チムどんどん「明石通信」&「その後」

初孫との明石暮らしを発信してきましたが、孫の海外移住を機に七年で区切りに。現在は逗子に戻って「その後」編のブログです

「駄洒落」「軽口」「地口」

2009-11-29 15:57:33 | ことば・あれこれ
11月29日(日)

 9月15日の記事で、『「梨」は「無し」と同音なので「有りの実」と言い、こういうことばを「忌み詞」と言う』というお話をしました。
 つまり「忌み詞」というのは、同音異義語を連想したもので、考えてみると、駄洒落と同じ発想です。

 明石公園にこんな看板がありました。
  
 単なる駄洒落にすぎませんが、ほほ笑ましい。もちろん、「帰る」に不穏当な意味はないので「蛙」の呼称を変える必要はなく、つまり「忌み詞」とは関係ありませんが。

 グルメ番組で石ちゃんが「このステーキ、素敵」などと言って笑わせますが、どうも駄洒落というと、近頃は「おやじギャグ」として、若者から「サブイ」とか「オジンクサ」とか言われて馬鹿にされがちです。しかし、ことばの感性を豊かにする遊びとして、けっこう大事ではないかと思っています。

 日本の和歌の修辞技法に「懸け詞」というのがありますが、要するに同音異義語を使って二重の意味を表しているのですから、突きつめれば「駄洒落」と同じ発想と言えるのです。

 「大江山〔いくの〕の道の遠ければまだ〔ふみもみず〕天の橋立」

という歌がいちばんわかりやすいでしょうか。
 〔大江山を通って行く、生野への道のり〕〔足を踏み入れたこともないし、その地にいる母からの文(手紙)を見たこともない〕という具合で、それぞれ二つの意味があるのはご承知のとおりです。

 昔は、娯楽といえば音曲や舞踊くらいで、映画やテレビやゲームなんかはもちろんありませんでした。暇な時間は、もっぱら和歌を中心としたことば遊びに熱中していたらしく、自然とことばに対する感性が豊かになっていたのでしょう、「懸け詞」なんぞはお手のものだったのです。和歌にはいろいろな表現技巧がありますが、そういう何気ないことば遣いが「洒落ている」と言われたのです。でも今では、そんなことばのギャグは「洒落」の前に「ダ」がついてしまって、軽んじられています。


 ビールのつまみに、ときどき「ナビスコ」のクラッカーを買います。クラッカーと言えば、あと「リッツ」も有名でしょうか。

 昨日、スーパーの棚に懐かしいメーカーの名前を発見しました。
  
 「おれがこんなに強いのも、あたり前田のクラッカー!」

 私が子どもの頃の人気番組「てなもんや三度笠」。スポンサーが前田製菓で、最後のキメの場面で、あんかけの時次郎役の藤田まことが発する台詞でした。
 「あたりまえだ」と「前田のクラッカー」。やっぱり、「懸け詞」です。

 実は、去年の9月、このブログの「No.1」(左のブックマークの2番目「No.1」をクリックすると簡単に見られます)の記事に

 「その手は桑名の焼き蛤」 ということばを載せましたが、全く同じ構造です。
 この手のことば遊びを「軽口(かるくち)」と言います。

 「おそれ入谷の鬼子母神」 というのが有名です。他にも、
 「申し訳有馬温泉」 とか、
 「びっくり下谷の広徳寺」 などがあります。

 この現代版が上の「クラッカー」の台詞や「いないいないバアさん」という類になります。
 それから、子どもがふざけて「お手テンプラ、つないデコちゃん・・・」と歌ったりするのも同じでしょう。

 この「軽口」は「外郎売の口上」にも散りばめられています。
(この話題を載せることは、9月9日の記事の最後のところで予告しました)

「煮ても焼いても喰はれぬものは、五徳鉄きうかな熊童子に、石熊・・・」
   (助詞「かな」と金熊童子の「金」)
「おっと合点だ、心得たんぼの川崎・・・」
   (助詞「た」と田んぼの「田」
「藤沢、平塚、大磯がしや」
   (大磯の「磯」と忙がしいの「忙」)
「ご存じないとは申されまいまいつぶり」
   (カタツムリのことを「まいまいつぶり」と言います)

