チムどんどん「明石通信」&「その後」

初孫との明石暮らしを発信してきましたが、孫の海外移住を機に七年で区切りに。現在は逗子に戻って「その後」編のブログです

年末休暇に入って、「こんばんは、KANA君です」

2013-12-30 12:19:38 | KANA君と妹君
12月30日(休)

 お正月は、駅伝も楽しみだけど、「二人の孫とたくさん遊ばなくちゃ」と、天気予報を気にしながら、部屋の片付けをしていました。

 そんな中、昨日の夕方、年末のお休みに入ったKANA君が、パパママと逗子の家にお泊まりにやって来ました。

 食事の後も、
  お口が寂しいようで
  
   

 楽しく遊んで、おじいちゃんのおうちで
  お泊まりです
   


   暮早し温かき部屋に孫笑顔   弁人


 「おはよう!」
  朝も元気です
  

  木馬に乗ったり
  

  電車の本を見たり
  

 1才と8ヶ月。ちょっと会っていないうちに、どんどん成長していきます。保育園での生活がとてもプラスになっているようで、

 お出かけの前に、
  ちゃんとお片づけができます
  

  「おじいちゃんは一緒じゃないの?」
  

 私は、まだ家の中の用事が残っていたので、三人でシーパラヘ出かけて行きました。

 「帰りは車で迎えに行くからね、楽しく遊んで来てね」


   空澄みて児も輝きぬ年の暮   弁人


 もう一人の孫のKAZU君は、今ごろ、明石から熊本へ向かっているはずです。天気は悪くなさそうですが、寒さはどうなのでしょうか。


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「おじいちゃん、サンタさんの友達なんやな」

2013-12-24 18:02:25 | KAZU君
12月24日(火)

 KAZU君にサンタさんからのプレゼントを渡して、逗子に帰って来ました。

  大喜びのKAZU君
  
   

 21日の土曜日でした。ちょうどその日の夜、東京にいる二番目の孫のKANA君の保育園で、クリスマス会があったという連絡を受けました。
 
 その二日前の木曜日。保育園からの帰りに、KAZU君が
「おじいちゃん、明日はな、保育園にサンタさんが来るんやで」
と言って、胸を踊らせていました。

「サンタさんはな、クリスマスが近くなると、いろいろな所に行かなぁあかんから忙しいんやで」
「サンタさん、大変やな。おじいちゃんの言うことも聞かなならんしな」

 実は、KAZU君、今月の初めには
「カーくんなあ、ANAの飛行機のおもちゃ持ってるやろ、あれと同じのな、鶴のマークのJALのが欲しいねん。神戸空港に売っとるからな、おじいちゃん、サンタさんに頼んどいてな」
と言っていたのです。

 そんなこともあって、保育園からの帰りの会話の続きです。

「サンタさんはな、世界中の子どもたちの所へ行かなあかんからな、だから一人じゃないんや。おじいちゃんもな、保育園に来るサンタさんとは違うサンタさんに、カーくんのな、JALの飛行機を頼んどるんやけどな、忙しくてなかなか連絡がつかなかったんやで」
「そしたら、カーくん、飛行機もらえんのかなぁ」
「大丈夫、サンタさん忙しいので、明日か明後日にな、郵便屋さんに頼んで、おじいちゃんのところに送ってくれることになったんや」
「そんなら、カーくんのうちにはサンタさんは来んのやな」
「おじいちゃんはな、クリスマスが来る前に逗子のおうちへ帰らなあかんからな、特別にその前に送ってもらうことになったんや。だから、本当のクリスマスの日に、もしかしたら来てくれるかもしれんよ。でも、サンタさんはな、子どもが寝ている時にそっと来て、良い子とは会わんのがふつうやで。いつ来てくれるかと寝ないで待っとるとな、サンタさん、『このうちはやめとこ』ってな、そしたら大変やろ。だから、クリスマスの夜もちゃんと早く寝ないとあかんのや」
「わかっとるよ、でもな、カーくんもな、おじいちゃんみたいにサンタさんのお友だちになりたい」

 とにもかくにも、お気に入りの飛行機が
  二機になりました
  

 もう一つ、特別ご褒美。こちらは、
  前進・回転が手もとで操作できます
    


   純真に遊ぶ子のいるクリスマス   弁人


「サンタさんは、どこに住んどるんやろ?」
「きっと、いろんなところにおってな、クリスマスになるとサンタさんになるんやないかな」
「おじいちゃんとサンタさん、お友だちでよかった、カーくん、うれしい」

