チムどんどん「明石通信」&「その後」

初孫との明石暮らしを発信してきましたが、孫の海外移住を機に七年で区切りに。現在は逗子に戻って「その後」編のブログです

明石の夏休み(2)「大蔵海岸のアスリート」

2014-07-25 11:55:42 | 明石風物
7月24日(金)

 連休明け、いよいよ夏本番という時に、東京の義兄の訃報が舞い込み、あわてて逗子に帰って来ました。

 そんなわけで、「夏休み(2)」の記事のアップが少々遅れましたが、今回は21日の海の日の話題です。

 兵庫の高校野球、今年は、「市立の明石商業に好投手あり」という声を耳にして、一度球場に足を運びました。
 そんなに上背はありませんが、ストレートにキレがあり、地元のチームということもあって、この日も球場へ行こうかなと家を出ました。
 駅に向かって歩いていると、海岸から太鼓の音や喚声が響いて来るので、少し潮風でも浴びてみようかと改札に入らず、海岸へ出る歩道橋へ向かいました。

 この日は、花火大会歩道橋事故(2001年)の
  命日でした
  

 しばし頭を垂れて、海岸へ下りると、なんとまあ、この暑いのに鉄人レースをやっていました。
 トライアスロンから自転車を除いた、スイミングとランニングのレースで、その名を「アクアスロン」と言います。

 スイム200m、ラン3㎞の
  中学生の部の表彰式
  

 一般の部(スイム1㎞、ラン10㎞)の
  スタート地点
  

  いよいよスタート
  

  250m先のブイで折り返します
    


   暑中泳カモメが客の明石浦   弁人


  戻ってきて、もう一往復
  

 スイムを終えて
  走り出したかと思うと、
  

 そう、シューズを履かないと
  走れません
  

 2.5キロ先に折り返しがあって、
  ここも都合二往復です
  

 明石駅の南の、旧たこフェリーの港とその手前の市役所の間に折り返しがあるようです。ここから明石駅までは時々歩きますが、その4倍近くを走るなんて、今の私には考えられません。


   炎天下猛者を励ます光る風   弁人


  お疲れさまでした
  

 これより何倍も過酷な「トライアスロン」も、やっぱり、こんな暑い時期にやるのでしょうか。

 ところで、南西の島で遊んでいたKAZU君、夕方伊丹空港に帰ってくるというので、このあとお迎えに行きました。

 やっぱり、海のきれいなこと、
  あきれるほどですね
  



   足もとにクマノミもいた夏休み   孫弁人


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明石の夏休み(1)「岩屋神社の夏の神事」

2014-07-22 15:02:25 | 明石風物
7月22日(火)

 三連休の最終日の昨日、関西に「梅雨明け」が発表されました。

 今日は朝から蒸し暑く、いかにも不快指数の高そうな空模様、「梅雨明け何日」と言われるようなすっきりとした晴天にはなっていません。でも、たしかに先週の半ばからかなり暑くなって、時折広がる青い夏空、早朝からの蝉しぐれ、近所の庭に咲いた百日紅の花と、夏いよいよの感じがあふれていました。

 毎年、この連休をはさんで、KAZU君の両親の会社が振り替え休業となり、何日か保育園のお迎えがなくなります。そんなこともあって、この時期はいつも逗子に帰っているのですが、最近は、明石での都合ではなく、大船の病院の通院に合わせて逗子に帰るので、家族旅行へ出かけたKAZU君一家を見送ったあと、明石で束の間の一人気ままな数日間の夏休みとなりました。

 20日の日曜日は、明石の夏の風物詩、夏の到来を告げる「おしゃたか舟神事」というお祭りがありました。

 神事が行われるのは
  明石漁港のそばにある岩屋神社
  

 明石には、全国的に有名な大きな神社こそありませんが、歴史的にかなり古い縁起を持つお社がいくつかあります。
 保育園のある稲爪神社は推古天皇の時代、人麻呂を祀った柿本神社は文武天皇の頃と言われています。住吉神社となると、神功皇后の三韓征伐にまつわるエピソードが起源ですから、ほとんど伝説の時代です。

