チムどんどん「明石通信」&「その後」

初孫との明石暮らしを発信してきましたが、孫の海外移住を機に七年で区切りに。現在は逗子に戻って「その後」編のブログです

いわゆる「ら抜きことば」について

2010-03-31 22:02:51 | ことば・あれこれ
3月31日(水)

 関東には普通にあるのに、関西ではほとんどみられないものが時々あります。

 その一つが「筋子」。ちょっと生臭くて塩辛いのですが、酒のつまみにもなるし、あつあつのご飯に乗せるとたまりません。関西ではどのお店にも「イクラ」はいくらでもあるのですが、「筋子」は見たことがありませんでした。聞いてみると、「正月前に置くことがあるけれど、ふだんはねぇ」という返事でした。
 「関東になかったり、関西になかったり」という話題については別の機会にしますが、先日、あるスーパーの魚介類売り場に「筋子」を見つけました。さっそく買い求めたのですが、やはり関西では口にする人が少ないのでしょうか、パックにこんな表示がありました。
  
  
 「食べれます」。意味は通じますが、典型的な「ら抜きことば」です。

 方言の中で「ら抜きことば」が定着していることがあるという話を聞いたことがあります。もしかすると、関西弁もその中に入っているのでしょうか。でも、昨今は標準語の世界で若い人を中心に頻繁に使われるのでよくわかりません。

 つい最近、テレビのアナウンサーが子どもに「ボクはピーマンは食べれるかな?」と話しかけていて苦笑してしまいました。

 また、かつてジャイアンツの監督だった方がテレビ解説で「このピッチャー、若いのにいい変化球が投げれますからね。期待できますよ」と言っていました。出身地の方言のせいなのか、ことば遣いを勉強する間がなかったのか、いずれにしてもずっと野球の世界で自分を磨いてきたわけですから、そんなことはどうでもいいでしょう。
 実はこの解説者、時々若い世代の人の中には首をかしげる人も多いかもしれないような、なかなか味のあることばを披露するのです。
 こんなふうに。
 「ここは1点勝負ですから、堅く走者を進めるものと思っていましたが、あにはからんや、意外な作戦に出ましたね」(あにはからんや)
とか、
 「今日のダルビッシュは120パーセントと言っても過言ではないくらい完璧な内容でしたがね、惜しむらくはあの一球、コースが微妙に甘かった」(惜しむらくは)
とか、
 「ここはまず同点に追いつくという局面だったのですが、あわよくば逆転もという期待があったのでしょうね」(あわよくば)
とか。
 どなただかわかりますか、ここでは名前は出しませんけど。まあ、還暦を過ぎているので「年の功」とも言えますが、こういう表現が自然に出てくる一方で「投げれる」という言い方も身に付いている。ということはそれだけ「ら抜きことば」が一般化しているということなのでしょうか。

 さて、そろそろ本題へ

 私は、違和感があるので「ら抜きことば」は使いません。でも、他人の表現には頓着しないことにしています。こういう表現が生れてくる理由はそれなりにあるし、そのことでことばの解釈がしやすくなっている面があるからです。

 「思わ・れる」の「れる」、「着・られる」の「られる」は助動詞で、五段活用の動詞には「れる」、一段活用系の動詞には「られる」が付くことになっています。「ら抜きことば」というのは、「られる」を使わなければならない後者の時に、「ら」を省いた「れる」を付けてしまう表現なのです。
 「このサイズで着られるかなあ」と言わないで「着れるかなあ」と言うように。

 ところが、例えば「食べる」という動詞にこの助動詞を付ける時に、「食べれる」という「ら抜きことば」の表現にすると、「食べることができる」という「可能」の意味に限定されるのです。「受身」の時に「赤ずきんちゃんが狼に食べれる」とは絶対に言いません。この場合は誰もが「食べられる」と言います。

 実は、この助動詞には「受身」「尊敬」「可能」「自発」と意味がいくつもあるのです。「思われる」を例にすると「人から思われる」「お思いになる」「そのように思うことができる」「思わないではいられない」というように。
 これらの意味の違いはその時の状況から読み取るわけですが、「この布団、よく寝れるよ」と言えば、「可能」の意味でしか受け取れませんから、そのぶん誤解が少なくなっているのかもしれないのです。「寝られる」と正しく言うと、「おやすみになる」とか「先に寝られていびきがうるさい」とかの意味も浮かんできます。「投げれる」は「投げることができる」という意味ですが、「投げられる」となると、「受身」や「尊敬」の意味が浮かんでくるのと同じです。

 それでは、なぜ「可能」の時にこういう表現が生れてきたのかというと、それにはちゃんとわけがあるのです。
 上に「思わ・れる」という例を出しましたが、五段活用動詞の場合は、エ段の「思え」に「る」を付ける「思え・る」という可能動詞が別にあるのです。「書く」に対して「書ける」、「読む」に対して「読める」、「座る」に対して「座れる」というように。
 この「エ段」に「る」が付くと「可能」になるという言い方が影響して、一段活用系の動詞でも、「られる」ではなく「れる」を付けたくなるのです。「外に出れる」「本が借りれた」のようにです。「速く走れる」(五段活用「走る」の可能動詞)という言い方があると、つい「早く起きれる」(一段活用「起きる」のら抜きことば)と言いたくなるのもわかるような気がします。

 ことばは日々変化して行きます。そして変化した表現が、その時代の人の中で通用するようになれば、それは新しい表現として認めなければなりません。成立の過程に根拠があって、効用もあるとすればなおさらのことです。したがって、「ら抜きことば」は正しい表現として認めるべきだという考えは受け容れざるを得ないのかもしれません。

 それでも、やっぱり「このままで食べれます」と書かれると考えてしまいます。

 ひとつ。話しことばであれば許容できるのかもしれません。でも、ことばは話しことばが変わると、次は書きことばに波及してくるのは避けられません。国語の教師を辞めてよかったかな。作文の添削で「ら抜きことば」を直すと「古くさい」と言われる時代になるのかもしれません。

 もうひとつ。同じ一段系の動詞でも、「ら抜きことば」にならないのもありそうなのです。「タバコがなかなかやめれない」「僕なら泥棒を追いかけれる」って変ではないですか。でも、「そんなのはその人の感じ方に過ぎず、私は変だと思わない」という人がいたりすると一蹴されそうですね。

 そこで、少しは根拠のありそうなことを。これは詳しく分析したわけではないので、絶対的な自信はありませんが、実は、語幹が2音以上の時は「ら抜きことば」が成立しないのではないかと思っています。例えば、「調べる」「教える」「答える」「数える」などはどうでしょうか。これらもいつかは「ら抜きことば」が成立するようになって、「可能」の時は、「図書館へ行けば調べれる」、「英語なら教えれる」、「彼なら答えれる」、「一から十までなら数えれる」と言うようになるのでしょうか。とてもそうなるとは思えないのですが、仮にそれが変化の必然だとしても、あと数十年は優にかかりそうです。私はそれまで生きていないのでちょっと安心。

 最後はどこか話題が「地球温暖化」と同じような、自分がお墓の中に入ったあとの心配事になってしまいました。


  センバツに出れて投げれてヒーローに  弁人


【追記】
 昨日、逗子の町を歩いていて、こんな表示に出会いました。
  

 「カマ上げ」は「釜上げ」にしてほしかったのですが、「食べられます」は実に自然できれいな日本語ではないですか。
 きっと古くさい人間になってしまったのでしょう、こういうことばに出会うと、ちょっとばかりほっとしてしまうのです。
「おいらの住んでいる所はちゃんとした日本語だぜぇ」っていう感じ。

 でも、あと何十年か経つとですよ、
「こういう場合はですね、『ら』が入っているので、ひじきが人間に食べられるというふうに『受身』で解釈しないといけませんね」
とか教えている先生がいるのかもしれません。
             (記 4月5日)

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ありそうでないもの(3)「多機能メガネ」

2010-03-27 19:48:02 | 身辺雑記
3月27日(土)

 スギ花粉症といえば、かつては2月の中頃から悪戦苦闘の状態になったのに、トシを取って反応が鈍くなったのか、ここ数年は3月の中旬まではひどい症状があまり出なくなりました。特にこの3月は耳鼻科の薬もほとんど使わずに済み、このまま桜の季節になりそうなのです。
 もしかすると、今年は全国的に飛散量が少ないのかもしれません。いや、明石近辺は南関東より花粉がいっぱい飛んで来ないのかもしれません。でも、去年の今頃はずいぶん苦しい日があったこともたしかなのです。

  ひと月前に調達した「花粉防止眼鏡」
  

 一見どこにでも売っていそうですが、そんじょそこらのお店に置いてある物とはちょっと違う代物です。2万円以上しました。

 「花粉防止眼鏡」と言えば、スーパーやドラッグストアなどに並んでいて、1000~3000円ほどで手に入ります。でも大量に並んでいる安価なものは、UBカット機能などのない単なるゴーグル的なおもちゃのようなメガネです。

 思えばその昔、私の家族は近眼や乱視等で皆メガネをかけていました。そんな中で私一人だけが突然変異だったのか、子どもの頃からずっと「1.5」の視力を維持し、密かに数少ない自慢の種としてきました。そういうわけで、若い頃からメガネをかけることには馴れておらず、サングラスを使用するのもうっとうしいという感じでした。

 ところが、四十台半ばになって急に細かい字が見えづらくなりました。老眼です。そこで遠近両用、今では多焦点レンズというのですが、さっそくしつらえました。それ以来15年余り、今ではメガネのない生活などは考えられない状態です。
 そして、ちょうど老眼になった頃にちょっとした病いを患い、その時の薬の副作用で「光線過敏症」という体質になってしまい、医師から昼間はサングラスをかけるようにという指示をもらっています。まあ老眼鏡といっても、多焦点となるときちんと検眼をして作りますから、UBカットも入れられるし、もちろん色も付くので、サングラス代わりにもなり問題はありませんが。

 ところで、スギ花粉症のキャリアは老眼鏡の倍の30年以上になります。認知されたのは発症の2年後でした。そして「花粉防止眼鏡」なるものが登場したのはずっと後のことで、今から10年前くらい前のことでしょうか。
 新しもの好きなのですぐに手にしましたが、初めはその奇妙な雰囲気に周囲から奇異な視線を浴びたものです。だいたいマスクだって、昔は四角くて縫い目が横に走っている例の布製の物しかなかったのです。今市販されている紙製の高性能なマスクなどをつけたら、なんとオーバーなという白い眼で見られたりもしたものです。

 眼鏡に話を戻します。「花粉防止眼鏡」の最大の弱点は度が入らないことです。上におもちゃのようだと言いましたが、大量生産で安価にするので一体成形で作らざるを得ないのでしょう、レンズの部分に細工を加えるのは無理だったのです。
 世の中にはオーバーサングラスと言って、眼鏡の上にかける大きなサングラスがあります。ある時、まるでオーバーサングラスのような大きめの「花粉防止眼鏡」に出合いました。そこでかなり高価だったのですが、「古田メガネ」と呼ばれている小さな老眼鏡を作りました。これで万全かと思いきや、やはり二重にメガネをかけるうっとうしさに辟易、「花粉防止」として使うことはできませんでした。

 5、6年前のことです。何軒もメガネ店に行きました。用件はもちろん、
 ○ 多焦点レンズの入った「花粉防止眼鏡」
 ○ サングラス兼用
 ○ 価格にはあまりこだわらない
という条件で眼鏡は作れないかということでした。これ、けっして大した条件とは思えないのですが。
 お店には10件近く行きましたが、すべての店で不可能と言われました。豊かな国?日本。先進国?日本。本当に不思議です。切実に必要だと思っているものが手に入らないのですから。結局、横浜のメガネ店で大きめのサングラスで多焦点のものをと勧められ、こんなメガネができました。
  
 去年まで花粉症の時期はなるべくこれを使うようにしてきましたが、ゴーグル型ではないので効果のほうはほとんどなかったように思います。

 さて、冒頭の「多機能メガネ」。先月の中旬に「欲しいものがない」という記事をブログに載せようと思いました。でも考えてみると、メガネ屋を回ったのは何年も前のこと。記事にする前に確かめておこうと明石駅前のお店に入ったところ、「レンズがはずれる花粉防止眼鏡があるので、サイズが合えば作れるかもしれない」と言われたのです。
 さっそく注文。数日後にできました。かけるとこんな感じ。
    

 インフルエンザ騒ぎでマスクをする人も多くなりました。おかげさまで、この時期こんな姿で外出しても奇異な眼で見られなくなりました。

 この代物の効用かどうか、とりあえず今年は今のところとても楽に過ごしています。


    杉花粉頭上を越えて飛んで行け   弁人


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表向きは一応親孝行なのですが

2010-03-23 20:48:16 | 身辺雑記
3月23日(火)

 転倒の怪我からは立ち直ったものの、すっかり年老いてしまった母。それなりに顔を出しているとは言え、明石にいると、そうしょっちゅうというわけにもいきません。でも、とりあえず連休に逗子へ戻って、三日間母のところへ通いました。

 家族の介護にも限度があり、2月のはじめに顔を出した時には「老人ホーム」なるものの見学もしてみました。「こういうところならば」という施設があったものの、入居には何ヶ月もかかるとのことで、それならばと予約の手続きだけでもしておこうという段取りになりました。ところが3月に入ってから順番待ちの数字が急に減ってきたのです。こういう施設に年度末ということはあまり関係ないと思うのですが、話が急すぎて対応できない人もいたのか、最後の何人かに辞退者が続いて、突然入居可能という話になりました。
 入居者の数も多く、明るくて活気があり、リハビリの施設も万全、近くの大きな病院との提携もしっかりしている施設です。辞退するとこの先どうなるかわかりません。兄弟の話し合いもまとまり、なんとか入居の運びとなりました。

 昨日のことはもちろん、数分前のことも消えて行ってしまう様子です。したがって、怪我をしたことも入院したことも、その後どんな日々を過ごしてきたのか、正月を私と一緒に過ごしていたことも覚えていないのです。そうはいっても、目の前のことにはそれなりに対応できるので、母の心中には戸惑いや不安が渦巻いていて複雑です。そんな気持ちが少しでもほぐれればという思いで様子を伺いに行きました。

 KAZU君が生れた時は、3人目の曾孫の顔を見に逗子までやって来て「あなたに似ているかな」とか「耳が大きくてりっぱな赤ちゃんだね」とか言っていましたが、今は私が明石で孫と一緒にいると言って写真を見せても、よく理解できないようで「ふうーん」という感じであまり興味を示してくれません。もっとも、馴れない所に入ったばかりで、そんなことに興味を示していられる状況でないのも当然です。
 とはいえ、三日目の夕方には、私を男性の入居者のところに連れて行って「これが次男」と紹介していましたので、少しずつひとりぼっちから脱して落ち着いて行くのかもしれません。次に行くのは4月の上旬になりますが、近くに桜でも咲いていてくれたら散歩にでもと考えています。


 さて、
 母のいるところは足立区の西新井の先です。いずれにしてもアクセスは北千住からということになるのですが、子どもの頃は、街道筋にある田舎っぽい感じの町だった北千住の変貌ぶりに、今回改めて目を丸くしてしまいました。

 日光街道、奥州街道の1番目の宿場町の北千住。かつては上野から来る常磐線と浅草から来る東武線の交差するところでした。実家のそばを走っていた都電21番の終点も北千住でした。都電を降りて北に歩くと荒川を跨ぐ千住新橋があって、その向こうも足立区ですが、橋を渡ると、子ども心に遠いところに来てしまったような心細さを感じたことを思い出します。
 地下鉄日比谷線「南千住-仲御徒町」間が開業したのは、たぶん小学校5、6年生の時だったと思います。夜明け前に起きて、兄と二人で南千住から一番電車に乗ったのを覚えています。北千住まで延伸したのはいつのことだったのか、荒川までずいぶん近くなったと思ったものです。それからしばらくして千代田線が北千住へ来たのですが、その頃はもう大学生だったでしょうか、とにかく北のほうへはあまり足を伸ばすことがなかったので、その変貌ぶりを目にすることはほとんどありませんでした。

 つい2、3年前、秋葉原東口に巨大なヨドバシカメラが登場したということで覗きに行ったことがありました。JRの改札を出ると「つくばエキスプレス」の案内があり、路線図を見るとこれも北千住を通っていて、一度乗ってみたいと思っていたのです。そこで今回、最初は秋葉原で降りて地下深くのホームから北千住へ向かいました。
 その日は、たまたま母のところに新小岩の叔母がやって来たのですが、錦糸町から半蔵門線に乗って来たとのこと。そんな経路があるのかとびっくりしました。半蔵門線は表参道とか神保町を通っているくらいの認識でしたが、なんと東へ向かって隅田川を渡ると、錦糸町を通って、曳船から東武線に乗り入れていたのです。帰りに東武線のホームにいると、半蔵門線経由中央林間行きという急行が走っていました。とりあえずこの経路は後日ということにして、この日はオーソドックスに日比谷線で都心に戻りました。
 
 二日目は妻君と一緒に行くことになりました。春うららの好天気だったので、家を早く出て浜離宮に寄って菜の花を見てからということにしました。
 下車駅を間違え、浜松町で降りてしまったので、芝離宮庭園にも入ってみました。
  

 急ぎ足で浜離宮へ。
  ユキヤナギとハクモクレン
  


   はらはらと地上に舞い下る白木蓮   弁人


  お目当ての菜の花
  


   菜の花や風に誘はれ踊りけり   弁人


 母のところに行くために東京へ出たのです。急がなければなりません。でも、新橋駅まではかなり歩きそう。どうせ東武電車に乗るのだからと水上バスで東武電車の起点駅の浅草へ向かいました。
  連休でも、満員ではなく
  

  春のうららの隅田川
  
   

 そしてこの日の帰りは、前日に知った半蔵門線で錦糸町に出て横須賀線に乗り換えました。

 三日目は強風と黄砂で散々の日でした。電車のダイヤも混乱状態。少しでも早く行きたいと焦って、戸塚で東海道線に乗り換えたので着いたのは東京駅。さてと今日はどうやって向かおうかと少し悩みましたが、結局呉服橋のほうに歩いて三越前駅から半蔵門線に乗りました。
    

 帰りはバスで六町という「つくばエキスプレス」の駅に出て、直接秋葉原へ入りました。

 こんなに、いろいろな経路で往復したのに何か物足りない。そう、上野から常磐線を使う経路に乗りませんでした。千代田線だって東京駅の近くを通っているのだから一回乗らなくてはなりません。

 それにしても東京ってほんとうにすごいところですね。都心から郊外のある地点まで、それもわずか20分位で着くところなのに、こんなにいろいろな行き方があるのですから。もっとも、そのある地点というが郊外へ向かう要所なんだからでしょうが。

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保育園のお迎えと帰り道

2010-03-16 06:33:34 | KAZU君
3月16日(火)

 保育園からの帰途、山陽大動脈の線路の脇を通ります。一回は車で私のマンションへ向かう時。もう一回はベビーカーに乗せてKAZU君のマンションへ帰る時です。
 KAZU君は電車を見るのが大好きなので、天候の具合を考え、ベビーカーでは落ち着いて見ていられそうもない日は、車を線路の見える所に停めて、車内からひとしきり電車を観察します。

  
 上の動画は「阪神電車!」「普通電車!」と声を上げるKAZU君です。他にも「快速」「新快速」「山陽電車」「貨物列車」などいろいろな列車が通りますが、今のところまだ発音が難しいようで「デンシャだぁ」で済ましています。
 今月初めに1才半検診を受けたのですが、問診票に「口にすることば」という欄があって、娘が正直に「阪神電車・普通電車」と記入したところ、診療所の方が「信じられない」という表情で、目をパチクリしていたそうです。


   夢乗せて阪神電車が春の暮れ   弁人


 とにかく、最近片言ですが、口にする単語がどんどん増えています。マンションのエレベーターで、1階から8階まで私が声を出して数字を勘定すると、突然一緒に唱和したりします。特に最後の「ハチィ」が大好きな模様です。

 先日、カメラを持って保育園の迎えに行きました。稲爪神社の境内が園庭ですが、二週間くらい前から「河津桜」がとてもきれいに咲いています。
  

 中に入って、KAZU君に気がつかれないように汚れ物などを物色していると、さっそく「ジージィだぁ」と言いながら出てきました。
  

 まだ自分では履けませんが、「クチュシタ」と言って座ってくれます。靴下を履かせると、カゴから自分の上着を取ってきて「アッタヨ」と言います。靴もまだ履けません。でも履く準備をして待っています。
  

 外へ出ると、そのあとがちょっと大変。境内をあちこち行ったり来たりで、車の方へはなかなか目を向けてくれません。
  
  

 国道のほうを指さして「あ、バスだ、電車も見に行かなくちゃ」というのが殺し文句です。やっと車に。
  


 保育園でおやつを、それも迎えに行く直前に食べているのに、家に帰って手を洗うとすぐさま食べ物をねだります。この日は、私が作ったイカナゴのくぎ煮がありました。お腹がふくれるほどではないし、栄養もありそうなのでちょうどいいかもしれません。それに、こういうものをおいしそうに食べてくれるととてもうれしい。
  


    イカナゴをつまんで二人笑顔なり   弁人

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カープが明石にやって来た

2010-03-13 17:46:39 | スポーツ観戦等
3月13日(土)

 10日(水)にカープがやって来るのを首を長くして待っていました。
  明石駅を出ると、お掘り端に横断幕


 でも、弥生三月とはいえ、なかなかぽかぽか陽気の日がありませんでした。ずっとぐずついた寒い日が続いていて、オープン戦の前売り券を買うのもためらっていました。

 いよいよ当日。気温は低いものの、前日までの雨も上がって時々日も差して来ます。さっそく明石公園へ様子を伺いに行ってみると、カープのトラックが。
  

 急遽家に戻って観戦準備。半休を取っても見に行きたいと言っていた楽天ファンの娘にもメールをして、球場へ向かいました。

  カープ打撃練習
  

  楽天選手ご登場
  

  明石市長より両軍キャプテンへ記念品贈呈
  
 楽天へは大漁旗が、カープの石原選手は明石の名産品を受け取っていました。

 試合はオープン戦とは思えない緊迫した展開となり、8回裏に楽天が逆転し5-4でリード。ところが冷たい雨が急にひどくなって、最終回に楽天の投手が乱れてなんとカープ6点奪取。がっかりした娘は雨の中KAZU君の保育園へ向かいました。その後横殴りの雨の中、9回裏の楽天の攻撃中に続行不能でコールドゲームとなってしまいました。
  
 気温5、6度。あまりの寒さに、カープファンからも「もういい。止めよう」という野次が飛んでいましたが、やっぱり、あと2アウト取ってほしかった。最終回の攻防は結局チャラになってしまいました。夜、娘に楽天の勝利の報告をして一件落着。


 そして、一日置いた昨日の金曜日。スカイマークスタジアムの試合は対オリックスではなくタイガース戦でした。
  
 
  いたいたカープの選手
  

  城島を先頭にタイガースの選手も現る
  

  投手長谷川、打者矢野
  
 なんと、初球ホームランの直前でした。しかし、カープ5-0の時点でしたので問題なし。

 実は、スカイマークスタジアムに入ったのは初めてでしたが、とても雰囲気の良い球場で気に入りました。オリックスは京セラドームが主球場ですが、この球場ももっと使わないともったいない。高校野球の兵庫県大会の決勝も、明石球場ではなく、ここでやるべきだと思いました。今年は何回か足を運ぼうと思います。なにしろ、車だと30分かからないくらいなのですから。

  試合は7-1でカープ完勝
  


   寒風を空調と思ふか三月に   弁人


 ところで、今年のカープですが、正直なところあまり自信がありません。エースのルイスが抜けたのに、その補充ができていないし、打線も、主砲栗原は人が良すぎてコンバートされた3塁守備に気を取られがちで、まだ快音が聞こえません。沖縄キャンプでもそうでしたが、フリーバッティングで柵越えを連発するような大砲が見当たらないのです。
 阪神の宜野座キャンプに立ち寄った時に、金本選手を見たのですが、筋骨隆々とした体つきに圧倒されました。城島もすごい人気で。
 巨人も中日も強い。ベイスターズもスレッジなんかを補強して投手陣ががんばれば侮れない状況。
 分析すればするほど溜息が出てしまいますが、それでも新監督のもと、オープン戦では機動力を生かして、なんとか6勝3敗という結果を残しています。
 そんなところに期待して、今年も溜息をつきながら見果てぬ夢を追いかけ続けることになりそうです。

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つぶやきNo.8「風雲急を告げる普天間問題」

2010-03-10 07:49:36 | つぶやき
3月10日(水)

 昨年の3月から「つぶやき」の記事を載せていますが、「つぶやき」と言えば、今や「ツイッター」にすっかりお株を奪われてしまいました。
 しかし、ちゅぅら弁は饒舌なので「ツイッター」では語れません。時代遅れかもしれませんが、ブログでつぶやきます。

 さて、表題のとおり「普天間問題」です。

 鳩山首相が「5月末までに決着」と約束したことで、にわかに話題が急浮上。最近の情報によると、民主党政権はどうも「辺野古陸上案」に着陸を試みる気配が濃厚ということです。

 おそらくこの案では、仮に一時着陸したように見えても、タラップから降りることはままならないのではないかと思っています。しかし、これがいちばん現実的だという意見が与党内で大勢を占めているらしいので理由は述べません。ちなみに、3月8日号の「AERA」に「シュアブ陸上案はワースト」という記事が載っていて、そこにワーストである事情がほぼ言い尽くされています。

 先の選挙で、「普天間の移設先は海外。最低でも県外」という公約を信じて民主党に一票を投じた人も多くいたはずです。私もその一人ですが、もし移設先が沖縄ということになれば、社民党の言うとおり、まさに「ブーメラン」的な結論で、多くの沖縄県民の願いを踏みにじる裏切りにほかなりません。

 初めは名護市長選挙を待っているかのような姿勢で、政権交代から数ヶ月の間ほとんど何も動きがなく、年明け後しばらくして、にわかに話が浮上。それも、地元の選挙で示された市民の意志には関係ないかのような話ばかりが伝わってきます。
 当然といえば当然。県外移設という結論を数ヶ月でまとめることなど初めから無理な話なのです。つまり、「5月までに」ということと「県外へ」ということは、その間の交渉や手続き考えると、現実的にはありえない話なのです。
 そんなことはおくびにも出さず、終始口先だけの約束をもてあそび、あげくの果てに、ここのところ沖縄県民を逆なでするかのような発言が続き、官房長官などは、すっかりかつての保守政権の権力者のようなそぶりです。もはや、公約違反と言うより、国民に対する裏切り以外の何物でもありません。

 さて、朝日新聞の土曜版「be」に、聖路加病院理事長の日野原重明氏の「98才・私の証 あるがまま行く」という連載があります。先週の土曜日6日付の記事に、「日本における米軍のあり方」について、理念的には私の思いとかなり近い氏の考えが載っていました。簡単に言えば、「日本には米軍は不必要」という内容で、「新しい施設は作らず、多少時間がかかっても少しずつ撤退していただく」という考え。ただ、「暫定的に普天間を継続使用」というのは、沖縄県民の理解が得られないのではないかと思いますが。
 私は「暫定的に県外の既存の施設に」というのがベターだと思います。しかし、あと二ヶ月余りの間に地元の理解を得て決定というのはやはり至難の業でしょう。

 ところで、昨日のテレビのニュースで、「全国97空港の需要予測と現実とのギャップ」という話題が報じられました。この時期に、しかも各局一斉に。メディアの流す情報の画一性と個性のなさ、それに踊らされる国民という図式がちょっと気になりましたが、まあ、不必要な滑走路がたくさん作られてしまったというのは事実なので、そのことは受け止めなければなりません。

 もう一つ、これも昨日のニュースで流れていましたが、明日開港する国内98番目の茨城空港の話題。今のところ就航する便は、国内線神戸便と国際線韓国仁川便の2便。二本の滑走路を持ち、一日の発着回数は4回という現実。ちょっと興味があったので神戸便を調べたら、初フライとは4月の半ばとのこと。つまり、明日から自衛隊機以外の民間航空機は一日2回の離発着しかないのです。そのためにテープカットをし祝賀ムードの中で営業を開始するとは。なんとも哀しくなりますが、そういう空港はまだ他にもありそうな気配なのです。

 こういう事実を踏まえて考えると、方向はおのづと見えてくるように思うのですが、政治家はなぜそういう方向に考えが向かないのでしょうか。やはり、新しい施設をどうしても作りたいという事情があるように思えてなりません。辺野古近辺の山林がすでにゼネコンの手に渡っているというのは、どうも噂ではないようですし。

 結論
 【九州にある自衛隊の部隊を使用率の低い地方空港に移す】
 【空いた自衛隊の基地を米軍に使用させる】

 茨城空港も自衛隊百里基地の拡張ですが、全国には自衛隊と共用の民間飛行場はいくつもあるのです。また、米側は佐世保に近い所を望んでいるので、当面はグアムやテニアンは考えづらいという事情もあります。こういうことを踏まえて県外ということを考えれば、確かに実現には超えなければならない問題は残るものの、結論の方向性は見えているはずなのです。
 5月までに最終結論をというのではなく、自信を持って県外移設という方向性を打ち出すことができれば、民主党さん、国民への裏切りが一つ減って、参院選への視界が良好になりますよ。



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今年も挑戦「いかなごのくぎ煮」

2010-03-06 17:22:23 | 明石風物
3月6日(土)

 不漁だった昨年と一変、今年は昼頃までならどこのスーパーにも「いかなごの新子」が置いてあります。

 「今年はどうしようかな」という思いで朝カーテンを開けると、いかなご漁の漁船ががんばっていました。
  

 明るくなってからも、この日は見通しが良かったので、特によく漁船が見えました。
   

 作るなら早めにと思っていたので、いてもたってもいられず魚の棚へ出向きました。
  

 値段は去年の半値以下。行列もなく落ち着いて買えました。普通はキロ単位ですが、今回は釜上げ用を500グラム別に買うことができました。
   


    右も左もいかなご売りのアーケード   弁人


 まずは釜上げ。やっぱり塩加減と茹で時間が難しい。次のくぎ煮の準備に気を取られて、今回もちょっと茹で過ぎてしまいました。
  

 さて、くぎ煮です。今回は平鍋を用意して万全のつもりでしたが。
  


   鍋かけて春の香りと対峙せり   弁人


 二年目の油断か、煮詰める段階でもうひと我慢できずにザルに上げたので、テリというか、艶が出ませんでした。「ウーン、残念」
  

 口当たりも今一つ納得が行かない。気合は入っていたんですけど。なんか、メダルを逃したオリンピック選手のような気分です。上村愛ちゃんの気持ち、よくわかる。オリンピックは4年後までありませんが、幸いいかなごはあと二週間ぐらいは手に入りそうなので、今回のを食べ終わった頃を見計らって、もう一回挑戦してみようかなという気分です。


 ところで、来週は寒くなって冬に後戻りとか。そういえば「冬告げ鳥」とネーミングした「ゆりかもめ」は、まだお掘りにいるのだろうかと行ってみると、影も形も見えませんでした。
   

 せっかく仲良くなったと思っていたのに、そんな思いはこちらの勝手。ちょっと春の気分にひたっていかなごに気を取られている間に北の国へ飛び立ってしまっていました。
 今頃はカムチャッカへ向けて北海道あたりを飛んでいるのでしょうか。厳冬を避けて明石に来たのに、やはり寒いのが好きなんですね。


   百合鷗そんなに急ぐかふるさとへ   弁人

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二月尽の日曜は呑気に梅と海の香りの中で

2010-03-01 20:04:27 | KAZU君
3月1日(月)

 せっかく春らしくなったのに、お日様が恋しかった毎日。2月最後の日曜日の朝、窓の外は雨上がりの空に薄日が差していました。

 KAZU君も元気だし、春の花を目指してお出かけしました。目的地は、姫路の先の、たつの市にある「綾部山梅林」。兵庫県では代表的な梅の名所で、瀬戸内海を前にした山肌にたくさんの梅が花を咲かせているとか。キャッチフレーズも「ひとめ2万本」ということなので楽しみにして行きました。

 出店が並ぶ麓から絶景ポイントまでは、梅の花と香りの中を30分ほど歩かないと着きません。

  KAZU君はベビーカーに乗ってラクチン山登り
   
 でも恐れていた予感が的中。「ボクも歩きたい」とベビーカーを下りるのはいいのですが、やはり、まもなく抱っこを要求。それも「ジージ」というご指名です。

  私が抱え上げると、ごらんのような至福の笑顔
  

 肝心の花のほうですが、早咲きの「寒紅梅」などは、すでに散り始めていたものの、ほとんどの花は5、6分咲きで、ちょうどよい時期だったかもしれません。思ったより気温は上がりませんでしたが、私は花粉防止眼鏡も曇ってしまうほど汗をかかせてもらって、春のぬくもりを満喫という具合。

  時々「ウ、メェー」と言ったりする花好きのKAZU君
  


    海眺むる顔をかすめる梅の花   弁人


  お日様は隠れちゃったけれど、これが「ひとめ2万本」の眺め
  
   

  瀬戸内に浮かぶ「家島の島々」をバックに
  


    むづかりし児に笑み戻る梅の里   弁人


 観梅のあとは、さらに西に向かって、相生の手前の室津の浜に。そろそろ季節も終盤で、今季は食べ納めになるかもしれない牡蠣料理に舌鼓。
  


 ところで、帰って来ると、海岸から明石市の防災放送がしきりに聞こえてきました。出がけにチリで大地震があったということを耳にはしましたが、聞き流してしまいました。全国的に津波警報が発令されていて、日本列島はけっこうな騒ぎだったようですね。お昼に私たちがいた室津の浜は「注意報」だったようですが、瀬戸内でも岡山の方は「警報」が出ていたもようです。「知らぬが仏」とはいえ、呑気なもんです。思わず胸をなで下ろした次第です。
 その後、夜に東京マラソンの録画を見ていたら、冷たいみぞれまじりの雨の中でのレースでした。そんなことも全く知らずに、麗らかな空気の中で孫と遊んでいたという、これもまた、ちょっと呑気であったと苦笑してしまった日曜日の夜でした。

コメント
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