 こんな会話をしたあと、お正月に羽田空港へお迎えに行く約束をしてお別れをしました。

 今回は車で帰省です。翌日の朝の7時に明石を出て、雪の舞う新名神をおそるおそる走って亀山に下り、お昼過ぎに、足柄サービスエリアにたどり着きました。

  純白の富士山が出迎えてくれました
  


   年の瀬をひととき忘るる富士の峰   弁人


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明石駅前の再開発と、その小さな余波

2013-12-20 15:13:02 | 明石風物
12月20日(金)

 明石駅には、お城のお掘り端に出る北口と、繁華街に出る南口があります。

 その賑やかなほうの南口から、ロータリーの先の雑居ビルを抜けると国道2号線に出ます。2号線を渡ると魚の棚商店街があって、さらに港へ向かって南に行くと、途中に旧街道沿いの本町商店街もあります。

 ところが、この秋、
  駅前ロータリーの先の雑居ビルが閉鎖に
  

 東西に150mほど、ロータリーから国道2号線までの幅2~30メートルくらいの一帯が再開発されることになったのです。

 廃業する店もあるようですが、
  この時計屋は一時移転
  

 一部の店舗は、10月半ばに、駅の東の山陽電車の高架下に新しくできた「ときめき横町」という移転先に、まとまって移ったのです。

  その案内の看板
  

 この図の再開発エリアには、映画館はもちろん、昭和の香りを残す食事処や居酒屋、玉子焼(明石焼き)屋などの気楽に入りやすいお店もあったので、寂しい気分は拭えません。

 地元の主力銀行は
  駅の西に一時移転
  

 そんな中で、いちばん困ったのは、

  この看板です
     

 関西一円に大型店舗を構えるジュンク堂書店、その明石店が9月末に店を閉じてしまったのです。10月は逗子にいることが多く、再開発事業が始まったことを11月初めまで気づかずにいました。もっとも、近くのジュンク堂といえば、舞子駅にもあるのですが、売り場面積が今一つで、あとは三ノ宮か姫路まで出なければなりません。
 ちょっと足を伸ばして、梅田の茶屋町まで行けば、関西でいちばん大きな書店の「丸善ジュンク堂」があって、ここは八重洲ブックセンターに引けをとらない大型店です。距離的にも、明石から大阪駅と逗子から東京駅とはだいたい同じなので、本に困ったときは、逗子にいる時と同様に890円区間の電車に乗ればいいのですが。

 実は、11月の末に姫路へ行って、手柄山公園の記事を載せましたが、あの時も、本屋へ行く用があって、「今日は姫路のジュンク堂を覗いてみようかな」と電車の乗ったのでした。

 明石店は、あくまでも一時閉店ということですが、再開発が終わるのが三年後というと、今度このジュンク堂に来る時は、KAZU君が小学二年生になっているということです。はたして、その時まで明石で元気に過ごして、このブログを続けたりしているのでしょうか。

 このマクドナルドは
  復活するのでしょうか
  


   変わる町小さな余波に首すぼめ   弁人


 ところで、休業したジュンク堂書店、
  国道2号線に面していて、
  

 すぐ前に、
  ほとんど人が渡らない歩道橋があります
  

 東と西、それぞれ100メートルほど先に大きな交差点があって、ほとんどの人がその信号を渡るのですが、実は、国道を渡った先に、明石の台所「魚の棚商店街」があるのです。
 つまり、駅前の繁華街と明石の代表的な商店街が、国道2号線によって見事に分断されていて、5年前に明石に来て以来、この2号線をなんとかできないものかと、ずっと思ってきたのです。
 よそから来た者がそう思うのですから、再開発を進めている関係者が考えていないはずはありませんよね。

 今のところ、完成予想図にはお目にかかれないのですが、駅を降りた人が、再開発された施設を通って、いかにスムーズに2号線の南の商店街へ行けるようになるのか、ちょっと楽しみにしています。


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師走の休日に、お気に入りのアスレチック

2013-12-17 06:43:02 | KAZU君
12月17日(火)

