11月29日(日)
9月15日の記事で、『「梨」は「無し」と同音なので「有りの実」と言い、こういうことばを「忌み詞」と言う』というお話をしました。
つまり「忌み詞」というのは、同音異義語を連想したもので、考えてみると、駄洒落と同じ発想です。
明石公園にこんな看板がありました。
単なる駄洒落にすぎませんが、ほほ笑ましい。もちろん、「帰る」に不穏当な意味はないので「蛙」の呼称を変える必要はなく、つまり「忌み詞」とは関係ありませんが。
グルメ番組で石ちゃんが「このステーキ、素敵」などと言って笑わせますが、どうも駄洒落というと、近頃は「おやじギャグ」として、若者から「サブイ」とか「オジンクサ」とか言われて馬鹿にされがちです。しかし、ことばの感性を豊かにする遊びとして、けっこう大事ではないかと思っています。
日本の和歌の修辞技法に「懸け詞」というのがありますが、要するに同音異義語を使って二重の意味を表しているのですから、突きつめれば「駄洒落」と同じ発想と言えるのです。
「大江山〔いくの〕の道の遠ければまだ〔ふみもみず〕天の橋立」
という歌がいちばんわかりやすいでしょうか。
〔大江山を通って行く、生野への道のり〕〔足を踏み入れたこともないし、その地にいる母からの文(手紙)を見たこともない〕という具合で、それぞれ二つの意味があるのはご承知のとおりです。
昔は、娯楽といえば音曲や舞踊くらいで、映画やテレビやゲームなんかはもちろんありませんでした。暇な時間は、もっぱら和歌を中心としたことば遊びに熱中していたらしく、自然とことばに対する感性が豊かになっていたのでしょう、「懸け詞」なんぞはお手のものだったのです。和歌にはいろいろな表現技巧がありますが、そういう何気ないことば遣いが「洒落ている」と言われたのです。でも今では、そんなことばのギャグは「洒落」の前に「ダ」がついてしまって、軽んじられています。
ビールのつまみに、ときどき「ナビスコ」のクラッカーを買います。クラッカーと言えば、あと「リッツ」も有名でしょうか。
昨日、スーパーの棚に懐かしいメーカーの名前を発見しました。
「おれがこんなに強いのも、あたり前田のクラッカー!」
私が子どもの頃の人気番組「てなもんや三度笠」。スポンサーが前田製菓で、最後のキメの場面で、あんかけの時次郎役の藤田まことが発する台詞でした。
「あたりまえだ」と「前田のクラッカー」。やっぱり、「懸け詞」です。
実は、去年の9月、このブログの「No.1」(左のブックマークの2番目「No.1」をクリックすると簡単に見られます)の記事に
「その手は桑名の焼き蛤」 ということばを載せましたが、全く同じ構造です。
この手のことば遊びを「軽口(かるくち)」と言います。
「おそれ入谷の鬼子母神」 というのが有名です。他にも、
「申し訳有馬温泉」 とか、
「びっくり下谷の広徳寺」 などがあります。
この現代版が上の「クラッカー」の台詞や「いないいないバアさん」という類になります。
それから、子どもがふざけて「お手テンプラ、つないデコちゃん・・・」と歌ったりするのも同じでしょう。
この「軽口」は「外郎売の口上」にも散りばめられています。
(この話題を載せることは、9月9日の記事の最後のところで予告しました)
「煮ても焼いても喰はれぬものは、五徳鉄きうかな熊童子に、石熊・・・」
(助詞「かな」と金熊童子の「金」)
「おっと合点だ、心得たんぼの川崎・・・」
(助詞「た」と田んぼの「田」
「藤沢、平塚、大磯がしや」
(大磯の「磯」と忙がしいの「忙」)
「ご存じないとは申されまいまいつぶり」
(カタツムリのことを「まいまいつぶり」と言います)
「懸け詞」ではなく「尻取り」の軽口もあります。
「早天さうさう、相州小田原透頂香(とうちんかう)」
「まいまいつぶり、角出せ棒出せぼうぼう眉に、臼、杵、すり鉢、ばちばち、ぐわらぐわらぐわらと」
脚韻を踏む「駄洒落」も
「小田原の、灰俵の、さん俵の、炭俵のと・・・」
「そば切り、そうめん、うどんか、愚鈍な小新発知(こしんぽち)」
話はまた駄洒落に戻ってしまいましたが、駄洒落にもいろいろなパターンがあって、上のように韻を踏むもの、「あたりき、車力、洗面器」とか「驚き、桃の木、山椒の木」などがその例ですが、他にも、全くの同音異義ではなく、似通った発音で茶化すもの、例えば「長嶋監督のカンピューター」なんていうのもあります。
似通った発音のことば遊びというと、東京下町の千束稲荷神社では、毎年二月の初午になると、境内全体が「万灯(まんどう)」という行灯(あんどん)の明かりで飾られます。そして、一つひとつの行灯に、コミカルな絵とともに、江戸時代から伝わる「地口(ぢぐち)」という洒落ことばが書かれています。諺や慣用句をおもしろ可笑しくもじっていて、昔、コミック雑誌なんかなかった時代の、いわばひとコマ漫画といった具合です。
以下、写真と一緒に紹介します。
「七転び八起き」をもじって「花転び矢起き」
「笑ふ門には福来たる」を「笑ふ顔にはフグ来たる」と
「飛んで火に入る夏の虫」は「飛んで湯に入る夏の武士」に
端唄の歌詞「眺め見渡す隅田川」を「眺め見渡す炭俵」に
とこんな具合です。
わけナイトことば遊びの夜長かな 弁人
今日の話題はやっぱり「さびぃ」でしたでしょうか。私は石ちゃんのたわいないギャグもけっこう好きなんですけどね。
最後はクイズ形式で。こういうのも「駄洒落」になるかなぁ。
「オリンピックで愛ちゃんが活躍する種目は?」
「卓球!」
「ピンポーン」
おあとがよろしいようで
9月15日の記事で、『「梨」は「無し」と同音なので「有りの実」と言い、こういうことばを「忌み詞」と言う』というお話をしました。
つまり「忌み詞」というのは、同音異義語を連想したもので、考えてみると、駄洒落と同じ発想です。
明石公園にこんな看板がありました。
単なる駄洒落にすぎませんが、ほほ笑ましい。もちろん、「帰る」に不穏当な意味はないので「蛙」の呼称を変える必要はなく、つまり「忌み詞」とは関係ありませんが。
グルメ番組で石ちゃんが「このステーキ、素敵」などと言って笑わせますが、どうも駄洒落というと、近頃は「おやじギャグ」として、若者から「サブイ」とか「オジンクサ」とか言われて馬鹿にされがちです。しかし、ことばの感性を豊かにする遊びとして、けっこう大事ではないかと思っています。
日本の和歌の修辞技法に「懸け詞」というのがありますが、要するに同音異義語を使って二重の意味を表しているのですから、突きつめれば「駄洒落」と同じ発想と言えるのです。
「大江山〔いくの〕の道の遠ければまだ〔ふみもみず〕天の橋立」
という歌がいちばんわかりやすいでしょうか。
〔大江山を通って行く、生野への道のり〕〔足を踏み入れたこともないし、その地にいる母からの文(手紙)を見たこともない〕という具合で、それぞれ二つの意味があるのはご承知のとおりです。
昔は、娯楽といえば音曲や舞踊くらいで、映画やテレビやゲームなんかはもちろんありませんでした。暇な時間は、もっぱら和歌を中心としたことば遊びに熱中していたらしく、自然とことばに対する感性が豊かになっていたのでしょう、「懸け詞」なんぞはお手のものだったのです。和歌にはいろいろな表現技巧がありますが、そういう何気ないことば遣いが「洒落ている」と言われたのです。でも今では、そんなことばのギャグは「洒落」の前に「ダ」がついてしまって、軽んじられています。
ビールのつまみに、ときどき「ナビスコ」のクラッカーを買います。クラッカーと言えば、あと「リッツ」も有名でしょうか。
昨日、スーパーの棚に懐かしいメーカーの名前を発見しました。
「おれがこんなに強いのも、あたり前田のクラッカー!」
私が子どもの頃の人気番組「てなもんや三度笠」。スポンサーが前田製菓で、最後のキメの場面で、あんかけの時次郎役の藤田まことが発する台詞でした。
「あたりまえだ」と「前田のクラッカー」。やっぱり、「懸け詞」です。
実は、去年の9月、このブログの「No.1」(左のブックマークの2番目「No.1」をクリックすると簡単に見られます)の記事に
「その手は桑名の焼き蛤」 ということばを載せましたが、全く同じ構造です。
この手のことば遊びを「軽口(かるくち)」と言います。
「おそれ入谷の鬼子母神」 というのが有名です。他にも、
「申し訳有馬温泉」 とか、
「びっくり下谷の広徳寺」 などがあります。
この現代版が上の「クラッカー」の台詞や「いないいないバアさん」という類になります。
それから、子どもがふざけて「お手テンプラ、つないデコちゃん・・・」と歌ったりするのも同じでしょう。
この「軽口」は「外郎売の口上」にも散りばめられています。
(この話題を載せることは、9月9日の記事の最後のところで予告しました)
「煮ても焼いても喰はれぬものは、五徳鉄きうかな熊童子に、石熊・・・」
(助詞「かな」と金熊童子の「金」)
「おっと合点だ、心得たんぼの川崎・・・」
(助詞「た」と田んぼの「田」
「藤沢、平塚、大磯がしや」
(大磯の「磯」と忙がしいの「忙」)
「ご存じないとは申されまいまいつぶり」
(カタツムリのことを「まいまいつぶり」と言います)
「懸け詞」ではなく「尻取り」の軽口もあります。
「早天さうさう、相州小田原透頂香(とうちんかう)」
「まいまいつぶり、角出せ棒出せぼうぼう眉に、臼、杵、すり鉢、ばちばち、ぐわらぐわらぐわらと」
脚韻を踏む「駄洒落」も
「小田原の、灰俵の、さん俵の、炭俵のと・・・」
「そば切り、そうめん、うどんか、愚鈍な小新発知(こしんぽち)」
話はまた駄洒落に戻ってしまいましたが、駄洒落にもいろいろなパターンがあって、上のように韻を踏むもの、「あたりき、車力、洗面器」とか「驚き、桃の木、山椒の木」などがその例ですが、他にも、全くの同音異義ではなく、似通った発音で茶化すもの、例えば「長嶋監督のカンピューター」なんていうのもあります。
似通った発音のことば遊びというと、東京下町の千束稲荷神社では、毎年二月の初午になると、境内全体が「万灯(まんどう)」という行灯(あんどん)の明かりで飾られます。そして、一つひとつの行灯に、コミカルな絵とともに、江戸時代から伝わる「地口(ぢぐち)」という洒落ことばが書かれています。諺や慣用句をおもしろ可笑しくもじっていて、昔、コミック雑誌なんかなかった時代の、いわばひとコマ漫画といった具合です。
以下、写真と一緒に紹介します。
「七転び八起き」をもじって「花転び矢起き」
「笑ふ門には福来たる」を「笑ふ顔にはフグ来たる」と
「飛んで火に入る夏の虫」は「飛んで湯に入る夏の武士」に
端唄の歌詞「眺め見渡す隅田川」を「眺め見渡す炭俵」に
とこんな具合です。
わけナイトことば遊びの夜長かな 弁人
今日の話題はやっぱり「さびぃ」でしたでしょうか。私は石ちゃんのたわいないギャグもけっこう好きなんですけどね。
最後はクイズ形式で。こういうのも「駄洒落」になるかなぁ。
「オリンピックで愛ちゃんが活躍する種目は?」
「卓球!」
「ピンポーン」
おあとがよろしいようで