チムどんどん「明石通信」&「その後」

初孫との明石暮らしを発信してきましたが、孫の海外移住を機に七年で区切りに。現在は逗子に戻って「その後」編のブログです

梅雨の時期に「水無月」とは?

2010-06-27 18:40:53 | ことば・あれこれ
6月27日(日)

 六月、いわゆる「水無月」もあとわずか。梅雨空の下、今日も一日中湿っぽい南風が吹き続けていました。

 ところで、今月の初めのテレビ番組の中でのやりとりです。

 「今日から水無月ですが、雨の多い六月なのになぜ「水無月」なのかと言うと、実はいくつか説があります。一つは、旧暦の水無月は今で言うと7月の中旬以降、つまり梅雨明けの季節を指しているという説。しかし有力なのは、「みなづき」の「な」は連体修飾の助詞「の」と同じで、「水の月」という意味であるという説です」
 「文法は難しいので、どなたか「連体修飾」という用語についてわかりやすく解説していただけませんか?・・・・どうも全員降参のようですね」

 私は上の二つの説のうちの後者のほうが正しいと思っています。となると、やはり文法的な説明が必要なのでしょうか。
 そこで、簡単に。

 「助詞」というのは単独では意味をなさず、意味を有する語(自立語)に付いて初めて機能を発揮します。「の」とか「が」とか「に」とか「を」とかをそれだけで発しても何を言っているのかわかりません。
 「の」の場合で言うと、体言(名詞)と体言の間で接着剤のように働きます。「学校の階段(怪談)」とか「私の家」とかいうように。
 例えば「ボール」と言ってもいろいろありますが、上に「ゴルフの」とか「サッカーの」と言えばイメージがはっきりします。つまり「ゴルフ」ということばの下に「の」が付くと、二語が一体となって次に来る体言の属性を説明する、これを「修飾」と言いますが、そういう働きを持つようになります。
 正式に言うと、「あることばに付いて、次に続く(連なる)体言を修飾する資格を作る」ということになります。略して「連体修飾格」の用法と言うのです。

 さて、今日の本題です。
 どうも、その昔「な」ということばには、上記の「の」と同じ働きがあったようなのです。

 山上憶良の「子等を思ふ歌」に、
 「・・・ いづくより 来たりしものぞ まなかひに もとなかかりて 安眠
  (やすい)しなさぬ」
とあります。
 「子どもというのはいったいどこからやってきた賜わり物なのだろうか。そのかわいい顔がまぶたのあたりに焼きついて、ぐっすりと寝ることもできない」
という意味です。

 かつて「目」は「ま」と言っていました。「まぶた」「まつげ」「まばたく」「まのあたりにする」と言うように。上の歌の「まなかひ」は「目の交わるあたり」という意味で、「な」は「の」と同じ意味であることがわかります。「まなじりをつり上げる」の「まなじり」も「目の尻」という意味です。

 ことばというのは、初めに発音があって、表記は後からというのが普通です。子どもだって、ことばを習得するのに初めは文字からということはあり得ません。したがって、「水の月」を「みなづき」と発音し、表記する時に「無し」の「無」の字を当てたということは十分に考えられます。

 阪急電車の高槻の先、山崎の手前にこういう名前の駅があります。
  

 ここはかつて後鳥羽上皇の離宮があった所で、伊勢物語にも、惟喬親王が可愛がっていた在原業平らしき右馬頭と一緒に水無瀬の離宮にお出かけになったという話があります。
 一行が離宮へお出ましになって、淀川の対岸で狩りをした時に右馬頭が詠んだ「世の中に絶えて桜のなかりせば春の心はのどけからまし」という歌が有名です。

 駅から10分ほど歩くと、離宮の跡に鎮座したという水無瀬神宮があります。
  

  名水百選「離宮の水」
   

 「瀬」というのは川の流れの早い所を指します。はたして「水の無い瀬」というのが存在するでしょうか。

  水無瀬神宮の脇を流れる川
  

  一級河川です。「水の無い瀬の川」でないことは明白
  

  振り返ると、新幹線と阪急電車の線路が川を跨いでいました
  


 そういえば、鎌倉の稲村ヶ崎の先に同じような名称の川と橋がありました。
 
 音無川にかかる音無橋
 
   
    

