チムどんどん「明石通信」&「その後」

初孫との明石暮らしを発信してきましたが、孫の海外移住を機に七年で区切りに。現在は逗子に戻って「その後」編のブログです

一人、明石で年を越すことになりました

2012-12-30 20:30:22 | 身辺雑記
12月30日(日)

 明石に部屋を構えて4年あまり、年末年始を我が家で過ごすのは当たり前と、いつもクリスマス前後に逗子の家に帰っていました。その一方で、心の隅に一度明石の三が日の空気も味わってみたいという気持ちもありました。

 今年は7月に母を見送ったため、喪中ということで年賀状のやりとりもありません。大晦日から新春にかけて明石に滞在するには、ちょうどよい機会かもしれません。

 ただ、心残りなのは、正月にKAZU君が逗子の家にお泊まりする時に、従兄弟のKANA君と対面する場面が楽しみだったことと、湘南モノレールと江の電に乗せたいと思っていたことです。

 あとは箱根駅伝。テレビでいいかなと思いつつ、やっぱり生で声をかけたい。たしかに、最近はすごい人出とスピード化で、なかなか思うように電車に乗れなかったりするのですが、去年も一昨年もじっとしていられなくて、KAZU君と遊ぶのもあきらめて出かけてしまっていました。

 そんなわけで、少々迷っていたのですが、今回は意を決して両方とも断念、年末年始の明石の雰囲気を味うことにしたのです。


 腹が据わって、一昨日の28日、かつて母が元気なころに妻君が作り方を教えてもらった、私の実家伝来のちょっと変わった風味の「なます」作りに挑戦しました。

 どうせ自分一人分なので、
  気楽な気分で
  

 少し多めの砂糖とすりつぶしたクルミを一緒に和えているので、ややこってりとした感じの酢の物です。

 昨日の29日は、明石の台所
  「魚の棚」を覗いてみました
  

 以前、年末ならふだん見かけないスジコがあるという話を聞いたことがあったのと、一年中あるイクラも関西は醤油漬けばかりなので、塩イクラを捜しに来たのです。

 やはり、醤油漬けばかりで、
  スジコもありませんでした
  

 あと、マグロの刺身も好きなのですが、関西は和歌山のキハダが有名なせいか、バチマグロがあまり入りません。もちろん、本マグロやミナミマグロでもいいのですが。

 冷凍物でないと数日後に食べられないので、
  あきらめてと
  

 結局、買いたいのは逗子の魚屋にあるものばかりで、これでは明石で正月を迎える意味がありませんね。

 ということで、数の子に加えて、
  地元の蒲鉾も買いました
  


   港町声に誘われ年用意   弁人


 さて、今年も残すところ、あと二日になりました。今朝、雨の中、KAZU君一家が熊本のおばあちゃんのおうちへ向かいました。
 姫路から「のぞみ」に乗って、博多から九州新幹線で熊本です。乗り換えを入れて3時間で行っちゃうそうで、九州もけっこう近いもんです。

 実は一昨日、今年最後の保育園から帰る時に、KAZU君に「姫路でバイバイやで」と見送りの約束をしたのです。
 参ったのは、その時のKAZU君のことばです。
 「カーくんなぁ、飛行機のあと京浜急行に乗ってな、逗子のおうち行くからな、おじいちゃん逗子で待っとってな」
 その瞬間、なんとなく説明するのが億劫になって、口をつぐんでしまいました。

 それはともかく、
  姫路まで新快速に乗って
  

 これからKAZU君、熊本に二泊して、元日に飛行機で羽田へ飛び、逗子の家で正月を過ごした後、今年は休みがちょっと長いので、最後に一泊ディズニーランドのホテルを取ったとのこと、いよいよ7泊8日の楽しい長旅の、~はじまりぃ、はじまりぃ~。

 「来た、来た。
  カーくんの乗る『のぞみ』やで」
  

 帰省で満員の車内。
  座席はホーム側ではありませんでした
  

 「あーあ、行っちゃった」
  本当に一人になっちゃいました
  


   冬の日や帰省子に紛るる孫一家   弁人


 日が暮れると、朝からの雨もおさまって、どうも冬型の気圧配置になるようです。北西の風も吹いて来て、寒い年越しになりそうな気配。

 海岸のイルミネーションも
  冴えざえとした趣です
  

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元気回復のKAZU君と楽しいXmasパーティ

2012-12-26 13:08:54 | KAZU君
12月26日(水)

