チムどんどん「明石通信」&「その後」

初孫との明石暮らしを発信してきましたが、孫の海外移住を機に七年で区切りに。現在は逗子に戻って「その後」編のブログです

冬の山陰で雪見酒

2011-01-27 10:21:32 | 旅行
1月27日(木)

 「寒い、寒い」とつぶやいていても、すぐに春が来るわけではありません。いっそのこと「冬を楽しんじゃおう」ということで、雪の山陰で温泉に浸かって来ました。

 明石から山陰へは、なんと言ってもKAZU君お気に入りの「スーパーはくと」が便利なのです。でも、せっかくなら、大雪と伝えられている伯耆大山の麓を通る伯備線に乗ってみたいと岡山へ向かいました。

 明石に来てから、姫路の先へはいつも新幹線でしたが、今回は、新快速で相生へ、在来線に乗り換えて、明石から約2時間かけて岡山に着きました。

  岡山から、出雲行きの特急「やくも」で米子へ
  

  大山の麓の辺りなのですが、やはり雄姿は雲の中でした
  


     山隠れ只々車窓の雪景色    弁人


 目的の温泉は、米子駅からバスで15分の皆生温泉。シーサイドホテルにシングルルームがあるというので予約しました。

  着きました。厳冬の山陰海岸
  

  まさしくシーサイドホテル
  
 一人旅にはお勧めの宿です。温泉のある棟はシティホテルのようなシングルルームが中心で、もちろん、この時期はカニもうまいし、それに部屋も廊下も風呂も、とにかくきれいで快適でした。


    日本海出で湯の浜の空重く    弁人


 さて、帰途です。

  米子からは、まず特急「スーパーまつかぜ」で鳥取へ
  
 「スーパー」と冠しているので少しワクワクしましたが、やって来たのは2輌編成のこぢんまりとした列車でした。

  先頭の座席が空いていました
  
 米子を出てすぐ電化されている伯備線と別れて、その先の山陰本線はディーゼルで単線です。


    折れし幹鉛の雲を指しにけり    弁人


  倉吉を過ぎて数分ですれ違い。「来た、スーパーはくと!」
  

 鳥取からは、因美線、智頭急行線を通る「スーパーはくと」に乗るほうが早いのですが、今回は、ちょっと遠回りでも、浜坂発、姫路・神戸経由、大阪行きの特急「はまかぜ」に乗りたかったので、普通列車で浜坂へ向かいました。

  ワンマンの1輌編成。じゃあ、「列車」とは言えない?
  

  整理券を取って、料金表もあって、バスと同じです
  

  浜坂駅。いよいよお目当ての特急「はまかぜ」
  
 「はまかぜ」は、ドラマ「夢千代日記」で、吉永小百合扮する夢千代が神戸の病院へ通う時に利用していた列車で、なんとも懐かしい。実は、去年の11月に新型のステンレス製のディーゼル車に車輌交換、明石も通っているので、機会があったら乗ってみたいと思っていたのです。

  新しくなった余部鉄橋通過
  

  地酒「香住鶴」で雪見酒
  

  腹ごしらえはカニちらし
  


    寒風に人を招くや松葉蟹    弁人


 浜坂から3時間で冬晴れの明石に戻りましたが、待っていたのは、高熱と下痢でダウンのKAZU君でした。奈良から妻君もやって来ていて、しばらく看病の日々になりそうです。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

寒さなんかに負けないぞ

2011-01-22 17:42:58 | KAZU君
1月22日(土)

 「おつきさま、まるくなっとるで」
 水曜日の保育園からの帰り道、お月さまがとてもきれいでした。
 「今日はカメラがない、明日、写真撮ろうね」
と、翌日の満月の日に期待しましたが、月の出は一日経つと1時間以上遅いのです。保育園からの帰り道にはお月さまはありませんでした。

  KAZU君の家からの帰り道
    
 いやぁ、寒かった。大寒に日に満月だなんて珍しい。


 でも、子どもは風の子。翌々日の今日の土曜日、元気にお出かけしました。

  最近、お出かけは電車でないと
  

  「じぶんでのるぅ」
  

  着いたのは、須磨の海浜水族園
  

  イルカショーやアザラシを見て
  
   

