チムどんどん「明石通信」&「その後」

初孫との明石暮らしを発信してきましたが、孫の海外移住を機に七年で区切りに。現在は逗子に戻って「その後」編のブログです

お待たせ、元気なKAZU

2008-10-29 23:57:23 | KAZU君
10月29日(水)

 ご心配おかけしました。何人かの方から貴重なご意見やアドバイス、また体験談もいただき、とても励みになりました。ありがとうございます。おかげさまで、KAZUは順調にRSウイルスを蹴散らし、昨日の28日から保育園に復活いたしました。
 保育園の先生の話では、KAZUはすこぶる元気で、今日も他の幼児たちの人気の的になっていて、みんながベビーベッドに集まってくると、満面の笑みで応えていたそうです。そういえば、迎えに行った時に、私がKAZUを抱っこすると、ヨチヨチ歩きの子が何人も寄ってきて「バイバイ」をしてくれました。
 
 それにしても、今回はRSウイルスというやつがけっこう手ごわいということがよーくわかりました。初めのうちの、ミルクも飲まずぐったりとして眠っている様子の時は、ほんとうにどうなることかと思いました。
 この病いは子ども特有のものだと思っていましたが、大人にもうつるようで、両親がダウンしてしまいました。私はアルコール消毒の甲斐があったのか、幸いなことに、元気になったKAZUと、金曜日も月曜日も二人でワイワイ過ごすことができました。とはいえ、ほっとしたのか、実はちょっと喉が痛いような感じなので、一昨日から薬を飲んでいます。結局KAZUは、両親にウイルスを渡して復活しちゃった感じでしょうか。

  「ほぼ回復のKAZU」-24日(金)
        
    
 それと、今年は異様に気温が高かったと思います。私は先週まで半袖で通していました。去年の写真を見ると、10月半ばの箱根駅伝の予選会に行った時も、20日過ぎに奈良を訪れた時も、長袖の上にトレーナー、そして手にはウインドブレーカーを抱えています。
 とにかく今年の10月は好天続きで、昼間は連日気温が20度半ばまで上がりました。朝夕との気温差が大きかったのも、今回の原因の一つであったような気がします。

 日曜から平年並みの気温に下がり、すっかり秋らしくなりました。今日はKAZUを受け取ったあと、すぐにソックスを履かせ、スポーツタオルをかけて家路につきました。


   孫抱き釣瓶落としの帰り道    弁人


 ところで、3ヶ月の乳児を保育園に預けるというのは、見方によっては、かなり勇気のいることなのかもしれません。しかし、家で一人っ子の状態で過ごしているより、プラスの面が大きいような気がします。もしかしたら、KAZUの保育園の方々の熱意なのかもしれませんが、家族がびっくりするような成長が見られます。
 
 初めて保育園へ預けて二日目に、左側に寝返りができるようになりました。「なんとかの一つ覚え」ではないですが、先週までは、寝返ってうつ伏しては苦しくて泣き出すという繰り返しでした。ところが、昨日保育園から帰ってくると、右側にも寝返りができるようになっていました。そして今日は先生から、「ただうつ伏せているのではなく、頭をあげて、しばらくじっと前を見ていられるようになりました」とほめられました。
 
 保育園から帰ってくると、家でできなかったことをクリアーしていることがあってびっくります。ハイハイして周囲を困らせるのも案外早く来るかもしれません。

 もう一つ、KAZUは音楽が好きなようです。娘はKAZUがお腹にいた時からモーツァルトなんかを聞かせていたようで、その成果か、私が歌を口ずさむととてもうれしそうな顔をします。口笛も喜びます。わたしの歌う曲は「ふるさと」「たき火」「春よ来い」「桃太郎」。あと民謡の「貝殻節」。ちょっとわけがあって、「七つの子」はあまり喜びません。ミルクを飲ませる時はクラシックではなく「Dr.コトー」のサントラをかけます。むずかっている時でも、だいたい静かになります。ハーモニカもそろそろ聞かせてみようかと思っています。びっくりしながら喜びそうで、にんまりしながら海岸でひそかに練習しています。
 部屋では隣に聞こえないように

   星月夜そっと奏でるハーモニカ   弁人
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KAZUダウンもピンチ脱出か

2008-10-23 21:36:39 | KAZU君
10月23日(木) 