 「懸け詞」ではなく「尻取り」の軽口もあります。
「早天さうさう、相州小田原透頂香(とうちんかう)」
「まいまいつぶり、角出せ棒出せぼうぼう眉に、臼、杵、すり鉢、ばちばち、ぐわらぐわらぐわらと」

 脚韻を踏む「駄洒落」も
「小田原の、灰俵の、さん俵の、炭俵のと・・・」
「そば切り、そうめん、うどんか、愚鈍な小新発知(こしんぽち)」

 話はまた駄洒落に戻ってしまいましたが、駄洒落にもいろいろなパターンがあって、上のように韻を踏むもの、「あたりき、車力、洗面器」とか「驚き、桃の木、山椒の木」などがその例ですが、他にも、全くの同音異義ではなく、似通った発音で茶化すもの、例えば「長嶋監督のカンピューター」なんていうのもあります。

 似通った発音のことば遊びというと、東京下町の千束稲荷神社では、毎年二月の初午になると、境内全体が「万灯(まんどう)」という行灯(あんどん)の明かりで飾られます。そして、一つひとつの行灯に、コミカルな絵とともに、江戸時代から伝わる「地口(ぢぐち)」という洒落ことばが書かれています。諺や慣用句をおもしろ可笑しくもじっていて、昔、コミック雑誌なんかなかった時代の、いわばひとコマ漫画といった具合です。
 以下、写真と一緒に紹介します。

  「七転び八起き」をもじって「花転び矢起き」
  

  「笑ふ門には福来たる」を「笑ふ顔にはフグ来たる」と
  

  「飛んで火に入る夏の虫」は「飛んで湯に入る夏の武士」に
  

  端唄の歌詞「眺め見渡す隅田川」を「眺め見渡す炭俵」に
  

とこんな具合です。



    わけナイトことば遊びの夜長かな   弁人


 今日の話題はやっぱり「さびぃ」でしたでしょうか。私は石ちゃんのたわいないギャグもけっこう好きなんですけどね。

 最後はクイズ形式で。こういうのも「駄洒落」になるかなぁ。

 「オリンピックで愛ちゃんが活躍する種目は?」
 「卓球!」
 「ピンポーン」
                   おあとがよろしいようで


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「明石通信」 スタート は近江路でした

2009-11-26 23:22:17 | お出かけ・散策
11月26日(木)

 明石での暮らしも一年と二ヶ月

 「明石通信No.1」の記事が懐かしい。
 実はあの時、KAZUとのやりとりやマンションでの一人暮らしなど、正直なところ不安でいっぱいだったのです。
 西下の途中で訪れた瀬田川河畔の石山寺。思わず、孫の健康な成長と明日からの平穏な日々を祈らずにはいられませんでした。

 おかげさまで、KAZUも順調に育っています。明石暮らしもとても快適です。いづれ石山寺にはお礼と報告をしなければと思っていました。

 先日、天気も上々、本堂の周囲の紅葉もどんなにかきれいだろうということで、片道2時間ほどですが、お参りに行きました。
  
 石山寺は、なんとなく明石暮らしの原点のような感じがして、特別な思いが込み上げてきます。
 御開帳中の如意輪観音像を拝観し、紫式部像とも再会。そして、KAZU君のさらなる成長を絵馬に託しました。
  

 芭蕉の句に「行く春を近江の人と惜しみける」というのがありましたが、


    行く秋を紫式部も惜しみけり   弁人
 

 関西のテレビでは,今が紅葉の見頃と石山寺が紹介されていましたが、一、二週間ほど早かったのかもしれません、本堂から見下ろしても、下から見上げても、まだ青葉が目に入る状態でした。
  
   


 石山寺から瀬田川に沿って琵琶湖畔の大津に行くのは「上り」というのか「下り」というのか、とにかくこの辺りの水の流れはとても不思議な感じがします。
 一見、海と見間違うほどの日本一の湖。ところが川の水は湖に向かって流れてはいなくて、逆に山あいに向かって流れているのです。瀬田川は琵琶湖から宇治に向かって南に流れ、やがて右折して宇治川となり、奈良から流れてくる木津川と平行して淀川に合流します。