 「おじいちゃん、アスレチック行くで、車で来てや」

 日曜日の朝、外は冷たい西風が吹いていましたが、KAZU君の元気な声が届きました。

 アスレチックのある須磨離宮公園は、電車の駅から少し離れているので車で向かいます。駐車場からの公園内の道は、木々に囲まれているからでしょうか、風もなくてそれほど寒さも感じませんでしたが、

  海を望む高台へ出ると、
  
 さすがに風通しが良くて、襟を立ててしまいます。

 「寒いから、身体動かさないと」と、
  さっそく森の中へ
  
   

 夏前から何回も来ているKAZU君、遊具にもすっかり慣れて、ついて行くと、「次は○○やで」と説明してくれます。

 「こうやって登ってな、
  こうして叩くんや」
  

 上りの段差でちょっと一息ついちゃうと、
  追いつくのが大変
  

 「これはな、早く歩かんと、
  揺れて危ないんやで」
  
   

 「カーくん、次はこっちやで」と言っても、KAZU君、ちょっと苦手なのは適当にパスをして、どんどん行ってしまいます。後半は下りなのでさらにペースが上がります。


   木漏れ日の中の子どもも師走かな   弁人


  最後は滑り台でゴール
  

 この日は、お昼ごはんをはさんで、都合4回も回ってきたKAZU君、私も息を切らせながら2回お供をしましたが、冬の訪れ、元気な子どもには無縁のようです。


   子を追ひて寒さ忘るる十二月   弁人


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初冬の下町散歩「深川木場界隈」

2013-12-14 00:05:28 | お出かけ・散策
12月14日(土)

 一昨日から師走の明石にいます。空気も風も湘南より冷たくて冬本番、KAZU君のところへサンタさんがやって来たら、また逗子に戻りますが、さすがに師走、なかなか慌ただしい一週間になりそうです。

 今回は、まだこちらへ向かう前の今週半ばのことです。

 実は、12月7日は父の命日。あれからもう52年も経つのですが、両親の墓参りもせず明石に戻ってしまうのも如何なものかと気になって、東京下町のお墓へ向かいました。

 昼前に墓参を終えて、日比谷線の入谷駅から都心方面の地下鉄に乗りましたが、初冬のこの時期、特に行くあてはなく、車内の路線図を眺めていました。

 川向こうの清澄庭園には、なぜか行ったことがなかったからか、半蔵門線の「清澄白河」という駅名が気になりました。でも、日比谷線と半蔵門線は接続駅がなく、「それじゃあ、東西線で門前仲町まで行ってしまおう」と、深川の南のほうで地上に出ました。

  まずは深川不動です
  
 参道からまっすぐ歩いて、正面のお不動さんにお参りして、東の富岡八幡宮へ向かいましたが、

 後で、同行の妻君から「左の四角い建物が本堂だったみたい」と言われました。
「え、あの梵字で覆われた新しい建物が?」 結局、お参りしたのは御本尊ではない「おねがい観音」という木彫りの大きな不動尊でした。
 誰が見たって、参道の正面のお堂が御本尊だと思うはずで、妻君が「こっちじゃない」と言った時も、「寺務所に決まっている」と無視してしまいました。
 事前の勉強不足とは言え、カメラ片手にアングルを探しながら歩いている者には、ちょっと不案内ではないかと思っても後のまつり、また行くしかありませんね。

  そして、富岡八幡宮へ
  
 ここは、姪が11年前の秋に挙式したゆかりのお宮で、久しぶりの参拝です。あの時に記念撮影した境内に、日本一大きい神輿を納めた神輿倉ができていました。

 富岡八幡宮といえば、
  明治時代にできた「横綱碑」
  

 相撲と関わりの深い神社で、横綱が誕生すると、必ず土俵入が行われるお宮です。写真の碑には、歴代横綱の名が記されていて、初代横綱は「明石志賀之助」とありました。明石ゆかりの横綱かと思ったのですが、栃木県出身の横綱でした。因みに、四代に「谷風」、五代に「小野川」と知っている名前が刻まれていました。


   昔も今も門前仲町冬気配   弁人


 お昼ごはんは、深川飯を予定していたのですが、朝の薬の影響で食欲なく、老舗の蕎麦屋で済ませ、東へとことこ歩いて行くと、木場の公園に行き着きました。

  まだ、紅葉が残っていました
  

 「緑化植物園」もありましたが、この時期は、さすがに花園とは行きませんで、

  スカイツリーを正面に歩いて行くと
  

  都の現代美術館がありました
  
   
 