 生後3ヶ月半、KAZUに人生最初の試練がやってきました。

 たしかに先週末から少し元気がありませんでした。でも、土曜日に娘夫婦と会食した時は、そんなに気にはなりませんでした。そして20日の月曜日。昼前に保育園から「風邪をひいたらしく元気がなく、ミルクも飲まないので心配」との連絡が入り、母親が午後休みを取って迎えに行きました。
 私はこういう時のために明石に来たようなものなのですが、「母乳なら飲むかもしれない」という判断で、母親の出番。私はときどき「ゴホンゴホン」して横になっているKAZUを眺めるのみ。
 夕方、小児科で受診したところ、「特に心配なし、保育園も可」という診断でした。

  元気のないKAZU(先週末)
  
    
 火曜日は、4時に迎えということで保育園に預けましたが、やはり、ミルクは少々で、ほとんど遊ばず、寝続けていたとのことでした。
 でも、家に帰るとけっこう元気だったのでちょっと安心しました。いちおう今日もお医者さんに診てもらおうということで、小児科に送って私は帰りました。どうも新しい薬が出たようです。

 そして水曜日。昨日まで長く続いた好天が暗雲に。父親から「夜中に咳が出て何回も起きてしまったので心配」という連絡があり、結局、大きな病院へ行くことになりました。最初の診断は近所の小児科と同様でしたが、念のためということで鼻水の検査をしたところ、「RSウイルス感染症」ということがわかりました。2才位までにほぼ全員が感染する一般的な病気らしいのですが、生後6ヶ月前に感染すると重くなることがあるので、少なくとも今週いっぱいは家で安静にという指示を受けました。

 母乳がなんのかんのとは言ってられません。早くも私の出番がやってきました。両親は会社へ向かってもらい、昼前からKAZUの看病となりました。

 初めは甘えてむずかっていたのですが、元気がなくミルクも飲まずにすぐ寝てしまいました。今日は熱もあるようで、とても心配です。
 1回目に目を覚ました時にオムツが濡れていたのでちょっと安心。3時過ぎにはミルクを100cc飲んでくれました。薬も飲んで、夕方親が帰ってくるまでスヤスヤと寝てくれました。
 明日、明後日と昼間は私が看病します。明石に来た甲斐があったと言えばたしかにそうですが、元気なく咳き込んでいる孫がかわいそうでなりません。
 私にできるのは、いつものとおりおまじないだけ。
 「チチンプイプイ、早く元気になーれ


     幼子に試練を与えて秋の雨   弁人

  早くこの笑顔が見たい
  

 もしかしたら、風邪気味だった時もあった私が移したのではないかと気になっていましたが、このウイルスは空気感染はほとんどなく、感染者の鼻水が媒介となって、何かの事情でおもちゃとか絵本とかを経由して感染してしまうそうで、どうも家族の誰かの風邪が原因ではないらしいということになりました。

 さて、今朝は7時前にKAZUのところへ行きました。今度は母親がダウンしてましたが、医者へ寄ってから会社へ行くということで、9時過ぎから私の本務に入りました。薬のせいもあるのかもしれませんが、昼近くまで静かにぐっすりと寝てくれました。回復基調にあるのか、起きた後はとても元気で、3時間近くむずからないで遊んでくれました。その後は遊び疲れで夕方までおやすみです。

 今日の様子では、どんどん回復して来週のアタマから保育園に復帰できそうです。夕方、親にバトンタッチした後、ほっとして帰路につきましたが、赤提灯の前を素通りできませんでした。明日も朝早いのに、・・反省・・

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小田原ういろう物語 その1

2008-10-19 23:58:34 | 小田原ういろう
10月19日(日)

 「ういろう」と言えば名古屋でしょうか、羊羹のようなお菓子を思い出しませんか。山口県の「ういろう」も有名で、かつて湯田温泉に行ったときに口にした思い出があります。

 先日、明石銀座の商店街を歩いていると、和菓子屋に写真のような品名を書いた札が目にとまりました。右のほうに「名代ういろ」がありました。

    
 「明石にもあるんだ」と近づいて行くと、店のおばさんが「手作りでおいしいですよ」と声をかけてくれました。少し平べったく、浅草の「芋ようかん」のような感じで、色は白と抹茶の緑色の二種類、今日は娘のマンションへ行く予定もないし、一人でほお張る気にもならず、そのまま帰りました。せめて写真ぐらいはと思いましたが、買わないで撮るのは失礼ですよね。

 ところで、写真を見ると「ういろ」と3文字になっています。「ういろう」も「ういろ」も同じものなのですが、以前、聞いたところによると、名古屋には二つの代表的な製造元があって、一つは「青柳ういろう」、もう一つは「大須ういろ」と言うそうです。たぶん商標の紛らわしさがこういう名称を生んだのではと思います。五年前に大学駅伝を見に伊勢に行きましたが、伊勢では「虎屋のういろ」というのがありました。明石も「ういろ」で、私の記憶の中に三つ目の3文字の「ういろ」が刻まれました。

  秋うらら「ういろ」の三文字明石に見ゆ  弁人


 実は、小田原にも「ういろう」があるのです。私は小田原の「ういろう」とはちょっとした縁があって、それで今回、なんとも言えない感慨を抱いて店先に立ったのでした。

 小田原の「ういろう」も、各地にあるものと同じ蒸し菓子ですが、包装に高級感があり、値段も高いような気がします。本当のことを言うと、口にしたことがないのです。
 なぜかというと、私が小田原で買い求めるのは、お菓子ではなく薬だからです。

 6、7年前の年末に「ういろう」の調達に小田原へ出向いたときに、店の入り口にきれいな女性とカメラマンがいて、私にマイクを向けてきました。
  
 「中京テレビのものですが、『ういろう』を買いにいらっしゃったのですか」
 「ええ」
 「『ういろう』って、名古屋では有名なんですけど、こちらの『ういろう』もおいしいですか」
 「えーと、ごめんなさい、僕はお菓子の『ういろう』じゃなくて、薬を買いに来たものですから」
 「ええっ、『ういろう』っていう薬があるのですか、お菓子じゃなくて」
 
 というような、わざとらしい会話をしてしまったことがあります。「いい旅、夢図鑑」とかいう番組らしいのですが、関東地方では放映されなかったので、私とのやりとりが採用されたのかどうかは知る由もありません。

 真偽のほどはわかりませんが、昔、中国から薬の製法を持ち込んだ外郎家(外郎というのは官職名でガイロウ、これと区別するため個人名はウイロウと読ませたとか)が菓子の製法にも通じていて、本来の薬は小田原に、お菓子のほうは各地に広まったということです。

 さて、今日はこのへんにします。次回は「薬の『ういろう』について」という内容です。


※ 個人的な好みですが、お菓子の場合、私は「ういろう」よりも羊羹のほうが好きです。やはり、虎屋の羊羹でしょう。
   
  ごめんなさい、「ういろう」も羊羹でした。羊羹には、練り羊羹と蒸し羊羹があるのです。「ういろう」とか「芋羊羹」とかは蒸し羊羹で、我々が普通に羊羹と呼んでいるのは練り羊羹なのです。そのほかに「水ようかん」というのもありますね。
 
  比べてみれば一目瞭然。練り羊羹が持っている落ち着いた光沢と、その形状の中に沈み込んで行くような澄んだ色合い、そこから生まれる上品さは、残念ながら蒸し羊羹や水ようかんにはありません。
 
  一説では、寒天と飴を使う「羊羹」より、小麦粉や米粉を使う「ういろう」のほうが質量が大きくなり、値段のわりに豪華さが伝わるというので広まったとのことですが、それではまるで「ういろう」を好んで買う人は中身より体裁を大事にするということになってしまいますので、これ以上の言及は控えます。
 
  ちなみに、羊羹の美しさについては、夏目漱石が「草枕」の中で、谷崎潤一郎が「陰影礼賛」の中で述べています。
   
   月明かり羊羹一切れ置いてみる  弁人

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明石市大蔵 稲爪神社秋祭り

2008-10-13 15:13:49 | 明石風物
10月12日(日)

 明石市では、神社やお寺に設置されている保育園がたくさんあります。神奈川のほうでは、お寺の幼稚園はありましたが、神社というのは記憶がありませんし、保育園というのもなかったような気がします。

 KAZUの保育園は山陽電鉄「人丸前駅」の南東、歩いて2~3分(私の住まいからは10数分)のところにありますが、実はこの保育園も「稲爪神社」の境内にあり、宮司さんが園長先生なのです。