 海岸なので、海水が逆流することもあるでしょうが、とても「流れる音が聞こえない川」とは思えません。旅に出ると、よく「音無の滝」という名の滝に出会いますが、水はちゃんと音をたてて流れ落ちています。


 大和には「神奈備の山」と言われる山がいくつかあって、万葉集にもよく歌われています。意味はもちろん「神様の宿っている山」となります。

 「神奈川」という県名も「神の川」という意味でしょう。横浜駅の隣に京浜急行の「神奈川」という駅があります。その東に神奈川宿がありますが、そのそばを流れている「滝の川」という川が昔「神の川」だったのかもしれません。
 埼玉に「神流川」という川があって「かんながわ」と読みます。また富山には「神通川」があり、これは「じんつうがわ」と音読みしますが、おそらく、みな「神な(の)川」で、「な」を漢字表記する際にそれぞれの漢字が当てられたのだと思います。

 したがって、「水無月」は「水の月」ということになりそうですが、別に梅雨時だからというわけではなさそうです。月の異名の中には、稲作と関係している呼称がいくつかあるようなのです。五月の「皐月」は苗代に早苗が出揃う頃と考えると、「水無月」は田に水を張って田植えをする時期ということなのかもしれません。さらに八月の「葉月」は稲の穂が黄金色になる前の青々とした葉が輝く時期と考えられないでしょうか。

  水無瀬川付近の水無月の水田
  


    水無月や小川の脇の田水満ち   弁人


 さらに十月の「神無月」という呼称ですが、よくテレビなどで「神様が出雲にお集まりになり、全国的には神様の留守の月で『神無月』、それで出雲だけは『神有月(かみありづき)』と言う」と解説したりしますが、これは漢字表記を鵜呑みにしただけの勝手な解釈と言えるでしょう。十月は稲を収穫し田の神に感謝してお祭りを行う月、つまり全国各地で秋祭りが行われる「神の月」なのですから。

 ことばは初めに音声があり、後に文字化されると言いましたが、子どもが絵本を読んだり、学齢に達して教科書で勉強するようになると、気付かないうちに文字化された表記からことばを習得するようになり、やがて、表記された文字をそのまま受け取ってあらぬ解釈をするようになったりするのです。

 因みに、例に挙げた「まつげ」の「つ」も「の」と同じ連体修飾格の助詞で、つまり「目の毛」ということです。古歌によく「天つ風」とか「沖つ白波」とかいうことばが出てきますが同様で、「つ」を「の」に置き換えると解りやすい。相撲部屋の「時津風」という名称も「時代の風に乗って一世を風靡する」という意味です。最近とんでもない事件で世間を騒がしているようで名前が泣いていますが。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

隠り口の泊瀬(初瀬)-長谷寺

2010-06-25 23:58:09 | お出かけ・散策
6月25日(金)

 万葉の時代、「こもりくの」という枕詞を冠して歌われた初瀬。その谷の北側にある長谷寺は、古来多くの人が参籠した名刹として、「蜻蛉日記」「更級日記」「枕草子」などにもその様子が記されています。また「源氏物語」の中では「玉鬘」の巻に初瀬詣での場面が出てきます。

 長谷寺の境内は四季折々の花で彩られ、特に、春の桜の後の牡丹が有名ですが、今回我々を迎えてくれたのは紫陽花の花でした。
  

 次の動画は、紫陽花の咲く境内に僧侶の読経の声が響いているところなのですが、ちょっと音量が小さかったようです。

  

 ところで、4月末から大和路を訪れた記事を何回か載せて、これが三回目なのですが、実は、3月に退職した妻君、長谷寺に参籠というほどではありませんが、奈良は山辺の道の南、飛鳥の近くで侘住まいを始めたのです。とはいえ、運転免許には縁のない身ということで、車の必要がある時などに、明石から用立てに向かうようになりました。
 おかげさまで、私も、今まで気にはなっていたものの、なかなか足を運べなかった所に気軽に行けるようになった次第です。

 さて、「隠り口の」とういう枕詞がぴったりの山あいの初瀬街道、今は国道165号線になっていますが、国道を東に向かい、初瀬川に沿って左に入ると長谷寺の参道になります。

