チムどんどん「明石通信」&「その後」

初孫との明石暮らしを発信してきましたが、孫の海外移住を機に七年で区切りに。現在は逗子に戻って「その後」編のブログです

「冬」、赤い実の庭木が目に留まる季節の中で

2019-12-20 11:17:26 | 身辺雑記
12月20日(金)

 もう10年も前のことになるのですが、明石暮らしを始めて二回目の冬。クリスマスも近くなってきた頃に京都の町を歩いていた時、京阪三条駅のそばの鴨川沿いの道に赤い実を付けた木がありまして、

 足もとの札に
  「南天」とありました
  

 その年が明けて、神戸のスカイマークスタジアム(現在のホットモットフィールド)でイチロー選手が自主トレをしているというので見学に行くと、

 球場の外側に、赤い実を付けた
  植木が並んでいました
  

 公園の事務所で写真を見せながら「この植木はなんというんですかね」と尋ねてみたのですが、答えが返って来ませんでした。

 まあそのうち、ナンテンとかセンリョウとかマンリョウとか、赤い実のつく木のことをゆっくり調べて、ちゃんとわかるようにしようと思いつつ、毎年この時期、他のことに気を取られていたのでしょうか、そのまま10年もの歳月が流れてしまいました。

 実は、先月末、散歩の途中、とある集合住宅の前庭に、こんな赤い実の
  庭木がありまして、
  

 「クロガネモチ」という名札がありました。

 その夜、妻君に写真と一緒に「南天かと思って近づいたら、実の付きかたが千両のようだったけれど、クロガネモチだった」と話したところ、
 「クロガネモチならご近所に、南天は向かいの家の玄関先に、千両はお隣のおうちの庭にあるじゃない」と言うのです。

 なるほど、ご近所のお宅の庭に
  「クロガネモチ」
  

 向かいのお宅の
  「南天」
  

 実は黄色ですが、お隣のお宅の庭の
  「千両」
  

 「万両」も散歩の道すがら
  目に入ってきました
  

 「クロガネモチ」は葉が滑らかな楕円形で背の高い木になりそうです。「南天」は赤みがかっている葉が目立ちます。「千両」「万両」はいかにも植木といった感じの低木で、「千両」が葉の上に実を付けるのに対して、葉の下に実をぶら下げるのが「万両」。

 だいたいそんなところでしょうか。他にも、「百両」「十両」というのもありますが、「万両」「千両」ほどポピュラーではなさそうです。また、「ヒイラギ」も赤い実を付けるようで、たしか、前に、大船のフラワーセンターで見たはずなのに写真が残っていません。そう、「ヒイラギナンテン」という木もありますが、これは実が青紫色ということで、まあ、これらについては次の課題として、赤い実の付く庭木については、ひとまずこれぐらいでよろしいかなという気分になりました。

 と思って歩いていると、県営住宅の脇に、たわわに実を付けた
  木が現れました
  

 なんとも鮮やか。
  実の付き方もお見事
  

 葉が小さくて、富有柿を超ミニュチュアにしたような実。それをぶどうのようにふさふさと蓄えています。そうなんです、この記事の2枚目の写真、10年前の神戸総合公園の球場の外に植えてあったのと同じです。
 調べました。「ピラカンサ」でした。庭木としてはかなりポピュラーなもので、そんなことがわかると、

  このお宅にも
  

 ちょっとオレンジっぽいですが、
  生け垣にも
  


   冬の路地不意に現るピラカンサ   弁人


 「ピラカンサ」は別名「トキワサンザシ」とも言って、「サンザシ」という植木も赤い実を付けるのですが、これも後日の課題として、とにもかくにも、これでいちおう、「南天」と「ピラカンサ」の区別も一目瞭然。「クロガネモチ」「千両」「万両」の特徴もバッチシと少々ご満悦。冬の散歩に楽しさが一つ加わりました。

 これは葉が赤みがかっているので
  「南天」
  

 葉の根元にちょこんと実が乗っかっている
  「千両」
  

 鎌倉報国寺の「万両」。葉の下の実がひかえめで
  趣も万倍?
  