 インクラインと呼ばれている琵琶湖の疏水、大津側(三井寺付近)の桜並木です。
  

 流れを眺めて歩く脇の道は山に向かった上り坂なのに、水も同じ方向の、京都の南禅寺裏の東山のほうにどんどんと流れて行きます。琵琶湖の標高が80数m、京都は4~60m位なのでしょうか、その標高差を利用した疎水ですから、考えてみれば当たり前なのです。でも、湖側に振り返って見ると、道をはさんだ反対側の足元の水路はちゃんと湖に向かって流れています。
  
 道は湖に向かって下っているので、感覚的にはこれが自然。


    山に入るインクラインの水澄めり   弁人


 この時期の日は短い。それに出かけるのが遅かったので、夕暮れも間近になりました。
 京阪京津線で山あいの大谷駅へ
  
 ここは、国道1号線と名神高速道路にはさまれた旧街道の「逢坂山」です。

 百人一首に、「これやこの行くも帰るも別れては知るも知らぬも逢坂の関」という蝉丸の歌があります。そんなことを考えていると、「蝉丸神社」が。
  

 7月の「祇園祭」の記事に載せた「鰻のかねよ」、その本店がこんな山あいにあるのです。
  

 鰻重が食べたかったのですが、やっぱり名物の「きんし丼」にしました。
  
 鰻丼の上にフアフアの大きな玉子焼、冷酒1本でちょうどいい感じでした。

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晩秋の木曽路を経由して

2009-11-21 23:02:08 | 旅行
11月21日(土)

 先週、一週間ほど我が家に戻っていました。目的は年老いた母のところへ顔を出すことでした。

 明石と逗子の往復、新幹線の旅は少々飽きてきました。神戸空港からのスカイマークも安くて便利ですが、空の旅は天気のよい日でないと面白くありません。

 この秋は遠出をしていません。ということで、今回は旅行気分も兼ねて帰ろうかという気分になり、地図と時刻表を眺めていました。

 実は、名古屋から長野へ向かう中央本線に乗ったことがありませんでした。そこで「特急ワイドビューしなの」に乗って、塩尻で「特急あずさ」に乗り換えるという計画になりました。

 名古屋まで新幹線というのも味気ないと思っていたところ、なんと、一日一本大阪始発の「しなの」がありました。新幹線完備の現在、東海道を在来線の特急で行くというのは考えもしないことでしたが、楽しそうです。

  大阪駅8時58分発「L特急ワイドビューしなの9号」
  

 写真は撮れませんでしたが、日本一長いホームの京都駅0番線に停車。琵琶湖を左にし、安土城址も比較的ゆっくり眺めて、紅葉の関が原の中を縫って、降りたことのない岐阜駅にも停車しました。やがて列車は、名古屋から次第に山あいに向かい木曽の山中へ。

  「寝覚の床」
  



    木曽山中窓いっぱいの秋の色   弁人


 木曽福島の旅館に「一人旅プラン」というのがあったので予約をしておきました。
  山あいのひっそりとした宿場町
  

  老舗の蕎麦屋「くるまや」で腹拵え
  

  旧街道の面影
  

  代官屋敷
  

  名刹興禅寺
  

  朝日将軍木曽義仲の墓と山頭火の句碑
  

        「さくらちりをへたるところ旭将軍の墓」


  さて翌日は、予定通り、塩尻から「特急あずさ」
  

  時間があったので、甲府で下車してお城を散策
  

  甲府からは各駅停車の列車に乗ってみました
  



     迂回路の中央本線紅葉狩り   弁人


 高尾で中央線に乗り換え、八王子から横浜線の快速で帰って来ました。


 今回、JR西日本の朝霧駅で「一筆書き」の切符を買いました。駅の窓口には、前日の昼間の空いている時間に行きましたが、思ったとおり、明石-大阪-名古屋-塩尻-新宿までは理解してくれたのですが、湘南新宿ラインで大崎-大船-逗子というところが難しく、とうとう正確な経路が作れず、券面には、東海道線・根岸線経由の印字がありました。
  