  初瀬川から山間いの本堂を望む
  

 参道には柿の葉寿司や三輪そうめんのお店や食堂が並んでいました。

  参道を抜けると、正面に仁王門
  
 仁王門からは、長谷寺といえばこれが名物、石段の回廊が続きます。
  全部で399段、長さ108間(煩悩の数)だそうで
  

  回廊はかぎ型で、途中直角の曲がり角が二回
  

 回廊を上りきると、本堂の脇。本堂の前は谷に突き出るような舞台になっていました。

  舞台から本堂の十一面観音を拝む
  

  帰りは五重の塔の脇から
     



    山間いに夏の鶯経を読み   弁人


  紫陽花の道を下ります
  



    紫陽花の先の甍の煙りたり   弁人


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ハナショウブ」 ご観察

2010-06-22 15:31:14 | KAZU君
6月22日(火)

 水無月も半ばを過ぎ、梅雨らしい空模様の中、明石に妻君がやって来ました。梅雨の中休みの木曜日、そろそろハナショウブも見頃になっているのではないかと、山陽電車の月見山駅から汗を拭き拭き坂道を上って須磨離宮公園を目指しました。

  がっかり! なんと木曜が休園日とは
  


 その週末。KAZU君はおばあちゃんとお出かけできるので大はしゃぎ。でも天気がはっきりせず、お弁当を持ってのお出かけはちょっと無理そう。
 須磨離宮公園にはレストランもあるということで、雨止みに車を走らせて、今度は家族みんなで向かいました。

  おばあちゃんと一緒なら行き先はどこでもいい?
  

  噴水のきれいな、よく整備された西洋式庭園
  
   
    

 海に向かって階段を下り、さらに坂道を下った所に、今度はいかにも和風のお庭といった感じの菖蒲園があり、いろいろな品種のハナショウブが咲きほこっていました。

  KAZU君も一緒にご観察
  


    重き空見上げて静か花菖蒲   弁人


  上品な雰囲気の「舞子の浜」
  

  白が鮮やかな「芭蕉」
  

  紫の花が今日のお目当て。「七福神」
  


 5月14日の記事に「カキツバタ」を、18日に「アヤメ」の写真を載せましたが、これで三つの花の区別もたぶん大丈夫になったと思います。

 「カキツバタ」と「ハナショウブ」は、花びらの根元に縦の目形模様がありますが、その色に白と黄色という違いがありました。対して「アヤメ」は目形模様ではなくて網目(文目)模様が特徴でした。

 
 さて、ちょうどお昼になりました。KAZU君のいちばんのお楽しみの時間です。見晴らしのよいレストランで、大好きなうどんをちゅるちゅるとほおばりました。
  


    腹足りて孫の飲み干す麦茶かな   弁人

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

セパ交流戦 ~カープを追って西に東に~

2010-06-16 05:30:46 | スポーツ観戦等
6月16日(水)

 昨年の投手の二本柱、ルイスと大竹がいないカープ。そんなに勝てるわけがありません。
 しかし、昨年三番手だったマエケンこと前田健太が急成長。月間MVP、4月は間違いなしと思っていたのに、なぜか東野とかいう巨人のピッチャーに回ってしまいましたが、5月は文句なしの受賞。なにしろ彼が投げれば、相手がダルビッシュだって1-0で勝つのですから大したものです。でも、いくら頑張っても、月に4、5勝が精一杯。他の試合の計算が全く立たないとすると、今年はどうも40勝100敗くらいになりそうな気配でした。
 それでも、相手がコケることもあるのですね。交流戦を前にして15勝22敗、まあまあではないですか。

 さて、交流戦。やっぱりマエケンの時しか勝てず1勝4敗のスタート。

 私の交流戦観戦の一試合目は6戦目の5月19日。昨年インフルエンザ騒動で見に行けなかった京セラドームでの対オリックス戦でした。

  平日、しかもセパのBクラス同士とあって、座席もゆっくり
  

  それでも、レフトスタンドのカープ応援席は超満員
  

  先発スタルツ。マエケンじゃなくても勝てるじゃん
  

  カープのマスコットの「スライリー」も鼻高々
  

 この日、初勝利を上げたスタルツがそのあと2勝してくれました。もちろんマエケンは負けなし。そして6月1日には待ちに待った大竹が復帰、勝利投手にはならなかったものの、それなりの投球でチームの白星が増えました。ということで、交流戦は6月に入って7勝9敗1分けになりました。