 手前に「万両」、すぐ後ろに
  「千両」のデュエット
  


   赤き実の風に動ぜぬ冬の庭   弁人


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逗子の線路に待機する「JRの特急車輛」

2019-12-13 16:04:43 | 鉄道
12月13日(金)

 12月に入って最初の日曜日。逗子駅近くの踏み切りを渡っていると、引き込み線に前面が黄色の車輛が停車していました。

 側面、黄色のドアーに太いブルーのラインは「E257系」の「しおさい」とか「わかしお」とか、
  房総方面を走る車輛です
  

 「そうか、今日は休日。きっと、朝方鎌倉へやって来た『ホリデー快速鎌倉』の車輛が夕方まで止まっているんだな」と思いましたが、たしか、「ホリデー快速鎌倉」は行楽シーズン限定で、秋の運行は11月いっぱいで終わっているはずなのですが。

 その「ホリデー快速鎌倉」なる電車ですが、武蔵野線の南越谷駅を始発駅として、西に府中へ向かい、ふだんは旅客列車が走らない貨物線の長いトンネルを抜けて武蔵小杉を通過し、横浜駅手前から横須賀線に入って鎌倉に来る土日限定の行楽列車です。
 大宮にいるKAZU君や、地下鉄日比谷線一本で南越谷へ行けるKANA君が逗子に来る時にも使えるし、なにしろ珍しいルートを通るので、私も一度乗ってみたいと思っているのですが、朝早く迎えに行くか夜遅く戻って来ることになるので、なかなかその機会が作れないのです。

 そんな車輛が師走に入ったのに止まっている。まあ、鎌倉の紅葉は、だいたい12月に入ってから見頃を迎えるわけですから、期間を延長して運行することになったのかなと思って近づいてみると、

 ドアーに読売新聞のシールがあって、どうも、読売旅行がチャーターした
  団体列車のようでした
  


   誘ひしや師走の鎌倉歩く人   弁人


 何日か経って、今度は京急逗子線に乗っていると、神武寺駅の米軍住宅地側にあるJRの引き込み線に、これまた顔見知りの特急車輛が待機していました。

 常磐線特急「ひたち」や
  「ときわ」の車両かな
  
  

 先頭車輛に「E657」とありましたから、やはり常磐線の特急です。

 ここは、金沢八景にある「総合車輛製作所」とJR逗子駅を結ぶ線路ですから、車輛更新かなにかで新車を作ったのだろうと思いながら、後で調べてみると、

 東北大震災で寸断された常磐線、いまだに福島第一原発に近い富岡-浪江間が不通になっています。しかし、忌まわしい震災から9年、ようやく全線が繋がって試運転に入ったとか。どうも、来年3月中には運行するようですが、それに合わせて、現在、東京から最長いわきまで運行している常磐線特急に、仙台直通の特急が復活するようです。
 それにともない、今17編成ある車輛に2編成追加することになり、すでに、18編成目の車輛は、先月半ばに逗子から勝田の車輛所まで走って行ったそうです。ということは、私が見たのは19編成目の車輛ということになります。

 「そうだったのか、仙台まで行っちゃう特急車輛だったんだ」と思いつつ、「ひたち」といえば茨城県、今終点のいわき駅は福島県、やっと開通するのも福島県、そして、今度最長となる特急の終点が宮城県となります。だとすると、特急「ひたち」という名前でいいのかなと思ったりもします。まあ、今の時代、仙台まで行く人の多くは新幹線でしょうから、特急「いわき」くらいがいいんじゃないでしょうかね。


   復興の春へ待機の新車輛   弁人


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雨上がりの日曜日、上大岡周辺で富士と紅葉を

2019-12-09 17:53:20 | お出かけ・散策
12月9日(月)

 8日の土曜日は終日冷たい雨に見舞われました。横浜では、早朝に異例に早い初雪を観測したというニュースも耳にしました。

 そして、雨の上がった日曜日。健康のため、ほぼ日課となりつつある散歩、「今日はどこにしようか」と考えるのですが、ひんやりとした真っ青な空を前にすると、つい「今日の富士山はどうかな」と気になります。

 「やっぱり、逗子・葉山の海岸か鎌倉かな。いや、今日はひとつ、よく行く所じゃない所へ行ってみようか」
と思いついて、京急で上大岡に向かい、東口から高台の住宅地への坂道を上って行きました。

 けっこうな急坂、一息ついて
  振り向くと、
  

 京浜急行は東京湾側を走るので、車窓から富士山を眺めることはほぼありません。「ほぼ」と言ったのは、実は、私の知る範囲ですが、一ヶ所だけちらっと見えるところがあるのです。
 それは、上り線で言うと、屏風ヶ浦からトンネルを抜けて、間もなく上大岡駅という地点です。
 そんなことが頭の隅にあって、もう十数年前でしょうか、高台へ上がればどんな具合かと確かめに行ったことがありました。その時は、住宅地のもう少し先にある「黒船見物の丘」なる所へ行くのも目的だったのですが。

 今回も、もちろん富士を眺めるだけが目的ではありません。

 さらに坂道を上がって行くと、丘の頂上までもう少しという所に真光寺という真言宗のお寺があって、本堂の後ろの斜面に墓地が広がっています。案内には「上大岡墓地」となっていますが、

 道はその墓地の上へ進み、丘の頂上の辺りからの
  富士が壮観
  


   冬空に一期一会を教示され   弁人


 その先、突然、車の通行も覚束ないほど道が狭くなってしまいますが、それは3~40メートルほどで、また元の道幅に戻ります。ちょうどそこに、

 案内板と、庚申塔と馬頭観音らしき
  石仏が
  

 右の石仏には「元禄十年」という銘があって、ずいぶんと古い。真光寺が歴史の古いお寺なのか、この丘の東西に古い集落があったのか、いずれにせよ、古くから人の往来があったことが伺えますが、まあ、石仏とか道祖神とか石標とかは宅地造成や区画整理で動かされちゃいますから何とも言えません。ただ、

 「黒船見物の丘」の
  案内板を見ると、
  

 この道は古くからあって、見晴らしの良いことも手伝って、何かの時には賑わったのは事実のようです。
 明石のかつてのKAZU君のマンションの近くに「畑山」という丘があって、歴史家から「旗振り通信」の中継地だったという話を聞いたことがありましたが、もしかしたら、狼煙を上げて何かを伝える高台だったのかもしれないと、ふと考えてしまいました。

 横浜みなとみらい方面の
  眺望
  

 浦賀に来航したペリー艦隊の黒船が横浜のどこにやってきたのか知りませんが、はたして、みなとみらいのビル群がなければ海が望めたのでしょうか。北東の本牧方面には山手の高台があるし、根岸湾辺りとしても汐見台の丘があって見えませんから、ここから黒船を見物したとすると、やはり、今の横浜港方面なのかもしれません。ただ、ちょっと遠いような気がしないでもありません。当時の人は千里眼だったのかな。当時、望遠鏡はもうあったのでしょうかね。

 さて、西に富士、北に横浜の町を眺めた後、そのまま上大岡駅と反対側の坂道を下りて行くと、上大岡小学校のグランドがあって、すぐ脇に緑深い久良岐公園の入口があります。

 中に入ると、
  なかなかの風情
  

 KAZU君とKANA君は
  今ごろ何してるかなあ
  

  これは見事
  

 メタセコイアも
  青空に映えます
  

 公園はまだまだ広く、階段も見えるのですが、上へ登る気力なく歩いていると、いったん公園の外に出てしまいました。でも、少し先に「久良岐公園能舞台」という看板がある別の入口がありました。

  能舞台の入口
  

 この日は室内楽の演奏会が催されていましたが、それよりなにより、

 能舞台の建物の奥の紅葉、
  絶品でした
  
  


   丘下りて風なき谷戸の照紅葉   弁人


 そして、この日の散歩の締めは
  「弘明寺観音」
  


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