  見つけちゃった、トーマス機関車
  

  パンダの乗り物でも大はしゃぎ
  

 寒くたって元気一杯。インフルエンザのウイルスも近寄り難い雰囲気で、土曜日の休日を楽しみました。


      児の笑顔寒中歓あり青き空   弁人

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

寒気身に染む「震災忌」

2011-01-19 10:37:49 | 身辺雑記
1月19日(水)

 一昨日の17日は、私が明石に来てから3回目の「震災の日」。思えば、KAZU君のお母さんが避難所のボランティアに来たのは大学生の時でした。あれからもう、16年の月日が流れているのです。

  献花するのは「慰霊と復興のモニュメント」の前
  

  冬空の下、鎮魂のろうそくの火を点す竹灯籠
  

 ここ2年は土日に当たっていましたが、今年は平日です。そんなこともあって、私のような部外者の見物が少ないのか、いつもより静かで重い空気が張りつめているような感じを受けました。そんな中、私も厳粛な気分で手を合わせ、献花と献灯を済ませることができました。


     年明けの祈りの一日静かなり   弁人


 私は東京の下町で育ちました。子どもの頃から、かろうじて死を免れて生き残ってきたという大人の話をよく聞かされました。思い出すと、当時は「関東大震災」と「東京大空襲」の話がごちゃ混ぜになっていたように思います。
 自然災害と戦争という違いはありますが、多くの犠牲者を出したという怖い話を歴史的に区別して認識することは子どもには難しかったのでしょう。

 そういう分別が付くようになって、やがて、ヒロシマやナガサキの話も心に焼き付ける感受性もでき、大人になったような気がします。

 人の亡くなり方にはいろいろありますが、戦争や災害による死というのは、まさに地獄の絵巻さながら。そして、それを目の当たりにして生き残った人の苦しみ。やりきれませんね。
 神戸や兵庫県南部で暮らしている人、ふだんは屈託なく明るく生きていても、その表情からは想像もできない悲しみと苦悩を背負っている人がたくさんいるのです。

 そういう人たちの大きな喪失感の中から生まれたのが、生き残った者同士の助け合いや励まし合い。その悲しい心のつながりを「生きている証」として点されたのが「1.17希望の灯り」。
   


 ところで、「1.17のつどい」の場である東遊園地からほど近くに「とんぼ玉ミュージアム」があります。ここでは、鎮魂と再生への思いを共有しようと、「1.17希望の灯り」から分灯した火を使って、とんぼ玉の体験制作を企画しているとのこと。ちょっと覗いてみようかなと思って向かってみました。

 東遊園地公園から元町に向かって西に歩いて行く辺りは、旧居留地と呼ばれる所で、ルミナリエが行われる中町通りを中心に、高級ファッションのお店の入っているビルが多い、とてもおしゃれな町並になっています。
    

  こんな入り口のビルの中に
    

  「とんぼ玉ミュージアム」がありました
  


     鎮魂の輝き冴ゆるガラス玉   弁人


 宝石のような「とんぼ玉」を見て、少しすがすがしい気分になったあと、地下鉄海岸線で、今年も新長田へ行ってみました。
  

 去年は、復興のシンボル「鉄人28号」の周囲でいろいろなイベントが行われていましたが、今年はふだんのままでした。
  

 「去年は日曜日だったからか」と勝手に思い込んでJRの駅前に行くと、夕方の暗くなる頃から「震災復興メモリアル」のイベントが行われるとのことで、「1.17ながた」という文字がペットボトルで形作られていました。

  数字の部分にろうそくの火を点す地元の子どもたち
  


     子等の手のともしび揺れて冬の空   弁人


 大寒の三日前です。今年もなんとも言えず、寒さが身に染む震災忌でした。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大寒の前の明石も、とても寒うございます

2011-01-14 15:05:16 | 身辺雑記
1月14日(金)

 一昨日12日の夕方5時、逗子の空です。

  
 まだ明るい。ということは、日の入りが20分ほど遅い明石はもっと明るいはずです。
 「早くKAZU君の所へ行かなくては」と気が急いて、13日の昨日、明石に戻ってきました。

 「新幹線で富士を眺めながら」というもくろみでしたが、冬型の気圧配置でよく晴れているのに、ちょうど富士山の周りだけ雲がたなびいていて、雄大な姿を目にすることはできませんでした。

