チムどんどん「明石通信」&「その後」

初孫との明石暮らしを発信してきましたが、孫の海外移住を機に七年で区切りに。現在は逗子に戻って「その後」編のブログです

懐かしい「かっぱ橋商店街」を歩いてみる

2024-03-05 22:17:42 | お出かけ・散策
3月5日(火)

 今週は雨模様の天気が続くようですが、昨日の月曜日は春らしい日射しに恵まれまして、ちょうど、近々上野にある台東区役所へ行きたいと思っていたこともあって、スギ花粉の飛散を恐れながらも出かけることにしました。
 上野で用件を済ませましたが、台東区役所は駅の浅草寄りにあるので、そのまま東へ歩いて「かっぱ橋商店街」へ行ってみました。

 菊屋橋交差点。今や象徴的な
  大手食器問屋のビル
  
    

 この交差点、地下鉄銀座線の「稲荷町駅」と「田原町駅」の中間にあって、今は「菊屋橋」と言ってもピンときませんが、昔は東西南北に走る都電が交差していて、特に南北に走る「31系統(三ノ輪橋~東京駅の都庁前)」の電車は、私が中学時代に通学に乗っていましたので、なんとも懐かしい交差点なのです。
 もっとも、その頃はこんな立派なビルではありませんでしたが。

 ということで、昔は都電通りだった
  商店街へ
  
  

 かつて、叔父が実家近くで飲食店を営んでおりまして、その叔父が自転車にどんぶりの食器を積んでいるのを電車の中から目にしたことがありました。「あれはどこのお店だったのだろう」と懐かしく思ってみても、まったく見当がつきません。
 時代は変わりました。調理器具を調達に来ている飲食店の方もどこかにいるのかもしれませんが、今は、歩いている人の多くが外国人観光客で、中国語やら英語やらの会話がしきりに耳に入ってきます。

 外国人に人気なのが、
  おなじみの「食品サンプル」
  

 塗り物のお店も
  なかなかの人気
  

 「かっぱ橋」、江戸時代に治水事業が難航している時に「河童」が助けてくれたというのが地名の由来とかですが、たしか、都電の停留所は「合羽橋」でした。
 でも、「商店街」のアタマはひらがなになっていて、まあ、そのほうがしっくりするのかもしれません。

 その河童様が商店街の一画に祀られていて、
  称して「かっぱ河太郎」
  

 そして、私が入ったのは、一見目立たない
  ふつうの料理道具店
  
  

 狭いスペースに多種多様なものが所せましと並んでいますが、このお店の便利グッズがよくテレビで紹介されたりして、けっこう有名なお店なのです。

 ありました。テレビで見て気になっていた
  「ほんとうにすべらない箸」
  

 「なんでも落とさずに摘まめる」というのがうたい文句ですが、「すべらない」ということから受験生のお守りとしても人気があるようで、「なぁーんだ、KAZU君の高校受験終わっちゃったなぁ」と悔やみつつ、とりあえず使い勝手を試してからと、今回は自分と妻君のぶんだけにしまして、すぐ横に陳列してあった使いやすそうなピラーも手にしてレジへ。

 さて、この「飯田」というお店、商店街のほぼ中央にあるのですが、この合羽橋の真ん中辺りは、帰ろうとすると、なかなか中途半端な所にあるのです。
 昔、都電が走っていたのだから路線バスでもありそうなのに、どうも、地域巡回型の「めぐりんバス」のバス停しか目に入ってきません。
 「歩いて上野に戻るか、地下鉄の田原町駅へ行くか、商店街の北まで行って日比谷線の入谷駅へ行くか、それだったら鶯谷駅はすぐ先だし」とか迷いながら、しばし佇んでいましたが、一番近い駅はつくばエクスプレスの浅草駅だと判明。「それじゃあ、秋葉原駅に出ようか」と、

 スカイツリーを眺めながら
  東西に走る道を東に
  

 歩いてみれば数分。逗子駅と我が家の距離の半分もありません。「さすが、東京」と言っておきましょう。


   マスク越し春日の中のスカイツリー  弁人



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