チムどんどん「明石通信」&「その後」

初孫との明石暮らしを発信してきましたが、孫の海外移住を機に七年で区切りに。現在は逗子に戻って「その後」編のブログです

スポーツは爽やかであってほしいと願いつつ

2018-05-30 11:51:46 | スポーツ観戦等
5月30日(水)

 大学のスポーツ、陸上の関東インカレの観戦に出かけました。

 相模原の麻溝台にある
  「ギオンスタジアム」
  

 この大会、かつては国立競技場、ここ何年かは横浜の日産スタジアムで行われていましたが、オリンピックが近づいたためか、来年のラグビーワールドカップの影響もあるのか、いずれにせよ、この競技会にも新しい国立競技場建設の余波が及んでいるのでしょう、なんとも交通不便な所での開催となりました。

 まあ、相模原キャンパスを本拠地としている青山学院の選手なんかは、近くて助かっているかもしれませんが、もともと逗子から相模原方面へ行くのは少々かったるいのに、鉄道の駅からも遠くて、なかなか大変です。
 いちばん近い駅は相模線の原当麻駅。茅ヶ崎から50分もかかる上、駅から30分近く歩くとなると、タクシーに乗れるかどうかを考えても論外。あとは、横浜線の古淵駅か小田急線の相模大野駅からバスに乗る方法がありますが、20分ほどバスに揺られても終点は女子美大前で、キャンパスを抜けないと競技場には着けません。
 ということで、結局車になりますが、東名横浜近辺は車の集中する所ですから、少々渋滞にハマるのも覚悟の上ということになります。

 大会初日の木曜日は、昼前から真夏のような日射しが注ぐ暑い日でしたが、上空の大気が不安定だったのか、午後2時頃に観客席に着くと間もなく、

 雷雨で
  中断となってしまいました
  

 40分ほど遅れて競技再開。この日のお目当ては「男子1万メートル」でしたが、最初の2部のレース、陽も傾き始めた17時前に、

 雨上がりのやや湿度の高い中で、
  さあスタート
  

 母校国学院は、ひと月前に28分44秒28の学内新記録をマークした土方君に注目です。
 その土方君、桜美林大・日本薬科大・拓殖大の留学生の後塵を拝しましたが、とてもきれいなフォームで日本人選手の先頭に立ち、ラストで青学大の鈴木君・東農大の小山君にかわされたものの、ほぼ互角の6位でゴール、昨年10年ぶりに入賞を果たした浦野君に続いて2年連続の入賞となりました。

 続く1部のレースもアフリカからの留学生が先行するレースになる中、

 順天大塩尻君(写真3番手)、
  先頭に食らいつき、
  

 結果、日大のワンブイ(写真2番手)・山梨学院のニャイロ(同4番手)に続く3位でゴール。4位には東洋大の西山君が入りました。

 ところで、1万メートルを走る選手はこのレース一本に賭けるのがふつうですが、中二日空いた最終日に、ハーフマラソンと5000mがあって、そのどちらかと掛け持ちする選手もいて、1万メートルを走った三日後というきつい中で、山梨学院のニャイロ君はハーフマラソンで優勝、桜美林大のキサイサ選手と日大のワンブイ選手はそれぞれ2部1部の5000mでも優勝と、やはりアフリカからの留学生はなかなかの強者です。


 さて、その最終日。ハーフマラソンは朝一番のレースだったので観戦できませんでしたが、昼過ぎに再びギオンスタジアムへ。

 晴天の日曜日、メインスタンドは満員で
  夏の日射しの下に
  

 2部5000mのスタート。
  なんとかゴール前の席を確保
  

 三週間前に13分54秒という国学院大学新記録をマークした青木君がどんな走りをするかも楽しみでしたが、なんといっても、3年生ながら押しも押されぬ国学院大学のエースの浦野君、箱根駅伝1区で2位の走りに期待です。
 その浦野君、2月の全日本陸上選手権クロスカントリーで9位(学生4位)に入り、世界大学クロスカントリー日本代表に選ばれました。そして、4月7日にスイスで行われた世界大会で、4位に入った東洋大学の渡辺君に続いて、日本人2位の6位入賞を果たしています。その走りや如何、実に楽しみ。