 「水疱瘡」で自宅療養を余儀なくされたKAZU君、保育園を休んでから5日経った一昨日のクリスマスイブの日は、ほぼ全快間近の体調に戻って元気いっぱいでした。

 ところで、最近のKAZU君、夕飯の調理に関心が強くて、「僕もお手伝い!」とキッチンから離れません。

  お米を研ぐのも大好きです
  

  焼肉だって、引き下がりません
  

 そんなわけで、夕方親が帰って来ると、「おじいちゃん、バイバイ、カーくんなあ、今忙しいからな、また明日迎えに来てや」という具合。おかげさまで、最近は私も早めに自分の部屋に帰れるので助かります。

 そこで、クリスマスというわけではありませんが、とりあえず、幼児用の包丁をプレゼントの一つにしました。

 さっそく、「きゅうりはカーくんが」と
  いっちょ前です
  

 そんなKAZU君と一緒に、楽しく作っておいしく食べられるものは、やっぱりこれでしょうか。お父さんが「電気たこ焼き器」を買ってきてくれました。

  うまく丸くなるかどうか、
  
 「まだちょっと早くない?」
 「そんなことないで」
と、みんなでお箸をつつきながらワイワイと。これは会話も弾みます。

  なんとか、丸くなりました
  

 見た目は「たこ焼き」ですが、もちろんここは明石ですから、玉子いっぱいの、とろとろふわふわの「玉子焼き(明石焼き)」を目指しているわけで、ソースやマヨネーズではなく、温かいお出汁に浸けて食べました。


   はふはふと明石っ子になりにけり   弁人


 「さっき、玄関の明かりが点いたような気がしたんだけど、また消えちゃったね」
と言うと、
 「きっと、サンタさんやで」
と、KAZU君急いで玄関へ走って行きました。

 「サンタさん、プレゼント置いて行ってくれたんや!
  なんやろ?」
   

 「やったぁ、プラレールのかるたやぁ」
   

 さっそく遊びたかったのですが、かるた遊びは後にして、先に、お母さんが用意してくれたケーキを食べることに。

 「こんなに食べられるかなぁ」
  「みんなで食べるんだよ」
   

 お誕生日じゃないけど、
  やっぱりローソク立てなくちゃ
   

 「明日も保育園行けないんだから」という緩んだ気分もあって、ケーキを食べた後にかるた遊びも楽しんだので、私が自分の部屋に戻った時は22時頃になっていました。


 さて、一夜明けた昨日の火曜日。お父さんとお母さんがお仕事に出かけて、二人で遊ぶことになると、

 さっそく
  プラレールかるたを広げました
  

 ひと遊びした後、お昼前にお医者さんの診察を受けたところ、今日の水曜日から保育園に行ってもよいというお墨付きをいただき、登園許可証を作っていただきました。


   笑顔の子まずはめでたし年の暮   弁人

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クリスマス前の少々退屈な日々

2012-12-24 10:31:55 | KAZU君
12月24日(月)

 「もうすぐクリスマスやで」と、
  ワクワクしていたKAZU君。
  

 師走も下旬を迎え、大人はなにかと忙しい中、KAZU君、寒い風に当たったのか、先週の半ばにちょっと熱が出て保育園をお休みしてしまいました。
 でも、おかげさまで、すぐに熱が下がって元気になったのですが、その夜から湿疹が出て、お医者さんに診てもらうと、あらら、なんと「水疱瘡」という診断。湿疹がかさぶたになるまでしばらく自宅休養となりました。

 お外に行きたいのに、
  部屋の中で時間潰しです
  

 幸いに、湿疹の痒みもなく熱も下がっているので、食欲もあり元気一杯です。でも、ずっと部屋に閉じこもっているのはなかなか退屈なのです。

 プラレールで遊んで、絵本を眺めて、電車のビデオを見て、「これ、おじいちゃんのカメラ? カーくん撮りたい!」

  カメラマンごっこになりました
  

  「おじいちゃん、こっち向いて」
  

  「二人で作ったプラレールも撮っておかな」
  

  自宅休養二日目。この日もまずはプラレールを組み立てて
  

 最近レールが増えたので、真ん中に入れます。寝そべって視線を同じ高さにして、身体を回しながら列車を追っかけます。
 このあと、私の膝の上で絵本をいっぱい読んでもらいました。

 お昼は、温かい「わかめうどん」を
  たいらげました
  


   遊び飽く窓の外には冬木立   弁人


 この翌日から三連休に入りました。昨夜連絡があり、湿疹のかさぶた化も進んで元気を持て余しているので、今夕、クリスマス会ができそうとのことです。

 ということで、さっそくこれから買い物に出かけます。

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明石に戻って、プラネタリュウムの講座へ

2012-12-16 14:42:49 | 明石風物
12月16日(日)