 JR東日本の甲府駅で計算したもらったところ、長距離切符なので金額は変わらないとのことでした。もっとも、そのあと計画を変更して八王子から横浜線に乗ったので、その経路にすればもう少しわかりやすく値段も安かったのかもしれません。


コメント (2)
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六甲山-晩秋のけはひ

2009-11-16 10:26:25 | KAZU君
11月16日(月)

 電車の本に夢中のKAZU君です。

  
 男の子らしくていいのかなと思いつつ、違った感性も育んでほしいと、暮れ行く秋の色を求めて、六甲の高山植物園に行ってみました。

  

    
 電車なんかどこにも走ってない、滑り台とかの遊具もない、「今日はこんな場所なの」とか言いたげです。

 なにはともあれ、まずは食欲を満たして
  
 ピクニック気分にひたって今日も上機嫌に
    

 チャンバラごっこで遊んで
  

 疲れるとやっぱり抱っこじゃないとダメなのでした。
  


    児が拾ふ桜紅葉の落ち葉かな   弁人

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ありそうでないもの(2)「ササニシキ」

2009-11-09 09:58:49 | 身辺雑記
11月9日(月)

 今年も新米がほぼ出揃っています。お宅のご飯のお味はどうですか。


     古銘柄にも新米のラベルかな   弁人


 実は、残念ながら私はまだ今年の新米を口にしていません。こちらのスーパーの店頭には「ササニシキ」の新米が出ていないからです。

  私がふだん食べている「ササニシキ」
    
 どこにでも並んでいそうなパッケージですが、これがどっこい、なかなか置いていないのです。


 専門家ではありませんので、あまり自信のある話ではありませんが、信頼度が高いと思う範囲でお米の話をします。

 私たちが口にするジャポニカ米は、ふだん主食にしている「うるち米」とお餅にする「もち米」に分けられますが、この二つの違いはでんぷんの分子の「アミロペクチン」と「アミロース」の比率によるものなのです。

 ○「うるち米」アミロペクチン 80% アミロース 20%
 ○「もち米」 アミロペクチン100%

 つまり、「アミロペクチン」がご飯のもちもち感の重要な要素になっているのです。15年前の米不足の時に、「アミロペクチン」の含有率が低いインディカ米は粘りがなくパサパサとしているので、そのまま食べる日本人の口には合わず、ピラフやカレーやチャーハンに向いているということ、それに対して、ジャポニカ米は炊き上がりがふっくらとして粘りがあり、私たちの食感によくマッチしているということが話題になったものです。

 ところで、一時期、おいしいお米といえば「ササニシキ」と「コシヒカリ」という時代がありました。
 低温に弱く風で倒れやすい「ササニシキ」は1993年の冷害で大打撃を受け、本場の宮城県でもほとんどの農家が「ひとめぼれ」などの品種に転作、今では全国生産量で1%を割り込んでしまったそうです。
 一方の「コシヒカリ」はイモチ病に弱いという欠点があったものの、独特の粘りと冷めてももちもち感が失われないということで健在なのです。
 そして「コシヒカリ」の食感を受け継ぎ、その欠点を補って登場した「あきたこまち」や「ひとめぼれ」「きぬひかり」等のお米は、みな「コシヒカリ」系統の米として人気を得ています。

 これらの銘柄のアミロース含有率がどうなっているのかというと

 「ササニシキ」  20% (アミロペクチン80%)
 「コシヒカリ」系 17% (アミロペクチン83%)

 つまり、うるち米本来の含有率の「ササニシキ」は少しあっさりめで、もち米に近い「コシヒカリ」系の米はもちもち感があるということです。
 最近では、より粘りのあるお米が好まれるということで、アミロース14%の「夢ごこち」や10%の「ミルキークイーン」などの「低アミロース米」というのも販売されています。「ササニシキ」が少なくなったのもうなづけます。

 さて本題。
 ご飯はもちもち感がないとというのが今の日本人の傾向だということがわかりましたが、実は「アミロペクチン」の摂り過ぎが現代人にアレルギー体質をもたらしているという指摘があるのです。

 私は子どもの頃鼻水がひどく、週に何回か耳鼻科で治療を受けていた記憶があります。スギ花粉症も30年前から悩まされ続けています。娘も中学生の頃から毎年花粉症になっています。
 そんなわけで、孫にはアレルギーやアトピーの苦痛を味わあせたくないという気持ちが強く、KAZU君がお母さんのお腹の中にいた時から、お米はなるべく「ササニシキ」という努力をしてきました。
 お米屋さんに頼んで取り寄せたこともありましたが、たまたま逗子に「ササニシキ」を置いてあるスーパーがあり、明石へ宅配便で送ったりしてきました。

  逗子のスーパーにある「ササニシキ」(5㎏2300円)
    

 実はこの「ササニシキ」、販売店が神戸の業者なのです。それで去年明石に来た時にさっそく問い合わせたのですが、なんと関西地区には全く流通していないということでした。
 それで毎日いろいろなスーパーを探し歩いていたところ、明石駅そばのビルと舞子の駅ビル内にあるスーパーに別の販売業者の「ササニシキ」が置いてありました。
 最初の写真がその「ササニシキ」です。ただ2㎏の袋しか置いてありません。私は一人暮らしなのでちょうどよい量なのですが、KAZU君の家ではいつも2、3袋買ってこないとすぐになくなってしまいます。値段は「コシヒカリ」系よりも安価で2㎏880円ですが、10㎏分とかで計算すると高くなってしまいます。

 もしかしたら、やっぱり「コシヒカリ」系のお米のほうがおいしいのかもしれません。でも、昔から日本人は「ササニシキ」系のお米を食べてきたのです。そして今、そのお米が消えつつあります。
 聞くところによると、「ゆきひかり」という北海道産のお米は、よりアミロペクチン含有率が低く、アレルギーやアトピー体質の改善に良いということですが、このお米も今はほとんど生産されていません。

 山形に「はえぬき」という銘柄があり、このお米のアミロペクチン含有率は「コシヒカリ」より少なめで「ササニシキ」に近いということです。粘り過ぎず冷めても食感が良いということで、セブンイレブンのおにぎりに使われているそうです。でも、この銘柄もあまり目にしません。そういえば、「コンビニのおにぎりはセブンイレブンのものが群を抜いておいしい」と言っていた人がいましたが、さてどうでしょうか。

 「昔はアレルギーなんてなかった」ということの真偽はわかりません。ただ確かなことは、かつては「アミロペクチン」100%のお餅やお赤飯を口にするのは、お正月とかお祝いの日など、特別の日に限られていたということです。ところが今は、両方ともいつでも手に入り、けっこう口にする機会も多くなっています。そして多くの人が毎日「アミロペクチン」含有率の高いお米を食べていて、もし本当にこれがアレルギー体質やアトピーに関与しているとすれば、売れるからというだけで、その銘柄が本来のものを駆逐するという図式はやはりおかしいと思っています。


     またひとつ消え行くものや秋過ぎぬ  弁人



 ちなみにKAZU君はまだ、お餅とかお赤飯とかを食べたことがありません。ご飯もずっと「ササニシキ」です。そのせいかどうかは全くわかりませんが、おかげさまで、今のところアレルギー症状を見せたことはありません。
 うどん屋の多い関西では、日本そば屋はそれほど多くありません。そんなわけで、おそばアレルギーがあるのかどうかはまだわかっていませんが。


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「明石海峡船景色」No.6 貨物船(2)

2009-11-05 06:57:39 | 船景色
11月5日(木)

 毎日いろいろな船を眺めています。若かりし頃、競馬が好きでなんとなく買い求めた特大の双眼鏡が我が家の物置に眠っていたので、夏前、明石に持ってきました。これが重宝して、時々大型船の船名が読めたりして喜んでいます。

 6/10に「タンカー」の記事を載せましたが、考えてみると、特別な用途の船を除けば、人間以外の物を運ぶ船はみんな貨物船なのです。

 大阪湾海上交通センターのページでは「フェリー・客船」以外の船を
 1、タンカー   2、液化ガス専用船  3、ばら積み船
 4、コンテナ船  5、木材運搬船    6、セメント船
 7、ローロー船  8、自動車専用船   9、貨物船
   〔以上がいわゆる貨物船〕
 他に
  ・曳航船・タグボート ・官船(自衛艦や海上保安庁船など)
  ・その他(日本丸などの帆船など)
  というふうに分類しています。