 ところで、今回の岩屋神社。
 社伝によると、成務天皇の時となっています。成務天皇と言えば、神功皇后のお子さまの15代応神天皇の2代前の帝。その天皇の勅命により創祀されたと伝えられていますから、これも伝説の世界です。

 勅命により、明石浦の六人衆が新しい舟を仕立てて淡路島の岩屋から神を勧請する際、海がたいそう荒れて、明石浦の浜に舟を着けることができず、西方の赤石(明石の名の起源)のある林崎海岸へひとまず漂着。そこで海難防止と豊漁を祈ったところ、明け方には海も静まり、無事に神様を現在の地にお迎えすることができたということです。
 この時、地元の住民が沖まで泳いで出迎え、「ご神体と一緒に乗船するのは畏れ多い」と、泳ぎながら舟を押して岩屋の地に着いたという話が伝えられているのです。

 そして、この伝説を再現するかのような神事が現在も行われていて、市の無形民俗文化財に指定されています。名を、「よくいらっしゃいました。おいでくださいました。」の意の「おしゃたか舟神事」と言います。
 明石暮らしを始めてしばらくしてから、この神事のことを知り、ぜひ見ておきたいと思ったのですが、前述のとおり、7月の第三日曜はいつも逗子に帰っていて、その機会を逸していました。

 さて、その第三日曜日。お社は明石駅から南西へ7~8分歩いたところにあります。

 社殿の前に並ぶ
  「おしゃたか舟」
  

 祭式が執り行われたあと、宮司と天狗の猿田彦、それに、おしゃたか舟をかついだ若者衆が登場。

 社殿の前にある
  「茅の輪」を順番にくぐり
  
   

  そのまま、100mちょっと先の明石浦へ向かいます
 


 海には
  きれいに飾られた船が待機
  

 ここで
  もう一度祭式が行われ、
  

 参拝者は大人も子どもも皆
  小型の「茅の輪」をくぐります
  

 その後、
  餅まきも行われました
  

 宮司をはじめ、総代や関係者が船に乗り込み、
  出航すると
  

 若者が「おしゃたか舟」を海へ放って、
  自らも飛び込みます
  

 「おしゃたかー」と言いながら
  泳いで行きます
  

 防波堤からはみ出すのは
  さすがに危険です
  
 潮に流される前に、若者も「おしゃたか舟」も船に上げられて、

 西へ向かって、赤石のある
  林崎海岸まで行って来るそうです
  

 なにしろ潮流の激しい明石海峡、小舟で淡路から横断するのは簡単ではありません。伝説とはいえ、お迎えした神様が、一度西の林崎海岸に漂着したというのは、なかなかよくできた話です。
 その謂われから、前日の宵宮では、神官と若者衆が林崎の海岸で禊ぎをしたそうで、その海中には、明石の地名起源となっている「赤石」があるということですから、この神事には、この地にまつわる何とも言えない歴史ロマンが漂っています。


   ちはやぶる神の代映す夏の海   弁人


コメント (2)
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「字の練習」、試行錯誤のプロセス

2014-07-18 11:04:09 | ことば・あれこれ
7月18日(金)

 4月半ばの記事で、年長さんになったKAZU君、保育園でお習字の練習を始めたということを載せました。

 時々、保育園の壁に作品が貼ってあるのを目にして、感心したり苦笑したりしますが、KAZU君はいつも「うまいやろ」と言うので、「おうちに帰ったら、練習しような、もっともっと上手に書けるようになるで」と、向上心をくすぐったりします。

 クリスマスかお正月か、お友達からメッセージをもらって、「KAZU君もお手紙書きたい」と言ったのがきっかけでした。2月ごろから字を書く練習を始めて、数カ月が経ちます。

 先週、字の練習が終わると、KAZU君が私のカメラを手に取って、「カーくんの書いた字をな、写真に撮ってな、おばあちゃんに見せんとあかんからな」と、シャッターを切り出しました。部屋の中なので、うまく撮れずに私が撮り直したのも何枚かありますが、今回は、その写真を眺めながら、この間のプロセスを載せたいと思います。


 一年くらい前からでしょうか、リビングの壁に五十音図の表が貼ってあって、ずいぶん前から、ひらがなもカタカナも読めるようにはなっていました。ところが、実際、紙に書くとなると、なかなか簡単にはいきません。

