チムどんどん「明石通信」&「その後」

初孫との明石暮らしを発信してきましたが、孫の海外移住を機に七年で区切りに。現在は逗子に戻って「その後」編のブログです

思いっきりお母さんに甘えて

2011-05-29 12:19:26 | KAZU君
5月29日(日)

 水曜日にお母さんが帰って来てから、家ではお母さんに甘えっぱなしのKAZU君、お仕事がお休みの土曜日が来るのを楽しみにしていましたが、異例の早さの梅雨入りと台風接近ですっかり予定が狂ってしまいました。

 雨の中、車で迎えに行くと、お母さんに抱っこをしてもらいながら登場してきました。

  コアラが木にしがみつくようにして、ご機嫌の笑顔
   


    初夏の雨これ幸いと甘えし児   弁人


 雨傘と新しい長靴のお買物に行きましたが、気に入ったのは淡い赤の模様の靴でした。

  「赤いの?それはちょっと・・・」
  
 「カークンは赤がいい! これ、いらん!」と、さっさとお気に入りの長靴を履いて、周りが勧める男の子らしい色のものは棚に片付けてしまいます。


 お買物の後は、生涯学習センターのプレイルームで遊ぶことにしました。

  いつもは一人で遊ぶのに、今日はお母さんの膝に乗って絵本を
  
  


 本を読んでもらった後は、お得意、お台所の仕事です。

  りんごを切って
  

  「おじいちゃん、おりんごたべましゅか」
  

  「デッカイねぇ」 プーさんのぬいぐるみと格闘中
  


   つゆの雨?台風?どっかに飛んでけー  孫弁人


 「明日もお出かけは車になりそうやねん。 カークン、電車乗りたい! おすべり台で遊びたい!」

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初夏の大和路-雨と霧と雲の中で-

2011-05-27 15:53:52 | お出かけ・散策
5月27日(金)

 先日葛城山へ行って来ました。「トンテントテタカ」と鳴くホトトギスの声が聞こえるでしょうか。

  

 KAZU君のお母さんが帰って来る日も近づきました。熊本のおばあちゃんもそろそろ帰らなければなりません。交代で奈良にいる私の妻君が明石に来ることになりましたが、車が何かと便利ということで、迎えがてら奈良へ向かいました。

 あいにくの雨の日でしたが、とりあえずは花がきれいな長谷寺に行ってみました。

  参道脇の小道の石仏も雨の中しっとりと
  

  期待していた牡丹は六月の紫陽花へバトンタッチの時期に
  

  しかし、雨雲に烟る新緑には心が洗われる思い
  


 その後、飛鳥の万葉文化館へ向かいました。近年、遺跡の上に建てられた県立の博物館ですが、まぁすごい、とにかく立派できれいな施設でびっくりしました。

  しっとりと雨に濡れる文化館の前庭
  


 一夜明けて、一晩中降り続いていた雨が上がりそうな気配も。そこで明石に戻る途中、葛城山のツツジの様子を見に行くことにしました。

  ロープウエイの上のほうは雲の中
  

 「一目五万本」と言われるヤマツツジの名所に向かって霧の中の山道を歩いて行くと、冒頭の動画のとおり、木々の間からホトトギスの鳴き声が迎えてくれました。


    哀しげに雲居の中の不如帰   弁人



  小径を抜けると、突然目の前にツツジの群生が
  
 それにしても、視界が・・・。雲が流れて来て、突然10メートル先ぐらいまでしか見えなくなったりします。ほんとうは、山肌一面が赤というか朱色というか、とにかく燃えるような色彩のはずなのですが。

  雲に霞んだ幻想的な光景
  

  とりあえず記念に一枚
  



    くれなゐも烟霧に霞む躑躅かな

    水彩に似合ふ淡さや山躑躅      弁人



 ロープウエイを下って行くと、山と反対の方向には、雲の下に大和三山がお行儀良く御鎮座されておりました。
  


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「お母さんが帰って来るまで、もう少し」の日曜日に

2011-05-25 09:58:20 | KAZU君
5月25日(水)

 22日の日曜日。お母さんが海外出張に出てから十日余り、ぐずついた空模様の中、さすがに少しお母さんが恋しくなって来たKAZU君ですが、そんな気分を吹き飛ばそうと、熊本のおばあちゃんも一緒にみんなでお出かけしました。