 9の貨物船というのはたぶん1~8に分類できない船ということだと思いますが、これをふつう「雑貨船」とか「一般貨物船」と言い、いちばんポピュラーな貨物船と言えるかもしれません。

 たとえば、荷物の積み下ろしのためのクレーンのような鉄柱のある下の写真のような船を海上交通センターでは「貨物船」としています。大きさはだいたいが中型です。
  
        (川崎汽船・1万t弱でしょうか)

   
   (フィリピンの船会社「WEST WIND LINE」の船・
    1万t位)

 ということなのですが、素人にはいろいろに分類されても、一目で区別するのはなかなか難しい。

 わかりやすいのは、コンテナを積んでいる4のコンテナ船と、いかにもという形の2の液化ガスタンカー、あと8の自動車運搬船くらいでしょうか。
 目が肥えてくれば、きっと簡単なのでしょうね。最近、1のタンカーと3のばら積み船の区別が少しはつくようになりましたから。

 前置きが長くなりましたが、今回は、大型貨物船の代表格「ばら積み船」の写真です。
  
 (朝焼けの中を進む三井船舶の「アズルチャレンジ」・10万t)

 何か物を購入する時に、「パックでなくてバラで」と言いますが、要するに、荷崩れしやすい物資をバラにして荷重を均等にするように積み込む船を「ばら積み船」と言うようす。
  
   (くみあい船舶の「ORCHID RIVER」・8.5万t)

  
    (日本郵船の「尾上」・8.75万t)

 積み込む物は、石炭や鉱石や穀物など多種にわたります。見た目の特徴は、船倉をいくつかに分けているので、そのそれぞれにハッチカバーという蓋のような形が見えるところでしょうか。
  
   (デンマークのTORM社の「BORM HOLM」・4万t)

 朝靄の中の船ですが、この船も甲板にいくつものハッチカバーが箱の蓋のように見えています。
  
   (川崎汽船「CAPE CANARY」・9.4万t)


     渡り鳥何を背負ひて泳ぎ来し   弁人



 今までの写真は全て西行きの船で、積み荷がかなり重そうです。明石海峡を西に向かって通過する大型船のほとんどが姫路、岡山方面で積み荷を下ろすようで、その帰りの東行きの船はいかにも軽そうな感じです。
  
    (前の写真の「CAPE CANARY」の帰途か?)

   
 (会社不明・船籍はキプロス共和国「SOPHIA」4.7万t)

 上の2枚の写真は淡路側から撮ったものです。今日の記事では明石側からのものもかなりきれいな写真が揃いましたが、たまたまで、やはり順光になる淡路(南)側からのほうが鮮明です。


     ひと仕事終えて一服秋の海   弁人

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遼君のスイング、見てきました

2009-11-01 23:57:54 | スポーツ観戦等
11月1日(日)

 逗子にいる時は、御殿場とか習志野とか川越とか、よくゴルフトーナメントを見に行きました。
 そう、1994年には全米オープンの観戦で、ピッツバーグに一週間滞在したこともあります。当時はまだタイガーウッズが現れていない時で、日本ではジャンボ尾崎が健在の頃でした。

 兵庫県では、六甲山の北の一帯にゴルフ場がひしめいています。ゴルフトーナメントも年に何回か開かれますが、私の印象に残っているのはABCゴルフトーナメントです。
 私がアメリカへ行った頃だったでしょうか、広島県の瀬戸内高校を出て何年も経っていない、まだ無名で小柄の田中秀道が初優勝した場面、今でも目に浮かんできます。ジャンボ尾崎が最終ホールでイーグルのロングパットを決め、劇的な逆転勝利をおさめたということもありました。そして昨年は、遼君が最終ホールのウオーターショットを見事に決めてツアー初勝利に輝いた大会です。

