チムどんどん「明石通信」&「その後」

初孫との明石暮らしを発信してきましたが、孫の海外移住を機に七年で区切りに。現在は逗子に戻って「その後」編のブログです

今年の地蔵盆は土曜日でした

2014-08-28 18:37:05 | 明石風物
8月28日(木)

 夏休み後半の関西の風物詩「地蔵盆」。子どもたちにとっては、お参りするとお菓子がもらえる楽しみなひとときです。

 お地蔵様の縁日は24日ですが、KAZU君の暮らす明石の東の界隈では、曜日には関係なく、毎年前日の23日の宵に行われています。その23日がたまたま土曜日になった今年は、ずいぶん前からカレンダーに印を付けて、KAZU君もとても楽しみにしていました。

 ただ、今年は天候が不順気味で、当日の空模様が心配でしたが、どうも大丈夫そうということで、逗子に帰っていた私も、その前に明石に戻って来ました。

 昼間お父さんとプールで遊んできたKAZU君と夕方二週間ぶりに再会。さっそくみんなで、お地蔵さん参りに出かけました。

 まず、KAZU君のお家にいちばん近い
  お地蔵様から
  

 次は・・・
 「ここ、おじいちゃんのお家のそばやな」
  

 さらに、200メートルほど先の
  公園のお地蔵様に
  

 そして、国道2号線に出た所の
  民家にも
  

 やはり、この界隈は旧街道の宿場町に近いからでしょう、最初のお地蔵様から数百メートルほどの圏内なのに、もう四か所目になります。
 2号線を越えると、すぐ南が旧街道の宿場町だった所で、今でもその名残りを残したこの辺りには、道の辻や民家のかたわらに、まだまだたくさんお地蔵様がいらっしゃいます。

 「ここもお参りせなあかんな」
  

 「なかよし地蔵」もお参りして、
  

  このあと、まだ三か所も巡りました。
 
  
   

 KAZU君の保育園も2号線と旧街道の間にあるので、友だちどうし、お互いに「会えたらいいね」とお話をしていたようです。そのお友達の姿が見えると、声を掛け合い、みんな笑顔で、お菓子を見せ合ったりして、うれしそうに走り回ったりしていますが、なんともほほえましい限りです。

 「毎日、元気で遊べますように」
  


    合はせた手そのまま伸びる地蔵盆   弁人


 まだまだ、無頓着で屈託のないKAZU君です。もしかしたら、「もっとお菓子がもらえますように」とでもお願いしているのかもしれません。
 でも、来年は小学生、いよいよ、これから少しずつ人生の荒波を乗り越えて行かなければなりません。しばらくは、さざ波程度でしょうが、見守る大人も、思わず健やかな成長を祈らずにはいられません。

 カレンダーを調べると、来年の8月23日は日曜日だそうで、はたして、KAZU君、また家族と一緒に回りたいと言うのでしょうか。

 「友だちとな、チャリで行って来るからな、おじいちゃんは来んでいいで」
と言われる日がいずれやって来るのでしょう。今から、その時のことを目に浮かべているおじいちゃんでした。


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「古代山陽道」をめぐって、新遺跡発見のニュース

2014-08-17 08:09:37 | 明石風物
8月17日(日)

 天文科学館からさらに坂を上って、少し北へ歩いた丘陵に、

 太寺山高家寺(こうけじ)という
  天台宗のお寺があります
  

 江戸時代の初期に初代明石城主によって建てられたという、薬師如来を本尊とするお寺で、市内のお寺の本堂の中では最古のものということです。
 それだけでも由緒のあるお寺なのですが、境内の一角に、もっと古い時代の塔の基壇と礎石が残っていて、どうも、飛鳥白鳳時代の7世紀後半から8世紀にかけて「太寺(たいでら)」という大寺院があったらしいのです。現在は、「太寺廃寺の塔跡」として県の指定文化財になっています。
 さらに、阪神淡路大震災のあとの発掘調査では、古い窯の跡や須恵器なども見つかり、その昔、この辺りに、古代山陽道の明石の駅家(うまや)があったのではないかと思われているのです。

 山陽道に駅家が整備され、各地に国分寺や国分尼寺が建てられたのは、奈良時代のことですが、実は、古文書によって、平安時代に、菅原道真が讃岐国司として赴任した時(「菅家文草」)と左遷されて太宰府へ下った時(「大鏡」)の二度、明石の駅家に立ち寄ったということがわかっています。