 大人は誰だって、小学一年生になったのは、ずいぶん昔のことですから、その記憶が鮮明ということは珍しいでしょう。でも、国語の教科書の最初はひらがなだったということは覚えているかもしれません。「さくら、さくら・・・」とか、「はなが・・・」とか。私の場合は「はと、はと・・・」でした。

 したがって、当然、まずひらがなが書けるようにと思いますが、これが実は難しい。とにかく曲線ばかりですから。
 だいたい、最初の「あ」からして実にややこしい筆運びで、ここでつまずいていると、いっぺんに勉強嫌いになりそうです。

 そこで考えたのは、まず曲線の書き方から始めようということでした。

 文字を書く前に、画用紙に○と△や□の図形でお絵描きをして、次に波線という具合です。
 そして、いよいよなのですが、やはり、「あ」はまだ難しいので、始めは曲線の多い数字を書くことにしました。もちろん、すぐに書けるはずはありませんから、薄い鉛筆で書いた点線をなぞるわけですが、

 「100」までは勘定できるので、
  行けるところまで
  

 「10」以降は、同じ数字を10回連続(1の位を含めると11回)書くことになるので、「0」から「9」を繰り返すよりいいかもしれません。

 さて、数字の練習をしていると、KAZU君が「明日は英語やで」と言い出しました。「まだ早いよ」と言うと、「だってな、カーくんな、Nって書けるんやで。ほら、N700(系)や。だからほかの英語も書けるようにならなあかんやろ」と、もっともらしいことを言うのです。
 こういう取り組みは、子どもに興味がなければ続きません。まあ、アルファベットにも曲線があるからいいかも、それじゃあ、「ABCの歌」を覚えさせてからと思って歌い出すと、「歌の練習やないで、字を書かな」と相手にしてくれません。大人の考える順番なんか子どもには通用しないのでした。

 本人の仰せのとおり、
  小文字まで
  
 鉄道の本か何かで見たのでしょうか、なぜか小文字の「e」を知っていて,「こういう字もあるのに、なんでや」と言うのです。それに、昔、私が小学生になった頃、なぜかローマ字を知っていたことを思い出し、それじゃあと、小文字も書かせてみました。

 さあ、いよいよ
  カナ文字です
  

 壁に貼ってある五十音表は、カタカナも一緒になっているので、両方いっぺんに書くことにしたのですが、迷ったのはノートの書き方。日本のカナは縦書きを基本としてできた文字なのですが、数字も英語も横書きで練習してきました。それに、鉛筆を右手に持つと、左から書く方がスムーズなのです。この辺も日本語の書き方の難しいところです。

 KAZU君の知っている
  駅の名前を書いてみました
  

 駅名となると、少しは漢字も頭の中にあるようで、ある日「今日は漢字を書こうな」と言い出しました。
 大人は一段階ずつきちんとなどと考えますが、子どもの欲求というのは、とにかくどんどん飛躍して行きます。

  うまく書けるはずはないのですが
  

 「漢字は難しいやろ、やっぱり、ひらがなをちゃんと書けるようになってからやな」と、その次の時(写真左)に「あいうえお」に戻りましたが、こういう単純作業はおもしろくないのです。「字書くの、しんどくなった。もうイヤや」と言い出してしまいました。

 やはり、ひらがなを単調に書いていくのは勉強嫌いを助長するだけなのでした。しばらく練習を止めていると、ある時、画用紙を広げて、「ベンガルトラとアムールトラとスマトラトラと・・・・・」と、図鑑を見て覚えた虎の名前を書いて得意気に見せてくれました。
 「そうだよな、やっぱりカタカナだよ」

 どうして気づかなかったのでしょうか。「まず、ひらがな」という現代人の固定観念にとらわれてしまっていました。誰が考えたって、ひらがなより単純で曲線が少ないカタカナのほうが書きやすいのですから。