 6月最初の週末。実は、昨年も6月初めに広島へ行きました。やはり、年に一度くらいは圧倒的な応援の中でカープの試合が見たいもの。さっそく準備に。
 新幹線に乗って、ワクワク気分も高まってきたのですが、計算できる投手3人の登板はなさそうなのです。「まあいいか、勝てればもうけもの」という気分でマツダズームズームスタジアムに向かいました。

  新幹線からも球場が見えるように設計されています
  

  対ソフトバンク戦。やっぱり勝てず、完敗
  
 ノーアウト1、2塁で先発投手の青木勇がバンド失敗。それも送れないどころか、ダブルプレーに。その直後のマウンドで連続四球で同じ場面を背負い、相手投手の和田にきれいにバンドを決められ、後は連打連打でKO。草野球で話になりません。沖縄キャンプであんなにバント練習をしていたのに。していたのではなく、させられていただけか。パリーグの投手はふだん打席に立っていないというのに、ったく。センスのなさ、気合いのなさ、自信のなさ、不甲斐ないことこの上なしです。

 翌日のゲームは15時から。朝、平和公園の慰霊碑に頭を垂れた後、原爆ドームのそばから船に乗って宮島へ向かいました。
  
   

  投手がいなくても連敗はツラいなと、ここは必勝祈願
  

  しかし、願いは叶わず
  
 きっと、昼にトンカツでなくカキフライを食べてしまったからでしょう、試合は先行したものの今日も投手陣があっけなく崩れて1-6。18時50分の新幹線に乗りたかったので、9回途中で退散しました。交流戦の借金は「4」に。


 ところで、昨今は、テレビをつければプロ野球の試合は全試合見られる時代になりました。ただ、一部ヤクルトと西武ライオンズの主催ゲームは有料チャンネルになっています。(ヤクルトの試合は今年から逗子の家では見られるようになりましたが、明石ケーブルテレビは対応していません。)

 6月12、13日の土日は西武ドームでのライオンズ戦でした。二日間のために有料チャンネルを申し込むか、そろそろ逗子に戻る頃でもあるしと迷っていたのですが、高齢の母が私を呼んだのか、入院の知らせが入ってきて、急遽、11日の金曜日に明石から東京へ出向きました。次に病院に顔を出すのは週明けでも大丈夫そうな感じだったので、今度は逗子の家で有料のテレビを見るか、西武ドームに足を運ぶかの選択になりました。

 時間が取れるのなら、やはり球場に行きたい。

  逗子から2時間半くらいで着きました
  

 湘南新宿ラインで池袋へ。運良く二日間とも西武の臨時特急の座席を確保。池袋から30分ほどですが、快適、快適。

  3塁側から見たライトスタンドのカープ大応援席
  
 実は、インターネットで3塁側の席を押さえたのですが、なんと昨年からホームチームのライオンズが3塁側になっていたのです。一昨年来た時はカープが3塁側だったのに。だいたい、西武ドームの試合はテレビで見たことないので知らなかったのです。これでは用意した赤い帽子もジェット風船も不用品です。がっくり。

  でも、勝ったから問題なし
  
 復帰2戦目の大竹が今季初勝利。大竹は立ち上がりから制球ままならず、四死球ばかりでよれよれ。その上、相手は好投手帆足ということで、まったく勝てそうな感じがしませんでしたが、なんとか踏ん張っているうちに、東出の逆転打が出て、石原のソロホームラン、嶋の2ランホームランでトドメを刺しました。

 一つ勝てば気楽なもの、相手はパリーグ首位のチーム。負けてもともと。涌井でも岸でもどんと来い!の日曜日、今日はカープサイドの1塁側。果たして、どんな状況でジェット風船を飛ばせるか、それが問題なのです。昨日のラッキーセブンは最高の状況だったのに、不機嫌なライオンズファンの青い風船に埋もれていたのですから。