 小一時間ほど、正直のところ、昔気質の私にとっては理解の難しい現代芸術を鑑賞?して、

 今度は隅田川方向の東へ歩いて、
  深川江戸資料館へ
  

 さらに東へ。松平定信のお墓のある
  霊厳寺も参拝しました
  

 どのくらい歩いたでしょうか、もうすぐ夕方です。やっと目的の清澄庭園に到着しました。

 鴨たちを押し退けるように、
  都鳥(ユリカモメ)が
  

  冬ですね。
  水仙が咲き始めていました
  


   咲きはじむ清く澄みたる水仙花   弁人



 都会の一角ですが、
  なかなか風情のある庭園です
  

 庭園を出た、東隣りの公園も
  初冬の色合い
  

 公園でひと休みしていると、すぐに夕暮れの気配が漂ってきて、慌てて地下鉄の駅へ向かいました。


   深川の水路色褪す暮早く  弁人


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明石海峡船景色 No.11 「次々とやって来た大型船」

2013-12-07 12:12:24 | 船景色
12月7日(土)

 「船フォト」のシリーズ、このカテゴリーの記事は、前回が11年の8月でしたから久しぶりです。

 11月も下旬、秋も深まり、海辺のウオーキングも手袋が欲しくなるような冷え込んだ朝でした。

 大きなバラ積み船が、
  明石海峡大橋をくぐって来ました
  
    (GREAT PERSEU 9万トン)

 雲が多めの朝でしたが、日光で眩しくなかったぶん、船の姿がはっきりと見えて、しばし眺めていました。

 この種の大型の貨物船、甲板の上にパイプが見えるととタンカーで、均等に四角い蓋のようなものが並んでいるとバラ積み船なのです。タンカーなら十数万トン、バラ積み船なら十万トン弱くらいといったところでしょうか。


   海峡の船鮮やかに冬気配   弁人


 こういうなんとも言えない天気の日は、時々大阪湾方面の視界が、かなり良好になることがあります。とはいえ、橋のたもとの舞子の辺りが南に突き出ているので、明石から視界に入るのは、泉州の岸和田、関西空港方面から南の沿岸なのですが。

 次に海峡に入って来る船を眺めながら、
  関空方面に目をやると
  
 かすかにエメラルドグリーンの船体が見えます。たぶん、メンブレン型のLNGタンカーでしょう。ふつう想像する丸いタンクを並べてあるLNGタンカーを「モス型」と言いますが、タンクが方形になっているのを「メンブレン型」というのです。この形の船では、「PUTERI○○○SATU」という名前の船が時々通りますが、どれもタンクの色が薄みどり色なので想像がつきます。

 そして、1時間半後。
  目の前にやって来ました
  
  (PUTERI INTAN SATU 9.5万トン)

 大阪の南の方にコンビナートがあって、丸いタンクが遠くに見えることがありますが、だいたい、明石から見て、その位置を北上している大型船は、1時間半ほどで明石海峡にやって来ることが多いのです。岡山、広島方面の瀬戸内工業地帯にも、たくさんのコンビナートや製鉄所がありますから。

 舞子のすぐ向こうの神戸港も、国内トップクラスの大きな港ですが、港を眺めた感じでは、巨大なクレーンがたくさん並んでいて、一大コンテナ基地といった印象なのです。
 そこで勝手に、大阪湾を北上するコンテナ船が見えると、「神戸港に行くんだろう」と思い、10万トンクラスの大きさの船だと、「きっと、こっちに来るぞ」とカメラの準備をしたりします。
 もっとも、巨大船とは言え、視界が良くて、あの位置の船が視野に入ることはめったにはありませんが。

 そんなことを思って、上の写真を撮った二日後の朝、カーテンを開けると、

 目の前に、
  大型のバラ積み船が通っていました
  
   (MONA LIBERTY 7.7万トン)

 「今日も珍しく視界良好だな」と思って、泉州沖に目をやると、この時もまた、北上する大型船が目に入りました。

 上のバラ積み船が通ってから1時間半後、
  8時45分でした
  
 10万トンくらいありそうです。ファンネルマークに「K」の文字が見えるので、船籍はわかりませんが、川崎汽船のバラ積み船(CAPE SAMPAGITA 9.2万トン)です。

 こういう視界の比較的良好な日に、タイミング良く二回も大型船が来るのも珍しいと思いながら橋の下の彼方へ目を向けると、またまた大型船が、それも二隻縦に並んで見えていました。