  富士川の手前で、やっと山頂が
  

  関が原付近、雪景色の中を通過
  

  冷たい北西の風の中の明石でしたが、よく晴れていました
  


  ところで、もう一度、前日の夕方5時の逗子の様子
  
 暦によると、東京の日没が16時48分となっていました。

 掃除やら身の回りの準備やら、それに買物と夕飯の支度等々、久しぶりに部屋に到着したあとはけっこう忙しい。新幹線の中でビールも飲んじゃったので、この日は保育園には行かず、KAZU君と会うのは翌日からにしてもらいました。

  明石海峡の夕方5時の景色
  
 たしかに、逗子よりかなり明るい。

  でも5時10分には日も沈み始めて、まさに夕暮れ
  
 このあと20分ほどですっかり暗くなり、気温もぐっと低くなりました。やはり、保育園から明るい道を元気良く帰ってくるのには、まだあとひと月くらい待たないと無理のようです。


    海峡にのどかな春の兆し無く   弁人



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「神様」や「み仏」の前にたたずんで

2011-01-11 19:00:11 | つぶやき
1月11日(火)

 正月明け、一昨年は4日、昨年は7日に明石へ戻っていました。今年は年末に申請したパスポートがまだ交付されないので、依然として逗子にとどまったままなのです。

 昨日の1月10日、例年、関西は「十日戎」で盛り上がります。初詣がてらに、一昨年は今宮戎神社、去年は福男を決める開門神事で有名な西宮神社にお参りしました。
 KAZU君の保育園のある稲爪神社にも恵比寿様がお祭りされていて賑わいます。聞くところによると、昨日10日の明石は、朝から雪が散らついていたそうで、寒い中3人で出かけたそうです。
 ごめんね、KAZU君、おじいちゃんがいなくて。


 ところで、退職したあとは比較的時間があり、最近は妻君が奈良にいることもあって、神社や仏閣を訪れる機会が多くなりました。
 別に、信仰心が深いというわけではないのですが、日本では、季節折々の風物の中に、古くから伝わる宗教的な行事が多いからだと思います。

 私たちが神仏の前でお祈りするのは、だいたいが現実の営みの中で、なかなか思うようにならないことや不安を抱かざるを得ないことを他力本願でなんとかしようという時です。その最たるものは、たぶん「死への不安・恐怖」ということになるのかもしれませんが、現実には「現世利益」をうたっている社寺が多く、私もふだんはお賽銭を入れたあと、「KAZU君が元気に成長しますように」とか、天神様であれば「賢く聡明な人間になりますように」というようなお願いをします。欲が深いのでしょうか、まだ「安らかにあの世に行けますように」とお祈りする境地にはなっていないようです。

 さて、そのお祈りの仕方なのですが、私は頭を下げながら手を合わせてお祈りして、もう一度深くお辞儀をすという具合です。そう、神様ならお願いごとのあとに、よろしくという気持ちで柏手も2回叩きますね。そして、このお参りの仕方を不自然であるとか失礼であるとかという自覚は全くありません。

 ところが、ずいぶん前からなのですが、神社へ参拝する時に気になることがあるのです。

 どこの神社にも、「正しい参拝の仕方」という案内があって、「二礼・二拍手・一礼」と教えてくれています。
 誰だって、お祈りは叶ったほうが良いですから、「正しい・・」と言われるとそうしたくなります。しかし、一般の人がこの作法に気に取られていると、肝心のお祈りをし忘れてしまったりします。神道関係の案内を見ると、二礼したあとお願いごとを唱え、二拍手に移っていくということですが、正式な所作というのは、それなりに練習して慣れておかなければ、普通の人にはなかなか難しいものです。

 理由をご存知の方もいらっしゃるかもしれませんが、昔、私の母はこういうことに関して殊に厳格で、よく「二拝・二拍手・一拝」ということばで教えられました。
 しかし、その頃から、このお参りの仕方は、神官が祭礼で行う時のような格式のある場面には相応しいのかもしれないけれど、どうも一般の人が自然な気持ちでお参りする時にはそぐわないのではないかという感想を持ち続けてきました。
 したがって、私は神前結婚式やお宮参りの時などで玉串を上げる際には、この教えを守っていますが、ふだんはあまりこだわらずにお参りしています。
 もちろん、「正しい参拝の仕方」というのは、あくまでも「親切なご案内」であって、強要しているものではないでしょう。だいいち、初詣の時やお祭りの時などの、参拝者で溢れかえっている時に、多くの人がこの参拝の仕方をしていたら、時間がかかって大変なことになってしまうでしょう。「十日戎」の時なんかも全然無理ですもの。
 とは言っても、神前に立った時に「正式には・・」と書かれていれば、額づく側にとっては、重みのあることばとして受け取らざるを得なくなるのですから、やはりこういう案内は、特別な人とか篤志家などに許される「昇殿参拝」の時などに限ってほしいと思ったりします。

 年末の、春日大社のおん祭りの時のことです。
 夜中の0時、いよいよ真っ暗闇の中、若宮様がお旅所へご遷幸になるその前、春日大社の方からいろいろな注意事項が伝えられました。そして最後に「神様が前をお通りになる時には、二礼・二拍手・一礼でお迎えください」という指示が出されました。明かりが全て消され、私語のささやきも聞こえない、とにかく厳粛な空気と緊張感があふれる場面ですから、誰もが「正式でなければ」と思うでしょう。
 でも、一般の人の中には戸惑う人もいるのです。どこからか「音を立てて手を打っていいのかな」というためらいの小声が聞こえました。それはおそらく「二礼・二拍手・一礼」を知らなかったからではなく、この場でそういう指示が出るとは思っていなかったからではないでしょうか。たしかに音を立てても構わないのでしょう、「できれば『オー、オー』という発声も」という要請もあったのですから。
 そんな中、私は「一人ひとりの自由。敬虔な思いをもって頭を下げていれば、それでもいいじゃないか」と思っていました。そして、もちろん、手を合わせる人、深く一礼をする人、柏手を打つ人等々、様々な仕種をするの人の中を神様が進んで行かれました。
 
 ところで、日本人の精神構造の中に、同一性を求める傾向が強いということを指摘されることがあります。「一定の枠からはみ出したくない」という姿勢を否定することはできませんが、「自分たちと同等の者が同じにしていない」ということにこだわる人が多くなるとしたら、その封建的な志向に、ある種の不安と恐ろしさを感じます。
 もしかすると、そのうちに、神様の前で一礼をしてただ手を合わせているだけだと、白い目で見られる日が来るのではないかという不安です。神に額づく身でありながらと。

 例えば、スポーツイベントの前に行われる「君が代」。法制化された現在では「国歌」ですが、以前は「国歌吹奏」が多かったのが、今ではほとんどが「国歌斉唱」となりました。帽子を取って立っているという許容範囲が、次第に口をパクパクしていないと場違いな感じになりつつあるとしたら・・・。
 そうです。取り立てて疑問を抱かず、周囲に合わせていれば何も問題はないのですけどね。でも、人それぞれ。何事にも「そこまで付き合わされたくない」という人もいるはずなのです。

 余談ですが、上のスポーツのイベントの場面で、同じことをしなくても状況的に許される人がいます。一部許されるのが外国の人。あとは腕に腕章を付けた人。警備の人は職務上なら何でも許される。それはもちろんですが、腕章と言えば報道陣やカメラマン。当たり前なのです。一般の人にとって、「自分たちと同等の人」ではないのですから。
 それは仕方ないのですが、こういう人たちが変な特権意識を持って、「どうしてあなたはこうしないのですか」などと、づけづけと違う形で圧力をかけてきたりするのはほんとうに困りものです。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「またね、KAZU君」

2011-01-05 23:24:07 | KAZU君
1月5日(水)

 箱根駅伝に夢中になっている間に、KAZU君の両親の仕事始めの日も迫って来て、せっかく逗子に3泊もしていたのに、KAZU君が明石へ帰る1月4日の日が、あっという間にやって来てしまいました。