 私もいちおう戦後生まれなので、一年生の教科書、ひらがなから始まったと記しましたが、実は、戦前の教科書を見ると、カタカナが最初だったのです。昔の法令なんかもひらがなは使われていません。一般に広く読まれる新聞や文学作品はひらがなで書かれていますが、もともと、ひらがなは女性の文字という文化伝統が根強くあって、公文書などは漢字とカタカナにこだわっていたのです。
 長い間、太平洋戦争が終わるまで存在していたカタカナ表記、軍国主義の時代と重なるのでしょうか、「赤紙」と言われる召集令状なんかも、当然、漢字とカタカナだったはずで、おそらく、戦後の新しい社会の中では、忌ま忌ましくいかめしい感じが拭えなかったのでしょう、教科書も法令も漢字とひらがな表記に変わったのです。

 結果、今は、初心者にはやっかいな「ひらがな」が優先になって、子どもたちを手こずらせているのかもしれません。
 外来語の氾濫する現代社会、戦争を知る世代も少なくなりつつあります。カタカナに対する意識も変わっています。古い時代に戻るということではなくて、字を書く練習はカタカナから入るのがいいのではと思います。

 ところで、最近のKAZU君、5月の連休の頃も、そんな様子は全く見せなかったのですが、二ヶ月ほど前から、急にウルトラマンに夢中になりました。
 絵本を見ると、いろいろなウルトラマンがいることにびっくりしますが、KAZU君は全部覚えているのです。

 そこで最近は、
  その名前を書く練習です
  

 全部カタカナなので書きやすい。書いているうちに、「リ」と「ソ」と「ン」、「シ」と「ツ」が紛らわしいことにも気がつき始め、これから、練習嫌いにならないよう、いかに書き分けられるようになるかが課題ですが、今のところは、なにしろ大好きなウルトラマンです。

 名前が書けるようになるんですから、
  気合も入ります
  


   覚束なき鉛筆の先夏の夕   弁人


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6才になって、元気いっぱいのKAZU君

2014-07-13 20:12:07 | KAZU君
7月13日(日)

 4日はKAZU君の誕生日でした。でも、私はその前日が大船の病院へ行く日だったので、KAZU君のおうちにプレゼントの袋をそっと置いて、先月の末に逗子へ帰ってしまいました。

 まずは、帰る前の6月下旬の写真から。

 保育園からの帰り、
  おうちの近くで
  
           
 低い鉄棒で前転ができるようになりました。

 高い鉄棒は
  ぶら下がるのが精一杯ですが
  

 一年でいちばん日の長い時季です。KAZU君のおうちの近くの団地にコインパーキングがあって、最近はそこに車を止めるのですが、梅雨時は、そばに紫陽花がきれいに咲いています。そして、その向こうに小さい広場があって、砂場と鉄棒が見えるのです。
 「カーくん、鉄棒やりたい!」と、時々寄り道となるのですが、夕方はもう蚊の出る季節になって、注意していても二~三ヶ所ずつ被害に遭ってしまいます。

 そこで、最近、動物や鳥への興味と関心が高いKAZU君に「今日は鉄棒じゃなくて、カモメさん見に行こうか」と誘って、

 蚊のいない海岸で
  夕方のひとときを過ごすことも
  


   かもめ鳴き風微かなる夏の夕   弁人


 こんな日々の後、KAZU君と別れて逗子へ帰りました。今回は、KAZU君の誕生日の一週間後に明石へ戻る手配をしてしていたのですが、大型の台風が近づいて来て、交通機関が乱れたりしたら大変と、二日ほど早く新幹線に乗りました。

 幸い、台風は木曜日に九州を横断したあと急速に衰え、明石では、暴風雨にも大雨にも見舞われずに済みました。

 そして、雨上がりの暑い週末。

 大阪に住む姪夫婦が明石に遊びに来ることになって、お昼前、KAZU君と二人で少し時間をつぶすことになりました。

 「今日はカモメさんおるかなぁ」ということになって、海岸へ行ってみると、KAZU君、おもしろいものを見つけました。

  大きなキノコです
  

 雨上がりなんですね、人がいっぱい来る所なのに、直径10センチは下らない立派な大きさです。色合いからして、触るのも気持ち悪い感じで、KAZU君も「毒キノコやで」と近づかず、「おじいちゃん、写真撮っておいてな、お父さんとお母さんに見せるんやから」と、背後からご命令。