 
 この神社の歴史はかなり古いようで、推古天皇の時代というから聖徳太子が活躍していた頃でしょうか、三韓の兵が攻めてきた時に、この地で大山祇命が稲妻とともに現れ、そのおかげで敵方の鉄人を駆逐したという伝説が由緒になっていて、祭神は大山祇命です。


 さて、今日は稲爪神社の秋祭りです。「お店も出ているかもしれない、行ってみよう」ということになりました。娘がお祭りは夕方だということを耳にしていたので午後4時過ぎに着きました。ところが境内は閑散としていて、お店も数店、お客さんも全くなく休業状態。あっけにとられて参道から旧道に出ると、お年寄りが椅子に座って東の方に首を向けて何かを待っている風情、そして、その方向へ歩いて行く半纏姿の若者が数人。
 どうやらそっちのほうに何かがあるようだと、足を進めるうちにだんだん人が多くなって、もう私の住まいも近くなってしまったと思った所に、町の人たちがたくさん集まっていて大賑わいでした。ここは摂社の八幡神社で、鉄人を矢で射抜いた小千益躬(おちのますみ)が祀られています。鳥居の前には着飾ってお化粧した稚児たち、踊り子の着物姿のおかみさんたち、赤と黄色の揃いの法被姿の若者たち、あたりを仕切っている町内のお偉い面々。

  怪訝そうな表情のKAZU
     

 突然そこにトラックが二台。一台から装束姿の園長先生と天狗のお面の舞人が降り立ち、もう一台に乗っていた立派な御神輿も八幡神社の境内へ運ばれました。神前での祝詞奏上と天狗の剣舞がおごそかに行われると、次は、鳥居の前の路上での稚児たちによる口上や「牛乗りの神事」という儀式になりました。

   

 やがてその牛を先頭に、稚児行列、中学生の楽隊、民謡に合わせた踊りの列、山車、女神輿、若者神輿、本神輿の順で、行列が稲爪神社までの1kmほどの旧街道をゆっくりゆっくり練り歩くのです。

     


    幼子もこの地の人と秋祭り   弁人


 KAZUは山車や神輿が来る前に寝てしまい、日も暮れてしまったので、私一人が残り、親子3人は先に帰りました。


 見上げると明石海峡大橋の上に月がくっきり、「もしかすると十三夜だったかもしれない(帰宅後調べると前日でした)」という感慨に、しばしひたってしまいました。
 ところで、神輿の掛け声ですが、東京の下町とは天と地ほど異なり、よく言えば品があるということなのかもしれませんが、かなりゆっくりとしたリズムで「ヨーイヤ、サージャァー」と唱和します。時々、ワーッとなって、神輿を掲げてワイワイしますが、また元の掛け声に戻ります。祭りは大いに盛り上がって、柳田国男ふうに言えば「しゅんで来ている」のですが、日が短くなった秋冷の宵、月の光を受けて、どことなく寂寥感が漂っていました。
   
  

    秋祭り意気込むほどにいとあはれなり  弁人


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軟式野球の聖地

2008-10-12 10:54:28 | スポーツ観戦等
10月11日(土) 

   

 明石公園野球場です。ここは夏に高校軟式野球の全国大会が行われる所で、「軟式野球の聖地」と呼ばれたりもする球場です。明石市には軟式野球ボールの有名メーカーもあります。

 逗子に帰らなかった3連休の初日、軟式ではありませんが、高校野球の兵庫県大会の準決勝があるので出かけました。雨上がりの快晴、無風、日差しだけはまるで真夏のようにじりじりと照りつけていました。

 なにしろ兵庫県は甲子園の所在地です。野球のレベルもかなり高い。だいたい昔から強豪といえば、関西(近畿、中国、四国)だったのですから。さて、今日のカードは、1・滝川第二対三木北、2・報徳学園対東洋大姫路。後ろのおっちゃんは「第二試合が事実上の決勝戦や」と言っております。しかし、第一試合を5-1で制した滝川は長打力もあり、背番号1の投手は出しませんでした。これは決勝も見ないといけないなという感じです。第二試合は報徳が4-1で快勝。さすがに両チームとも洗練された試合運び、ミスも少なく引き締まったゲームでした。