 「もう、正月も終わりなのかぁ」 まあ、仕方ないか。

 昨日のことでした。
  「おじいちゃんも、いっしょに、いこぉ!」
       

  「けいひんきゅうこう、でんしゃ、あかいねぇ」
  
 元日に羽田から逗子に来る時、そして一昨日の3日に八景島の「シーパラ」ヘ行った時にも乗ったので、すっかりお馴染みの電車になりました。

  前方の景色より、運転手の動作と発声に興味があるようで
  

  上大岡で下りて、京急デパートへ
  
 こういう展示、KAZU君にはたまりません。食い入るように見つめていました。
 実は、正月の期間、京急デパートで「京急鉄道フェア」なる催しが開かれていたのです。KAZU君のお母さんが前日に電車の中の広告を見たもよう。

  やっぱり、男の子ですね
  

  「しんかんせん、はしっとるで。きょう、のるで」
  

 電車のおもちゃや「鉄下」とかいうソックスなんかも買ってもらって、レストランでたらふくお昼を食べて、その後、おじいちゃんの膝の上に座って快速特急に乗って、ご機嫌で品川へ着きました。
 それから京浜東北線に乗り換えて、車窓から山手線や東海道線や特急「踊り子号」や「サンライズエキスプレス」の電車を眺め、「でんしゃ、いっぱい、おるねぇ」などと言いながら東京駅に。

  「おじいちゃんも、しんかんせん、のるぅ?」
  
 KAZU君、実は電車に夢中で、大事なことを忘れていたのです。そう、おばあちゃんとおじいちゃんとは、東京駅でお別れだったのです。

  でも、ちゃんと言い含めれば、おりこうさんなのです
   

  席にだって、ちゃんと座れました
   
 そうは言っても、どこか不安げで寂しそうな表情。当たり前です。こんな悲しいお別れの時に聞き分けのいい子なんか、いるはずがないのですから。

 案の定、発車間際になって涙が一気にあふれ出て、ドアーのガラス越しにクシャクシャの顔を見せながら行ってしまいました。

 私とはまたすぐに会えるのですが、おばあちゃんとはしばらく会えないかもしれません。それはともかく、幼い子との別れはなんとも切ないですね。

 泣いてくれるうちが華かな。


   Uターンの正月列車や泣く子乗せ   弁人

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

歓喜のシード権獲得-箱根駅伝ご報告-

2011-01-04 19:27:16 | スポーツ観戦等
1月4日(火)

 皆さーん、テレビ見ましたか。

 土壇場のとんでもないハプニングで肝を潰しましたが、母校の国学院大学、とうとう念願のシード権を獲得しました。

 駅伝ファンの方は、大手町でのシード権争いの激走とハプニングをご覧になったかと思いますが、いちおう、YouTubeのアドレスを紹介しておきます。

 「 http://www.youtube.com/watch?v=GBnnCjZAKMc 」
 (うまくいかない場合は「第87回箱根駅伝 国学院大学ゴール寸前コース間違え」で検索すると出てきそうです)


 ところで、お正月は逗子に来ているKAZU君といっぱい遊びたいと思っていたのですが、なにしろ、予選会2位通過、4年ぶりのご出場となると、やはりじっとはしていられません。
 眠い目をこすって、早朝に家を飛び出しました。
 
  品川駅の混雑を見てあきらめ、まずは青物横丁へ
  
 早々と早稲田と日大が通り過ぎた後、しばらくしてやって来た3位集団です。1区田中君は、この中の7番目の9位で襷をリレーしました。

  2区神奈川新町
  
 17位から3位に一気に浮上した拓殖大マイナ選手と、それを追う4位グループ。その先頭は最下位20位から驚異的なペースで上がってきた東海大の村澤君。その左後方で追っている国学院の快足ランナー荻野君は、この区間1時間09分を切るも区間13位で12位に後退。レベル高過ぎます。

  3区藤沢
  
 学連選抜、帝京との12位争い。3区の宮沢君、この争いには勝ちましたが、山梨学院と日体大に抜かれ、区間12位で順位変動なし。

  5区箱根湯本
  
 小田原中継所を12位で襷を受けたエース仁科君、まずは城西大を抜いて快調な走り。この後、この二人は次々と前のランナーを抜いて、6、7位でゴールしました。
 仁科君は区間4位の快走で6人抜き。最後まで競っていた城西大にも32秒差をつけて6位でゴール。予想だにしなかった信じられない順位で往路を終えました。