  好投手岸を相手に、ほら、勝った。今季3連敗のジオが初勝利
  
 ライオンズは、おかわり君こと中村が不在でした。でも、カープだって、栗原がケガでいないのです。その代役の4番ヒューバーが2ランホームラン。最終回はヒヤヒヤものでしたが、なんとか逃げ切りました。

 というわけで、交流戦は強いパリーグを相手に10勝12敗2分けの結果に。

 さて、今週末からはセリーグが相手。ジャイアンツには勝てそうにないけれど、なにしろ、相手はパリーグより弱いと言われているチームばかりなのですから。楽しいなぁ。

 大竹が帰って来て、外国人投手も勝つようになりました。これからはマエケンのフル回転も回避できそうです。あとは抑えのシュルツ、永川が戻ってくれば、40勝という予想をはるかに上回って、60勝80敗くらいはクリアできそうな気配。なにしろ今年の戦力で借金20という数字は上出来も上出来なのですから。


    夏の夜の夢は鯉の滝登り   弁人


 まずい、また芭蕉の「蛸壺」の句が浮かんで来てしまいました。
     (ご不明の方は、三回前の記事を参照してください)


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東経135度の地で、二回目の時の記念日

2010-06-11 07:26:21 | 明石風物
6月10日(木)

 明石市のシンボル、日本標準時の東経135度の子午線の上に建っている天文科学館。
  
 今年は開館50周年ということで、半年ほど休館してリニューアル、5月の下旬から新たにオープンしました。

 明石市では、毎年6月10日が「時の記念日」ということで、いろいろなイベントがありますが、今年も天文科学館で記念証が配られるということで行ってみました。
 いやぁ、いい天気。開館の30分前に着きましたが、すでにご覧のような行列でした。ふだんは、団体客以外の来館者はまばらなのに。
  

 ここの見どころは、プラネタリウム、時と宇宙に関する展示、展望室からの眺望の三つです。プラネタリウムは子ども向けのものが中心で、年に何回も足を運ぶものでもありません。展示室も繰り返し見に訪れる人は少ないでしょう。ただ、展望室からの眺めはなかなかのものなので、天気のよい日には行ってみたくなります。ところが、入館料にはプラネタリウムの観覧料が含まれているため、展望室に行くだけでも700円必要になります。ここに来ると、いつも「プラネタリウムを見ない人の入館料設定があれば」と思ってしまうのです。
 今日、こんなに盛況なのは、「子午線通過記念証」という記念品が配られるということもありますが、もう一つ、年に一日だけ入館料が無料になるからなのかもしれません。

 私も関西人になってきたのか、「こんな天気の日に無料で展望室に行けるのなら」と思いました。それに記念品も子ども向けのものが期待できます。
 さて、着いた後、開館20分前から正面広場でセレモニーがありましたが、その様子を見れるのは行列の前の方の人だけです。なにしろ、行列に並んでいないと入れないのですから。その行列は、玄関前から私が並んだ正門前へ。そして振り返ると、下り坂の道路を200メートルほど南に下って、山電人丸前駅まで延々と続いていました。吹奏楽の演奏、さらに、明石の人気者「シゴセンジャー」が登場したらしく、子どもたちの歓声が青空から響いて来ます。

  入館口の前、セレモニーを終えたかわいい子どもたちと吹奏楽の中高生
  
   

  さっそく展望室へ
  
      

   こんもりとした緑の所がKAZU君の保育園のある稲爪神社
   

  今年の記念品をいただいて
  

   天文科学館のタワーができました
   


     朝凪ぎや時こそ標準の暮らしなれ   弁人


 昨年はすでに梅雨に入っていて、しとしと雨の中でしたが、やはり、今年は少しお天気模様がおかしいのかもしれませんね。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「うれしいです」「楽しかったです」

2010-06-07 14:34:15 | ことば・あれこれ
6月7日(月)