 アフリカの留学生4人に囲まれつつも
  3番手に
  

 3400m。依然トップに
  食らいついていましたが、
  

 桜美林大のキサイサ選手が強くて、1万メートルに続いて二冠。三日前の1万メートルの土方君と同様、最後に東農大の小山君にかわされましたが、3位入賞を果たしました。

 2部に続いて、これも注目の1部のレースとなりましたが、順天大の塩尻君、

 この日も二冠を果たした日大のワンブイ選手に
  終盤まで食らいつき、
  
 2位でゴール。

 まあ、いつものことですが、アフリカの留学生の走りに、日本人選手が上回るのはなかなか難しい。
 そんな中で、最後まで食らいついて行く順天大の塩尻君は一流ランナーの片鱗を窺わせます。そして、今回、ラスト一周まで先頭にぴったり付いて行った国学院の浦野君も、まだまだ伸び代がありそうで期待が膨らみます。その浦野君を、また1万メートルでは土方君を最後の直線でかわした東農大の小山君もラストに強い侮れない選手だと感心しました。
 でも、大学の長距離といえば、ほんとうは、青学大や東洋大や東海大にいい選手が目白押しのはずなのです。ただ、今回はハーフマラソンを見なかったからでしょうか、あまり印象に残りませんでした。

 国学院は、浦野君と土方君に青木君を加えた3年生トリオに続く選手のタイムが今一つで、今シーズンはどうかなという不安が拭えませんが、もしかしたら、今年は、どこのチームも、頭一つ抜きんでた選手が何人も揃っていないのかもしれないという感じがしないでもありません。
 そんな淡い期待を抱きつつ、来月の日本インカレと全日本駅伝の関東予選を楽しみにしたいと思います。

 それにしても、長距離ではワンブイ選手だけが目立っていましたが、日大の選手層はほんとうに厚いんですね。圧倒的な得点で関東インカレ7連覇。ここ何年かのポイント数で、なんと10月の予選会を経ずに、箱根駅伝二年ぶりの出場を決めてしまいました。
 内心、今回露呈した大学の上層部のていたらくで逆風かと思いきや、選手たちはさすがで、けんめいに頑張っているのです。そんな姿を目の当たりにすると、虚栄心の虜となっている大人たちの醜さばかりが浮き彫りになって、情けないというより憤りがこみ上げてきてしまいます。


 「大人とは、子どもの夕暮れではないのか」-加藤八千代

 これから大人になって行く若きスポーツマンたちが、今後年を経ても、若き頃の爽やかさを忘れず、決してだらしなく黄昏て行くことのないように願って、この稿を閉じます。


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また一つ、明石の思い出が消えて行きました

2018-05-25 09:10:53 | 身辺雑記
5月25日(金)

 明石を引き揚げて逗子に戻ってきてから2年と8ヶ月。その後、家の建て替えで数ヶ月の明石暮らしもありましたが、再び新居に戻って2年近くになります。
 その間、車はずっと「神戸」ナンバーだったのですが、もう車を運転して関西方面へ行くこともないだろうし、いつまでも明石での車庫証明のまま、「神戸」ナンバーの車で神奈川の道を走っているのもなにかなと、この度、ナンバープレートを「横浜」に変更しました。

 さようなら、思い出の「神戸と・135」の
  ナンバープレート
  

 東経135度の標準時子午線の通る明石の地に因んで、「135」のナンバーにしたのでしたが、希望どおりになるのは4桁の数字だけで、ひらがなのところは選べないことになっています。
 ところがどっこい、なんとも幸運なことに、ひらがな記号が「東経」の「と」のナンバーになったのです。
 天文科学館の学芸員の方も「135」のナンバーを付けていましたが、私の車は「と」でしたから、内心「してやったり」の気分でいたのです。

 そんなわけで、ほんとうは未練たらたらだったのですが、一抹の寂しさを断ち切って、昨日、横浜の陸運局事務所で「横浜」ナンバーに付け替えて来ました。

 今は、希望すれば、「東京五輪」と「ラグビーワールドカップ」の特別なプレートにできるということでしたが、そこまでおしゃれにすることもないと、今回はシンプルな普通のプレートです。
 
 ところで、一昨日の新聞には、全国の何ヶ所かで、カラフルなご当地ナンバーが登場するという記事が載っていましたが、その中に神奈川や兵庫のプレートはありませんでした。
 横浜ならベイブリッジとか、湘南なら江ノ島とか、明石なら明石海峡大橋や天文科学館とか、どうせなら全国各地どこにもご当地ナンバーがあってもいいのにという感じがしないでもありません。

 それはさておき、車のナンバープレートの仕組みがわかっていないのでなんとも言えませんが、昨日、「神戸」「と」の「135」のナンバーが一つ廃棄されたということは事実です。
 もし、明石の方でこのブログを見た人が「それじゃぁ」と、「135」のナンバーを現地の陸運局で希望したとして、はたして「と」のナンバーが手に入るのかどうか、やっぱり私にはわかりません。


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「噫乎、サイテー!」-言語道断の「日大アメフト事件」

2018-05-23 06:02:28 | つぶやき
5月23日(水)

 アマチュアスポーツを愛する者にとっては、まさに悪夢の出来事。もう見たくないと思っても、たびたび流されるおぞましい影像。ただただ眼を背けるしかありません。

 あれはタックルではありません。無防備な人間に対する背後からの不意打ちの暴力行為で、誰かからの指示があったかどうか、その有無に関わらず、まさに犯罪行為です。

 その行為を犯した選手が、昨日、素顔と実名を露わにしながら、衝撃的な謝罪会見をしました。

 会見の態度からは、傷ましいほどの後悔の念と反省のほどがうかがわれ、その背後には、監督やコーチからの恫喝的な指示ないし命令があったことも伝わってきました。
 しかし、厳しいようですが、二十歳を越えた大学三年生、過ちを犯した事実が消え去るわけではありません。ここは彼の自覚どおり、きちんと大人としての責任を果たしていただくしかありません。
 現実には、仮に未成年者でもですよ、リーダーからの命令に従っただけだったとしてもですよ、暴力による傷害罪に問われれば、きちんと処分されるのですから。

 とはいえ、背後に見え隠れする大人たちが表舞台に出て来ない中、二十歳そこそこの学生選手が自らの過ちを衆目の前で世間にさらけ出し、それが今の彼にとって最善のことだったかもしれないと思いつつも、その勇気と決断には、たしかに胸を打つものがありました。
 しかし、その一方で、過ちを犯した二十歳の若者が単独で謝罪会見の場に出ざるを得ない状況に置いてしまった指導者や大学関係者のていたらくには、あきれ果ててことばを失ってしまいます。

 そして、加害選手の昨日の発言が事実だとすると、今回の事件でもっとも最悪最低なのは、指示・命令を発したと思われる大人が、大学という教育を司る場の、そしてアマチュアスポーツというフェアなプレーを身上とする場の指導者だったということです。
 そのような世界で平然と行われる指導者によるパワハラ。こんな質(タチ)の悪い犯罪行為は、スポーツを愛する我々や、東京五輪を楽しみにしている国民を愚弄しているとしか言いようがありません。まさに、指導者として失格、いや人間失格。即刻この世界から追放され、しかるべき場所でしかるべき償いをしてもらうしかないでしょう。

 世の中、直接手を下した者だけが悪いのではありません。戦争犯罪もしかり。あのオウムの松本死刑囚だって、実は、指示・命令を発しただけで、自らの手で人を殺めてはいないのですから。

 ところが、その健全なるスポーツを冒涜した指導者の言たるや、「監督は辞職するが大学の理事職は別問題」との発言。
 もし仮に、監督やコーチの発言と選手の受け取り方に乖離があったとしても、はたまた、そそのかしや指示や命令が認定されなかったとしても、おのれの指導(支配)下にある選手が、おのれの指導力不足から犯罪行為に及んでしまったのは事実ですから、理事とはいえ教育の世界に身を置き続けるのは厚顔無恥としか言いようがありません。やはり、指導者として失格、いや教育関係者として失格です。

 とまあ、スポーツ好きの私としては、今回の不祥事がどうしても許しがたく、つい長々とつぶやいてしまいましたが、このブログを振り返ってみると、スポーツの話題といえば、ほとんどが、プロ野球のカープ、高校野球、大学駅伝の話題で、他のスポーツはあまり載せていなかったかもしれません。

 でも、もちろんそれだけではないのです。実は、他の大学スポーツも興味津々でして、

 これは先週半ばの
  神宮球場
  

 国立競技場の建設も
  着々と進んでいました
  

 観戦しているのは東都大学の春季リーグ戦です。この春は3回足を運んでいます。
 どうも勝ち点「3」の東洋大学が優勝しそうな感じですが、先週末段階で、勝ち点「2」の大学が4校並んでいて、まだ5校に優勝のチャンスがあるという大混戦で目が離せないのです。

 最近、六大学野球には足を運んでいませんが、小中学生の頃はよく神宮球場へ行きました。今でも東大を除く5大学の校歌は口ずさむことができますし、特に早慶戦はよく観に行ったので、「紺碧の空」「若き血に燃ゆる者」はもちろん、応援歌まで歌えるようになっています。

 そして、大学スポーツといえば、明日24日からは関東インカレの陸上が始まります。5000mと10000mのレースは観ておかなければと、今、その予定を立てているところなのです。

 陸上といえば、早稲田はもちろんですが、中央大や日大となると伝統のある名門校ですから、観客席や沿道のOBの数も半端ではありません。皆母校を愛し、昔話に花を咲かせながら応援しています。
 大学駅伝では、伝統校に限らず、母校を応援する人はもちろんですが、ファンの中には、私のように、出身校が初出場するずっと以前から、毎年ラジオに耳を傾け、翌日のスポーツ新聞を楽しみにしていたという人も多いのです。
 そういえば、今や、山梨学院を初めとする新興の大学がケニアからの留学生を擁して台頭していますが、かつて、日大や中央大のOBの方々が「外国人の力で勝つのは邪道だ、伝統校はそんなことはしない」と息巻いていました。ところがその後、日大がケニアからの留学生を受け入れるようになって、「伝統校のOBの方々の反応や如何に」と思っていたところ、お年寄りのOBの方々が留学生を懸命に応援している姿を見てちょっと笑ってしまったことがあります。

 とにもかくにも、日大の関係者には、「今回の事件でどれほどの人を失望させてしまったのか、よく心せよ」としか言いようがありません。

 そして、アメフトはといえば、

 ブログに載せたことはありませんでしたが、実は、何回かフィールドで観戦しているのでした。

 1994年、45才の時、アメリカのピッツバーグに一週間ほど一人で滞在していたことがありました。目的はUSオープンゴルフの観戦でしたが、現地は、米メジャーのNFL「ピッツバーグ・スティーラーズ」の本拠地ということで、関連グッズやTシャツなんかも買ってきました。そんなこともあって、その後、BS放送でスティーラーズの試合をずいぶん応援しながら観ていました。
 とまあ、アメフトはもっぱらNFLのスティーラーズということで、日本国内の試合にはあまり興味がなかったのですが、アメリカ旅行から10年くらい経った頃でしょうか、日本の大学リーグ戦の様子が気になり始めることになりました。

 話は前後しますが、Xリーグと称する社会人のアメフトに、「オービックシーガルズ」というチームがあります。ここ二~三年、なりをひそめていますが、ついこの間まで強かったんです。日本一を決めるライスボウルを7回制覇、2010年から13年は4連覇しています。
 そのオービックが4連覇した時の、QB(クォーターバック)「菅原俊選手」という名前、皆さんはご存知ありませんか。2011年から3年連続でライスボウルのMVPに輝いた日本アメフト界を代表する名クォーターバックの選手なのですが、

 実は、彼、私のかつての同僚、かつ、今も親友のご子息でして、子どもの頃からその成長ぶりを耳にしいたのです。

 ということもあって、正月三日の東京ドームでのライスボウルには、駅伝応援で大手町まで行った後に、二回ほど観戦しました。

 その菅原選手は法政大学出身ですが、大学時代もクォーターバックとして1年時から大活躍。3年連続で甲子園ボウルに進出し、2・3年時に二年連続大学日本一、連覇の時の相手はたしか関西学院大だったと思います。
 当時、私はまだ明石へ行く前だったので、師走の慌ただしい時期に甲子園まで出向くことはありませんでしたが、彼が大学4年生の最後のシーズンの2007年の12月、東日本の代表を決める決勝戦を調布のアミノバイタルスタジアムで観戦しました。
 その試合は僅差で敗れ、惜しくも4年連続の甲子園ボウル進出は成らなかったのですが、その時の相手は赤いジャージの日大でした。

 話は戻ります。
 昨日の日大選手の謝罪会見で、監督の指示を伝え、反則行為について念を押したとか伝えられている井上コーチとかいう人。彼は謝罪会見した選手の出身校である日大附属豊山高校のアメフト部の監督だそうで、現在、大学のコーチを兼任しているとかいうことです。
 ということは、おそらく日大の出身者なのでしょう。とすると、オービックシーガルズの菅原選手の2年下ですから、あの時アミノバイタルスタジアムのフィールドで赤いジャージを身にまとっていたのかもしれません。

 そんな、10年以上前のアメフトのフィールドと初冬の空を思い出しながら、今回の悪夢の清算を一日でも早く片づけていただいて、爽やかな気分でスポーツ観戦ができる日が来ることを願うばかりです。


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連休の後半、孫たちが逗子に集いて

2018-05-06 14:49:27 | KAZU君&KANA君と妹君
5月6日(日)

 連休の後半に入る前に日本列島を低気圧が通過した影響か、風も強かったこともあって、少し季節が戻った感じで涼しく感じました。

 そんな中、雨上がりの3日に、まずKANA君とCHUMUちゃんが逗子に遊びに来ました。

 「KAZU君も来るんだよね、
  楽しみだなぁ」
  

 もう人見知りをしなくなった
  CHUMUちゃん
  

 おいしい時は一生懸命なので、
  こんなお顔になります
  

 翌日の朝早くKAZU君もやって来て、

 「さあ、みんなで
  お出かけだぁ」
  
  

 行き先は近場の「くりはま花のくに」ですが、さすがに混み合っていて、

 パークトレインに乗るにも
  長い行列
  

 鯉のぼりを眺めながら
  遊び場を目指します
  

 冒険ランド。二人のお兄ちゃんは
  視界から消えたまま
  


   孫たちも五月の空に鳥となり   弁人


 CHUMUちゃんも
  お滑り台で遊んで
  

 お昼は、風が強くてちょっと大変でしたが、房総半島を眺めながらの
  バーベキュー
  

 目一杯遊んで、たくさん歩いて、夕方久里浜駅へ着くと、ちょっと小腹が空いたということで、

 駅ビルのレストランで
  おやつタイムとなりました
  
  

 横須賀線で逗子駅に戻り、KANA君とCHUMUちゃんはグリーン車に乗って東京へ帰って行きました。

 「バイバーイ!
  また遊ぼうね」
  

 連休最終の日曜日にテニススクールがあるKAZU君、この日は逗子に泊まって昨日の5日に大宮へ。
 きっと、今頃汗にまみれてボールを追いかけていると思います。


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世の中、「一喜一憂」し過ぎかもしれません

2018-05-01 15:46:47 | つぶやき
5月1日(火)

 これだけ一気に春がやって来て、これだけ一気に初夏の陽気になってしまうと、ふと「何かがおかしいんじゃないか」と心配になってきたりします。

 こちら三浦半島では、毎年、連休の後半ごろになると、ミズキの葉の上に白い花が咲き始め、「いよいよ若葉の季節の到来」と、初夏の訪れを実感させてくれる風情なのですが、

 この花も、今年は連休前に
  咲き始めていました
  
  


   香も白し池子の森に咲く水木   弁人


 三月中に散ってしまった桜、それを追うように咲き始めたハナミズキ、そして、連休前に満開になった藤、たしかに、今年は花の移り変わりもせっかちに見えますが、まあ考えてみれば、例年より一週間から十日ほど早いということになっていて、もしかしたら、それくらいのことで一喜一憂していたら、激動の?二十一世紀は生きていけないのかもしれません。

 ついこのあいだまで高値が続いていた野菜が、暖かさのおかげですっかり安くなっていますが、もしかすると、今度は出荷超過のあおりとかで、また値が急上昇ということになったりするかもしれません。その度に一喜一憂させられている庶民の姿がテレビに映ったりすると、少々馬鹿馬鹿しくなってきたりします。

 まあ、「なるようにしかならない」と言えばそれまでですが、

 思えば、昨年の今頃、日本国中に米朝戦争がいつ勃発してもおかしくないという情報があふれ、実際、早朝にJアラートが鳴ったり、各地でミサイルからの避難訓練が行われたり、結局、単に煽られただけなのか、はたまた国家の危機管理が行き届き過ぎていただけなのか、それはともかく、大人から子どもまである種の不安の中に置かれていたのはたしかです。

 ところが、先日の南北首脳会談。なんとも友好的な満面の笑顔、握手と抱擁。たしかに微笑ましい影像でした。でも、それが表面的なものなのか実効を伴うものなのかは、これから検証されるというのに、まるでメディアまでが国民を煽っているかのような感じで、「今年のノーベル平和賞はほぼ決まり」と言わんばかりのはしゃぎよう。

 まさに、過剰な「一喜一憂」。

 思わず「ふざけんない、あんだけ言いたい放題吠えて危機状態を作っておいて、やっぱり仲良くするからって言っただけなのに、何が平和賞だ」と、こっちだって吠えたくなりますが、よーく考えてみると、

 どんなデタラメな言動を発しようが、一国を率いる人間たる者、自国を破滅に陥れる行動に出るわけはなく、今の地球上で「こういう兵器を使えばこうなる」ということぐらいの自覚はあるはずなのです。
 ということは、状況に応じて南北の首脳や米朝の首脳が握手をすることだって、当然あり得ることだと思えば、はたして「一喜」に値するほどのことなのかどうかは言うまでもありません。

 今、日本では、アメリカへ向けた北朝鮮のICBMが廃棄されても、短距離のミサイルがある限り我が国への脅威は残ったままという不安を表明する向きもありますが、これも「一憂」になってしまうのでしょうか。もし、北朝鮮が実際にミサイル攻撃を日本に仕掛けたとしたら、それこそ破滅の道へまっしぐらというのも自明です。
 一方で、北朝鮮は日本からの経済援助を喉から手が出るほど必要としているのですから、今までの方針どおりに交渉の窓口を閉ざしている限り、変な「一憂」を払拭できないどころか、拉致問題の解決も、とてもとても望むべくもありません。

 ということで、「一喜一憂」はカープのゲームを観る時だけぐらいにしておくこととして、

 気がつけば五月でした。世の中はすでに初夏の様相を呈していますが、あと四日後のこどもの日が「立夏」ですから、文字通り新緑の季節、ここもひとつ「早く暑くなり過ぎ」などと一喜一憂せずに、初夏の彩りを味わうことにしましょうか。

 連休の後半に、孫たちと「くりはま花のくに」で遊ぶことになっているので、その下見に行きました。

 新緑の下、「鯉のぼり」と
 「ポピィ」と「ネモフィラ」
  
   
   


   春逝くも花野の薫りひとり占め   弁人

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