  明石駅から「スーパ-はくと」に乗って
  


   五月雨をかき消し進む列車かな   弁人


  あっという間に大阪駅
  
 大阪駅でいっぱい電車を見てから、環状線に乗って弁天橋駅にある交通科学博物館へ行きました。

  実物の車両もたくさんあって、KAZU君も目をパチクリ
  
   

  模型ジオラマの真ん中の観覧用カプセルに入って
  

  京阪電車と阪急電車
   

  ミニ大阪環状線にも乗りました
  

  電車運転のシュミレーターも迫力満点
  

  人気の鉄道模型はさすがに超満員
  

  お昼は、レストランよりもやっぱり駅弁の「新幹線弁当」に
  

   「カークンのお母さんは?」
   「あと三回保育園に行くと、お母さん帰って来るよ」


   走り梅雨雲間に見ゆる青き空   弁人



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数字の読み方

2011-05-21 11:56:02 | ことば・あれこれ
5月21日(土)

 先日京都へ行った時のことです。北野白梅町から西大路通りを下がるバスに乗りました。「次は七条(シチジョウ)通りだな」と思っていると、下の動画のように車内案内放送が流れました。「七条(ななジョウ)」??

  

  バスを降りて、バス停を見ると
  

  堀川通りを過ぎたところで振り返ると
  
 道路の看板は「西大路七条(シチジョウ)」になっています。このほうが正しいと思うのですが。

  京都駅から北へちょっと歩いたところの「烏丸七条」では
  
 東本願寺のすぐ手前です。信号には「烏丸七条(シチジョウ」と表示されていますが。

  ここでもバス停は「烏丸七条(ななジョウ)」と
  


 「4」と「7」の読み方では、こういうことがよくあります。

 例えば、テイクアウト専門のお寿司屋さんに「三条、四条、五条・・・」というメニューがあって、「四条(シジョウ)一つお願いします」と言うと、「はーい、四条(よんジョウ)ですね。少々お待ち下さい」という声が返って来たりします。京都で「四条」を「よんじょう」という人は誰もいないでしょう。

 日本語で漢字を読む時には「音読み」と「訓読み」の二通りがあるので当たり前のことですが、数字の読み方も二通りになります。
〔音〕 イチ ・ ニ  ・ サン ・ シ ・  ゴ  ・
    ロク ・ シチ ・ ハチ ・ ク ・  ジュウ
〔訓〕ひ(とつ)ふ(たつ)み(っつ)よ(っつ)いつ(つ)
   む(っつ)なな(つ)や(っつ)ここ(のつ)とお

 日本人は無意識のうちに二通りの読み方を使い分けているのですが、どうも「4」と「7」の「音読み」を嫌う傾向があります。
 「マンションの4(よん)階、7(なな)階」・「45(よんジュウゴ)才、72(ななジュウニ)才」等々。

 説得力があるとは思えないのですが、一説に、「シ」音が「死」を連想させるので、いわゆる「忌み詞」として「シ」と「シチ」が避けられたという見解を目にしたことがあります。
 でも、「四月」「弦楽四重奏」「七分袖」「七面鳥」などを「よん・なな」と訓読する人はいません。一方で、「四死球」などと「シ音」に全くこだわっていないかのような野球の世界でも「四回表(よんカイおもて)」と訓読したりします。

 二つの数字のこのような読み方について、私は、どうも数学の世界での言い方が強く影響しているのではないかと思って来ました。例えば「4x+3y」の「4(よん)」、「7の3乗」の「7(なな)」。
 数学の世界では、「3+5(サンたすゴ)」のように、数字は音読みが原則ですが、「4」と「7」だけは訓で読みます。誰でも小学校の時から「4+7=(よんたすななは?)」と言われて勉強しているので、漢字を読む時にこの二つの数字が出てくると混乱してしまうのも無理はありません。
 そういえば、昔、数学の教師に「あんた方の言い方がおかしいから国語の教師が困るのだ」と冗談を言ったことがありました。