 10時ちょっと過ぎ。「これはまあ、でっかい」
  タンカーです
  
 双眼鏡を覗くと、「TAKAHASHI」の文字。漢字では「高梁」。日本郵船の16万トンもあるタンカーでした。

 すぐ後ろからメンブレン型
  LNGタンカーが
  
   (METHANE PATRICIA 10、9万トン)

 11時過ぎには、これも遠くに見えていた
  10万トン近いバラ積み船
  
    (YURITAMOU 9万トン)


   年の暮れ近きや海も慌ただし   弁人


 エネルギー源を運ぶタンカー、製造原料をたんまり積んだバラ積み船。まさか庶民に暖かい正月をもたらすためではないでしょうが、少しは景気が上向いてきたのでしょうか。
 それにしても、たまたまとはいえ、こんなに大型船が後を追うように通過する光景を見るのは、明石に来てから5年以上海を眺めていますが、初めてのような気がします。


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初冬の姫路散歩-手柄山公園

2013-12-01 18:34:05 | お出かけ・散策
12月1日(日)

 11月の末の三日間、とてもこの時期とは思えない寒波に見舞われて、すっかり冬の気配となりました。

 その寒波の気配が漂ってきた肌寒い日、ちょっと用事があって姫路へ行きましたが、駅ナカの書店の店頭で、「手柄山、けっこう紅葉がきれいやった」という会話が聞こえてきました。

 手柄山は姫路駅のすぐ南西、立派な野球場や陸上競技場もある大きな公園です。駅のいちばん近いほうに遊園地と水族館があって、いつも山陽線の車窓から眺めているだけだったので、ちょっと行ってみたくなりました。
 歩いて行くかバスに乗るか迷いましたが、山陽電車に乗ると一駅目に手柄駅があり、いちばんわかりやすそう。
 手柄駅を降りて10分ほど歩き、船場川を渡ると、まだ公園の手前ですが、

 十分に
  秋の色合いが残っていました
  

 さらに数分歩くと、駅から遠いほうの公園の南口に着きました。

 なかなかよく整備された
  西洋式の公園です
  

 もみじも
  きれいに色づいています
  
   


   冬来たり照葉の園に人気なく   弁人


 すぐ南に
  植物園がありました
  

 写真は南東側の海方向ですが、反対側の北西のほうに展望塔が見えたので、少々雲は多いのですが向かってみました。

 エレベーターで上ると、
  回転ラウンジになっています
  

 展望塔から見下ろした遊園地。
  平日なので人影が見えません
  

 エレベーターを下りると、「非核平和都市宣言」をしている姫路市ということでしょうか、展望塔の真ん前に、平和資料館の立派な建物がありました。空襲の資料などが展示されているようでしたが、あいにくこの日は空調工事中ということで入れませんでした。
 その平和資料館の背後へ歩いて行くと、立派な慰霊塔がありました

 「太平洋戦全国戦災都市空爆
   死没者慰霊塔」です
  

 慰霊塔の先の公園に下りると、
  水族館の建物があります
  
 庭の一角に何か飾ってあって(〇印)見に行くと、半世紀近く前の1966年から8年間だけ運行されていた姫路モノレールの台車でした。
 水族館の建物に入ってみると、そこが、かつてのモノレールの駅だったようで、

 当時の車両の
  実物が残されていました
  

 この手柄山公園は、1966年に開催された「姫路大博覧会」の会場で、姫路駅からのアクセスとしてモノレールが作られたのです。ただ、博覧会の後は営業不振に陥り、わずか8年で廃止されたのでした。
 姫路駅の西に、大船のドリームランドモノレールと同じような廃線跡の名残りがあって、気になっていたのですが、これで納得できました。

 それにしても、今から50年近く前に、姫路で博覧会があったということは、当時、東京の高校生だった私には、正直のところ記憶にないのです。

 どうりで、上掲の「回転展望塔」も博覧会のシンボルタワーだったんです。そういう目で見ると、この公園のいたるところに博覧会の面影が見えてきます。植物園の温室もタマネギ型で、温室のパビリオンだったのかもしれません。

 さて、水族館の屋上へ出ると、
  公園が一望で
  

 北側に、
  修理中の姫路城が望めました
  


   ばんしゅうの色と香満つる手柄山  弁人


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