 今年も、明石の天文科学館で行われている「シルバー天文大学」の講座に通っています。
 昨年は、うっかり忘れたり、日にちを間違えたりして、2度も欠席してしまい、皆勤賞をいただけませんでしたので、今年はそういうことがないように、しっかりとカレンダーに書き込んでいます。
 でも、11月の末から10日間ほど逗子の家でのんびりしていたので、また、ついうっかりという感じでしたが、12月の講座の日が迫っているのに気づき、少々あわてて総選挙の期日前投票を済ませて明石へ戻って来ました。

 昨日と今日の土日は急に暖かくなっていますが、それにしても、今年は冬の訪れの早いこと。12月も半ばに入ったばかりなのに、

 明石へ戻る新幹線。
  米原の手前はこの雪景色でした
  

 前後しますが、この日は冬型の気圧配置で、
  関東ではこの光景
  
 富士の雪が消えるのは梅雨入り前くらいで、その頃にはもう半袖なのでしょうか。トシを取ったせいか、こんなにきれいな富士山を眺めながら、つい、早くあと数ヶ月経ってしまわないかなと思ってしまいます。


 さて、今日の本題は、明石天文科学館のプラネタリュウムの話です。

 明石に戻った翌日、さっそく天文大学の講座を受けに科学館へ出向きました。

  つい三ヶ月前は、まだ暑さが残っていたのに
  

  師走ですね。サンタクロースがお出迎えです
  

  会場はもちろんプラネタリュウムのホールです
  
   

 鉄アレイを大きくしたような、なんか黒いアリのお化けのような、これぞ「元祖プラネタリュウム」という形状だとは思いませんか。和語に直すと「天象儀」と言うそうですが、実はこの投影機、50年以上も前に作られた旧東ドイツの「カールツァイス社」製の機械なのです。


   降りそそぐ冬の星座に流れ星   弁人


 ところで、現在、日本には400台ほどのプラネタリュウムが設置されているそうで、これはアメリカに次いで世界で二番目の数なんだそうですが、今は、国産の、それもコンピューター制御の小型の投影機もあるそうです。
 いずれにしても、量産する機械ではなく、発注を受けなければ作らないシロモノですから、伝統のありそうなドイツ製と聞くと、なかなかの重みが感じられます。

 プラネタリュウムと言えば、私は東京で生まれ育ったので、小学生の頃、よく上野から地下鉄銀座線に乗って、渋谷の五島プラネタリュウムへ行った思い出があります。その渋谷のプラネタリュウムの投影機も、同じドイツの「カールツァイス社」製の姉妹機だったそうで、それで、この形に親しみを感じたのかもしれません。

 さて、その五島プラネタリュウムですが、私が8才の年から44年間稼働した後、2001年3月に閉館してしまいました。同じ「カールツァイス社」製のものでは、名古屋市立博物館で48年間稼働していたものが2年前に終了。過去にいちばん長く使用されたのは、20年以上前に国産機に切り替えた大阪市の電気科学館の52年間という記録だったそうです。

 その大阪の科学館の52年と79日という投影期間の記録を、今年の8月末に、明石の投影機が超えて、今は日本最長記録を更新中なのです。

  まさに「長寿日本一」になりました
  

 間単に「長寿日本一」と言いますが、実は、ここまで来るには、さまざまな困難な出来事をくぐり抜けて来たわけで、そこには保守点検の苦労はもちろん、幸運や偶然も絡まった歴史があったのです。

 耐用年数は30年くらいと言われる中で、一日でも長く使い続けたいという整備担当者の熱意が端的に現れたのが、阪神淡路大震災の時でした。
 どんな時でも、その日の最終投影後は、万が一の時に備えて最も安定した状態に固定するという、当たり前のことを怠らなかったために、科学館の建物や望遠鏡などには多大な損傷があったものの、地震の発生が早朝の閉館時だったことも幸いして、この機械自体は震災を無事にくぐり抜けることができたのです。