 とはいえ、やはり秋の野球。おそらくチーム編成も試行錯誤の中での試合、いろいろ試して反省点を見出す時期なのかもしれません。とりあえず結果を出しておいて、冬を越した春にどんなチームになるのかを楽しみにするというところでしょうか。グランドは夏とは違う戸惑いが見えて、どことなく哀愁が漂うかの印象を持ちましたが、単なる感傷でしょうか。


    秋さびし球児の声が澄みにけり    弁人

 野球は同じでも、球場の雰囲気や大会運営など、やはり私が長年親しんできた神奈川とは違う面があり、興味深く観戦しました。ちょっと古くさくて田舎びた球場、関西弁の声援、エッと思ったのがファウルボールを誰も取りに来ないこと。どうもスタンドに係員がいないらしい。場内アナウンス曰く「スタンドに入りましたボールはグランドにお返しくださいますよう・・・」とのこと。神奈川では「ボールは、グランドへ返さず、係員にお渡しください」だったよなぁ。近隣の学校の野球部員がスタンドで手伝う姿が思い出されます。
 
 第二試合のインニングスコア
   


 連休初日というわけでもありませんが、野球が終わった後、KAZUに会いに行きました。私は明石の台所「魚の棚」でタコの刺身と穴子の八幡巻を買い、若夫婦が手作り餃子を作り、家族4人で楽しく食卓を囲みました。KAZUもご機嫌で、笑顔をいっぱい振りまいてくれました。


    風呂上がりすこぶるご機嫌団扇置く  弁人

    

    

   


 
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子午線のまち

2008-10-07 23:23:35 | 明石風物
 10月7日(火)

 「あなたの住んでいる所は東経で言うと何度?」と聞かれても、普通は答えられませんよね。ここは明石です。グリニッジより9時間早いのは、日本中どこでも同じですが、その基準線の通る所ということは小学生でも知っています。
 
 毎日歩く道のマンホールの蓋

  

 消火栓の蓋にも天文科学館の塔が

  

 ということで、KAZUの保育園の近くの明石天文科学館へ行ってみました。最寄り駅は山陽電鉄の「人丸前」駅です。近くには高級料理旅館「人丸花壇」もあります。さて、駅のホームでさっそく子午線とご対面です。

  

 校外学習の季節、館内は小学生の歓声と熱気。神戸の小学生でした。集合の合図があったので、ゆっくりしようと思いましたが、下を覗くと次の一団が。尼崎の小学生でした。

  
   

 裏手には「柿本神社」があります。祭神は柿本人麻呂です。そうです、それで「人丸」だったのですね。もともと「麻呂」と「丸」は一緒なのですから。そして、このあたり一帯を「人丸山」というのです。隣には「月照寺」という古刹があり、その一角に人麻呂が祀られたということです。
 そういえば
  「天離る鄙の長路ゆ恋ひ来れば明石の門より大和島見ゆ」
 という歌がありました。
 
 そこで、記念写真
  

 帰途、国道2号線に出ると、ここにも赤い線が

   

 そして、旧道にも標識が。「大日本中央標準時子午線通過地識標」とあり、なかなか重々しい。
        
      

 目に見えない「東経135°」の線が町中に引かれているような感じでした。

  
    十月の天文館に子等の声   弁人

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広島カープ3位の夢消える

2008-10-04 19:57:31 | 身辺雑記
10月4日(土) 

 残り7試合で痛い連敗。それにひきかえ、調子を落としていたドラゴンズが土壇場で6連勝。カープは今日、弱いはずのベイに大敗を喫してドラゴンズの3位が確定しました。
 誰もが最下位候補と予想したチームなのに、あと一歩のところまでよく戦ったと私も思います。でも、ファンの気持ちはそんな客観的ではないから、やはりとても寂しいのです。
 
「あーぁ、終わっちまった、つまんねー」

 今日は土曜日で保育園の送り迎えもなく、ゆっくりとTV観戦のはずだったのに、途方に暮れる週末になりました。


   鯉の夢消え去り秋の夜長かな    弁人


 でも、KAZUの写真を眺めれば気も紛れるという次第。

  


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KAZU初保育園

2008-10-04 10:40:52 | KAZU君
 10月1日(水)

 KAZU,いよいよ初登園の日です。
 6時30分にKAZUのマンションへ。両親と共に私の運転で7時に保育園に預けました。

 昼間は買物以外ずっとパソコンに向かっていましたが、園から電話が来るのではないかとか、KAZUのことが気になって集中できません。なにしろ、0歳児は一人なのに、初日から朝一番乗りだったのですから。少し早く迎えに行ったほうがと思い、16時45分に保育園へ。
 
 なんと、待っていたのはニコニコ顔のKAZU。保育士の方々からいっぱいおほめの言葉をいただき、思わず肩から力が抜けて、まずは安堵安堵。KAZUは何を聞いても、「あーあー」としか言いませんが、元気な笑顔を見せてくれました。写真は帰宅後も疲れを見せないけなげなKAZUです。カメラを向けると興味津々、じっと見つめてなかなか笑ってくれません。

   


 今朝は空も澄んで秋らしい涼しい空気にあふれていました。KAZUのマンションへ向かおうとしたら、隣のマンションの庭に、僕の好きな彼岸花が数本。今年は忘れかけていたところだったので、ふと我に返りました。淡路島も目の前でした。夜自宅へ戻る時の夜景もきれいでした。



   曼珠沙華孫の顔には立つ瀬なし

   新涼や蒼く横たふ淡路島    弁人


 写真は夜道から眺めた明石海峡大橋です。
  


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待望の、TV野球中継

2008-10-03 15:28:52 | 身辺雑記
 9月30日(火)

 子どもの頃は巨人ファンだった。やっぱり長嶋茂雄が好きだったなぁ。いったい、いつからカープファンになったのだろう。感受性の強い時期、ヒロシマの悲惨に思いを馳せたこともあった。権威を誇るものへの反発心が強くなっていたのだと思う。高校生の時にはアンチ巨人になっていた。
 いろいろな事情があって去年仕事を辞めた。そのあとかなり長いこと気分がムシャクシャしていた。カープの不振も面白くなかった。今年は黒田と新井が抜けて、1勝もできなのではないかと思ったりした。それが逆に気分を楽にさせたのかもしれない。3月28日の開幕戦と2試合目をナゴヤドームで観戦。1・大竹好投も12回引き分け、2・ルイスがボーク連発で負けというスタートだったが、ほんとうに良く頑張り、クライマックスシリーズも目の前という状況に・・・

 というところで、明石に来ましたが、TVは地上波のみ。地元のケーブルテレビ局には9月半ばに連絡をしていたのに、今日やっと配線工事に来てくれました。
 
 さぁ、野球だと意気込んだものの、神宮球場のヤクルト戦は有料放送、今日はサービスという交渉ができ、10月分を即刻申し込みました。関東の天気の状況もわからずに、とにかく夕方が早く来いという思いでしたが、結局雨中の試合は惨敗に終わり貯金0。試合の無いドラゴンズに1ゲーム差の4位という結果になりました。
 ところで、インターネットもやっとつながりました。パソコン音痴ながら、ブログ立ち上げに向けて環境が整ったので頑張ります。

 初めてサンマを焼きました。うまく焼けたのですが、やけ酒のつまみです。


   秋刀魚焼く明石海峡煙りたり   弁人


 写真は、3月27日、ナゴヤドームでの開幕戦前のカープの練習風景とセレモニーの場面です。
  

  



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ジョギング試走

2008-10-03 10:18:03 | 身辺雑記
9月28日(日)

 月に40㎞を目安にジョキングをしています。今年は正月から明石へ来る前の9月20日までに380㎞走っていました。

 新居から5~6分歩くと大蔵海岸に出ます。レストランはもちろん、日帰り温泉やスポーツジム、さらに運動具関係の大型店舗とかなり賑やかですが、海の方へ目を向ければ、海水浴場と遊歩道が整備され、海釣り公園のような釣り場も続いています。

  

 早速、パソコンの地図で距離を計測、3、4、5㎞のコースを設定しました。ウッドの道もありますが、基本的にはコンクリの道で、照り返しが強く日陰がほとんどないのが難点です。

 今日は日差しがなく少し涼しい、「そうだ、走ってみよう」ということでゆっくり5㎞を試走。こちらで購入したシューズが今までのよりかなり重く、路面も固くて、走り心地は今一つの感でしたが、海風が気持ちよく、明石海峡大橋を眺めながら一汗かくのも一興というところでしょうか。年末までにあと100~150㎞くらい走りたいと思っています。

 
   海峡に船を浮かべて残暑かな    弁人


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