  そして、海岸に下りると
  

 カモメは岩の上に
  いっぱいいます
  

 鳴き声は「ミャー、ミャー」と聞こえるので、ウミネコなのでしょうか。KAZU君が「ミャー、ミャー」と声をかけても、

 小石で水をチャポンとしても
  全く動じません
  

 さて、この後、駅で姪夫婦をお迎えし、KAZU君のおうちで楽しい時間を過ごしましたが、大阪へ帰る前に、みんなで海岸へ行ってみようということになりました。

 この日はちょうど海開きの日で、朝から太鼓の音や歓声が響いていました。それを知っているKAZU君、「今日は海で泳ぐんや」と大張りきり。

  浮輪の準備も万全です
  


   淡路まで泳ぐ気合や浮輪付け   弁人


 今年初めて
  海に入りました
  
   


 やはり、淡路はちょっとどころではなく、はるか彼方のようでした。

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KANA君、逗子に現る

2014-07-07 09:57:18 | KANA君と妹君
7月7日(月)

 梅雨明け前とはいえ、日曜日の逗子海岸はけっこうな人出です。その海岸に面したイタリア料理店で、

 KANA君と
  待ち合わせをしました
  

 「今日も
  楽しく遊ぼうね」
  

 日曜日に東京から湘南の海岸へということで、道が混んでいたもよう。渋滞の車の中でおやつを食べたので、

 少し食欲が進みませんでしたが、
  元気一杯
  


 実はこの日、逗子のホールで「三国志」の人形劇があって、おじいちゃんの家でお留守番となるKANA君、パパとママとはこれからお別れなのです。その上、大好きなおばあちゃんも劇を観ることになったので、午後はおじいちゃんと二人で過ごします。たまにしか会わないのに大丈夫かな?

 でも、みんないなくなっても、
  ぜーんぜん平気でした
  

 「ほらね、(これ見て、
  おうちから持って来たよ)」
  

 やっぱり、男の子。最初は私に風船を膨らませて喜んでいましたが、まもなく飽きて、

 トラックを連結させて
  夢中になっていました
  

 トラックの進んだ先に絵本が並んでいたので物色していたKANA君、「プラレールかるた」を見つけました。もちろん、まだ字は読めませんし遊び方もわかりませんが、絵札は全部列車や機関車ですから、さっそく全部広げて、

 「アアー、ウイー」と
  ひとり言を発しています
  

 1時間半ほど遊んで、やがてお昼寝となりました。お昼寝からの目覚めが良くなかったのか、ちょっとグズっていましたが、もうパパとママが戻っていたので元気になって、帰りの車に乗り込みました。

 「バイバイ、帰りも時間がかかりそうだけど、
  元気でね」
  


   孫の背に梅雨明け間近の青い風   弁人


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北総ぶらり-その2「銚子・犬吠埼」編

2014-07-05 07:16:46 | 旅行
7月5日(土)

 二日目は快晴。
  360度見渡せる展望台です
  

 北総の成田・佐倉を歩いた翌日です。この時期としては信じられないような好天気になりました。
 真夏を思わせる強い日射し。でも、太平洋に突き出たこの辺りは、風が心地よく通って、気温はそんなに高くはありません。

 冒頭の写真。絶好の行楽日和に、まず向かったのは犬吠埼にある「地球の丸く見える丘展望館」です。水平線の見える範囲が270度、その水平線を眺めていると、地球が丸みを帯びているのがわかるという具合ですが、

  はたして、どうでしょうか
 


   果てしなく右に左に夏の海   弁人


 これから行く
  「犬吠埼灯台」も見えています
    

 坂道をてくてく下りて行くと、鮮やかな朱色の門構えの、満願寺という立派なお寺の脇に出ます。そこから東へ歩いて、銚子電鉄の「犬吠駅」の踏み切りを渡り、さらに10分ほど行くと、

 白亜が眩しい
  犬吠埼灯台
  
   

 100段以上の階段で難渋しますが、
  これぞ太平洋の景観
  


   潮騒に乗りて爽やか夏の風   弁人


 反対側に、
  先程の展望台がくっきりと
  
 丘の左下にみえるのが満願寺。手前のピンクの建物が水族館で、歩いて来たルートが見渡せました。

 絶景を堪能した後は、今回のお目当ての一つの銚子電鉄です。本数が少なくて、行きの銚子駅からは乗れませんでした。
 しかし、バスも少し待たされるということで、タクシーに乗ったのが幸い。初めに丘の上に行けたので、あとは、灯台も電車の駅も自分の足だけで済んでしまいました。