 それにしても、どこもすごい人です。たしかに、今までも1区から4区の二宮あたりまで追いかけると、その先は追いつかなかったのですが、それでも数年前までは、4区を飛ばせば大平台、いや以前は小涌谷くらいまでは行けたのです。
 今年は藤沢から小田原へ快速アクティで行きましたが、湯本行きの小田急に乗るのに30分待ちでした。湯本からの登山電車は1時間待ちということで、その先にはとても行けません。
 もし箱根で応援するとなると、2区や3区で観戦するのはあきらめて、早めに箱根に向かうことです。今後さらに人気が出るとしたら、追いかけはやめてテレビ観戦のほうがいいのかもしれません。でもやっぱり、テレビでは臨場感がなくて味気ないのひと言。


 さて、復路です。
 以前小田原へ行ったことがありましたが、上りの東海道線が超満員で、乗ったはいいが、二宮、大磯では降りることもできませんでした。それで復路は藤沢辺りからにしているのですが、今回は、風邪気味で体調が悪く、なかなか家を出られませんでした。保土ヶ谷へ行こうと思ったのですが、同じ区間なら終盤のきついところで声援を送りたいと、無理をせず新子安へ。

 この日は、6区の山下りで、区間19位のブレーキがあり、順位を一気に二ケタに落としていました。

  9区奥君、13位から二つ順位を上げる好走
  
 この区間を7位のタイムで駆け抜けた頑張りが、最後のドラマを生み出したのです。

  大手町の手前の呉服橋、すごい人垣
  

  やって来ました。8位に浮上の一年生寺田クン(右手前)
  
 ゴールまで数百メートル。この時点で4人のうち3人の大学がシード権獲得です。

 勝負は最後までわかりませんが、いちおう先頭で駆け抜けて行ったので、大丈夫だろうという思いの中でラジオに耳を傾けていました。

 以下、ラジオ中継
「他の3人がスパート、国学院置かれた」(アリャー)
「しかし盛り返した。国学院もギアを入れ換え、再度先頭に」(オオーッ)
 その直後のアナウンサーの絶叫・・・
「国学院、コースを間違えました。大きなロスで最後尾に落ちました!!」(ソンナノアリィー!)

 がっかりして、東京駅の方へ歩き出しましたが、どうも、残り100メートルで奇跡的に一人を抜いて、3秒差で10位に入ったとのこと。
 喜びように戸惑いながら横須賀線に乗りましたが、それにしても、根性の据わった、すごい一年生が出てきたもんです。どんな子か知らないのですが、テングにならないことを願って、来年からの活躍を期待したいと思います。

 いやーっ、なにはともあれ、正月早々、めでたしめでたし。

 シード権を取るとですね、立川の予選会に行かなくて済むということだけではないのです。たぶん、「出雲駅伝」の出場が叶うのです。うれしいことに、秋に出雲旅行ができるのです。


    初夢ははや出雲路を駆けめぐり   弁人

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

迎 春

2011-01-01 07:00:14 | 身辺雑記
1月1日(土)

   新年おめでとうございます
   

   

 今年も、静かで穏やかな元旦です。あと何日こういう日が続くのでしょうか。


 思うに、21世紀に入って10年余り、そろそろ新しい時代の息吹を実感したいところですが、その兆しすらなかなか見えてきません。

 どうもこの国には、国民のために、誠意をもって筋道を立てて行動する政治家がいらっしゃらないようです。
 その結果、庶民のぎりぎりの忍耐力で、なんとかしのいでいる我が国の社会。今年もその状態が続くのかと思うと、やり切れませんね。


 でも、せっかくのお正月。少しは心の洗われる風景でも眺めながら、気を取り直しましょう。
  

   


 ところで、私の出身校の国学院大学、野球では昨秋の東都大学を制しました。そして、箱根駅伝の予選会を2位で通過し、いよいよ明日、4年振りに箱根路を駆け抜けます。

 というわけで、私の2011年は、箱根駅伝の応援からスタートということになりました。

    目標・・・「シード権獲得!!」


 もうすぐKAZU君が逗子にやって来ます。今日のうちに、いっぱい遊んでおかないと。


    ひと筋の春のことほぎあらまほし   弁人


コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする