チムどんどん「明石通信」&「その後」

初孫との明石暮らしを発信してきましたが、孫の海外移住を機に七年で区切りに。現在は逗子に戻って「その後」編のブログです

三大駅伝への腕試し「関東インカレ陸上」

2019-05-28 08:06:31 | スポーツ観戦等
5月28日(火)

 ずっと弱かったカープがペナント3連覇を果たし、そろそろヘタリが出て来るかなと思っていた今年も、なんだかんだ言いながら突然の快進撃で首位をキープと、なんとも隔世の感ですが、もう一つ応援している国学院大学の駅伝も、長いこと強豪校には全く手も足も出なかったのに、今年は伊勢も箱根もシード権を持っていて、出雲を含めて、苛酷な予選を経ずに三大駅伝に出場することになっています。
 まったく、明石にいた頃には考えられなかった状況で、好きなスポーツがこんなに楽しくていいのかと、思わず頬をつねりたくなります。

 そこで、秋からの三大駅伝に向けて、韋駄天どもの調整具合は如何なものかと、23日(木)からの関東インカレのレースを覗きに行きました。

 昨年と同じ、相模原の
  ギオンスタジアム
  

 最近は短距離にも
  いい選手がいるのです
  
 (4×100mリレー予選。学内新も3着で惜しくも予選通過ならず)

 なお、短距離では、3年の佐々木君が「2部800m」で2位に入りインカレポイント7点獲得、決勝進出種目は他にもあって、4×400mリレーで6位、100mハードルの宮野君(3年)と400mハードルの鈴木君(3年)が8位入賞となかなかの活躍で、スタンドに座っていても楽しみが増えました。

 ということですが、注目は、やはり駅伝へ向けて、5000mと10000mとハーフマラソンの3レースです。

 初日の夕方、
  2部10000mのスタート
  

 2800m。
  やはり留学生強い
  
 先頭に留学生4人。少し遅れて青学の鈴木塁人君、6番手グループに国学院の藤木君(2年)とエース浦野君。

 この後、鈴木君も藤木君も後方に沈み、日本人トップでゴールしたのは、浦野君。暑い中
  28分56秒台の好タイム
  

 3位までが表彰台なんですけどね、
  留学生が多すぎ
  

 やはり気温が高かったのでしょう、日本人で29分を切ったのは浦野君だけで、駒沢大、青学、神大の選手のタイム、ここで「恐るるに足らず」と言ったら失礼でしょうか。
 でも、国学院としては期待していた2年生二人が30分を切れなかったのが少々残念でした。

 関東インカレは1・2部制ですから、ここではまだ帰れないのです。女子10000mをはさんだ後の1部のレースも見ておかなければなりません。なにしろ、東海、東洋、明治、早稲田、山梨学院等々、錚々たる大学のランナーがエントリーしているのですから。

 1部のレースから1時間ほど経った日没後で、だいぶ涼しくなってきました。これは浦野君より早いタイムが続出かなと思いきや、優勝タイム、2部より16秒遅い28分37秒。

 3位に入った日本人トップの法政大佐藤君、
  ガッツポーズ
  
 それもそのはず、浦野君より15秒ほど速い28分41秒台、国士館のヴィンセント君を振り切っての3位ですからお見事です。今まで全くマークしていなかった選手で、どうも箱根駅伝では1区で5位だったとか。いい選手が出てきてしまいました。

 しかしながら、このレースで28分台を出した日本人選手は、佐藤君と28分57秒の城西大の荻久保君だけで、東洋の西山君も東海の鬼塚君もこの日は精彩を欠いていました。

 ところで、このレースでも留学生がワンツーフィニッシュでとにかく速い。ラストスパート時の歩幅の違いは目を見張るものがあります。能力・体型、やはり、日本人選手には手に負えません。
 そうはいっても、例えばペースメーカーとして付いて行ったりもできるし、いろいろな面で、彼らの存在が日本人ランナーのレベル向上の力になっていることも事実です。それに、今のところ、駅伝の強豪校では、山梨学院、日大、国士館、拓殖にしかいませんので、それはそれでいいのですが。
 その中で、1部10000m2位、日大のドゥング選手。彼は最終日のハーフマラソンで優勝しているのですがね、なんと1年生なんです。というのも実は、実業団小森コーポレーションで活躍していた23才の実力者で、この春、晴れて日大に入学したということです。ここは、大学で学びたいという強い意志があってのことだと信じたいのですが、大学駅伝には年齢制限がないとはいえ、勝ち負けということになると、つい、「さすがあの日大サン、そこまでやりますか」と言いたくもなってしまいます。
 「ま、いいか。今のところ、総合力で日大には負けそうにはないし」

 さて、その23才のケニア出身の日大1年生が1部で優勝したハーフマラソン。2部には留学生ランナーがエントリーせず(5000mと10000mに回ったもよう)、なんと、我が国学院のもう一人のエースの土方君が優勝の栄冠に輝きました。
 タイムは1時間5分18秒という平凡なものでしたが、5月としては異常な暑さに見舞われた日曜日、1部でも土方君のタイムを上回ったのは、優勝の日大ドゥング選手と東洋大2年の宮下君の二人だけでしたから、実質日本人2位ということになります。まあ、土方君は浦野君と甲乙付けがたい国学院の二枚看板の一人ですから、1部2部一緒に走っていたらどうなっていたかわかりません。
 と上機嫌なのですが、実はハーフマラソンは観戦できませんでした。なにしろギオンスタジアムは交通不便で、どうしても車で行くことになりますが、レースは朝の9時から競技場周辺を周回するコースということで、朝から周辺の道路も駐車場も閉鎖という情報。どうにもこうにも近づきようのない状況だったのであきらめざるを得ませんでした。

 そんなわけで、最終日のメインは午後からの5000mということになりまして、

 スタートは、向こう正面の
  第3コーナー手前
  

 やっぱり、留学生の独擅場。浦野君、日本人トップの6位でゴール。
  14分06秒98
  

 そして、1部のレースは。

 ここでもアフリカの留学生3人が先着の後、10000m同様、またしても、法政の佐藤君、
  13分59秒51で日本人トップ
  

 いやあ、佐藤敏也君すごい。最後まで留学生に食らいついて行く気力、感心しました。
 昨年、出雲には出ていないし、伊勢でも3区8位で話題にも上らなかった選手なのに、2レースとも浦野君のタイムを上回っています。
 ちなみに、このレースの有力選手の結果ですが、浦野君のタイムを上回ったのは、東洋大の相沢君と城西大の荻久保君で、明治の阿部君が14分07秒29。東海大の鬼塚・関君は11位・12位、早稲田の太田君と中谷君、東洋の西山君は上位に食い込めませんでした。

 とまあ、国学院の二枚看板は磐石なのですが、続く青木選手が5000m出走せず、ハーフマラソンの茂原君(4年)が10位とがんばったものの、13位の殿地君(2年)はタイムが平凡。10000mの藤木君のタイムも今一つということで、層の薄さが気がかりです。
 そんな中で、今回5000mで15分01秒と結果は出なかったものの、1年生の中西大翔君、先月の記録会で14分05秒31を出していて期待できます。彼は双子で入部。もう一人の唯翔君もなかなかの記録を出しているとかで、若い有望選手の今後の成長も楽しみになっています。


   ワンランク上の笑顔へ光る汗   弁人

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逗子の散歩道「葉桜住宅地から桜山古墳へ」

2019-05-10 15:28:02 | 逗子風物
5月10日(金)

 我が家の南、逗子市桜山と葉山町長柄にまたがる丘陵に「葉桜団地」と称する住宅地があります。
 逗子で世帯を持った昭和48年には既に造成されていましたから、50年ほど前に開発された住宅地だと思われます。

 バス通りに出ると、
  大きな給水タンクが見えます
  

 坂がけっこう急なので自転車で行くのはちょっと無理。車でなければ、逗子駅からのバス(朝夕は10~15分毎に1本、昼間は1時間に2本)に乗って行くことになります。

 終点の
  「葉桜」バス停
  

 路地に入ると、先ほどの
  給水タンクがあって、
  

 その先の西端には
  絶景スポットがあります
  

 逗子に住んで3年目に、今の住まいの土地を購入したのですが、当時、山の上なら倍近くの広さの土地が取得できるということで、この景観に魅せられて食指が動いたのを思い出します。

 それはさておき、相模湾と富士の眺望から視線を左へ移すと、こんもりとした
  森が横たわっていて、
  

 右のほうに、ここと同様、眺望の良い所が整備されていますが、実は、入口に近い左の森の中に「長柄・桜山古墳群」という史跡があって、かなり大きな前方後円墳が二つ鎮座しているのです。

 古墳への入り口は、道一本向こうの
  住宅街の突き当たり
  

 入るとすぐ、左に
  古墳へ向かう道がありますが、
   

 かなり急なので、丘陵の先端から迂回する道へ向かうと、すぐに、右の視界がひらけて
  逗子市内が一望です
  

 ベンチもあって、周囲の景色を眺めながら
  しばし休憩
  

 ここからの景観もなかなかで、丘陵のすぐ向こうに相模湾、そして、江ノ島と富士。そこで、桜が咲く前の
  3月18日の写真を一枚
  


   朝凪の底に揺らめく龍宮城   弁人


 それでは古墳へ向かいましょう。

 坂の上に、ドームのようなものが
  眩しく光っています
  

 前方後円墳の後円部で
  直径50mほどです
  
 今は、保存・整備中ということで、シートに覆われていますが、

 春休みには、KAZU君も
  ここを歩きました
  

 全長90m超の大型古墳。前方部も
  形どおりに盛り上がっています
  

 20年前の1999年、地元の考古学愛好家が散策中に偶然埴輪の破片を発見して古墳だと判明。今は、逗子と葉山の教育委員会の管理のもと、この第一号古墳の周囲はロープを巡らせて中に入れないようになっています。

 さらに、逗子市と葉山町の境界上にある山道を数分ほど歩いて行くと、ほぼ同じ大きさの第二号古墳があります。

 こちらは、後円部から前方部まで古墳の上を歩けるように、というより、
  そこが道になっています
  
 (奥のこんもりした木立の所が後円部で、道の部分は前方部の上)

 この二つの古墳は、四世紀後半の古墳時代前期のもので、関東では最大級とか。前方後円墳といえば、そのほとんどは畿内にあることから、説明書きには「葬られているのは、この地域の実力者で大和王権とつながりがあった人物の可能性」とあります。

 とまあ、こんな認識を持って、春先に3回ほど歩いたりしていたのですが、

 なんと先日、連休中のテレビに「三浦半島のパワースポット」として取り上げられたのです。

 紹介したのは、今売れっ子?の歴史学者の磯田道史先生。子どもの頃から古墳マニアだったという磯田氏、さすがに歴史学者ですから、あくまで「ロマンを馳せる」ということを前提に、
○ 地元の豪族の墓であったら、二つだけしか存在しないのは奇異である
○ 当時の実力者の墓は、生前墓を含めて複数あることが多い
○ 相模湾から東京湾へ向けて、交通の要所である丘陵に直線上に連なっている
○ 二号墳前方部からの西方(畿内方向)の眺望が見事
などの特徴を挙げて、
 センセイも思わず、記紀神話そのものに重ね合わせて、二号墳が「ヤマトタケル」、一号墳がその妻「オトタチバナヒメ」という歴史ロマンに浸っていました。

 そんな夢のある歴史のお話を聞いているうちに、私も、「きっと、記紀神話の記述に相当する人物がいて、そのお方の墳墓なんだ」という気分になってきました。

 この写真も春休みにKAZU君と歩いた時に撮ったものですが、テレビで磯田先生が目をパチクリした
  二号墳からの景観
  

 眼下には、逗子海岸南端の渚橋から葉山鎧摺港方面の海が広がっています。
 

   神の代も昨日のごとく風薫る   弁人


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連休の初めに、KAZU君一家と仙台へ

2019-05-01 13:05:54 | KAZU君
5月1日(休)

 28日の連休二日目の朝。上越新幹線が停電で運休ということで、まさに「ごった返す」という感の東京駅から仙台行きの東北新幹線に乗りました。
 
 前日の雨も上がって好天気。富士山もきれいです。
  (大宮手前の浦和辺り)
  

 大宮でKAZU君一家が合流し仙台へ。

 向かうは、やっぱり、
  まずは松島でしょう
  

 十連休の前半に、オランダにいるKAZU君のお父さんが一時帰国することになり、「作並温泉の宿が取れたので、牛タンでも食べに、おじいちゃんおばあちゃんも一緒に仙台へ行きませんか」と誘われ、新幹線の座席もなんとか押さえられたので、楽しい家族旅行と相成りました。

 KAZU君一家、
  親子水入らずの旅
  

 お馴染みの景色を楽しみながら
  塩釜へ向かいます
  
  


   行く春や白波描く遊覧船   弁人


 仙石線、仙山線を乗り継いで、夕方、温泉宿のある
  作並駅に到着
  

 温泉を楽しんで迎えた二日目も、とっても気持ちの良い青空が広がっていました。

  作並駅から電車に乗ります
  

 あの白い頂の山(面白山)の
  向こうを目指します
  

  仙山線山形行きに乗車
  

 電車は県境の長いトンネルを越えて、岩肌の上の立石寺が目の前の山寺駅に。

 そそり立つ山肌。五大堂や開山堂、
  釈迦堂も見えています
  

 この山門を入ると、いよいよ石段ばかりの
  きつい登山道ですが、
  

 ここで、ちょっと意外な展開に。
 実は、私、四月下旬の低温が原因か、少々風邪気味で体調が万全ではありませんでした。立石寺は以前に参拝したことがありましたし、前日、寝冷えをしたのかKAZU君も咳き込んだりしているので、KAZU君と私、二人は下でゆっくりしていることになったのです。
 とはいっても、お父さんたちが下りて来るまで時間はたっぷりあります。名物のこんにゃくやズンダ餅だって、そんなにゆっくりと食べてはいられません。

 山門の前の境内から景色を眺めていると、線路の向こうの丘に
  桜がきれいに咲いています
  

 「あのぐらいなら行けるよね」と、一度下に下りて、線路を潜って、坂道を上って行くと、そこは芭蕉記念館と美術館のある公園でしたが、

 ソメイヨシノや枝垂れ桜が咲き誇る
  花園になっていました
  

 ベンチに座ると、
  山寺立石寺が一望できます
  


   句帳手も眠気勝りし春の風邪   弁人


 ゆっくりと景色を眺めていると、「真ん中辺りまで下りて来たよ」という連絡が入り、西に朝日連峰を眺めながら
  駅へ下りました
  


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