 やってきました。
  京王線カラーの「2000形」
  

 犬吠駅は駅舎がとてもお洒落でした。白を基調としたタイル張りの壁は、ポルトガルの宮殿風に作られていて、古い車両と相俟ってなんとも不思議な光景です。

 二両編成。
  後ろの車両は違う種類の「2501」
  

 二両とも、だいぶくたびれている感じがしますが、それもそのはず、京王電鉄で20年、伊予鉄道で24年間走った経歴を持っています。今では、京王帝都のオールドファンはもちろん、多くの鉄道ファンが注目する車両なのです。

 切符も今では珍しい
  硬券でした
  

 銚子駅に戻って、昼間から魚料理を満喫。それでも、まだ帰りの電車までの時間があったので、

  利根川の河畔へ行ってみました
  


   白南風や板東太郎の穏やかさ   弁人


 ということで、梅雨の晴れ間の二日間の北総散歩もこれで終わりです。

 帰りは、
  特急「しおさい」で東京へ
  


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北総ぶらり-その1「成田・佐倉」編

2014-07-04 16:21:05 | 旅行
7月4日(金)

 一昨年のお正月、電車好きのKAZU君のお年玉の袋に「京成スカイライナー」の切符を入れたのですが、あの時は箱根駅伝の応援に夢中で同行できませんでした。
 そんなこともあって、逗子に帰った時に、自分も一度「京成スカイライナー」に乗ってみたいと思っていました。成田山新勝寺にも、なぜか行ったことがありませんでしたし。

 この六月、関西は空梅雨気味で降水量が少なかったのですが、関東は集中豪雨に加えて大量の雹まで落ちて来るという荒れ模様、お出かけ日和は期待できないかなと思いながら逗子に帰って来ました。

 確かに、天気予報には傘マークが並んでいました。でも、豪雨に遇わなければいいと、1日の火曜日の朝、上野駅に行きました。

 「これ、これ、
  乗ってみたかったのは」
  

 上野駅ではがらがらで、京成も大変だなと思いましたが、日暮里駅でお客さんがたくさん乗って、6~7割がた座席が埋まりました。

 荒川を越えて青砥付近。
  そろそろ北総線に入ります
  

 印旛沼の南を通って、
  もうすぐ成田空港です
  

 成田に近づくにつれて、空も晴れ渡ってきて景色もきれいです。それに、北総線から成田スカイアクセス線に続く鉄路は、大きなカーブが全くなく、線路幅も狭軌のJRより広いので乗り心地も最高。どおりで、成田エクスプレスより速くて便利なわけです。

 空港には用がないので、そのまま京成電車で成田へもどり、

 15分ほど歩いて、
  新勝寺の総門に着きました
  

 その先に
  仁王門があって
  

 門をくぐると、
  節分の豆まきでも有名な大本堂と
  

 右には、
  きらびやかな三重塔
  

 「護摩祈祷」を終えて
  僧坊に戻るお坊さんの行列
  


   梅雨晴れ間空高くして袈裟映ゆる   弁人


 午後は、再び京成電車に乗って佐倉へ向かいました。北総台地の風を受けながら歩いて行くと、佐倉城址へ向かう坂道に、

  磨崖仏が鎮座していました
  
 大分は臼杵の磨崖仏を模したものでしょうか。

  佐倉へ来た目的はこの建物です
  

 「歴博」こと、
  国立歴史民俗博物館
  

 数々の展示を眺めているうちに、日本人の戦さ好きがちょっと気になってきました。


   往にしへを訪ねて憂ふやほととぎす   弁人


 立川や明石海峡の公園もそうですが、国立の施設は本当に立派できれいです。中も広くて、常設の展示室は六つ、ちょうど企画展は何も催されていませんでしたが、それでも、ゆっくり回っていると半日はかかりそうな感じでした。

 さて、翌日もなんとか天気が持ちそうな気配。とりあえず、九十九里で一泊することに。 -次回へ続きます。-


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