 高家寺の西に「太寺2丁目」の
  バス停がありますが、
  

 上のような言い伝えから、道真がここを訪れたことを示すように、

 バス停の脇に
 「菅公旅次遺跡」があります
  

 石碑には、道案内を務めた駅長に向かって「驚いちゃいけません。人の世はいろいろあるんだから」と言いかけた漢詩が刻まれています。


    道真の声かき消すや蝉時雨   弁人


 それはさておき、それから何世紀か後の江戸時代の西国街道は、現国道2号線の南の、海に近いほうを通っていて、今でも、大蔵谷の宿場町にその面影を残しています。
 しかし、上の通説のとおり、明石の駅家が太寺廃寺付近にあったとすれば、古い古い昔、明石川以東の山陽道は、海沿いの大蔵谷地域ではなく、もう少し北の丘陵地帯を通っていたことになります。


 以前から、そんな話を何回か耳にしていたので、丘の上の太寺付近に来ると、「この辺りに古代山陽道が通っていて、道真も歩いたんだな」と思ったりしていたのですが、ついこのあいだ、もしかすると、その通説が覆ってしまうかもしれない発見がありました。

 実は、先日、海に近い大蔵谷にある江戸時代の旧街道沿いの工事現場から、奈良時代の古井戸の遺跡が発掘されたのです。

 向こうに、KAZU君の保育園を併設する
  稲爪神社が見えますが、
  

 神社と旧街道との間、写真右側に、区画整理をしているような工事現場があります。

 旧街道に平行して、新たに
  東西に走る道路を作っています
  

 古い集合住宅が見えていますが、その向こうにも新しい道路が出来ていて、近々取り壊されてつながるとのことです。

 お盆前のある日の、
  夕方のテレビニュースです
  

 この工事現場から、奈良時代の瓦を積み上げて作った井戸が発見されたのです。

  以下、テレビ画面を続けます
 
  
   

 どうも、ここ大蔵谷の旧街道沿いに、駅家などの公の施設があったことを示しているようで、

 ニュースには、国立歴史民俗博物館の
  大先生までご登場
  

 国立歴史民俗博物館といえば、ついこのあいだの7月初めに訪問した千葉県佐倉市の博物館で、そこの先生が明石までやって来ていたのです。

 明石市では、9日の土曜日に現地説明会を開くということで、楽しみにしていましたが、あいにくの台風接近で、資料の印刷物の配布だけで説明会は中止となってしまいました。
 延期して再度開いてくれるのか訪ねたところ、工事の都合でその予定はないと聞き、がっかりして帰ろうとしましたが、がっかりしたのはやはり私だけではありませんでした。

 嵐の前の静けさというのでしょうか、上空は厚い雲に覆われていたものの、雨は降っていません。何人かの地元の方が少しだけでも説明が欲しいと、市の担当者にいろいろと質問を始めました。

 やはり、今までの通説が
  覆るかもしれないとのこと
  

 この日は、近々道路工事で埋められる、シートで覆われて見えない遺跡をカメラに納めるのが精一杯でした。

 実物を見られると思って来たのに、
  まことに残念
  

 要するに、今まで丘の上の太寺付近を通っていたと言われてきた古代山陽道が、この大蔵谷宿場を通る西国街道とほぼ同じ位置にあった可能性が強くなったということのようです。
 そういえば、稲爪神社のすぐ斜め前、国道2号線の向こう側にある天神様にも、境内に道真が腰掛けた石があるのです。それで、休(やすみ)天神社と言うのですから。


    夏雲やふるごとに沸く隣町   弁人


 あとは私の勝手な想像です。

 ほぼ東経135度に位置するこの辺り一帯は、大昔から陸路と海路の要衝の地だったことは確かで、江戸時代になって明石城が築城された時代のはるか前は、この辺りが明石の中心地だったのかもしれません。
 丘の上には大寺院が威容を誇り、その周辺に田畑と住居が点在。丘から下りると、海に面して平地が広がり、そこを東西に横切る山陽道。そして立ち並ぶ駅家をはじめとする公の施設。

 と、そんなジオラマが浮かんでくるかのような、尽きることのない歴史ロマンの話題でした。


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逗子海岸で、KANA君の笑顔満面の夏休み

2014-08-14 07:36:53 | KANA君と妹君
8月14日(木)

 甲子園の野球が始まって4日目。毎年、この時期は、暑くたってという気合で、2~3回は球場へ行くので、去年までは明石に留まっていましたが、今年は、大船の病院の通院日の関係もあり、逗子に帰っています。お盆休みを逗子で過ごすのはKAZU君の生まれた2008年以来6年ぶりです。

 帰って来たのは一昨日の12日でしたが、東京にいるKANA君のお父さんも13日がお休みということで、私に合わせるかのように、みんなで逗子の家にお泊まりにやって来ました。

 この時期、逗子に遊びに来れば、やっぱり海水浴です。

 朝からそわそわ。
  さっそく海岸へ
  

 私の子どもの頃は、男は皆パンツいっちょうで、真っ黒になるのが健康的な証しでしたが、時代は変わります。明石のKAZU君も海に入る時はラッシュガードを着込みますが、KANA君も頭からすっぽりとかぶれるコートに身を包み、紫外線対策は万全です。
 大人はサンスクリーンを塗っているのでしょう。特に若い女性、日射しの中ビキニ姿で堂々と闊歩しているのには圧倒されます。

 KANA君、スコップとバケツを持って、
  お砂遊びかな?
    

 ところで、KAZU君が初めて海に入ったのは、あの猛烈な猛暑に見舞われた2010年で、2歳ちょっとの時でした。まあ、彼はふだんからしょっちゅう海岸で遊んでいたのでなんとかなりましたが、同じ2歳で初めて海水浴場に登場したKANA君、さすがに、打ち寄せる波と水しぶきが不気味に見えたのでしょう、水に足を入れるのはまだ無理なようでした。

 少しずつ波打ち際に
  慣れてきたもよう
  

  貝殻拾いをして遊びました
  
   


    夏日射し除ける上着も涼しげに   弁人


 「パパ、お腹すいた」
  どこでお昼にしようかな
  

 メディアにも取り上げられて話題になっている逗子海岸。今年から砂浜での飲酒、音楽の再生が禁止になっています。営業時間も18時までとなって、わいわい騒ぎたい若者は鎌倉や江ノ島へ流れて行って、海開き以来、客足が激減、海の家を営業している人は大打撃とか。

 そんなことも気になっていましたが、お盆休みということもあって、そんなに寂しい感じは全くありませんでした。
 むしろ、一気飲みで騒ぐ若者や音楽の喧騒が消えたぶん、家族連れや年配者には好まれるのかもしれません。

 海の家に入ると、テーブルにビールを置いて一人静かに読書に耽っている人もいます。
 エアコンの効いた部屋で甲子園の野球を見ているのもけっこうですが、海の家で風を受けながら、のどかに時間をつぶすというのも、夏らしい時間の過ごし方としては、なかなか気持ちいい。

 そして、可愛い子の笑顔があれば、
  これまた最高
  


    土用波笑顔の孫には無関係   弁人


 どうでしょう、今年の逗子海岸。落ち着いた雰囲気が漂って、年配者や家族連れの海水浴には最適ですよ。

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のろのろ台風に、まさか直撃されるとは

2014-08-11 11:56:35 | 身辺雑記
8月11日(月)

 心配していたとおり、土日の関西は台風襲来の悪天候に見舞われ、甲子園は二日遅れで、今日やっと開幕しました。

 それにしても、今回ののろのろ台風、四国を縦断した後、なんと兵庫県の赤穂市付近に再上陸するという結果で、明石は、雨風がより激しい中心の東側になってしまいました。

 もうちょっと
  東にそれると思っていたのに
  

 台風が四国に接近した日曜日の未明から位置情報を追っていたのですが、東経132度から133度と、少しずつ明石のある135度に近づいてくるので、「もう少し、もう少し」と思っていました。
 しかし、早朝に四国に上陸して、134度まで行ったものの、思うように東には向かわず、10時を少し過ぎたころ、とうとう兵庫県に、それも135度に到達する前に上陸してしまいました。

 それでも、2時間くらい前までは比較的平穏で、「本当にこれから暴風雨になるのだろうか、実際は少し東にそれているのではないか」とか思っていましたが、やっぱり甘かったようで、9時を過ぎて急に風が強くなって、少々大変なことになりました。

 私のマンションは、阪神大震災でもびくともしなかったというのが自慢のようですが、実はそれだけ古い建物で、ベランダに吹き寄せた雨水がサッシの隙間から浸入してきてしまったのです。もちろん、ふだん下ろさない雨戸(シャッター)は閉めていたのですが、下の隙間から水が跳ね上がってくるようでした。
 なにしろ、神戸空港と明石の観測地点で、瞬間風速40メートルの風が吹いたのですから。

 そんな強風、最近はもちろん、記憶の中でも思い出せません。仕方なく、バスタオルを駆使して水の浸入を防ぎながら、シャッターが強風で吹き上げられないことだけを祈って、時速15キロというのろのろ台風の通過を待つしかありませんでした。


    汗ばみて風雨の音聞く雨戸中   弁人


 暴風雨は2時間ほどだったでしょうか、お昼になると雨が収まってほっと一息。シャッターを上げてみると、川の水が海へ大量に流れ込んでいるのか、海峡は茶色くなって潮流が西から東へ激しく流れているように見えました。

 満月の前日で大潮の時期ですが、すでに満潮の時間は過ぎて高潮の心配はなさそうなので、カメラを持って海岸へ行ってみました。

 南西から吹き返しの
  強風が吹いています
  

 左へ流れる潮流は、最高ノット時から
  1時間半ほど経っています
  
   

 どこに身を潜めていたのか、
  カモメが風に舞っていました
  


    台風禍去りて楽しむ鴎かな   弁人


 「2014年秋、波乱の幕開け?」とでも言いましょうか、テレビでは、甲子園の第一試合のもようが流れていますが、春の優勝校で優勝候補の一角平安が、初回にいきなり春日部共栄打線につかまり、5点を先制されています。


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野球の季節なのに、待ち遠しい甲子園

2014-08-08 11:18:16 | つぶやき
8月8日(金)

  久しぶりの夏空の朝です
  

 台風の余波とか前兆とか、先週末からずっと、強い南風をともなった蒸し暑い雲に覆われ、すっきりしない日々が続いていました。蒸し暑さはそのままですが、青い空を見ると、もう立秋を迎えていることに改めて気づかされます。

 そういえば、毎年広島の原爆忌を迎えるころに甲子園が始まるという感じでいたのに、今年は明日の9日土曜日が開幕となっていて、ちょっと待ち遠しい感じです。その上、台風が近づいていて、明日、九州・四国に接近と聞くと、さらに1~2日待たされるのかもしれません。
 
 最近、カープの調子が今一つなこともあって、高校野球を早く見たいという思いが強くなっているのか、つい「遅いな」と思ってしまいます。

 そこで、ちょっと甲子園の開幕日を調べてみると、去年と一昨年は一日早いだけの8日でした。でも、その前の2011年は6日で、10年は7日でした。その2年前(明石に来る直前)は90回の記念大会で、出場校が多いこともあってか、2日に開幕していて、そんな記憶も頭の隅に残っているのかもしれません。
 まあ、わずか1~2日のことですが、明石に来てからは、やはり今年がいちばん遅いのは確かなようです。

 実は、7月の下旬に入って、急に逗子に帰ったのですが、お盆には再び戻らなくてはとわかっているのに、歯医者の通院などもあって一度明石に戻りました。今度は、お盆休み前に一回甲子園に行ってから戻って来ようかなと思いながら。

 というのも、最近、甲子園の人気が高くなったのか、お盆休みに入ると、朝早く行かないと、なかなか銀傘の下の日陰の席に陣取れません。それで、お盆前に一度と思っていたのに、開幕がお盆休み前の土曜日では、ちょっと躊躇してしまいます。

 ところで、逗子へ帰る前、三回ほど兵庫県大会の試合を見ましたが、地元の明石商業の試合が中心だったので、甲子園に出る神戸国際大付属の戦いぶりは見ていません。夏は初出場ですが、春は三回出ていて、9年前にはベスト4に進出している学校です。今年はいったいどんなチームなのか、大会4日目に8年連続で出場する福島の聖光学院と対戦する試合が楽しみです。
 あとは、逗子に帰っている時にテレビで見た神奈川の東海大相模も注目しています。準決勝で、プロ注目のスラッガー、横浜高の浅間・高浜を完璧に抑えたエースの青島君、なかなかの投手です。今年のチームには、ほかにも140キロを超える直球を持つ投手が3人もいますが、その中の二年生投手の吉田君は兵庫の西脇市の出身で、ストレートはもちろん、鋭く変化するスライダーも圧巻です。決勝の向上高校戦では9回2アウトまで投げて20奪三振、二年前の桐光学園の松井君を彷彿させるような快投を見せてくれました。東海大相模の初戦は6日目ですが、今からわくわくしてしまいます。

 今年は、プロ注目の安斉投手を擁する愛媛の済美高校、昨年二年生投手で優勝した前橋育英が敗退し、今夏の甲子園は混戦模様との見方もあります。でも、やはり、春の優勝校の平安が強いのかもしれません。ほかには、大阪桐蔭や沖縄尚学などが優勝候補に挙げられているようですが、東海大相模もその一角に食い込むのではないかと密かに期待しているところです。
 テレビでは東京の決勝戦も見ましたが、帝京高を延長で下した東東京の二松学舎大付属も楽しみです。キャプテンで遊撃手の竹原君の守備、一年生捕手の今村君の活躍が光っていました。はたして甲子園でも輝けるかどうか、興味は尽きません。

 時速10キロ前後という低速で九州・四国へ向かっている台風。今日は今のところ平穏な阪神地方ですが、午後から崩れるとの予報もあります。さてさて、明日明後日はいったいどうなるのでしょうか、思わず南西の空を見上げてしまいます。


   立秋を越えても静か甲子園   弁人


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神戸空港から、港の花火を眺める

2014-08-04 19:49:55 | お出かけ・散策
8月4日(月)

 昨日一昨日は、まだ遠くにいる台風の影響か、なんとも蒸し暑い雨まじりの土日となりました。

 土曜日はプールに行くと言っていたKAZU君、あいにくの空模様ということで、元町の屋内施設で遊んでいたもよう。夕方、お父さんから「今日は神戸の花火を見てから帰ると言っているので、神戸で会いませんか」というメールが届きました。

 大きな音と暗い所が苦手のKAZU君、去年までなら考えられないことでしたが、いったいどんな風の吹き回しだろうかと、三宮で会うことにしました。

 電車に乗ると、「ハーバーランドは入場規制となっています。花火を見る方はポートアイランドへ向かわれることをお勧めします」という車内放送が流れていて、三宮に着くと、まだ二時間以上も前なのに、たいそうな混雑ぶりです。

 止みかけた雨ですが、まだぽつりぽつりしています。ポートライナーで終点の空港まで行けば、屋根のある所から見られるかもしれないし、花火の音もたいしたことはないかもしれないと、いざ神戸空港へ。

 でも、誰だって考えることは同じようなもの、展望デッキには、けっこうな人が来ていました。

 「さあ、始まりぃ!」
  

 空港は、三宮から20分ほどなのですが、

  思ったより、花火が遠いような感じ
    

 「カーくん、見とるか?」
    

 後ろを振り返ると、KAZU君の姿がありません。飛行機の音が響いてくると、やはり、遠くの花火より近くの滑走路のほうが気になるようでした。

  沖合から見ている感じです
  

 でも、このくらいの距離感も
  なかなかおつなのかもしれません
  


    花火映ゆ港神戸の夕涼み   弁人


 花火が終わると、今度は帰りの混雑が心配です。でも、土曜日なので少し遅くなっても大丈夫かなと、空港のレストランでゆっくりしてから帰途につきました。


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ぶらっと立ち寄った姫路の二つの史跡

2014-08-02 13:56:45 | 身辺雑記
8月2日(土)

 全国で五つしか残存していない「風土記」も残っている「播磨国」。歴史的には、わが国の中心だった「畿内」の西隣りに位置し、瀬戸内の温暖な気候風土にも恵まれた豊かな土地だったに違いありません。
 その播磨の国にも、昔は当然国分寺があったはずですが、思いがけないきっかけがあって、その旧跡を訪ねる機会を得ました。

 まずは、そのきっかけの話から。

 明石にやってきた2008年の秋、新しい暮らしにようやく慣れてきたころのことです。ある時、明石海峡大橋の下の舞子公園を歩いていて、公園の西にある「橋の科学館」へ入りました。

 帰り際、玄関脇の売店にあった、明石海峡大橋のイラストが入ったトートバッグを購入しました。

 このバッグ、
  なかなか便利なのです
  

 500ミリリットルの缶ビールを脇に置いてみましたが、6缶パック二つとスーパーで調達する水を入れる3リットルの容器がすっぽりと入ります。
 ビールや水の用がない時でも、丈夫で容量が大きいので、買い物の時はいつも持参することになります。
 でも、何年も使っていれば、さすがに汚れて傷んできます。新しくしたいと、3年前に科学館へ行ったのですが、もう売っていませんでした。
 それ以来、デパートや大型店で、同じ形の同じ大きさのものを探していたのですが、出会うことはなく、洗剤をしみ込ませた布で拭いたりしながら大切に使ってきました。

 そして、二ヶ月ほど前。天文科学館の売店に、大きさは違いますが、全く同じ仕様のバッグが置いてあるのを見つけました。

 プラネタリュウム
  座席新装記念のバッグです
  

 プラネタリュウムでは日本最大の座席数ということで、その数がプリントされた、小型ではあるものの、形状も配色も全く同じバッグです。

 おそらく、天文科学館のオリジナルとして独自に発注したものでしょう。だとすれば、製造元がわかるかもしれないと、さっそく調べてもらったところ、納入したのは、姫路の東部にある業務用ユニフォーム販売レンタル会社だということがわかりました。

 プリントの有無、あるいはそのデザインなどは問わないのですが、大量購入するわけではありませんから、電話で問い合わせて話が頓挫したらそれで終わりなので、直接出向くことにしたのです。
 すぐに手に入らなくても、もし最近発注を受けた相手があって、その所在がわかれば、なんとかなるかもしれないという淡い期待もありました。

 姫路市街の東に、市川という比較的大きな川が流れていますが、会社は、そのさらに手前の御着というところにありました。
 国道2号線から南に折れて、右に曲がればすぐ先に会社があるところの左斜め前方に、史跡公園のような広場が目に入りました。ちょうどお昼の時間だったので、30分ほど時間をつぶしてから会社へ行こうかと車を下りてみると、

 いかにも「新しく復元しました」という感じの
  築地塀が
  

 そうなんです。ここは
  「播磨国分寺」跡なのです
  

 南側(写真奥)には山陽本線と新幹線の線路が走っていて、ちょうどN700系が通過しているところでシャッタを切ったのですが、写真が小さくてよく見えません。

 往時は、金堂・講堂・七重塔など、
  壮大な伽藍が建ち並んでいたとか
  

 北側に見える甍は、江戸時代初期に姫路城主松平忠明によって再建された現在の国分寺です。

 「牛堂山国分寺」と言い、
  牛の石像がありました
  

 牛というと、道真を祀った天神様を思い浮かべますが、仏様とはどういう関係にあるのか、案内を見ると、「牛は聖武天皇の使者で、野草を食するも病にかからず、体力剛健、人類に貢献する平和の守り神」とありました。


   熊蝉の声いちめんに牛の寺   弁人


 そんなわけで、国分寺跡をひとしきり散歩してから目的の会社に行くと、担当の方がとても親切に応対してくれて、なんと、長いこと探していたトートバッグが手に入ることになりました。
 どうも、ここは、注文を受けると、製造元から取り寄せてプリント加工をする会社のようで、「無地でよければ単品でも取り寄せますよ」というお話、すぐにカタログを見せてくれました。

 ひょんなことで、先に国分寺に参拝したのがよかったのかもしれません。万事うまく行って、気分良く帰途につきました。

 さて、国道2号線に戻って少し車を走らせた所に、

 姫路市御国野の
  歩道橋があります
  

 歩道橋の向こうに、お城の形をした建物が見えていて、

 姫路市役所の
  東出張所となっていますが、
  

 実は、ここは黒田官兵衛が前半生を費やした小寺氏の居城、御着城址なのです。大河ドラマでは、片岡鶴太郎が扮した小寺政職、あの優柔不断の武将が城主だったお城です。

 車で姫路に行く時は、いつもここの2号線は通らずバイパスを利用します。そんなこともあり、せっかくなので立ち寄ってみることにしました。

 城址は国道で分断され、本丸は歩道橋を挟んだ南側に位置していたようですが、

 そこに、小寺大明神という
  お社がありました
  

 北側の出張所の脇にある
  官兵衛の祖父と母の墓所
  

 出張所の北に、天川橋という
  太鼓橋が保存されています
  

 御着城は平城だったので、すぐ西側を流れる天川を堀として利用、この橋は、城址の南を通る西国街道の天川を渡る石橋で、半世紀前まではその場所に架かっていたそうです。昭和47年の水害で落橋し、ここに保存されたとのことでした。

 「軍師官兵衛」で盛り上がっている播磨。御着城址にも幟旗がはためき、仮設の案内所にガイドの方も常駐、人影のなかった国分寺跡とは対照的な史跡歩きとなりました。


   往にしへの面影照らす夏日影   弁人


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