 今回は、表記のタイトルで「ことばあれこれ」の記事にするのですが、もしかすると、「何を話題にするのだろう」と思われる方がいるかもしれません、特に若い世代の人は。

 「です」ということばは、断定の助動詞「だ」の丁寧語です。そこで「です」を「だ」に変えてみてください。「うれしいだ」「楽しかっただ」とは言いませんよね。
 赤塚不二夫の漫画に「これでいいのだ」というセリフがあります。このように、断定の助動詞「だ」「です」の前に「の」を入れると違和感がなくなります。「うれしいのです」「楽しかったのです」というように。
 でも、「ボーナスが出てうれしいのです」や「孫と過ごして楽しかったのです」と言った時に、どうも「の」の入った表現がしっくりしないという状況もあります。こういう時は「うれしいと(うれしく)思います」とか「楽しいひとときでした」「楽しい時間が持てました」くらいにするのがよさそうです。
 あと、文末に「な」や「ね」や「よ」などの終助詞を置くという手もあります。「なかなか渋いですな」「この花きれいですね」「けっこう楽しいですよ」というように。でも、これらは話しことばとしてかろうじて成り立っているとしか思えません。

 まず、文法的な説明をしておきましょう。
 一つ、断定の助動詞は「良い天気だ」とか「私は日本人です」のように、名詞に接続するという原則があります。
 また、助詞の「の」には、「甘いのが好き」というように、体言(名詞)の代用をする「準体格」という用法があって、この「の」に接続させることもできます。「いいのだ」の「の」がそれに当たります。
 要するに、「だ」や「です」は動詞や形容詞や助動詞の後に直接付くことばではなく、そして、そのことを当たり前だと思っていると、表題の「うれしいです」や「楽しかったです」という表現に違和感を覚えることになります。

 上の二例のほかに、形容詞型に活用する希望の助動詞「たい」に「です」を付ける表現にもよく出くわします。「看護士になりたいです」のように。これも「だ」に変えるとおかしい言い方であることがわかります。正しくは「なりたいと思います」でしょう。


 実を言うと、今回の記事は、三週間ほど前の5月22日の朝日新聞がきっかけでした。
  
 土曜日は「be」という別刷りの紙面がありますが、その中のパズルの欄に、上記の誤用と同じ表現がありました。
  拡大すると
     
 「解きやすいです」とありますが、これは誤用で「解きやすくなります」が自然な表現だと思います。
 この欄はクイズ作成会社へ下請けに出していて、新聞社ではチェックしていないのか、それとも、すでに一般に通用する表現になっていると判断しているのか、その辺は不明ですが、やはり新聞では正しい表現にしてほしかった(です?)と思います。


 実は、私は国語教師としての後ろ半分くらいの間、ずっとこういう「です」の使い方に悩まされてきたのです。

 もう20年くらい経つのでしょうか、国語という教科の中に「国語表現」という科目ができました。必履修になったのはたしか2003年からだと記憶していますが。
 この科目は、日本語の正しい使い方を身につけることが目的で、まさに国語の基本なのですが、そのためには、当然多くの名作の美しく優れた表現に触れるということも大切な要素になってきます。
 ところが、この科目ができた背景には、若者の文章力の低下を嘆く声があったので、どうしても、小論文や作文対策のための科目のような位置付けとなって、名文の鑑賞とか、俳句や川柳をひねってみるとか、スピーチの練習などで楽しみながらという授業にはなりませんでした。ちょうど大学受験に推薦入試が広がり、ペーパーテスト中心から小論文や面接による選考が増えてきた時期とも重なっていたので、生徒も、作文を書いて添削してもらえる時間だと思って授業に臨んできました。
 もっとも、作文を読んで点数を付けるだけなら話は簡単なのですが、赤ペンを持って添削し、コメントを入れるとなると、これがけっこう時間がかかるのです。返却したあと書き直して提出させたりすればなおのことです。
 ということで、国語の教師の机の上は、ちょっと気を抜いていると、すぐに作文の山ができてしまうようになりました。出張に出るのも億劫、有給休暇を取っても、翌日の机の上を想像すると気が重くなってしまうという状態でした。

 もちろん、生徒の作品を読むのは仕事としてはそれなりに楽しい時間でもありました。ただ辛いのは、前回の「ら抜きことば」もそうですが、上記の「です」の使い方が何度直しても何度説明しても、次々と目の前に現れて来ることでした。きっと、生徒はふだんから誤用に慣れていて危機感が乏しいからなのでしょう。
 もう一つは自己推薦書や志願理由書の類です。これらの書類は、国語の教師のところに回ってくる前に、担任が一度目を通しているのですが、困るのは、こういう誤用が訂正されないままやって来ることでした。大人の目を一度通過したものを訂正すると、「次も国語の先生に見てもらわないと」という気持ちがさらに強くなります。やがて、教師の記載する推薦書などの点検も仕事に入って来るようになり、そして恐れていたとおり、大人も誤用している。コピーしたものに訂正をしてお返しするのですが、時に怪訝な表情が返って来ることもあり、とてもやりきれない気分に陥ったりします。

 うろ覚えで申し訳ありません。大野晋か丸谷才一か、何かの本で「です」の使い方について、「基本的には誤用であるが、話しことばとしては認めてよいのではないか」というような見解を読んだことがあります。もう20年くらい前のことです。しかし、一般の人、特に言文一致のメールに慣れている若者に対して、「話しことばとしては正しいが、作文の時はダメだ」という指摘は、現実には全く無力な言い方にしかなりません。

 「時の流れだ、もう、気に留めないようにしよう」という気分になった時もありました。そこで、ある大学の文学部の教授のところへ電話で質問をしてみたのです。単刀直入に「入試の小論文にこういう表現がある場合、減点の対象になるか」という質問です。答えは「減点だと一概に言える時代ではないが、複数の人が採点する場合はケースによってマイナスになることもあるかもしれない」ということでした。
 やはり退くに退けないのでした。そして、細かいことにこだわる口うるさい教師と言われるのを覚悟するしかなくなったのです。

 それから十年余り、とうとう大手の新聞の紙面にも大手を振って登場しているのを見て、今日もまた、ちょっとだけ「正しい日本語」とかにこだわってしまった次第です。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

月夜に釜を抜かれた気分

2010-06-02 13:54:33 | 明石風物
6月2日(水)

 5月最後の日曜日。ダービーは1着馬のエイシンフラッシュに印を付けていたのに、残念ながら万馬券はゲットできませんでした。

 その日の夜のこと。

 サッカーW杯目前の強化試合、日本対イングランドのテレビ中継がありました。田中闘莉王が幸先よくゴールを決め、1-0で前半終了。

 ハーフタイムに窓の外を眺めると、海が神秘的に光っていました。
  

 1年8ヶ月余り、毎日のように海峡を眺めてきましたが、いつも橋のイルミネーションにばかり気を取られていたのか、月の光に照らされた海の光景を目にしたことがありませんでした。
 もしかしたら、満月に近い夜は好天気の日が少なかったのかもしれません。

  急ぎ、カメラを手に見晴らしの良い所へ
  

 二日前の金曜日が満月で、この日の月齢は16.1とのこと。「十六夜の月」と言ったところでしょうか。月と言えば秋なのですが、夏の夜にこんな素敵な光景に出会えるとは思いもしませんでした。

 いろは歌留多に「月夜に釜を抜く(抜かれる)」という諺があります。たしかに、こんな月夜の下で悪さをしようなどというしたたか者はいないだろうと思われる明るさです。でも「油断は大敵ですよ」ということなのでしょう。

 部屋に戻ってテレビのスイッチを入れると、なんと、日本は闘莉王と中沢のオウンゴールで1-2と逆転されていて、そのまま終わってしまいました。
 別に盗っ人に入られたわけではありませんが、ちょっと月明かりに見とれているうちに相手に2点献上してしまった気分です。

 ところで、松尾芭蕉の紀行文「笈の小文」に

 -須磨の浦伝ひして、あかしに泊まる。其比卯月の中半にやはべるらん
    たこつぼやはかなき夢を夏の月  ばせを-

 とあります。「蛸が岩穴と勘違いして漁師が沈めた蛸壺に気持ちよく身を休め、明日の朝には捕らえられるのも知らずに月明かりの下で夢の世界にひたっている」という状況です。なんともユーモラスな光景ですが、そこには謂わく言い難い悲哀が漂っています。どうも、一ノ谷の合戦で敗走した平家一門の姿を重ね合わせているようです。

  「義経の鵯越え」の近く、須磨山上からの明石海峡
  

  山の下の「平敦盛塚」
  

 月明かりの30日は、ちょうど旧暦の卯月十七日でした。

 この日は弱いカープも連敗して借金11。対楽天戦は0勝4敗となりました。でも「これから、これから」


    短夜やはかなき夢に溶け入りて   弁人


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする