チムどんどん「明石通信」&「その後」

初孫との明石暮らしを発信してきましたが、孫の海外移住を機に七年で区切りに。現在は逗子に戻って「その後」編のブログです

ご近所の桜の咲き具合、結局は昨年とほぼ同じに

2020-03-31 10:05:48 | 逗子風物
3月31日(火)

 昨日に続いて今日も肌寒い曇り空ですが、一昨日の「外出自粛要請」の出ていた日曜日は寒かったですね。逗子でもみぞれが降りましたから。

 あーあ、お花見楽しみにしてたのに。

 外国人旅行者が来なくなって、観光地は閑古鳥が鳴いているということなので、妻君とひそかに「お花見旅行」を楽しみにしていましたが、基礎疾患所有者ということもあって、今の状況下では、さすがに長距離の電車や新幹線に乗る勇気はありません。

 となると、たまに玄関を出て、近所の桜の様子を伺いに出るのがやっとというところ。

 さてさて、今年は記録的な暖冬とかで、靖国神社の標本木の開花宣言がなんと3月13日でした。でも、逗子や鎌倉の桜はなかなかしぶとく礼儀正しい。その後一週間経ってもつぼみのままでした。

 とはいえ気になります。なにしろ東京じゃ満開だと言うのですから。
 そこで、疎開していたKAZU君がいったん大宮に帰ったのを機に、途絶えていたウオーキングにと、もう一週間ほど前になりますが、24日の火曜日に桜山中央公園(イトーピア住宅)へ向かう坂道を上ってみました。

 まだ二分咲きくらい
 

 坂の上から、桜並木とその向こうにそびえる富士山を眺めましたが、
 

 桜並木は全体的に「咲き始め」の段階です。

 東京の桜の様子をテレビで見ていると、なんとなくもどかしい感じもしますが、まだ春休み前、逆にホッとしたりもします。
 家に帰ってアルバムを開くと、去年の同じ日の3月24日に近くの田越川沿いで撮った写真がありました。

 やはり、咲き始めたところでした
   


 翌25日は車で大船へ出かけましたが、途中の鎌倉でもやっと咲き始めの感じ。段葛の桜は木が若いこともあって、まだつぼみのままでした。
 26日に歩いた逗子の運動公園も三分咲きで、湘南は温暖の地といっても、逗子・鎌倉の桜は偉い。三月中に満開になって散り始めてしまうなんていう無粋なことはしないのです。

 その後、27日から三日間は家から一歩も出ませんでしたが、30日になった昨日、田越川の桜はどうかなと外に出てみると、

 五分咲きくらいでしょうか
 
  

 弥生三月も、この日を入れてあと二日。満開はやはり四月に入ってからのようです。

 パソコンに、去年の今日、3月31日のフォトもありました。場所は東京ですが、都電「荒川遊園地前」停留所の前の桜です。

 満開一歩手前という感じ
   

 東京のほうが一週間ほど早いとすれば、我が家のご近所の桜、結局、昨年とほぼ同じになっています。


   川べりに人影まばら春寒し  弁人


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

気が抜けませんでした-「三週間のKAZU君の疎開」

2020-03-25 16:35:21 | KAZU君
3月25日(水)

 今回のコロナウイルスの特質を考えると、長期休校になった子どもを祖父母が面倒を見に行ったり、家に預かったりするというのは感心できないということは重々承知の上でしたが、休校宣言があまりにも唐突でしたから、いったい孫たちはどうするのだろうと心配になって、子ども夫婦に「大丈夫かな、困ったら遠慮しないで」と連絡をしました。

 息子の所の二人の孫はまだ幼少の上、学童と保育園は閉所・閉園にならないので夫婦でがんばるとのこと。
 一方、大宮のKAZU君はお父さんが海外赴任中ということで、いわば母子家庭。やはり、母親の仕事が全て即座にテレワークにとは行かないようで、かなり戸惑っている様子でした。
 考えてみれば、KAZU君ももう5年生。今の世の中の状況もちゃんと自覚できているので一人でも大丈夫なのかもしれません。とはいえ、英語教室もインドアテニススクールもなくなり、長期間、家の中で自分を律していられるかといえば、さすがに無理な話です。KAZU君自身も「友だちとわいわい遊べる状況じゃないし、家の中で一人でいるより、逗子の家に行ったほうがいいかも」と思っているようなので、「おいで、おいで」と声をかけ、我が家に疎開することになりました。

 ということで、学校が休校に入った3月2日の月曜日に、仕事の休みを取ったお母さんと車で逗子にやって来ました。

 KAZU君、すっかりお兄ちゃんになりました。何も問題はありません。

 朝の検温。食前の手洗い。食後の歯磨き。勉強は午前中にと、毎日決められた分を済ませ、自由時間はPCでゲームを楽しんだり鉄道時刻表で列車旅の空想をしたり、大人がいなくてもちゃんと時間が経って行きます。午後は運動の時間とばかり公園に行ったりしましたが、長居はせずに帰宅。家の中でミニ卓球に興じたりしていました。
 息抜きにと、車での買い物に誘い出しても、基本的には車から下りようとはせず、車の中で時間潰しに読む本を持参。それが午前中だったりしても「おじいちゃん、外食はダメだからね、お昼には帰らないとね」と念を押してくるほどのしっかりとした心得。全く手がかかりませんでした。

 でもですよ、ということは、それだけ気が張っていたということなのです。

 実は、敵は「ウイルス」だけではないのです。
 もちろん、ウイルスに感染なんかしたら大変ですが、そうでなくても、現状では、普通に風邪を引いて発熱でもしようものなら、どういうことになるのか、想像したくもありません。病院へ行こうにも、ちょっとした騒ぎになりそうです。
 そんなことはKAZU君にもわかっていて、三人暮らしの中に、誰かが体調を崩したら大変だという雰囲気が漂っていました。
 加えてもう一つの難敵が花粉症。KAZU君もやや花粉症気味なのか、かゆみで目が少々赤くなっていましたが、だいたいにおいて、花粉症の人間は鼻づまりから喉を痛め、微熱を生じることもままあるのですから油断できないのです。

 こんな状態の中ですから、知らないうちに気疲れというかストレスがたまってしまうのも仕方ないのかもしれません。

 6日目の土曜日に、大宮からお母さんが様子を見に来ましたが、月曜の早朝に逗子から会社へ行ってしまうと、また、元の変に張りつめた雰囲気に戻ってしまいました。

 「やっぱり外に出て、美味しい空気をいっぱい味わおう」と、三人で車に乗ったのはKAZU君が来てから10日目の晴れた日でした。

 平成町のうみかぜ公園
 
  

 観音崎にも行きました
 
  

 KAZU君、楽しかったようで、「また海に行きたいな」と言うので、それじゃあと、平日の晴れた日は、風通しが良くて人の少ない海岸へ出かけるようにしました。

 長井漁港と富浦公園
 
  

 次は、もう一度、観音崎
 
 
 同、多々良浜
 

 荒崎海岸に行った日も
 
  
   

 そして、三連休に。
 KAZU君の疎開生活も三週間近くになりましたが、週明けから三日間に分けて学年別の修了式があるということで、お母さんが迎えにやって来ました。

 ところで、この三連休、急に人が外に出たようで、道路情報には渋滞表示がいっぱい。テレビでは、鎌倉の小町通りもけっこうな賑わいとか。
 そんな中、KAZU君から「4人でどこか出かけたい」という要望が。でも道が混んでいて海岸方面は難しそうと、

 金沢自然公園へ行ってみました
 

 渋滞の道を避けられるし、動物園も休園中なのですいているかなと来てみましたが、案の定、人もまばらでした。

 三浦半島付け根の空気の中、
  フリスビーで遊んで、
  
   

 翌22日の日曜日、大宮へ帰って行きまして、ひとまずKAZU君、逗子の我が家での三週間を何事もなく終えました。

 しかし、まだ帰ってから三日しか経っていません。なにしろコロナウイルスの潜伏期間は二週間くらいということなので、安心してはいけないのですが、なにはともあれ、誰も発熱することなく通常の暮らしに戻って、ほっとした気分に浸っているのも事実です。

 とはいっても、今は束の間の休息のようです。
 KAZU君、「春休みになったらまた来るからね」と言って帰りまして、彼の予定では、今週末から再び逗子に滞在することになっているのです。
 まあ、大宮に転居してから、春休みは逗子で過ごすことの多いKAZU君ですから、どうってことはないのですが、やっぱり、この春は空気が重すぎます。なんとかなりませんかね。

 「チチンプイプイ、特効薬、早く出て来ーい!」


   肩の上重い大気に咲く桜  弁人

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「コロナも彼岸まで」とは、まったくもって甘かった

2020-03-17 21:42:54 | つぶやき
3月17日(火)

 ひと月ほど前の頃は、「暑さ寒さも彼岸まで」のことばにあやかって、「コロナ騒ぎも一緒に退散しちゃえ」と期待していましたが、とんでもありませんでした。

 なんともしたたかなウイルス。感染は全世界にという様相を呈していて、EU諸国も予断を許さない状況になっています。

 実は、アムステルダムにいるKAZU君のお父さん、ゴールデンウイークに一時帰国する予定になっているのですが、はたして、日本の地を踏めるのかどうか。なにしろ、学校へ行けなくてうずうずしているKAZU君、お父さんと関西旅行を約束しているのを、今いちばんの楽しみにしているのに、それもなくなったらと思うとことばがありません。

 ところで、感染は世界的な広がりと言いましたが、実は、まだアフリカでの様子があまり伝わって来ていません。おそらく医療体制の整っていない国が多くて、状況がつかめないのだと思いますが、今後、そういう地域の状況が明らかになって行けば、ますます事態の深刻さが浮き彫りになることは間違いないでしょう。

 まったく、野球好きが甲子園大会の中止やプロ野球の開幕の延期を残念がっている場合ではありませんね。もう、オリンピックだって、それどころではないという声が現実味をおびている状況になってきているのですから。

 とんだ2020年になりました。

 我ら老いぼれはともかく、子どもたち、若者、働き盛りの子育て世代、商店主をはじめとする中小事業主、そしてスポーツマンやミュージシャンと、人それぞれ、苦渋の度合いはいろいろでしょが、どうしようもないのかもしれません。
 人間の存在なんて所詮不条理なのですから、こんな時に、不運や不幸の度合いを競ってみても虚しいばかり。じっと耐え忍んで溜め息をつくしかありません。

 どんなに医療技術が進歩しても、それを上回るウイルスが存在してしまう現実。国家を預かる政治家が「あーだこうだ」と手を打っても、後手後手に終わってしまう現実。そんな中、人間が仮に今回のウイルスに打ち勝っても、そのうちまた新種のウイルスが登場してくるのだろうと考えると、なにか人為を超えた得体の知れない脅威を覚えてしまいます。

 私なんぞには、「人為を超えた」と言うと、「自然の摂理」ということばが浮かんで来たりします。
 よくわかりませんが、以前、どこかで「ウイルスのおかげで生物が進化してきた面もある」という話を耳にしたことがあります。
 「ウイルス」は人間にとって悪さばかりしているように見えますが、もしかしたら、「自然の摂理」に則って発生しているのかもしれません。そんなふうに考えると、今回は人間社会への警鐘?「いいかげんにせんかい」と言わんばかりに登場したのではないかと思ったりもします。

 世界的には、今もなお爆発的な人口増加が進んでいて、まもなく80億になるとか。私の生まれた頃には25億だったのに、なんと70年間で三倍以上です。もしかしたら、すでに地球の許容量を越えちゃっているのかもしれません。
 そして、その人間の経済活動による自然破壊、これはもう語るに及びません。
 温暖化、放射線廃棄物の蓄積、海洋汚染等々、もはや、私たちの営みは地球環境の限界を超えつつあるのではないでしょうか。悲鳴を上げているのは、人間ではなく地球全体の自然環境なのかもしれません。

 戦争は人間どうしの勝手な殺し合いなので論外として、もう一つ大きな犠牲者が出てしまうのが震災。これは災いが不意に襲ってくるのですから、犠牲者に何の罪もないのはもちろんなのですが、実際には、その多くの人が経済活動を営みながら自然と対峙している存在であるのも事実です。
 同様に、疫病やウイルスも、知らないうちに感染して生命を落としたりするのですから、犠牲者はまさに不可抗力なのですが、どうも、私には、こういうウイルスの類、人間の営みと自然環境の調和が崩れた時に自然の摂理として登場して来るような気がしてならないのです。

 でもですよ、そうだったら、被害は環境問題に消極的な、中国やアメリカをはじめインドや日本、そういう所に重点的にと思いますが、そこが不条理な世界の本領で、ウイルスにとってそんなことは関係ありません。 
 とはいえ、やりきれませんね。ここでもやはり、戦争や震災と同様に、無神経無責任にその状況に加担している人より、何の罪もない弱者のほうが犠牲になることが多いのですから。


    温暖化進みし春の寒けかな  弁人


 とにもかくにも、今は、人間の全叡智を結集して、一刻も早くコロナウイルスを克服しなければならない状況ですが、もし収束の時期がやって来たあかつきには、「あーよかった」で済ませるのでなく、人間社会全体が、地球上に存在するものとして反省すべきことはないのかどうか、根本から考え直す機会にならなければと願わないではいられません。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「花粉症なのにマスクが・・」~情けない日本の社会~