 それはともかく、若い人が、壺井栄の小説を「二十四(ニジュウよん)の瞳」と言ったり、赤穂浪士が「四十七(よんジュウなな)士」になったりした時に、ある意味では仕方ないのかなという思いがよぎってしまうのです。

 なぜ数学の世界で「忌み詞」のように「シ」や「シチ」と言わないのかということは、頭のどこかに引っかかって来たのですが、特にこれだという答えを持たないままになっていました。
 ところが、先日「七条通り」の読み方について、京都のバス会社に問い合わせたところ、妙に説得力のある回答が返って来たのです。

 「『一条(イチジョウ)』と『七条(シチジョウ)』・『四条(シジョウ)』と『七条(シチジョウ)』は発音が似ているので、お客様がお間違えにならないよう、当社では『シチジョウ』と言わずに『ななジョウ』と御案内しています」

 本音は「『シチ』だって『なな』だっていいじゃないか、なんでそんなことにこだわるのか」というところかもしれません。でも私は、それなりの理由があるにしても、由緒ある固有名詞の地名をわざわざ誤読するのはやめてほしいと思った次第です。

 ところが、バス会社の「誤解しやすい発音」という理由を、合理性を重視する数学の世界に当てはめてみると、「4」と「7」の読み方に「なーるほど、そんなところから来ているのかもしれない」と、つい納得してしまったのです。

 しかし、やっぱり音訓の区別を踏まえておかないと困る場合もあるのです。実は、KAZU君に数字を教えているのですが、幼児には「音訓」なんて分かりませんから時々混乱します。「7」を「なな」という時と「シチ」という時があるからです。

 KAZU君の数字の絵本。

  「1」は「いちご」が「イッコ」
  

  「2」は「にわとり」が「ニワ」
  
 以下、「さんま」「ゴリラ」「ろうそく」・・・などが登場してくるのですが。

  「4」は「しか」が「シトウ」とはなりません
  

  「7(シチ)」では「なす」が「ななこ」となってしまいます
  

 やはり「7」は「シチ」ではなく「なな」と読んであげないと訳が分からなくなってしまいそうです。でも、そうすると「もうすぐ『七五三』だね」という時に、もし漢字が出てきたら戸惑わないかなと心配です。

 小学生になると掛け算九九を覚えますが、九九は全部「音読み」です。「シシチニジュウハチ」という具合です。つまり、「シ」・「シチ」は「よん」・「なな」のことと気づくまではいくら覚えても役に立たないのです。そんなことは、たぶん自然にわかっていくのでしょうが、頭ごなしに覚えさせられるほうも大変で、九九の暗記から逃げ腰になって、算数嫌いになる子どもの気持ちもわかるような気がします。

 たしかに、自分の意思で勉学に取り組むようになるまでは、いろいろな言い方を機械的に覚えさせるしかないのでしょうが、段階的にそういう教え方も仕方ないとはいえ、ちょっぴり寂しい感じもします。

 そう、KAZU君の誕生日は7月4日です。「シチガツよっか」と言える日も遠くないはずなのですが、子どもはそういうふうに教えておけば、それで済んでしまうのでしょうか。


    三才になる七月が近づけり   弁人



 京都の話に戻ります。下京区の、京都駅から西のほうに「西七条○○町」という地名がいくつもあります。絶対に「ニシシチジョウ・・・」と言ってほしいのに、実際に地元の人に聞いてみると、「ニシななジョウ」と思っている人がけっこう多いのです。バス会社の利用者への配慮が染み込んでしまったのでしょうか、やはり納得できません。


 【補足】
 紛らわしい発音から生じる混乱を避けるということも、状況によってはやはり必要なようで、意図的に「七月」を「ななガツ」と言ったり、「27日」を「ニジュウななにち」と言ったりもします。
 小学生の頃、そろばんを習いましたが、「足すことのォー、『ふたジュウなな円』ではーッ」とかいう声が今でも耳に残っています。「読み上げ算」ということで、聞き間違いのない発音が大事だったのでしょうか。


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「カークン、さびしくなんかないもん」

2011-05-16 16:25:58 | KAZU君
5月16日(月)

 私が明石に戻ってきた後、梅雨の走りとかで何日も雨の日が続きました。

 そんなある日の嵐のような雨が降る朝でした。KAZU君のお母さんは、仕事で二週間ヨーロッパへ出かけて行ってしまいました。
 KAZU君、お母さんがいなくなって、空模様と同様のちょっぴり陰鬱な気分になったのが災いしたのか、翌日に夏風邪を引いて保育園をお休みしてしまいました。

 でも、ちょうど熊本からおばあちゃんが来てくれた日だったので、熱はすぐに下がって、まずは「よかった、よかった」
 ということで、しばらく熊本のおばあちゃんに甘えることになりました。

  熱が下がった夕方。「電車見に行くぅ」とせがんで
  

  大好きな「スーパーはくと」が見たかったのです
  

   金曜日は元気に保育園に行きました
   

    お家に帰った後も元気いっぱい
      


    緑雨中伸びる力を蓄へて   弁人


 そして週末。土曜日は初夏の風が爽やかに吹き抜ける気持ちのよい日和になりました。元気とはいえ、病み上がりの体調を心配して、この日は近場の明石公園に遊びに行くことにしました。

  電車で1駅の明石駅へ。「来たよ、スーパーはくと」
  

  KAZU君、明石公園でボート初乗船
  

  やっぱり、滑り台だよね
  

 「お母さんがいればもっと楽しいのに」とでも思っているのかな
  


    何見らむ無邪気な視線に風薫り   弁人


 日曜日は、朝突然「ゾウさんが見たい」と言い出したそうで、KAZU君はおばあちゃんとお父さんと3人で王子動物園に行って来ました。

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捨てたもんじゃない「日本人の節電意識」

2011-05-13 10:09:44 | つぶやき
5月13日(金)

 先月の下旬、逗子に帰った時のことです。新大阪から、小田原駅で「特急踊り子号」との接続の良い「ひかり号」に乗りました。
 沿線ののどかな晩春の風景。富士山の雄姿。今日はスムーズに帰れると、震災の直後に帰った時とは全く違ったのんびりとした気分で小田原駅に着き、東海道線のホームに下りました。

 ホームが明るくない。「踊り子号」が来ないのに、向かい側の始発電車に客が乗っている。あれっと思って駅員に尋ねると「震災以来、踊り子は運休ですよ」とあきれたような口調が返ってきました。踊り子号、どうも土日に何本か動いているようですが、これでは伊豆の温泉も客足が遠のいているだろうし、関東の人が元気を出すのも大変だなという思いがよぎりました。

 それにしても、関西にひと月ちょっといただけなのに、意識までが関東・東北の現状から離れてしまっていたのかと、我ながら情けなくなりました。

 どこの駅も照明を落とし、エスカレーターも一部しか動きません。キャスターバッグを引いているので「ここも節電か」と余計に痛感した次第。車内では「空調を入れてないので適宜換気を」というアナウンスが。電車の本数も私鉄を含めて少なくなっている模様でした。

 首都圏の人たちは、こういう状況に文句を言うどころか、黙々と日常の暮らしを営んでいるのです。そして自分もその中に入ってみると、なんとなくその気持ちが伝わってくる感じがしました。

 一つ、これからは、原発がなくても乗り切って行ける社会にしなければならない。
 一つ、計画停電は辛かった。なんとか夏の猛暑の時に停電が起きないようにしたい。

 本当はですよ、発電した電力を長期間蓄えておく技術はまだ立ち遅れているのです。だから今いくら節電しても、夏の最需要期に電力は回せず、電力会社の当座の収益が減るだけなのです。それでも節電の習慣を身に付けようと努めている庶民の姿勢、なんと大切な心構えではないでしょうか。


 東電の皆さん、原発を支えてきた政治家や大企業の皆さん、節電の大切さに気が付いた国民を甘く見てはいけませんよ。

 国民はもうわかってしまったのです。どんなに安全と言われても、「未曽有」とかの事態が起きれば「想定外」という言葉で片づけられるということを。そして、福島(フクシマ)に続いて、他に一ヶ所でも同じことが起きれば日本は大変なことになるということを。
 国民は知ってしまったのです。いくら高い防潮堤を作っても、それを超える津波が起こればどうしようもないということを。そして、フクシマでは停止していた原子炉の燃料プールで爆発が起こったということを。

 菅首相は「浜岡原発を防潮堤ができるまで停止」という指示を出しましたが、本当にそれでいいのでしょうか。もし今、浜岡原発を「一時停止」にするか「廃炉」にするかということを国民投票に付せば、間違いなく「廃炉」という結論になるでしょう。安全神話が簡単に崩れる現実があったのですから。


 ところで、私は今までに「国民の生命と財産を守るために」ということばをイヤと言うほど耳にしてきました。しかし、戦争にしても災害にしても、かつて、国家が国民(一般庶民)の生命と財産を守ったことがあるでしょうか。心の隅には「天災なら・・・」という思いもありましたが、やはり現実として、今回の震災でも一般庶民の生命と暮らしは守れなかったのです。

 いったい、原発を支持し推進して来た方々は、今、どんな思いでフクシマの原発難民の現実を見つめているのでしょうか。将来を担う子どもたちのことを考えて胸が傷まないのでしょうか。
 どうも、今でも「脱原発?そんなとは考えられない」と思っているフシがあるのですが、どう考えても、そこには「何か起これば国民の多少の犠牲は止むを得ない」という前提があるとしか思えません。

 「原発を停止すれば、この夏はどうなるかわからない」「代替エネルギー開発には多大な費用と時間がかかる」という言い回しで、いくら国民の不安をあおっても、もう日本の庶民はそんなことばにだまされることのない知識を持ってしまっているのです。そういうことにも気づかずに、電力会社の現状存続を図ろうと懸命に奔走している人がいるというのは、まったく哀しいとしか言いようがありません。

 改めて言いたいのです。「庶民を馬鹿にしてはいけませんよ」と。
 ふだん通りの暮らしをしているかのように見える関西の人だって、浜岡原発停止の話を受けて「節電を徹底して、関西の電力を中部の人たちに送らなければ」という思いになってきているのです。
 そんな健気な庶民の気持ちをあざ笑うかのように、「国家の使命は国民の生命と財産を守ること」と声高に言い、「停電がイヤなら従え」という姿勢で、危険な原発を存続させようとするのは、まさに亡国の構図としか言いようがありません。


 もう一つの問題。
 原発がどんなに安全でクリーンなエネルギーと言っても、使用済み核燃料というやっかいな代物がどんどんと残って行くことです。原発を始めて数十年、もう使用済み核燃料もかなりの量になっているのに、日本ではまだ、その処理ができない状態が続いているのです。
 処理施設には広大な土地が必要ということなのか、想定外の事態が起きた時のことを念頭に置いているのか、ここでも首都圏から遠く離れた場所に、地元に大量のお金を配るという方法で、現在、青森の六ヶ所村に再処理と一時貯蔵の施設を建設中です。本当に地元の人の豊かな暮らしを考えているとはとても思えませんが。
 しかし、もっと深刻なことは、仮にこの施設が稼働したとしても、一時貯蔵した放射性廃棄物を地下深くに埋める最終処分地の目途が全く立っていないという現実です。現在研究中らしいのですが、仮に埋める方法が確立しても、やはり首都圏の緑地の地下になんてことにはならないでしょうね。北海道の原野の中にとか考えるのでしょうか。いづれどこに埋めたとしても、その廃棄物が自然物に戻るのには何千年もかかるのですから、そういうものを作り出してしまった人間の罪悪は計り知れません。


 このように、思いを巡らせば巡らせるほど、原発というものが「国民の生命と財産を守る」ための事業とはとても思えなくなってきます。
 しかし、溜め息をついていても始まりません。とりあえず今年の夏に原発がなくても大丈夫、乗り切れるということを実証することですね。

 もしかすると、「原発がないとこんなに困るぞ」ということを示すために、わざと発電量を少なくしようと画策する輩が出てくる不安もありますが、今回の震災で、そのくらいのことを見通す眼力は国民の中に出来上がっているということを忘れてはいけません。


 最後に。
 メディアへのお願いです。電力会社ごとのの毎日の発電量と消費量をきちんと伝えてほしい。節電意識の持続と啓発に欠かせない情報なのですから。難しいことだとは思えないのですが、やはりどこかから圧力がかかったりするのでしょうか。





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「カークン、帰って来たよ」

2011-05-10 10:24:26 | KAZU君
5月10日(火)

 もう、春は終わったんですね。二週間前に逗子に帰った時の服装で明石に戻ってきたのですが、汗だくでした。

 早速、KAZU君のところへ

   お土産のパンダのフード付きのベスト
   

 「パンダ、パンダ」と喜んでくれましたが、身にまとうのはためらって着てはくれませんでした。シャイなKAZU君、ちょっと恥ずかしかったのかもしれません。

 スリッパは履いてくれて、そのまま帰る時に見送ってくれました
   


    児も笑みぬ季節外れの防寒着   弁人


 帰り道、連休の頃から点けていたのでしょうか、震災の犠牲者の哀悼と節電のため消えていた明石海峡大橋のライトアップが復活していました。
  


    海峡に浮かぶ彩り初夏の夜   弁人


 これでやっと、明石でのふだんどおりの毎日が始まりそうです。でも、今週は天気が悪そうで少しがっかりしています。
 本当を言うと、今日10日(火)の夜は、今年たった一回だけ、カープが神戸の球場(ホットモットフィールド)にやって来る日なのです。3月に早々に買っておいたチケット、払い戻しになってしまうのでしょうか。

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ニーハオ北京!(3)すっかりお上りさん気分で

2011-05-08 08:11:45 | 旅行
5月8日(日)

 旅の目的は甥っ子の結婚式。でもせっかく北京まで飛んで来たのです。ここはお上りさん気分でも、見るところは見ておかなければいけません。

 この日は、前日の結婚式の日と同様、風もなく快晴。黄砂?「そんな所だっけ」と思うぐらいの絶好の観光日和になりました。

 行き先はもちろん、まずは天安門広場です。五星紅旗が青空に眩しくはためいていました。

  「全人代」の開かれる人民大会堂
  

  休日とあって人の波も半端ではありません
  
 毛沢東の遺影の脇には「世界人民大団結万歳」とありました。戦争中の日本の「八紘一宇」ということばがふと浮かびましたが、考えすぎかな。そう、一時代前のコマーシャルに「世界は一家、人類は皆兄弟」というのもありました。そんな余計なことを連想しながら故宮に向かっていると

   一人乗りの車でさっそうと警備にあたるお巡りさん
    

  故宮に入ると壮大な「午門」が目の前に。南門という意味です。
  

  門を抜けると、ここにも広大な広場と御殿が
  


    紅色の旗鮮やかに空青し   弁人


 やがてバスは、北京に来てここを訪れなければ来た甲斐もないと誰もが思う所へ向かいました。

  ゴンドラに乗って、いよいよ見えてきました「万里の長城」
  

  どこまでも歩いて行きたいけれど、戻ってくるのが・・
  

  どうしても階段や坂道を登る羽目に
  


      風薫る大陸の径果て知らず   弁人


 あとは動物園でパンダを見たかったのですが、限られた時間の中、それに観光が本来の目的ではなかったので仕方ありません。ちょっぴり後ろ髪を引かれながら、52度の「白酒(パイチー)」をお土産に帰国の途につきました。
                    再見!謝謝


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ニーハオ北京!(2)黄砂の中で

2011-05-07 06:02:13 | 旅行
5月7日(土)

 黄砂は日本でも降って来るので驚くことはありませんが、北京空港の上空に近づき、薄茶っぽい雲に覆われている景色を眺めると、「さすがに中国大陸、黄砂も本場ですな」と思わずにはいられませんでした。

 この日はまず、市内南東にある世界遺産の天壇公園を訪れました。メーデーの前日で、中国でもゴールデンウイークに入ったそうです。

  地方からの観光客もたくさん
  

  晴れてはいるのですが、黄砂で視界が今一つ
  

 町を走る車も砂まみれ、ワイパーをかけたところだけが視界になる状態で走っていました。その上、この時期はポプラの綿屑も舞っていて、逗子の家を出る時に玄関に用意しておいた帽子を被り忘れて来たことを後悔しました。

 それはいいとして。

  この小さい丸いところに乗らないと願いごとが叶わないとか
  

  建物といい、人の波といい、中国の香りいっぱい
  

  メインの建物「祈念殿」。柱がない建造物なのです
  


    大陸の青葉霞みし黄砂かな   弁人


 ところで、この時期の北京は空気が乾燥していて喉も渇きがちなので、ペットボトルのミネラルウオーターが必需品です。他にもペットボトルの飲料はたくさん売られていますが、お茶も水も甘味料が入っているものが多いので要注意。別にまずいわけではありません。私も好奇心から試しに飲んでみましたが、香りが強い午後ティという感じでした。でも、持ち歩いていて温くなってしまうとどうもいけません。
 保冷のポットがいいのですが、氷の用意が難しいので、キンキンに冷えた飲料が大好きな私はちょっと物足りない気分でした。

 そういえば、以前アメリカへ行った時、アイスコーヒーにありつけなくてがっかりしたことがありましたが、考えてみれば、水道水を冷凍して平気で口にできるなんてことは、海外では考えてはいけないのでしょうね。
 「年寄りの冷や水」、もういい歳なんだから我慢せねばと反省した次第。


 天壇公園を出たチャーターバスは、夕方、北京ダックの名店「全聚徳」に着きました。

  お客さんの前で、見事な包丁裁き
  

 日本との時差1時間とはいえ、やはり日が長い。19時過ぎに店を後にしましたが、ちょうど日が暮れかかる頃合いでした。

  やがて北京に夜が。ホテルの窓からのエキゾチックな眺め
  

 夜が明ければ、いよいよ今回の北京行のメインイベント、かわいい甥っ子の人生最大の晴れ舞台が待っています。


    メーデーの前夜祭とも言はれけり   弁人


   うーん、なかなか眠れんわい!


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ニーハオ北京!(1)「中国の結婚式」

2011-05-05 15:26:25 | 旅行
5月5日(木)


   
 筒鉄砲のクラッカーに包まれて、なんとも大陸的な華やかな二人の出迎えです。


    幸せが五月の空を駆けめぐり   弁人



 北京の結婚式は、まず新郎が付添人と供に新婦の住まいへお迎えに行くところから始まります。
 北京では、市民の住居は皆集合住宅です。建物に囲まれた空間に爆竹の音が響き渡り、ベランダや窓から祝福の顔が覗いています。

 階段を上って、玄関のドアの前でお出迎えの挨拶をしますが、新婦は簡単には出てきてはくれません。家族や友人が新郎に向かって次々と質問を投げかけ、新郎が永遠の愛を誓う確認ができるまでは何度も扉を閉じてしまい、家の中へ入れてくれないのです。

  やっとのことで新婦を連れ出すことができました
  

  何台もの迎えのベンツが並ぶ集合住宅の前にご登場
  

 そして、新郎新婦やその家族を乗せた高級車を連ねて、冒頭の動画のとおり結婚式会場に到着という具合です。

  式場はホテルの庭園に準備されていました
  
 この時期、北京では雨はほとんど降りません。しかし、風が吹くと黄砂に見舞われてしまい、屋外での挙式は難しくなってしまいます。
 幸いこの日は二人の門出を祝うかのように、朝から快晴の好天に恵まれました。

  人前結婚式の「はじまりー、はじまりぃ」
  

  指輪交換のあと、ケーキの入刀も式の中で行います
  


      新緑の影も眩しき門出かな   弁人


 この後、新婦お色直しの休憩をはさんで、式の後半は宴会場に移ります。最初に両親の挨拶があり、親類代表として双方の叔父さんの挨拶も加わりました。

  異国の地で、図らずも大役を仰せ仕ることに
  
 フレーズごとに通訳を介してのスピーチということで、いやぁ、気を遣いました。それに、昔何度か漢詩を中国語で朗読したことを思い出し、通じるはずもないのに、たどたどしく「今天、這是我一生中最難志的一天、謝謝」などと中国語も交えたので、まったくもって冷や汗ものでした。

 セレモニーの後は、日本と同様、賑やかな宴会に。

   お祝いの「京劇?の舞踊」
   

 日本と違うところは、円卓に次々と料理が並んで行くこともあって、ご賞味にあずかった後、参会者が三々五々お帰りになって行くことでした。つまり「お開き」というのがないのです。
 ということで、会場が閑散となりかけてきた頃合いに、私たちもホテルの部屋に戻ることになりました。
                   -謝謝-


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