 もう一つ、なぜ地方の小都市の科学館がこんな高額な機器を購入できたかといういきさつです。
 1960年開館の明石天文科学館。東経135度の日本標準時子午線上に作られるということで、ぜひとも日本で4番目のプラネタリュウムをという計画だったのですが、当時1台1億円という価格では、さすがに手が出ないという状況だったのです。ところが、その前年の1959年に伊勢湾台風が襲来、「カールツァイス社」に発注していた名古屋市が災害復旧に追われて購入計画が頓挫してしまったのです。
 いつでも納入できる状態で宙に浮いてしまった高額な精密機械。いったい誰がどういう交渉したのかは定かではありませんが、ほぼ半額で購入できることになって、明石市が飛びついたということです。
 名古屋市にはなんとも気の毒な話なのですが、さすが大都市の名古屋、二年後には復旧の目途も立ったのか、ちゃんとカールツァイス社から投影機を購入していますので、まあ良しとしておきましょう。

 こんな歴史を背負って長寿日本一となった明石のプラネタリュウム。このすさまじい技術革新の時代の中で、使い捨ての風潮に負けずに、いつまでも生き残ってもらいたいと願ってやみません。

 長寿といっても、考えてみれば、私より11歳年下なのですが、この機械が投影する星空を眺めながらシルバー大学に参加していると、なんとなく、明石にいてよかったという幸せな気分に浸れるのです。

 ところで、この日の講座の内容ですが、長寿の星と言われている、りゅうこつ座の「カノープス」という星の解説でした。
 この星、おおいぬ座の「シリウス」の40倍、太陽の1000倍の明るさを持ちながらも、地球から310光年という長い距離と、日本からは南の地平線上にしか現れないため、見える時間が短く、大気の層に阻まれるので、夕陽と同じように赤みがかって見えるのです。
 そんな特徴が言い伝えとなって、中国には、七福神の一人、「寿老人」のもとになった長寿の神様が酒を飲んで酔った時にしか現れないという昔話が残っているということでした。


   鍋の箸暫し休めて星見酒   弁人

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七ヶ月を越えて、元気なKANA君

2012-12-09 15:36:18 | KANA君と妹君
12月9日(日)

 今回逗子に帰って来たのは、51年前に他界した父と、この7月に父の許へ旅立った母の慰霊祭を行うためでした。

  もちろん、KANA君も参列です
   

 湯河原温泉から帰った翌日、この慰霊祭の前に、準備と打合せのために東京の実家に出かけましたが、近くに住んでいるKANA君も遊びに来てくれました。

  お髭のおじいちゃん、久しぶり?
  

 つかまり立ちなんて、
  片手で余裕しゃくしゃく
  

 翌日はKANA君のおうちで遊びました。

 テーブルの下へもぐるのかな。
  「頭、気をつけてね」
  

 とにもかくにも
  元気で愛嬌満点のKANA君
  

 遊んだ後は、
  プーさんと一緒におやすみです
  


   澄んだ眼の童子現る師走かな  弁人


 ところで、昨日の新聞に、「子どもは泣くのが仕事」という記事がありました。

 その通りだと思うのですが、この4年間、KAZU君が長い時間むずかって手を焼くということは、全くと言っていいほどありませんでした。
 KANA君には時々しか会わないのですが、彼もまた、とてもおとなしい性格で、すぐに笑顔になってくれて、大人を手こずらせることが少ないような感じがします。
 もう少し腕白でもいいかなと思いながら、今のところは、心の優しい孫二人に恵まれて幸せいっぱいの気分です。
 はたして、彼らが自我に目覚めて、周囲に疑問や反発の念を抱くような歳になるまで生きていて、生意気になった二人と関われるかどうか、とりあえず、またジョキングでも始めてみようかなと思っています。


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雨上がりの西相模路で心身の洗濯

2012-12-07 10:09:29 | 旅行
12月7日(金)

 膝を抱えて前後に体をかがめて、じっとしているだけの明石の部屋の小さなお風呂。秋が深まって来た頃から、ゆっくり温泉に浸かりたいと思いつつ、一人で旅館に泊まるのも億劫で、果たせぬまま逗子に戻って来ましたが、さっそく妻君に「近場でいいかな」と誘って、湯河原の宿を予約しました。

 4年前、明石へ行くまでは、この辺りは日帰りで出かけることが多かったので、湯河原での宿泊は久しぶりです。
 出かけることになった4日は、朝方雨が残り、湯に浸かって泊まるだけなら午後出かければ十分とも思いましたが、間もなく雨も上がりそうな気配、それではと、朝食後すぐに電車に乗りました。

 まだ紅葉が残っているとはいっても、湯河原はどこも行き尽くしている感じで、いったいどこで時間を潰そうかなと思っていると、小田原の手前で車窓に大雄山線の電車が見えました。
 「あの電車乗ってみようか。乗ったことある?」
 「どうかなぁ、ないかもしれない」
 「最乗寺は?」
 「一緒に行ったことがなければ、ないんじゃない」
 「車で近くを通ったことは何回かあるけど、最乗寺はまだ行ってないな」
というやりとりをして、小田原から大雄山線に乗ることにしました。

 電車に揺られて20分。終点の大雄山駅から「道了尊」行きのバスに乗り換えて10分ほど山へ入って行くと、大雄山最乗寺の三門近くの終点に着きました。

 雨に濡れた滑りやすい道を
  2、3分歩くと、三門です
  

 ところで、「大雄山最乗寺」なのに、なぜ「道了尊」と言うのか、今まであまり気にも留めなかったのですが、寺の案内を読んでわかりました。

 最乗寺は今から約600年前に創建された曹洞宗の名刹で、開山したのは了庵禅師という方なのですが、開山にあたって修験道の行者であった道了という僧が空を飛んで了庵禅師の許に馳せ参じ、五百人力を以って土木作業に専念し、わずかの間に創建の大事業を成し遂げ、その後、天狗となって山中に身を隠し、観音菩薩の化身として信仰を集めるに至ったということなのです。
 そんな言い伝えがあって、最乗寺の御本尊は釈迦牟尼仏なのですが、道了尊に対する信仰の厚いお寺になっているのです。

  三門から大木の中の参道を進みます
  

  突然、木漏れ陽が差し込んで来ました
  


   時雨去り御仏開眼のけはひなり  弁人


  真紅のもみじも最乗寺の初冬の彩り
  

 この後、本堂をお参りして、さらに階段を上って行くと、奥の院まで、開山堂、鐘楼、不動堂、大黒殿、御真殿等々、奥の院まで様々な建物が続きます。

  その中の一つ、風情ある多宝塔
  

 さて、ひと通り最乗寺を歩いた後、再び小田原へ戻り、湯河原温泉へ向かいました。

  まだ陽の明るいうちに部屋に落ち着き
  

  露天風呂、久しぶりです
  


   せせらぎの音も温もるもみぢの湯  弁人



 そして、旅寝の朝も上天気。とりあえずバスで駅に下りて東海道線に乗りました。

 向かったのは、
  大磯城山公園の郷土資料館
  

  公園内の紅葉はまだまだ見頃で
  

  展望台に上がれば、この絶景
  
 でも、雄姿の上に、お天気が下り坂になるという笠雲が乗っかっているのが気になりました。


   こゆるぎの磯の香吸ふか富士の雪  弁人


 それにしても、心洗われる西相模路の散策でしたが、案の定、このあと急に雲が多くなってきて、前日の朝まで時雨模様だったのに、その日の夜半から6日の朝にかけて、またしっかりと雨が降ったのでした。


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冬支度の逗子の散歩道

2012-12-03 17:39:07 | 逗子風物
12月3日(月)

 ついひと月ほど前の気象庁の長期予報では「今年の冬は暖冬傾向」ということだったのに、11月の半ばからほんとうに寒い日が続いて、すっかり裏切られた気分です。
 そうはいっても、世の中がお寒いのは政治家のせいにできますが、立冬を過ぎた後、予想以上に寒気団が南下したからといっても、自然現象ですから文句は言えません。

 ところで、瀬戸内に面した播磨・兵庫の南部は、いかにも温暖そうに思われますが、冷え込んで来ると北西の季節風が強まる日が多く、今年も少々こたえていました。
 そんな中、湘南のほうが少しは暖かいのかなと、ちょっぴり期待しながら先週逗子に戻って来たのですが、やはりストーブなしではいられない寒さで、気がつけば師走に突入しているのです。

 我が家に落ち着いて、ただ寒空を見上げながら部屋の中でくすぶっていてもはじまりません。
 雲が多くて、ぽつぽつと来そうな気配。でも晴れ間から青空ものぞいているじゃないかと、丘の上の住宅地の公園をめざして坂道を上って行きました。

 これから色づくのでしょうか、
  「カクレミノ」の葉
  

  まだ深紅の葉が残っている「ニシキギ」
  

  「モミジ」も今が盛りと燃えていました
  


   丘の上薄日沁み入る冬紅葉   弁人


  さすがに「桜紅葉」は散り終わっていて
  

  「ケヤキ」はもう八割がた冬支度という風情でした
  


   鳥追ふがごとく散り行く木の葉かな  弁人


 西の空から、だんだんと雲が広がって来る中、帰り道の坂を下りていると、冷たい雨粒が落ちてきました。夕方のニュースでは、この日、関東の山間部や、都心でも西のほうでは雪がちらついたということでした。

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