2020-03-05 08:57:07 | つぶやき
3月5日(木)

 「コロナウイルス」騒動があろうがなかろうが、この時期は花粉症でマスクが欠かせません。そんな中、「なんとかなるだろう」と思っていた在庫もあと数枚になりました。

 そのマスク、トイレットペーパーやティッシュペーパーに比べれば、ふだんの生活の中での必要度はやや劣るかもしれませんが、やはり、生活必需品ですよ。
 ましてや新型ウイルスでてんやわんやの状況ですから、マスクなしで外出するにはかなりの勇気が必要です。
 家でおとなしくしていればマスク無しで済みますが、外に出ないなんて所詮無理な話。
 先月の中旬に耳鼻科を受診しました。それに月に一度の定期通院があって、2日の月曜日に採血のためクリニックへ行きました。その結果を待って、今日これから診察を受けに行きます。
 今は、だれもが病院の待合室にはあまり行きたくないのか、受診する人は少ないのですが、病院でのマスク着用はエチケットの域を超えて、もう、ほぼ義務になっている状況です。

 でも、今、マスクは一般人には手に入りません。

 高値で転売しようとする人が悪いのでしょうが、こういう状況の時に、それを許してしまっている日本の社会、情けないですね。

 「物を仕入れて、それを必要なところへ転売し、差額で利益を出す」というのは、自由主義経済の中では基本的な行為ですから、転売そのものは否定できないのでしょう。考えてみれば、ふだん我々が購入するドラッグストアだって、売値は仕入れ値より高いのは当たり前ですから。
 とはいえ、ネット上で、100枚何万円とか、何枚入り何箱で何万円とかが大手を振っているのを見ると、「物の値段は需要と供給のバランスで決まる」とわかっていても、さすがに呆れてしまいます。だいたい、私なんぞが購入する時は、「一度に数枚、まあ10枚くらいあれば」と思うんですが、量がほぼグロス単位というのもチャンチャラおかしい。

 かつて、甲子園大会の折、阪神電車の梅田駅で回数券を一枚ずつ切って売っていたおばちゃんがいなくなってから、また、球場周辺からダフ屋のおっちゃんが姿を消してから、どのくらい経ったのか、今となっては懐かしい思い出ですが、日本の社会、ことチケット類の転売に関しては、かなり前から規制がかけらているようです。
 そう、たしかオリンピックを前に、去年か一昨年に「チケット不正転売禁止法」とかができて、さらに強化されたはずですが、なにしろ自由な経済活動の上に成り立っている社会、転売禁止の範囲を広げることは難しいのかもしれませんがね。

 事情はわからないでもないのですが、せめて生活必需品、そういうものが国民全体に適正な価格で行き渡るような仕組み、どうして作れないのでしょうか。「国民の生命と財産を・・・」と言いながら、肝心なところがおろそかというか、国民一人ひとりの基本的な生活を守るという、そういうことが政治家の責務としていちばん大切なことだと思うのですが。

 政府は、今増産中のマスクを、まず感染者数と死亡者数の多い北海道へ送る、一般よりも医療関係機関を優先にという方針だそうです。特に後者は反論の余地がなく、それはそれで納得したとしても、実はそれ以外にも切実に必要としている人がたくさんいるという事実、これも重い問題なのですから早急に手を打ってほしいと願わずにはいられません。

 テレビに、店頭に並んだマスクを争うように箱ごと手に取って、あっという間に売り切れるという映像が流れましたが、どうして、一人一袋(10枚程度)とかいう制限がかけられないのか不思議でなりません。
 「そんな制限をかけたって、何回も並び直せば同じ。意味がない」と言われそうですが、もしそうなら、店頭販売は禁止にして、公共機関の管理下で必要な人に広く行き渡らせるとか、医療機関に置いて受診者に渡すとか、薬局に置いて医師の処方箋で販売するとか、考えれば方法はいくつもありそうな気もします。

 病院の待合室にも保育所や学童保育の入口にも、「マスク着用でお願いします」という貼り紙があるのに、世の中からそのマスクが消えている。まったく異常です。

 所詮、人間なんて、人間の社会なんてそんなものなのかもしれません。そうだとしても、人間のそういう情けない面が表面化しないような政策を実行するのも政治家の手腕なのではないでしょうか。
 今は正念場です。瀬戸際かもしれません。こういうところで適切な施策が打てないと、それこそ「情けない日本の社会」ということになってしまうのではないでしょうかね。


   雨上がりマスク不要の春を乞ふ  弁人


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする