたが、雨雲が去った後、強い冬型の気圧配置となり、今朝からぐっと冷え込んで北西の強風が吹き荒れています。日射しのある中、時折雪も散らついて、この冬型の天気が今年最後になることを願って寒さをしのいでいます。

 ところで、先週末の土曜日も雨模様の一日だったのですが、一昨日の日曜日は青空の覗く春らしい日よりとなりました。
 KAZU君は、4月からの「学童保育」の説明会へ行く両親に同行するということで、私はどこかに梅でも咲いている所はないかと車に乗り込みました。

 近所の梅もだいぶ咲いてきたのですが、南のほうへ行けば満開に近いかもしれないと、明石海峡大橋を渡って南あわじ市へ向かいました。

 洲本インターから数分の所にある
  広田梅林公園です
  

 池を囲むように
  小高い丘があって
  

 遊歩道に沿って
  梅が咲いています
  

 待ちわびていた
  春の空気
  

 つぼみも少し残っていますが、
  文句なしの咲きばえ
  


   上り坂脚も軽やか梅まつり   弁人


 この広田梅林は洲本市から南あわじ市へちょっと入った所でしたが、さらに数キロ南へ下って行くと、山裾にのどかな風景が広がっていました。

 モクレンのつぼみは
  まだ開く気配がありませんが
  

 梅を育てている農園の向こうに、
  ピンクに染まった木が見えます
  

 南あわじの花名所
  「八木のしだれ梅」です
  

 これはあざやか。
  見事な咲きっぷり
  

 民家の庭先にある木で、
  樹齢70年とか
  
  

 幹のほうへくぐると、
  まるで藤棚のようでした
  


   国産みの島の春かな枝垂れ梅   弁人


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「KAZU君の小学校生活が落ち着いたら」という思い

2015-03-04 02:54:55 | お知らせ
3月4日(水)

 昨日は「桃の節句」でした。保育園に迎えに行くと、KAZU君、
「今日はな、お雛まつり会やった。女の子が劇をやってな、男の子は見とったんや」
と、楽しそうに話してくれました。

 教室の横には
  立派な雛飾りが鎮座
  

 内裏雛の天皇(男雛)と皇后(女雛)の位置が普通の飾り方とは逆になっています。
 そう思う人がいるのを察してか、入り口に「内裏雛の位置は京都式になっています」という説明書きがありました。
 昔、右大臣より左大臣のほうが位が高かったように、正面に向いて左側(見るほうからは右側)に天皇が位置するのが正しかったのです。説明書きには「京都式」とありましたが、「古式」とも言って、関西ではこの飾り方が今でも多く残っているのです。

 それはともかく、もうすぐ卒園式を迎えるKAZU君にとっては、一つひとつの行事が保育園最後の思い出になるのでしょう。
 もちろん、まだ無邪気なKAZU君がそんな感慨に耽るはずもありませんが、KAZU君のお話を聞いている大人からすれば、その日の出来事が少しでも記憶に残るようにと、ねほりはほり質問してみたりします。

 そう、保育園前の河津桜が
  ようやく咲き始めました
  

 大人は「この桜も、保育園のころの記憶に残ってくれるだろうか」と、思ったりしますが、KAZU君は、やはり、
「写真撮れた? 車に乗るで、おじいちゃん、今日のおやつ持っとる?」
と、なんとも子どもらしいことばをかけてくるのです。


   駆ける子を見守り開く桜かな   弁人


 なんか、私ひとり勝手に感傷的になっているようですが、実は、そんな気分になってしまうのには理由があるのです。

 明石暮らしを始めたのが2008年秋ですから、ほぼ6年と半年になります。
 いつまでというプランを持たない全く無計画な中でのスタート。当初は先が見えない不安もありましたが、やはり「住めば都」、KAZU君が成長して次第に手がかからなくなって来ても、明石を引きあげる気にはならずにここまでやって来ました。

 でも、今年の4月から状況が大きく変わります。明石市は各小学校に学童保育がきちんと設置されていて、KAZU君もその手続ができています。

 4月からの夕方、学校からどういう形で帰ってくるのか、しばらく様子を見ないとと気がかりですが、大きく変わる新しい環境の中で、新しい友だち関係もでき、おじいちゃんの存在も小さくなって行くのも必然。そんなことを思って、去年の秋にランドセルを準備した頃から、そろそろ私も「孫離れ」を考えないとと思い始めていました。

 私のほうも、妻君が逗子の家を一人で守っていて、気持ちは若いとはいえ、もう立派な年金生活者なのですから、いつまでも別居状態でいるのも気にかかります。

 ところで、話はそれますが、7年間のメジャー生活に踏ん切りをつけて8年ぶりに日本に帰って来た広島カープの黒田投手。カープファンにとっては本当に感動ものです。いや、カープファンのみならず、はたからは「まさに男気、大和魂」とたいそうもてはやされていますが、彼自身はずいぶん悩み抜いた末の決断だったそうです。それにしても、なんという踏ん切りの良さでしょう。
 もちろん、その複雑な思いや状況のレベルとは比べものにはなりませんが、私もこの秋に、ちょうど異境暮らし7年になるということで、「そうか、そろそろなのかもしれない」という気分になったのも事実です。

 そんなこんな、いろいろと思いを巡らせてきて・・・・、

 いずれ話題にあげなければならないもう一つの理由もあって・・、

 とりあえず、KAZU君が小学生になった様子を見届けて、新しい生活が軌道に乗って落ち着いたら、明石暮らしに区切りをつけようということにいたしました。

 そんな気持ちになってからというもの、例えば、「こんなに寒い朝も、こんなに冷たい季節風も、もう味わうことはないだろう」とかいうふうに、明石での一日一日、一つひとつの出来事に「これが最後かな」という感慨がわいてくるようになりました。

 「もう一度梅を観ておかなくては」とか、「こっちでのお花見も今年限りだなぁ」とか思ったり、「そういえば、関西にいる間に行っておきい所もまだたくさんありそう」という思いもわきあがって来て、あと半年、少しせわしない日々になりそうな感じもします。もしかすると、ブログも「お出かけ・散策」の記事が多くなるのかもしれません。

 本当は、人間、明日はどうなるのかわからないのに、あと10年くらいは生きているだろうと呑気に構えて、「今秋には逗子に戻っているでしょう」などと言っているのですから、幸せな人生なのかもしれませんね。


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