 去年はまだこの辺の地理的な感覚に乏しく、テレビを見たあと、どんな所にあるのだろうと地図を眺めていた程度でした。

 今年もそれほど念頭になかったのですが、予選ラウンドの二日目の金曜日、天気がよかったので車で向かってみました。

 明石から北へ30㎞ほど行くと三木市がありますが、ゴルフ場はそこからさらに10数㎞行った加東市にあります。高速道路は山陽道も中国自動車道も皆東西に走っていて、加東市へ行くには神戸の北のほうから迂回しなければならないので一般道で行きました。
 1時間半ほどで東条湖という小さな湖に着きました。ABCのゴルフ場は湖畔の駐車場からギャラリーバスに乗って10分ほどのところにありました。

 今や男子ゴルフ界は遼君人気で大賑わい。スポーツ関係以外のカメラマンや観戦慣れしていないギャラリーが押し寄せて、状況をわきまえずにシャッターを切ったり、さらに、遼君見たさで来たおばちゃんが彼の打ったボールを拾って持って帰ろうとしたりして、結構な騒ぎになっています
 そのせいか、観戦マナーを守らせようとカメラや携帯電話の検査も徹底していて、ゴルフ場の景観を写真に撮る状況ではありませんでした。

 でも、プレーヤが当分来ない18番をギャラリー席からそっと1、2枚
  
   

 首都圏のトーナメントに比べるとギャラリーの数も少なく、のんびりと観戦できますが、さすがに遼君の組はものすごい人で、眺めていると天気図の上に台風が進んでいくような感じでした。
 その遼君。4アンダーでスタート、この日も上々の出来で3アンダー、トータル7アンダーで2位タイの絶好の位置につけました。

 さて、初めて見た遼君ですが、意外にもけっこう小柄でした。でも存在感は抜群です。白いシャツにピンクのスラックスとバイザー、シューズも白にピンクのライン。男性のプレーヤーがピンクのウエアーを嫌味なく着こなすところがまずカッコイイ。それに1番テイーに現れた時の挨拶、笑顔。一緒に回るボード係や記録係のボランティアの人にも一人一人と丁寧に握手をする自然な気配り。実に爽やかで品があります。まさにゴルフ界の救世主の感です。
 一時代前にこの世界に君臨していたプレーヤー、名前は出しませんが、しかめっ面にくわえタバコ、周囲を威圧するような態度でテイーグラウンドに登場したものです。シニアツアーなんかには絶対に出ないと言い、この日も腰に手をあてがいながらプレーをしていましたが、はたから見るとなんとも投げやりで爽やかさに欠けています。
 それにしても、よくこんなすがすがしい若者が登場してきたものです。遼君が今の爽やかさを失わなければ、ゴルフ人気は当分続くはずだと納得しました。

 こうなると、できれば決勝ラウンドも見たいという気分になります。それに車で来ちゃったので、昼の三田屋のステーキ重も今一つでした。明日はビールと一緒に食したい。

 ということで、土曜日は朝7時に出てJR尼崎乗り換えで新三田へ。例の脱線事故で有名な路線です。新三田駅には8時半に着いて、ここからの送迎バスは20分ほどかかりました。

 この日の遼君の出で立ちは黄色のシャツに黒のスラックスで、かなり落ち着いた雰囲気。その分ちょっと元気がないように見えるのか、プレーにも今一つ精彩を欠いた感じで2バーディ2ボギー。順位は3位タイですが、トップの鈴木亨に6打離されました。


     青年の直ぐな眼差し空澄みぬ    弁人


 3日目はよく「ムービングデー」と言って、順位の変動が激しい日とされているのですが、この日は遼君と同スコアでスタートした鈴木亨が6打伸ばした以外はほとんど動きがありませんでした。

 それと、秋の好天と遼君の爽やかさからというのは言い過ぎかもしれませんが、43才の中年プレーヤーの鈴木亨のプレーぶりもとても爽やかに見えました。

 久しぶりに気持ちのよいスポーツマンの姿を見て、なんともすがすがしい気分で帰途に着きました。復路は経路を変えて、宝塚で阪急電車に乗り換えて三宮に出て帰って来ました。


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